カテゴリ:インド( 10 )

三度のインド(デリー編・最終回)7

いよいよインド観光の最終日を迎えました。いつもの事ながら終わってみればアッという間です。
早朝にアグラをバスで出発、およそ5時間で首都デリーに到着。気温が低いのと霧が濃いのに驚きました。ここはインドか? バスに暖房装置が付いてないので車内でもコートを着ていました。車窓の景色ですが、写真の様に何も見えません。前を走る車のテールランプすら見えない状況で、この状態は昼過ぎまで続きます。インド北部に行かれるならこの時期は避けた方が良いでしょう。
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デリーの見所は多いのですが、今回の観光は3カ所だけで、先ずは「レッド・フォート(赤い砦)」の愛称を持つ「ラール・キラー」へ。但し下車観光で外から眺めてだけです。
この城はムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが首都をアグラからデリーに移した際に建設したもので、1648年に完成。
名前の通り赤砂岩を積みあげた建築物です。
門と、
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全長2㎞の城壁。
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霧の彼方に浮かぶのは第一次世界大戦の戦没者の慰霊碑である「インド門」(ムンバイの門とは別)で、高さ42mの威容を誇っています。
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ニューデリーは緑の多い街です。
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この辺りは官庁街で議会や中央省庁、首相官邸などが立ち並んでいます。
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昼食はニューデリーの和風中華レストランでした。
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メインは水炊き鍋でしたが、塩味しかしなくて美味いとは言えません。大使館の人たちも来ると言ってましたが本当かな?
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午後からの観光は「フマユーン廟」です。
ムガール帝国第2代皇帝フマユーンのために妃が建てたお墓で、1565年の完成。
中央にドームを頂いた左右対称の建築様式はインド・イスラム建築の傑作とされ、後年のタージ・マハルのモデルとなりました。
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大理石の大きな棺は皇帝、小さな棺は妃のもので、遺体はそれぞれの真下に埋められています。
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オールドデリーに入ると、いかにもインドという光景が広がっています。
バザールの駐車場に並んだバイクと乗用車。
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そしてオートリキシャー。どこを見ても人人人です。
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インドでの最後の観光は「クトゥブ・ミナール」です。
インド最初のイスラム王朝である奴隷王朝(1206-1290)のスルタン、クトゥーブディーン・アイバクによって建てられたもので、ミナールとはミナレット(尖塔)の事です。
尖塔は高さが72.5mで、5層になっています。直径は基部が14.3m、先端部が2,7mで、下の3相は赤砂岩、上の2層は大理石と砂岩で出来ています。
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1層目は円形と三角形が繰り返される構造になっており、表面にはコーランを図案化したデザインが彫刻されています。
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尖塔の右にあるのがアラーイー・ダルワザで、かつての正門です。
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中庭にある鉄柱は高さ7m、3-4世紀のグプタ朝時代に造られたとされ、表面にはサンスクリット語が書かれています。
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アラーイー塔はハルジー朝のスルタンがクトゥブの2倍に高さのミナールを建てようと工事を始めたが途中で暗殺されてしまい、そのままになったものです。
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他にもイスラムらしい建築物がいくつか見られます。
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かなりの駆け足でインドの世界遺産を巡ってきました。
以下にその12か所を列記します。
・クドゥブ・ミナール
・フマユーン廟
・レッド・フォート
・タージ・マハル
・アグラ城
・ファテープル・シクリ
・ジャンタル・マンタル天文台
・アンベール城
・エレファンタ石窟寺院
・チャトラパティ・シヴァージ駅
・アジャンタ石窟寺院
・エローラ石窟寺院
それぞれ見応えがあり、インドの文化遺産の素晴らしさを改めて認識することが出来ました。

今回のキャリアはエア・インディアで、往復ともビジネスクラスでした。昔に比べ機内や空港は格段にキレイになりましたが、サービスの悪さは相変わらずです。これはインドの文化そのもので、買い物に行っても店員は無愛想で、ツアー客の中には腹を立てた人もいましたがお国柄だから仕方ありません。
しつこい物売りに閉口し、乳児を抱えた物乞い、幼い子供たちの物乞いは心が痛みます。
そうした全てがインドであり、インドの魅力でもあると考えます。
外部の人間から言わせて貰えば、先ずは初等教育の義務化を徹底させ、全ての子どもたちが無償で学校で学べるようにすることが何より先決だと思います。

以上でインド旅行記を終わります。
最後までお付き合い頂いた方々に御礼申し上げます。

―終り―
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by kanekatu | 2016-02-14 11:06 | インド | Comments(1)

三度のインド(アグラ編)6

観光6日目は早朝ジャイプールをバスで出発し、約5時間かけてアグラに向かいます。バスの長時間移動はキツイ面もありますが、車窓から観光地では分からない市民生活が見られるので楽しみですが、北インドはこの時期霧が濃くて外が見えないのが残念でした。
途中、アグラ近郊の世界遺産、ファーテブル・シクリに立ち寄り。 ムガール帝国の第3代皇帝アクバルは聖者の予言通りに世継ぎが生まれたのを記念して、1571年にこの地を首都に定めました。約5年かけて都を造り、壮大な城を建てました。
しかし水不足が原因で14年後にはこの都を立ち去ることになり、都城の遺跡もほとんど痛まない状態で残されています。
城内は赤砂岩で出来た建物が並びます。
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アクバル帝の意向により建築様式はヒンドゥーとイスラムを融合したものになっています。
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池の中央にある舞台で舞踊などが披露され、手前の建物で皇帝夫妻がこれを見物していました。
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天井には細かな彫刻が施されています。
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アグラ市内の風景ですが、ゴミは処分されず道の端に高く積まれていました。
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市民の標準的な家屋です。
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ここでテント生活をしている人々は農繁期になると近くの畑の手伝いをしているそうです。周囲に見える動物は全て野良。
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列車ですが、誰かが、まるで護送車みたいとつぶやいていました。
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1階が店舗の家では2階が住居になっていますが、屋根のない家も見受けます。
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マーケットは大変な人出です。
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牛も野良で、ゴミからエサを漁っていました。痩せてますね。
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いよいよアグラ観光の最大の目玉、タージ・マハルです。私は3度目となるので左程の感慨はなかったのですが。
正門です。
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外観から宮殿と思われがちですが、実際はムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの妃ムスターズ・マハルのお墓です。名称の由来も妃の名からきています。
1631年に皇帝が亡くなった妃を悼んで建てたもので、世界各地から貴石を取り寄せ職人を集め、22年間かけて1653年に完成させました。
しかしあまりに膨大な費用をかけたため国が傾き、皇帝は自分の息子に幽閉されてしまいます。
全景です。
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脇にあるモスク。
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タージ・マハルの建物で、全てが大理石で造られ、模様は貴石が象嵌技法で埋め込またもの。大理石だけで建てられたものとしては世界最大の建築物と思われます。
何度見ても圧倒されますね。
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直ぐ裏はにはヤムナ川は流れています。資材の運搬はこの川を利用したのでしょう。なおヤムナ川はここから下流でガンジス川と合流します。
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アグラ城は皇帝アクバルによって1565年に建てられたムガル帝国の権力象徴です。
濠を渡ってアマル・スィン門から中へ入ります。
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正面に見えるのはジャハンギール宮殿。
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これも宮殿の一つ。
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一般謁見の間。
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装飾はタージ・マハルと同様の大理石に貴石の象嵌がなされています。
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ここはヤムナ川を挟んでタージ・マハルの対岸となりますが、後年シャー・ジャハーン皇帝が息子によってこの城に幽閉されます。きっと遥かに見えるタージ・マハルを眺めながら思いを馳せていたことでしょう。

次回は最終日のデリー観光です。
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by kanekatu | 2016-02-11 09:23 | インド | Comments(2)

三度のインド(ジャイプール編)5

早朝にデリーを出発しバスでおよそ5時間半かけてジャイプールに到着。ジャイプールは1728年にこの地方に勢力をもっていたサワイー・ジャイ・スイン2世によって造られたもので、王の名のジャイと、城壁に囲まれたを意味するプールという言葉から街の名がつきました。
王様の好みで旧市街の建物の色をピンクに統一させた所から「ピンク・シティ」と呼ばれています。
最初の観光はジャイプール郊外にある「アンベール城」です。
バスを降りてここからジープに乗り換え城に向かいます。
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アンベール城は16世紀に建てられて、当時はアンベール王国の首都でした。手前の湖は人造湖です。
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ジープの替りに象に乗って行く人もいます。ここが入り口。
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城の中庭。
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城内の各施設は風通しが良く、また直射日光が入らぬよう設計されています。
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鏡を散りばめた幾何学模様の装飾が見事な鏡の間(勝利の間)です。
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アンベール城の裏の一段高い山の上にあるのはジャイガル要塞で、この城よりもう一回り大きいそうです。
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人造湖に浮かぶ水の宮殿。王様は夏はここで過ごしたそうです。
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昼食は野菜カレー、チキンカレー、マカロニカレーとナン。これにスイーツと紅茶が付きます。見た目より美味です。
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「風の宮殿」は彫刻を施したテラスがびっしりと並ぶ豪華なデザインで知られ、かつて宮廷の女性たちがここから町を見下ろしていたそうです。風通しが良い所からこの名が付きました。
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今もマハラジャが暮らす「シティ・パレス」の一部。
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ジャイプールの街を築いたマハラジャ、ジャイ・スィン2世は天文学に造詣が深く、1728年にこの地に巨大な天体観測装置を造りました。これが「ジャンタル・マルタル天文台」です。太陽や月の運行を正確に計り、星座を観察しました。占星術が盛んなインドでは現在もこの観測儀が使われています。
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ここからジャイプールの市街の様子を紹介します。
新市街
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旧市街で、建物はピンク一色です。
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旧市街に入る城門です。
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インド名物、牛の散歩です。
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蛇使いと戯れる外国人観光客。よく平気ですね。
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バスを待つ人々。実に様々な恰好をしています。
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次回はアグラです。
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by kanekatu | 2016-02-08 03:40 | インド | Comments(2)

三度のインド(エローラ編)4

「エローラ石窟群」は、オーランガバードの西北30㎞にあるエローラにある岩を掘って作られた石窟寺院群です。
34の石窟が、シャラナドリ台地の垂直な崖に掘られており、5世紀から10世紀の間に造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院や修道院(僧院、僧坊)などから構成されています。仏教寺院(仏教窟)の数は第1窟から第12窟、ヒンドゥー教寺院(ヒンドゥー教窟)は第13窟から第29窟までの17窟、ジャイナ教の寺院(ジャイナ教窟)は第30窟から第34窟までの5窟となっています。それぞれ石窟は近接している上に作られた時期も重なっています。
それぞれ100年以上かけて人力だけで造ったもので、巨大岩盤に綿々と掘り下げた人間の叡智と努力の結晶と言えましょう。

ヒンドゥー教ですが、ヒンはヒマラヤ、ドゥーは海を指すのだそうで、インド的な複数の有神教宗派の教徒の総称です。ヒンドゥー教徒の数はインド国内だけで8.3億人に達し、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で第3番目の宗教です。
ジャイナ教は紀元前5世紀頃に興き、特にアヒンサー(不害)の誓戒を厳守するなどその徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教です。およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け、今日もなお少数ながら無視できない信徒数を保っています。私も一度ジャイナ教の信者に会ったことがありますが、身体に蚊や蠅がたかっても追い払うだけで決して殺さないそうです。
仏教も紀元前5世紀頃に釈迦が開いたものなので、ほぼ同時代と言えます。

初めにお断りしておきますが、普段使っていないカメラだったせいか設定が悪く、途中まで失敗ばかりしていていました。ジャイナ教と仏教窟の写真が少ないのはそのためです。
ジャイナ教窟から見学を始めました。
石窟の入り口。
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本尊の像と思われます。
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彫刻です。もっと繊細な作品が沢山ありましたが、残念ながら撮影に失敗しました。
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象の彫刻です。32窟も上から掘り下げて造っているので天井がありません。
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10窟は代表的な仏教窟で、ストゥーバを祀るための寺院です。正面のストゥーバの前には大きな仏像が足を開いた形で置かれていて、7世紀頃からはストゥーバ自体が次第に目立たなくなっていた事が窺われます。
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天井部分に施された細かな彫刻です。
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エローラ石窟群の中で最大の見ものはヒンドゥー教窟の第16窟で、通称「カイラーサナータ寺院」と呼ばれています。この石窟の特長は巨大な一枚岩を上から掘り下げて造ったもので、8世紀の中ごろに当時の石工たちがノミだけを使って約100年かけて彫ったものです。
当然、設計図が無ければ出来ないし、強度計算も必要だったでしょう。そう考えるとその当時から高い技術水準を保っていたという事になります。
カイラーサナータの入り口。
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塔門。
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象の彫刻で、後方は宮殿。
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基壇の宇宙を支える像たち。
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右がスタンバで石柱の高さは17m。左がナンディ堂でシヴァ神に仕えるナンディ牛が安置されている。
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本堂の裏に並ぶ小堂。
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細かな彫刻の一部。
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寺院外壁に彫られたラーマーヤナの彫刻。
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シヴァ神とパールバティ像と思われる。
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カイラーサナータの一部。全体はこの画像のおよそ4倍ほどになる。
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感想としては、人間の力の崇高さに頭を垂れる思いです。

昼食は「ターリー」と呼ばれるインドの定食料理で、大皿の上に数種類のカレーの入った小皿と、ナンやチャパティ、プーリーなど主食が一緒に乗せてあります。
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夕方にオーランガバードからエア・インディア442便にてデリーに移動。夕食は焼き物のタンドゥーリ料理でした。
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私はナンとカレーさえあれば十分という性質なので、料理には不満がありません。
アルコールはビールだけで、昼食は大瓶で350-500Rs、夕食は小瓶で900-1000Rsが相場でした。

次回はジャイプールです。
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by kanekatu | 2016-02-05 09:20 | インド | Comments(2)

三度のインド(アジャンタ編)3

オーランガバードはデカン高原に位置する都市で、エローラやアジャンタ遺跡の観光拠点になっています。
街の名前はムガル帝国第6代帝オーラングゼーブ帝からとったもので、当時の遺跡も残されています。写真は庶民のタクシーとして使われているオートリキシャー(日本の人力車が語源)です。一度乗った事がありますが窓がなくクッションもないので乗り心地が最低でした。
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市内からバスで2時間半ほどでアジャンタ石窟の駐車場に着き、ここからシャトルバスで入り口に向かいます。

「アジャンタ石窟」は、デカン高原西北部・サフヤドリ連丘の谷間を馬蹄形に湾曲して流れるワーグラー渓谷沿いに、幅600mにわたって断崖を穿って建造されたインド最古の仏教石窟群です。この遺跡の特長は内部に描かれた壁画で、インドでは古代から壁画技術が発達していましたが、高温多湿という気象条件から残っているものは皆無に近い。例外のはここアジャンタ石窟で、乾燥地帯という風土がその理由です。
石窟寺院は大きく二つに分かれ、一つは紀元前1世紀頃の前期窟で上座部(小乗)仏教期のもの、もう一つは紀元5世紀頃の後期窟で大乗仏教期のものです。
その後の戦乱で石窟寺院は放棄されジャングルに埋もれて忘れ去られていました。1819年に虎狩でこの地に来たイギリス騎兵隊仕官がここを発見し、再びその姿を現しました。
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アジャンタ石窟は全部で29窟あるとされていますが、代表的ないくつかの石窟寺院を見学しました。
中でも有名なのは紀元6世紀頃に造られた第1窟で、とりわけ蓮華手菩薩の壁画は傑作とされ、法隆寺金堂内陣の装飾に見られる菩薩像のオリジナルとして知られています。
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柱の上に彫られた鹿と飛天像。
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これらは全てブッダの生涯を描いたものですが、具体的に何を描いたのか把握できません。何せ人ごみの中薄暗い場所で撮影するので被写体が上手く捉えられません。
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本尊のブッダ像です。
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第10窟は紀元前1世紀頃の時期のもので、正面にストゥーバが置かれている簡素なもの。上座部仏教期なので仏像はありません。
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天井の梁の部分に描かれた仏画は後期に書き足されたものの様です。
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第19窟は後期のもの。入り口に装飾された彫刻が凄い。
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内陣のストゥーバは仏像と一体化していて、その先端は天井に届いています。後期の特徴を示しています。
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柱の上にはこうした細かな彫刻が施されています。
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第26窟は未完に終わっていますが、インド最大の釈迦の涅槃像が彫られています。
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写真ではアジャンタ石窟の魅力の一部しか伝えられませんので、興味のある方は是非現地に足を運んでください。

オーランガバード市内に戻って、ムガール帝国の6代皇帝オーラングゼーブが妃を偲んで建てた「ビービー・カ・マクバラー」を見学。タージ・マハルを模して建てたので「ミニ・タージ」とも呼ばれ多くの観光客で賑わっていましたが、本家には遠く及びません。この頃には帝国の財政も厳しくなっていたからです。
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市内のマーケットの風景です。映画の看板が目立ちます。
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現地の母子の写真です。お母さんは美人ですね。
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次回はエローラ石窟です。
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by kanekatu | 2016-02-01 11:04 | インド | Comments(2)

三度のインド(ムンバイ編)2

この時期のインドの午前7時は夜が明けきっておらず薄暗い中でのバス出発です。港へ向かう途中でようやくビルの間から朝日が昇るのが見えてきました。風景がぼやけて見えるのは霧のためで、この時期のインドでは朝は必ず霧が出ていて、ひどい時は昼近くまで続きます。
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ムンバイはインド最大の商業都市であり、港湾都市としてインドの玄関口の役割を果たしています。
最初の観光は国内交通の要所である「チャントラパティ・シヴァーシー駅」(旧名「ヴィクトリア・ターミナス」)で、駅舎は1887年に建てられたコロニアル様式の建物です。世界遺産。教会を思わせる外観ですが、逆光のために分かりづらいのが残念。
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「インド門」は1911年にイギリス王夫妻がインドを訪れた際の歓迎式典のために建てられたもので、以後もイギリスの要人がインドを訪問した時の式典会場として使われてきました。グジャラート様式で材料は玄武岩。こちらも世界遺産です。
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インド門近くの船着場からエレファンタ島へ向かう船に乗船しました。海はアラビア海です。海側から見たインド門と、後方は「タージマ・ハル・ホテル」で左が本館、右が新館です。このホテルは19世紀末にインド最大の富豪だったターターによって建てられました。当時、インドの一流ホテルにはインド人が入れなかった事からターターが世界に通用するホテルの建設を企画し、ヨーロッパの技術のすいを集めて1903年に完成させました。このホテルの部屋から見るアラビア海の姿はまた格別です。なぜ知っているかというと、エヘン、約30年前にこのホテルに宿泊した事があるからです。
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エレファンタ島までは船で1時間ほどかかります。途中でパイプラインが見えたのは石油の採掘でしょうか。インドのエネルギー自給率は30%位だそうですから、石油は取れるんですね。
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エレファンタ島の船着場からは可愛らしいトイトレインに乗って「エレファンタ石窟」の入口へ。
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エレファンタ石窟は古代ヒンドゥー教寺院遺跡で6-8世紀にかけて建てられたと見られています。世界遺産です。16世紀にポルトガル人がこの遺跡を発見しましたが、彼らはヒンドゥ-教を嫌っていて、鉄砲で多くの仏像を破壊してしまいました。像の大半はシヴァ神で、写真の中央後方に見えるのは男根像です。
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幸い第一窟のシヴァ神半身像だけは原形をとどめていて、当時の彫刻技術の高さが窺えます。
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他にいくつか保存状態の良い彫刻を紹介します。
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エレファント島から再びムンバイの市街に戻り、町の様子を車窓から見学。
派手な車両が見えたのでガイドに訊いたところ、サイババ信仰の車だそうです。今でもサイババは人気が高いとか。そう言えばかつて自分はサイババの弟子だと言って記者に突っ込まれたら「それはサイババの勝手なんですよ」と答えたグル高橋とかいうオッサンがいたっけ。
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この辺りは高級リゾートが立ち並ぶ海岸です。
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こういう光景に出会うとインドに来たという実感がわいてきます。この近くに世界で5番目という大金持ちが所有する超高層ビルがあります。
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高級住宅地にすぐ近くに大きなスラムがある所がインドの特徴です。昔とあまり変わっていない様ですが、パラボラアンテナが眼につきます。
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午後からはムンバイ14時50分発のエア・インディア442便にてオーランガバードに移動です。
ムンバイ空港の入り口です。
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内装もとても凝っていて、照明器具が花の形になっていて蕾が開いたり閉じたりしていました。この他に空港内に日本庭園を模した施設が置かれていたり、30年ほど前の「汚い臭い」というイメージは一掃されていました。
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オーランガバード空港にはほぼ定刻通りの16時過ぎに到着。レストランで初めてのインドでの夕食です。ビールが小瓶で500Rs(約1000円)と非常に高いのに驚きました。この価格はどこでもほぼ変わらず、恐らくはビールの値段はインドが世界一ではないでしょうか。
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夕食はカレーで、これは最後まで同じでした。
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次回はアジャンタ観光です。
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by kanekatu | 2016-01-29 07:11 | インド | Comments(2)

三度(みたび)のインド(2016/1/13-1/20)1

1月13日から8日間の日程でインドのツアーに参加しました。参加者は13名、旅行社はクラブツーリズム、添乗員はSさんでした。
インド訪問は過去、30年ほど前に一度、11年前に一度と、今回が3度目になります。最初に訪問した時にはあまりの不潔さと暑さに参り二度と来るかと思ったのですが、三度目になったのはそれだけインドという国に魅力があるからだろうと思います。
今回は暑さを避けるためと、この時期が乾季である所から1月を選びました。

今回の旅の目的はズバリ、インド中央部に位置するデカン高原にある二つの宗教遺跡―アジャンタ石窟とエローラ石窟―の見学です。インドを、と言うよりは世界を代表する宗教遺跡ですが、ようやく訪れる事が出来ました。

下にインドの地図を掲げますが、東西と南北の端から端までの距離でいえばヨーロッパの主要部がスッポリと埋まる程の長さの大国です。
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正式国名はインド共和国。政治は連邦共和国で州の権限がかなり強い。観光バスが州をまたがる時に州税を支払う姿が見受けられました。首都はニューデリー。
国土は329万㎡で世界7位、人口は13億人を突破し世界2位ですが中国を追い越すのは時間の問題です。
人種はトルコ・イラン系、インド・アーリア系、ドラヴィタ系、モンゴロイド系などに分かれます。
宗教の割合はおよそ次の通り。
ヒンドゥー教 80%
イスラム教 14%
キリスト教 2%
シーク教 2%
仏教 1%
ジャイナ教 0.4%
仏教徒が少ないのが驚きです。
言語はヒンディー語が公用語で、他に州の公用語として認められているのが21語あります。インドの紙幣に沢山の言語が書かれているのはこのためです。英語は準公用語で、かなりの人に英語が通じます(通じないのは、コチトラの方)。
識字率は74%と読み書きが出来ない人が全体の4分の1に達していますが、地域差が大きく南部のケララ州では30年程前で識字率が100%と言われていました。
国民一人当たりのGDPは4060ドルですが、現地で聞いた勤労者の平均年収が約6000ドルとのことでした。
通貨はルピー(Rs)で、現在のレートはRs1=1.8円。
インドといえばかつては貧しい国というイメージでしたが、今では中国と並ぶ新興国として世界経済のけん引役を期待されています。

成田での団体集合時間は午前9時でしたが、私はいつも1時間前には着くようにしています。もし途中で電車事故があっても1時間の余裕があれば通常は遅れずに済むからです。現に昨年8月に中国へ行った時は事故に引っ掛かりましたが何とか時間に間に合いました。
旅程は成田空港発11時30分のエア・インディア307便で17時50分デリー空港に到着。そこからデリー発20時のエア・インディア805便に乗り継ぎ、22時15分にムンバイ空港に到着しました。
感心したのはデリーームンバイ間の国内便がほぼ時間通りだったことです。この後も3回エア・インディアの国内便を利用しましたが遅れは最大で1時間程度で、以前に比べれば夢の様です。
空港もかつての汚い臭いというイメージは一掃され、近代的な設備に生まれ変っていました。
現地ガイドはサルマさんで、スルーガイドです。
空港内にいる時はこれがインドかと疑う程でしたが、バスでホテルに向かうといきなりスラムが眼に入りやっぱりインドだと実感できました。
ムンバイのホテルに到着し荷物整理しシャワーを浴びて就寝したのは現地時間で午前0時を回っていました(日本との時差は3時間30分)。翌朝は5時45分にモーニングコール、6時より朝食で出発が7時ですから大忙しです。
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by kanekatu | 2016-01-26 10:07 | インド | Comments(2)

インドへの旅(3)

現在インドはIT先進国として脚光を浴びつつあります。
しかし、それは南インドのバンガロール
(前回訪問しましたが、日本でいえば丁度軽井沢の様な避暑地です。)
を中心とした一部の地域に限定されています。
IT産業の興隆は、インド経済全体の成長には寄与していますが、
失業率30%という、深刻な雇用問題の改善に役立っているとは思えません。
この点は、中国が世界の製造工場となって、膨大な雇用を創出し、
多くの人々の働く場所を確保しているのとは対照的に見えます。

インドの人口は既に2000年には10億人を突破して増え続け、
中国を追い越して世界一になるのは、時間の問題でしょう。
出口の見えないインド、
将来も混沌です。

今回のツアーは16名で、最年少者は私(老人デビュー)、
最高齢は78歳という年寄集団でした。
訪れた国は60数ヶ国というオジイサン
キリマンジャロに登ってきたというオバアサン
英語が殆ど喋れないのに、一人でバスを乗り継いで、
アメリカ大陸を20日間かけて横断してきたオジイサン、
果ては、シルクロードを中国からトルコまで5000km
自転車で走破した(チャリで3000mの山越えをしたとか、WOW!)
オジイサン。
こうした旅の(人生の)達人に囲まれると、
私など、まだまだ洟垂れ小僧です。

写真は、カジュラホ寺院の彫刻
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by kanekatu | 2005-05-19 22:02 | インド | Comments(0)

インドへの旅(2)

衛生状態が悪く、野菜果物でもなま物は口に出来ません。
ホテルの浴室では、お湯が出ないことなどザラです。
旅行中は絶えず蝿と蚊にたかられ、
それよりシツコイ物売り、物乞いに付き纏われ、
砂埃にまみれながら、観光することになります。

勿論、インドのこういう所が堪らなく好きという人もおりますが。

確かにタージ・マハールの美しさは、世界にも類例が無いでしょう。
カジュラホの寺院の彫刻群は、眼を瞠るものがあります。
シンドゥー教の聖地ベナレスで、沢山の人々がガンジス河で沐浴している光景は
実に感動的でした。
しかし、良い所ですよ、是非行ってらっしゃいとはいう気分にはなれません。

インドの現状は混沌です。
私にとって、10数年ぶりのインド訪問でしたが、
人々の生活は、外観上大きな変化は見られません。
少なくとも、良い方向に向かっている兆候はありません。
宗教、人種、民族、地域の対立が複雑に絡み合い、
それが、隣国パキスタンやバングラディッシュとの対立にも繋がっています。
それに何よりカースト制度が、現在も国民生活を支配しています。

写真は、アグラのタージ・マハール
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by kanekatu | 2005-05-17 13:33 | インド | Comments(0)

インドへの旅(2004/4/1-2004/4/8)

2004年4月1日から8日間インドに行って来ました。
インドへ来た旅行者の殆んどの人は、
着いた翌日には何でこんな所に来たのかと後悔し、
帰国日には、もう二度と来ないぞと決意を固めます。
旅に快適さを求めるとすれば、その対極がインドです。

まず暑い。4月始めの時期なのに連日40℃を越えていました。
(現地では昨年46℃を記録したとか)
日中路上に寝転んでいる人も、犬も、暑さで全く身動きしません。

それにニオイです。
初めてインドの空港に着いた人が発する第一声は、大概”この臭いは何?”です。
このインド全体を覆う臭気は、身体を洗わない、洗濯をしない人々の体臭であり、
路上を闊歩する牛、馬、山羊、犬が撒き散らす排泄物の臭いであり、
屎尿処理施設やゴミの回収制度が無いことから生じる様々な悪臭であり、
そうしたものが渾然一体となって、インドの臭いを形成しています。
当然道路は汚く、時々ゴミ処理場の中を歩いているような錯覚に陥ります。

そして貧困。
眼を覆わんばかりの貧しさです。
世界にはインドより貧しい国や人々もいる筈ですが、
(ガンボジアの貧しい地域では、7-8歳までの子供は全員全裸でした。
それに対してインドでは、いくらボロでも衣類は身に着けています。)
インドの貧困は、眼にチリチリと焼きつくような貧しさです。
特に義務教育制度が無いことから、沢山の幼い子供達が力仕事をさせられたり、
あるいは物乞いをさせられたりしているのは、見ていてとても辛い。

写真は、ベナレスでのガンジス河の水浴
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by kanekatu | 2005-05-14 20:11 | インド | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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