カテゴリ:クロアチア( 10 )

西バルカン6ヶ国周遊記12(「おまけ」クロアチア)

11回の続きなので2回分連続して投稿します。
昼食のために一度モンテネグロからクロアチアに入国となりました。私たちのバスがクロアチアの出国手続きをしている隣で、クロアチアから来た乗用車が入国審査を受けていましたが、何か不審物があったようでトランクからスーツケース、果ては車体の裏まで調べられ結局入国拒否され追い返されいました。両国は現在友好的な関係にありますが、国境を甘く見てはいけないという事でしょう。

当初はドブロヴニク新市街の予定だったようですが手違いがあったらしく旧市街のレストランに向かいました。
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旧市街に近づくとすごい混雑、ようやくバスの駐車場に着いて徒歩でピレ門からドブロヴニク旧市街へ。
豪華客船が入港していたようで、相変わらず目抜き通りは人人人です。
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大理石の石畳というのがこの街の値打ちの一つ。
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昼食の前菜はペースト。
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久々に大生、たまらん!
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メインは何だっけ、忘れました。
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ボート乗り場です。
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帰り道、この正面に出入り口のピレ門があります。
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ここが初めてという方にとっては望外でとても喜んでおられました。
ドブロヴニクというのは離れた小高い丘からの眺めは実に素晴らしく、アドリア海の真珠という表現がピッタリだと思うのですが、内部に入るとそう見所が多いわけではなく、周りを囲む城壁の上の遊歩道を一周するのが観光の目玉だと思います。
ドブロヴニクは遠くにありて思うもの、というのが私の感想です。

次回はボスニア=ヘツツェゴビナに入国します。
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by kanekatu | 2014-06-26 09:06 | クロアチア | Comments(2)

クロアチア・スロベニア旅行記(10)最終回

クロアチアの首都ザグレブは、1094年にローマ・カトリリックの司教座として建設された宗教都市カプトルと、1242年に自由都市として建設されたゴルニィ・グラードの二つの街が合併して出来た都市です。いずれも旧市街は丘の上に建っています。
丘の麓にあたる地域を東西に走るのがイリツァ通りというメインストリート、その中心がイェラチッチ広場で、広場の周囲は商業ビルで囲まれています。
その一つ、ザグレブ銀行です。
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先ず坂を上ってカプトル地区に向かいます。
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坂の正面に見えるのがコメディ劇場です。
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カプトルの中心にあるのが聖母被昇天大聖堂で、ザグレブのシンボルでもあります。13-18世紀に建てられたものですが、現在の建物は1880年の地震の後に建てられたもので、内部はルネッサンス様式の祭壇やバロック様式の説教壇があります。
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大聖堂から西に向かうと間もなく青果市場があります。営業時間が15時までということで、残念ながら大半の店は閉店していました。
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カプトル地区のシンボルが大聖堂なら、ゴルニィ・グラード地区の象徴は聖マルコ教会です。13世紀に建てられたこの教会は、現在の姿になったのは1880年の改築からです。特徴的なのはモザイク模様の屋根で、クロアチア王国やダルマチア地方の紋章がデザインされています。
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ザグレブ旧市街ではどこでも大聖堂の尖塔が見られます。
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ゴルニィ・グラード地区の丘の上から見た大聖堂の2本の塔で、左側の塔は修復中でした。
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イェラチッチ広場では臨時の舞台が作られ、学生達によるコンサートが行われていました。その関係からか、沢山の若者が会場に集まっていました。
この少女たちは楽しそうに何を語らっているのでしょう。
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国際線の列車は全てこのザグレブ中央駅から発着します。なかなか風格のある駅舎です。
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ザグレブの街はトラムと呼ばれる路面電車が発達しています。トラムを使えば市内どこでも行けるということで、30分間の自由時間を利用して早速乗車してみました。と言っても、どこかへ行く時間は無いので、数駅乗って又戻るということで、乗車気分を味わっただけです。
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乗車券は8クーナですから日本円にして約200円、結構高いですよね。キヨスクで2枚購入して乗車。周囲の乗客を見て切符の取り扱いを真似ようとしたら、私が乗車している区間で、切符を刻印したり運転手に渡したりした人は一人もおらず、結局そのまま持ち帰ってしまいました。皆さんタダ乗りのように見えたのですが、どうなっているんでしょうね。
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クロアチアでの最後の夕食は民族舞踊ショー付きということで大いに期待していましたが。
さてその踊り子さんたちが下の写真の通りで、平均年齢が推定70歳くらいでしょうか。舞踊ショーというよりは、お達者クラブの余興みたいな感じでした。それでも皆さん愛想が良くて、最後はツアー客も踊りの輪に加わり、賑やかなフィナーレとなりました。
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かくしてツアーの最終日はザグレブを早朝発ち、バスで国境を越えてイタリアのトリエステに着き、そこからアリタリア航空でローマ経由、成田に帰着となりました。
欧州の航空会社としては悪名高いアリタリアでしたが、久々に搭乗したら格段にサービスが改善されていました。経営方針が変わったのでしょうか。いずれにしろ乗客としては喜ばしいことです。

さてこの旅行記も今回で最終回です。
クロアチアやスロベニアの景観の美しさは、画像をご覧になって理解して貰えたと思われますが、もう一つの魅力は人柄の良さをあげることができます。
ヨーロッパはやはりアジア人に対する差別意識があり(特に東欧で顕著)、ツアー期間中一度や二度イヤな思いをすることが多いのですが、今回のツアーでは全くそうした不快な気分になることはありませんでした。バルカン半島の人々が辿ってきた苦難の歴史が、そうした国民の意識を形成したのかも知れません。
私が今まで経験したヨーロッパ諸国の中では、この両国の人々が高感度No.1です。
買い物は全て地元の商店やスーパーマーケットなので、不要な土産物を高く買わされることもありません。またブランド好きの方は、往復のローマの空港で買い物ができます。
最近のクロアチア旅行ブームの陰には、単に景色が良いということだけではなく、そうした事情も反映されているのだと思われます。

―終り―
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by kanekatu | 2008-06-12 15:50 | クロアチア | Comments(4)

クロアチア・スロベニア旅行記(9のおまけ)

次回は首都ザグレブの観光をもって最終回となりますが、その前に変わった写真を1枚。
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プリトヴィツェ近郊のkorenicaという町の街路樹に貼られていたもので、死亡公告ですね。5月7日に79歳で亡くなられた方のようで、多分住所や喪主の名前が書かれているのでしょう。
日本では町内会などで掲示していますが、縦書き横書きの違いはあっても体裁は良く似ています。ただ日本では掲示板に貼られているのが、クロアチアでは街路樹というのが相違点です。
モンテネグロで見たものは、全て左上に故人の写真が載せてありましたが、建物の外壁などにベタベタと貼られていて、日本では考えられません。
海外には町内会が無いのでしょうね。回覧板もきっと日本だけでしょうか。どなたかご存知でしたら教えてください。

旅行の写真をお褒めにあずかることがありますが、私は一眼レフなどという高級カメラを持ったことがなく、撮影は専ら安い小型デジカメを使っています。写りはどうしても高級カメラに比べ見劣りしますが、いつもベルトに下げて持ち歩けますので、シャッターチャンスを捕らえやすいという利点があります。電源が単3乾電池なので容易に入手できますから、万一のバッテリー切れの心配もありません。
もう一つ、旅先が砂漠地帯が多いためカメラが傷みやすく、高いものは使えないという事情があります。

一回のツアーでおよそ1000枚撮り、200枚位を残して後は消去します。ブログの旅行記にアップするのがその中の半分以下ですから、撮影総数の数%が掲載される勘定です。
Googleの検索でチェックしてみると、画像で人気が高いのはイスラエル、アルジェリア、ベネズエラ、トルクメニスタンといった所で、この旅行記の読者層が想像されます。
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by kanekatu | 2008-06-09 03:42 | クロアチア | Comments(0)

クロアチア・スロベニア旅行記(9)

クロアチアの世界遺産の一つであるプリトヴィッツェ湖畔国定公園が日本人観光客に注目されだしたのは、割あい最近のことです。今ではドブロヴニクと並ぶクロアチア観光の目玉になっています。
首都ザグレブから南に110km、プリトヴィッツェ川とコラナ川の合流点にこの湖畔公園があります。大小16の湖と、標高639mから150mまで階段状に流れ落ちる92の滝が、独特の湖畔の姿を形成しています。

東側の入り口から入ると直ぐに、プリトヴィッツェ川とコラナ川の合流点にある落差78mのヴェリキ・スラップが見えます。
写真では到底その大きさを表現できないのが残念です。
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地図を見ても一つ一つの湖や滝に名前が付けられていないで、下流から上流に向かう景色を写真で味わって貰うしかありあません。
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こうした大小様々な滝を見ることができます。
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公園内は木製の遊歩道が設けられており、観光客はその上を歩くのですが、写真撮影に夢中になってツアーメンバーの一人が湖に落ちてしまいました。幸い直ぐに助けられたのですが、柵が無く、足元が悪い場所もありますので、散策には十分注意が必要です。
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移動は徒歩ですが、距離の長い所は遊覧船やエコロジーバスを使います。
水の色が場所や時間帯により次々と変化するが、とても幻想的です。
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水量の多い時期でしたので、滝はいずれも見応えがありました。
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映画のワンシーンを見ているような、幻想的な景色です。
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2006年の中国・四川省にある九寨溝を訪れた際に、その余りの見事な景観を眼にして、あるツアー参加者に「この湖の景色は世界一でしょうね」と話しかけたら、「いやクロアチアのプリトヴィッツェの方が上」と言われ、それならそっちも見てやろうと決意しました。
私の見立てでは、規模、美しさ共に九寨溝の方が遥かに上回っています。九寨溝を先に見た人は、見劣りがしたのではないでしょうか。参加者の感想も、やや期待外れの声が多かったように思います。
これは過大な期待の反動であり、プリトヴィッツェに責任はありません。

この後、最後の観光地ザグレブに向かいましたが、途中slunjという小さな村をで写真ストップ、ここでも美しい滝の姿を見ることができました。
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by kanekatu | 2008-06-08 09:24 | クロアチア | Comments(0)

クロアチア・スロベニア旅行記(8)

海外旅行の楽しみは、観光地を見て歩く事にありますが、それに劣らず移動中に車窓から見える景色や人々の暮らし、これがもう一つの旅の楽しみです。
旅行によってはむしろ後者の方がメインになったりしますので、体調不良さえなければ、ずっと起きていて景色を眺め続けることにしています。
ツアー客によっては移動時間は睡眠時間とみなすのか、寝てばかりいる人がいますが実にモッタイナイ。
飛行機も日本からの往復は長時間にわたるので、出来るだけ通路側を確保しますが、先方の国内移動の際には窓際の席を取り、上空から国土の様子を観察することにしています。
その他、自由時間がある時は、電車や路線バスなどその国の公共交通機関を利用します。毎回新しい発見があって、本当に楽しいですよ。

ツアー7日目はドブロヴニクからプリトヴィツェに向かって終日移動日です。景色はどこも美しく、車窓から見ていて飽きることはありません。
ドブロヴニクの遠景写真を撮っていましたら、たまたま日本からの豪華客船「飛鳥Ⅱ号」が港に停泊していました。
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復路は海岸線を北上し内陸部を東に向かいます。
見慣れたアドリア海ともしばしのお別れです。
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バチーナ湖です。唄の文句じゃないけれど、山の中の湖というのはどこか寂しげな風情がありますね。
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この辺りは盆地になっていて、クロアチアの穀倉地帯です。オレンジの栽培が盛んだそうです。
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ヴェルベート海峡にかかる橋を渡っているところです。
クロアチアは現在高速道路の整備を進めていて、現在は首都ザグレブからスプリットまで高速で結ばれています。将来はドブロヴニクまで延長される計画があるようですが、そうなるとあの見事な海岸線の景色が見られなくなる可能性があり、旅の魅力が半減してしまいます。
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およそ9時間かけて、ようやくプリトヴィツェ近郊のKORENICAという町に到着、今晩はここに投宿です。
ホテル「マコラ」の3階は屋根が傾斜している影響から、窓際に行くと極端に天井が低くなって、腰をかがめないといけません。うっかりすると天井に頭を打ちつけることになり、危険です。宿泊客の殆んどが日本人でしたので、日本の旅行会社指定ホテルなのでしょうが、このホテルはやめた方が良い。
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夕食前にホテルの付近を散策しました。
サイクリングに来ていた少女たちです。10才と言っていました。どこの国へ行っても、子ども達が英語で話しかけてくるのは感心します。
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毎回の旅行で母子の写真を撮っていますが、今回なかなかチャンスが無かったのですが、ベビーカーを押して散歩している母子をみつけてカメラに収めました。二人並んでいるところを撮りたかったのですが、母親が照れて離れてしまったので、別々の写真となりました。
上下のジーンズに赤い靴下、ピンクのスニーカーとなかなかオシャレな服装をしています。
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笑顔が素敵なママです。
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明日はプリトヴィツェ国立公園の見学です。
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by kanekatu | 2008-06-05 10:44 | クロアチア | Comments(0)

クロアチア・スロベニア旅行記(6)

ドブロヴニクはクロアチア観光のハイライトであり、この国を訪れる人の多くはドブロヴニクを楽しみにして来ています。
先ずは「お約束」の旧市街全景の写真を。
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青い海と赤い屋根の対比がとても美しく、さすが「アドリア海の真珠」と称えられるだけのことはあります。それに後方に見える山々が又良い雰囲気を醸し出しています。
玄関口にあたる旧市街西側のピレ門から入場します。
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橋を渡って最初に目に入るのが堅牢な城壁と要塞です。これが旧市街の周囲をぐるりと取り囲んでおり、先ほどの全景写真との落差を感じます。
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実はこの城壁と要塞こそが、ドブロヴニクの歴史を語っているのです。
ここはクロアチアの他の都市とは大きく異なった歴史を辿ってきました。町が誕生したのは7世紀とされ、当時の名前ラグーサ共和国は交易によって繁栄しようとしていたのですが、アドリア海の制海権を奪うべくヴェネツィア共和国が虎視眈々と狙いを定め、戦いを挑んできます。
ラグーサ共和国は他国への領土拡張には全く興味がなく、城壁をめぐらし専守防衛に達すると同時に、外交交渉によって名目上は支配下にされながら、実質は自治を貫きます。
十字軍のドサクサで13世紀にはヴェネツィア共和国により実効支配されますが、14世紀にハンガリー帝国の支配に移管されると又自治を回復します。
しかしラグーサ共和国が壊滅的な打撃を受けるのは戦争ではなく、1667年に起きた大地震で、この時町の殆んどが崩壊します。
その後一度復旧しますが、今度はナポレオンによって降伏させられ、ラグーサ共和国は完全に消滅してゆきます。
城壁だけは幾多の戦歴や地震に耐え、今日その姿を私たちの前に見せています。

ピレ門を入って直ぐ左にフランシスコ会修道院があります。
14-15世紀にかけて建てられたもので、現在の建物は大地震の後再建されたものです。
ロマネスク様式の美しい回廊です。
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中庭だけは14世紀に造られたままの状態です。
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ドブロヴニクの歴史で忘れてはならないのが、1991年の旧ユーゴスラヴィア軍の攻撃による街の破壊で、この時危機にさらされている世界遺産リストに載ってしまいました。しかしその後驚異的な復旧が行われ、今ではどこがオリジナルで、どこが修復されたのか区別がつきません。
この修道院では、その時の攻撃で打ち込まれたミサイルや爆弾をこうして展示し、戦乱を戒めているのです。
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東西に走るメイン道路はプラツァ通りといい、突き当たりにルジャ広場があり、この付近に多くの歴史的建物が集まっています。
かつての海の玄関口ルジャ広場の脇に建つのがスポンザ宮殿であり、この建物だけが大地震の被害を免れています。1516年に建てられ、当時は税関事務所でした。その後文化人サロンとなり、今は古文書館として使われています。
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総督邸はラグーサ共和国総督の住居と同時に、共和国の評議会や元老院など行政機関が集まっていました。15世紀にゴシック様式によって建てられましたが、その後幾度かのルネッサンス様式による補修が行われ、両様式が融合した建物となっています。
現在は文化歴史博物館として内部が公開されています。
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大聖堂は12世紀に創建されたそうですが、現在の建物は17世紀にバロック様式で再建したものです。
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旧港はドブロヴニクの海の玄関口で、この場所が街の繁栄を支えてきました。かつてはこの場所にアルセナルという造船所がありましたが、今は3つのアーチがその面影をとどめています。
現在は遊覧船や連絡船の船着場となっています。
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写真の左側の娘さんが傘を抱えていますが、前日は天気が悪くヒヤヒヤしていたのですが、ドブロヴニク観光の日は快晴でほっとしました。日頃の行いが良い証拠ですね。
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城壁は周囲が約2kmありますが、ここから見る旧市街が最も美しい。赤い屋根とアドリア海の青の対比が見事です。
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城壁の突端には巨大な要塞が聳え立っています。
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上から見たプラツァ通りです。
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昼食はロブスターでしたが、観光の後で青空の下で飲むビールの味は、また格別でした。
スロベニアもクロアチアも、ビールやワインがとても美味で、アルコール好きには堪りません。
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レストランの可愛いいウエイトレスです。
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ドブロヴニクはさすが見所が多く、堪能しました。
午後は海岸を南下し、国境を越えてモンテネグロのコルトに向かいます。
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by kanekatu | 2008-05-30 10:19 | クロアチア | Comments(0)

クロアチア・スロベニア旅行記(5)

アドリア海沿岸の最大の街であるスプリットは、3-4世紀に活躍したローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿がそのまま街になったという世界的にも珍しい都市で、世界遺産に登録されています。
ではディオクレティアヌス帝とはどういう人物だったのか。3世紀のローマ帝国はペルシャ帝国などとの戦いにより国家存亡の危機に陥っていました。軍人から皇帝になったディオクレティアヌスは、帝国の防衛のために領土を4分割統治し、未曾有の危機を乗り越えました。同時に官僚制や税制の改革を行なった皇帝としても知られています。
しかしディオクレティアヌス帝が名を馳せたのは、なんといってもキリスト教への迫害であり、キリスト教を弾圧した最後の皇帝となりました。
又、天命を全うし、自らの意思で退位した唯一のローマ皇帝でもあります。
ローマ帝国滅亡後に、多くの異民族が流れ込んでこの宮殿内に住みつき、街が形成されてゆきます。

かつての宮殿の様子で、四方は堅牢な城壁に囲まれていました。現在この城壁もそのまま商店などの建物として活用されています。
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宮殿南側の黄銅の門付近で、かつてはこの辺りは海でしたが、現在は埋め立てられ海岸通りとなっています。商店の建物が、かつての城壁になります。
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宮殿入り口で、通路の両側は土産物店が並んでいます。緑色に見えるのは、ライトアップのせいです。
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この宮殿は1階と地下が全く同じ造りになっているので、地下を見ればかつての宮殿の様子が分かるのです。なぜ地下が昔の状態を保っていられたのかというと、地上に住む住民のゴミ捨て場になっていたため、良好な保存状態になっていたわけです。
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宮殿には東西と南北の2本の道路はあり、その交差する場所をペリスティルと呼んでいます。現在もスプリット旧市街の中心地でもあります。
この右側に大聖堂がありますが、大き過ぎて写真に収まりません。
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北側にあたる金の門です。
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通行人の女性ですが、特に意味はありません。好みだったもので・・・。
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東側の銀の門付近です。ここから見ると往時の城壁の様子が良く分かります。
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市立博物館です。15世紀に建てられた後期ゴシック様式の建物です。
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昼食は魚料理です。一口食べてから気が付いたので、少々お見苦しい。クロアチチアの料理は、沿岸部は魚が主体なので食べやすく美味です。野菜は豊富ですが、フルーツは特に見るべきものがありません。パンが付いていないことが多く、その分やや物足りない感じが残ります。
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午後は次の目的地ドゥブロヴニクに向かって、ひたすら海岸線をバスで走ります。実はクロアチア旅行の最大の見所は、この時の海岸線の美しさです。太陽がある時は真正面から、後ろから、右から、左からと、頻繁に位置がかわります。それ程この海岸線は入り組んでおり、海峡、入り江、河口、半島、それに大小様々な島が重なり、複雑な海岸線を形成しています。その美しさは例えようがありません。
残念なのはバスの車窓からしか見られないことで、写真では到底伝えることが出来ません。
それでも何枚か写真を撮りましたので紹介しますが、バスのガラス越しのため写りは良くありません。
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途中ネウムという町を通りましたが、ここだけはボスニア・ヘルツェゴビナになります。クロアチアはここでいったん切れていて、この先は飛び地になっています。だから一瞬だけボスニア・ヘルツェゴビナに入国し、直ぐに出国することになるわけです。
トイレストップを兼ねて、ここのスーパーで買い物をしましたが、これが安い。ミネラルウォーターなど半値近く、私たちは皆この店で土産物などを買いだめをしました。
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ネウムの町の風景です。
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泊りはドゥブロヴニクから車で15分位の所にあるツァウタットのホテル「アルバトロス」です。ホテルの直ぐ傍の海岸風景です。アドリア海は水もキレイですが、波が全くありません、写真のようにまるで湖水のように静かな海面です。
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次回はいよいよドゥブロヴニクの観光です。
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by kanekatu | 2008-05-27 10:59 | クロアチア | Comments(0)

クロアチア・スロベニア旅行記(4)

シベニクはクロアチアの海岸線のほぼ中央に位置し、クルカ川の河口に開けた歴史の古い街です。海岸に沿って建物が立ち並んでいます。写真の中央付近に見えるドームは聖ヤコブ大聖堂の塔です。
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聖クルシェバン教会です。
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世界遺産の聖ヤコブ大聖堂は15~16世紀にかけて約100年間かけて建てられたもので、当初はゴシック様式だったのが、途中からルネッサンス様式に変わっていて、半円形の屋根がその特徴を残しています。
見学している時は感心するのですが、なにせ毎日毎日沢山の教会を見ていると、どれがどれだけ分らなくなります。
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中学生と思われる集団が見学にみていましたが、女子生徒は真面目に説明を聞いているようでしたが、男子の方は外で遊んでいました。
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シベニクの市庁舎です。1階が店舗というのが珍しい。ルネッサンス建築様式です。
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細い路地に入ると、中世の世界そのものです。
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と思っていると、いきなりこんなモデルの様な女性が現れます。
男性ツアー客の間では、ヨーロッパの中ではクロアチアが一番美人だという評価でした。いくつになっても男の視線というものは変わりませんな。
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人物の写真を見てお分かりのように、服装がT-シャツの人から長袖に上着を羽織った人まで様々ですが、スロベニアやクロアチアの5月初旬の気候というのは、朝晩はけっこう冷え込む時があり、日中は晴れていれば半袖でもOKですが、雨に降られてと冷え込みます。標高の高い地域では、朝晩はジャンパーを着るような気温になりますので、気温の変化に対応できるように服を準備する必要があります。

泊りはバスで15分の所のヴォディチェという町でした。
ホテル「オリンピア」は海側の部屋でで、庭を通って海岸に出られます。アドリア海の夕景を1枚。
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ホテルの清掃をしている従業員です。カメラを向けるとポーズをとってくれました。
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観光5日目、午前中私たち一行はトロギールに向かいますが、途中プリモシュテンという町の島の写真です。時間があれば訪れてみたいと思うようなお伽の国みたいな島です。
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トロギールは周囲を城壁で囲まれた小さな島で、今では本土と橋でつながっています。ここにある聖ロヴロ大聖堂が世界遺産に登録されています。13世紀に着工、完成は17世紀の建物なので、様々な時代様式が混在しているのが特徴です。
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教会内部の装飾はカラフルです。
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ルネッサンス様式のイヴァン礼拝堂で、今まで見た中で最も美しいものでした。
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高い塔を見ると登りたくなる性分で、早速ロヴロ大聖堂の塔に上がり、トロギールの街を一望しました。右下にクロアチアの国旗がはためいています。奥に見えるのが本土です。
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午後はスプリットの観光になります。
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by kanekatu | 2008-05-25 10:14 | クロアチア | Comments(0)

クロアチア・スロベニア旅行記(3)

クロアチアに入国して最初に着いたのはオパティアで、今夜はここで泊りです。オパティアという街はハプスブルグ王家の時代からクロアチア屈指のリゾート地と知られ、現在も海岸線に沿ってリゾートホテルが立ち並び、マリンスポーツも盛んです。
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ヴィラ・アンジョリーナは1844年に当時の豪商ジニオ・スカルパによって建てられたゲストハウスで、名前は彼の妻の名前に因んだものです。今は植物園となっており、庭園は美しい花で飾られています。
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海岸は遊歩道になっていて、夕方になっても多くに人が散歩していました。
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宿泊した「グランドホテル4」はなかなか良いホテルでしたが、夜の9時ごろたまたま一階のホールに下りてみたら、若くて飛び切りの美女たちが下着姿で並んでいてビックリしました。後で聞いたらミスコンの女性たちだったそうです、もっと驚いたのは、その傍らに熊の着ぐるみが立っていて、そこに沢山の子どもが群がって遊んでいたことです。一体なんの集まりだったんでしょうね。
気が弱いもので、ついつい写真を撮り損ねたのが心残りです。
スロベニアのホテルでは、夕食がホテル内のカジノの中のレストランだったのですが、入り口でパスポートの提示を求まられ、おまけに顔写真まで撮られました。入国審査よりはるかに厳重でした。
それと、今回のツアーで泊ったホテルでは、いずれも女性からの勧誘は全くありません。やはりヨーロッパのせいですかね。売春のない国は無いでしょうが、普通のホテルで客引きがあるのは、アジアの特質でしょうか。

クロアチア、正式名称はクロアチア語でRepublika Hrvatska、通称はHrvatska(フルヴァツカ)です。日本での表記はクロアチア共和国で、一般にもフルヴァツカと表記されることはありませんが、国の略号は「HR」です。
面積は九州の約1.5倍、人口は450万人で、首都はザグレブです。一人当たりのGDPは12400ドルですからスロベニアの半分です。宗教はローマンカトリックが88%。
意外なことにEUには未加盟で、これはオランダのハーグに設置されている旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷から訴追されているクロアチア軍退役将軍アンテ・ゴトヴィナの同法廷への引渡しが条件となっていたためです。クロアチア国内に反対する勢力がありましたが、引渡しが終わったので、近い将来EUへの加盟が認められる予定です。
通過はクーナ・Kn(ツアー時点で1Kn=23円)ですが、ホテルなどではユーロが使えます。
物価はスロベニアに比べると安い、と言うよりはユーロ高のためEU加盟国はどこでも物価がとても高い。北欧や西欧ではレストランのビール代が1000円近くするので、酒飲みは飲み物代だけで1日5000円が消えることになります。

クロアチアの最初の観光はザダルです。ザダルは早くからダルマチア地方の港湾都市として栄え、中世にはヴェネツィアと対抗するほどの勢力を持ちます。ヴェネツィアはザダルの地形がアドリア海の制海権にとって重要だと考え、遂に第4次十字軍を使ってザダルを攻め落とします。十字軍がキリスト教の都市を攻撃するという歴史的汚点を残す出来事になりました。
以後この街は、ヴェネツィア共和国の支配下に入りますが、教会など多くの宗教施設が残る街として、多くの観光客を集めています。

旧市街の中心にフォーラムがありますが、ここは紀元前1世紀~紀元3世紀に神殿が建てられていた場所で、今は完全に破壊され基礎部分が残っているだけです。
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昼食は市内のレストランで、メインはイカ料理でした。
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フォーラムの直ぐ横にある聖ドナト教会はザダルのシンボル的な存在で、9世紀に建立された古い建物です。
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聖ストシャ大聖堂のファザードです。この教会は12世紀に建てられたダルマチア地方最大規模を誇ります。十字軍の攻撃や第二次大戦の時の爆撃で被害を受けながら、その都度修復が行われました。
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大聖堂の南側にある塔で、ここからザダル市街が一望できます。
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聖マリア教会で、ベネディクト会の女子修道院が隣接されています。
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フランシスコ会修道院は13世紀の建築で、写真は内部の回廊です。
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ザダル市内の建物の中には、こうしたクロアチア内戦の際に破壊された建物がそのまま残されています。この街が世界遺産に登録されていない理由はこのためと説明ありましたが、納得いきません。他の世界遺産と比べても歴史的価値に全く遜色が無いと思います。
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聖ストシャ大聖堂の塔から見たザダル旧市街です。
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手前が旧市街、上に見えるのが新市街で、この写真で見るとザダルが港湾都市であることが良く分ります。
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母子の写真ですが、残念ながら赤ちゃんの顔が写っていないですね。
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4人連れの娘さんたちですが、右から2人目の人は何頭身あるのでしょうかね。
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バスはこの後、シベニクに向かいます。
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by kanekatu | 2008-05-23 10:41 | クロアチア | Comments(0)

クロアチア・スロベニア旅行記(1)

2008年5月2日より10日間の日程で「クロアチア・スロベニア」のツアーに参加しました。旅行社は「消えた添乗員」以来久々のクラブツーリズム社、参加者は21名で珍しく男性の数の方が多いというメンバーでした。添乗員はベテランのSさん(ツアコンというよりは中学の社会科の先生タイプ)。
クロアチア、スロベニア両国は、いずれも旧ユーゴスラビアから独立した国で、バルカン半島の西部に位置しています。
両国の地図は下記の通りです。
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バルカン半島という言葉を聞くと、団塊の世代の方なら若かりし頃にうたごえ喫茶で歌った「バルカンの星の下で」を思い出すでしょう。
♪輝くバルカンの 星の下にて
 幼き日の思い出 瞼に描く♪
あるいはもっと年配の方なら、禁断の秘本「バルカン戦争」を心ときめかせて読みふけった経験があるかもしれません。
「バルカンは欧州の火薬庫」などという物騒な表現もありましたが、これは今もって死語になっていません。

ここで、簡単にクロアチアを中心に両国の歴史に触れてみたいと思います。
10世紀から11世紀後半にかけてクロアチア王国が形成されますが、12世紀に始めから1848年までハンガリー帝国、ハプスブルグ帝国に支配されます。
この間、15世紀の一時期にオスマン帝国による支配に代りますが、間もなくハプスブルグの支配に戻ります。
その一方、アドリア海沿岸のダルマチア地方だけは10世紀以後ヴェネツィア共和国のより支配され、1815年からはオーストリアの直轄地となるなど、他の地域と異なる歴史を歩みます。
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1848年の3月革命により、ハンガリーからの独立を目指しますが鎮圧され、再びハプスブルグ帝国による支配に戻ります。しかしこの経緯の中で、クロアチアの自治権が拡大します。
1918年に第一次世界大戦で敗北したオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊すると、セルビア王国などと手を結び、セルビア・クロアチア・スロベニア王国を成立させ、1929年には南部スラブ人を意味するユーゴスラビアと国名を変更します。
しかしこの国は、実態としてセルビアが支配的であったため、クロアチアの不満が鬱積してゆきます。その結果、1941年にナチス・ドイツの後押しでクロアチア独立国を成立させますが、この時に報復と称して多くのセルビア人を殺害し、その仕返しにセルビア側はクロアチア人を殺害するという事態に発展します。
この事が、後年クロアチア紛争の火種になってゆきます。

ユーゴスラビアの混乱は、チトーを指導者とするユーゴスラビア共産主義同盟らによるパルチザン闘争によりナチス・ドイツからの自力解放を勝ち取り、1945年にユーゴスラビア連邦人民共和国が成立します。
ユーゴスラビアは俗に、「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つの国」と表現されていました。 7つの隣国とは、イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア。6つの共和国はスロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア。5つの民族はスロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人。4つの言語はスロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語。3つの宗教はカトリック、東方正教、イスラム教。2つの文字はラテン文字とキリル文字のことです。
こうした複雑な他民族国家を一まとめに出来たのは、専らチトー大統領という人物のカリスマ性に拠るものでした。

ソ連のスターリンと対立した結果、社会主義陣営からは除名され、西側からは共産主義とみなされたユーゴスラビアは、ソ連型の統制経済に対抗して自主管理社会主義という独自の経済モデルを作り、西側との経済交流も活発にするなど、非同盟の独自の道を歩んでゆきます。

しかし余りにチトー大統領個人の力に頼りすぎたため、彼の死後一気に矛盾が噴出します。
先ず、1991年にスロベニア、クロアチアが独立を宣言し、ユーゴスラビア軍とスロベニアとの戦闘は10日間で終結しますが、クロアチアとの戦争は長引き、1995年に戦闘が終結するまで多数の犠牲者を出すに至ります。
更にセルビア対クロアチアの対立は、ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争にも大きく影響し、今日に至っているわけです。
その凄まじさは、「これからは誰が自分を守ってくれるのか?という疑問に、我が民族だという答しか出なくなるのだ。」という言葉に如実に示されています。

下の写真は故チトー大統領の銅像ですが、泉下でさぞかし悩んでいるのでしょう、その表情からも窺われますね。
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独立後の紛争と混乱からようやく脱して平和を取り戻したクロアチアですが、危機に瀕していた世界遺産の修復も進み、今では世界中から沢山の観光客が訪れています。
我が国も例外でなく、ここ数年はちょっとしたクロアチア観光ブームになっています。

次回から旅行記の中味に入ります。
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by kanekatu | 2008-05-16 10:04 | クロアチア | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


by kanekatu
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