西バルカン6ヶ国周遊記16(セルビア1回目)
2014年 06月 30日
国境を越えてセルビアに入国するとモクラゴラで、バスは西へ進み宿泊地であるズラティボールに到着。
ホテルはMONA、ここもリゾートホテルです。
ここで夕食を取りましたが、写真が無いのはそろそろ面倒になってきたせいでしょう。
正式国名はセルビア共和国、国旗は以下の通り。
セルビアの地図は下記の通り。
セルビアは西側でモンテネグロ・ボスニア・ヘルツェゴビナと、南西部でコソボと、コソボを通じてアルバニアと、南部国境でマケドニア共和国と、南東部でブルガリアと、東部でルーマニアと、北部でハンガリーと、北西部でクロアチアとそれぞれ接している内陸国です。
北部のヴォイヴォディナは自治権を持っていて、ハンガリー系やスロバキア系などセルビア系以外の住民が多い。
地図にコソボが載せられているのは、依然としてセルビアの自治領だと主張しているせいです。
セルビアの歴史についてはこれまでの各国の中で触れてきたので重複は避けます。要は旧ユーゴスラヴィアから一抜けた、二抜けたと次々各国が独立してゆき、セルビアだけが最後に残された恰好になりました。
ただボスニア紛争やコソボ紛争では一方的な悪者として扱われNATO軍による空爆まで受けたのですが、いずれの紛争においても非人道的行為は双方によって起こされています。
セルビア側からみれば独立した各国に住んでいたセルビア人が不当な扱いを受けていて、彼らの民族自決権を支援したという理屈になるのでしょう。
確かなのはセルビアが、どちらが正義かという国際世論戦争に負けたという事実です。
面積は7万7474k㎡で北海道とほぼ同じ、人口は712万人、首都はベオグラード。
民族構成はセルビア人が83%、マジャル人が4%、ボシュニャク人が2%、ロマが1%、クロアチア人が1%、モンテネグロ人が1%、アルバニア人が1%等(数値は四捨五入)。
宗教はセルビア正教が多数で、イスラム教は少数。
公用語はセルビア語。
通貨はディナール(DIN)で、ユーロはほとんど通用しない。
1DIN=約1.2円
10日目の観光が始まる前に、セルビアの高原リゾート地であるズラティボールを散策。標高1000mの森の中にある町で、軽井沢のような感じです。ホテルの裏にある池の周辺を歩いて回りました。
バスで国境近くまで戻りモクラゴラに到着。ここはかつてサラエヴォとベオグラードを結んでいたシャルガンエイト鉄道の始発駅だった所で、今は観光列車として不定期に運行されています。
不定期なので乗車できるかどうかは現地に行かないと分からないためか、鉄道マニアには憧れの鉄道だとか。
プラットホームにはレストランがあります。
列車はジーゼル機関車。
客車は1両ごとにデザインが違っています。
この駅のもう一つの特長は、この地方の100年ほど前の古民家を再現させた建物が展示されていることです。
こうしたツアーの企画でしばしば列車に体験乗車することがありますが、なぜか気分が高揚してウキウキしてきます。あれは、なんなんでしょうね。この日もツアー参加者がまるで子供に戻ったようにハシャイデいました。
車掌さんの検札です。
列車は山間を縫うようにいくつもトンネルをくぐりいくつものループ橋を渡りながらゴットンゴットンと走ります。
およそ40分ほどで終点シャルガンビタシ駅に到着。
駅の売店。
駅員さん、帽子が恰好イイ。
車庫には蒸気機関車もありました。
列車はここから始発のモクラゴラ駅に戻ります。
標高差300mの所をループを描きながら走るのですが、上から見ると数字の「8」に見えるので、シャルガンエイトという名前が付いたようです。
駅名を聞きもらしてしまいましたが、途中景色の良い駅で30分ほど停車です。
この列車には私たちの他に中学生のグループが乗っていて、駅で顔を合わせてる内に仲良くなりました。お互いに写真を撮り合ったりして、あちらも日本人を初めて見たんでしょう。
可愛い女生徒が多かったので、オジサンたちは大喜び。
どうです、この嬉しそうな顔。
男子生徒の方はまだあどけない。
滝がある駅は珍しい。
遥か下に別の鉄道の線路と駅が見えましたが、セルビア鉄道でしょうか。
出発駅のモクラゴラに到着。美人中学生たちともここでお別れ。
駅のホームにあるレストランで昼食、メインはシチュウ。
午後は5時間かけてベオグラードへ移動です。