カテゴリ:チュニジア( 5 )

地中海の光とサハラの風(10)

スベイトラからトズールまで、南西に向かって走りますと、途中から見渡す限りの砂漠、土漠となります。東部サハラです。
早朝ホテルを起きだし、砂漠の真ん中に立って周囲を見渡すと、ほぼ360度、地平線以外は何も見えない。「俺が、ここにいるぞ」と、叫びたくなるような、爽快な気分になります。

トズールはから4WDに分乗して、砂漠の中を疾走すること約1時間、マンテンオアシスに到着しました。かなり大きなオアシスで、森があり、滝があり、湖があります。ヨーロッパから来ていた観光客が、大勢水浴びをしていました。
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北アフリカ最大の塩湖ショットエルジェリドの壮大な景色を眺めながら、
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ドウ―ズに到着、ここで砂漠でのオヤクソク、ラクダに乗ります。
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その後、映画「イングリッシュペイシェント」のロケ現場となったシデイス峡谷
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北アフリカ先住民であるベルベル人が住む、マトマタの横穴住居を見学、
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これまた映画「スターウオーズ」のロケ現場になった。シティドリスの洞窟ホテルを見てまわりました。
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チュニジア観光の最後は、ジェルバ島です。
ホメロスの「オデッセイア」に登場する、ロータスイーターが住んでいたとされる小さな美しい島です。
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チュニジアの旅は、今回で終了です。
次回からは。今回の旅の目的地であるリビア旅行記が、始まります。
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by kanekatu | 2005-07-17 10:54 | チュニジア | Comments(2)

地中海の光とサハラの風(9)

チュニジアは、独立後のブルギバ政権が社会主義経済政策をとっていたため、社会保障は充実しています。教育費や医療費(私立は有料)は無料。小学校1年生からアラビア語、2年生からはフランス語を教えますので、今でもチュニジア人はフランス語を話します。英語は日本と同じで、中学1年からだそうです。
徴兵制があり、20歳から1年間兵役につきますが、家計を負っている若者は免除される仕組みになっています。

首都チュニスの南、約100kmのところに、イスラム教にとって4番目の重要な聖地、ケロアンがあります。
561年 ウマイア王朝(シリア)が、新しい街を作る
670  ケロアンの建設、モスクが建てられる
800  アグラブ王朝の成立、首都ケロアン
ケロアンは、北アフリカのイスラムの発祥地で、アフリカ最古のモスクがあり、世界遺産に指定されています。
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モスクは、内部にメハラップとよばれる祭壇、これがメッカの位置を示していますが、導師が立つメンバルとよばれる階段があり、外部にはミナレットとよばれるタワーがあるのが、特徴となっています。
イスラムの国を歩くと、西暦と共にイスラム暦が表示されています。
622年7月26日、ムハメッドがメッカを脱出した日を、イスラム暦ゼロ年としています。但し1年が353-355日としているため、単純に西暦に換算できません。

チュニジアのほぼ中央に、スベイトラの遺跡があります。6-7世紀の、ビザンティン時代の中心都市でしたが、7世紀以後人がまったく住まなくなってしまい、教会を中心に数多くの建造物が残されています。
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チュニジアの旅は、これからサハラ砂漠に向かいます。
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by kanekatu | 2005-07-14 09:24 | チュニジア | Comments(1)

地中海の光とサハラの風(8)

チュニジアで、右手を大きく地中海に差し出す形でボン岬があります。
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ここに、ケルクアン遺跡があります。紀元前のカルタゴ時代の住居跡で、建物は崩れていますが、街の形は原形を留めています。
城壁、住宅、店舗などがあり、住宅は階段が残されているところから、2階建てであったことが分かります。
又各戸に風呂がついており、文化水準の高さを示しています。
不思議なのは、この街には墓がなかったことで、恐らくは高級別荘地ではなかったかと想像されます。
なにせ、直ぐ脇が地中海ですから、リゾートとしては最高の場所です。
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ボン岬を南下すると、スースがあります。
ここの海岸は、見渡す限りのかなり広いビーチになっていますが、人影は20-30名程度でした。
木製のビーチパラソルに、水着が干したままになっていたり、荷物が置かれたままになっていました。
実にノンビリとした、海岸風景です。
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近くのエルジェムには、世界最大級の円形闘技場が残されています。
3世紀に建てられたローマ遺跡で、観客収容人員が35000名という大規模のものです。
観客席は3階建てになっており、内部を歩いてみると、改めてその大きさに驚かされます。
他国には、もっと大きな闘技場がありますが、このエルジェムのコロセウムは、かなりの部分原形を留めているところに、価値があります。
余り大きすぎて、写真に入らないのが残念です。
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by kanekatu | 2005-07-11 01:48 | チュニジア | Comments(0)

地中海の光とサハラの風(7)

今回のツアーでは、概して観光地が空いていて、日本人グループ(なぜか、海外では顔を合わせたくない)も少なかったのですが、1ヶ所だけナンデ?、と思うくらい混んでいる場所がありました。チュニスのバルドー美術館です。通勤電車みたいでした。
ここは、タイルモザイクのコレクションで、世界的に有名な美術館です。チュニジア各時代の作品が展示されていました。作品の質は、BC3世紀頃のカルタゴ時代のものが最も精巧で、
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ローマ時代以後は、むしろ技術が低下している様子が分かります。

チュニスから少し東側の地中海寄りに、カルタゴがあります。かつては地中海を制覇していたフェニキア人の街で、勇将ハンニバルの活躍は映画などでお馴染みです。
処が、カルタゴ遺跡はやや貧弱です。隣にある、ローマ時代の共同浴場遺跡の方が、遥かに立派なのです。
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実は、現在のカルタゴは、最高級リゾート地となっていて、外国人の別荘や政府高官の住宅が、立ち並んでいます。現在のチュニジアの給料は5万円程度だそうですが、この辺りの高級住宅は2億円もするそうです。この住宅地を掘り返せば、間違いなくカルタゴ時代の素晴らしい遺跡が出てくる、分かっているけど、出来ない。これが実情なのです。そのため遺跡は中途半端(私と一緒で)です。
この中途半端さは、チュニジアを巡って、あらゆる所で感じます。
日本人観光客の評判がイマイチなのは、この辺りに原因があるのでしょう。

チュニジアは、面積は小さいのですが、地中海の海岸線が長い、現在この海岸線に沿って、北部からリビア国境近くまで、リゾート開発が進められています。
ヨーロッパから沢山の観光客が訪れていて、ビキニの腰に布を巻いて、遺跡観光する女性(WOW !)に出会うこともあります。
写真は、代表的なリゾートであるシディブサイド。全ての建物の外装が、白とチュニジアンブルーで統一された街の建物の彼方に、海と空とが溶け合っていました。
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by kanekatu | 2005-07-09 07:05 | チュニジア | Comments(0)

地中海の光とサハラの風(6)

地中海周辺の国を訪れると、どの国でも、“昔は栄えて、ヨーロッパを制覇していた時期がある”という話を聞かされます。
チュニジアもごたぶんにもれず、カルタゴに時代には、地中海の覇権を握っていました。
ここで、簡単にチュニジアの歴史を振り返ってみましょう。

紀元前12世紀   フェニキア人(現在のレバノン)が渡ってくる
     9-2世紀 カルタゴ建国 以後地中海各都市に植民地を建設
     3-2世紀 ポエニ(フェニキア人との混血の意味)戦争、ハンニバルの活躍
    146年    カルタゴ滅亡
紀元 1-5世紀  ローマの殖民都市として栄える
    533年    ビザンティン帝国による支配
    670年頃  アラブの侵入、イスラム化が進む
   1535年    スペイン帝国による支配
   1574年    オスマントルコによる支配
   1881年    フランスの植民地
   1957年    チュニジア共和国の独立

日本と異なり、ヨーロッパ(チュニジアはヨーロッパみたいなもんです)諸国というのは、時々の大国の支配によって、翻弄され続けるのです。
少し煩雑だと思いますが、こうした歴史は、これからの旅行記に関係しますので、一応アタマの隅に置いてください。

写真は、カルタゴ遺跡。
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by kanekatu | 2005-07-07 10:53 | チュニジア | Comments(1)

憂きな中にも旅の空


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