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九州の紅葉を訪ねて(2005/11/3-5)前編

11月初旬の九州は、紅葉見物に少々早く、まして今年の様に気温が高い年には、あと1-2週間遅らせた方が良かったのでしょうが、11月3-5日に阿蘇を中心としたツアーに行ってきました。
先ず国東半島の寺を訪れました。
国東は一名「仏の里」と呼ばれているほど、さして広くない半島に、沢山の寺や仏像が残されています。
国東半島は、大分県の北東部にちょうどこぶが突き出たような形の半島です。北は周防灘、東は伊予灘、南は別府湾にそれぞれ面しており、西側は内陸部の宇佐市に接しています。
国東に寺が多いのは、遣唐使船が難破し、しばしばこの国東に流れ着き、乗船していた僧がこの地で布教活動を行ったためと見られます。
特に天台宗の開祖である最澄が、遣唐使船の難破で久しくこの地に留まった関係で、天台宗の寺が多いのです。
奈良時代末期から鎌倉時代にかけて、現在の宇佐市にある宇佐神宮を母胎とした、六郷満山と呼ばれる仏教文化が、この国東で開花しました。又宇佐八幡神宮は、全国四万四千社と称する八幡宮の総本社でもあり、鎌倉幕府以後の八幡信仰の、西日本の中心地でもありました。

こんな記事を書いていると後ろから、「なに、イスラム教が終わったらキリスト教で、次はユダヤ教で、今度は仏教。ふん、あんたも忙しい人ね。」という声が飛んできました。
正に「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。 Only a hero can understand a hero.」です。
嗚呼、実に嘆かわしい。
ついでに、宇佐市で生まれた人が出身を聞かれると、「私はUSAの生まれです。」と答えるダジャレがありますが、こういうのを「うさ八百」というんです。

最初に訪れたのが両子寺(ふたごじ)、かつては国東の諸寺の本寺として栄えた古刹です。
護摩堂から奥の院に至る道に、鮮やかな紅葉を見ることが出来ます。
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次に訪れた国宝の富貴寺大堂は、平安後期に建てられたもので、1本のカヤの大木から作られたものだそうです。一時期廃寺となり、近所の子供の遊び場になったり、農家の倉庫になったりしたため、荒れるに任せていました。又戦時中に米軍の爆撃の余波で、堂の一部が破壊されました。
堂内は、壁天井全体に壁画が描かれていましたが、前期の理由により、今では一部に当時の面影を残すのみとなっています。
実に惜しい。
保存状態さえ良ければ、宇治平等院に肩を並べていたでしょう。
現在これ以上の風化の進行を防ぐため、雨の時は非公開となっています。
柱の上に宝珠と笠石を置く、この地方独特の笠塔婆が庭に置かれていますが、最も古いものは1241年の作となっています。
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天台宗の古刹長安寺は、四方絶壁の奇勝尾山の中腹にあります。
銅版の上に法華経を刻んだ銅版経が、国の重要文化財に指定されています。
本堂の周囲は、かなり色づいていました。
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国東から耶馬溪に向かう途中に、菊池寛の「恩讐の彼方に」のモデルとなった「青の洞門」があります。
若気の至りで人を殺め、罪を償うため僧侶となった禅海が、旅の途中この地を通りかかった。その当時樋田から青(いずれも今は本耶馬渓町)へ行くには、岩かべにつくられた(鎖渡し)の道をわたらなければならなかった。有名な交通の難所で、毎年何人もの人が命を落としていると聞き、禅海が、人馬が通れる洞門を掘ったものです。
写真は、採光と残土処理のために開けたもので、当時の姿を留めているそうです。
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紅葉の名所、耶馬溪は残念ながら時期が少し早く、色づきは余り進んでいません。それでも多くの観光客が押し寄せ、「一目八景」を楽しんでいました。
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耶馬溪から別府に戻る途中の山々は、正に全山紅葉の連続で、絵巻物を見ているような思いでした。ツアー客の中から、何回も歓声が上がりました。
でもバスの車中のため、写真でお伝えできないのが、本当に残念です。
行った人だけが味わえる感動でした。
by kanekatu | 2005-11-09 16:31 | 九州

憂きな中にも旅の空


by kanekatu