カテゴリ:マルタ( 5 )

地中海の光とサハラの風(5)

19世紀から独立する1964年までの間、マルタはイギリスの統治下に入りました。
第一次世界大戦では、日本軍と共にドイツと闘ったことがあります。ツアーで見学中に、祖父が日本軍に助けられたという男性が、路上で握手を求めてきましたし、島内には日本海軍の戦没者慰霊碑もあります。
第二次世界大戦では、ドイツ軍による6000回に及ぶ空爆を受けましたが、よく耐え抜きました。
この時、ドイツ軍の包囲の中、マルタ人は食糧危機で、餓死寸前まで陥ったのですが、1942年8月15日に連合軍の船が食糧を運んでくれたため、救われました。丁度その日が、マリア様の日で、マルタの人々のマリア信仰は、更に厚くなったそうです。

小学校から英語を教えているので、皆さん英語は話せます(恥ずかしい!)。
そのため、治安の良いことと相俟って、英語の習得のために、留学してくる学生も多いようです。
往きの飛行機で、隣り合わせになった若い日本人女性も、英語のステイに向かうところでした。
このブログにも、たんのさんという英語留学生から、コメントが寄せられています。
帰りの飛行機に、中国人学生の団体が乗っていましたが、皆英語研修でマルタに滞在した人たちでした。
マルタの現地ガイドは、イギリスに統治されたことは、マルタにとって良かったと言ってました。

マルタは、社会保障が充実していて、教育費は小学校から大学まで、無料だそうです。医療費も無料。しかも学生を抱えている家庭には、奨学の補助があり、高校生の場合で入学時3万円、毎月12000円支給されるそうで、これは、マルタの経済水準から見ると、随分家計が助かるそうです。
そのせいか、マルタでは少子化問題は起きていないと、これも現地ガイドの意見でした。
負担の方は、税金と社会保険合わせて25%程度だそうです。
唯一の問題点は、法律で離婚が認められていないことだそうです。これは確かに不便でしょうね。

マルタは、昨年EUの一員となりましたが、今後通貨がユーロに切り替わると、物価が高騰するのではと心配してました。地価は既に上がっていて、今後経済面で様々な影響が出る可能性はあります。
小さな美しい国、マルタ共和国ともこの回でお別れです。
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次回からは、チュニジアの旅行記となります。
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by kanekatu | 2005-07-04 03:52 | マルタ | Comments(2)

地中海の光とサハラの風(4)

マルタを全世界に知らしめたのは、聖ヨハネ騎士団(後に聖マルタ騎士団)です。時は中世、十字軍の時代です。
ヨーロッパ世界は、7世紀ごろからアラブが進出して、イスラムの勢力が強大となります。9-10世紀には。キリスト教徒による聖地巡礼が盛んになり、その途上で病人となった人々を看護する施設が、建てられるようになります。ここに、当時の貴族の二、三男が、今でいう看護士となって、病人の看護をするようになります。しかし、そうした施設でさえ、敵に襲われることがありましたので、その看護士達は、次第に武装するようになります。これが騎士団の始まりです。
1096年に十字軍が結成され、1099年には聖地を奪還します。
13世紀に入ると、オスマントルコが進出してきて、ヨハネ騎士団はギプロス・ロードス島に渡り、更にそこを追われ、1530年このマルタにやってきます。
1565年、この地にオスマントルコが大軍を派遣してきますが、壮烈な攻防の末、ヨハネ騎士団は、オスマントルコを撃退します。
この戦いの教訓から、ヨハネ騎士団は、ヴァレッタに強固な要塞都市を築くのです。
海岸線を城壁で囲み、
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周囲を、幾重にも深い堀と高い城壁を巡らし、
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街の中は、縦横に整然と仕切られた道路を建設します。
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こうして、1798年に騎士団がマルタを去るまで、ヴァレッタは城砦都市として栄えます。
現在でも、騎士団長の宮殿を始め当時の建物の多くがそのまま残されていて、
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街全体が世界遺産に指定されています。

その後のマルタ騎士団ですが、1834年にローマに本部を置き、現在でも国土無き国家として、世界44カ国に大使館を置いているというのは、今回の旅行で初めて知りました。
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by kanekatu | 2005-07-02 06:01 | マルタ | Comments(0)

地中海の光とサハラの風(3)

地中海に浮かぶマルタの海の美しさは、古代の人々をも魅了したに違いありません。
ゴゾ島にある、ガンティア神殿は、BC3600年頃に建てられたと推定されています。つまり
エジプトのピラミッドを遡ること約1000年ですから、世界最古の巨石文化といえます。
シチリア島から移住した人々が建造したものと考えられていますが、新石器時代に、約10tもの巨石を、どのようにして積み上げたのか、未だに謎です。
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マルタ島には、ハガールキム神殿があります。やはり巨石文明ですが、こちらはやや新しく。BC3000年頃の建造と推定されています。
やはり時代が新しい分だけ技術が進んでいました。巨石も、大きいものでは最大20tに達していました。
それと、男性のシンボルを象徴したと見られる、長い石がそそり立っていました。
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その男性シンボルの丁度反対側の奥の隙間に、女性のシンボルを象ったと思われる、デルタの形の石が見えます。
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これが、BC2500年頃に建てられたとされるタルシーン神殿になりますと、石と石の間が、ピッタリとついています。
建築技術の進歩は、歴然としています。
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伝説の世界では、有名なホメロスの「オデッセイア」で、英雄オデッセウスを虜にして、洞窟に閉じ込めてしまう妖精カリプソにまつわるカリプソの洞窟が、ゴゾ島にあります。
(写真の女性は、カリプソではありません)
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もちろん証拠は無いのですが、そうした伝説を生み出すだけの魅力が、この島にはあります。
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by kanekatu | 2005-06-30 01:31 | マルタ | Comments(0)

地中海の光とサハラの風(2)

マルタ、正式にはマルタ共和国。長靴の形のイタリアが蹴ったボールがシチリア島ですが、その南にある、日本で言えば淡路島くらいの大きさの島国です。ヨーロパの地図で見ても、点でしか書かれていません。主な島はマルタ島とゴゾ島です。
最初旅行日程を見たとき、こんな小さな島に4日間もと思ってましたが、どうして見所の多い国です。

マルタの魅力は、先ず地中海、古代遺跡と神話、そしてヨハネ(マルタ)騎士団でしょう。
マルタは、地中海のほぼ中心に位置する島国ですから、水がきれいです。スペインやイタリア、エジプト、トルコから見た地中海も良かったのですが、水の透明度が違います。そして勿論、空の色がきれいだということでもあります。
フェリーや
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ボートに乗って
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海の色の変化を眺めているだけでも楽しい。
マルタに限らず、遺跡の多くが地中海に面して建てられていました。古代人だって住処は、眺めの良いところを選んだのでしょう。
アズルウィンドウという岩で出来た窓から見える海、
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アパバラッカーという小高い丘の上から見た海、
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そして沢山の漁船が浮かぶ港の海、
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地中海の美しさを堪能しました。
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by kanekatu | 2005-06-28 06:23 | マルタ | Comments(2)

地中海の光とサハラの風(1)

2005年6月4日から20日まで、マルタ、チュニジア、リビア三国に行ってきました。
15年以上前になりますが、以前勤めていた会社の同僚が、仕事でリビアに行き、やあすごいローマ遺跡があるよと聞いてから、どうしても一度リビアに行きたいと思っていました。
長らく国際舞台から孤立していたリビアが、最近ようやく外国の観光客を受け入れ始め、2年ほど前から、日本からのツアーも開始しました。でもどうせなら、あと10万円費用を上積みして、周辺国をパックしたツアーをと、いつもの貧乏根性が出て、今回の旅行となりました。
ちなみに旅行会社はクラブツーリズム、ツアコンはベテラン添乗員の林屋凉三さんです。中年男を絵に描いたような体形の林屋さんは、豊富な知識とユーモアで、終始私たち参加者を楽しませてくれました。

ヨーロッパの歴史は、地中海の歴史といっても良いでしょう。今回の三国の共通点は、その地中海に面していることです。全工程の殆どに地中海が顔を出していました。浜辺から、丘の上から、船から、港から、更に遺跡の向こうから、様々な角度からの地中海を堪能した旅でもありました。
そしてもう一つの主役は、北アフリカに大きく広がるサハラです。このサハラを舞台にして、様々な歴史が繰り広げられてきました。地中海とサハラ、これが今回の旅のテーマです。

航空機は往復ともエミレーツ、トランジットはドバイ空港で、私はいずれも初めてでした。
エミレーツ航空ですが、先ず機材が新しいのが良い。それから機内サービスですが、私が今まで団体ツアーで利用した海外の航空会社では最高点です。
日経などで、航空各社のサービス比較を発表していますが、ビジネスクラス以上の、サービスを受けて当たり前の利用者アンケートが主です。団体ツアーのような、単なるツメモノである客に、どれだけのサービスが提供しているかが、私たちにとっては大事な尺度です。
イラン航空やヨルダン航空(ワースト1)、エジプト航空など、全般にサービスの悪い中東の航空会社の中で、エミレーツが短期間に業績を伸ばしたのは、十分うなずけます。

エミレーツは、ドバイをハブ空港として、アジア各国と欧州、アフリカ、中東各国を結んでおり、この戦略が当たったのでしょう。ドバイ空港の繁盛ぶりを見て、それをつくづく感じました。
アジアではどうでしょうか。本来は日本が、その役割を負うべきであったと思います。都心へのアクセスの良い場所に、24時間利用できるハブ空港をつくっておけば、今日のように香港やソウル、バンコクの後塵を拝するような事態は避けられた筈です。
首都の空港としては、世界最悪との評判の高い、成田空港に固執してきたばかりに、日本は大きなビジネスチャンスを失いました。日本の無能な運輸行政の、ツケがいま回ってきています。

写真は、ゴージャスでピカピカのドバイ空港です。広いいけれど、利用者に分かり易い構造になっていました。
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by kanekatu | 2005-06-25 03:17 | マルタ | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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