2010年元旦、バスで鳥取を発ち南下、姫路を目指します。相変わらず雪が降り続いていましたが、中国山地を越えるあたりから次第になくなり、やがて晴れ間が見えてきます。 時おり道路の脇に気温が表示されていますが、大晦日からずっとー1℃で寒さは変わりません。 バスは途中兵庫県佐用町を通りました。 斜面では沢山の木が倒されていて、潰れた家もありました。 ここ佐用町では昨年8月9日の台風第9号により大きな被害を受けました。その爪痕が残されているのです。 被災された直後から神戸から沢山のボランティアがバスを連ねて、佐用町に支援に訪れたそうです。 阪神淡路大震災で全国から支援をしてもらったから、今度は自分たちが支援するんだということで、地元の人たちからとても感謝されたそうです。 佐用町のはかつて利神(りかん)城があり、いまは山のてっぺんに城址が残されているようです。 この城には言い伝えがあります。利神城の家老青山鉄山が恋の怨みで、奥女中のお菊に皿を失った罪を着せ殺して、死骸を井戸に落としたというものです。 そう、有名な「播州皿屋敷」ですね。 お菊の墓や井戸も残されているそうでかなり信憑性がありそうですが、実はこの「皿屋敷」伝説は全国に存在していて、どこが本家か断言はできないようなのです。 東京にも「番町皿屋敷」があり、落語のネタにもなっています。 仮に佐用町が本家だとしても、題材が題材ですから、あまり町興しには使えないでしょうね。 9枚ワンセットでお菊の皿のお土産では売れないかな。 そうこうしている内に、昼には姫路城に到着。こちらは快晴です。 昼食後、専門ガイド付きの見学開始です。 この日は元日に入場無料の日が重なり、混雑が予想されていました。もしかして天守閣に上れないかもなどと脅かされました。 姫路城は他の城郭にはない特長があります。 それは大天守と三つの小天守、それらを結ぶ渡櫓によって構成される連立式天守閣の構造を持っています。 もう一つは、築城当時の姿がそのまま残されているという特長です。 代々の城主のメンテナンスが良かったこともありますが、太平洋戦争当時、城をすっぽりと覆って、米軍の爆撃から守ったという市民の力が与っています。 我が国で初めて世界遺産に登録されたのも、こうした理由があったからです。 その天守閣の写真です。 ![]() 最初の築城は14あるいは16世紀ごろと推定されていますが、秀吉が西国攻めの時に入城したこともあります。 関が原の役の後いったん城は取り壊され、家康の女婿である池田輝政によって1609年、現在の形の城が完成しています。 その後は、徳川四天王の一人で勇将といわれた本多忠政が入城します。 当時、西国には秀吉恩顧の大名が大勢いて、かれらが連携して大阪や京都にのぼることを阻止するには、この姫路城がとても大事な役割を持っていました。 だから徳川家として最も信頼のおける大名を配し、頑健な城郭を築いたわけです。 姫路城は機能美と様式美が見事に融合した建築物だということです。 写真は西の丸です。 大阪城炎上の中を救出された千姫(徳川秀忠の娘、家康の孫)が、本多忠政の長男・忠刻と再婚しますが、その千姫のために建てられたものです。 化粧櫓や長局(百間廊下)がその名残りをとどめています。 この千姫をめぐる物語は、これだけで長編小節になる位の波乱万丈のストーリーで、ガイドが熱弁をふるっていました。 ![]() 城門の前にある城壁で、良く見ると眉毛、両眼、鼻、口という人間の顔に石積みがされています。 侵入者を監視しているという説明でした。 ![]() こちらは「播州皿屋敷」の物語で有名な「お菊の井戸」です。 家老のお家のっとりの企みをあばき城主の難を救ったお菊が、家老からその恨みをかい、家宝の皿一枚を隠してお菊を責め、この井戸に投げ込んだというものです。 どうも史実とは言い難いようですけど。 ![]() 正面から見た姫路城です。 破風の特長が良く分かりますね。 ![]() いよいよ城内に入ったのはいいですが、押すな押すなの行列で、係員がハンドマイクで「立ち止まらないで下さい」と絶叫。 ひたすら階段を上り、ぞろぞろ前に人に続いて歩いていたら、いつの間にか天守閣に到着していました。 でも周囲の人間しか見えず、「長壁神社」のお供え物が写真に撮れただけでした。 ![]() 出口側から見た姫路城。 ![]() 夕方、帰り際に振り返ったら、夕陽に赤く染まった姫路城が見えました。 ![]() 姫路城はただただ美しい。 私が今まで見た中で単独の建築物としては、トルコ・イスタンブールの「ブルーモスク」や、ドイツ・ロマンチック街道の終着にある「ノイシュバンシュタイン城」に匹敵すると思います。 間違いなく、日本を代表する文化遺産です。 来て見て良かったと、つくづく思いました。 今回の旅行は、これだけで満足しました。 |
12月30日より2泊3日の山陰と姫路へのツアーに参加しました。 お目当ては出雲大社と姫路城です。 観光で山陰に行くのは41年ぶりですが、出雲は初めてです。 それと今年から姫路城天守閣の大改修工事が始まり、しばらくは城の外観が見られなくなるということで、その前に一度観ておこうというわけです。 旅行社はクラブツーリズム。 新幹線で岡山に行き、観光バスで大山に着き、30日は大山ロイヤルホテルに宿泊。 夕食はあまりパッとしませんが、部屋が広いのと、露店風呂付の温泉がゆったりとしていて、快適でした。 翌31日は予報透りの雪。 下の写真はホテルの窓から見えた夜明けの大山ですが、既に雪が降り始めていて、山頂は霞んでいます。 ![]() バスは一路出雲を目指して西に向かいますが、吹雪で車窓から何も見えません。旅行でこれほどの悪天候になったのは、久々です。 しかし日本交通のバスガイド・川口絵美さんのユーモラスで機智に富んだトークで、これから先も含めて全く退屈することなく移動時間を過ごすことができました。 途中、安来(やすぎ)市を通るときに、「安来節」の由来について解説がありました。 安来節は出雲地方に伝わるいくつかの地元民謡を、幕末期から明治初期にかけて渡部お糸さんという人が大成したもの。 あの有名な「ドジョウすくい」は男踊りで、女踊りは振り付けが別。でも安来地方にはドジョウがいない。 全国の刀の材料となっていた安来鋼が砂鉄を原料としていて、川の中で砂と鉄とを篩い分ける「土壌すくい」から派生したものだそうです。 かつては宴会の花形だった「ドジョウすくい」ですが、近ごろはとんと見受けなくなりました。 鉄を溶かすときは、24時間体制で火の番をし、それを「番子(ばんこ)」とい呼んでいた。これが「替り番子」の語源だそうです。 こんなトリビアが次々と披露されていました。 出雲大社といえば「縁結びの神」で有名ですが、今回のツアー参加者にはあまり必要がないようです。 でもガイドによれば何も男女の縁だけではなく、他人との縁、ペットとの縁、果てはお金との縁まで含まれているとか。これなら何でもアリです。 もっとも大国主命には奥さんが何人もいたそうで、それにアヤカル手もありますかね。 到着後は先ず神楽殿での「特別正式参拝」へ。 神主さんの祝詞とお祓い、巫女さんの舞の奉納など盛りだくさんでした。太鼓と笛の演奏付きです。 宗教というのは仏教だろうがキリスト教だろうが神道だろうが、音楽が重要な役割を果たすようです。祝詞、お経、説教など、これらも謡いですからやはり音楽です。 ![]() 次いで拝殿へ。 あいにく出雲大社は現在「平成の遷宮」の真っ最中です。ここ拝殿に工事中は大國主大神を遷していて、肝心の本殿は工事用のプレハブにスッポリ覆われていて、観ることが出来ません。 横殴りの吹雪だったせいもあるのか、参拝客はパラパラ程度でした。 ![]() あまり長居をしていると雪に埋もれてしまいそうなので、次の目的地に向けて出発です。 雪が舞う宍道湖を車窓の右手にみて、バスは松江市内へ。吹雪はますます激しさを増し、積雪も深くなる一方。 目的地である松江城は山陰で唯一天守閣が残されている城で、国の重要無形文化財に指定されています。 堀尾吉晴により1611年完成になった名城ですが、なにせ下の写真のような状況です。 ![]() とにかく天守閣まで上ってみるのが精一杯で、本来は松江市内が一望できるそうですが、この有り様です。 ![]() 帰りはひたすら雪道をバス駐車場まで歩きました。 途中、松江城山稲荷神社の前を透りましたが、吹雪の様子が分かると思います。 ![]() 当初は遊覧船で堀川めぐりを予定していましたが、この気候ではムリです。 ![]() かつての武家屋敷が並ぶ景観地区である「塩見縄手」も、この雪で見学は断念です。 ![]() 松江城とその周辺はなかなか魅力的ですが、堀の内側は車が入れません。徒歩の観光となると、この日のような大雪では足元を取られてしまい、時間の余裕がなくなるのです。 もっとも同行の連れは、やっぱり雪景色は風情があって良いと喜んでいましたから、世の中色々です。 次は安来市にある「足立美術館」の見学です。 山陰観光の目玉として、この地方のツアーでは必ず行程におり込まれています。 館内には横山大観を始めとした日本画の巨匠の絵画が展示されています。 ただ、私はどうも明治以後の日本画の良さが分からないのです。 もちろん数点、素晴らしいなと思われる作品もありましたが、全体としては退屈でした。 これだけは個人の好みの問題なので、どうしようもありません。 足立美術館の最大の魅力は庭園だと言われています。 下に雪が積もった庭園の写真をいくつか紹介します。 ![]() ![]() ![]() この庭園についても、私の評価は批判的です。 先ず私の目からは、これは「日本庭園」ではなく「ジャパニーズ・ガーデン」に映ります。 足立美術館のHPには、米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」(JOJG)の「2009年日本庭園ランキング」で、2003年から7年連続で「庭園日本一」に選ばれたとあります。 又、フランスの旅行ガイド『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』において、足立美術館の「日本庭園」が山陰エリアで唯一となる最高評価の「三つ星」と評価され、フランスの旅行ガイド『ギッド・ブルー・ジャポン(ブルーガイド)』でも「三つ星」(必見)を獲得したとあります。 つまり外国人から見て、これぞ日本庭園と評価されるような、そういう類の庭園ではないでしょうか。 次に、庭園の大部分がガラス越し(一部は直接見られるが)での見学になっているという点です。 庭はガラス越しに見ても価値がありません。 しかも撮影に使われるようなスポット付近は、730円の飲み物代を払って喫茶店の窓から見られる仕組みになっています。 私の目からするとここの庭園は、例えば京都の寺院の庭園の足元にも及ばない。 あまり日本一日本一と公言しないほうが良いのではないでしょうか。 最後は鳥取の砂丘ですが、これもこんな具合でした。 ![]() 考えてみれば冬の山陰ですから、積雪は当然ですね。 夕食はカニスキで温まり、宿泊はホテルニューオータニ鳥取で。 でもごくフツーのビジネスホテルです。 (続く) |
当館は、しばらくのあいだ休止します。 再開は、来年の春以降になる予定です。 |
ウィーンの宿泊ホテル「トレンドサボエン」は快適でした。 内装のデザインがシックで落ち着けて、1泊だけがもったいない感じです。 ![]() ![]() もっとも旅行会社としては、最後のホテルを豪華にしていくと、全体の印象が良くなると期待しているのでしょう。終り良ければ全て良しの例えです。 最終日は午前11時にホテル出発で帰国の途につくので、時間が殆んどありません。出発まで部屋でゆっくり休んでいた人も多かったのですが、私は地下鉄で街の中心部に出て、シュテファン寺院を目指しました。 南塔の入り口で3.5ユーロを払い、343段の石の階段を一気に上りました。 オーストリアに来て以来、毎日のように山道を歩いた効果です。 残念ながら改修工事中のため、一部は見られなかったのですが、それでもウィーンの街の全景を見渡すのはここしかありません。 ![]() 遠くに白いツインの尖塔が特長のヴォティーフ教会が見えます。 ![]() 当たり前ですが、シュテファン寺院の屋根を見るのは、この場所しかありません。 モザイク模様のデザインの屋根が美しい。 ![]() さて今回のツアーの感想ですが、参加者のどなたかが言っていたように、「ツアーは天気と添乗員次第だ」はその通りです。 途中雪が降り、震え上がった日もありましたが、幸いなことにハイキングの日は全て晴れてくれました。全体としては天候に恵まれ、チロルやザルツカンマーグートの素晴らしい景色を堪能することができました。 もう一つは、やはり添乗員の大藪和彦さんでしょう。 今回のツアーの参加者の中で、大藪さんが4回目という方がいましたが、気持ちが分かります。私ももしこれからのツアーで添乗員を選べるなら、この人にしたいです。 宿泊ホテルは街の中心に近い場所がセレクトされていて、料理も美味しく戴きました。 全体としてとても充実したツアーだったと言えます。 観光中に目に付いたオーストリアの人々の印象ですが、先ず自転車好きですね。 駅のホームは駐輪場みたいに沢山の自転車が置かれていますし、ホテルでは老若男女にかかわらず、自転車のツーリングのグループの姿をしばしば見かけました。 ハイキングに行けば老人から子どもまで、杖をついている人、車椅子の人、お腹の大きい女性、ベビーカーの赤ちゃん、実に様々な人々が山歩きを楽しんでいます。自転車を担いで歩いている人もいました。 日本では登山というと中高年が中心になっているようですが、ああした点は見習いたいですね。 すれ違う時は必ず挨拶をし合って、とても良い雰囲気でした。 最後にオーストリアの土産物を紹介します。 こちらは「猫舌チョコレート」で、少々高いですが美味。 ![]() 陶器の人形ですが、いかにもウィーンらしい気品のある顔立ちをしています。 ![]() 「オーストリア・アルプス旅行記」は今回が最終回です。 次回の海外旅行は来年になるでしょうが、又その時まで、ごきげんよう。 |
ツアー8日目、首都ウィーンのホテルに戻ったのが夕方の5時、これ以降は夕食を含めて自由行動の時間です。 添乗員が気を利かして、希望者は街の中心に案内するし、夕食も自分がよく食べに行く美味しい店があるので、希望者は一緒にとの呼びかけ。結局全員一緒で街に繰り出すことになりました。 先ずは市内観光に便利な24時間フリーパスのチケットを購入。5.7ユーロで24時間、市内の地下鉄や路面電車、バスが載り放題なので、これはお得。 自動販売機でも購入できますが表示がチンプンカンプンなので、駅近くの売店で買いました。 乗車前に時刻をパンチしておけば、そこから24時間自由に(他の人が使っても構わない)乗車できます。 実際には車内の検札はめったに来ないので、タダ乗りも可能ですが、そのかわり万一見つかった場合は法外な罰金を取られるそうですから、やはりチケットを買ったほうが無難です。 ![]() 市の中心部は公共交通機関が発達しているので、移動は楽です。 こちらが路面電車。 ![]() こちらは地下鉄。 ![]() ウィーンの旧市街はリンクと呼ばれるサークル内に、主要な観光施設が集中しています。リンク内は歩行者天国なので、安心して散策ができます。 モデルコースに従って、先ずはオペラ座が出発点になります。 ![]() ケルントナー通りを北へ真っ直ぐ。 歩道の所々に有名な音楽家のサイン入りのタイルがはめ込まれているのは、いかにも音楽の都ウィーンらしですね。 写真には20世紀を代表する偉大な指揮者、ブルーノ・ワルターの名前が見えます。 ![]() ケルントナー通りには有名ブランド店や老舗の店、カフェが並んでいます。 屋外のテーブルでくつろぐ女性たち。スカーフをかぶっているのはイスラムの人ですが、殆んどのイスラムの国では、屋外で女性同士が飲食をすることは考えられません。そういう意味では、イスラムの女性は気の毒です。 私たちからすると、どうしてもイスラム教の戒律は時代遅れであり、近代国家にはそぐわないと思えてしまいます。彼女たちの幸せそうな表情を見ると、余計にそう感じます。 ![]() ウィーンの象徴、シュテファン寺院です。1359年の完成で、天に向かってそそり立つ高さ137mの南塔は、世界3番目の高さです。 とてもカメラに入りきれません。 ![]() 寺院の周辺は人で一杯でした。 美しいブロンドの女性が目の前を通りすぎて行きました。 ![]() 馬車で観光している人もいます。ちょうどシュテファン寺院の南塔の前を通っているところです。 最近ではこうした若い女性の御者が人気があるのだそうです。 タカラヅカの男役みたいですね。 ![]() 夕食はシュテファン寺院の裏手にある「グヤシミュージアム」という店でとりました。 殆んどの人が写真のウィナーシュニッツェルを注文しました。オーストリアを代表する料理で、牛カツです。揚げたてにレモンを絞って食べるのですが、これが美味。しかもビールやワインにもピッタリです。 今回のツアーでの食事はどこでも美味しく、満足しました。 ![]() シュテファン教会から西に向かう道路がグラーベン通りです。 右側の少し奥まったところに見えるのが、1733年建立のペーター教会で、バロック様式の建物です。 ![]() 南に向かって左に折れるとコールマルクト通りで、その正面が王宮になります。 13世紀末からおよそ600年にわたってハプスブルク家が居住してきた王宮でですが、今回は見学時間がなく、外観だけです。 王宮の入り口、ミヒャエル広場です。 ![]() マリア・テレジアの像。 ![]() 夕焼けに染まる王宮です。 ![]() ここから路面電車に沿って東に歩くと、振り出しのオペラ座に戻ります。 夕食のついでの散歩がてらでしたが、ウィーンの中心部をグルリと巡ってきました。 次回は最終回です。 |
この旅行記を読んでいる方の中には、日々沢山の観光地を巡っているなとお気付きの向きもあるでしょう。 そうなんです、このツアーは内容が充実していて毎日が飽きることがありません。 一つには、オーストリアは比較的小さな国なので、移動時間が短くてすみます。それとツアー中、土産物店への案内がゼロでした。 旅行中に指定の店で買いものをさせたり、旅行会社が勧める商品を買わせたりすれば、添乗員にいくらかの報奨があるようですが、今回の添乗員・大藪さんは敢えてそういうことはしないという考え方です。 買い物は自由時間に、添乗員から案内されたホテル近くのスーパーで各自が済ませるので、観光にタップリ時間がとれます。 大藪さんの人気添乗員としての実績から、そうしたことが許されているのかも知れません。 バスの運転手は、2-8日目まで通してエルヴィンさんという人でした。いつもにこやかで、私たちも気分よく車内を過ごすことができました。 写真のフロントガラスに貼られているツアーの名前が「ファーストクラスと豪華客船でいく世界一周103日間の旅」とありますが、これも毎日添乗員が工夫して書きかえています。 この前で記念写真を撮っておくと、ちょっとした自慢になります。 ![]() 8日目の最初の観光はメルク修道院です。 11世紀にベネディクト派の修道院として建てられたのですが、その後トルコ軍によって焼失。1720年にバロック様式の建物として再建されました。 今は写真右上に見える白いタワーだけが、創建当時の面影を残しています。 ![]() メルク修道院の正門です。 ![]() こちらは中庭。 ![]() ただ外観の立派さに反して、内部の展示がモダンアート風に改装されていて、安っぽい印象を受けました。 大衆ウケを狙っているのかも知れませんが、こうした宗教施設にはそぐわないように思えます。 とにかく大勢の観光客で賑わっていましたが、京都や奈良の寺院を見慣れている私たちにとっては、どこにそれ程の魅力があるのか理解できません。 こちらは三姉妹でしょうか。 ![]() 昼食は修道院の直ぐ近くのレストランで。 写真のスープはオーストリアのコースで定番のスライスパンケーキ入りコンソメスープです。 ![]() 午後からはヴァッハウ渓谷のクルージングです。 ドナウ川流域の中でもこのメルク-デュルンシュタイン間のヴァッハウ渓谷は最も美しいとされています。 ただドナウ川の汚染はかなりひどく、水は決して綺麗とはいえないのが残念です。 ドナウ川の支流であるメルク川の船着場から乗船。 ![]() やがてドナウの本流に入り、約31kmの川下り。 生ビールを飲みながらユッタリと両岸の景色を眺めての遊覧です。 右岸の岩の上に見えた美しいシェーンビュール城です。 ![]() およそ1時間半でデュルンシュタインの街に到着、ここで下船。 正面に見えるのは聖堂参事会修道院教会です。 ![]() ここからは最後の観光地であるウィーンに向かってまっしぐら。 |
7日目の午後はサンクトギルゲンから遊覧船に乗船して、ウォルフガング湖の対岸のサンクトウォルフガングの街に向かいます。 船着場の辺りには沢山のクルーザーが繋留されていて、クルージングや水上スキーで楽しむ人の姿が見られました。 この母娘は、これからクルーザーに乗るところでしょうか。 ![]() 12世紀以来巡礼の街として栄えたサンクトウォルフガングの中心にある教区教会です。 ![]() 昼食はこの街の有名レストラン「白馬亭」で。 「白馬亭にて」という有名なオペラがあり(日本ではあまり上演されないそうですが、オーストリアでは人気の演目とか)、その舞台となった店です。 ![]() メインはマス料理で、あっさりとした味でした。 ![]() スイーツはこの店の特製ケーキですが、これが美味い。 私は甘いのもが苦手ですが、それでも美味でした。 ![]() 誰も食後のコーヒーを頼まないのを見て、添乗員が面白いことをいってました。 日本のツアー客は、食後のコーヒーや紅茶が無料だと飲むけど、有料だと頼む人が殆んどいない。団体客相手の場合は利幅が薄いので、店としては飲み物で利益を上げたいのだが、ビールやワインは頼むけど食後の飲み物をオーダーしてくれないという不満があるらしい。 確かに土産物店に案内しても、最近は買い物をする人が少なくなりましたね。 ホテルの近くのスーパーでお土産を買う人が増えたし、日本人観光客の財布の紐はすっかり固くなりました。 湖畔からカワイイ蒸気機関車にのって、傾斜26度のところをおよそ40分登りました。 ![]() 直ぐ前の席の女性で、きれいな金髪でした。 なにせ髪フェチなもんで。 ![]() 頂上のシャッフルベルク展望台は標高1783mです。 ウォルフガング湖が一望に見渡せます。 ![]() 周囲にはこんな切り立った岩山が見えました。 ![]() 展望台にはレストランがあり、登頂を記念してビールで乾杯、また格別の味です。 やたら威勢のいい店のお姐さんです。 ![]() 夕食は参加者の方のささやかな誕生日パーティーをかねて。 メインはポークコトレッタのマスタードソースかけにポテトのクロケット(コロッケ)、それに温野菜です。 ![]() 早いもので、明日は最終日の観光となります。 |
バート・イシュルは小さな街ですが、かつて皇帝フランツ・ヨーゼフが夏場はほとんどこの地で過ごしたといわれるほど、温泉リゾートで有名な場所です。 写真はバート・イシュル鉄道駅で、正面にはポストバスの停留所が見えます。 ![]() 街はトラウ川とイシュル川に挟まれて形成されています。 トラウ川畔にはエスプラナーデと呼ばれる遊歩道があり、写真の左側から2軒目の白い建物が、オペラ「白馬亭にて」やオペレッタ「メリー・ウィドウ」の作曲家レハールの家(ヴィラ)です。 ![]() とにかく美しい街並みです。 ![]() ギリシャ風の建物トリンクハレ、内部がギャラリーになっています。 ![]() プファーガッセと呼ばれる商店街です。 ![]() 7日目の朝、バートイシュルを出発し、バスでザンクトギルゲンへ、そこからゴンドラでツヴァルファーホルン展望台に到着。 周辺をおよそ1時間半のハイキング。天候に恵まれノンビリと歩きました。 ![]() アルプス地方では夏場になると、家畜の牛を2000m級の山で過ごさせる風習があります。その場所を「アルム」といいます。 9月秋の気配が深まると、牛たちは一斉に山を下りてくるのですが、その際には牛に飾りをつけ、村中が集まって盛大なお祭りをするそうです。 ![]() ツヴァルファーホルンから見たドイツの山々です。 ![]() ここにも沢山の高山植物が咲いていました。 この花は何でしょうね。 ![]() ハイキングを終えてゴンドラで下山。 ザンクト・ギルゲンの街はモーツァルトに因んだ街として有名で、中心部には幼いモーツァルト像が建っています。 生まれて初めてバイオリンを手にしたモーツァルトが、あまりに見事に演奏したので父親が感激の涙を流したという逸話に基きます。 ![]() ここはモーツァルトの母の生家です。またモーツァルトの姉が嫁いだ場所でもありますが、残念ながら補修工事中でした。 ![]() 午後からはヴォルフガング湖とシャフベルク展望台の見学です。 |
8月24日、オーストリアのスキーの名選手、トニー・ザイラーさんが亡くなったことが報道されました。享年73歳でした。 トニー・ザイラーさんはチロル州の出身。 1956年の冬季オリンピック・コルティナダンペッツォ大会で、アルペンスキーの滑降、大回転、回転で初の三冠を達成した選手で、オーストリアの国民的ヒーローです。 写真は左がトニー・ザイラー氏で、右はこの冬季大会で日本選手として史上初の銀メダルに輝いた猪谷千春氏です。 ![]() 今回の旅行の時も、インスブルックやコルティナ・ダンペッツォでその名前を度々聞きました。 選手時代から美男(イケメン)でも有名で、スキー選手引退後は映画俳優としても活躍しました。 私も中学時代、彼の主演した「白銀は招くよ」をみて、雪山の美しさとスキーの見事さにウットリしたことを憶えています。 たしか来日したこともあり、黒髪に黒い目に魅せられた女性フアンが多かったと思います。 ご冥福をお祈りします。 ♪処女雪ひかる ひかる 冬山呼ぶよ 呼ぶよ ヤア ヤッホー ヤア ヤッホー こだまがこたえるよ なんだか今日は いいことが ありそうな気がするよ 素敵な恋の 前ぶれか かもしか跳んでいく 燃える火のようなヤッケー ヤア 恋のシュプール ヤッホー♪ (ウロ覚えで間違っているかも知れません) |
6日目の今日はコルティナ・ダンペッツォを出発し、ザルツカンマングートまで7時間半のバス移動です。 途中オーストリア・アルプス最高峰の「グロース・グロックナー」(標高3797m)を眺望し、ハルシュタット湖畔を散策しようというわけです。 午前中最初のトイレ休憩はリエンツ駅です。 オーストリアでは公共のトイレはチップが必要で、金額は25-50セント程度ですが、小さな硬貨を揃えておくのが手間です。この駅はドアにコインを投入しないと開きません。そのかわり一度開いたら、前の人が出たあとにドアを押さえてもらい次の人が入るようにすれば、2人目以下はタダで使えます。 でもなんかセコイなあー。 駅には売店があって、ベンチでコーヒーなどが飲めますので休憩には便利です。 下の写真の写っている「ポストバス」について説明します。 昔は郵袋をつんで街から街へ村から村へ郵便馬車が走っていました。当時の馬車は金色に塗られていたので、今のバスも車体が黄色です。 せっかく郵袋を運ぶのですから、同時に人間も運ぼうという発想から当時の人々の交通手段にもなっていました。 その伝統をそのまま受け継ぎ、郵便局と鉄道の駅とを結んでいるのが、この「ポストバス」です。 郵便局はどんな小さな町にも必ずありますから、庶民の足として有効利用されているのです。 日本では国鉄も郵政も民営化されてしまいましたが、オーストリアは逆にその国鉄と郵便が手を結んで国民の足を守っている。果たしてどちらが国民のためになっているのでしょうか、考えさせられますね。 ![]() 途中ハイゲンブリュートの展望台から教会とバックのアルプスの写真を撮りましたが、この日は晴れてはいたのですが雲が多く、肝心の「グロース・グロックナー」は顔を見せません。 ![]() バスと徒歩で標高2369mのフランツ・ヨーゼフ・ヘーエ展望台へ。 ここでも3000m付近にかかった雲でやはり「グロース・グロックナー」を見ることができません。 ![]() ここからケーブルで下りて、東アルプス最大の厚さ300mと言われるパステルッツェ氷河を見学。 写真の右下に1985年の文字の看板が見えますが、1985年当時には氷河がこの位置にあったことを示しています。今はご覧のとおり遥か彼方に後退してしまい、地球温暖化によりこれだけの規模の氷河が消えてしまったわけです。 こうして目の当たりにすると、環境問題の深刻さを痛感します。 ![]() 昼食はフリーでしたが、展望台のレストランで添乗員お勧めのソーセージとザウアークラウト、ポテトを肴にビールで乾杯。 ![]() 展望台を後にして一路ホッホアルペン街道をまっしぐら。出口料金所近くに牧場があり、毛足の長い牛がのんびりと餌をはんでいました。 ![]() この後私たちは、ハルシュタット文明で名高いハルシュタットの町に向かいました。 紀元前1000-500年ごろにハルシュタット付近に眠る豊富な岩塩を求めて、ケルト民族がここ中欧に移動してきたハルシュタット時代がありました。 美しいハルシュタット湖の姿です。 ![]() 湖畔の町の中心にあるマルクト広場です。 ![]() 広場の周辺にはレストランがあり、家族連れがアイスクリームを食べていました。 ![]() 長いバス移動のすえ、ザルツカンマーグート地方の町の一つバートイシェルに到着。 今夜はホテル「ゴルデネスシフ」に宿泊。 ここでは日本人旅行者には会わないと思っていたら、他に2組の日本人ツアーグループが一緒となりました。 夕食のメインは牛肉の煮込みとフェトチーネです。それにビールとワイン。 ![]() この後希望者は近くの温泉に繰り出したようですが、私は街の中を散歩して就寝。 |
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