ポーランド・北東ドイツ旅行記(13)
2013年 08月 30日
17世紀にベルリンの都市拡張計画の一環として作られたこの広場には、当時ベルリンを治めたフリードリヒ・ヴィルヘルム候の寛容政策により、フランスで迫害されていたユグノー(新教徒)が大量に移住してきました。 これによりフランス文化が流れ込み、この一角は市内で最も洗練された場所として賑わったそうです。
正面がコンツェルトハウス。新古典主義の代表的建築物とされ1821年創建。ベルリン・シンフォニーオーケストラの本拠地として有名です。
コンツェルトハウスを挟むように建てられている左右対称の教会で、こちらがフランスドーム。
こちらはドイツドーム。違いが分かりますか?
イーストサイド・ギャラリーは、ベルリン中心部を流れるシュプレー川沿いにあった東西を隔てる壁でした。
ドイツ統一後、内外のアーチストらがこの壁1.3キロの長さに渡って絵を描き、記念碑として残しています。今では屋外ギャラリーとして多くの観光客を集める名所になっています。
ただ屋外ゆえに絵は痛み、上から別の落書きが施されたりしていて老朽化が進んでいます。
その後同じ画家により修復される試みもなされました。
日本をテーマにした壁画です。
その傍に書かれている落書きは、東西ドイツが統一された後で、旧東独の人たちが一斉に家電を買いだしたのですが、その大半が日本製だったとか。 だから東ドイツは日本を迂回して西に来たという事を指しているようです。
ギャラリーの標識。
壁の裏側を流れるシュプレー川。かつてはこの川を渡ることは禁じられていましたが、今では遊覧船が行き交っています。
ベルリンの壁を乗り越えて東から西へ脱出しようとすれば即銃殺でした。ただ統計的にみれば成功率は9割近かったそうで、きっと穴場がどこかにあったんでしょう。
テレビ塔は東独が威信をかけて建設した高さ368mのタワー。
赤の市庁舎は東ベルリンの市庁舎でした。赤レンガで造られた建物なのでこう呼ばれたのであって、共産党とは関係ありません。
市内の通勤風景です。ドイツらしく自転車が多い。
ベルリン大聖堂は高さ114m、空襲で破壊されましたが1993年に再建。
ドイツ歴史博物館は、元々がプロイセンの武器庫として1706年の創建。
フンボルト大学で、右端にあるのがフンボルトさんの像。
ベルリーナアンサンブル劇場、手前で女性が寝てますね。
ベルリン市内は森が多い。銅像は「鉄血宰相ビスマルク」だったと思います。私が勤めていた会社の相談役が若いころにドイツに留学していて、卒業生首席としてビスマルクに謁見したと自慢してましたっけ。ホントかな。
以上の写真、一部お見苦しいものもあったでしょうが、これ全て走行中のバスの車窓から撮ったんですよ。スゴイでしょ。
自分で誉めなけりゃ誰が誉める。
ベルリン観光の最後は、ペルガモン博物館です。
シュプレー川の中州に5つの博物館が集まっていて、博物館の島とよばれていますが、その中心にあるのがペルガモン博物館です。
古代ギリシャのペルガモン(現トルコ)から発掘された「ゼウスの大祭壇」が高さ10mで再建されています。
人物一人一人が生き生きと克明に描かれ、筋肉の動きまでが彫刻で表現されています。
紀元前2世紀の作品としては出色でしょう。
紀元前560年頃に造られたとされる古代バビロニアの「イシュタール門」と「行列通り」。青いレンガを用いた巨大な遺跡です。
ミトレスの市場門。
駆け足のベルリン観光が終り、昼食です。
先ず黒の大生。
えんどう豆のスープ。
メインは豚のスネ肉のクリームソースがけ。
次回はポツダム観光で最終回となります。