カテゴリ:モンテネグロ( 3 )

西バルカン6ヶ国周遊記11(モンテネグロ2回目)

過去には旅行記は3日に1回の割合いでアップしていましたが、そうすると終り頃には記憶が薄れてきます。今回は忘れないうちにとピッチを上げて書いています。
モンテネグロ2番目の訪問地はコトルで、ここだけは2回目になります。
アドリア海沿岸のボカ・コトルスカという地域は複雑に入り組んだ湾を形成していますが、その最奥に位置しているのがコトルです。
コトルは背後に険しい山をひかえ城壁が築かれるなど要塞都市として栄えました。かつて貿易によて得た富で築いた旧市街は中世の面影を残し、世界遺産に登録されています。
1979年の大地震で大きな被害が出ましたが、その後の復旧活動によりかつての姿を取り戻しています。

聖トリプン大聖堂はローマ・カトリックに教会で、塔以外は1160年創建のままの姿をとどめています。塔は地震後に再建されていて、よく見ると左右が少し違います。
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聖ルカ教会は1195年創建の東方正教の教会。右上部に城壁の一部が見えます。
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旧市街の背後のそって聳える山に沿って築かれた城壁は高さ20m、長さは4.5㎞に及びます。頂上まで片道1時間かかるという事で断念しました。
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旧市街の情景は説明不要と思います。散歩するつもりで画像をご覧ください。
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コトルからクロアチア国境近くに至るアドリア海海岸線は絵のような美しです。風光明媚という言葉がピッタリ当てはまる光景です。
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バスで通過しただけなので確認はしていませんが、この辺りはヘルツェグ・ノヴィの街かと思われます。かつては重要な軍事拠点でしたが、今はモンテネグロ観光の拠点とされています。
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モンテネグロは国民一人当たりGDPで比較すると、今回の訪問国ではトップです。
国名の由来はアドリア海沿いの山々に木が繁り、黒く見えたからだという事で自然の豊かさの現れと言えましょう。小国ながら国立公園が4カ所もあり、その一つは世界遺産にも登録されています。
全長293㎞の海岸線のうち73㎞がビーチという観光資源にも恵まれています。短い滞在期間でしたが魅力的な国として印象に残りました。

次の訪問国はボスニア=ヘルツェゴビナですが、この辺りの国境が入り組んでいて一度クロアチアに入ってからボスニアへ向かうというコースをとりました。
昼食はクロアチアのドブロヴニク市内となりました。
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by kanekatu | 2014-06-26 08:58 | モンテネグロ | Comments(0)

西バルカン6ヶ国周遊記10(モンテネグロ1回目)

観光6日目の夜に4番目の訪問国モンテネグロに入国、つまりこの日でツアーの半分が終わったことになります。
「黒い山」という国名通り、国境を越えると黒い山が目の前に現れます。
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街の風景も今まで通ってきた国々とは様子が異なります。
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地図は下記の通りで、南西部はアドリア海に面し、北から時計回りにクロアチア・ボスニア=ヘルツェゴビナ・セルビア・コソボ・アルバニアと国境を接しています。
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国旗は下記の通り。
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正式国名はモンテネグロ、余談ですが日本の漢字で国名は「黒山」と表記されます。もしこの国と同盟を結ぶと「日黒同盟」となりますね。面積は1万3812k㎡で福島県とほぼ同じ、小国です。人口は62万人。
首都はポドゴリツァとされていますが、憲法には首都はツェティニェとあるそうで良く分かりません。
政体は共和政。民族構成はモンテネグロ人45%、セルビア人29%、モスレム9%、アルバニア人5%など。
宗教は、74%が東方正教会、イスラム教が18%となっています。
公用語はモンテネグロ語。通貨はユーロ。

モンテネグロは中世以後オスマン朝に支配されますが、1799年に独立を勝ち取ります。1910年にはモンテネグロ王国となりますが第一次大戦でオーストリアによって占領され国王は逃亡。その後セルビア軍によって解放され、1929年にユーゴスラヴィア王国に、第二次大戦後はチトーの下に連邦制の社会主義国に移行してゆきます。
1990年代になってユーゴが解体するに伴い、他の共和国は次々と独立を果たしますが、モンテネグロは最後までセルビアと歩調を合せます。しかし1999年にNATO軍によるセルビア空爆が始まり、ミロシェヴィッチ政権が崩壊するとモンテネグロも次第に独立を志向するようになります。
2006年の国民投票で独立支持が過半数となり独立を宣言します。
現在はEU加盟を目指しています。
ただ小国であり農業以外にこれといった産業がなく、経済的に自立してゆけるか不安視する向きもあるようです。

バスがアドリア海沿岸に出ると景色は一変します。夕暮れのアドリア海
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最初の訪問地ブドヴァに到着、先ずは夕食でビール。
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写真を撮り忘れてしまいましたが、この国はワインが美味い。今回の旅行で唯一の土産としてモンテネグロの赤ワインを買って帰りましたが、家族には大好評でした。ボトルが6ユーロ位で買えます。
メインが魚なのはさすが海辺です。
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ホテルは”MONTENEGRO”、分かり易い。
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リゾートホテルなのでプール付き。
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ブドヴァはモンテネグロ屈指のリゾート地で海水浴場としても有名ですが、なんと言っても中世の面影を残す旧市街の街並みが魅力です。
さあ、ご一緒に街を散歩してみて下さい。
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スロヴェンスカ・ビーチは未だシーズンで無いので人影が少ない。
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よく見るともう泳いでいる人もいました。
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中世気分をタップリ味わった後は、次の観光地コトルに向かいます。
次は11、12回を同時にアップします。
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by kanekatu | 2014-06-25 09:06 | モンテネグロ | Comments(2)

クロアチア・スロベニア旅行記(7)

ドブロヴニクからアドリア海沿岸を南下していくと、モンテネグロとの国境があります。バスは添乗員のパスポートだけをチェックするという簡単な入国審査で通過し、世界遺産に登録されているコトルに向かいました。
国境を越えて間もなく、トイレ休憩を兼ねてスーパーに立ち寄りました。ここもボスニア・ヘルツェゴビナと同様に物価が安い。ミネラルウォーターなどの必需品は、ここで買いだめです。
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バスはコトル湾に着きますが、ここから先の道路が通行止めになっていて、対岸までフェリーで渡ることになりました。目と鼻の先の僅かな距離ですが、車両を全て船で渡さなければならないので時間がかかります。
船着場近くの建物ですが、クロアチアではこういう建物にお目にかかったことがなく、経済格差を感じます。
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コトル湾周囲の山の景色です。
モンテネグロは福島県と同じ位の面積の小さな国です。
モンテネグロという国名は、「黒い山」を意味しています。スロベニアやクロアチアなど旧ユーゴスラビアの国は地質が石灰石なので、山が皆白く見えます。モンテネグロも同じ石灰の地質ですが、山の上まで木が茂っていて、遠くから見ると黒っぽく見えるため、こうした名前が付けられてようです。
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フェリーですが、過積載で後ろに傾いています。
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ドブロヴニクから約2時間半で、ようやくコトルの旧市街に到着です。
コトルの街の歴史は古く、古代ローマの時代に街が形成されています。12世紀にはセルビアの主要な港湾都市として発展します。
中世に入ると他のダルマチア地方と同様にヴェネツィアの支配下になり、18世紀にはオーストリアの属州になりますが、再三にわたるオスマントルコからの攻撃を耐え、遂に軍事的に占領されなかったのは、コトルの周囲を取り囲む堅固な城壁によるものです。
写真のように、山の上まで城壁が続いています。
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旧市街の門です。
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門をくぐると直ぐ目の前に時計台があります。
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コトル旧市街の街並です。
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露地は曲がりくねっていて、中世の雰囲気を醸し出しています。
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ピマ宮殿で、コトルで最も美しい建物とされています。
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コトルで最も有名なのは聖トリフォン大聖堂です。最初に建てられたのは12世紀でその穂何回か増築が行われたようです。処が1979年の大地震で大きな被害を受け、左右の塔は完全に崩壊しました。その後修復が行われ、元の姿に戻ったようですが、良く見ると塔頂部分の左右の形が異なります。予算が足らず、完全な復元が出来なかったそうです。
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内部ですが、ローマ・カトリック教会という説明でしたが、壁にイコンが何枚も飾られていて、ギリシャ正教の教会ではないだろうかと思いました。
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聖ルカ教会で、これが一番古い建物だと思われます。
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コトルの滞在は1時間弱で駆け足でしたが、魅力のある街です。
機会があれば、他のバルカン諸国と一緒に、もう一度訪れたいと思います。
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この日は元来た道をツァウタットまで戻りました。
次の日はプリトヴィツェに向かって終日移動です。
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by kanekatu | 2008-06-02 10:14 | モンテネグロ | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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