カテゴリ:リビア( 6 )

地中海の光とサハラの風(16)

リビアの旅のハイライトは、何といってもレプティスマグナで、リビア旅行者の多くはこの遺跡をお目当てにしていると思われます。
レプティスマグナの歴史は古く、紀元前9世紀にフェニキア人が、地中海の貿易港として開いたのが始めとのことです。
紀元後1世紀のローマ時代に、現在のレプティスマグナの都市作りが本格化し、2世紀の終わりにこの地出身のセプティミウス・セウエルスがローマ皇帝に就任し、次々と巨大なローマ式建造物が建てられます。
しかし、その後のゲルマン、アラブの侵略で街が破壊され、8世紀ごろには完全に砂に埋もれてしまったようです。

1200年の眠りを覚ましたのは、イタリアの考古学者ロマネッリで、1912年に砂の中から建物を発見します。
その後第二次世界大戦を挟んで発掘調査が行われ、建物の修復も進み、現在のレプティスマグナの全容が明らかになります。
4平方kmの面積に、主な建物だけでも30以上あり、ローマ時代の遺跡としては、世界屈指の規模を誇ります。

写真で、そのいくつかを紹介します。
先ずフォーラム(広場)で、規模の大きさと、発掘も修復も未だこれからという状態が、写真から見て分かると思います。有名なメデューサの像は、この広場の隅に置かれています。
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円形劇場で、舞台後方に地中海が見えます。
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競技場ですが。わざわざ地下を掘って競技場が建設されています。多分世界でもここだけだと思います。
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その他の建物です。
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添乗員の話ですと、1年前には無かったリビアの国内地図が、今年は売店で売られるようになりましたし、リビアは着実に開かれた国に移行しつつあるようです。
取り敢えず、今後はゴミの山を片付け、ホテルのサービスを良くし、外国の観光客にはアルコールを解禁する、この3つだけでも実施できれば、観光客は確実に増えるでしょう。
せっかく沢山の観光資源を持っているのですから、勿体ない話です。

このシリーズは今回で終了します。
次回は、別の旅行記を始める予定です。
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by kanekatu | 2005-07-31 17:32 | リビア | Comments(0)

地中海の光とサハラの風(15)

トリポリから南へ650km、リビア、チュニジア、アルジェリア3国の国境近くにある街、ガダメスに向かいます。
途中から見渡す限りの砂漠、土漠となります。東部サハラです。
途中、道路に砂漠の砂が乗り上げ、丁度ぬかるみにはまったような状態で、動かなくなりました。しばらくすると、近くに待機していたブルドーザーが到着し、砂を除去して、ようやく先に進みます。すると、又砂。ブルドーザーの先導でバスが道路を進む状態が続きます。

サハラは圧倒的に土漠なのですが、ところどころが砂漠になっています。土漠では、こうした現象が起きません、まさに砂漠は生きているんですね。
土(ソイル)は、上から圧力をかければ締め固めることがでますが、砂(サンド)は、まるで流体のように横に流れてしまいます。ツアー参加者から、土と砂との違いについて、質問がでましたので、石川啄木の歌を引いて説明しました。
「一握の砂」の中の、「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握《にぎ》れば指のあひだより落つ..」が、見事に砂を定義しています。

途中2ヶ所、穀物倉庫として使われていた場所があります。
クサール・ハジと
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ナルートです。
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倉庫といっても、周辺の農民が、盗賊からの略奪を逃れるために築いたもので、外観は砦に近い堅固な建物です。

ガダメスの街は、サハラの入り口の大きなオアシスの中にあり、紀元前19世紀ごろには人が住み着き、交易の要衝として栄えた歴史があります。
旧市街は、昔のまま残されており、建物同士がつながっていて、まるで街全体が複合建造物のように見えるのが特徴です。建物は全て丸みを帯びていて、外側は真っ白な石灰で仕上げられていますので、幻想的な印象を受けます。
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室内は一転して、鮮やかな色のカーペットや、抽象模様のタペストリーで飾られ、カラフルな内装となっていました。
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早朝起きだし、砂漠の真ん中に立って周囲を見渡すと、ほぼ360度、地平線以外は何も見えない。「俺が、ここにいるぞ」と、叫びたくなるような、爽快な気分になります。
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by kanekatu | 2005-07-29 05:45 | リビア | Comments(5)

地中海の光とサハラの風(14)

トリポリから西へ100kmの地点に、サブラタ遺跡があります。
元々はフェニキア人が築いた街だったのですが、2世紀初めのローマ時代に、貿易港として大きく発展しました。しかし5世紀に入って、北方ゲルマンのバンダル人、7世紀のアラブ人の侵入により破壊され、廃墟となりました。
サブラタ遺跡の発掘と修復は、1900年代のイタリア占領下にようやく始まります。
大部分が破壊され、また地中海の海辺にあるため寝食も激しいのですが、それでも遺跡の全容を眺めると、往時の町の規模が偲ばれます。
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サブラタ遺跡の最大の見所は、巨大な円形劇場です。
客席は3層になっており、通路を歩くと、大おきなビルの中にいるという錯覚に襲われます。
今まで見たローマ劇場の中では、最大規模であり、恐らくは世界的にも最大級であると思います。
あまりに大き過ぎて、写真に入い切らないのが残念です。
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by kanekatu | 2005-07-27 09:25 | リビア | Comments(0)

地中海の光とサハラの風(13)

ここで簡単に、リビアの歴史を見ることにしましょう。
紀元前       先住民はベルベル人(北アフリカ先住民)
     9世紀  現レバノンからフェニキア人が来る、以後カルタゴの支配下
     2世紀  ローマ帝国の支配下
紀元後 7世紀 北欧ゲルマンのバンダル人が侵入
           ビザンティン帝国支配
           アラブの侵入、イスラム化が進む
    16世紀  オスマントルコの支配下
    1711   カラマンリー王朝の時代、地中海中部に制海権
           19世紀初頭には米海軍と先頭、勝利する
           その後再びオスマントルコの支配下
1912-1943 イタリアの植民地 
1945-     英仏の占領下、米軍基地も置かれる
1951       独立
チュニジアとほぼ同様の歴史を辿っています。    

チュニジアからリビアに入って、先ず目に付くのは道路脇にゴミが沢山捨てられていることです。幹線道路を走っていると、まるで両側に縁石のように、ゴミの列が続きます。どうも、ゴミの収集システムが出来ていないようです。現地ガイドに指摘すると、環境問題は政府としても重要視しているが、市民特にベルベル人のマナーが悪く、ゴミが溜まってしまうとの答えでしたが、真偽の程は分かりません。

もう一つ目立つのは、住宅が立派なことで、しかもどこに行っても、建築中の住宅が、数多く見られました。
日本なら豪邸クラスといってもおかしくない。これも現地ガイドに聞いたところ、公営住宅だそうで、家賃はタダだそうです。「ほー、リビアは良い国だねえ。」というと、ガイドはウンウンと頷いてました。
彼はトリポリの大学を出ているのですが、大学の授業料も、下宿代もみなタダだったそうです。

もう一つ目に付いたのは、ガソリン代の安さです。バスが給油した時にざっと計算したら、1リットル8円(単位は間違ってません)です。安い!
リビアは産油国です。人工500万人に国で、石油輸出額が130億ドルですから、豊かな筈です。冨も国民に分配されているようですから、今の政権は安泰なのでしょう。

その代わり、農産物の70%を始め、商品の多くは輸入品です。その上近隣諸国から、沢山の出稼ぎ労働者が入ってきて、仕事をしてくれますから、リビア人はあまり働かないで済みます。

これじゃあ、アメリカと戦争する気など、起きませんね。

写真は、トリポリ市内にあるローマ帝国時代の門
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by kanekatu | 2005-07-24 05:51 | リビア | Comments(0)

地中海の光とサハラの風(12)

今回は団体ツアーなので、入国の申請やビザ取得は、全て旅行会社にお願いしたわけですが、先ずビザは4人以上のグループでないと、申請ができないそうです。それと旅程表の提出とホテルの事前予約が必要とのこと。一人でフラリと入国するというのは、不可能のようです。
それと、宿泊先ホテルに、パスポートを預ける仕組みですから、行動も規制されますね。

今回のツアーでは、リビア観光局の職員という人が、最初から最後までついてきました。
道路を走っていると、所々に検問所があり、そこではその職員が何か書類を手渡していました。
我々を監視するための政府役人かと思うと、ホテルのチェックインを手伝ったり、バスが砂に埋もれて、動けなくなったりした時は、後ろから一生懸命押してくれました。
最後まで、何だかよく分からない役目の人でした。

一口にイスラム教国といっても、非常に厳しい国から、トルコのようにイスラム教国であることを忘れてしまうような国まで、千差万別です。リビアは、厳しい国に属します。
先ず酒が禁止です。持ち込みも禁止だし、イランと違って罰則があります。500米ドルの罰金と警察での取調べだそうです。
罰金は仕方ないにしても、見つかると添乗員に迷惑が掛かるので、今回は見つかる心配が無く、万一見つかった場合でも、釈明できる仕掛けを考えました。
結局国境での荷物検査も無く、リビア滞在中は毎日酒を飲んでいました。
酒の持ち込み方法ですが・・・、ここで書くと、これから同じ手を使えなくなりますので、ご紹介できません。

国境にある両替所(銀行)ですが、これは今までの渡航国の中の、ワースト1でした。さんざん待たされた揚句、何箇所も窓口があり、職員の数も揃っているのに、なぜか一箇所しか開けない。「なんか、気分悪い?」と、聞きたくなるほど、不機嫌そうな表情で、いやいやながら仕事をします。他のメンバーの中には、理由も云わないまま、米ドルを突き返された人もいて、唖然としていました。

サービスに関しては、全般に良くない国です。

写真は、レプティスマグナ遺跡のメデューサの像
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by kanekatu | 2005-07-21 20:16 | リビア | Comments(0)

地中海の光とサハラの風(11)

リビアは以前から、一度は行って見たいと思っていた国でした。今から20年ほど前に、当時会社の同僚が仕事でリビアへ行き、「やあー、あそこは世界最大級のすごいローマ遺跡がある」と、聞かされて以来です。
ですから今回のリビアへの旅は、20年越しに希望が叶ったことになります。

実現が遅れたのは、リビア国内事情です。
今でこそ、アルカイダなどと比べると、陰が薄いですが、リビアこそ元祖テロ国家でした。
1981年にリビアの空軍機2機がアメリカに撃墜されたのを契機に、リビアは1988年のパン・アメリカン航空機爆破事件、1989年のUTAフランス航空機爆破事件と、相次いでテロ事件を起こします。この他、外国でのテロ組織への援助も明らかになり、1992年に国連安全保障理事会はリビア制裁決議を採択し、以後リビアは国際的に孤立してゆきます。

リビアの正式国名は「社会主義人民リビア・アラブ国」。1969年にカダフィー大佐率いる青年将校たちが、無血クーデタをおこし、国王を追放して社会主義共和国の樹立を宣言しました。
以後36年間、カダフィー大佐が、事実上の国家元首として君臨しています。

国立博物館を見学していますと、古代の文化財の脇に、いきなりフォルクスワーゲンが陳列されています。何ですかと聞くと、30年前にカダフィー大佐が乗っていた乗用車だと、説明されます。
一般家庭には、カダフィーの写真が飾られ、土産物売り場には、カダフィーがプリントされたT-シャツが売られています。
ただ、市民の反応からは、怖い独裁者というよりは、人気者の指導者という印象を受けました。
北の金さんとは、どうも違うようです。

さて、そのカダフィー大佐(36年経っても未だ大佐)ですが、2003年になって、先ず過去のテロ犠牲者への賠償金支払いを申し出ます。この結果、国連安保理による制裁が解除されます。
同じ年、米英両国に対し、リビアが保有していた大量破壊兵器の、即時無条件廃棄を申し出ます。
2002年には、一時アラブ連盟からの脱退を申請しましたし、どうも最近のカダフィーさんは、脱アラブ、欧米への接近に、急に舵をきったかのようです。

そうした情勢の反映でしょうか、ここ数年外国からの観光客を受け入れるようになり、日本からの団体ツアーも始まりました。
こうして、念願のリビア行きが実現したというわけです。

写真は首都トリポリの超高層ビル
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by kanekatu | 2005-07-19 05:31 | リビア | Comments(2)

憂きな中にも旅の空


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