カテゴリ:国内旅行( 24 )

「アパホテル」の感想

昨年12月1日に、国内ツアーで初めてアパホテル大垣駅前に宿泊した。
ツアー料金を低く抑えるためかも知れないが、今までツアーで泊まった中では最低のホテルだった。
清掃が行き届いておらず、清潔感がないのが先ずダメ。
そしてもう一つ、机の脇の壁掛けに本が飾られていた。珍しいなと思って手に取ると『理論近現代史学II』という書籍だった。中身を見ると学術的なタイトルとは異なり、南京事件を否定する内容だった。
後から調べたら、何のことはない著者はアパグループ代表の元谷外志雄のようだ。
自分の会社が経営するホテルの客室に、自分が書いた本を飾るという神経を疑う。
因みに南京事件については、2006年の日中首脳会談で歴史共同研究を行うことが決まり日中共同研究が行われ、2010年1月に報告書が発表された。日本・中国双方とも戦時国際法違反の虐殺があったとするが、日本側は規模は不明確とし、中国側は大規模でありえたと記述している。

南京事件には様々な意見があり、それを著作として出版したり、色々なメディアに発表するのは自由だ。
しかし、オーナーの立場を利用してホテルの客室にまで飾るのは常軌を逸していると言わざるを得ない。
ホテルの客室は、宿泊客が心身ともに安らぐ場所だ。
最近はあまり見かけなくなったが、かつて多くのホテルに聖書が備えられていた。ホテルは不特定多数の方が利用するので、信仰する宗教も異なる。そこにキリスト教の聖書を置くというのは反対だった。
ただ、聖書は机の抽斗に収納されており、アパホテルの様に壁に掛かっていないだけマシではあった。
旅行社のツアーアンケートに、今後アパホテルは利用しない方が良いと書いたが、個人として二度と宿泊するつもりはない。

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by kanekatu | 2017-01-20 11:12 | 国内旅行 | Comments(0)

紅葉の遠州三山と美濃三山②美濃三山


遠州三山とは、静岡県袋井市にある法多山尊永寺、萬松山可睡斎、医王山油山寺の3つの寺院のことです。
また美濃三山とは、岐阜県にある谷汲山華厳寺、両界山横蔵寺、大矢田神社の3つの寺社のことです。
ツアー1日目は遠州三山、そして2日目は美濃三山に加え篠尾山円興寺の4か所の寺社をめぐることになりました。

(1)篠尾山円興寺
山円興寺の本堂には源氏一族の位牌や石塔が残されています。
寺の梵鐘。
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紅葉は盛りを過ぎていて、地面の落葉がまるで赤い絨毯のようです。
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三重塔。
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本堂。
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(2)両界山横蔵寺
両界山横蔵寺は、多くの国の重要文化財が安置される「美濃の正倉院」と呼ばれています。
但し文化財は全て瑠璃殿に集められ、撮影は禁止なので紹介できません。
紅葉はここ1か所だけでした。
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(3)谷及山華厳寺
谷及山華厳寺は西国33か所の33番目の札所で、結願・満願の寺として知られています。
長い参道の両側は紅葉の並木です。
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山門。
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本堂に続く道の両側も紅葉に染まっていました。
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およそ250段の階段を上がると萬願堂に達します。
両側には狸の石像が置かれていますが、オッパイのある女狸は珍しいですね。女狐とは言いますが、女狸ってあまり聞いたことがない。子狸も入ったファミリーです。
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以下は境内の紅葉の写真です。
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(4)大矢田神社
ツアーの最後に訪れたのは大矢田神社で、この時期はもみじ谷とも呼ばれているようです。
こちらも紅葉の最盛期は過ぎていましたが、こういう去り行く秋の風情もまた一興です。
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残念ながら紅葉の最盛期とはいかなっかのですが、2日間とも好天に恵まれたのが何よりでした。
宿泊はビジネスホテル、食事は毎回バスの車中で弁当という味気ない旅でしたが、寺社の紅葉めぐりというテーマに特化したツアーなので、これは仕方ありません。

(終り)


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by kanekatu | 2016-12-02 11:01 | 国内旅行 | Comments(0)

紅葉の遠州三山と美濃三山(2016/11/28-29)①遠州三山

11月28-29日にバスツアーで紅葉の遠州三山と美濃三山へ。
紅葉が最も映えるのは神社仏閣との対比です。京都の紅葉が特に美しいのはそのためで、例年は京都に行くことが多かったのですが、今年は遠州と美濃の寺社に出かけました。
予想に反して遠州はちょいと早め、反対に美濃は真っ盛りを少し過ぎていましたが、全体としえはマアマアといったところ。
参加者は紅葉派と参詣派に大きく分かれ、参詣派の人は専ら寺社の御朱印を求め、紅葉派は参詣はそこそこに紅葉見物です。私はもちろん後者。

(1)油山寺
早朝に上野を出発し、昼前に最初の訪問地である医王山油山寺に到着。眼病治癒の伝説の寺として知られているようです。
階段を上がると山門。
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境内は他の参拝客もなく静かでした。
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三重塔は桃山時代に建立された静岡県下最古のもので、国の重要文化財に指定されています。
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本堂より三重塔を見たもので、周囲はわずかに色づいていました。
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(2)可睡斎
萬松山可睡斎は徳川家康が名づけた古刹であり、東海地方有数の禅の修行道場がります。
山門。
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境内の紅葉。左が本堂です。
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僧堂は禅の修行を行う施設で、下の写真は庭園。
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大東司は僧堂の中にある79年前に作られた水洗トイレです。優れた設備から国の有形文化財に登録されています。
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周囲の住民から集められた雛人形の段飾り。
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真殿は火伏の大本山。有名な「秋葉の火まつり」はここで行われます。
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池の周辺の紅葉です。
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(3)尊永寺
法多山尊永寺は厄除けだんごで有名な古刹。
今回訪問の寺院はどこも階段が多く、それも200段から250段前後と、年配者にはきつかったようです。

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遠州三山の中では、ここが最も紅葉が進んでいました。
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左が本堂。
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境内の紅葉。
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遠州三山の見学の後は名神を西に進み、岐阜県のアパホテル大垣駅前に宿泊。
今まで国内ツアーで色々なホテルに泊まりましたが、設備もサービスもこのホテルが最悪でした。先ず清潔感に欠けていたのがいけません。
ツアー料金を抑えるためなのかも知れませんが、旅行会社もこのレベルのホテルは避けるべきでしょう。

次回は美濃三山の紅葉です。

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by kanekatu | 2016-12-01 16:39 | 国内旅行 | Comments(0)

宮崎県(宮崎市周辺)の観光(2016-9-29_30)

9月末に宮崎県の観光に行ってきました。1泊2日で宮崎市周辺の主な観光地をぐるりと回るツアーです。
宮崎へは以前に仕事で一度、観光では高千穂へ一度行きましたが、宮崎市から青島、日南方面へは今回が初めてです。実際には往復の航空運賃と1泊朝夕食付で3万円ポッキリに魅かれたんですけど。
9月末というのは、夏休みが終わり紅葉のシーズンには間があるという端境期なので安いんでしょう。

キャリアはソラシド航空でLCC初体験です。といってもソラシドはANAの完全子会社で共同運航をしているので、それほど違和感はなかった。
昼前に宮崎空港に着き、「酒泉の杜」へ直行し昼食です。メニューは宮崎といえばご当地グルメの代表である「チキン南蛮」。チキンに衣をつけて揚げ、甘酢に浸して上からタルタルソースをかけたものです。
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「酒泉の杜」は、蔵元雲海酒造直営の観光施設で、お酒やワインの試飲が出来る売店、ガラス工房の「グラスアート黒木」、入浴も出来る「綾温泉 照葉の湯」などの施設があり、結構楽しめます。試飲でいい気持になり、寝酒用に焼酎のワンカップを購入。

最初の観光地は綾町の「綾の照葉大吊橋」で、高さ142mで長さが250m。高所恐怖症の方には不向きです。
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橋を渡った所にある神社で、この裏からハイキングコースになっています。この日は時間がないのでパス。
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ここら辺りはカシ、シイ、ブナ等の森林で、日本最大の照葉樹林帯です。気温は32℃を超えていましたが、気分が良い。

次は「宮崎神宮」で、神武天皇を祭神とし、左の相殿に父ウガヤフキアエズノミコト、右の相殿に母タマヨリヒメを祀ってあります。
門。
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本殿。
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1192年に社殿が造営されたという由緒ある神社ですが、その割には質素な印象でした。

宿泊は「ANAホリディインリゾート宮崎」で、温泉付きの人気ホテルです。室内は通常のビジネスホテル並みですが、遣い勝手は良かった。
下の写真はホテルの中庭。
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夕食は中華のフルコースで、事前には丸テーブルでのフループ会食を予想していましたが、ちゃんと個別の席で1品ずつ運ばれて丁寧な対応でした。
部屋に戻ってポットでお湯を沸かし、持参の焼酎でお湯割りを作って就寝。

2日目はホテルを出てから宮崎市の中心部を通り、青島へ。周囲1.5kmほどの小さな島ですが、226種もの植物が生い茂り国指定特別天然記念物になっています。
ただ持参したカメラの調子が悪く、なぜか望遠の時だけしかシャッターがおりません。ここから先の撮影は苦労しました。画像が悪いのはそのためと思って下さい。
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弥生橋を渡って島内に入ります。
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先ず眼に付いたのは「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状岩です。
約700万年前位に海中で出来た水成岩が隆起し、長い間波に洗われてる間に、固い砂岩層だけが板のように積み重なって見えるようになったものです。
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島の入口にある鳥居。
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「青島神社」の祭神は、ヒコホホデミノミコト(山幸彦)とトヨタマヒメ(豊玉姫、山幸彦の妻、海神の娘)で、二人のロマンスの神話からこの神社が縁結びの神として知られています。
高千穂には天岩戸がある位ですから、宮崎県は古事記にまつわる神社が多いのです。
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次の観光は日南市の「鵜戸神宮」で、本殿は海に面した断崖の洞窟の中にあり、祭神は神武天皇の父ウガヤフキアエズノミコトで、縁結びの神として知られています。
大正の初め頃まで、宮崎の新婚夫婦が「鵜戸さん参り」をする風習があったそうです。参拝を終えたふたりを、親族が鈴で飾った「しゃんしゃん馬」を引いて出迎え、花嫁を馬に乗せて連れて帰るという習わしでした。現在は祭りのイベントとして継承されているそうです。
門。
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鵜戸神宮の最大の特徴は、本殿に行くのに階段を下ることです。こうした神社は全国でもここを含め3か所しかないそうです。
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向かって右側は断崖で、左側奥の洞窟の中に本殿はありますが、カメラ不調のため撮影できず。
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最後の観光は「飫肥(おび)城址」で、大手門は銘木飫肥杉で復元造営されています。
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城跡は今は飫肥杉の林になっています。
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周辺一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されていますが、ここは明治の外交官である小村寿太郎の出身地でもあります。
下の写真はその記念碑で、東郷平八郎の筆によるもの。
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小村は日露戦争終結の際は、外相としてロシアとの交渉にあたりポーツマス条約を締結させました。しかし戦勝気分に沸いていた日本に対し、大国のロシアは譲歩せず、帰国後は条約に納得しない右翼らから襲撃されるなど苦難を味わいました。
ここから歩いて15分ほどの所に小村の墓があると聞いて行ってみましたが、大きな墓地の中で表示がなく、どれが小村の墓碑か見分けがつかずに戻ってきました。
帰り道に「ギャラリーこだま」という店があり、ここで昼食。「カツオ炙り重」を注文しましたが、これが美味。2種類のタレに漬け込んだ生鰹を最初はそのままナマで、次に七輪で軽く炙って食べ、最後はご飯の上に乗せて独特のダシ汁をかけてお茶漬けにするというもの。これを肴に冷えたビールがまた美味いこと美味いこと。
もし日南に行かれたら是非お試しあれ。
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最後に日南海岸の景色をいくつか紹介。
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宮崎県の太平洋側の景色は、海岸線の景観としては恐らく日本一でしょう。

2日目の夕方には羽田着という駆け足での観光でしたが、東京の天気と異なり2日とも晴天だったのが何よりでした。
カメラが不調だったのは誤算で、いつもは2台持って行くのですが今回は2日だからいいやと思ったら足をすくわれました。

では又。
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by kanekatu | 2016-10-03 17:25 | 国内旅行 | Comments(2)

北陸バスツアー(2)

昼前に金沢の兼六園の見学です。といっても40分と短く連れ合いなどは不満顔でした。
こういうバスツアーは旅行社の採算上、どうしても土産物店への立ち寄りは避けられず、数も時間も余計にかけてしまいます。その分、肝心の観光が削られます。低価格ツアーの泣き所ですね。
日本三名園といえば、金沢市の兼六園、岡山市の後楽園、水戸市の偕楽園と相場が決まってますが、誰がどのような基準で決めたのかは分かっていません。三名園に高松市の栗林公園がなぜ選ばれていないのかが不思議です。どうも徳川家の御威光がモノを言ってるんじゃないかと推測してますけど。
米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が、足立美術館を「10年連続庭園日本一」を選んでいますが、これも不思議です。
庭そのものの質、建物との調和、利用者への対応などを総合的に判断したとありますが、回遊式庭園なら、できれば自由に出入りが可能か、少なくとも縁側から眺められなくては意味がない。それをガラス越しに庭を見せるなんざぁ愚の骨頂。

ここ兼六園は文句なしです。
元々は金沢城の外郭、つまり城に付属した庭だったというんですから、さすが加賀百万石はスケールがでかい。
今回は小立野から入って周辺をグルリと一回りなので、全体の3分の1ぐらいを巡ったということになります。
竜石は石の形から命名されたようです。
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花見橋から見た川の景色。
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根上松、雪つりは最初にこの松からスタートします。
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ここからは兼六園の中心、霞ヶ池周辺の景色になります。
池の中央にある蓬莱島。
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兼六園のシンボル、徽軫灯籠。紅葉が始まっているようです。
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霞ヶ池は清掃を終えたばかりで水が澄んでいて雲の姿が映っています。
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内橋亭周辺。
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ツアー最後の観光はひがし茶屋街。
加賀藩の城下町として栄えた金沢、近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ちました。
文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得て、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川東側に「ひがし」の茶屋町が開かれます。
今も茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残っています。
今回は「ひがし」の街並みを見学。
創建当時の姿をそのまま残す「志摩」については”ほめ・く”の記事を参照ください。
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一階は全て格子、二階が簾になっているのは夏場だからでしょう。
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ひがし茶屋街の街並みです。
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8月半ばのしかも快晴続き、暑いのなんの。バスの走行距離は2日間で1000㎞を遥かに超えるということで、些かくたびれましたが久々の北陸、楽しんできました。

次回からは「ポーランド・北東ドイツ旅行記」に戻り、28日より再開の予定です。
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by kanekatu | 2013-08-23 07:53 | 国内旅行 | Comments(2)

北陸バスツアー(1)

突然ですが8月18-19日にかけて1泊で北陸へのバスツアーに参加しました。2回に分けてその記事を掲載しますので、その間は「ポーランド・北東ドイツ旅行記」は仲入り休憩ということで。
旅行社はクラブツーリズム。
上野を出発し、諏訪、飛騨を通り最初の観光地・五箇山に到着。
五箇山(ごかやま)は、富山県の南西端にある南砺市にあります。
この地域は世界的にみても有数の豪雪地帯であり、そのような風土から傾斜の急な大きな屋根を持つ合掌造りの家屋が生まれました。
現在も南砺市の相倉地区や菅沼地区には合掌造りの集落が残っており、1994年には重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
また、隣接している岐阜県大野郡白川村の白川郷とともに「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として1995年には世界遺産に登録されています。
今回訪れた相倉集落では、32戸の住宅のうち20戸が合掌造り家屋です。相倉集落に現存する合掌造り家屋の多くは、江戸時代末期から明治時代に建てられたものですが、最も古いものは17世紀にさかのぼると考えられます。
史跡として保存される範囲には、これらの家屋だけでなく、田畑・山林・池・道路・屋根葺きに必要な茅を取る「茅場(かやば)」や、集落を雪崩から守るための「雪持林(ゆきもちりん)」までもが含まれます。この点は白川郷と異なります。
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庭先には向日葵が植わり洗濯が干してありました。
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相念寺です。北陸一帯は15世紀に浄土真宗が入ってきました。
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普通の民家も残されていますので、敷地内には立ち入らぬよう注意が必要です。
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陳腐ですが日本の原風景という言葉を思い出します。
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この日は石川県山代温泉に1泊です。山代温泉はバブルの頃は関西の奥座敷として殿方の女遊びを中心とした歓楽街で賑わっていましたが、今ではその面影はなく静かな温泉街となっているようです。
宿泊は雄山閣でした。
私の見立ては、広々とした大浴場と露天風呂を備えた温泉施設は一流、料理は二流、サービス三流。特に仲居さんのマナーが悪い。ここは団体客専門の旅館なんでしょうね。

翌日は金沢に移動し、市内の長町武家屋敷跡へ。
加賀藩時代の上流・中流階級藩士の侍屋敷が軒を連ね、塀と石畳の路地が続いており、藩政時代の情緒ある雰囲気を味わうことができます。
先ず野村家。
ここは長町で唯一、一般公開されている武家屋敷跡です。代々奉行職を歴任してきた加賀藩士1200石取りの野村伝兵衛信貞の屋敷跡を公開しており、格式を重んじた当時の様式を見学できます。
外塀。
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仏間はさすがに大きい。
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上段の間は当主の居室。
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声桶はこの中に鶯を入れ江その鳴き声を楽しんでもの。優雅ですねぇ。
もし鳴かない時は、江戸家猫八を連れてきた、というのは冗談です。

庭園はなかなか凝ってます。
過去には米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」誌の日本庭園ランキングで第3位に選ばれとありますが、それ程のものじゃない。
どうもあそこのランキングは何を基準にしているか知らないが、あまり信用おけないですな。
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2階の茶室で抹茶を頂きました。
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ここからは周囲の散策。
大野庄用水。
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武家屋敷跡界隈。
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次回は金沢市内の兼六園とひがし茶屋街の紹介です。
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by kanekatu | 2013-08-21 07:08 | 国内旅行 | Comments(2)

沖縄2泊3日の旅・その6(最終回)

最終日の最初の観光は「ひめゆりの塔」と「平和資料館」の見学です。
ガイドによれば、観光コースに「ひめゆり」を入れるのは一部に批判の声もあるそうですが、私たちはこの見学がツアーの目的のひとつです。
「ひめゆりの塔」と慰霊碑の全景。
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「ひめゆりの塔」は敗戦の翌年、関係者らによって遺骨が集められ、塔を建立しました。戦後初の慰霊塔です。
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慰霊碑の前にある洞穴は、沖縄戦末期米軍のガス弾攻撃を受け、多くのひめゆり学徒や陸軍病院関係者が亡くなった伊原第三外科壕です。ここが出入口でした。
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犠牲となった女生徒たちの名簿です。
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来てみて初めて分かったことが沢山ありました。
先ず「ひめゆり」の名称ですが、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校には、それぞれ校友会誌があり、一高女は「乙姫」、師範は「白百合」と名づけられていました。両校が併置された際、校友会誌もひとつになり、両方の名前を合わせて「姫百合」と名づけられました。それをひらがなで「ひめゆり」としたのです。
沖縄戦では当時沖縄にあった21の男女中等学校から生徒たちが動員され、戦場に送られました。
女子学徒は15歳から19歳で、主に陸軍病院等で看護活動にあたりました。
男子学徒は14歳から19歳で、上級生は「鉄血勤皇隊」(物資輸送・橋の補修等)に、下級生は「逓信隊」(電線の修復・電報の配達等)に編成されました。
今でいえば中学生や高校生が最前線に送られていたのです。
沢山の生徒が犠牲になったのですが、その中の沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の方が祀られているのがこの「ひめゆりの塔」です。
だから他にも沢山の慰霊塔や記念碑があるわけです。

平和祈念資料館のこの部屋には、亡くなった生徒たちの顔写真が並んでいました。みなあどけない少女たちです。無念さを思うと涙が出ます。
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次の観光地は「おきなわワールド」で、ここに日本で最大級といわれる鍾乳洞「玉泉洞」に入洞。全長が5000mあるそうですが、見学できるのはその内の890mです。
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ハブ館がありましたが、今はハブとマングースの決闘というのは禁止されたそうです。沖縄サミットの際に海外から動物虐待という指摘があってだそうですが、どうなんでしょうね。それならスペインの闘牛場はなぜ良いのでしょうか。どうも動物愛護っていうのは胡散臭い。
色々な施設がありましたが、ここでバイキングの昼食をとるため時間が無く全て素通りです。
旧盆に沖縄各地で踊られるエイサーをアレンジした「スーパーエイサーショー」の公演だけ観て次に移動です。

ツアー最後の観光は南城市玉城にある「みーばるビーチ(新原ビーチ)」です。
ちょうど快晴になって、美しい海岸風景が見られました。
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グラスボートに乗船して海底の珊瑚や魚を見ることができました。
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これで今回のツアーは無事終了です。
このツアー前日まで沖縄は雨が続き、私たちが帰った翌日からまた雨ということで、先ずは天候に恵まれたのが幸いでした。気温はこの季節にしては珍しいほど低かったそうですが、その分観光は楽でした。
バスガイドのアヤヤさんのトークは、もはや話芸と言っても良いほど実に見事で、これだけでも楽しめました。
初めての沖縄の旅は楽しく、また機会があれば他の島々にも行ってみたいと思います。

(終わり)
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by kanekatu | 2013-05-06 18:17 | 国内旅行 | Comments(0)

沖縄2泊3日の旅・その5

2日目の昼食は本部町山川にある琉宮城で。
今回は料理の写真を撮らなかったので、ここの昼食をHPよりダウンロードしました。
食べ方は上方の小鉢に入っている海草、野菜、タコ、鶏肉などをご飯の上にトッピングして、上からスープをかけて食べます。イメージとしてはお茶漬けですね。
下の容器には、肉巻き、じーまみ豆腐、紅芋フィレートが並んでいます。
美味しかったですよ。
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食事後は付設のの蝶々園を見学。
ここの目玉は、日本最大の蝶「オゴマダラ」で本土では見られないとのこと。
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サナギが黄金色をしていて、幸せを呼ぶとか。これは確かに珍しい。
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次の観光は海洋博公園です。
沖縄県の日本復帰を記念して1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会を記念して、博覧会跡地に造られました。正式名称は国営沖縄記念公園です。
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沖縄は公共交通機関が発達していないため、どこへ行くにも車です。個人ならレンタカーで、団体なら観光バスでということになります。
レンタカーは便利ですが、行く先々でビールや泡盛を飲みながらというわけにはいかないので、そういう点ではツアーは便利です。
ここ海洋博公園には色々な施設がありますが、今回は沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館のみの見学となりました。2005年までは世界一の規模でした。現在もジンベエザメを複数飼育しているのは、世界でもここだけとか。
ハナブサイソギンチャクです。
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ガンガゼで、目だけ光っているのが面白い。
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大きなニシキエビです。
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色鮮やかな熱帯魚、美味しそう。
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当水族館の目玉、ジンベエザメです。とにかく大きい、なにしろ現生最大の魚ですから。
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ジンベエザメの主食はプランクトンで、濾過摂食です。これは海水と一緒に生物を口腔内に吸い込み、鰓耙(さい)で濾し取り、鰓裂から水だけを排出し残った生物を呑み込むという摂食方法です。
迫力十分です。
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ジンベエザメは海面付近に漂う餌を効率よく口内に吸い込むために、体を垂直近くにまで傾ける習性があります。そのためここの水槽の深さを10mにしています。
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こちらはエイ。
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赤珊瑚は深海にしかいません。宝石として珍重されたので今では残り少なくなったようです。
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2日目の最後の観光は、古宇利島です。
古宇利(こうり)島は半径約1Km、周囲が約8kmの島です。本島とは古宇利大橋でつながっています。写真右奥に見えています。
海水の色がエメラルドグリーンなのは、海底の珊瑚礁によるものです。
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ビーチから見た古宇利大橋。
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橋の上から見たものですが、水が澄んでいて海底が見えます。
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ここから高速道を通って那覇に戻りました。道の両側の木々が倒れたり枯れたりしているのは、昨年沖縄を大型台風が次々襲った影響だそうです。
防風林の松林は年々松くい虫の被害が拡大し、立ち枯れの木が目立ちます。
沖縄は元々山が少なく木材資源が乏しいので、こうした被害は深刻です。
泊まりはロワジールホテル那覇で、夕食はこの日も和食、中華、洋食のチョイスでしたが、やはり和食にしました。飲み物は先ずビール、次いで泡盛をロックで。疲れが出て夜は爆睡。
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by kanekatu | 2013-05-05 11:26 | 国内旅行 | Comments(2)

沖縄2泊3日の旅・その4

2日目のスタートは琉球村の見学です。テーマパークの一つで、築100-200年の沖縄の古民家を移築し、展示したものです。大半の古民家は国の有形文化財で、古き良き沖縄の村の雰囲気を味わうことができます。
民家の機織り風景です。
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これは穀物などを貯蔵する高倉でしょうか。今でも東南アジアの国でも見られるような高床式の建物です。
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赤い屋根瓦が特長的です。
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石垣に囲まれた民家の風景は独特です。
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室内でシーサーの彩色が行われていました。
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初めて見るのにどこか懐かしい気分になるのが不思議です。
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実際に水牛を使い、昔の製糖風景を再現したものです。
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ここに展示されている家は恐らく沖縄の中でも資産家だった人たちの建物だろうと思います。
一般庶民の家はどうだったのでしょうか。
現在の沖縄の家屋は、バスの車窓から見る限りでは鉄筋コンクリートが大半でした。これは台風被害に対抗するため頑丈な建造物にしているのでしょう。外装や出窓のような装飾は少なく、外壁はコンクリートの打ちっぱなしのような外観です。

万座毛(まんざもう)は沖縄本島のほぼ中央・恩納村(おんなそん)に位置する、沖縄きっての景勝地として知られています。
この名前は、18世紀初頭の琉球王尚敬(しょう・けい)がこの地を訪れたときに、「万人を座するに足る毛」と称讃したのが由来です。「毛」とは沖縄のことばで「原っぱ」のことをいいます。
復帰前、万座毛一帯は米国国務省所管の放送局基地として使用されていましたが、返還されてから今のようなリゾート地になりました。
隆起サンゴの台地の上には遊歩道が設けられていて、写真はそこから「象の鼻」と呼ばれる岩を写したものです。
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眼下はマリンブルーの東シナ海です。
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沖縄のお墓は本土とは異なり屋根が付いていて家屋のような形状をしています。
こうした規模の墓地が数多く見られました。
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2日目の観光はまだ続きます。
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by kanekatu | 2013-05-04 08:53 | 国内旅行 | Comments(2)

沖縄2泊3日の旅・その3

沖縄本島の地図は次の通りです。
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島は南北に長く、両端は東京―静岡間の距離に匹敵するとか。
東シナ海と太平洋を隔てる「縄のような形の島」から「沖縄」という名が付けられたという説があるそうです。
バスは南部の那覇から中部の読谷村(よみたんそん)に向かって北上します。
中部には米軍基地が集中していて、まるで基地と基地の間を走っているような感じを受けます。沖縄から基地を撤去して欲しいという声がある一方、基地に依存した生活があるというのが沖縄の現実です。この辺は原発問題と似た部分があります。県民の基地反対派と存続派は4:6から半々と言われていて、それが各自治体選挙結果にも表れています。そして騒音が激しく危険性が高いオスプレイ配備のような課題になると、全ての自治体が反対してます。

読谷での観光は世界遺産の「座喜味城跡」です。
読谷村のほぼ中央にある座喜味城跡は、15世紀初期に築城家として名手だったといわれる護佐丸(ごさまる)によって築かれたと伝えられています。規模は小さいですが、石垣のアーチ門や城壁の曲線に特徴があります。本土ではこういう形状の城壁は見たことがありません。
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写真中央の四角く囲われた部に城があったようです。
ここからは少し霞んでいますが海が見えます。
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沖縄戦での米軍上陸は1945年4月1日で、ここ読谷と嘉手納からです。この日、米軍により砲弾44825発・ロケット弾33000発・迫撃砲弾22500発が撃ち込まれたそうですから、この辺りは何も残っていなかったでしょう。
日本軍が南に向かうと同時に米軍も南下し、これから約3カ月にわたる地上戦が行われます。
特攻作戦や戦艦大和が撃沈されてのもこの沖縄戦です。
沖縄戦は太平洋戦争の中でも特殊で、日米双方の司令官が死亡しています。米軍の司令官は中将でしたが、これは現在に至るまでのアメリカ軍戦死者の最高官位です。米軍の死者12500人となっていますが、これ以上の数の兵士が精神を病んで本国に送還されたそうですから、いかに激戦であったかを物語っています。
そして沖縄戦終結の2か月半後に日本は降伏します。
近ごろネットの一部では、沖縄の基地反対運動を「反日」だの「工作員」だのと罵る輩がおりますが、彼らが少しでも沖縄の歴史や現状を知れば、そうした軽はずみなことは言えない筈です。

1日目の宿泊は沖縄残波岬ロイヤルホテルです。沖縄本島で2番目の客室数をほこるホテルで、部屋も機能的で使い勝手が良かった。
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夕食はチョイスでしたが、私たちは和琉食を選びました。全体に味付けが甘く感じました。私は食べ物の好き嫌いがありませんが、甘味が苦手なんです。専ら野菜や海草をつまみに、沖縄の地酒を冷やで呑んでおりました。
ホテルの中庭です。風力発電をしているようです。
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ようやく晴れてきて、ホテルから残波(ざんぱ)岬の砂浜と桟橋が見えました。
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白亜の残波岬灯台です。この付近は景勝地だそうですが、残念ながら今回は見学ができません。
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by kanekatu | 2013-05-01 11:01 | 国内旅行 | Comments(2)

憂きな中にも旅の空


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