この日から私たちへの警備が強化され、バスの前後に1台づつ警察の車両がついて移動することになりました。
観光中も、周囲を銃を持った警官が警護していました。
ただ、パキスタンのテロは警察や軍隊を標的にする事が多いので、これは良し悪しですが。
サッカルをバスで出発し、間もなくインダス川が見えてきます。かなり大きな川です。
モヘンジョ・ダロは現地の言葉で「死の丘」を意味し、かつては非常に古い時代の死者が眠る墳丘として、地元民から恐れられていました。
やがて丘のてっぺんで仏教のストゥーパ(仏塔)が発見されて、一体は仏教施設だと考えられていました。
1922年、インド考古調査局員であったインド人歴史学者R・D・バナルジーの発掘調査によって、絵や文字の書かれた印鑑、像、紅玉髄などが見つかり、インダス文明の遺跡であることが分かりました。
インダス文明は紀元前2700年前から約1000年にわたり栄えたとされ、世界四大文明の一つとして数えられています。
ただ、発見された文字が少なく解読できないので実態がつかめておらず、滅亡の原因も不明です。
遺跡は何ヶ所か見つかっていますが、規模はここが最大で、今回のツアー参加者の大半はここを見学するのを目的としていました。
入口にある「神官王」と呼ばれる胸像の大きな模型で、実物はカラチ博物館に展示されていましたが掌に乗るような小さなサイズです。これが神なのか王なのかというのも論争点の一つです。
遺跡の全景。死の丘と見られていたのも分かる気がします。
丘のてっぺんにあるストゥーパで、これは後世に建てられた仏教施設です。
ただ、この遺跡の下に塩の層があり、地下水位の上昇による塩害が進行し続けています。写真のように、遺構の構成物である煉瓦が塩分を吸い上げて風化してゆく塩分砕屑現象が止まらないのです。このままだと数十年で遺跡が破壊してしまう危険性があり、早急な対策が求められています。
ガイドによれば、パキスタン政府は対策に消極的だそうで、こういう所にこそ日本の援助が必要ではないでしょうか。
何せ、人類共通の文化遺産なんですから。
排水溝。
ゴミ箱。
排水溝のある道路。
大浴場。
階段から浴場に入ったのでしょう。
ここが浴場だと推定できるのは、内側に防水のための瀝青のライニングがしてあったことからです。
大浴場から見た城砦の言われている領域の写真です。
最大で4万人が住んでいたと推定されるこの地域にとって、大事なのは先ず水です。遺跡内には沢山の井戸の跡がありました。
水を使えば排水溝が必要になります。大浴場の排水溝はかなり大きなものです。
こちらは、雨水を貯めるための貯水タンク。
穀物倉庫と見られ、壁の下部には空気が通る穴があいています。
メインストリート。
同じような区画が並ぶところから住居と考えられています。
この上で土器を作っていたものと推定されています。
これも井戸。バケツの様な容器に紐をつけて下におろし、水を汲み上げていたようです。
未だ発掘途上の領域も多いのです。
ガイドのアリさんが、ここはトイレだと示してくれました。排水溝もついていて水洗ですね。
ここからは博物館に向かい、遺跡から発掘された品々を見学です。
ヒーター。
つぼ。
土器類。
猿の像。
人物像。
印章。
印章の図柄を拡大したもの。文字が少なすぎて解読できていないそうです。
計りと分銅が見つかっている所を見ると、マーケットがあったのかも。
人骨。推定身長が2m近いそうで、かなり背が高かったんですね。
こういう可愛い動物も。
重要なことはインダス文明の遺跡から出土したものがメソポタミア遺跡から、またメソポタミアの遺跡に出土したものがインダスの遺跡から、それぞれ発見されていることです。当時、両者の間に交流があったということです。
インダス文明は分からないことばかりなのに、最大の遺跡であるここモヘンジョダロが塩害で崩壊しつつあるというのは危機的状況です。
日本など先進国が技術的、経済的援助を早める必要があります。