バルト三国旅行記(12)エストニア・タリン①
2015年 06月 30日
タリンはバルト海フィンランド湾に臨む港町で、対岸のヘルシンキとは船で結ばれ、バルトの窓口の役割を果たしています。
12世紀にはスウェーデンに占領されますが、その後はドイツからの入植が進み13世紀にはハンザ同盟に加盟し、商業都市として繁栄します。しかし16世紀以降は打ち続く戦乱の中で次第に要塞都市としての役割が強まり、ソ連支配時代を通してタリンとしては閉塞の時代になっていました。
EU加盟後は再び活況を取り戻しつつあります。
スタートはタリン市の東部から。
朝の市内の様子。
カドリオルク宮殿はロシアのピョートル大帝が妃エカテリーナのための夏の離宮として造らせたもので、1718年の建設を開始。後期バロック様式の宮殿です。
宮殿の庭園。
隣は大統領官邸。
歌の広場は、エストニアで5年に一度開かれる歌と踊りの祭典の会場になります。3万人の歌手が全国から集まり観客は10万人に達するとか。
ポスターにあるような歌手たちもここでコンサートを行いました。
独立前の1988年にはこの会場に30万人の国民がこの会場に集まり、独立への思いを歌にしました。「歌いながらの革命」と呼ばれています。
ここからバスで旧市街に移動するのですが、途中タリン港に立ち寄り、目的はトイレ休憩です。港内のビルでトイレを拝借です。トイレは有料の所が多く、自動の公衆トイレだと10,20セントの硬貨を持っていないと使えません。日本の便利さに有難味を感じます。
一説によるとこちらの人の膀胱の大きさは私たちの1.6倍あるそうで、トイレも朝すますと午後2時頃までもつそうです。そうした事情もあるのかも知れませんね。
小舟が停泊しています。
私たちが乗る高速艇で、左の船には往きに、右の船には帰りに乗船しました。
旧市街に入って、鳥の形をした置石をみつけました。
アレクサンドル・ネフスキー聖堂は帝政ロシアによって1901年に建てられたロシア正教教会です。今も街の中心に威容を誇っていますが、市民は複雑でしょう。
トームペアは石灰岩でできた高さ24mの丘で、展望台からは旧市街が一望できます。
トームペア城は13世紀に騎士団によって建てられましたが、18世紀後半エカテリーナ女帝により知事公舎として改築されました。正面からは宮殿みたいに見えますね。
その他、旧市街の情景です。
次回もタリン観光の続きになります。