中国シルクロード旅行記(2015/8/14-21)(1)出発
2015年 08月 25日
参加者は20名で、通常のツアーに比べて男性の一人参加が多いのが特長です。
コースは西安―ウルムチ―トルファン―敦煌―西安を巡るのですが、途中に新疆ウイグル自治区を通るため、治安上の問題から一時期ツアーが中断されていました。昨年頃からようやく再開され、徐々に参加者は増えてきているようです。
中国訪問は今回が5度目(香港を除く)で、前回から9年経ちました。この間の中国の経済成長は目ざましく、GNPでは日本を追い越し世界2位になりました。しかし、今年に入ってからは不動産バブルの崩壊や金融市場の不安定などの要因から、経済成長の鈍化が顕著になっています。
日中関係は領土問題や南シナ海の埋め立て問題をめぐる対立から、国交回復後では最悪の状態になっています。
今の日中関係について中国側に全ての責任があるかのような言説が流れていますが、現在の安倍政権の歴史認識、とりわけ大東亜戦争(日中戦争+太平洋戦争)における中国への侵略を否定するがごとき態度にも大いに責任はあります。当時の行動を正当化し反省しないとなれば、相手国としては日本が再び同じことをしてくるのではという疑念が生まれます。
そうした相手国の危惧を払拭するためには、過去を直視した正しい歴史認識の上に立った誠実な態度が求められると思います。
今回のツアーのタイトルである「シルクロード」という言葉ですが、定義は分かってるようで良く分からない。
「シルクロード」という名称は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが著書の中で、「Seidenstraßen」(ドイツ語で「絹の道」の意味)として使用したのが最初で、リヒトホーフェンは古来中国で「西域」と呼ばれていた東トルキスタン(現在の中国新疆ウイグル自治区)を東西に横断する交易路、いわゆる「オアシスの道(オアシスロード)」を経由するルートを指してシルクロードと呼びました。絹が中国側の最も重要な交易品であったことから名付けられたものです。
今日では中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称として、広くは近代(大航海時代)以前のユーラシア世界の全域にわたって行われた国際交易を指しています。
東側の起点としては西安(長安)とする説が一般的ですが、他に洛陽や、日本の奈良という説もあります。西側の起点もローマ、イスタンブール(コンスタンチノーブル)、シリアのアンティオキアなどの説があります。特定の国家が定めたものではないので、定説が無いのは当然のことです。
「シルクロード」というと何か決められたルートがあるように思われるかも知れませんが、そのルートも多様です。
ルートは大きく、
・「草原のシルクロード」
・「オアシス(砂漠)のシルクロード」
・「海のシルクロード」
に分かれます。
この内の「オアシスのシルクロード」も大きく、
・天山山脈の北側を通る「天山北路」
・天山山脈の南側を通る「天山南路」
・崑崙山脈の北側を通る「西域南路」
に分かれます。
加えて交易は東西だけでなく南北でも行われていたので、ルートはさらに複雑になります。
時々、自分はシルクロードを全て制覇したなどと自慢する人がいますが、実際には不可能に近い。
この旅行記のタイトルも本来は「中国国内のシルクロードの極く一部」とした方が正確です。
スタートは8月14日、キャリアは中国東方航空。成田空港16時55分発で、上海でトランジット(入国審査)、西安着が23時45分(日本との時差は1時間)。ホテル到着は15日の午前1時頃になりました。スーツケースと手荷物の整理を終えシャワーを浴び終わったのは午前2時近く。
朝からの観光に備えて先ずは一眠りです。