カテゴリ:ギリシャ( 15 )

神しろしめす国ギリシヤ・その16(最終回)

この旅行記の冒頭に、ギリシャ旅行の評判があまり芳しくないと紹介しましたが、今回このツアーに参加してみて思い当たることがあります。
ギリシャ本土の遺跡についていえば、メテオラの修道院群を除くと、それほど目を瞠るようなものはありません。自然の景観はというと、他のヨーロッパ諸国と比べ特に優れている所も無い。

それではギリシャの魅力とはなんでしょうか。私はイスラエルの観光に似ているなと思いました。背景にある物語、イスラエルなら聖書でありギリシャなら神話やホメロスですが、それを頭に思い浮かべながら見学しないと、今一つ興味が湧いてこないと思います。
今回の旅行記に「神しろしめす国ギリシヤ」というタイトルをつけ、文化遺産に関連した神話を紹介したのも、そのためです。ギリシャという国は、神話と史実がゴチャ混ぜになっていて、どこまでが伝承でどこまでが事実か、境界線がハッキリとしていません。トロイア戦争はギリシャとトロイアの戦闘ですが、オリンポスの神々の間の戦争でもありました。そういう目で遺跡を観ると、また違った見方ができます。

もう一つは、ギリシャの魅力はやはり島々の観光でしょう。今回のツアーで寄港したミコノス、パトモス、クレタ、サンントリーニの各島はいずれも魅力的で、島巡りが無ければギリシャ旅行の楽しさは半分以下でした。
通常のギリシャツアーでは、ピレウス周辺を一日で回るミニクルーズが付いているだけなので、やはり物足らないと感じるのではないでしょうか。
但し、トルコのクシャダスへの寄港は余分で、それならロドス島かディロス島に行って欲しかった。
旅程の関係もあったのでしょうが、エジプトカイロ観光が付くなど、チョット欲張り過ぎの感があります。やはりギリシャ一国に限って、中味を充実すべきだったと思います。

最後にクルージングについて、殆んどの参加者が私同様クルージング初体験で、これを楽しみにツアーに参加した人が多数を占めていました。これも私と同じですが、北欧旅行でヘルシンキとストックホルムを結ぶ定期船「シリアライン」の乗船体験から、一度クルーズ船の旅を体験してみたいと思った人もいました。
ご夫婦で豪華客船での世界一周旅行を計画していて、その前に一度経験してという方もいました。
結論的にいうと、ガッカリ派が大多数となったようです。「クルーズはもう懲り懲り」とか「世界一周クルーズはヤメタ」という声が聞えました。

一つには乗船した船がいわゆる豪華客船ではなく、カジュアルな船だったことがあるでしょう。不評の一番の理由は食事です。約700名が乗船していましたが、レストランの座席はその半分以下でした。ビュッフェスタイルですが毎回長蛇の列で、ようやく料理を取った後、今度は座る席が無くてウロウロする破目になります。
ウエイターも回転を上げようと、皿が空になるのを見計らって持ち去っていきます。食べ終わったら直ぐに席を立たなくてはいけない気分になります。落ち着かないったらありません。景色を見ながらゆっくりとワインでも飲んで、などと思っていたら大間違い。
2日目と3日目の夕食だけはコース料理だったので、落ち着いた食事ができましたが、それ以外は毎回慌しい思いをしました。

「退屈だ」という声も多く聞かれました。夜は寝ているので良いのですが、昼間は時間を持て余します。船内の催しものも、日本人ツアー客はあまり参加していなかったようです。
乗船者の中で日本人の観光客がかなりの割合を占めていましたが、サンデッキで肌を焼いたり、プールに入っている人で、ついぞ日本人を見かけなかった。概して自ら積極的に遊ぶというのが苦手なんでしょう。
大多数の日本人旅行者というのは、時間を惜しんで精力的に観光地を観て回るというのは得意ですが、1ヶ所のリゾートに長期滞在して、ゆっくりと時間を過ごすというのが肌に合わない。
クルーズ船は動くリゾートですから、時間を持て余してしまう、そういう事なんだと思います。

勿論、旅行は常にクルーズという方もいます。そういう人はきっと楽しみ方を知っているのでしょう。
これからはそうした日本人が増えていくのかも知れませんが、現状では少数派です。

ツアー全体の満足度は80点くらいですが、そのうちの添乗員の寄与率が高く、優秀な添乗員に当たると旅はそれだけで楽しくなります。

この旅行記は今回をもって最終回となります。
最後までお付き合い頂き、感謝いたします。

―終わり―
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by kanekatu | 2008-09-21 10:43 | ギリシャ | Comments(2)

神しろしめす国ギリシヤ・その14

デルフィ遺跡の歴史は古く、紀元前12世紀にはこの場所に神を祀っていたと考えられています。斜面にこうした建造物を建てるのは、とても困難なことだったでしょう。
発掘は1829年、フランスの考古学者の手によってなされました。
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「アテネ人の宝庫」は、アテネがマラトンの戦いでペルシャに勝利した感謝の印として、アポロン神に捧げたものです。正面にはドリア式の柱が2本立っています。
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「アポロン神殿」は紀元前6世紀頃に建てられたと推定され、幅23m、長さ80mの広さに38本のドリア式列柱が神殿を支えていました。室内にはアポロン神の像が安置され、地下には「大地のヘソ」が置かれていて、そこで神託が行われていました。
今は6本の柱と土台を残すのみです。
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演劇祭が行われていた「古代劇場」です。
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4年に一度、スポーツの祭典が行われていた「競技場」です。
文化施設や体育施設を付設していたわけで、この遺跡のスケールの大きさが分かると思います。
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ここでギリシャ現地で見聞きした人々の生活について少し紹介したいと思います。
幹線道路や高速道路沿いにドライブインがありますが、どの店でも必ずアルコール類を売っていました。中にはスペースの3割近くが酒の売り場という店もあり、まるで酒屋です。飲酒運転に対しする規制が緩やかなのでしょうかね。
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ギリシャは山が多く、農業に適した国とはいえません、といって工場も小規模なものしかなく、一体国民はどうやって飯を食っているのだろうと訝っていました。それがアテネ近郊に近付いたらガラッと変わって、道路の両側に大きな企業や工場が並び、平野部は一面の畑です。工業も農業も、みなアテネに集中しているんだなという事が実感できました。
夏場は全く雨が降らないので、どの畑でもこうした自動散水が行われています。
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デルフィのホテルで、7-8才の少女が窓ガラスを拭いていました。経営者か従業員の娘さんなのでしょうが、ヨーロッパではあまりお眼にかかれない光景だったので、写真に収めました。照れて横を向かれてしまいましたけど。
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ギリシャ人の大多数がギリシャ正教に帰依していることは前に書きましたが、宗教が日常生活全般に深く係わっています。
例えば結婚式ですが、先ず教会に申し込んで挙式の日にちを決めます。婚姻届も教会が代行するので、教会での儀式がイコール法的な結婚を意味することになります。かつては全ての結婚式は教会であげていたそうですが、EUに加盟してからは、役所に届け出るだけのシヴィル・マリッジも認められるようになりました。それでも、多くのカップルは教会での挙式を選択しているそうです。
結婚式が行われるのは週末で、時間は夕方の6時から10時頃に始まり、披露パーティーが終わるのは深夜に及ぶとのこと。どうりで花嫁さんの姿を一度も見かけなかったはずです。

ギリシャ人の結婚について、かつてはプリーカという習慣がありました。女性がお嫁に行く時に、プリーカと呼ばれる多額の持参金や資産を持って行かなければならなかったのです。持参金が少ないと、嫁入り先からいびられる。だから女の子を持った家は、娘の幸せのために、必死に蓄財しなければならなかったわけです。しかし貧しくて十分な仕度がさせられない親が自殺するなどの社会問題が起き、現在はこの制度は廃止されているそうです。
日本でも昔は嫁入りに持参金を持たせるという慣わしがありましたので、似たようなものですね。

これで今回ツアーのギリシャ観光は全て終了です。
エジプト航空なので帰路が再びカイロ経由となるため、次回はカイロ市内観光を紹介します。
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by kanekatu | 2008-09-13 18:59 | ギリシャ | Comments(0)

神しろしめす国ギリシヤ・その13

ツアー8日目は、バスでカランバカから世界遺産デルフィに向かって移動です。
途中、昼食はラミアの町でとりました。この町はギリシャ東部にあり、水面が見えているのがエーゲ海です。
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かつてデルフィでは、アポロンの神託が行われえていました。神託とは神のお告げであり、神託により当時の国の指導者は政策を決定していましたので、時には国の運命も左右していたのです。勿論、個人もこの神託を受けて行動を律していたわけです。
そのためギリシャ全土から人が集まり、アドリアヌス皇帝の紀元前6世紀に最も繁栄し、神託が行われていた神殿の遺跡が残されています。
神託はビザンティン帝国によりデルフィが閉鎖される381年まで続けられます。ここから「デルフィは打たれる」という諺が生まれました。ウソです。

デルフィのアポロンの神託に関連して、ここで二つのエピソードを紹介しましょう。

先ずアポロンとはどういう神様だったか。アポロンは太陽神であり、絵画や彫刻では凛々しい青年として描かれています。芸術、医術、狩猟、牧畜、哲学、預言の神でもありますから、随分と守備範囲が広いですね。
ある時、アポロンにからかわれた愛の神エロスは、怒ってアポロンに「黄金の矢」を、川の神の娘ダプネに「鉛の矢」を放ちます。黄金は好きになる矢、鉛は嫌いになる矢ですからたまりません。アポロンがダプネを好きになればなるほど、ダプネは嫌がって逃げます。
もしアナタも同じ経験をしたら、それはひとえにエロスの仕業です。アナタの責任ではありません。だから神のご意志と諦めて、潔く手を引きましょう。

しかしアポロンの足は速く、ついにダプネをつかまえてしまいます。ダプネは父親に助けを求め、父は娘を月桂樹にしてしまいます。髪の毛は葉っぱに、両腕は枝に、体は樹皮に変わってしまいました。こうして父親は必死で、アポロンの魔の手からダプネの処女を守ったのです。
どうもギリシャの神々というのは、発情してしまうとブレーキが利かなくなるんですかね。
悲しみに明け暮れたアポロンは、どうしてもダプネのことを忘れられず、月桂樹で冠を作って頭に飾ります。
オリンピックの勝者に与えられる月桂樹の冠は、このアポロンの冠なのです。
アポロンは美青年であったにも拘らず、女性にはもてなかったようです。もしかして性格でも悪かったのでしょうか。
下の画像は、ベルニーニの「アポロンとダプネ」の彫刻です。
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アポロンの神託について、もう一つ有名なエピソードがあります。
テーベ王ライオスとその妻イオカステはアポロンの神託により、もし息子が生まれたならば,その子に殺されるだろうと預言されます。それで奥さんとは交わらないようにしていたのですが、ある日酒に酔ってついつい・・・。身に覚えのある方もいるでしょう。
そんなわけで、とうとう男の子が産まれてしまいます。家臣に赤子を殺すように命じるのですが、この家臣はいたいけな赤ちゃんを殺す事ができず、山中に捨てて行きます。この子がオイディプスです。
オイディプスは牧人に拾われ,コリント王の息子として育てられます。
ある日のこと,デルフィに赴きアポロンの神託を受けると、「もし故郷に帰れば、お前は父を殺し,母を犯す。」と預言されます。それを聞いたオイディプスは,育ての親を実の父母と信じていましたので、コリントを去る決心をし、旅に出ます。旅の途中、たまたま馬車に乗った老人(実はライオス王だった)と狭い路上で争い,相手を殺してしまいます。その後テーベの人々を苦しめていたスフィンクスの謎を解き,テーベの王となってイオカステを結婚します。

しかしテーベに悪疫がおこり,「ライオス王の殺害者をみつけよ」との神託を受けてその犯人を探すうち,それが自分であることを知ってしまいます。正に因果は巡る尾車の、ですね。
王妃イオカステは自殺し,オィディプスは両眼をえぐり,再び当ての無い旅に出ます。
フロイトの「エディプス・コンプレックス」は、この神話に基いています。
下の絵は、アングルの「スフィンクスの謎を解くオイディプス」です。もしかしてスフィンクスって女性だった?
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先ずはデルフィの博物館を見学。ここはデルフィ遺跡から発掘された美術・工芸品が展示されています。
「アポロンの皿」で、頭にはトレードマークの月桂樹の冠をかぶっています。
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スフィンクスの像です。
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宮殿の破風として使われていたレリーフです。オリンポスの神々が彫られています。
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デルフィ遺跡を象徴する「大地のヘソ(オンファロス)」です。古代のギリシャ人はギリシャが世界の中央にあると考えていて、中でもこのデルフィがその中心だと信じていました。アポロ神殿に安置されていたものを、現在は博物館に飾っています。大理石製ですが、どこか形が梵鐘に似てますね。
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この博物館の目玉である「青銅の御者の像」です。紀元前438年に制作され、1896年に発見されましたが、ほぼ完全な状態が保たれていました。
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by kanekatu | 2008-09-10 18:17 | ギリシャ | Comments(0)

神しろしめす国ギリシヤ・その12

ギリシャの代表的な世界遺産メテオラは、中部ティッサリア平原にあります。平原の中に塔の形をした岩が立ち並び、その頂上に修道院が建てられています。岩の高さは低いもので数十メートル、高いものになると数百メートルに達します。
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こうした奇岩群が形成された原因は、未だ分かっていません。一般的には海底などから隆起より生じた岩山が、風雨により浸食されて奇岩が出来るのですが、この場合途方もない年数がかかります。処がおよそ2000年前の当時の文献に、この奇岩群についての記述が無いのだそうで、そうなるとかなり短期間にこうした風景が生まれてことになります。だから良く分からない。
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どこの国のどの宗教でも、神殿や寺院の多くは高い場所に建てられています。天にしろしめす神々に少しでも近付きたいと願う人々の思いのせいなのでしょう。
14世紀にセルビア人がティッサリア地方に侵入し、多くの修道僧がこのメテオラに逃れて共同生活を始めます。
1356年にギリシャ正教の聖地であるアトス山から聖アサナティオスがメテオラに移住し、最初の修道院メガロ・メテオロンを建設します。岩山のテッペンにいれば、敵が攻めてこられないと考えたのでしょう。
最盛期は15-16世紀で、修道院の数が24に達し、ギリシャ国王の庇護の下、ギリシャ正教の聖地として発展していきます。
しかし、その後修道士の数が減ってくるにつれ、修道院も少なくなって、今では5つを残すのみとなりました。戒律が厳しく、成り手がいなくなってきたというわけです。

メテオラの修道院見学で気を付けたいのは、開館日と開館時間です。この日見学が可能だったのは、ルサヌーとヴァルラームの二つ修道院で、他は閉館又は道路工事中で見学が不可でした。
先ずはルサヌー修道院へ。
こじんまりとした修道院です。
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1930年に階段が造られたそうですが、それまではどうやってここまで上がったのでしょうか。
まあ、こういう環境にいれば間違いなく修行に専心できるでしょうけど。
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ヴァルラーム修道院は、元々隠遁者ヴァルラームが住んでいた場所に修道院を建てたところから、この名が付きました。
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写真は建物の裏側ですが、下から螺旋状の階段を上がって行きます。
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この修道院はかなり高い場所にあるため眺望が良く、他の施設も見晴らせます。
こんな場所に建造物を建てた当時に人々の熱意には、ただただ感心します。
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ヴァルラーム修道院には教会もあり、内壁には見事なフレスコ画が描かれていましたが、残念ながら撮影禁止で、皆さんに紹介できません。
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私たちが下山した時、ちょうど修道院に建築資材をリフトで搬入している場面にぶつかりました。内部に描かれた絵などを見ると、かつては修道僧や信者の人も、こうして籠で吊られて出入りしていたようです。
メテオラの語源は、ギリシャ語のメテオロス(空中に浮いている)から来ています。高所恐怖症の人は先ずダメですね。
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はるか彼方の山の頂上に見えるのが、メテオラの大本山とでも言うべきメガロ・メテオロンです。
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メガロ・メテオロン修道院は当日は非公開日でしたので、外観だけの見学となりました。標高613mと最も高い場所にあり、建物の規模も最大です。
修道院は14世紀、中の教会は16世紀の建造だそうです。
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メテオラの奇岩群と修道院は、恐らく世界でも類例が無いと思われます。
これぞ世界遺産です。
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by kanekatu | 2008-09-06 08:26 | ギリシャ | Comments(0)

神しろしめす国ギリシヤ・その11

3泊4日のクルージングを終え、ツアー6日目の朝ピレウス港に戻り下船しました。
ここからバスで半日かけてカランバカに向かいます。
バスの正面に変わったステッカーが貼られています。車内ではタバコ、水以外の飲み物、果物や菓子パンなどの食べ物、アイスクリームの持込みが禁止されていました。ドライブインなどで飲食物を購入しても、バスに戻る前に食べ(飲み)終わらねばなりません。車内を清浄に保つためで、馴れてくれば不便は感じません。
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途中、カトイナバウラというリゾート地で昼食です。ビーチがあり遊泳している人の姿もありました。
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ここのメニューはシーフードでした。メインは白身魚のフライ。
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前菜のイカのフライがボリュームたっぷりでした。
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昼過ぎにはカランバカに到着。ここはギリシャのほぼ中央に位置していて、世界遺産メテオラの玄関口です。メテオラ観光のために泊るホテルは、殆んどがこのカランバカにあります。
町の中心にある噴水ですが、背後にメテオラの岩山が見えます。
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こんな形の岩も。
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町の中に、イコンを制作している店があります。ギリシャ正教では教会に必ずイコンが祭られていますのが、観光客もイコンを買い求める人が多いのです。
正式なイコンはハンドメイドであり、手書きで絵が描かれます。一人前になるには10年掛かるそうですよ。昔から「遺恨(イコン)十年」と言いますから。
私はイコンの絵より、制作している女性の横顔ばかり見ていました。
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一般にギリシャのホテル事情は良くないと言われています。他の欧州諸国と比べると、ワンランク落ちるというのが相場だそうです。ギリシャの三ツ星は、他国では二ツ星ということです。バスタブが無く、シャワーのみという所が多い。
私は元々シャワーしか使いませんし、部屋もシンプルなのが好きなので、あまり不満はありません。ただ、真夏の季節に冷蔵庫が無いのと、トイレの紙が便器に流せないので、備え付けの袋に入れるというのは抵抗がありました。
カランバカのホテル「ファミッシ・エデン」は比較的部屋のスペースが広く、静かで良いホテルでした。ここのホテルだけプールに入りました。遠くの山々を眺めながらサンデッキに寝転んでいましたら、突如強風が吹いてきて空が砂塵で黄色くなり、プールサイドのパラソルが倒れました。急いでプールから出て、部屋に戻って窓から見たら、椅子が飛ばされてプールの中に落ちていました。
危なかったですね。この辺りは天候が急変するようなので、注意が必要です。
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メテオラに行く前に、近くにあるカストラキ周辺を散策しました。
聖ゲオルグ教会です。
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この教会のお祭りが毎年4月23日にあり、若い男が岩山によじ登って写真の場所に飾りを置くと、願いが叶うのだそうです。
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遠くにメテオラの修道院が見えてきました。
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次回はメテオラ観光です。
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by kanekatu | 2008-09-03 10:16 | ギリシャ | Comments(0)

神しろしめす国ギリシヤ・その10

サントリーニ(現地の名はティラ)の観光は、エーゲ海クルーズのハイライトと言っても良いでしょう。ギリシャの観光ポスターには大抵、この島の写真が使われています。本エントリーの画像を見て、あれかと思い当たる方も多いと思います。ツアー参加者の多くは、サントリーニ島の観光が目当てです。そうした事情を考慮してかこのツアーでは、本来は船のオプショナルツアーとなっていた島の観光を、旅行社主催で行いました。専用バスと添乗員が付きますので、この企画は大変良い。

サントリーニ島の歴史は古く、紀元前3000年前頃にはクレタ島からミノア人が移り住んだと言われています。キクラデス文明がこの地で花開くのですが、およそ紀元前1500年前に起きた火山の大爆発により、島の中心部は沈み、文明も一挙に滅びてしまいます。
サントリーニは火山島であり、元々は円形だったのが、噴火を繰り返す中で次第に現在のような三日月形の島になったようです。
この事から、伝説のアトランティス大陸がこのサントリーニではないかとの仮説も生まれています。
近年では1956年に大噴火があり、島内の町の大半が焼失してしまいました。現在の町は、その後に再建されたものです。

船が島に近付くにつれて、目の前に赤茶色の断崖が迫ってきます。山頂に冠雪したみたいに、崖の上に白い建物が見えますが、サントリーニの中心フィラの町です。今まで見て来た島々とは異なり、荒々しい印象を受けます。
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船は沖合いに停泊し、テンダーボートでアテェニオス港に到着、そこからバスでイアに向かいました。イアは小さな町ですが、断崖沿いに小さな家や教会が立ち並ぶ、サントリーニ観光の最も人気の高い場所です。
バスを降りて、先ずイアの中心スクエアに着きました。広場の前に教会があり、ここを起点として、海沿いの道を自由に歩き回ることになります。
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以下に、イアの町の風景を紹介しますが、説明は不要でしょう。
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この光景の美しさは、一生思い出に残ると思います。

イアの観光を終え、バスでフィラの町に戻りました。写真は海沿いの風景ですが、断崖の上に町がつくられていることが良く分かります。
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オールドポートに戻るには、
・ケーブルで下りる
・ロバに乗って下り
・徒歩で下りる
という方法がありますが、殆んどの人はケーブルで下りて、船に戻りました。

エーゲ海クルーズは、ここで全ての予定を終了し、翌朝の下船を待つことになります。
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by kanekatu | 2008-08-31 11:56 | ギリシャ | Comments(0)

神しろしめす国ギリシヤ・その9

クルージング3日目の朝、クレタ島に到着しました。
クレタ島は面積が兵庫県とほぼ同じ、エーゲ海最大の島です。島の歴史は古く、紀元前6000~7000年前にはすでにミノア人が住み始めていました。紀元前3000年頃には文明がおき、紀元前18~15世紀にミノア文明は最盛期を迎えます。従ってクレタ島のミノア文明は、ギリシャ文明の発祥の地とされています。
しかし紀元前1400年頃からクノッソス宮殿などが次々と火災にあい、ミノア文明も滅亡してゆきます。

クレタ島では、クルーザーのオプショナルツアーに参加し、クノッソス宮殿の見学に向かいました。幸い日本人ツアー客の参加者が多かったため専用バスが用意され、添乗員も同行してくれることになりました。
クノッソス宮殿は永らく神話の世界と思われていましたが、1900年から40年間かけて、イギリスの考古学者アーサー・エヴァンスにより発掘され、実在の宮殿であることが証明されました。遺跡の入り口には彼の胸像が飾られています。
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それではクノッソス宮殿をめぐる神話について、簡単に説明しましょう。
大神ゼウスがパレスチナの海岸から美女エウロペ(ヨーロッパの語源)をさらってクレタ島に辿りつき、ここで交わって子どもを作りますが、その中の一人がクレタ島の王ミノスとなります。ここからミノア文明という言葉が生まれたのです。それにしてもゼウスはん、ようやりまんな。

ミノス王が王位に就くとき、海の神ポセイドンに立派な雄牛を生け贄に捧げると約束するのですが、約束を破ってみじめな雄牛を捧げてしまいます。怒ったポセイドンは仕返しに王妃がこの雄牛に恋情を抱くよう仕向けます。そうして王妃と雄牛が交わって、頭が牛、身体が人間という怪物ミノタウロスが生まれてしまいます。
処置に困ったミノス王は、建築家ダイダロスに命じて複雑な迷路を持つ迷宮を造らせ、その奥にミノタウロスを閉じ込めてしまいます。何しろ、ミノタウロスは人間を餌にして食べてしまう怪物ですから、外に出られないように設計したわけです。

その頃、クレタとアテネとの間で戦争が起き、アテネが降伏しますが、降伏の条件としてアテネから7人の青年と娘をミノタウロスの餌として送ることになりました。この生け贄の一人にアテネの王子テセウスが「私を行かせてください」と志願して、クレタ島に向かいます。
若い時というのは、恐い物知らずですからね。

このテセウスにクレタの王女アリアドネスが一目惚れするのだから、話はややこしい。
テセウスは怪物を退治できる自信がありますが、問題はその後でどうやって迷宮から脱出するかです。
愛しい王子テセウスのために、王女アリアドネスは建築家ダイダロスのもとへ相談にきます。「どうしたら迷宮から脱出できるの?」「糸玉を持って入れば良いのです。端を出入り口に結んでおけば、帰り道が分かります」。
アリアドネスからアドバイスを受けたテセウスは、ミノタウロスを退治し、無事に迷宮から脱出します。
敵を助けたアリアドネスはもうクレタ島にはいられません。用意した船でテセウスと共に島を抜け出します。つまり駆け落ちですな。
このアリアドネスの運命は、実はこの先が二転三転して波乱万丈、さらに面白くなるのですが、本題から外れるので、興味のある方は「ギリシャ神話」を読んでください。
アリアドネス、こういう人だったようです。
どうも美女というものは、数奇な運命をたどるように出来ているんですね。
あなたの場合は・・・、どれどれ・・・、安泰です! ご安心してください。
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この迷宮こそが、クノッソス宮殿なのです。
考古学者アーサー・エヴァンスが偉いのは、こうした神話を読んで、きっと宮殿が実在するに違いないと確信して、発掘作業に取り掛かったことです。
「桃太郎」を読んで、「鬼が島」を探しに行くようなものですから、普通の人はやりませんね。
彼のおかげでミノア文明の存在が解明できたのですから、その功績は大です。

クノッソス宮殿は、一辺が160mのほぼ真四角で、一部は四階建てになっています。部屋の数は約1200と推定されており、正に迷路のような建物です。
劇場跡です。
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玉座の間です。右にアラバスターで造られた玉座が見え、想像上の怪物グリフィンの見事な壁画が描かれています。
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宮殿には4ヶ所の入り口があり、ここは北の入り口です。
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召使いたちが食糧などを運んでいく姿を描いた行列の壁画がある廊下です。
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大甕の倉庫ですが、人間の身長もある大きな甕が並んでいます。今から3700年前にこのような甕を制作した技術があったのは驚きです。表面には見事な装飾も残されています。
この中に、オリーブや小麦を入れて保管していました。
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女王の間には鮮やかなイルカの絵が描かれています。ミノア人が海洋民族である証です。ここには浴室や水洗トイレも備えられていて、当時の文明のレベルの高さを示しています。
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聖職者の家は赤い木の柱が使われています。
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クノッソス宮殿の遺跡観光の後は、クレタ島の中心イラクリオンの街に戻り、中心部を散策しました。あいにくの日曜日で、閉っている店が多く閑散とした感じでした。
イラクリオンのシンボル、モロシニの噴水です。1628年に造られてものだそうで、ライオンだけは14世紀のものだそうです。
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この噴水の周囲はタベルナ(ギリシャ料理店)が並んでいて、私もここで生ビールを一杯。
ちょうど母子連れに出会いましたので、カメラに収めました。
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昼前に船に戻り、最後の寄港地サントリーニ島へ向かいます。
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by kanekatu | 2008-08-28 10:39 | ギリシャ | Comments(0)

神しろしめす国ギリシヤ・その8

乗船して2日目の夕食はギリシャの夕べと称して、ビュッフェスタイルではなくグループでの食事となりました。カジュアルですが、一応ギリシャに因んだ服装ということで、国旗の青と白を入れた服を着た人が多かったようです。
夕食のメニューもギリシャ料理でしたので、ここで紹介します。
先ずはメゼと呼ばれる前菜ですが、左側はイカのリング揚げでこれが最もポピュラーです。右側は名前を忘れましたが、コロッケに似たものです。
いずれも酒のツマミにはピッタリです。
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次にこれも前菜の一種ですが「ドルマーテス」という料理で、米と挽き肉をブドウの葉でくるんだもので、ギリシャの代表的な料理の一つです。
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メインは「ムサカ」で、ナスとチーズと挽き肉の重ね焼きになります。
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こちらは3日目の夕食のメインですが、鶉(ウズラ)です。卵は良く食べますが、肉は初めて食しました。味は鶏肉と殆んど変わりません。
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グリークサラダですが、白く見えているのがフェタチーズです。
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こちらも3日目のメニューで、スモークサーモンのサラダです。なかなか美味でした。
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この後スイーツが出ますが、私は甘味が苦手なので、手を付けないことが多い。
食後の飲み物はコーヒーですが、グリークコーヒーはコーヒー粉を煮出して飲むので、好みがあります。
普通のコーヒーが良ければ、ネスカフェと注文します。要するにインスタントです。

アルコールですが、今回は真夏のツアーなのでやはりビールが多かったですね。国産のラガービールは「ミトス」というブランドで、どこへ行ってもこれが出てきます。味はあまり上等とは思いませんが、馴れてくるとこれで十分です。
ワインは豊富で、テーブルワインしか飲まなかったのですが、飲みやすいと感じました。一人旅だとボトルで取れないので、色々な銘柄を試す事ができず不便です。
島ごとに地ワインが醸造されていますから、好きな方は行く先々で飲み比べることができます。
ギリシャ名物の蒸留酒「ウゾ」は香りが強烈で、味は更に強烈です。私はテキーラでもウオツカでもストレートで飲めますが、「ウゾ」は一度で懲りました。

ギリシャ料理というと、何となくシーフードを連想しますが、やはりメインは肉料理となります。
味ですか? やはり日本料理が一番ですね。
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by kanekatu | 2008-08-26 15:52 | ギリシャ | Comments(0)

神しろしめす国ギリシヤ・その7

クルーズ2日目の朝、トルコのクシャダス港に着きました。ここからエフェソスの古代遺跡までは近いので、船内オプションでエフェソス観光に参加する人は早目に出発。以前トルコに行ったことがある人の殆んどはゆっくり下船して、クシャダス港の周辺を散策ということになりました。
船から見たクシャダス港周辺の風景です。
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下船してからトルコの入管事務所を通るのですが、事前にはクルーズIDカードを提示するよう指示がありましたが、実際には下船、乗船時共に誰も職員がいず、ノーチェックでした。
クシャダスの海岸線の町並です。
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港から徒歩で10分ほどの所に、ギュヴェルジン島という小さな島があり、本土とは橋でつながっています。橋は観光船やプレジャーボートの発着所になっています。
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島内は特別の施設があるわけではなく、島の尖端に小さな灯台がありました。
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昼になると停泊していた船が一斉に出港し、岸壁にはチケット売りの女性が一人ポツンと座っていました。
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時間が余ったので、海岸にあるレストランに入りビールを注文しました。カンカン照りの道を歩いた後の冷えたビールは格別です。値段はギリシャの半額くらいですし、店員の愛想は良いし、すっかり気分を良くして船に戻りました。

クシャダスを出航して1時間、サモス海峡にさしかかります。ここはギリシャとトルコの間が約4kmと、最も接近している場所です。
写真はギリシャ側です。
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午後はパトモス島に寄港です。パトモス島は小さな島ですが、キリスト教徒にとっては極めて重要な島です。キリストの使徒の一人である聖ヨハネがここで「黙示録」を執筆したとされており、その洞窟とヨハネ修道院は世界遺産に登録されています。
船内オプショナルツアーが設定されていましたが、添乗員の気付きでタクシーの相乗りで島内を巡ることとなりました。
港から黙示録教会まで行き、一度下車して30分後に迎えに来てもらい、そこから修道院へ行き下車して1時間後に再度迎えに、その後港まで戻って運賃は25ユーロですから、4人乗りなら一人当たりでは4.25ユーロです。オプショナルツアーだと45ユーロなので、10分の1の費用でで済みました。ツアーの場合英語ガイド付きで、しかも内容の大半が聖書に関することですから、参加してもチンプンカンプンだそうです。添乗員の機転に拍手です。

ヨハネは西暦95年にエフェソスに伝道で訪れますが、ローマ皇帝ドミティアヌスにより追放され、パトモス島に流されます。
ヨハネが幽閉されていたアポカリプスの洞窟で、復活したキリストがヨハネの前に立ち、「恐れるな。わたしは初めであり、終わりであり、また、生きている者である・・・」と言いながら、これから彼が受ける事柄を書き記すようにと命じました。これが世にいう「ヨハネの黙示録」ですが、実際には「イエス・キリストの黙示」を記録したわけですね。
この時点で他の12人の使徒は、全員殺害されていましたので、イエスとしては残されたヨハネに託すしか無かったのでしょう。
ヨハネが神の声を聞いた時、洞窟の天井が3つに裂けました(三位一体を示す)。本当です。今でもちゃんと残っていますので、疑るなら行って見てきて下さい。

現在洞窟の上に聖アンナ教会(黙示録教会)が建てられています。
教会の入り口です。
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教会の屋根です。
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洞窟内部は撮影禁止なので、皆さんにお見せできないのが、へへ、残念です。

聖ヨハネ修道院に向かう道で、ここがホラの町です。この周辺も世界遺産に含まれています。
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聖ヨハネ修道院は、ホラの丘の上に1088年、クリストドルロス修道僧によって建てられました。遠くから見ると宗教施設というよりは、要塞に見えます。
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修道院の内部は、本堂、中庭、礼拝堂、資料館などがあり、見応えがありました。
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修道院の屋根です。
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ホラの町から見たスカラ湾で、入り組んだ姿が良く分かります。私たちのクルーズ船が見えます。
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パトモス島、当初はあまり期待していなかったのですが、世界遺産の宗教施設は見る価値十分です。
ただ港の周辺はショップやカフェがあまり無いので、施設の見学に興味ない方は、下船しないほうが良いかも知れません。
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by kanekatu | 2008-08-22 09:59 | ギリシャ | Comments(0)

神しろしめす国ギリシヤ・その6

エーゲ海のほぼ真ん中に輪を描くように島々が集まっていますが、これがキクラデス(キクロス=輪からきている)諸島で、この中にはミコノス島、ディロス島、サントリーニ島などがあります。ミロのビーナスで有名なミロス島もここです。いずれもエーゲ海を代表する島です。
その中でもミコノス島は、最も人気の高い島といえるでしょう。

3日目の午前11時にピレウス港を出航した「オーシャン・カウンテス号」は、海路ミコノス島に向います。天候は快晴でエーゲ海は濃いブルーを呈し、時折島影が見え隠れするので、デッキの船尾で眺めていても見飽きません。
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いよいよ下船になりますと、指定会場に指定された時間に集合します。等級の高い順番に下船しますが、船は沖合に停泊し、そこからテンダーボートという小さな船に乗り移り、船着場に到着しました。
帰りのボートの発着場所と時間が告げられ、島内は自由行動です。ただ最終出発時間に遅れますと、船に帰れなくなりますから、それだけは注意が必要です。
島内の滞在は、最短で2時間程度、最長でおよそ5時間です。
ミコノス島のように見所が多い所は良いのですが、観光する場所が少ない島だと、逆に時間を持て余すことになりますので、その場合は船内に残るという選択もあります。
これらの下船時のルールは、これから巡るいずれの島も同様でした。

船着場がある所がミコノス島の中心ミコノスタウンです。
下船すると直ぐに見えるのは、セント・ニコラス教会です。写真のように、青い丸屋根の可愛らしい建物です。
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船着場の直ぐ横がビーチになっていて、湾内には沢山のプレジャーボートが浮かんでいました。
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ミコノスタウンは迷路のような、曲がりくねった狭い道が続きます。かつて海賊から守るのと、強風を避けるためにこうした造りになっているようですが、現在は道の両側は全て商店かレストランになっています。
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パラポルティアニ教会はミコノス島で最も有名な建物です。全体が真っ白に塗られ、背景の青空によく映えるので、観光ポスターや絵葉書に使われています。
逆光で、
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今度は順光、随分と表情が違うものです。
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教会の直ぐ近くの海岸が、リトルベニスと呼ばれています。18世紀の初めまで、ミコノス島はイタリア・ヴェニチアの領で、この付近に港が置かれていたようです。
現在はレストランが立ち並び、エーゲ海に落ちる夕陽を眺める絶好のスポットとなっています。
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ミコノス島のもう一つのシンボルであるカトミリの風車です。かつては強い風を利用して粉挽きに使っていました。
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夕暮れが迫るリトルヴェニスの海岸で、帰り仕度を急ぐ女性です。右上には私たちが乗船する「オーシャン・カウンテス号」が見えていて、今回撮影した写真の中で、最も気に入っている1枚です。
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船に戻ってデッキに出たら、ちょうどエーゲ海の島影に沈む夕陽をカメラに納めることができました。
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なお、ミコノス島と言うのは、ヌーディストとホモセクシャルの専用ビーチがあると、後から聞きました。ホモセクシャルには興味がありませんが、ヌーディスト・ビーチなら行って見たかったなと、チョット残念。

この後はビュッフェスタイルの夕食をとり、最初の船中泊です。
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by kanekatu | 2008-08-19 09:10 | ギリシャ | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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