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イスラエル紀行番外編―聖書の「?」

旅行記はここでチョット一息入れて、私が聖書の中で、謎と感じている部分に触れてみたいと思います。
新約聖書の最高のハイライトシーンは、イエスの最後の晩餐~ゲッセマネの祈り~十字架への道行、だろうと思われます。
ここで私が感じるのは、どうもイエスの使徒たちの行動が、肝心の場面で冴えないのです。
筆頭弟子のペテロの言動などは、喜劇でいえばボケ役としか思えないですね。

最後の晩餐では、イエスがユダの裏切りを予告しているのに、ペテロはヨハネに「ボスは今何て言ったの?」などと呑気な質問をしています。
「死ぬまであなたについて行きます」と言うと、イエスは「お前はニワトリが鳴く前に、私のことを知らないと3回言うだろう」と言われてしまいます。翌朝イエスが捕らえられ、周りの人から「あなたの知り合い?」と聞かれると、ペテロは、「いや知らない」と本当に3回言うことになります。そこでニワトリが「コケコッコー」と鳴き、ハッと気が付くというボケぶりです。
ゲッセマネの園では、ペテロたち三人がイエスから、これから大事なお祈りをするから、必ず眼を覚ましているようにと厳命されていたのに、イエスがいなくなるとさっさと熟睡してしまう。
吉本のコントなら、「あんた、ええ加減にせえよ」と、頭の一つも叩かれるところです。

でもペテロは未だ良いほうで、教団のトップが処刑されようというX-Day、天下の一大事に、イエスの裁判から磔刑までの間、使徒たちはその姿さえ見せません。当日活躍するのは、アリマタヤのヨセフを筆頭に、クレネ人シモン、ベロニカ、マグダラのマリアなど、どちらかと言えば脇役ばかりです。
使徒といえば当時の教団幹部です。イエスの死後布教に力を尽くし、今日のキリスト教の隆盛は、彼らの力に与って大。
しかも教典である聖書は、彼らを敬愛し、彼らを良く知る人々によって編纂されたのですから、このX-Dayでの使徒に関する聖書の記述は、どうしても疑問が残ります。

そこで、なぜ使徒たちが何もしなかったのか、使徒たちの言動を聖書に書き留めなかったのか、推測をして見ました。

推論① イザヤの預言の実行
紀元前6世紀頃に書かれた第二イザヤ書は、イエスの生涯を見事に預言しています。これはイザヤが超能力を持っていたというよりは、イエスが、イザヤの示唆した救世主の生き方に導かれて、行動したと考えるべきでしょう。
そうしますと、最後の死の迎え方もまた、イザヤ書に沿う必要があります。
イエスとしては、イザヤ書の預言通りに死を迎え、真の救世主として終わりを全うしようとした。
一方弟子たちは、イエスの死は、即教団の消滅を意味しますから、とても賛成できない。
イエスと使徒の間には、こうした葛藤が存在したのだと思われます。

推論② 教団の組織防衛
当時の状況から、イエスの逮捕と処刑は避けられないと判断して、教団としてはその存続のために、被害を最小限に抑え、勢力を温存し、組織を維持することを優先させたのではないか。
とすれば、磔刑当日に、使途とローマ兵士との無用な摩擦は避けた方がいい訳です。
その後のキリスト教の隆盛を鑑みれば、この時の判断が正しかったといえるでしょう。

推論③ 使徒は「イエスは神の子」だと信じていなかった
元々イエスの教団は、エッセネ派や熱心党などといった、既存の宗派から参加した人も多かったと推定されます。使徒や弟子達はイエスと行動を共にする中で、イエスに敬服していくのですが、イエスを本当に「神の子」として確信を持つに至らなかったのではないか。
教団といっても、実態はイエスと各弟子たちとの個別の繋がりであったとすれば、イエスが逮捕、処刑される事態になれば、組織はバラバラになります。
彼らは、その後のイエスの復活を目の当たりにして初めて、イエスが神の子であることを確信し、生涯を宣教に捧げる決意をしたのだと思います。

皆さんはどう思われますか?
ご意見を頂けると幸いです。
by kanekatu | 2005-10-19 05:30 | イスラエル

憂きな中にも旅の空


by kanekatu