カテゴリ:イエメン( 9 )

イエメンの砂漠に陽が落ちて(9)

世界遺産で有名なシバームは「砂漠のシバーム」と呼ばれていますが、もう一つ「山のシバーム」と称されている町があります。
こちらのシバームの特徴は、山の上にあるコウカバンという町と双子のような関係にあって、シバームは商業と農業の町、コウカバンはそのシバームを防衛する役割を負っていました。山頂と麓の町が、それぞれの役割を分担して共存するというのは、世界的にも珍しいことだと思われます。

私たちは最初に麓にあるシバームの町を散策しました。町の入り口にある広場には沢山の店が並び、人で賑わっていました。
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この町が現在のような町並になったのは10-11世紀です。古い歴史を持つグランドモスクのミナレットが、町のランドマークです。
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ちょうど礼拝の時間であったため、大勢の人々がモスクを訪れていました。
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上の町コウカバンは標高2800mの高地にあります。下の町シバームが敵に襲われないか常に監視し、もし敵を発見したらコウカバンの人たちが一気に山を駆けおり、シバームを守っていました。
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しかし1962年の革命以降、イマム派と共和国派との激しい戦闘がこの地で繰り広げられ、建物は破壊され、現在はすっかり過疎化が進んでしまいました。
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山頂から見下ろすと、一面の畑が広がっています。この辺り一帯が穀倉地帯であることが分かります。
手前に見えるのは、シバームの町です。
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少し山を下りた所から見たコウカバンの町です。
このまま放置していれば、やがては瓦礫の町に姿を変えることでしょう。修復、保存作業が急がれます。
それとコウカバンとシバームの歴史を振り返れば、世界遺産に登録できる資格は十分あると思われます。このまま朽ちさせておくのは、あまりに勿体ない。
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最後に訪れたスッラの町は、9-10世紀に建てられました。
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白く見える窓枠は、アラバスター(雪花石膏)が使われています。
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イエメンはどこに行っても子どもが多く、少子化で悩む私たち日本人から見れば、羨ましい限りです。
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一歩露地に入ると、まるで中世の町に紛れ込んだような気分になります。
この町では写真の女性のように頭に乗せて、今でもこうして水汲み場から水を自宅まで運んでいます。
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さて長かったイエメンの観光も今日でおしまいです。
明日はドバイに向かい、小休止して後に成田に戻ります。
次回は、ドバイです。
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by kanekatu | 2008-02-28 11:00 | イエメン | Comments(0)

イエメンの砂漠に陽が落ちて(8)

サナアのタージ・シバホテルの窓から見た、夜明け前のサナアの街です。
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サナアの街の中心にあるタハリール広場です。周辺に電話局や郵便局など公共機関が集中しています。早朝なので未だ人の姿は見えません。
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イエメン観光の最終日は、サナア近郊を巡ります。
最初に訪れたのはワディ・ダハールの中心アルカビール村で、大きな岸壁にはりつくように建物が並んでいます。この辺りはサナア近郊の行楽地で、週末ともなると多くの人で賑わうそうです。
背が高い建物は、12世紀ごろ建てられた監視塔です。
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姉妹ですが、この年頃の少女を写真に撮るのはとても難しい。
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目指すロックパレスの全景は、この場所からしか見えません。
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アーモンドの白い花が咲き始めていました。この村ではこの後、杏、梨、桃、林檎の花が次々と咲き、春を迎えるのだそうです。
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下の写真はカートの木で、この地方のカートが最高級品だとか。ドライバーたちが大量に買い込んでいました。
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ロックパレスは北イエメンのイマームだったヤヒヤとその息子の離宮でした。極端に猜疑心の強かったヤヒヤが1930年代に暗殺を恐れて建てたもので、これなら安全と思ったのでしょう。しかし建設には苦労したでしょうね。
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階段を上がる途中、可愛らしい少女に出会ったので、ボールペンをプレゼントしたら写真を撮らせてくれました。小さなワイロです。
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ロックパレスの内部は普通の家と同じで、台所や洗濯場などが残されています。豪華な「カマリア窓」のステンドグラスが美しい。
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ワディ・ダハールを見下ろす丘は、結婚式の野外パーティのスポットとなっています。当日も一組のパーティが行われていて、男たちが太鼓に合わせて、お祝いの踊りであるジャンビーヤ・ダンスを踊っていました。イエメンの山岳部族の伝統だそうです。
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パーティに出席するので着飾った子どもたちも、熱心に見学です。
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記念写真の撮影をしている花婿です。手前にいるカメラマンの注文に応じてポーズをとっていましたが、随分と危ない場所で撮影するんですね。長い刀を手にしているのが、いかにもイエメンの男らしい所です。
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次回に続きます。
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by kanekatu | 2008-02-24 17:59 | イエメン | Comments(0)

イエメンの砂漠に陽が落ちて(7)

アルハジャレン村はこの地域の中で最も大きい集落で、岩山の裾野に沿って家が建てられています。何もこんな場所にくっ付いてなくともいいじゃないかと思うでしょうが、これも生活の知恵です。
一つは水源の問題です。湧水している場所から各戸に水を配管するときに、お互い近いほうが便利です。
もう一つは、高温と砂嵐と外敵から身を守らないと生きていけない、この地方の歴史があるからです。
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やはり断崖絶壁を背負って家が建っているシーフ村です。この辺りはアカシアの木が密集していて、良質なハチミツの産地です。
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幼い兄妹がロバに乗っていますが、砂漠地帯ではいまだにロバが運搬手段として活躍しています。
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このワディドアンといわれる地域は、太古に起きた地殻変動により、先ず高さ1000m級の台地が形成されました。降雨によって台地に降り注いだ雨は、地層の弱い部分を侵食し、亀裂が生まれます。その亀裂に水が流れるようになると侵食が進み、やがて川になります。気の遠くなるような歳月を経て、川が大きな谷となり、その周りが豊かな緑に包まれるようになり、いま目の前にあるような谷間が形作られるようになりました。
ブッダ村は、ナツメヤシの生い茂るオアシスの町です。
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畑が一面に広がっています。
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台地の上は岩そのもの、溶岩が固まったままの世界です。
真上から航空写真のような景色を撮ろうと思うと、断崖の先端に行って身を乗り出して撮影しなくてはなりません。時々カメラに気をとられて転落死する人もいるそうですから、注意が肝心です。少なくても、高所恐怖症の人には向かないスポットです。
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下のカラフルなホテルは、ラブホテルじゃありません。イエメンを代表する大富豪ボクシャン一族の出身地、ボクシャン村にあるボクシャン所有のホテルです。
ボクシャンは自らの出身地に、病院や学校から道路まで作って寄贈しました。
お陰で、私たちも舗装した道路の上を走って、快適な旅が出来るのです。
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卓上台地が連なっている様子がよく分かると思います。
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台地の上に建設中のボクシャンホテルの現場から見た、ハイダル・ジャジール村です。
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標高差が800mのアブドゥラカリブ峠です。断崖絶壁から真下を見ると、タマが縮み上がります。なに? 普段から縮んでいるだって? 
放っといてくれ!
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私たちがこの辺りを観光したのは1月17日でしたが、翌日の18日にこの付近でベルギー人観光客の一行が武装集団に襲われ、ベルギー人女性2人、イエメン人の運転手、ガイドの計4人が死亡する事件がおきました。この他に負傷者もいた模様です。イエメン当局は国際テロ組織アルカイダ系の地元組織が、同国の観光産業に打撃を与えるために実行したテロとみているようです。
犠牲になった運転手は、私たちのツアーの添乗員が良く知っている人だったそうです。
1日違えば、私たちが犠牲になった可能性だって十分あるわけで、いかなる理由があるにせよ、罪の無い観光客を狙った凶悪犯罪には、強い憤りを感じます。

昼食は、遊牧民族ベドウインの人たちが経営するレストランでとりました。
近くにラクダを使って石臼で粉挽きをしていたので、カメラに収めました。近付いて撮ると、ラクダが驚くと言うことで、遠景からの撮影です。
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その後バスは一路南へ、やがてアラビア海が見えてきました。
波打ち際で漁師が網を打っていました。何だかとてもノンビリとした風景ですね。
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海岸にココヤシの林があり、南国であることを実感しました。
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この後、アル・ラヤン空港からイエメン航空で首都サナアに戻りました。
タージシバホテルに着いて、最初の日に忘れたシャツとズボンは無事保管されていました。おまけにシャツの襟にはアイロンがけまでしてあり、感激です。このホテルは本当に良いホテルです。
明日はいよいよイエメンでの最後の観光です。
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by kanekatu | 2008-02-20 18:12 | イエメン | Comments(0)

イエメンの砂漠に陽が落ちて(6)

アラビア半島はここの所異常気象だそうで、サウディ・アラビアでは気温が零下になったとか。ここイエメンでも朝方は寒く、ジャンパーをはおる気候となりました。
先ず、アル・アハダール・モスクへ。斜面に沿って建てられた珍しい建築様式ですが、残念ながらモスリム以外は入場禁止という立て札が立っていたので、外観だけの撮影です。
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タリムの街は、16-19世紀にかけてイスラム教スンニ派の中心地でした。現在もここの図書館には古いコーランやイスラム法、医学、天文学、数学など貴重な蔵書が6000点揃えられています。研究者のために蔵書の内容をコンピューターに入力する作業をしていました。
旧市街を歩いていると、バイクが走り抜ける姿にぶつかりますが、これはバイク・タクシーで、道が狭いのでバイクでないと通れないのです。
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タリム旧市街にあるアルムフダール・モスクです。アラビア半島で最も美しいと言われているミナレットは高さが50m、イエメンの紙幣にもその姿が印刷されています。
仏塔のような特殊な形のミナレットは、大変珍しいものです。
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アルカーフ宮殿群の一つ、アーシャパレスを見学。アルカーフ家というのはイエメンの大財閥で、19世紀に東南アジアにスンニ派を広めた功労者でもあります。今でもインドネシアやシンガポールに大きな影響力を持ち、社会主義政権の時に財産を没収されたにも拘らず、今でもホテルや企業を持つ大富豪だそうです。
この建物は、現在博物館として公開されています。
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屋上テラスから見た、タリム旧市街です。
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昼食はチキンと子羊です。イエメンでの典型的は料理です。
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1982年に世界遺産に登録されたシバーム旧市街は3世紀ごろに形成され始め、現在のような建物が建てられたのは8世紀ごろからとされています。
世界最古の摩天楼の町、遠くから見るとまるで蜃気楼のように砂漠の中に浮かんでいます。
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建物は5-8階建て、高さがおよそ30m、全て日干しレンガで造られています。
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建物と建物の間は隙間なく建てられ、通路が狭いのが特徴です。
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ユネスコの手で補修されているジェルフームハウスの内部を見学。内装は石膏プラスターで仕上げられ、天井と窓枠は木材が使われています。
こうして修復をしながら大事に使っていけば、日干しレンガの家でも数百年もつのです。
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イエメンの他の地域と同様に、2階部分までは倉庫などに使用するため、窓がありません。また2階までは外側が石灰で塗られていました。
旧市街の中の建物の総数は約500棟、人口はおよそ2500人です。
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幼い兄妹です。クリッとした目が可愛いですね。
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この女の子たちは珍しく、「写真撮って撮って」状態でした。
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モスクです。ミナレットが灯台のような形をしていて面白い。
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大きなワディを挟んで、反対側のこちらは新市街です。
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新市街の小高い丘から見たシバーム旧市街の全景です。まるで全ての建物が一つのカタマリのように見えます。
少ないとはいえ、時に大きな地震に見舞われてきましたが、それでも倒壊しなかったのは、こうして建物同士がくっ付き合って建てられているためです。
高温と砂漠の砂嵐から住民の生活を守ってきた、素晴らしい叡智の結集です。
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夕暮れが迫ると、建物全体が赤く染まってゆきます。
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1000年もの間変らず続いてきた光景、これから先どれだけ続けることが出来るのでしょうか。
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by kanekatu | 2008-02-12 15:35 | イエメン | Comments(0)

イエメンの砂漠に陽が落ちて(5)

この日は早朝3時45分にホテル出発、午前3時のモーニングコールで寝入りばなを起こされたという人もいました。午前6時発の飛行機になぜこんな早起きしていくかというと、イエメンの国内航空はオーバーブッキングが多く、搭乗券を持っていても飛行機に乗れないケースがあるとか。そのため空港に着いて直ぐに出発ゲートに行き、出口付近に待機し場所取りが必要なのです。つまり早い者勝ちの世界です。お陰で全員搭乗できて、驚いたことにイエメン航空は定時にアデンを出発しました。

今まではイエメンの南西部を周遊していたのですが、これからイエメン東部の砂漠地方に向かいます。機上から眼下を見ると、ヘラで横にスパッと切ったようなテーブルマウンテンが続いているのが見えます。とてもシンプルなサユーン空港に到着。幸い今夜宿泊するホテル「アルハウタ・パレス」の部屋が空いていたのでチェックインし、朝食をとりました。
サユーン郊外にあるアルハウタは周辺に緑が多く、気温が低く快適な町です。
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先ず日干しレンガ工場を見学。工場といっても建屋も屋根もなく、野天で作業していました。
粘土と藁と水を混ぜて練り、木の型枠で型どリして天日乾燥すれば出来上がり。写真は作業員たちが麦踏のように踏んで歩いて、乾燥が終わっているかどうかチェックしているところです。つまり品質管理と出荷検査を行っているのです。
価格は1枚10円で、不思議なことにどこの国へ行っても日干しレンガは1枚10円です。
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イエメンの大半の家は日干しレンガで出来ていますが、写真のように平積みにしていくと、自重でレンガ同士が互いに接着して堅牢な建物ができます。
小さな家で1軒あたりレンガ代が15万円分かかるとのこと。後は外側は石灰、内側は石膏のプラスターで仕上げるだけという簡単な工法です。
真夏には45℃にも達すると言うイエメンで、冷房無しに生活するにはこうした建築様式が最適なのです。
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この地方一帯はワディ・ハダラマートと呼ばれ、長さ160kmに及ぶアラビア半島最大のワディ(枯れ川)が形成されています。サユーンはその中心都市です。
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サユーンの中心にアルカシィーリ旧宮殿(現在は博物館)があります。1960年代まではこの地方を支配していたスルタンが王宮として使っていました。
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屋上テラスから見たサユーンの街の中心部です。
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直ぐ隣にはモスクのドームが見えます。
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スークでは乳香、塩(砂漠の塩)、蜂蜜(ここの名産)が売られていました。
私は香料などの人工的な香りに弱く、塩は以前行く先々で購入しましたが味は変らず、甘いものが嫌いなのでハチミツはダメと、買う物がありません。
理髪店がありましたので、写真を撮りました。日本と比べると、随分とシンプルな設備です。
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4WDは全てトヨタのランドクルーザーでした。イエメンで使われている車は圧倒的に日本車ですが、中でもトヨタの割合は突出しています。海外に出かけると、日本の代表的製品が自動車であることを実感します。
ドライバーは皆陽気で、停車すると音楽をかけ踊りを踊っています。時には日本の観光客も強引に、踊りの中に引き込まれて一緒に踊っていました。
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先にも書いたとおり、この辺り一帯は大地が流水で侵食された巨大なワディ(枯れ川又は枯れ谷)になっていて、周囲はグルリとテーブルマウンテン(ロック)に囲まれた形になっています。高さはいずれも200-300m程度ですが、規模は遥かに小さいものの、南米のギニア高地と似た光景を呈しています。
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宿泊したホテル「アルハウタ・パレス」は、まるでオアシスの中に建っているような素朴な佇まいですが、設備は充実しているし、従業員も親切で、とても快適なホテルでした。
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ホテルの敷地内を散歩していると、親子連れが遊んでいたので、カメラに収めました。女の子がお父さんにソックリですね。
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テーブルマウンテンの彼方に夕陽が落ちて、空が茜色に染まります。
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このホテルの屋上に夜上がってみると、降ってくるような満天の星が見えます。久々に天の川を見ることができました。大ききなプラネタリウムの中にいるようで、実に気分爽快でした。
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by kanekatu | 2008-02-08 09:51 | イエメン | Comments(0)

イエメンの砂漠に陽が落ちて(4)

この日のツアーの工程は、タイズから山岳地帯を越えてアラビア海に面する都市・アデンに向かいます。
タイズを早朝出発となりましたが、ホテル「タージ・シャムサン」の屋上から見た夜明けの風景です。
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同じく屋上から見た朝のタイズ中心部の風景です。
画面右奥に見える2本のミナレットがあるのは、アシュラフィア・モスクです。
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アシュラフィア・モスクは、イラク方面よりシーア派の布教にきたアシュラフ1世と2世によって13-14世紀に建てられました。
この日、内部を見学することができましたが、現在ユネスコによって修復が行われています。
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タイズの街を後にして、標高3005mのサビル山の頂上に4WDで向います。途中何回か写真を撮りましたが、下の写真はアルカヒール城塞の跡です。丘の上から右下に築かれているのは当時の城壁で、万里の長城を思わせます。
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次第に上っていくと、雲が眼下に見えます。
イエメンの大きな街は、どこも周囲を山で囲まれた盆地になっていて、これは外敵から守るのに有利な地形だからなのでしょう。
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山道はヘアピンカーブの連続で、そこを4WDがかなりのスピードで上っていましたが、1台が対向車が側面から衝突して事故となりました。
幸い怪我はなく良かったのですが、こちらの運転手は皆個人が所有していますので、この車の運転手にとっては痛い事故です。
トヨタの4WDですと、イエメンでの購入価格は6百万円くらいになります。普通の所得では到底買えないわけで、彼らの多くはアラブ首長国連邦などへ出稼ぎに行き、貯めたお金で乗用車を買い、観光の運転手などで稼いでいます。だから車のドアを強めにバタンと閉めただけで注意されます。車が生活の糧なのです。
ぶつけられた運転手はとても気の毒です。
どこから集まったのか野次馬が沢山現れました。
事故車に乗っていたツアー客は他の車に分散して移動を続けましたが、こういう事があると余裕をもって台数を確保していた添乗員の判断が活きます。
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サビル山の山頂付近です。
点々と白く見えるのは家で、よくこんな危険な場所に住んでいるなと思います。
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下の写真は、旧北イエメンと南イエメンとの国境があった場所です。右の建物が北イエメンの国境事務所でした。1990年に南北が統一し、今では国境の検問所も廃止となりました。
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途中のアルフェミー村には天然の温泉が湧いています。
小さな女の子がトランポリンのように土の上を飛び跳ねていますが、この地面の下はかつての海水だそうです。
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こちらは天然温泉の公衆浴場です。お国柄から男性専用で、水着着用です。
私たちのツアーの女性客の何人かが、ここで足湯に浸かりました。男達は一斉に湯船から出て、こちら側を凝視しています。この視線の先に、女性たちの足湯をつかっている姿があります。
平均年齢が60歳に届こうかというご婦人方ではありますが、イエメンの男性にとっては女性のナマ足を見るというのは、衝撃的なことなのでしょう。「やあ今日はイイモノ見せて貰ったよ」ってなもんですな。
米原万理さんのエッセーに、イランの男たちがカスピ海で水着姿を見るバスツアーというのがあると、書かれていました。一日中砂浜で一列に座って、女性の海水浴姿を見て帰ってくるのだそうです。
イヤハヤ、男というものはどこの国でも変りませんね。
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毎日11時ごろになると決まって、運転手さんたちが途中休憩をとります。
カート市でカートを買い求めるためです。安くて少しでも良いものを買うために、早い時間に購入する必要があるのです。
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写真のように、柔らかい葉っぱの部分をガムのように噛みます。
勧められて私も噛んでみましたが、お茶の葉のような感触でした。思ったより不味くない。
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アデンに着くと、先ずランボー・ハウス(現在はランボー・ツーリストホテル)を見学。
フランスの生んだ天才詩人アルチュール・ランボーが、若くして筆を捨て、ここアデンで貿易商として働いていた時に投宿したホテル。今でも彼が泊った部屋はそのまま残されています。
36歳の亡くなる際に、ここアデンに帰還することを切望したとされています。
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アデン・タンクは1世紀に造られた大型の貯水池で、イギリス統治時代に発見されました。今は周囲を公園に整備して市民の憩いの場となっています。
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アデンは旧南イエメンの首都でした。アデン港は天然の良港として、海のシルクロードの時代には中継基地として栄えました。
2000年10月にここアデン港で、イスラム原理主義勢力アルカイダによる米艦コール襲撃事件が起き、これが翌年の米国での9・11事件や、その後のアフガニスタン、イラク戦争へとつながってゆきます。
写真の様なのどかな風景からは、想像もつきません。
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夕暮れのアデン湾海岸の風景です。
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アデン湾に沈む太陽です。
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宿泊は「シェラトン・ゴールド・モハル」でしたが、設備、サービス共に、今回のツアー最低のホテルでした。
シェラトンの名が泣きます。
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by kanekatu | 2008-02-04 12:28 | イエメン | Comments(0)

イエメンの砂漠に陽が落ちて(3)

首都サナアを離れて、私たちは南部の山岳方面を目指して移動です。これ以降、帰国の日まで移動は4WDです。添乗員と現地ガイドを含めて13名に、4WDが5台用意されていましたので、かなりユッタリです。以前、イエメン観光をされた方からは、前後の護衛のための軍の車両が付いていたと聞いていましたが、今回は護衛の姿はありません。
幹線道路の多くは舗装されており、最近になってイエメン政府が観光に力を入れだしたためだそうです。でも一歩脇道に入ると途端にラフロードとなり、4WDが威力を発揮します。

ヘダール村は16世紀に要塞都市だった所です。イエメンの山の頂上には、必ずといって良いほど建物が建てられています。かつての砦や見張り台の名残りです。この国がある時は外敵から、ある時は部族同士の抗争から身を守るために建てたものです。
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村の子どもたちが集まってきて、ここで初めて「写真撮って」サインに出会いました。
因みにイエメンには日本と同様の義務教育制度があり、就学率は100%近いと説明されましたが、本当かどうか分かりません。
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ヤスレ峠は標高2800mの地点にあり、ここから見事な段々畑が見られます。イスラム教国で、これほど大規模な段々畑を見るのは多分初めてだと思います。
ここでは「カート」、トマト、ポテト、キャベツなどが栽培されています。「幸福のアラビア」の面影が残っています。
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「カート」というのはアカネ科の木の葉っぱで、その若い緑の葉っぱを生で噛み下すと、出てくるエキスに軽い覚醒作用を起こす成分が含まれています。そのためイエメン以外のアラブ諸国では、カートは厳禁となっています。勿論日本でも禁止です。
しかしイエメンでは男性の大半がカートを愛用しているようですし、女性も家では噛んでいる人が多いそうです。今回のツアーで会ったドライバーは、夕方になると全員、コブ取り爺さんのように頬っぺたを膨らまして、カートを噛んでいました。
皆で集まってカートを噛みながらお喋りする「カート・パーティ」が盛んに行われているそうですから、カートはイエメンの文化の一部といって良いでしょう。

ソマラ峠は標高2900mですが、ここでも一面の段々畑を見ることができます。
谷底に道路のように見えるのはワジ(枯川)で、雨期には溢れるほどの水に満たされます。この豊かな水が農作物も育てているわけです。
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本日の昼食は。牛、トリ、羊肉のミックスグリルでした。料理にはポテトフライが付きますが、これが結構美味い。
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イッブの街にはいると、いきなりラクダの群れが道路を行進している光景にぶつかりました。イエメンでは未だラクダが農作業に活躍しています。
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イッブの街はイエメン第4の都市で、13世紀に街並が築かれました。街の全景は、アルジェリアのムサブの谷に似ています。
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旧市街を散策していたら父娘に出会い、カメラを向けるとOKサインが出ました。女の子はお人形さんみたいに可愛いですね。
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イッブ旧市街の建築様式は石造りの塔式建物です。
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イッブ大モスクのミナレットはとてもカラフルで、美しいフォルムを見せています。
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11世紀に築かれたジブラの街には、当時この街を支配していたアルワ女王が眠るアルワ女王のモスクがあります。現在もイマーム派の聖地として、インドやパキスタンからの巡礼者の姿が見られます。
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この大モスクはペルシャ様式の2本のミナレットを持っていて、その美しさはイエメン随一と称されています。
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イエメン第二の都市、タイズには夕方到着となりました。スークに出かけましたが、どこも買い物客で賑わっていました。
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サナアのホテルにシャツ2枚とスラックス1本を置き忘れたので、取り敢えずこのスークでシャツ2枚を購入しました。
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by kanekatu | 2008-02-01 09:30 | イエメン | Comments(0)

イエメンの砂漠に陽が落ちて(2)

サナアでは先ず国立博物館を見学。どこの国でもそうでしょうが、国立の博物館というのは、自国の国民は余り関心が無いようで閑散としていました。日本だって、どれだけの人が上野の博物館を訪れたことがあるでしょうか。
展示も一言でいえば、さして見るべきものがありません。ただこの建物はかつてのイマームの王宮であり、1962年に最後の国王が在位わずか1週間で革命が起きて内戦になり、結局王政が廃止となった舞台になりましたので、その意味では見る価値があります。
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その後イエメンでの最初の昼食をとりました。
ホズスというナンですが、拡げると新聞紙の見開きくらいの大きさで、折りたたまれてテーブルの上にドンと置かれます。これを千切って食べるのですが、美味でした。お代わり自由ですが、そうは食べられない。近くのテーブルで食べていたイエメン人は、一人で1枚平らげていたようで、食べる量が違います。
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メインはフエダイの唐揚げですが、見かけと違ってこれも美味。いやイエメンの料理は意外と美味しいねと話していましたが、その後の10日間で結局この日の料理が最高の味となりました。
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昼食後は、世界遺産に登録されているサナア旧市街の観光です。
サナアは人類が築いた最古の都市と呼ばれていて、聖書に登場するノアの箱舟の、ノアの息子サム(セム語族の祖とされる)が開いた街という伝説が残されています。
標高2300mに位置し、日中こそ温度が上がるものの、爽やかな気候が感じられます。
現在6000棟の建物と、5万人の人がここに暮らしています。
街の建物の外観は全て赤茶色のレンガと白い漆喰に統一されていて、それ以外の色は一切使われていません。
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ここでイエメン人の服装について説明しておきましょう。
男は白い色の服が基調で、上は長袖シャツに下はズボンか巻きスカートのような物を着ています。
しかし何と言ってもイエメンの男の象徴は、ジャンビーアとよばれる鞘(さや)のついた半月刀を、へその前に差していることでしょう。
祖父から父へ、そして息子や孫へと代々伝えられているのだそうで、宝物のように大切に扱っています。
ヨォ、この色男!
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女性の服装は、外套(がいとう)、ショール、ベールをふくめて目だけ出し、頭から踝まですっぽりと身体を覆っています。色は大半が黒で、南部に行くとカラフルな色が使われているケースもあります。
子どもや若い女性の中には顔を出している人もいますが、年頃になると家族にも顔を見せないのが習慣だとか。
下の写真は、母親と女の子とその弟の三人連れを撮ったもので、大変貴重な画像です。
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一般的にイスラムの国というのは、写真を撮られるのを嫌う傾向がありますが、イエメンはその傾向が顕著です。女性は子どもでも撮影は難しく、成人女性に至っては殆んど不可能に近い。男でもはっきり拒否されることがありました。従って人物のスナップの多くは、景色や建物の写真に写っていた一部を使うか、後姿を写したものが多いことを、始めにお断りしておきます。
この旅行記恒例の世界の美女シリーズは、イエメンに限ってお休みになります。

路上で遊ぶ幼い子どもたちで、子どもの姿だけはどこに行っても変らないですね。
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婦人服の店です。女性たちは表に出る時は真っ黒な姿ですが、家に入るとこうした鮮やかな色の服を身につけているのだそうです。
余談ですが、下着の色もこうした原色系のようです(下着売り場で確認)。
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旧市街の道路は、高い建物の間を迷路のようにクネクネと這っています。
中世の世界に迷い込んだような気分になり、とても首都の街とは思えません。
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イエメンの建物は、サナアのように石造りや地方によれば日干しレンガ造りが大半で、1,2階は店舗や倉庫(農村では家畜や穀物の倉庫)にしており、住居は3階以上になっています。
窓は砂よけや防衛のために小さくとられていて、その代わり窓の上に「カマリア窓」と呼ばれる半月形の明り取りが取り付けられ、そこにステンドグラスなどが嵌め込まれています。
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窓の部分を拡大しましたが、赤茶色のレンガと白い漆喰、それに木製の窓と「カマリア窓」のステンドグラスが見事に調和し、独特の美しい外壁を表出しています。
この建築様式はイエメン全土に共通しているようです。
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ダウッドというホテルの屋上から見たサナア旧市街の中心部です。
およそ近代化とは遠く離れた光景に、サナアの街の魅力があります。
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建物の最上階は「マフラージ」と呼ばれる客間になっていて、家具や調度品も立派なものを揃え、「カマリア窓」も一回り大きなものが付けられています。
ここのホテルの場合は、新婚さん向けの部屋として使われています。
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スーク(商店街)を歩いていると、薪を燃料にフイゴで風を送り、トンテンカントンテンカンと鍛冶屋の職人が、農具を作っている光景にぶつかりました。
 暫時(しばし)もやまずに 槌(つち)うつ響(ひびき)、
 飛び散る火の花 はしる湯玉(ゆだま)。
 鞴(ふいご)の風さえ 息をも継(つ)がず、
 仕事に精出す 村の鍛冶屋(かじや)。
童謡「村の鍛冶屋」は、日本ではもう見られない光景になりましたが、イエメンでは今も生き続けています。
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スークを歩いていると、買い物に来ている女性の姿が見られます。
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旧市街に入り口イエメン門の上から撮影した広場の光景です。
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イエメン門の正面です。
男同士が手をつないで歩く光景は奇妙に見えますが、イスラム教の国ではごく普通の光景です。
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一見すると近代文明から忘れ去られたような街に見えますが、自らの伝統文化を頑なに守って暮しているイエメン人の姿こそ、サナアの最大の魅力かも知れません。
それにしてもイエメン到着後に休憩無しでのサナア観光は、少々疲れました。
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by kanekatu | 2008-01-29 10:03 | イエメン | Comments(2)

イエメンの砂漠に陽が落ちて(1)

沙漠に日が落ちて
夜となるころ
恋人よなつかしい
唄をうたおうよ
あの淋しい調べに
今日も涙誘う
恋人よなつかしい
唄をうたおうよ

年配の方ならご存知でしょう。昭和3年にレコーディングされ、二村定一が歌って大ヒットした「アラビアの唄」(堀内敬三訳詞)です。
私の旅は歌にまつわる行き先が多いようですが、今回のイエメン旅行もアラビアへの憧れがベースにありました。アラビアという言葉の響きに、昔の人々は東洋への異国情緒を感じていたのでしょう。今は殆んど使われなくなりましたが、かつては1,2,3とう数字をアラビア数字と呼んでいましたし、合成糊はアラビア糊と言われていました。私が小学校に上がって誕生日に始めて買ってもらった本が、アラビアン・ナイトの中の「船乗りシンドバットの冒険」でした。
アラビアを見てみたい、アラビアの国に行ってみたいという気持ちが、古いアラビアの雰囲気を残していると言われるイエメン旅行に駆り立てたのです。

イエメン、正式国名はイエメン共和国で、中東・アラビア半島の最南端にある国で、北部はサウジアラビア、東部はオマーンと国境を接し、南部はアラビア海に面しており、アデン湾を挟んでアフリカのソマリヤと対面しています。
国土の面積は日本の約1.5倍。人口は1950万人で首都はサナア。
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ここで簡単にイエメンの歴史を振り返ってみましょう。
古代:メソポタミヤとインド、中国との交易の中心地として栄える。
紀元前900年頃:シバ王国が、農耕の発達や、インド産香料、乳香の中継貿易によって繁栄。聖書にも登場する「シバの女王」 が誕生したのもこの時代。
「幸福のアラビア」と呼ばれて最も栄えた時代になる。
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525年:エチオピアの勢力から侵入を受ける。
575年:ササン朝ペルシャの支配を受ける。
7世紀:イスラム教が流入。
9世紀:ザイード派(シーア派の一派)のイマームの王家による王朝が成立。王家は近年まで存続した。
16世紀:オスマン帝国の支配下に入るが、イエメン人はオスマン帝国に対し抵抗。1世紀後にオスマン勢力を駆逐。
1839年:イギリスがアデンを始めとする南イエメンを占領。以後、南イエメンはイギリスの植民地となる。
1849年:オスマン帝国が北イエメンを再占領。
1918年:イエメン王国が独立。
1962年:軍事クーデターにより、イエメン王国が崩壊し、イエメン・アラブ共和国が成立。内戦が始まる。
1967年:英領イエメン(南イエメン)が、南イエメン人民共和国として独立。後にイエメン人民民主共和国へ改称。
1990年:北イエメン、南イエメンが合併し、現在のイエメン共和国が成立。
1994年:旧南側勢力が再独立を求め、イエメン内戦が勃発するが、約2ヶ月で鎮圧される。
1999年9月23日:国民の直接投票による初めての大統領選挙が行なわれる。

ツアーは1月11日から10日間の日程で、旅行社はユーラシア旅行社、添乗員は経験14年のベテラン・Yさん。ツアー参加者は11名とこじんまりとしたグループです。
ユーラシア旅行社にはちょっとした偏見(註)があり、今回が初参加でした。
他の旅行社と異なり日数が短いのと、3連休を挟んで金曜日夜出発、翌週の日曜日帰着と言う日程に魅力を感じたので、このツアーを選びました。
(註)以前この会社に就職活動を行っていた学生のブログに、面接で社長から「当社は儲けるために旅行業をしているのであって旅行好きの社員は要らない」と言われたとの記事が紹介されていた。

キャリアは当初カタール航空の予定でしたが、旅行社との間で行き違いがあったようで、急遽エミレーツ航空に変更となりました。
エミレーツは機材が新しく、機内サービスが良いので歓迎です。
客室乗務員の半数以上が日本人なのが有り難いし、機内食も朝食でもチョイスが出来るなど行き届いており、フルーツに缶詰を使わないのがエライ。
唯一の欠点は食事の後にドリンクが配られることで、これでは「先ずビール」にならないのが気に入りません。不満はそこだけです。

羽田―関西空港―ドバイ―サナアの航路で、乗り継ぎを含めて17時間かけてイエメンの首都サナアに到着となりました。
「タージシバホテル」にチェックインし、昼食を済ませると直ぐにサナア観光と言う忙しい日程となりました。

下の写真は国立博物館の玄関です。
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by kanekatu | 2008-01-25 15:49 | イエメン | Comments(2)

憂きな中にも旅の空


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