カテゴリ:トルクメニスタン( 6 )

中央アジア紀行 その10

翌朝アシュガバート空港を発ち、東におよそ1時間飛んでマーリに到着。空港にトイレがないため、トイレ休憩のためにホテルに直行しました。空港にトイレがないとは、信じられないかもしれませんが、こちらのローカル空港では珍しくありません。
マーリはトルクメニスタン第二の工業都市ですが、ここから30kmほど東に、世界遺産にも登録されているメルブ遺跡があります。

メルブはペルシャと中央アジアの中継点として栄え、BC6世紀ごろには既に都市が築かれています。
その後、数々の王朝の興亡の舞台となり、12世紀にセルジュク朝の首都として最盛期を迎えますが、1221年モンゴル軍の来襲により、完全に破壊されてしまいます。
そのセルジュク朝の王の廟が、スルタン・サンジャール廟で、高さ38mの大きな建造物です。
モンゴルの破壊や大地震に耐えてきた、堅牢な建物です。
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エルク・カラは紀元前6-4世紀、アケメネス朝ペルシャ時代の城塞都市があった所ですが、かつての面影を偲ぶものは、今は何も残されていません。
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AD651年に建てられたモスク跡で、地下にあった直径6.6mの貯水槽のみ残っています。
宗教施設には、水は欠かせません。
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大キズ・カラは、6-7世紀のササン朝ペルシャ時代の豪族の住居跡と考えられており、奴隷の娘たちをここに侍らせていたことから、「乙女の城」(キズ・カラ)と呼ばれるようになったものです。
壁の向こうに、スルタン・サンジャール廟が見えます。
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この辺りがキズ・カラの入り口であったと想定されています。
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いずれも大キズ・カラの外観です。間近で見ると感動します。
独特の形状をした外壁ですね。
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大キズ・カラを護衛する男の奴隷達の住居と想定されている小キズ・カラです。
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内部は、いくつかの部屋に区切られていたようです。
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メルブ遺跡は、トルクメニスタン最大の見所でした。

マーリの町に着いてから、郵便局に立ち寄り、日本に送る絵葉書の切手を買いました。
値段は1万マナット(約50セント)でしたが、最初に1000マナットの切手が10枚出てきて、これでは困るというと2500マナットの切手が4枚、それでも絵葉書が切手で埋まってしまうので困るというと、最後にようやく5000マナットの切手2枚が出てきました。
このヤリトリでおよそ5分間、いや実に非効率です。
どこの国の郵便局へ行っても、日本ほど手早く親切に応対してくれる国はありません。こうした経験をしてくると、郵政民営化など望まなくなりますね。

ホテル・マルグーシュに戻ると、玄関先でTV番組の収録が行われていました。
民族舞踊、日本の漫才に似たコント、それにカラオケと、いずれも素人芸で、まあ印象としては町内盆踊り大会といった感じです。
でも町としては大きなイベントなのでしょう、沢山の見物人が集まっていました。
下の写真は、民族舞踊に出ていた女の子たちです。恐らく地元の女子高校生たちと思われます。
見物の人たちも、美しく着飾っています。
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翌朝、マーリのホテルを出発し、バスで再びウズベキスタンに向かいました。
途中、国道とカラクム運河が交差する所で休憩をとりました。
カラクム運河は、降水量が少ないトルクメニスタンの貴重な水源となるもので、アムダリヤ川から水を引き、最終カスピ海まで1400kmという、世界最長の運河です。
奥に鉄橋が見えますが、この鉄道はタシケントを通り、最終的にはロシアのモスクワまで行きます。
手前には、運河の辺で遊牧している姿が見えています。
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この後、トルクメニスタン側の国境の町ファラブに着きました。
出国待ちのトラック62台が長い列を作っていて、時には3日間も待たされるのだそうです。気が遠くなりますね。運転手たちは、水と食料積み込んで、ただひたすら待っているわけです。
私たちのバスはその脇をすり抜け、出国審査に向かいました。
出国の後は緩衝地帯をスーツケースを引きながら徒歩で通り、次はウズベキスタンへの入国手続きです。

およそ2時間、炎天下で座る場所もなく、なかなか過酷な条件です。
困ったのは、入国、緩衝地帯、出国のどこにもトイレがないことで、用を足す時は近くの草むらに行くのですが、何せ国境なもので、あまり奥に向かうと係官に叱られます。
近場に集中しますので、足の踏み場もない有様となっていて、トイレだけは何とかして欲しいと思いました。

こちらへ来てから毎日30度を越す高温と、馴れない食事(料理の油が綿実油のせいか)、長旅の疲れなどが重なり、この日の前後からツアー参加者12名中11名が体調を崩しました。
それでも添乗員はさすがで、ビクともしません。鍛え方が違うのでしょうね。

ここで美女が一杯でチョット不思議な国、トルクメニスタンともお別れです。
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by kanekatu | 2007-11-06 10:40 | トルクメニスタン | Comments(0)

中央アジア紀行 その9

夜アシュガバート空港を発ち、飛行機で1時間弱、カスピ海の辺にあるトルクメンバシィに到着しました。
翌朝ホテルを出発しようとしましたが、バスが来ない。結局、45分ほど遅れて出発、カスピ海の港に着きました。

カスピ海は世界最大の湖(海とすれば世界最小)で、塩湖です。面積は日本の国土よりやや小さく、周囲は6000km。ヴォルガ河、ウラル川、テレル川の3つの川が流入していますが、水面が標高ー28mのため流出する川はありません。近年さらに水面は下がってきています。
一昔前までは、チョウザメなど魚の宝庫として知られていましたが、今や海底油田とその争奪戦で有名になりました。
もしカスピ海が海なら、領海の国際法に従って処理できるのですが、ここが湖なので適用できる国際法が無いのです。

地図を下に掲げますが、周囲をロシア、カザフスタン、トルクメニスタン、イラン、アゼルバイジャンの5ヶ国がグルリと取り囲んでいて、それぞれが油田の権益を主張していて、話し合いはついていません。
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この10月16日に、関係5ヶ国による首脳会議が行われ、
①カスピ海の航行権、資源の利用権は沿岸5カ国が持つ
②カスピ海沿岸5カ国はほかの域内国を攻撃するために外国軍に領域を使わせない
③5カ国は原子力を平和目的で利用する権利を持つ
④カスピ海地域の資源に利用は5カ国の合意に基づく
などを合意しました。
最近、緊張状態が高まっている米国のイラン攻撃を牽制したものです。
アメリカの狙いはただ一つ、イランの石油と天然ガス資源でしょうから、予断は許しません。

ツアーに話を戻して、カスピ海の夜明けの光景です。
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クルージングのために港に着いたのですが、待てど暮せど遊覧船の出航の気配がありません。
カスピ海への出航には、海軍港湾局の許可が要るとの事で、「そんなこと、事前にやっておけよ」という声もむなしく、地元の人のボラの仲買風景などを見ながら、時を過ごしました。
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港にはトイレがなく、用を足すために車で10分ほどの鉄道の駅まで行って、トイレを借りる始末です。
およそ2時間が経過してから、ようやく船が現れました。クルーザーと思いきや、漁船です。
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漁船に乗って出航、船上から見たトルクメンバシィの町の風景です。
右端にニヤゾフさんの肖像画が見えるあたりが、鉄道の駅です。写真撮影は禁止とか、バカバカしい。
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港を離れると、周囲は何も無く、50分ほどで元の港に戻りました。水は決してキレイとは言えません。
一体このクルージング、何のために来たのか良く分かりません。
カスピ海を見たことに意義があるというなら、それまでですが。

途中、小学生の一団に出会い、写真を撮りました。この女の子たちの制服は、緑色の民族服に白いエプロンをかけたもので、とても素敵です。
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空港に向かう途中、日本人捕虜の墓地跡がありましたので、立ち寄りました。
戦後、多くの日本兵がシベリアに抑留され、その中の1906名がトルクメニスタンに送られ、工場建設などの重労働を課せられました。
この内61名の方が、この地で亡くなったそうで、現在は記念碑が建てられています。
ツアー参加者全員で、お花と線香をあげ、黙祷しました。
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シベリアに抑留された日本兵の多くは、食べ物も与えられず、極めて劣悪な環境で重労働を課せられたのですが、ここトルクメニスタンの送られた方は、他の地域に比べるとはるかに好条件だったそうです。
最低限の食事とベッドが確保され、砂糖の配給もあり(当時の日本国内より多かったとのこと)、また地元の住民との交流もあったそうで、それが唯一の救いでした。

午後の飛行機で再びアシュガバートに戻り、何となくシックリこないカスピ海見学の一日が終わりました。
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by kanekatu | 2007-11-03 17:03 | トルクメニスタン | Comments(0)

中央アジア紀行 その8

アシュガバートの2日目は、国立トルクメンバシイ博物館の見学から始まりました。
中央に大きな吹き抜けのある、2階建ての立派な建物です。
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内部の陳列品は良く整理されているし、展示も見やすいように工夫がなされていました。
写真は博物館の専門ガイド(日本なら学芸員)です。紹介されると、ツァーの男性客から「ベッピンさんやね」、女性客からは「どうしてあんなに、腰の位置が高いのかしら」という感嘆の声があがっていました。
お客さん、ガイドさんのナイスバディばかり見てないで、展示物をマジメに見て下さいよ。
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展示品は、主にニサやメルブなどの遺跡から出土したもので、ニサのビーナス、象牙のリュトン(底部に孔があいた角杯)などの国宝級の美術品が含まれていたのですが、残念ながら写真撮影が禁止です。
止むを得ず、「フォートラベル」のHPから、ニサのビーナス像をコピーさせて貰いました。
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トルクメニスタンはどこへ行っても撮影禁止が多く、その大半は禁止の必然性がないものです。

この後アシュガバートの市内見学となりました。
ソ連からの独立を記念した、独立記念塔です。
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又も出ました! ニヤゾフ前大統領の黄金像。
なぜか警護の兵士が立っています。
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永世中立国を宣言した記念の、中立のアーチです。
このテッペンでも、黄金のニヤゾフ像が太陽に向かって回転しています。
高さは75mで、足元からエレベーターで展望台まで上がれます。
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以下の写真は、展望台から見たアシュガバートの中心街です。
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いずれも緑の多い、整然とした街並がお分かりになるでしょう。
道路は常に清掃され、ゴミ一つ落ちていない。同じイスラムでも、アラブ系の国とは大違いです。
それだけ、人工的な匂いのする街ではあります。

昼食後、アシュガバート市最大のロシアンバザールを見学。
食品から電気製品まで、何でも売られています。
キャビアもここでは1缶千円以下で買えますが、残念ながら国外への持ち出しが禁止です。
これはチョウザメが絶滅の危機にある所から、資源保護のために当然の措置だといえるでしょう。
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エルトグルル・ガディ・モスクは、1997年トルコから友好の証として贈られたものです。
イスタンブールのブルーモスクを模したものですが、似て非なる建物です。
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10頭の馬公園は、独立10周年を記念して、10頭の名馬アハル・テケの像が造られました。
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市の中心部は、高層マンションの建設ラッシュで、洒落た建物が次々建てられていました。
原油高が追い風になって、政府も大盤振る舞いができるのでしょう。
聞くところによれば、多くは中央省庁が建てているのだそうで、恐らくは高級官僚が入居しているのでしょう。
価格は200㎡でおよそ4万ドルとか。格安です。
どこの国でも、高級官僚はイイ思いをしているんですね。
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中心部から少し外れた所には、中層マンションが建てられています。ここは多分、次のランクの官僚が入居できるのでしょう。
室内に入らせて貰いましたが、1部屋が20畳ほどの広さで3LDK,しかも天井高さが4m近くあり、広々とした印象を受けました。
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アシュガバート空港から夜の便で、カスピ海の辺の町に空路移動です。
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by kanekatu | 2007-10-30 10:14 | トルクメニスタン | Comments(0)

中央アジア紀行 その7

トルクメニスタンでの通貨(マナット)の両替について、説明しておきましょう。
公定レートは1$≒5000マナットですが、これが実勢1$≒20000マナットとは大きくかけ離れていて、闇レート(必ず現地旅行会社がつくので、そのガイドに依頼する)での両替が必要です。
4倍も違いますので、個人旅行の方は注意してください。

アシュガバートでの宿泊ですが、当初ホテルは“ニッサ”を予定していましたが、直前になって偉い人が泊まるという理由から、“アク・アルティン”に変えられました。
トルクメニスタンでは良くある事だそうです。
こちらのホテル、設備、アクセス共に申し分なく、予想していたより快適なホテルでした。
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ホテルのフロントの女性です。
美人です。私が威張ることはないですけど。
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ホテルの裏が大きな公園になっており、朝散歩に出かけると紅葉が始まっていました。
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アシュガバートを西へ進みますとコベット・ダク山脈にぶつかりますが、この山の向こうはイランです。
山の麓にあるのがニサの遺跡です。
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ここは、BC248-226年にかけて栄えたパルティア王国の首都でした。
14haの城壁に囲まれた王宮があり、出土品(国立博物館へ収納)や建築様式に、イランとギリシャの融合した文化の影響が認められます。
王の間の柱や、
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ゾロアスター教神殿、宴会場、ワイン貯蔵庫などの跡が残されています。
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その後、トルクメニスタンが誇る大モスク、ルフ・モスクを見学しました。
敷地面積が36ha、収容人員が2万人という、中央アジア最大のモスクです。
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傍らには故ニヤゾフ大統領の廟があり、こちらも規模は小さいが、金ぴかで立派でした。

昼食は名物のチョウザメです。美味しかったですが、予算の関係か、子どものキャビアは出てこなかったなあ。
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レストランの可愛らしいウエイトレスです。
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トルクメニスタンの人は一般に結婚が早く、男女共に22-23歳が適齢期だそうです。

競馬場に行って、トルクメニスタンが誇る名馬、アハル・テケを見学。
何しろかのアレキサンダー大王が乗った馬の血をひいているのだそうで、門外不出だそうです。
汗血馬でもあります。
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因みにこの国の競馬は、馬券が無いとのこと。
休日になると結構家族連れで賑わうそうですが、何が面白いんだろう。

夕方、カラエフさんという個人宅での夕食となりました。
中庭にテーブルが置かれ、食事が終わると民族舞踊「アハル」のショーがありました。
大体、ツアーの夕食に行われるショーは、従業員が演じるような素人芸が多く、期待しなかったのですが、どうしてどうして、歌も踊りもプロの芸で感心しました。
写真は、民族楽器の演奏者と歌手です。
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この家の娘さんで、民族衣装で料理を運んでくれました。
将来は歌手を目指しているそうです。12歳にしてこの色香。
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その後、電飾に彩られたアシュガバートの町をドライブ。
写真がぼやけているのは、夕食の時にウオッカのボトルを空けたせいです。
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by kanekatu | 2007-10-24 18:50 | トルクメニスタン | Comments(0)

中央アジア紀行 その6

トルクメニスタンに入国して最初の町ダシュホウズで昼食をとり、私たちはクニャ・ウルゲンチに向かいました。
クニャ・ウルゲンチとは古いウルゲンチという意味で、10-14世紀にかけて栄えた古代ホレズム帝国の主要都市でした。
近くを流れるアムダリヤ川支流の恵を受けて、ロシア南部と西アジアとを結ぶ中継地として繁栄していました。
17世紀アムダリヤ川の流れが変ったため、都はヒヴァに移されて衰退してゆきます。

テュラベク・ハーン廟は、14世紀当時の支配者クトルク・ティムールの妻の廟です。
ここ辺りでは、最大の建造物です。
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クトルク・ティムール・ミナレットも14世紀に建てられたもので、中央アジア最高の62mの高さを誇るミナレットです。
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スルタン・テケッシュ廟は12世紀後半の建物で、青いとんがり屋根が特徴です。
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カルトゥムラの丘には、12世紀に建てられた図書館があったそうですが、今は墓石がいくつか残っているだけです。地面一帯に置かれているのは、おもちゃの揺りかごで、子宝を願う人々が参拝に訪れています。
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参拝者の母親と赤ちゃんで、スカーフをかぶっているのは既婚者の印です。
ワンピースの襟が開いていますが、アラブ系イスラム国では見られない服装です。
まるで、西欧絵画の「聖母子」を見ているような気分になりますね。
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イル・アルスラン廟は1172年に建てられ、鉛筆型の屋根が特徴です。
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14世紀のキャラバンサライ跡とされている建物ですが、ファザードに華やかな装飾が残されているところから、宮殿の一部であったとも考えられています。
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ネジメッディン・クブラー廟は、16世紀に建てられた神秘主義教団であるクブラーウ教団の開祖である、ネジメッディン・クブラーの廟です。
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小学生です。彼女たちは白と紺の制服で、紺色のランドセルを背負っていますが、この制服が地域(又は学校)によって異なります。
子どもは、どこの国でも可愛いですね。
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再びダシュホウズに戻り、そこからトルクメニスタン航空で首都アシュガバートに移動しました。
ウズベキスタンの国内航空は、機種が旧ソ連のツボレフが使われていましたが、トルクメニスタンはソ連・ロシアの機種は一掃されたそうで、全てボーインングになっていました。
この辺りも、両国の外交政策の差を窺わせるものです。

アシュガバートの空港は荷物出しの能率が悪く、スーツケースが出てくるまで1時間近く待たされました。
ツアー客の中に喫煙者がいて、空港のビルの外で煙草を吸っていたら、警官から咎められちょっとしたトラブルになってしまいました。
普通なら問題が無いはずですが、前回の記事で書いた通り、トルクメニスタン国内は全て禁煙です。
こうした点は添乗員やガイドが事前に注意していれば、お互い不快な思いをしなくて済んだと思われます。
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by kanekatu | 2007-10-21 16:47 | トルクメニスタン | Comments(0)

中央アジア紀行 その5

私たちはウズベキスタンのヒヴァを出発し、陸路で国境を越えて、トルクメニスタンに入国しました。
私たちは普段海外旅行に行く際に、多くの国境を越えています。しかし飛行機で上空を飛んでいるので、その実感も無く、面倒な手続きも必要ありません。
空港での入出国手続きは簡単に済みますが、陸路の場合は、どうしてこんなに時間が掛るのかと訝るほど手間取ります。
稀に形式的な手続きだけで済む場合もありますが、通常は2時間、場合によっては3時間以上要することもあります。
反面、長いトラックの行列風景を眺めたり、買出しや出稼ぎに行く人と時には短い会話を交わすこともあり、陸路の国境越えは空路では味わえない雰囲気があります。
ただ、どこの国でも写真撮影が禁止なのは残念ですけど。

トルクメニスタンの地図を下記に掲載します。
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トルクメニスタンは、中央アジア南西部に位置する共和国です。カラクム砂漠が国土の80%を占めていますが、豊富な石油や天然ガスを埋蔵しています。
西側はカスピ海に面し、アフガニスタン、イラン、ウズベキスタン、カザフスタンと国境を接しています。
首都はアシュガバート。

国土は日本の1.3倍ですが、人口は500万人足らずです。
民族はトルコ系のトルクメン人が8割を占めています。
宗教はイスラム教スンニ派。

中世の頃は主として遊牧民生活だったのですが、同時に奴隷狩りを行って生活の糧を得ていたようです。
19世紀後半にロシアに侵略され、その支配下に入ります。同時に遊牧民の生活から、ロシア向け綿花栽培を中心とした農耕生活に移ります。
1924年には、社会主義国としてソ連邦に組み込まれます。
ソ連崩壊後の1991年に、現在の共和国として独立を果たします。

1995年の国連総会において、永世中立国として承認されます。
2005年にはロシア主導のCISを脱退しており、ロシアとの経済関係は維持していますが、最近は石油や天然ガスのビジネスを通じてアメリカとの関係を強化しています。

しかし何といってもトルクメニスタンの名が世界に知れているのは、1985年の旧ソ連邦時代から2006年に亡くなるまで、一貫して国の指導者であったニヤゾフ前大統領による独裁国家であったという点でしょう。
中央アジアの北朝鮮、ニヤゾフ氏は中央アジアの金正日と呼ばれていました。
議会は民主党による事実上の1党独裁であり、大統領選挙はニヤゾフ氏しか立候補せず、得票率は99.5%、更に終身大統領になった際の賛成率は99.99%でした。
ニヤゾフ氏は自らを、トルクメンバッシュ(トルクメン人の長)と称しています。

サパルムラト・ニヤゾフ氏の独裁ぶりを示すエピソードには、事欠かない。
先ず町を歩いていると目に付くのは、ニヤゾフの銅像と大きな肖像画です。本には50mおきと書かれていますが、それ程ではないにしても、とにかくやたら多いのは確かです。
どこへ行っても、肘をついてニッコリしている写真が飾られていて、気分が悪くなるほどです。
銅像はどれも金ぴかで、首都のランドマークである中立の塔の最上部では、360度回転しています。
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ニヤゾフ前大統領の著書「ルーフナーマ(Ruhnama)は国民必読の書とされ、コーランと同等とされており、学校では教科書として使われています。
驚いたのは、この本の像があることで、それも開いたり閉じたりを繰り返していました。

ニヤゾフがメロンが好きだから、メロンの日を作り、国民の祝日としています。
本人がガンを患い禁煙にしているので、国内では煙草は禁止にしています。
この他、金歯、オペラ・バレエ・サーカス、口パクで歌うこと、若者のヒゲ、TVキャスターの化粧などが全て禁止です。
理由は、ニヤゾフが嫌っているからです。

TVは国営放送だけですし、インターネットも禁止です。
その結果、世界の報道の自由ランキングでは堂々のワースト・2位で、世界最悪の独裁者ではワースト・8位にランクされています。
反面、衛星放送のパラボラアンテナ普及率は世界一ということで、実際に国民は自由に情報を得ています。
公共施設に掲げている肖像画も、ベルディムハメドフ現大統領のものに置き換わりつつあり、これからは変ってゆくのではないでしょうか。

これだけの独裁体制でありながら、国内が比較的平穏なのは、社会福祉が手厚いためでしょう。
教育費、医療費は無料。天然ガスが全戸に配管されていて、電気・ガス・水道など公共料金が無料だそうです。
航空運賃や長距離列車の運賃は2-3ドル、市内バスは5円程度。
生活必需品の物価はとても低く抑えられており、市民生活は豊かに見えました。
物乞いがいないのが、その何よりの証拠です。

独裁国家であっても、それなりに国民が納得しているのなら、外部から文句をいう事も無いのかも知れません。
永世中立国であって独裁国家、そういう不思議な国へ私たちは入国したわけです。
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by kanekatu | 2007-10-18 10:37 | トルクメニスタン | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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