カテゴリ:タイ( 10 )

タイ旅行記 その10(最終回)

バンコクの中心を南北にチャオプラヤ川が流れていますが、この西岸の一角にトンブリー地区があります。
1767年から1782年の短い間ですが、タクシン王によりこの地に都が築かれました。トンブリー王国です。

ここに渡るにはボートに乗ります。船上からバンコクの中心部の超高層ビル街を見た映像です。
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途中ボートに土産物や果物を積んだ物売りがやってきます。
短い時間の中で値段交渉しながら買い桃をするのも、楽しみの一つです。
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川の両岸には民家が密集して建てられています。
川の中にまで大きくはみ出した家は違法建築ですが、この家屋一代限りは認められていますので、住民は修繕しながら大切に家を守っています。
この辺りは雨期になれば洪水を起こすので、どの家も高床式になっています。
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【ワット・アルン(暁の寺)】
トンブリー王朝のタクシン王が、ここを王室寺院と定めました。
この寺は、三島由紀夫の小説「暁の寺」のモデルとなったため、日本人にはそちらの呼び名で通っています。
高くそびえる大仏塔がシンボルで、夕陽に浮かぶシルエットが特に美しいことで知られています。
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周辺には4基の小塔が置かれ、内部に仏像が安置されています。
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右側に見えるのが、本堂の屋根です。
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塔の周りには、陶器を使った精密な装飾が施されています。
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タクシン王の死後、1782年にチャクリー王朝が興り、その後タイ全体を統一し現在に至っています。

【王宮】
チャクリー王朝の歴代の王が住まいです。
いずれの建物も、白亜の壁に極彩色の屋根の対比が見事です。
ドゥシット・マハ・プラサートは、1789年ラーマ1世により建てられました。
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中央奥に見えるのが、チャクリー・マハ・プラサートで、ラーマ5世によりチャクリー王朝100周年を記念して建てられたものです。
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【ワット・プラケオ(エメラルド寺院)】
1782年に建立された王室寺院で、本堂に納められている仏像が翡翠で出来ていて、美しいエメラルド色を呈していることから、エメラルド寺院とよばれています。
このエメラルド寺院の象徴的存在といえるものが、黄金に輝く仏塔プラシーラタナ・チェディで、ラーマ4世により建造されました。仏塔の様式はセイロン様式です。
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本堂の壁面には、仏典に基く極彩色の細密な壁画が一面に描かれています。
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境内にはラーマ4世が目のあたりにして感動し作らせたという、カンボジアのアンコールワットの精密なミニチュアが置かれています。
今は破壊が進んでしまったアンコールワットの、往時の面影を伝える作品として貴重なものです。
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プラモントップはタイ様式の建築物で、中央に突き出ている尖塔が特徴です。
内部には仏典の原本が保存されています。
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【ワット・ポー】
高さ15m、長さ46mの黄金に輝く巨大な涅槃仏像が納められています。
余りに仏像が大きくて、写真に全体が入りません。
またこの寺は、タイ式マッサージの総本山としても知られています。
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さて、今回のタイ5大王朝を巡る旅行記は、今回で最終回となります。
文化遺産に限れば、カンボジアのアンコール遺跡やミャンマーのバガン遺跡に比べ規模が劣りますが、見る食べる遊ぶという、観光の三大要素をバランス良く楽しめるという点からすれば、タイはアジアの中で最も面白い国と言えるでしょう。
また南部に沢山のリゾート地を抱えていることも、タイの強みです。

日本人でタイに観光に訪れる人は多く、今更タイ旅行記もないだろうと、今回の連載を最初は迷っておりました。
幸い予想以上に多くの方が閲覧されているようで、管理人としてこれに勝る喜びはありません。
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by kanekatu | 2007-01-19 10:34 | タイ | Comments(0)

タイ旅行記 その9

バンコクの案内に入る前に、ここでタイの国について、ざっとおさらいしておきたいと思います。
政体は立憲君主制で、国王に対する国民の信任は大変厚い。
全国どこに行っても、国王夫妻の巨大な肖像画が掲げられています。
タイで国王を侮辱すると重い罪に問われます。
映画や演劇の上映・上演前には必ずタイ王国国歌が流されますので、全員起立しなくてはなりません。今回もバンコクで「サイアム・ニラミット」という、タイの歴史と文化をテーマにした舞台劇を観賞しましたが、上演前に観客が起立し、国歌が演奏されました。
もっともニューハーフショーの時は、国歌演奏は無かったので、内容にもよるようです。

国土の面積は、日本の約1.4倍。人口は6200万人で、その内首都バンコクが1100万人といいますから、人口集中度は相当に高いといえます。
首都バンコクの正式名は、「クルンテープ・マハーナコーン・ポーヴォーン・ラタナーコーシン・マヒンタラアユタヤー・マハーディロッカポップ・ノッパラッタナー・ラーチャターニー・ブリーロム・ウドム・ラーチャニウエート・マハーナターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカティヤ・ウィサヌカムプラシット」と言うのだそうです。
まるで落語の「寿限無」だね。日が暮れちまうぜ。
そのバンコクですが、車が400万台で、交通渋滞が世界一と言われています。
バスなど市内の公共の交通機関は24時間運転で、地下鉄もあるし便利なように見えますが、やはり乗用車の魅力には勝てないようです。

民族はタイ族が75%、中華系が14%となっています。
宗教は95%が仏教徒、他にイスラム教徒が4%で南部に多く、分離独立を主張する集団による爆弾事件が起きています。
昨年年末にはバンコク市の中心でも爆弾事件があり、軍事クーデター以来治安が悪化しているようです。
まあ昨今は世界中どこに行っても、絶対に安全などという国はないわけで、日本だって例外じゃありませんしね。
外国が危ないからと日本にいても、交通事故にあう危険は常にあるわけだし、自宅で寝ていても奥さんにバラバラにされたり、息子に刺されたりすることもあるわけで、どっちが安全かという比較の問題ですね。

言語はタイ語、挨拶は軽く胸の前で両手を合わせ「サワディ(女性はカ)」、さわやかサワディ! 多い日も安心です!
気候は記事の中でも触れていますが、12月でも暑い、とても暑い、のいずれかでした。
タイも中国や他の東南アジア諸国と同様に、8-10月に雨が多く、冬は乾期で特に12-1月は殆ど雨が降りません。そういう意味では冬季が旅行シーズンと言えるでしょう。

軍隊は徴兵制です。男子は18歳になると徴兵検査を経て、合格すれば2年間兵役に就くことになります。身長は160cmが合格ラインなので、検査の時に首をすくめる人もいるとか。
合格者が必要数を上回るとクジ引きになり、赤が当たれば2年の兵役、黒が当たれば免除となるそうです。
どこへ行っても徴兵制度がある国が多く、その点日本の若者は恵まれています。

通貨はバーツ(B、Baht)で、およそ1B=3円なので換算が楽です。
物価水準ですが、ガソリンは25B/l、天然ガスはタイ国内で算出するため11B/lですからかなり安いですね。
タクシーは初乗りで35B,バンコクの市内バスは冷房無しの一番安いのが8B、冷房有りの高いもので36B程度です。
乗用車は人気のトヨタの新車では160万B,郊外に行けば一戸建ての家が買える値段です。だから中古の自動車をとても大事に使っています。
バイクは人気の日本のメーカーのもので6万B,中国製ならその半値以下とか。

不動産バブルを経て、特に市内の住宅価格は高騰しています。
バンコク市内のマンションですと600万Bから、高い物件になると3500万Bするそうですから、東京と同様に億ションですね。
とても普通のサラリーマンには手が出ない価格になっています。

教育制度は日本と同様ですが、公立の場合英語は小学校3年生からだそうです。
それに対して私立学校は、幼稚園から英語を教えるし、小学校に入っても英語の授業時間が多いので人気が高まっているようです。
それに伴い学費も高くなっていて、人気の小学校では入学金が20-30万Bとか、親は頭が痛いですね。
それでも英語が出来なければ、ビジネスマンになれないし、高い給料は貰えないので、親たちは必死になって子どもを私立学校に入れています。

あれやこれやで、タイの人々は夫の給料だけでは十分な生活が出来ないために、殆どの家庭が共働きになっています。
バンコク市内のオフィス内で働いている人の8割は女性といわれています。男女の賃金格差は無いとの説明でした。
食事は外食が基本で、朝は早目に家を出て会社の近くで朝食、夕方も食事を済ませてから帰宅するという人が圧倒的だそうです。
子どもがいる家庭では、母親が子どもと一緒に家を出て、学校の近くで一緒に朝食を摂り、子どもを学校に送って行ってから出勤するスタイルが多いのだそうで、そのためには母親の勤務先に近い学校に通わせることになるわけです。
この辺りは日本人の生活スタイルとは、随分と異なります。

タイへ行くと、人々のエネルギッシュな姿に圧倒されそうになりますが、こうしたタイの人々の生活スタイルに因るのかも知れません。

写真はバンコクのチャオプラヤ川から見た「ワット・アルン(暁の寺)」です。
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by kanekatu | 2007-01-16 19:21 | タイ | Comments(0)

タイ旅行記 その8

私たちはバスでカンチャナブリからバンコクに戻る途中、ナコーンパトムの町に立ち寄りました。
ここはタイ仏教の聖地ともいわれる場所で、紀元前3世紀にインドシナ半島で最初の仏塔が建てられたとされています。
6-7世紀には、モン族の王国の都として栄えました。
現在はナコーンパトムのシンボルであるプラパトム・チェディにお参りするために、沢山の人々がこの地を訪れています。

正面入り口にある立仏像ですが、台座にラーマ6世の遺骨が納められていることから、参拝者が絶えないといわれています。
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プラパトム・チェディは高さが120mあり、世界一高い仏塔です。
3世紀に最初の仏塔が建てられ、その後改修工事を繰り返すごとに大きくなり、現在の仏塔は1853年に着工されたものです。
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仏塔を囲む礼拝所には、多くの仏像が置かれています。
これはその一つで、黄金に輝く寝仏像です。涅槃像ではありません。
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仏塔の周辺は回廊が巡らされ、様々な施設が置かれています。
この写真の場所は学校で、小学校から大学まで揃っています。
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仏塔というのは、内部に必ず仏舎利が安置されています。
仏教の国へ行くと、どこでも沢山の仏塔が見られます。
スリランカの仏歯寺のように、仏陀の歯が収められているということで、世界遺産になっている例もあります。
通常、仏舎利は非公開ですが、ここプラパトム・チェディだけは珍しく透明な容器に収められていますので、生まれて初めて仏陀の骨というものをこの目で見ることができました。
でも以前から疑問に思っていたことなのですが、本当に仏陀の骨がそんなに沢山あるのだろうかと質問したら、ガイドの説明では骨は段々増えているのだそうです。
無神論の私にはなかなか理解し難い、不思議な点ですね。

この後バンコクに戻り、例によってショッピングタイム、
時間つぶしにフラフラしていたら、ブランド店で美女を発見、撮影しました。
撮り終えると直ぐに、「見せて下さい」といわれて画像を再生すると、「まあカワイイ!」と自分で感嘆していました。
この辺りが、タイの女性の可愛いらしいところです。
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夕食は名物のタイスキでした。タイ風すき焼きの略です。
と云ってもすき焼きとは異なり、タイ風しゃぶしゃぶという解説もありますが、強いていえば海鮮寄せ鍋が近いと思って下さい。
どこで食べてもなかなか美味ですし、ビールとも良く合うので大好物です。
最後はセンレックと呼ばれるうどんでシメます。
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夕食後はこれもタイ名物、ニューハーフショーを観に行きました。
前回のタイ旅行で見逃したので(それほどタイソウなもんじゃ無いですけど)、今回が初見です。
ショーを見せる小屋はバンコク市内に沢山あるようですが、ガイドがここが最も“上品”な小屋だと推薦してくれました。
日本でも見たことはあり、フロアショーのようなイメージでいたのですが、一応ちゃんとした劇場風の客席で、演出は下品な宝塚といった趣です。
なかなかの美女(?)揃いで、近くから眺めても男性には見えません。
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タイのニューハーフショーを初めて観た感想ですが、これは男性が女性の格好になって芸をするというよりは、男でも女でもないニューハーフとしての芸(ゲイではありません)として確立しています。
バンコクという街とニューハーフショー、何か共通点を感じます。

先ほど男性には見えないと書きましたが、そうかと云って決して女性にも見えないのです。
その原因は乳房にあります。
当然ですが、全員シリコン入りの人工的なバストです。マネキンのようなバストを見ていると(服の上からですけど)、やはり女性の自然の乳房とは全く別物です。だから決して女に見えない。
ニューハーフショーを見て、女性の持つ乳房の意味を改めて認識しました。

日本にも、巨乳を売り物のした得体の知れない、本業は高級娼婦としか思えない「何とか姉妹」とかいうのがいて、TVや週刊誌などで二人の映像を見ることがありますが、私はいつも不快な思いをしていました。
あの人工的なバストに嫌悪感があったからです。

またまた脱線でした。
次回はバンコク編です。
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by kanekatu | 2007-01-13 08:19 | タイ | Comments(4)

タイ旅行記 その7

バンコクからチェンマイへは飛行機で一つ飛びでしたが、帰路はチェンマイースコタイーアユタヤーバンコクとバスでの移動となりました。
車窓から見るタイの農村の風景は、上空から見た印象と同じく、平坦な土地と豊富な水資源に恵まれていて、生活も豊かそうに感じました。
どこの国でも、都市に比べて農村は貧しく、勿論タイでも事情は同じでしょうが、アジアの他の国に比べるとタイの農村は豊かだと思います。
ここに匹敵するのは、ベトナムのホーチミン郊外の農村くらいではないでしょうか。

国道の道路事情もおおむね快適で、長時間の移動でもそれほど疲れません。
ただ低地のせいか、道路脇に水たまりが多いのが目につきましたが、現在排水管の埋設工事があちらこちらで進められていました。
ようやく住民の環境問題が重視されてきたのでしょう。
建設工事は相変わらず盛んで、ツアー客の中の建設業の人が羨ましそうに眺めていました。

私たちのツアーは、アユタヤからバンコクを素通りしてカンチャナブリーに向かいました。
カンチャナブリーはバンコクの西部にあり、元はアユタヤ王朝時代にビルマに対する防衛の町として作られました。

第二次世界大戦、日本軍はビルマ戦線の補給基地として、バンコク郊外からミャンマーのタンビュッザヤとを結ぶ全長415kmの泰緬鉄道の敷設を行います。
その際、工事で最も大変だったのは、カンチャナブリーのクウェー・ヤイ川の架橋でした。
クウェー・ヤイ川の急流のために建設は難航します。そこで永久橋に使う資材運搬用の橋として、永久橋の下流に木製の橋梁が急遽架けられる事となり、木橋は1942年12月には完成します。
次いで永久橋も1943年5月には完成しました。
泰緬鉄道は完成を急ぐため、あらゆるところで規格が落とされたため、強度不足による転落事故も頻発していたようです。

橋の完成後、今度は連合軍が日本軍の補給路を断つためにこの橋の爆撃を繰り返し、その度に橋の補修が行われました。
この一連の工事と補修に多くのタイ人と、数万人ののぼる連合軍捕虜が動員され、1万人近い犠牲者を出しています。
現在の鉄橋は、1950年日本が戦後賠償として修復したもので、今も実際に使われています。
その後、映画「戦場にかける橋」の大ヒットで、この逸話が一躍有名となり、カンチャナブリーは観光名所となります。
「戦場にかける橋」の原作者はここで捕虜となり、その時の屈辱的な体験から本を書いたのですが、映画の方は日本軍と捕虜との友情に重きが置かれ、大いに不満だったというエピソードが残されているそうです。
バンコクから近いということもあってか、当日も多くの外国人観光客でにぎわっていました。

カンチャナブリ駅のすぐ近くにある、連合軍共同墓地です。
日本軍の捕虜となって泰緬鉄道工事に駆り出され、命を落とした連合軍兵士6982柱の共同墓地です。
一人一人の石碑がたてられ、氏名と階級が刻まれていましたが、二等兵の名前が目立ちました。
墓地は一面芝生で、沢山の花で飾られていました。
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こちらは日本軍慰霊塔です。
やはり工事で命を落とした人々の霊を慰める目的で建てられたもので、日本語以外に英語やタイ語などの外国語で慰霊の言葉が刻まれています。
私たちはここで花と線香を手向けました。
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いよいよ旧泰緬鉄道の体験乗車です。
カンチャナブリ駅に到着した列車と、
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その車内です。
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車両は、日本でいうと昭和20-30年代の前半に、都内で走っていた電車の車両を思わせる古さで、どこか懐かしさを感じました。
乗車といってもカンチャナブリ駅から次のクウェー川鉄橋駅までの一駅ですから、あっという間です。
乗り心地は、あまり快適とは言い難かったですね。

そのクウェー川にかかる鉄橋です。これが「戦場にかける橋」の実物であります。
対岸まで歩いてみましたが、結構距離がありました。
時々列車がきますが、その時は退避用のスペースに避難します。
ツアーの皆さん、歩きながら「クワイ川マーチ」を口ずさんでいました。
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鉄橋の周辺は、第二次大戦で激しい戦闘が行われたことがウソのような、のどかな景色が広がっています。
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by kanekatu | 2007-01-10 06:46 | タイ | Comments(0)

タイ旅行記 その6

2007年最初のエントリーとなります。
本年も宜しくお願い致します。

バンコクから北へ80km、アユタヤは北部をオールド・ロップリー川、東をパサック川、西と南をチャオプラヤー川に囲まれた中州の町です。
1350年から417年間、この地にアユタヤ王国が繁栄していました。
17世紀には欧州各国とも国交を結び、国際都市として発展します。
しかし度重なる隣国ビルマとの戦争に敗れ、町は徹底的に破壊されてしまいます。
アユタヤ遺跡に残された建造物により、私たちは往時のアユタヤ王国の栄光を偲ぶしかありません。

私たちは先ず旧日本人町を訪れました。
16-17世紀に多くの外国人がアユタヤを訪れますが、アユタヤの王はこれら外国人が自分達の町を作り、居住することを許可します。
徳川幕府の初期、御朱印船貿易で日本人もアユタヤに渡り、町を作りました。最盛期には1000人を越える日本人がこの地に住んでいたと見られています。
この時代に最も活躍したのが山田長政で、傭兵隊長から最後は地方長官にまで出世します。
しかし江戸時代の鎖国政策が厳しくなると、日本人町は消滅してゆきます。今では全く痕跡が残っておらず、日本語の碑が建っているだけです。
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【ワット・マハータート】
14世紀に建立された重要な寺院です。
建物の多くは徹底した破壊により、レンガの土台だけが残されています。
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ホラーではありません。
木の根に取り囲まれた仏像の頭部です。
アユタヤにある仏像の大半は頭部が落とされていますが、この仏像は木のお陰で頭部が当時のまま残されています。
滅ぼされたアユタヤ王国の悲しみが伝わってくるような表情ですね。
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殆どの仏像は頭部が落とされていました。
仏塔は荒れ果て、地盤沈下により大きく傾いています。
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【ワット・プラシーサンペット】
王宮跡のすぐ隣にあるアユタヤ王室の守護寺院です。
1491年に建立され、当時は黄金の仏像がも建造されていましたが、跡形もなく破壊されました。
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3基のセイロン様式の仏塔には、3人の王の遺骨が納められています。
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【ワット・ロカヤスター】
全長28mの寝仏像です。
アユタヤ中期の建造とされていますが、現在の像は1956年に復元されたものです。
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【バンパイン離宮】
アユタヤから南に20km、バンパインにアユタヤの歴代王の夏の宮殿があります。
現在の建物は、19世紀後半にラーマ5世により建てられました。
現在は王室の離宮としては使われておらず、外国からの賓客の宿泊に使われることがあるそうです。

プラティナン・アイサワン・ティッパアトは正面の池の中央にあるタイ風の建物で、中にラーマ5世の像が置かれています。
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プラティナン・ワローパート・ピマーンは西洋風の建造物で、王の居室及び謁見の間として使われていました。
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池にかかる橋の向こう側に見える黄色い花は、タイの国花ゴールデンシャワーです。
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プラティナン・ウエーハート・チャムルーンは中華風の建物で、ここだけが唯一内部を見ることができます。
中に王の玉座や寝台が置かれています。
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世界遺産に指定されているアユタヤは首都バンコクから近く、簡単に見に行けるという利点があります。
反面、全体にやや印象が薄いというのが弱点でもあります。
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by kanekatu | 2007-01-07 10:22 | タイ | Comments(0)

タイ旅行記 その5

タイ人の祖先は、中国の泰族の人々が南下してきた人たちで、10-14世紀にかけて北部を中心にクメール帝国(アンコール朝)の一部にのみ込まれてしまいます。
1238年にスコタイ王朝が誕生しますが、第三代王ラームカムヘンの時代に最も繁栄します。
タイ文字が作られたのもこの時代で、正にスコタイ(幸福の夜明けの意味)の時代を迎えます。
1378年にアユタヤに併合され、王朝の幕を閉じます。
現在スコタイ王朝時代の城壁の内側を中心として、多くの遺跡が残され、世界遺産に登録されています。

スコタイの寺院は、プラーンとよばれるクメール様式の塔堂、チェディとよばれる円錐形の仏塔、そして仏像が置かれています。
スコタイの仏像は、頭部が長く、面長で鼻筋が通り、目がつり上がっているのが特徴です。流れるような身体の線も特徴で、歩く姿の歩行仏像もスコタイの時代にしか見られません。

【ワット・プラパーイルアン】
ここはスコタイ遺跡の中で、最も重要な寺院の一つです。
かつては3基あったプラーンは、現在1基を残すにみです。
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仏塔の台座は座仏像で囲まれていましたが、殆ど頭部が残されていません。
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プラーンの表面は細かな彫刻が施され、漆喰のレリーフが残されています。
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【ワット・マハータート】
城壁内の中央に位置するスコタイの王室寺院です。
境内には大小200基を越える塔が立ち並ぶ大きな規模を誇っています。
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最も有名なのが巨大な仏陀の坐像で、スコタイ文化の象徴的な存在として知られています。
タイの観光ポスターなどにもよく登場しますので、お馴染だろうと思います。
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その横に高さ8mの仏像とその建物があります。
遺跡にある建物の多くは、かつては木製の屋根がかかっていました。
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【ワット・シーサワイ】
クメール様式のプラーンが3基並んでいます。
元々はヒンドゥー教の神殿として建てられていましたが、その後仏教寺院となったものです。
重量感のあるプラーンは、下部に広がりがないのが特徴です。
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【ワット・サシー】
池の中の小島に浮かぶ寺院で、仏塔、本堂、礼拝堂が残されています。
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ここにはスコタイ文化の特徴である、歩行仏像があります。
顔は男ですが、肩から下は女性の身体です。妙に色っぽいお姿です。
モデル歩きのような妖艶な姿で、「タイのニューハーフの元祖?」と訊ねたら、現地ガイドは笑っていました。
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中心にはスリランカ方式のおきな釣鐘型仏塔があり、その前に仏陀の坐像が置かれています。
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【ワット・シーチュム】
こちらもスコタイを代表する寺院です。
32m四方、高さ15mの本堂の中一杯に巨大な坐仏像が納められています。
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この仏像は「アチャナ仏」(おそれない者の意味)と呼ばれていますが、王がこの本堂の上の窓から話をすると、下で聞いている者はまるで仏像が喋っているように聞こえたのだそうで、「話す仏像」とも呼ばれています。
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クメール時代の寺院は石造り、スコタイ時代の寺院はレンガ造りであるのが特徴で、アユタヤ遺跡に比べると時代が古いにもかかわらず良い状態で残されています。
タイの文化を知るには、スコタイ遺跡の見学は欠かせません。

さて2006年も今日で最後です。
この続きは、次回1月7日にエントリーする予定です。
それでは皆様、良いお年を!
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by kanekatu | 2006-12-31 17:23 | タイ | Comments(4)

タイ旅行記 その4

今更タイ、などと思ってこの旅行記は書くかどうか迷ったのですが、予想以上にアクセスがあって励みになります。
今回のツアーで、当初チェンマイの一日目は、終日寺院の見学になっていたのですが、11月から来年1月末までのチェンマイ花博開催中は、半日は花博の見学に充てられることになりました。
「〇〇博」と銘打たれた博覧会で楽しかったことが一度も無いので、今回も嫌な予感がしていましたら、予想通りでした。
当初の予定通り、チェンマイの寺院巡りが正解でした。この企画はクラブツーリズムの失敗です。
ツアー参加者の期待も文化遺産巡りにあり、どう考えても花博は異質でした。

チェンマイの2日目は、メーサー・エレファントキャンプに向かいました。
東南アジアに行くと、象が芸を見せる施設によく出会います。
何せ一日に500kgほどのエサを食う動物なので、食費だけでもバカにならない。何か芸を仕込んで、費用を稼がなくちゃというわけです。そこいくと動物園の象は恵まれていますね。
先ず象の背中に乗ってトレッキングです。
山道をあるくせいか左右に大きく揺られ、快適な乗り心地というわけには行きませんが、上から見る背の高さは予想以上でした。
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象は寝る前に、虫が身体につかないように泥をなすりつけるのだそうで、朝は水浴びが必要だそうです。
こうして横になって水に浸かり、自分の鼻でシャワーを浴びます。
気持ちが良いのか、目を細めています(当たり前か)。
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なかなか器用で、ハーモニカを吹いたり、サッカーを見せてくれたりします。
シュートする象とゴールキーパーの象が対決し、シュートが入れられると、キーパー役の象が口惜しがったりと、エンターテナーぶりを発揮し、喝采を浴びていました。
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中でも売り物は、象のお絵かきです。筆を鼻に巻いて、器用に絵を描きます。
自分の姿を描いていた象がいました。これが本当の自画ゾウです。
写真の象は松を描いていましたが、絵の下手な私には羨ましい限りです。
とにかく象の頭の良さは十分実感できました。
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チェンマイはまた美女の産地として、特に日本の男性には(後述の「玉本事件」参照)、夙に知られています。
確かに北部にいくと肌の色が白く、目鼻立ちがはっきりした顔の女性が増えてきます。
下の写真は女高生たちです。
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次の写真は、生徒達の吹奏楽のパレードの先頭に立って歩いていた民族服を着た女の子で、こちらも多分女高生だと思います。
何せ走っているバスの窓から撮ったもので、トリミングしたら小さな画像になってしまいました。
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さて、殆どの日本人がチェンマイという都市の名前を初めて耳にしたのは、「玉本事件」です。
1973年1月タイ警察が、人身売買容疑とパスポート不携帯で、玉本敏雄という当時39才の日本人を逮捕した事が大きく報道されました。
玉本さん(さん付けで良いのかなぁ)は、チェンマイで13才から20才までの娘11人を囲い、ハーレムのような生活をしていました。
彼はタイ警察に逮捕された後に、覚醒剤密輸容疑も出てきて日本に送還され、日本国内でも逮捕されました。覚醒剤で儲けたカネで、少女たちを囲っていたということです。

1973年といえば第二次オイルショックの真っ最中でした。
その暗い世相の中で「玉本事件」は、悪質な犯罪には違いないですが、どこかユーモラスで、特に多くの男性にとっては、一服の清涼剤になっていたと記憶しています。
え、チェンマイ、世の中には未だそんなパラダイスがあったのかと、思わせてくれたのでしょう。

この玉本さんという人は懲りない性分なのか、よほどお好きな性格なのか、70年代後半から80年代後半にかけて、今度はフィリピンでも10人以上の地元女性と共同生活していたことを明らかになります。
更に90年代前半から、カンボジア北西部シェムレアプ近郊(アンコールワット遺跡のある所ですね)で、10代の地元女性約60人と、半同棲生活をしていることが確認されています。

そこのお父さん、ヨダレを流さないように!
玉本さんは、「ギョクモト」という名前でパスポートを取得して、出入国を繰り返していたのです。
しかし天網恢恢疎にして漏らさず、2001年パスポートの不正取得がバレて、カンボジアの警察に逮捕、勾留されます。
この時はもう70歳近くになっていたのですから、玉本さんは本当に元気としか言いようがないですね。
そこのお父さん、急に目が輝いてきましたね!
その後の玉本さんの消息は、良く分かっていません。

「玉本事件」は、国内外に大きな波紋を投げかけました。
この事件から日本人男性が、東南アジア各国でいわゆる「買春ツアー」を行い、現地の人々のヒンシュクをかう振る舞いをしていることが次々に明らかになりました。
日本人は「エコノミック・アニマル」であると同時に、「セックス・アニマル」だと言われた時期もありました。
そんな事で、チェンマイという名前を聞くと、ある種の感慨にふけてしまうというわけです。

こういつも話が脱線するのが、私の旅行記の特色ですので、悪しからず。
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by kanekatu | 2006-12-29 17:35 | タイ | Comments(0)

タイ旅行記 その3

バンコクからタイの国内便で約2時間北上し、チェンマイに着きました。久々のプロペラ機でしたが、騒音が思ったより小さく、快適でした。国内便でも簡単な軽食が出たのには感心しました。
上空から見ると高い山はなく、見渡す限り平坦な土地が広がり、しかも水が豊富で農業に適した国土であることが分かります。この気候と環境からすれば、二毛作や三毛作も可能なのでしょう。

前回の記事で紹介したように、タイ北部は1296年メーンライ王がラーンナータイ王朝を興します。以来隣国のビルマとの紛争や和平を繰り返しながら、およそ600年間独立した王朝として存続しました。
そのためタイ北部は、タイとビルマの文化が融合した独自の文化が発達してゆきます。
チェンマイはラーンナータイ王朝の首都でしたので、現在でも100を越える寺院があります。

バンコクより北で標高も高くなるので、気温は多少涼しいと期待していたのですが、どうしてどうして日中は32℃くらいまで気温が上昇して、真夏の気候です。

私たちはチェンマイ郊外にあるドイステープ寺院に向かいました。
この寺院はラーンナー王朝のクーナ王により1383年に建立されたもので、タイ北部の最も神聖な寺として、信仰を集めています。
ドイステープ寺院は、標高1080mのステープ山の頂上に建っているため、麓まではバスで、そこからは徒歩かケーブルカーで頂上まで登ります。

寺院の中は大変な混雑でした。
中心に高さ22mの仏塔があり、この中に仏舎利が納められています。その周辺に大小の寺や仏像が配置されています。
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タイの寺院の仏像は玉で出来ていたり、全身が金箔で覆われていますので、色鮮やかです。
仏像の顔が、丸顔で唇が小さく眉が半円形であるのが特徴です。
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お参りは、花を捧げて仏塔の周囲を巡るという方法で行われます。
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仏塔の傍らに置かれた黄金の傘が、ラーンナー風寺院の特徴です。
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境内には沢山のブーゲンビリアが植えられ、美しい花を咲かせていました。
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次に、同じクーナ王により、1383年ラーンナー王朝の宮殿に建てられたスアンドーク寺院に向かいました。
この寺院の境内のは、歴代の王族の遺骨を納めた仏塔が林立しています。
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本堂に安置されている青銅の仏像は、タイ国内でも1、2位を争う大きさです。
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昼食に出たチェンマイの名物料理をご紹介します。
先ずカオソイといい、センヤイと呼ばれるきしめんに似た麺にカレーをかけて食べます。
早く言えばカレーうどんですね。
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こちらはトートマンプラーと呼ばれるタイ風さつま揚げです。味は日本のさつま揚げにそっくりです。
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真夏と同じ暑さの中で観光した後の、タイ料理を肴に飲むビールの味は又格別です。
タイのビールは日本人の口に合い、美味しいですよ。
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by kanekatu | 2006-12-27 09:53 | タイ | Comments(2)

タイ旅行記 その2

JALで成田―バンコクのフライトで7時間、ほぼ満席だったのに、アルコールを4杯もお替りできて、やっぱりJALは快適ですね。
タイの首都バンコクの新しい空の玄関口は、今年の9月28日に開港したばかりの「スワンナプーム国際空港」です。旅客ターミナルビルの総床面積56万3千㎡は、世界一の広さを誇ります。
降機してから入国審査まで行けども行けども辿り着けずという感じで、新空港の広さを実感することになります。

余談ですが、日本も早く成田空港の使用をやめた方が良いでしょう。
先ず都心から遠すぎます。次いで海外から来て国内便に乗り継ごうとすると、わざわざ羽田空港に移動せねばならないケースが多い。とにかく不便です。
それに24時間の発着が出来ないことも問題です。成田空港の環境問題で夜間の離着陸が出来ないのは分かりますが、そのしわ寄せが周辺のアジアの空港に向けられていることを忘れてはなりません。
早く成田から羽田沖に移転してくれないかと、羽田が近い私の切なる願いでもあります。

タイも冬季ですが、12月にしては例年より暑いのだそうで、バンコクやアユタヤの日中の気温は35℃に達していました。日本との気温の落差は予想以上に大きく、暑さでタイに着いたんだなという実感を味わうことになります。

さて前回の記事で、街が黄色のシャツで埋まっているということを書いたところ、「タケチャンマン」さんから詳細なコメントが寄せられました。
せっかくですので、こちらの本文の方へ転載させて頂きます。
タイへは仕事や観光で長期に滞在されている方が多く、これからもコメントを寄せて頂けると幸いです。

『何故国王への祝意を表すのに黄色のシャツなのか解りますか?
黄色なのは、プミポン国王が月曜日生まれで、ラッキーカラーが黄色だからです。
タイには曜日占いというのがあって、生まれた日の曜日によってラッキーカラーや守護仏が決まっています。
タイの人からは「血液型は何型?」なんて聞かれることはなくても、「何曜日生まれ?」と聞かれることはよくあります。
お寺にお参りすると各曜日の守護神が並んでおり、各人自分の生まれた曜日の守護神にお賽銭を上げて、祈ります。
因みにタケチャンマンが生まれたのも月曜日、カミさんは火曜日、娘は土曜日です。
参考までに各曜日のラッキーカラーは月曜・黄色、火曜・ピンク、水曜・緑、木曜・オレンジ、金曜・青、土曜・紫、そして日曜は赤となります。
タイのこととなると黙っておられず余計なコメントを失礼致しました。』

その黄色いシャツですが、下はチェンマイの女子高生の写真です。
胸のワッペンの中には数字の「9」がデザインされているものがありますが、ブミボン国王(ラーマ9世)の「9」を表しています。
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街でどのくらいの割合で着ているかですが、一例としてこれもチェンマイの花博会場の様子を紹介しましょう。遠くから見ると菜の花畑のように、まっ黄色です。
困ったのは現地ガイドまで黄色のシャツ姿なので、目を離すとどこへ行ったのか分からなくなることでした。
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観光地としてのタイの魅力は、何といっても楽しいことでしょう。仏教の寺院や文化遺産が豊富ですし、一方沿岸部には沢山のリゾート地があります。
もちろん歓楽街としてもアジア有数です。
いわば国中がテーマパークのような仕掛けになっています。

同時にタイの観光といえば、性産業という影の部分にも触れないわけにはいきません。
今から20年ほど前までは、日本からの男性団体客を乗せたバスが、バンコク空港から直接売春宿に横付けされる光景が見られたそうです。その頃男性がタイへ行ったと聞くと、ニヤリとしたものです。
日本からの団体ツアーが、JALパックをもじって、ヤルパックと呼ばれていた時代でした。
エイズの流行や、買春に対する世間の批判が強まる中で、以前に比べるとそうした公然たる買春ツアーは減っているようですが、決して下火になっているわけではありません。
今回もバンコクで、日本人男性たちの買春ツアー客を見かけました。

日本からの旅行者が、なぜタイなどアジアで買春をしてしまうのかですが、理由としては、
・売買春が事実上犯罪として扱われる事のない法制度だったり、あるいは取締りが緩い。
・自国では道徳的に許されない事も、旅行先であるということで、抑制心が弱くなる。
があげられます。
早く言えば「旅の恥はかき捨て」ですね。
奥様方に怪しまれないように、わざわざ自宅から釣り道具やゴルフバッグを持参して、カモフラージュする人もいます。
誰を釣るのやら、何をホールインするのやら、分かったものではありません。
もちろん買春するのは男性だけではありません。
日本人女性で、タイで若い男や少年を買うケースも増えています。

エイズの蔓延は売春のブレーキになるかと期待されたのですが、これがむしろ児童買春に向かってしまいました。子供なら安心と見られたのでしょう。
タイ国内の売春婦の人数は数十万人とされていますが、その内約20万人は少女(少年も含まれる)と想定されています。児童の場合、多くが人身売買を伴うため、事態はより深刻です。
子どもを買うことを特に好む人々のことを「ペドファイル(小児性愛者)」と言いますが、ペドファイルには少女だけでなく少年を好む傾向があるそうです。

タイで買春する外国人のランキングは、
1位 ドイツ
2位 日本
3位 アメリカ
だそうです。
こうした影の部分をひっくるめてタイの魅力という見方も出来るのでしょうが、この手の「銀メダル」だけは早く返上したいものです。

誤解のないように申し上げておきますが、タイへ旅行する男性が全て買春するわけではありませんよ。
念の為。

次回からは旅行記の中味に入ります。
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by kanekatu | 2006-12-24 19:01 | タイ | Comments(0)

タイ旅行記 その1

2006年12月6-13日の8日間、タイへ行ってきました。
旅行社はクラブツーリズム、ツアーのタイトルは「ロマンの5大王朝めぐりタイ大縦断8日間」ですが、これは少々誇大です。
先ずタイの地図をご覧下さい。白い部分がタイです。
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タイは大陸から足が大きくマレー半島にまで伸びており、南北に細長い国土となっています。
北部は西はミャンマー、東はラオスと国境を接しており、最北部は3国にまたがる麻薬のトライアングルとして知られています。
南部はカンボジアと、マレー半島の先はマレーシアと国境を接しており、東側はシャム湾、西側はアンダマン海、パタヤやプーケットを中心としたリゾート地帯が点在しています。
今回のツアーは、バンコク、チェンマイ、アユタヤ、カンチャナブリの各地を訪れましたから、タイ中部と北部を小さく周遊してきたわけです。

今更タイかと思われるかも知れませんが、今回はタイの建国から現在に至る5つの王朝に関連した施設を巡るというテーマでのツアーです。
ここで簡単にタイの歴史を振り返って見ましょう。

タイ国家の設立は1238年、タイ民族の指導者がスコタイでクメールの大君主を倒し王朝を作り上げた時とされています。スコタイ王朝は1350年まで続きます。

一方タイ北部のチェンマイには、1296年にラーンナータイ王朝が設立され、繁栄してゆきます。
ラーンナータイ王朝は、ビルマやアユタヤとの独立や同盟の変遷といった長い歴史の後に、最終的に1884年に完全に廃止され、タイ王国に編入されます。
この結果、チェンマイを中心とするタイ北部は、独自の文化を発展させることになります。

1350年から約400年の間、アユタヤ王朝の時代となります。
この時代に仏教は王朝から公式に認められ発展してゆきます。
又アユタヤ王朝は、ポルトガルを初めとするヨーロッパの国々、インドや中国との交流を行いました。
我が国の山田長政がタイに渡って活躍したのも、この時代です。

1767年にアユタヤ王朝は隣国ビルマ軍の侵入により破滅し、首都は焼き払われ、国は6つに分割されます。この時タクシン将軍が、新首都トンブリーを拠点としてタイ王国を再統合することに成功します。これがトンブリー王朝です。
その後、タクシン王は精神の病に侵されてしまい、1782年には王朝は終焉します。

1782年にチャックリー将軍がラーマ1世として国王に就任し、チャクリー王朝を設立します。
同年、ラーマ1世はトンブリーからチャオプラヤー川を渡った河口の平原バンコクに新しい首都を建設し、現在に至っています。

タイはその後19世紀半ばから20世紀の前半に掛けて、ヨーロパ各国の植民地主義の脅威にさらされます。しかしこの時代に国王であったラーマ4、5世は、積極的に西欧各国と国交関係を樹立し、同時にタイ国の近代化を推進します。
この結果、タイ王国はヨーロッパによる植民地支配から免れた南・東南アジアで唯一の国になりました。
現在のタイ国王はラーマ9世です。
タイの国民はこの事を大変誇りに思っており、現在の正式国名 「Prathet Thai」のPrathetは「国家」、Thaiは「自由な」を意味しています。

第二次世界大戦中、タイは日本と同盟し英米に宣戦布告しています。
終戦後アメリカとは親密な関係を結び、ASEANの中心的な国としてアメリカからの支援を受けてきました。
ベトナム戦争では、米軍の最前線基地となり、ベトナムへの派兵も行いました。

現在政治体制としては、立憲君主制の民主主義国家となりましたが、これは名目上のことであって、いく度も軍事クーデターが繰り返され、断続的に軍政が布かれてきました。
2006年9月の軍事クーデターによりタクシン政権が倒され、現在も軍政が続けられています。
しかしタイの国内を観光する限りでは、軍政の影響は全く感じられません。
むしろ今年が国王ラーマ9世の即位60周年にあたり、又今回のツアーの直前の12月5日が国王の誕生日であった関係から、町を歩いていると国王への祝意を表す黄色のシャツを着た人々が目立ちました。

年末から新年にかけて、タイは国王の誕生日、クリスマス(仏教国なのに)、そして正月とお祭りのような賑やかな日が続きます。
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by kanekatu | 2006-12-20 11:02 | タイ | Comments(2)

憂きな中にも旅の空


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