「彌榮館」と箱根の桜(1)
2014年 04月 03日
箱根湯本駅を降りて国道を山方向に300mほど進むと滝通りの入り口にあたります。ここを左折し早川を渡る湯本橋のたもとに桜が数本植えられています。満開のソメイヨシノ。
枝が川面に向かって大きく広がっています。
突当りが広大な庭園で有名な「吉池」、左折し須雲川にかかる弥栄橋を渡るとこの日の泊りである「彌榮館」が見えてきます。ここを道なりの坂を上がり200mほど進むと旧東海道に出ます。
すぐ右手に「正眼寺(しょうげんじ)」の入り口が見えます。
「正眼寺」は臨済宗の禅寺で、鎌倉時代に箱根の旅路の安全を祈った地蔵信仰から創建されたとされます。
当時の箱根路は、山道が険しい上に山賊などが出没して危険が多く、箱根路の旅人たちはこのお寺に参拝して山路の安全を地蔵様に祈ってきたのでしょう。
現在も巨大な地蔵が祀られているのはその名残りなのでしょう。頭の上には糸桜が花を咲かせています。
正面には大きな枝垂れ桜があります。
本堂の前にある桜です。
墓所は寺の裏山に向って坂になっています。登りながらの桜見物です。
ここは曽我兄弟を供養するために建てられた「曽我堂」です。
曽我兄弟の仇討は日本三大仇討の一つで、源頼朝の家来であった工藤祐経によって親を殺された兄弟が、17年後に富士のすそ野での大巻狩にきていた祐経の宿舎に忍び込み、祐経を討って親のあだ討ちを果たしたという事件です。
曽我兄弟は、この正眼寺で祈願をしてからあだ討ちに向ったと言われ、その曽我兄弟を供養するために建てられたのが「曽我堂」です。
堂内には曾我兄弟の地蔵像二体が安置されているそうですが、春・秋の彼岸のみの公開とのこと。
本堂の前に松尾芭蕉の句碑がありました。苔でおおわれて文字は読めませんが、「すみれ草」の俳句だそうです。
山路来て なにやらゆかし すみれ草
松尾芭蕉の「野ざらし紀行」にある句で、京都から大津へ至る逢坂山越えを歩いたときの作です。箱根とは特に関係はないのですが、漂白の詩人芭蕉は何度も箱根路を歩いたことがあり、この地に弟子が何人もいたということです。それら箱根の俳人が、この句碑を建立したと思われます。
ソメイヨシノと「正眼寺」の枝垂桜を堪能して、このあと宿に向かいます。