4月30日から1泊で奥湯河原温泉「ゆば懐石 山翠楼」へ。 GWの谷間なのと、旅行サイトで低額で泊まれる企画があったので利用した。 HPによれば、『ミシュランガイド東京 横浜 湘南 2012』にて「最上級の快適」を表す4レッドパビリオンの評価を獲得したとある。 「ミシュラン」はあまり信用できないが、奥湯河原を代表する高級料亭旅館の実力はいかに。 湯河原駅からタクシーで10分ほど、料金で約2000円。 車が玄関に着くと同時に番頭さんが出てきてお迎え。 エントランスはいかにも高級旅館らしい雰囲気を醸し出している。 ![]() ![]() フロントは1階にあるが驚くほど狭い。 チェックインは2階のロビーで行うが、スペースは広々としていて、ゆったりとしたソファが数多く並んでいる。 但しこのクラスの旅館では一般的なおしぼりや飲み物サービスはなし。そのままエレベータ-で客室へ。 客室はスタンダードタイプで12畳の本間に3畳ほどの副室がつく。 室内トイレが部屋のたたきの横にあるというのは変っている。トイレに入るのに出口のスリッパを履いてからというレイアウトは少し不便を感じた。 本間の床の間には生花が飾られ ![]() 副室には珍しい丸窓が。 ![]() 部屋は7階だったので、窓からの眺望は素晴らしい。天気が悪く遠くの山まで見渡せなかったのが残念だが、深緑が眼にしみる。 ![]() 緑をバックに泳ぐ鯉幟、そう明日から皐月なんだ。 ![]() 早速風呂へ向かう。 屋上にある広々とした展望露天風呂(男女入れ替え制)は眼下に湯河原温泉を見下ろせて気分爽快。 ただ洗い場が分かり辛いのが欠点だ。 この他に大浴場があり、小さいながら風情のある露天風呂が併設されている。 もちろんこのクラスの旅館だからタオルとバスタオルは浴室に備え付けで、部屋からは手ぶらで行ける。 入浴施設はかなりのハイクラスだ。 夕食は部屋食で、ゆば懐石料理。 前菜はよもぎ豆富、鯛松前寿し、いくら粕漬、ゆば煎餅などが見栄え良く並ぶ。 ![]() 吸い物は海老真薯と色紙ゆば。 ![]() お造りは鮪、鯛、間八。 丸い器は氷。こういう所が凝ってますね。 ![]() 焚き合せはゆば汁、筍饅頭。 ![]() 焼き物は若鮎を蓼酢で。 ![]() 合肴はこの旅館のウリである引き上げゆば、くみ上げゆばだ。 ![]() 伸ばすと、これこの通り。 ![]() この後、肉料理の蓋物が出て、 止椀は豆腐と巻き麩。 ![]() 香の物に筍ご飯、最後はゆばシャーベットや果物の水菓子が出て終り。 この頃は酔いがかなり回ってきていて、写真は無しです。 湯葉を中心とした懐石料理は薄味でいずれも美味。 夜は敷地内の清流の音をききながら爆睡。 朝食も部屋食で、ゆばを中心とした和食。 写真に鯵の開きと煮物が付く。 ![]() チェックアウトはフロントで行ったが、手続きが4組ばかり重なって混雑していた。 何より小さな椅子が4脚しかなく、我々を含めて数名の客が立ったままウロウロしていた。 チェックインは広々としたロビーだったのに、なぜチェックアウトは狭いフロントでさせるのだろう。せめて座れずにいる客をロビーに案内する位の機転は必要だったのではなかろうか。 玄関からタクシーまでは番頭さんが荷物を運んでくれたが、女将又は客室係の見送りが無いのはこのクラスの旅館にしては珍しい。 客室係の応対も特に親切とは言い難い。 部屋の景観、風呂、料理は文句なしで良かったが、サービス全体は平均点以下だった。 格安料金だったから、あまり文句は言えないか。 |
二日目は亀岡に向かいます。ここは初めて訪れたのですが、周囲に山があるせいか朝霧が下りていて湯布院に似た印象を受けました。 亀岡駅からトロッコ列車に乗り嵐山に向かいます。 この路線は保津川の渓流に沿って走るので、河岸の紅葉を楽しむことができます。ボートで渓流下りをしている姿も車窓から見えましたが、この時期は寒そうです。 写真は保津峡駅近くの鉄橋からみた保津川の景色です。 ![]() トロッコ嵐山駅で下車しましたがスゴイ混雑です。トロッコ列車はとても人気がありチケットの入手が大変なようです。こういう処はツアーは楽ですね。 駅からは徒歩で渡月橋に向かいますが、途中、竹林の中を通ります。 青竹と紅葉の取り合わせもなかなか乙です。 ![]() 天龍寺という寺が紅葉の名所ということで中を通ってきましたが、確かに見事に色づいていました。 ![]() 京都には数えきれないくらい来ていますが寺社巡りが多く、嵐山は久々です。 周囲の紅葉は始まったばかりで、最盛期はもう少し先になるようです。 ![]() 渡月橋はやはり風情があります。 川の名称がこれより上流を保津川(又は大堰川)、下流を桂川といいます。 ![]() 橋の袂のレストランで昼食をとりましたが、この付近の店はいずれも予約制で、フリーで来た人たちは長い列を作っての順番待ちをしていました。 この時期の京都はどこへ行っても行列です。 午後のスタートは金閣寺です。 道路から黒門に入ったとたんに真紅の紅葉が眼に入ります。 境内に入ってからもいたる所に紅葉が見られました。 ![]() 鏡湖池の水面に影をうつす金閣寺、いかにも絵葉書的ですが、それだけ日本的景観としての完成度が高いといえるでしょう。 左手に見えるのは葦原島です。 ![]() ツアー最後の観光地は光明寺です。 京都市の西南、ここは長岡京市になります。 総門の前の両側から紅葉が迫っています。 ![]() ここから石段を上がっていくと正面にあるのは本堂の御影堂(みえどう)。 ここから上がって本尊に参拝し、渡り廊下を通って釈迦堂に行きます。 ![]() 庭園の信楽庭(しんぎょうてい)です。 ![]() 釈迦堂から外に出ると、参道の両側に処せましと露店が並び、ようやく人一人が通れる程度の通路が確保されているような状況でした。 この寺は紅葉の時期だけ拝観料を取る仕組みのようですが、それなら入場料でしょう。 総門の内側の境内にあれだけの店舗を並べるという商法も、宗教施設という観点からすれば大いに疑問です。 せっかくの見事な紅葉が、なんだか興醒めです。 晩秋の京都、紅葉と人いきれを堪能しました。 もっとじっくり見学したかったのですが、こんも時期では止むを得ないでしょう。 (終わり) |
11月26-27日に京都の紅葉狩りとシャレこみました。 ツアーで旅行社は旅行計画社。東京からの往復はANA、市内観光は商都観光のバスです。 今年は秋の気温が高めで紅葉が遅れぎみ、この週末が最盛期とあって最高の人出となっていたようです。 伊丹空港かた最初の観光地。大原三千院に向かう道路は高速から渋滞がはじまり、到着は大幅におくれてしまいました。 当初はここで簡単な昼食の予定でしたが時間がなく、「濡れおかき」を一袋買いこんで食べただけ。 宸殿は人にまみれて歩くだけという状況で、何も見えず。 ようやく境内の庭に出てから景観を眺めることができました。 ♪京都 大原 三千院 恋に疲れた 女が一人 ![]() ♪結城に塩瀬の 素描の帯が 池の水面に 揺れていた ![]() 杉木立のむこうに屏風絵ような紅葉が見えます。 ![]() 大原から南禅寺に向かう道路も大混雑。 見学時間が15分ということで方丈や南禅院の見学をあきらめ、山門にのぼりました。 ここはさすがに「絶景」です。 ![]() 山門のすぐ脇の紅葉です。 ![]() こうして写真でみると人が多く感じないかも知れませんが、たまたま少ない時をねらって写したもので、南禅寺の広い境内も人で埋まっていました。 三番目は東福寺でしたが、こちらは寺に入るまでが大行列。 お目当ての通天橋は後ろから押されて気が付いたら外へ出ていたという状況。まるでベルトコンベアに乗っているような気分です。 残念ながら撮影は断念です。 一日目の最後は清水寺で、到着は夕方近くになりました。 三年坂は往き帰りの人でごった返し、こちらも大渋滞。 ようやく本堂にたどり着いた頃は、陽が暮れかかっていました。 清水の舞台から下の紅葉を写したものです。 ![]() 本堂から地主神社を写したもので、人人人です。 ![]() 西山に陽が沈み、本堂は屋根の形しか見えません。 ![]() 三重塔のシルエットだけが夕景に浮かんで見えます。 ![]() 清水坂におりると、ライトアップ(別料金)を見ようと既に多くの観光客が待機していました。 京都は古来からの景観を守るため、永らく建物や道路など開発への規制を行ってきました。 かつての京の風情がそのまま残されていて、私たち観光客にとってはとても魅力的な街です。 しかし観光客が落とす膨大な拝観料は宗教施設ということで無税でしょうから、自治体の財政を豊かにするわけではありません。税収入にならなければ、市民生活には還元されないわけです。 参道の土産物店などは恩恵を受けるでしょうが、道路は狭いし物価は高く、その他の市民にとっては生活しづらい街だということを聴いたことがあります。 名称こそ拝観料ですが、実際はテーマパークの入場料と差はありません。 京都の人気寺院は商売が上手で、拝観料を徴収しておきながら特別の施設は別料金にしたり、境内の施設を細切れにしてそれぞれ拝観料を取るなど、かなりエゲツナイ商いをしている寺院もあります。 また拝観コースの途中に土産物店を並べている寺院もあります。 こうした収入の多い一部の寺院に対しては、実質的には観光収入であるということで課税するという手は無いものでしょうか。 伝統文化の保存と市民の生活権を両立させる妙案はと、余所ごとながら考えてしまいました。 泊まりは大阪市内のビジネスホテルでした。 疲れたので近くのコンビニでアルコールと食料を買って室内で食事、後はバタンキューでした。 (続く) |
8月のお盆明けに、熱海「小嵐亭」に愛妻(人ではありません)と一泊。 高級旅館なので普通は手が出ないのだが、某クレジット会社のキャンペインで格安で泊まれると分かり(こんなんばっかり)、4月に申し込んでいた。 熱海駅から車でおよそ15分、和田川の辺という立地。 チェックインの午後2時を少し過ぎていた時間だったが、既にお部屋係がスタンバイしていたのに驚かされた。 チェックインの手続きの間に、ロビーのソファに座っていると冷たいお絞りと抹茶がサービスされる。 ここは本館と離れがあるが、我々は当然ながら本館の客室へ案内された。といっても1フロアー5室なので、とてもユッタリしている。 部屋は数寄屋造りで、畳も襖も障子も全て本物、壁は塗り壁という本寸法。広めの次の間が付いている。 正面のガラス窓の向こうは庭園になっていて、上から見渡すと鬱蒼とした森の中に建物があるように見える。 ![]() 小梅と緑茶が出て、お部屋係から館内の案内がある。浴衣が一人2枚出て、感心したのはスリッパにシールを貼るようになっていたこと。これは風呂に行ったときに、他人のスリッパと区別できるように自分で分かるサインを書くためだ。こうした細かな気配りがされているところに一流の証があるのだろう。 入浴の前に庭を散策。 ここ「小嵐亭」の前身は、明治に東宮大夫を務めた曽我祐準子爵が明治29年に別荘として建てたもので、避寒地として多くの文人、墨客が訪れたとされている。 中庭の周囲には離れが点在している。 ![]() 庭の中央には池があり、錦鯉が泳いでいた。 池の周辺はあまり手入れがされておらず、むしろ自然のままの情景を残しているようだ。 ![]() 立派な茶室があるが、あまり利用されていないそうだ。 ![]() 木々の間に見えるのは、本館のロビー。 ![]() こういう離れが5つある。 ![]() 離れ「笹」の玄関、豪華だねぇ。誰が泊まるんだろう。 大きなお世話か。 ![]() 温泉は本館の最上階にあり、御影石を使った「石の湯」と、檜造りの「檜葉の湯」の二つがある。 浴室で使うタオルなどは全て脱衣所に準備されているので、手ぶらで行けるのは助かる。 24時間、いつでも入浴できるのも便利だ。 ただこのクラスの旅館で露天風呂が無いのは、いまどき珍しい。 それと「石の湯」は広くて、窓から熱海の海が見えて景観が良いのだが、「檜葉の湯」は狭くて、景色は一切見えない。 この旅館の唯一の欠点は、温泉施設が同等クラスより見劣りすることだ。 温泉目当ての宿泊には、あまりお薦めできない。 「小嵐亭」の最大の魅力は料理にある。 季節の懐石料理が一品一品部屋に運ばれてくる。 先ずは前菜、烏賊の塩辛に柚子と七味、栄螺とはじき豆の鉄火味噌和え、無花果胡麻あんかけ、心太と生うにの青海苔、南蛮漬け卸し和えと茗荷の子、菊花とんぶり和えに蛸の香り揚げの6品が、いずれも美味。 見た目も美しい。 湯上りで冷酒を呑みながら前菜をつまむだけで、もう半分は満足。 ![]() 椀は鱧、まるで京料理のよう。 松茸と野菜類とのハーモニーが格別だ。 ![]() 鮮魚の造りはどれも厚切りで、実に結構。 ![]() 凌ぎは珍しい豆腐万頭。 初めて食したが、出汁がいい、かもぢ葱と紅葉卸しが華を添える。 ![]() 焼肴は根室で水揚げされた新秋刀魚の塩焼き。 脂がのっていて、あれ、秋刀魚ってこんなに旨かったっけと思うほどこれが旨い。 「秋刀魚は根室に限る」。 ![]() 口替りは椎茸二見揚げで、茄子や小芋、蓮根などの揚げ物が添えられている。 この頃になると、もう腹が一杯になり、美味しいんだけどなかなか箸が進まなくなる。 それでも完食をモットーとしているので、とにかく食べる食べる。 ![]() 酢の物代わりとして出てきたのは、玉蜀黍すり流しで、かき氷とつたの葉の上に乗せられてくる。 写真を見て分かるように、料理の中味も実に結構だが、食器がまた凝っている。 料理の内容や季節感を考慮しながら容器が選ばれており、シェフのセンスが感じられる。 ![]() この後、じゃこ飯、味噌汁、水菓子と続くが、満腹感と日本酒の酔いでもう味が分からなくなってきた。 ついでに翌日の朝食も写真で紹介しておく。 ![]() とにかく全ての料理が一級品で、今まで泊まった旅館の中ではここが最高。 それと、お部屋係りのサービスがとても細やかで行き届いていた。 目配りはしているが、決して過剰にはならない。 日本旅館のサービスとしても、トップクラスではあるまいか。 国道がすぐ脇を通っているにもかかわらず、車の音は一切しない。 静寂。 聞こえるのは、蝉の鳴き声のみ。 |
今ツアー観光3日目のこの日が最終日、アッという間です。 旅行社は最初に書いたようにクラブツーリズムですが、実態は現地旅行社APEX社に丸投げ。出発の時に成田でe-ticketを渡しただけで、後は「ク」の字も出ません。 そのAPEX社の現地ガイドは、他の東南アジアのガイドに比べて能力が低い(言葉、知識、マナー、サービス)。 1回だけで結論的なことは言えないでしょうが、同社のこのツアーはあまりお薦めできません。 2泊したアストンクタホテル&レジデンスをチェックアウトし、バスで近くのクタ・ビーチに到着。眼前はインド洋です。 朝だったせいか人もいなくて、なんだか寒々とした光景で、とてもバリ島を代表するリゾートとは思えません。 ![]() ビーチ沿いのホテルの庭で、釣り竿のような形をしたものはバリでお盆の時に飾るのだそうで、民家の玄関でも見かけました。 ![]() 時間を持て余し、花を撮影。 接ぎ木で様々な色の花を咲かしたブーゲンビリアは綺麗です。 ![]() この後、ウブドへ移動。 最初にモンキーフォレストに連れていかれましたが、どこに観光の価値があるのか不明。 次はネカ美術館。立派な建物でコレクションも多いのですが、印象に残る作品は見当たらなかったですね。 「旅のしおり」にはこの後ライステラスを眺めながら昼食と書かれていたのに、レストランの予約が取れなかったとの理由で、別の場所での昼食となりました。 楽しみにしていたライステラス(棚田)はバスで通っただけになり、いずれも車窓からの撮影です。 ![]() ライステラスは農民が耕作していますが、彼らにとっては観光客が増えても何もいいことはありません。棚田の農作業というのはとても辛いものです。しかし労働の割には収穫量は少ない。 儲かるのは、この道路沿いに店を並べる商店だけです。 ガイドの説明によれば双方の対立は深刻だとか、そうなんでしょうね。 ![]() 昼食の予約が取れなかったなら、せめて徒歩で案内するとか、何か工夫があるのではないかと思うのですが、どうも現地ガイドにやる気が感じられない。 これは国民性なのか、個人の問題なのか。 ここでインドネシアの食事について紹介します。 旅行中の食事はバイキング形式が多かったので、コース料理を例にとります。 野菜スープは塩味。 ![]() 時節柄、先ずビール。銘柄はどこへ行っても「ビンタンビール」。ピルスナーなので日本のビールと同じような味がしました。但し店によってはあまり冷えていないのを出すので要注意。 気の利いた店では、アテにクルプッというえび煎餅がつきます。 ![]() メインはナシチャブルで、様々な惣菜をご飯と一緒に混ぜて食べます。 肉は鶏肉やマトンが多かった。 ![]() スイーツはダダール・グレン。椰子砂糖に漬けたココナッツフレークを米のクレープで巻いたものです。 フルーツは他のアジア諸国に比べ、いま一つでした。 ![]() これは別の店で食べたナシゴレンというチャーハン。 焼き鳥のように見えるのがサテ・アヤム。 ![]() バリ島1日目に出た夕食で、炭火焼シーフードということで期待していたのですが、これじゃあ。 せっかく良い食材を使っているのに、なんでこんな甘ったるいタレをかけちゃうんですかね。 ![]() 私は食べ物の好き嫌いが全くありませんが(女性も)、唯一甘い味付けが苦手なんです。 今回食したインドネシア料理はいずれも味付けが甘すぎて、閉口しました。早くいえば口に合わなかったのです。 もちろん食事中は一切不満を口に出さず、ちゃんと頂きましたけど。これはマナーですから。 最終日の夕食のイタリアンだけは美味でした。 終り良ければ全て良し、ということにしておきましょう。 午後はウブド近郊の石窟寺院ゴア・ガジャへ。 11世紀のペジェン王朝の時に建てられたとされ、14世紀にオランダ人によって発見されました。 ![]() 洞窟の中にはシヴァ神や、その息子のゾウの頭を持ったガネーシャ像が祀られています。 ![]() 洞窟前には6体の女神像が並ぶ沐浴場があります。 ![]() バリ島観光の最後はウブド市内に戻り、ウブド市場で初めての自由時間となりました。 商店のにぎわいのなかに世界各国の言葉が飛びかい、ようやくバリ島に来たという実感がわいてきました。 特に目立つのは中国人で、台湾からの観光客が多いとか。 そういえば免税店で買い物をしていた人も、いかにも裕福そうな中国人家族連れが多数でした。 近ごろはどこへ行っても、経済成長を背景にした中国人パワー観光客に出会います。 そういう人々を見ていると、かつて海外旅行に行き始めたころの日本人も、こんな眼で見られていたんだと想像し苦笑してしまいます。なにせ「ノーキョー」が世界に通じた時代でしたから。 ![]() ウブド市場の繁栄を守る寺院で、市場関係者は毎日ここにお供えをして商売繁盛を祈るそうです。 ![]() この後は夕食をとってからデンパサール空港に向かい、ガルーダ・インドネシア航空でジャカルタ経由成田着の帰路に向かいます。 目的としていたジャワ島の二つの世界遺産は予想以上の迫力で満足しました。欲をいえばジャワで二日欲しかったと思います。 他のツアーメンバーの多くが楽しみにしていたバリ島は、イマイチでした。周囲からも「良かったわ」という声はあまり聞こえてこなかったようです。 案内された観光スポットは魅力に欠け、むしろバスで通ってきた道すがらに、こういう所をゆっくり歩いてみたいと思うことが多かった。 バリ島の良さを知るためには、こうした団体ツアーではなく、個人旅行でユッタリと過ごすべきなんでしょう。 今回はクラブツーリズムでしたが、他の大手旅行社もパンフレットを見る限りでは似たりよったりの企画なので、代わり映えしないのかも知れません。 ガルーダ航空の乗務員は親切なのと、国際線と国内線でCAの質に大きな差がない珍しい航空会社でした。機内の設備や食事は改善の余地がありますが、ワタシ的には好感度は上々です。 この旅行記もこれで最終回です。 次回の海外旅行は来年の予定で、それまで皆さん、ご機嫌よう! |
7月17日は朝から曇り空。この時期のインドネシアは乾季で7月は特に雨が少ないと聞いていましたが、バスで出発後まもなく小雨がぱらつき出します。 やがてチュルッ村に着いたころはスコールのような強い雨に変わりました。誰も傘を持っていません。 ここで銀細工工房の見学となっていますが、実際は旅行社指定店でのショッピングです。 本来は近くの農民が農作業をやる傍らこうした工芸品をこさえていたのでしょうが、今は観光客向けになっているのではないでしょうか。 銀細工の実演をしていましたが、本当の農民なら早朝のこの時間は農作業をしています。 東南アジアのツアーで「見学」とあったら、先ず買い物案内と思った方が良い。 「00博物館見学」と書かれていたのが、実際にはその博物館自体が商店だった等というのはザラです。 当然、旅行社やガイドへのコミッションが含まれていますので、値段はかなり割高です。ざっと定価の半額以下、どこまで値切れるかです。 銀細工の壁掛けで気に入ったものがありましたので、75ドルを粘って30ドルまでまけさせ購入、マアマアでした。 今回のツアーで唯一の買い物です。 最初の観光地キンタマーニ高原に着くころにようやく雨が上がって、ペネロカンにある大型レストランで昼食。 キンタマー二(名前だけはリッパ)はバトゥール湖畔が景色が良いのですが、このレストランは湖畔に向かってテラスがのびており、絶好の撮影ポイントになっています。バトゥール湖はバリの水瓶です。 雨上がりで霧がかかっていましたが、霧の晴れる時をねらってカメラに収めました。 誰かが言っていたように、箱根の芦ノ湖に似ています。 ![]() バトゥール山は標高が1717mです。 ![]() ウブドの北、タンバシリンにあるティルタ・ウンプル寺院は、その名の通り「聖なる泉」が湧く寺院で、バリ・ヒンドゥーの信仰の対象になっています。 インドネシア全体ではイスラムが圧倒的ですが、ここバリ島だけは土着宗教と仏教とヒンドゥー教が習合したバリ・ヒンドゥーが多数を占めているのは、ジャワのイスラム化が行われた際に僧侶や信者がここバリ島に逃げてきたためです。 ここが泉で、下から水が湧いています。 沐浴している姿の撮影は遠慮してくれということで、外してあります。 ![]() こちらはお参りに来た家族でしょうか。 子どもたちの笑顔が可愛いですね。 ![]() バリ島の女性は、寺院へのお供え物は小さな篭に入れて頭に乗せて運んできます。 そのため、バリ島の女性たちは皆揃って姿勢が良いのだそうです。 ![]() 遅めの昼食の後は、お定まりの免税店での買い物です。 もういい加減に、旅行社はコミッション稼ぎのための免税店の買い物タイムをやめたらどうですか。 昔と違って今は海外でブランドを漁る日本人は殆んどいません。事実今回のツアーでも、誰ひとりブランド品を買った人はいなかった。こんなことで1時間もつぶすのは、あまりに勿体ない。 298(ニキュッパ)や398(サンキュッパ)の激安ツアーなら旅行費の一部だと思って我慢できますが、そこそこの料金を取っておいて指定店のショッピングはないでしょう。 現にこうした買い物を一切しない旅行社もあるし、クラブツーリズムや阪急交通のアジアツアーでも、ミャンマーやラオスではこんな企画は立てません。 観光以外は一切やめて、その他は自由時間にすればいい。買い物したい人は店に行けば良いし、街を散策したい人は街歩きを楽しめば良い。 何十年経ってもやり方を変えようとしない大手旅行社、こんな事を続けていると、いずれ客が離れていきますよ。 夕方ジンバランにあるウルワトゥ寺院に到着。 バリ南部のバドゥン半島の岬にある寺院で、高さ75mの断崖の上に10-11世紀に建立されました。 夕景のビューポイントとしても有名な寺です。 ただこの寺には沢山の猿が棲みついていて、しかも性質(たち)が悪いので、油断しているとメガネなどが狙われますので要注意です。 ![]() 本堂でお参りしている人々です。 女性の姿が妙に艶めかしいと言ったら、不謹慎だと叱れるでしょうか。 ![]() この寺では定期的にケチャダンスの公演が行われています。 ケチャダンスはバリ島の伝統的な舞踊で、宗教的儀式が発展したものです。 特徴は松明の周りを囲んだ格子柄の腰巻だけの男たちが、「ケチャッケチャッ」とか「チョッチョッ」といった声が張り上げながら合唱したり踊ったりするものです。 本来は男だけの踊りだったそうですが、観光化と共に女性の踊り手も加わるようになったとか。 ![]() 阿波踊りにも恰好が似てますね。 ![]() 踊り手は次第にトランス状態になり、最高潮に達すると火祭りのような姿を呈してゆきます。 ![]() 現地ガイドによると以前に比べ、観光化とともに迫力が欠けてきたとか。 伝統文化と観光化の両立、いずこも同じ悩みを抱えているのでしょう。 帰りに夕陽が海へ落ちてゆく美しい光景を撮影することができました。 ![]() この後は夕食を済ませ2日目の観光は終了、連泊のアストンクタホテル&レジデンスに戻ります。 次回は観光3日目で、最終回となります。 |
ジョグジャカルタ市内に戻り、王宮(クラトン)の見学です。 王といってもジャワ国王ではなく、この地方を治める王侯(スルタン)の宮殿です。 ジョグジャカルタ特別州では現在も選挙を経ずにスルタンが州知事をつとめていて、特殊な政治形態になっています。一国二制度なんですね。 独立戦争当時は首都であった時期もあり、教育機関が集中している学園都市でもあります。 ただ現在のスルタンは男子の嫡子がおらず、後継者問題が起きています。因みに夫人は一人だけとか。 やはり「男系」を保つためには、側室制度は不可欠なんでしょう。この辺りは我が国の皇室と同じ悩みを抱えているわけです。 王宮の入り口近くに商店が立ち並んでいます。 現地ガイドは出来るだけこうした店で買い物をさせない意向のようですが、歩合制のある指定店で買わせる意図が見え見えです。 この他、どこの観光地に行っても、「なんでも千円」の売り子たちに囲まれることになります。これもガイドは買わないように勧めていましたが、こういう買い物も海外旅行の楽しみの一つなんですがねぇ。 ![]() 王宮の入り口には、こうした伝統衣装を身に着け腰にはクリス(短刀)を差した男たちが座っています。彼らはスルタンに忠誠を誓う武士たちで、ボランティアで警護や施設の管理をしています。 ![]() ジャワ伝統の影絵芝居(ワヤン・クリッ)が演じられていました。 ![]() その舞台裏ですが、これだけ沢山の楽器が演奏されています。奏者はスルタンの武士たちだそうです。 ![]() こちらは貴賓室のようで、スルタンが各国要人に謁見する場所とか。 ![]() 細かな細工が施されていて、しかも建設された年号が暗号のように装飾されているそうです。 ![]() 昼食後は水の離宮(タマン・サリ)へ。 1765年に建てられたスルタンのプールですが、ここで水浴びをさせながらベッドを共にする美女を選定していたのです。 チクショーめ! ![]() そのベッドが今でも置かれていて、カメラを向けたら現代の美女がポーズを取ってくれました。 ![]() 何故か2か月後に結婚する予定のカップルが正装していたので、撮影しました。 これがジャワの正式の花嫁衣裳だそうです。花婿はカットです。 ![]() 地元の名産であるバティックの買い物タイムの後、次はもう一つの世界遺産、プランバナンの見学です。 ジャワ南部のヒンドゥー教王国、サンジャヤ王朝によって856年に建立されたもので、5㎞四方にわたりいくつもの史跡が残る巨大な寺院群です。 この中心がロロ・ジョングラン寺院です。 ![]() 中央のシヴァ神殿は高さが47mあり、天に向かって燃え上がる焔のような形をしています。 その周囲にはプラフマ、ヴィシュヌなどの名が付けられた神殿が並んでいます。 ![]() さらにその周囲には数百ともいわれる小祇堂(ペルワラ)が配置されていましたが、1584年の火山爆発や、度重なる大地震のために大半が崩壊してしまったのが残念です。 もし元の姿に復元できるなら、アンコールワットに並ぶようなアジア有数の遺跡になるでしょう。 ![]() 神殿の周囲には、こうしたレリーフも刻まれています。 ![]() 神殿の中には、シヴァ神の妻であるドゥルガ像が安置されていますが、ロロ・ジョングラン(細身の処女)の名のごとく官能的な姿をしています。 ![]() プランバナンを築いたヒンドゥー教王国と、ボロブドゥールを築いた仏教王国とは互いに友好的な親戚関係にあったため、ほぼ同じ時期に二つの巨大な宗教施設が造られたのです。 そういう意味では世界的にも極めて珍しい史跡であるといえます。 ![]() この後、夕食をとってからジョグジャカルタ空港に向かい、ガルーダ航空の国内線でバリ島デンパサールに到着。 宿泊のバリ島クタにあるアストンクタホテル&レジデンスに到着したのは、深夜零時を回っていました。 ここまででようやく一日目の観光が終了したのですが、なんだか3日間位経った気分です。 やはり3泊5日の日程はキツイ。 |
7月15日成田空港を発ちジャカルタ乗継でジョグジャカルタへ。キャリアはガルーダ・インドネシア航空。 ガルーダは個人チェックインなので集合時間より早めに成田に着いて搭乗手続きを行い、希望通り通路側の席を確保。航行時間がトータルで9時間弱とはいえ、やはり通路側でないと不便なので。 ガルーダ航空はサービスは良いとはいえませんが、CAが概して親切で思ったより快適でした。 ただ途中乱気流に出会い、機体が左右に大きく振れて次にストンと落ちました。運悪くトイレ使用中だったため壁にぶつかり、腕に小さな痣をこさえました。それより驚いたのは、トイレの戸境パネルが3分の1ほど開いたことでした。幸いお互いの姿は見られずに済んだのですが、あれには困りましたね。 ジャカルタで入国審査と通関をすませ、国内便に乗りついだのですが、指定されたゲートで出発時間が過ぎても搭乗案内が始まりません。 係員に訊いたらゲートが変更になったとのこと。場内放送で案内していたらしいのですが、あれは分かりません。出発便の表示が無いというのは実に不便です。 慌てて別のゲートに移動し、何とか間に合いました。 ジョグジャカルタ空港で現地ガイドと対面、5千円を現地通貨に両替しておよそ50万ルピア。なんだか一気に金持ちになった気分です。 宿泊ホテルの”メリア・プロサニ”に着いたのは午後11時(日本との時差は2時間)を回っていて、部屋に入って荷解きをしシャワーを浴びて翌日の準備と、就寝は午前2時頃になってしまいました。 翌朝は午前6時にモーニングコール、7時30分にはバスで出発し、最初の観光地ボロブドゥール遺跡に向かいますが、眠い眠い。 天候は快晴。 ジャワ島にはムラピ山という活火山があり度々噴火を繰り返しています。直近では2010年10月に大きな噴火があり、一帯に降灰しました。火砕流も発生し多くの民家を押し流し、沢山の方が亡くなっています。 8か月過ぎた今も復旧がなかなか進まず、未だ多くの住民が避難生活を送っているとのことでした。 写真は被害にあった家屋と、押し寄せた土石を除く作業の様子です。 3月11日に大震災にあった私たちも決して無関心ではいられません。 ![]() ![]() 市内の市場の風景です。 バイクの多さが目につきます。 ![]() およそ1時間でボロブドゥール遺跡に到着しました。 宗教施設ということで、入り口で全員が腰巻を巻くことになります。 可愛らしい女性に腰巻を巻かれるのは、なんだか嬉し恥ずかし。 ![]() ボロブドゥール遺跡は大乗仏教王国のシャイレンドラ王朝により、780-830年の間の約50年間で建設されたものと推定されています。 しかしこの建造物の目的が何なのか、寺院なのか王墓なのか王朝の廟なのか、未だに解明されていません。 完成後にシャイレンドラ王朝は崩壊し、そのままジャングルの中で火山灰に埋もれて忘れ去られていました。 およそ1000年後の1814年、英国人トーマス・ラッフルズによって発見され、その後ジャワを支配したオランダにより管理されました。 1973年からはユネスコによる本格的な修復が行われて今の姿になっています。 日本のODAからの資金も大いに寄与しています。 ボロブドゥール遺跡はピラミッドのような形をしており、最底部の正方形の一片が123m、高さが34.5mの及ぶ巨大な建造物です。 1個が高さ23㎝に統一された安山岩ブロック200万個を、接着剤を使わずに積み上げたもので、下部方形6層と上部円形3層の合計9層より成っています。 ![]() 基壇から階段で第一回廊に上っていくと、周囲に彫られたレリーフが眼につきます。 ![]() レリーフは総延長5㎞、登場人物が1万人という壮大なもので、仏陀の生涯などの物語が精緻に描かれています。 ![]() ![]() ![]() ![]() 第4回廊から最後の階段を上がると急に周囲が開けてきて、遠くの山々が見えてきます。 ![]() ここから上の円壇の中央には大ストゥーバがそびえ、その周囲を釣鐘形の小ストゥーバが72基、規則的に配置されています。 大ストゥーバだけが窓が無いのは、無の世界を表しているとされています。 ![]() ![]() それぞれのストゥーバの内部には仏像が安置されていますが、残念ながら現在は円壇より上に上ることが禁止されていて、中を見ることができません。 窓から手を入れると幸福がもたらされるという「幸福の仏像」も、今はこうして下から眺めるだけです。 ![]() はるばるインド洋を越えて伝来してきた仏教ですが、このジャワの地で本家を遥かに上回る仏教文化として花開いた、そんなボロブドゥール遺跡に別れを告げ、次の観光地である王宮に向かいます。 |
2011年7月15日-19日にインドネシアのジャワ島とバリ島を訪れました。目的はジョグジャカルタにある二つの世界遺産の観光です。 私にとって64ヶ国目の訪問国となりますが、なにせインドネシアは東西5100㎞、1万数千の島々からなる大きな国で、そこを3泊5日で行ったのですから、ほんの一部をかすめて来たといった所です。 ![]() 正式国名はインドネシア共和国、首都はジャカルタ。 国土は日本の約5倍、人口は2億3千万人を超え世界4位。 約490の民族が住む多民族国家です。 宗教は87%がイスラム教ですが、バリ島に限るとヒンドゥー教。 GDPは約7000億ドルで世界18位、一人当たりでは約3000ドルで106位(いずれも2010年推計)、東南アジアの中では特に貧しい国とはいえません。 通貨はルピアで、現在は1円=100Rpです。 インドネシアは我が国とも深い関係にあり、例えばジャガイモは元々は「じゃがたら芋」の略で同国から渡来したものです。 江戸時代には鎖国政策のために、外国人と結婚した日本人女性はインドネシアなどに追放されました。 その女性たちが故郷に送った手紙が「じゃがたら文」、そうした女性の一人が「じゃがたらお春」です。 戦前の人ならインドネシアよりジャワという名前のほうが通りがいいでしょう。 それぞれ歌謡曲にもその名が登場しています。 「長崎物語」 歌 谷真酉美 (昭和13年) 赤い花なら 曼珠沙華 阿蘭陀屋敷に 雨が降る 濡れて泣いてる じゃがたらお春 未練な出船の あゝ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る 「長崎の雨」 歌 藤山一郎 (昭和26年) 今宵港に きく雨は 沖のかもめの しのびなき ジャガタラ文なら 片便り 恋の長崎 夜もすがら ああ 夜もすがら 雨が降る 「ジャワのマンゴ売り」 歌 灰田勝彦&大谷冽子 (昭和17年) ララララー ララララー フレームトゥッリーの木陰に 更紗(さらさ)のサロンを 靡(なび)かせて 笑顔もやさしく 呼びかける乙女よ アー ジャワのマンゴ売り 「バリ島」の名前を始めて知ったのは、1952年に公開された米国映画「バリ島珍道中」で、ビング・クロスビーとボブ・ホープの人気コンビが繰り広げる実に他愛のないストーリーでしたが、わたし同様に多くの日本人がバリ島の名前を憶えた功績は大きかったと思います。 それから中学の時に、「ピテカントロプス・エレクトス」という名のジャワ原人について習いましたが、これはウジェーヌ・デュボワという人が、1891年にオランダ領であったジャワ島トリニールで発見した化石人類です。 当時は直立猿人とされていましたが、その後の研究で人類の祖先であると結論づけられ、名前も「ホモ・エレクトス・エレクトス」 (なんだかイヤラシイ)に変わっています。 そうそう、デヴィ夫人を忘れちゃいけませんね。 インドネシアの国父である故スカルノ元大統領の第三夫人というハイソなご身分だそうですが、それにしちゃぁTVで三流タレントをいじめては小遣い稼ぎをしているような印象で、意外にフトコロ具合は厳しいのかと拝察する次第であります。 前書きが長くなりましたが、今回のツアー名は「神々の郷インドネシア バリ島・ジャワ島 ハイライト周遊5日間」、添乗員は無しで現地ガイドのみ。旅行社は「クラブツーリズム」で、参加者は28名。 次回から本題の旅行記に入ります。 |
| < 前のページ | 次のページ > |











































































































