カテゴリ:世界の絶景( 6 )

世界の絶景ベスト10「聖地」編・下

【峨眉山(中国)】
子どもの頃、芥川龍之介の小説「杜子春」を読んで、その中に出てくる仙人が住む峨眉山に憧れていました。いつの日か行ってみたいと思っていたのですが、それからおよそ半世紀ぶりに峨眉山を見ることができました。
峨眉山は四大仏教名山の一つで、四川省も省都である成都からは、約160キロ南にあります。山頂の海抜は3099mあり麓との気温差が大きく、山の中に四季があると言われています。そのため植物の種類も多く、3000種類を越える植物が自生しており、世界的にも貴重な品種のものもあります。
仏教徒がお参りに行く時は山麓から徒歩で頂上まで登るそうですが、ツアーではロープウェイを使って山腹まで上がります。
峨眉山の魅力はなんといっても頂上付近の雲海です。私たちが着いた時は、ちょうど雲海に包まれて何も見えない状態でしたが、次第に雲が晴れてきて、下の写真のような見事な景色を見ることができました。
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【シナイ山(エジプト)】
旧約聖書の「出エジプト記」にかかれているモーゼの足跡を追いたいと思い立ったのは、ヨルダンの死海の辺にあるネポ山に登った時でした。眼前に死海が広がり、その彼方にエルサレムの街が浮かんでいます。この光景は恐らくモーゼの時代と変わっていないでしょうから、彼もこの光景を見たのでしょう。
パレスチナの民を引き連れてエジプトを脱出して、シナイ山で十戒を受けてから更に40年、遂にモーゼはこの地で力尽きます。目の前に目的地のエルサレムが見えているのに死んでいかざるを得なかったモーゼの心境を思ったら、涙がこぼれました。宗教に関連する場所で涙が出たのは、後にも先にもここだけです。
それから約10年が経ち、ようやくシナイ山に登ることになりました。
シナイ山はエジプトのシナイ半島の南部にあります。ここでモーセが神から十戒を授かったとされるのですが、この周辺は山ばかりで、実はどれが聖書に書かれたシナイ山なのか、正確には分かっていません。現在のところ一応ジェベル・ムーサーと呼ばれる山(標高2,285 m)がその山だろうという推定されています。
モーゼが十戒を受けたのは明け方とされているので(これもはっきりとは分からない)、深夜に登山を始め、午前4時ごろ山頂に着きました。
こんな時間に山に登る物好きなどいないだろうと思っていたら、さにあらず。広い山頂はキリスト教徒の人々で埋まっていて、腰を下ろす場所を確保するのも大変でした。
暗闇からやがて日の出が近付くと、周囲の山々が次第に姿を現します。陽が昇る直前に山肌が赤く染まり始め、何となく厳粛な気分になってきます。
きっとこうした雰囲気の中で十戒を授かったのだろうと納得して、下山しました。
麓にある3世紀に建てられた聖カタリナ修道院は、世界遺産に登録されています。
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【生誕教会(パレスチナ自治区)】
“神の御子は今宵しも ベツレヘムに生まれ給う”
新約聖書ではイエスはベツレヘムで生まれたとされています。そのベツレヘムは今はパレスチナ自治区の中にあり、イスラエルが建てた8mに及ぶ高い塀と検問所を通って、パレスチナ側に入らねばなりません。イスラエル側に戻る時はもっと大変で、普通の入国審査より遥かに厳しいチェックがあります。
壁一つ越えると、ヨーロッパからいきなりアラブの国に来た気分になります。それほど格差は大きい。
ベツレヘムはまたダビデが生まれた土地でもあります。本当はガリラヤ地方のナザレで生まれ育ったと想定されるイエスですが、ダビデの子孫であるからには、どうしてもベツレヘムで生まれたことにする必要があったのでしょう。それに、その当時はエルサレム周辺に住む人だけが純粋なユダヤ人と見做されていましたから、やはりナザレ生まれはまずかったのだと思います。「こちとらチャキチャキの江戸っ子でぃ、埼玉は大宮の生まれよ。」では、啖呵が切りにくいのと一緒です。
イエスが生まれたのが12月というのも変です。パレスチナ地方で羊の放牧は春から秋までですから、羊飼いが寝ずの番をしていたわけがない。
まあ、あまり野暮なことは言わず、ここはベツレヘムで生まれてことにしておきましょう。
ベツレヘムの小高い丘の上にイエスの生誕教会があります。その地下にはイエスが生まれたとされる場所(写真)があり、銀の十字架が嵌め込まれています。東方の3博士が星に導かれてベツレヘムに来て、生まれたばかりのイエスに会うのですが、そのベツレヘムの星を形どったものです。
すぐ横にはイエスの家族が暮した洞窟があって、イエスが寝かされていたという馬の「かいば桶」(石製)まで残されています。
信じるかどうかは自由ですが、信ずる者は救われます。
イエスの誕生に因んだ教会らしく、厳粛というよりは明るさの感じられる施設でした。
警備にあたる警察官の制服が見たようだと思ったら、日本の警察から送られたものをそのまま使っているとのことでした。
パレスチナ自治区は本当に貧しいんです。
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【聖墳墓教会(イスラエル)】
イスラエルが実効支配しているエルサレム、その旧市街はわずか1km平方四方という狭い地域ですが、ここにユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教の聖地があります。
その内、キリスト教の聖地に関しては、イエスが十字架を背負って歩いた「悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)」と、イエスが十字架に架けられた場所に建つ「聖墳墓聖堂」が中心となります。
イエスが死刑宣告され磔刑に至るまでの経過というのは、キリスト教徒でない私たちにとって、理解し難いところです。イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘に上がり、磔となって遺体が葬られるまでの間、彼の12人の使徒の誰一人としてイエスを助けようとしない。むしろ手を差し伸べたのはエルサレムに住み一般の信者たちでした。
これを解く鍵は、処刑される前夜の「最後の晩餐」の後の「ゲッセマネの祈り」にあると思います。
最も信頼の厚いペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人の使徒を待たせて、イエスは一人だけでゲッセマネの園に入り、神に全人類の罪を一身に背負って自ら死を受け容れることを祈ります。
それから3人の弟子たちの所に戻ってくると、3人とも眠っていました。「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切るものが近づいてきた。」とイエスは語ります。
イエスを十字架から降ろしたのはアリマタヤのヨセフで、遺体を清拭した後に墓に納めます。この時、マグダラのマリアら女性信者が協力したようです。
聖墳墓聖堂の中にイエス・キリストの墓(写真)がありますが、一度に3~4人しか入れません。内部は意外に狭いですが、とても厳粛な気分になります。
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【嘆きの壁(イスラエル)】
エルサレムのイスラム教の聖地・岩のドーム、この岩というのはアブラハムが自分の子イサクを神に捧げようとしたモリヤの丘(つまり、神と人間の最初の契約が行われた場所)であり、又ダビデが神の契約を祀った場所であるとされています。ということはアブラハム宗教の共通の聖地ということになります。
かつてこの場所にはソロモン王の神殿がありましたが破壊され、今は神殿を囲んでいた西側の壁の一部が残されているだけです。ここがユダヤ教の聖地「嘆きの壁」です。ユダヤ教徒がここで祈りを捧げるまでに1900年の歳月を要しました。
祈りをする際に、壁の石の隙間に各自の願い事を書いた小さな紙を挟むのですが、これが夜露に濡れた状態が涙を流すユダヤ人の姿を映しているとされ、ここからこの壁が嘆きの壁と呼ばれるようになりました。涙を流しながらお祈りをする人もいます。
一体何を祈っているのか現地ガイドに訊ねたら、現在イスラム教の管理下にある場所に、ユダヤ教の神殿を再建することを祈っているとか。気持ちは分かりますが、これは難問ですしそれにアブナイ。
こうなればいっそ3階建ての宗教施設を建てて、各フロアーをくじ引きでユダヤ教、イスラム教、キリスト教にでも割り振りする以外、平和的解決の道がなさそうです。
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これはどの宗教にも言えることですが、2千~3千年も前に書かれた文書を、今の時代に一言一句違わずそのまま当てはめようとしても、そこには無理があります。
宗教といえども人間社会の一部ですから、時代の変遷と共に宗教の教義自身もまた変化していかなくてはならないでしょう。
宗教団体がそうした「しなやかさ」や内なる改革を拒絶するのであれば、やがて滅亡するしかありません。
過去の人類の歴史を振り返れば、「宗教」の名のもとにどれだけの血が流されてきたでしょうか。
人間を幸せに導くはずの宗教が、不幸を拡大再生産したのでは何もなりません。
世界各国の「聖地」を巡りながら、この事を強く感じました。

―終わり―
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by kanekatu | 2008-11-05 09:50 | 世界の絶景 | Comments(0)

世界の絶景ベスト10「聖地」編・上

当初予定していた文化遺産、自然遺産に加え、新たに「聖地」の風景を10ヶ所選定しました。
仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、ユダヤ教であれ、聖地といわれる場所は独特のオーラがあり、私のような無神論者であっても自然にこうべが垂れるような、厳粛な雰囲気を醸し出しています。
では、宗教は嫌いだが宗教施設は好きという変わった趣味の私が選んだ「聖地」10選、神様の怒りをかわぬよう順位を付けずに紹介します。
上下2回に分けての掲載になります。

【ゴールデンロック(ミャンマー)】
ミャンマーのチャイティーヨにあるゴールデンロックは仏教の聖地です。
伝説によれば、11世紀に仏陀の遺髪を自分の髷の中に持っていた隠者が、時の国王に自分の頭の形と同じ岩を海底からこの山頂に運ばせ、その上に仏陀の髪を祭ったパゴダを建立したとされています。
斜面の岩の上に僅かに接触しているゴールデンロックは、その後の度重なる大地震でも転げ落ちることが無く、この形もまま保たれています。仏陀の遺髪が起こした奇蹟として信じられ、ミャンマー屈指の巡礼地となっています。
黄金色なのは全面に金箔を貼っているためですが、岩の上のチャイティーヨ・パゴダは一体どうやって建てたのでしょうね。
この山頂に早朝登ってご来光を拝んだのですが、広い山頂は溢れんばかりの人で埋まっていて、ビックリしました。
さすが、信仰心の厚いミャンマー人です。
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【ケルアン(チュニジア)】
チュニジア内陸部の古都ケルアンは、7世紀にアラブ軍が築いた、北アフリカで最初のイスラム都市です。メッカ、メディナ、エルサレムに次ぐイスラム第4の聖地ですが、知名度は今ひとつです。
伝説によれば、イスラム教の開祖ムハンマド専属の理髪師は、ムハンマドのあごひげを常に肌身離さず持ち歩いたそうで、その理髪師があごひげと共にここに葬られています。その場所は「シディ・ウクバ霊廟」と呼ばれ、各地から多くの参拝者が訪れています。
さすがはムハンマドですね。専属の床屋さんが聖人に祭られるのですから。
ケルアンに建てられたモスクは、その後のイスラム都市のモスクのモデルになりました。
さぞかし巡礼者が列をなしてと想像していたら、意外に閑散としていて、イスラム第4の聖地としては寂しい印象でした。
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【シャーヒジンダ廟群(ウズベキスタン)】
ウズベキスタンのサマルカンドにあるアフラシャブの丘、その南麓にあるシャーヒジンダ霊廟群は、中央アジア最大の聖地です。
ティムールゆかりの人々の巨大な霊廟が一直線に立ち並ぶ「死者の通り」は壮観です。主な廟だけでも11基あり、最も古いものは11世紀の建立です。
7世紀、ムハンマドも従兄クサム・イブン・アッパーズがイスラムの布教のためにこの地にやってきます。彼が礼拝中に異教徒の襲われ首を刎ねられてしまいます。でもその時少しも慌てず、自分の首を抱えたまま、深い井戸に入っていきます。
なんだか落語の「首提灯」みたいな話ですけど。
彼はそこで永遠の生命を得て、イスラムが危機に陥ると助けにくるのだそうです。
礼拝に来ている人は着飾っていて、特に女性たちのカラフルな服装が目立ちました。
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【ベナレス(インド)】
デリーとコルカタの中間に位置するベナレス(ヴァラナシ)は、ヒンズー教最大の聖地で、日の出とともに始まるガンジス河での沐浴の光景は、これぞインドです。
神聖なる川ガンジス河には、毎年インド全土から100万人もの人々が沐浴にきます。余りもの人々が巡礼にやってきます。
ガンジス河の両岸にはガートという沐浴場が設けられています。ガートは川に向かって階段状になったテラスで、下りて行ってガンジス河の水に浸かり、沐浴ができるようになっています。 ベナレスにはこのガートが100以上もあるとされ、毎日数千人もの巡礼者が集まってきます。
インドの人々はガンジス河で沐浴することにより現世の罪を洗い流し、来世の幸せが得られると信じています。
私たちはボートに乗って見学したのですが、ツアー客の一人の男性が、どうしても自分も河に入って沐浴すると言い出し、添乗員が必死で止めていたのを思い出します。今思うと、あの人はヒンズー教徒だったのでしょうか。
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【メテオラ(ギリシャ)】
メテオラはギリシャ中部にあり、平原の中に高さが600mにおよぶ岩山が立ち並んでいます。
その頂上に修道院が建てられていて、現在も6カ所の修道院に50人を超す修道士・修道女が暮らしています。
修道院ができたのは14世紀で、オスマントルコの迫害から逃れ、ギリシャ正教を守り抜こうとしたためです。縄はしごを使って上り下りし、必要な食糧や資材はロープであげるしか方法がない生活。敵の攻撃から身を守り、修行に専念するに相応しい場所だったのです。
国民の97%がギリシャ正教の信者であり、日常生活のあらゆる場面に正教が浸透しているギリシャの中で、メテオラはその信仰の中心地です。
同時にギリシャを訪れる人にとっては、ギリシャ観光の目玉でもあります。
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(続く)
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by kanekatu | 2008-11-02 11:24 | 世界の絶景 | Comments(0)

世界の絶景ベスト10「街並み」編

魅力ある都市の名前をあげだしたら切りがありません。イタリアだけでも10都市くらいいきそうですが、ここでは大きな都市を除き、中世の面影を残す印象的な街並みを紹介したいと思います。
世界遺産に登録されている有名な町が意外とつまらなかったり、あまり世間に広く知られていない町が感動的だったり、やはり行ってみないと分からないことばかりです。
敢えて順位付けはせずに、順不同で10ヶ所の街並みを選んだ結果は、以下の通りです。

【トレド(スペイン)】
ここを見るためにスペインに行くという人がいる位、古都トレドは魅力のある街です。私もスペインのツアーで一日目の観光がトレドでしたが、結局旅行を終えてみると最初に行ったトレドが最も印象に残りました。
迷路のような細い道を歩いていると、中世都市にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。
中世にはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教が共存していた町で、現在もそれぞれの寺院が当時の姿を残しています。
また画家エル・グレコが活躍した町としても知られ、代表作「聖母子昇天」などの作品はここトレドで観賞できます。
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【アッシジ(イタリア)】
アッシジはイタリア、モンテスバジオ山麓に位置する小さな街です。
街の中心であるサン・フランチェスコ教会を始め、多くの宗教施設が建てられている聖地ですが、ゆったりと時間が流れているような、不思議な雰囲気を持っています。
大聖堂の丘からは、サン・ダミアーノ修道院のアーケードやマジョーレ城塞などが見渡せ、中世の絵画を見ているような気分を味わうことができます。
魅力的な街並みの多いイタリアですが、代表としてアッシジを選びました。
(デジタル画像が残っていないため写真は省略)

【ドブロヴニク旧市街(クロアチア)】
旧ユーゴスラヴィアから独立したクロアチアを代表する世界遺産であるドブロヴニクは、「アドリア海の真珠」と称えられてきた街です。旧市街の周囲わずか2kmと、思ったより小さな街でした。
東西貿易の要衝として栄えた14世紀以来、自治都市として独立を守ってきました。
それが皮肉にも破られたのは、1991年に始まった旧ユーゴの内戦でした。ここドブロブニクもクロアチア独立戦争の舞台となり、街の8割が破壊されます。しかしその後市民たちの手で復興に乗り出し、元の姿を取り戻しました。
城壁の上から見た街の美しさは忘れられません。
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【アルジェのカスバ(アルジェリア)】
アルジェリアの首都アルジェ旧市街は、16世紀にオスマントルコの海賊がこの町を拠点として活動したことが始まります。海賊たちが身代金などで得た富で、この街は建設されました。
1830年にはフランス軍がアルジェに侵攻し、街はフランス風に改造されていきました。この頃からカスバとよばれるようになりました。この街が一躍世界的に有名になったのは、1930年代フランス映画「望郷」の舞台になってからです。
1960年代のアルジェリア独立戦争では、ここカスバがフランス軍へのレジスタンスの舞台となりました。
現在は世界遺産に登録されています。
カスバは階段の町で、狭い階段が迷路のように張り巡らされています。今も多くの人がここで生活していますが、人口流出が続き、スラム化が進んでいます。
しかし老婆が孫の手を引いて階段を上がってくる姿や、路地からヒョイと人が出てきたり、壁に寄りかかって立っている人がいたり、そういうひとコマひとコマが絵になるんです。
あの不思議な空気は、その場所へ行ってみないと分かりません。
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【シバーム旧市街(イエメン)】
2500年の歴史を持つ「砂漠のマンハッタン」シバームは、地上約30m、8階建てからなる高層住宅がおよそ500棟、ひしめき合うように建っています。
シバームは古代ローマの時代から乳香の交易の拠点として発展してきました。冨が集まれば侵略や略奪が起こります。それを守るためにシバームは、街全体が要塞都市として築かれたのです。
驚くべきことに、高層住宅の主な建築資材は泥です。泥で作った家が数百年にわたり保つことが出来た理由は、この隙間のないひしめきあった家造りにありました。
遠くから見ると、まるで御菓子でできた家のように見えますが、家の中は敵の侵入を防ぐ様々な工夫が施されています。
今も多くの人々がこの街で生活しているのにも、驚きでした。
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【ブリッゲン(ノルウェー)】
ノルウェー南西部のベルゲンは、中世以来バルト海沿岸の貿易を独占していたハンザ同盟の拠点になりました。ブリッゲン地区は、そのドイツ商人たちの居留地でした。
港に面して、往時の木造建築が立ち並ぶ美しい街で、世界遺産に登録されています。
沢山の船が港を行き交い、街の中心部にあるマーケットは多くの市民で賑わっていました。今も活気溢れるブリッゲンは、とても魅力的な街です。
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【ハイデルベルグ(ドイツ)】
ライン川やその支流に沿って、中世の面影を残す街が続くドイツの中でも、ハイデルベルグの美しさは際立っています。
14世紀に建てられたハイデルベルグ城を中心に、その中庭から見下ろすと、レンガ色一色のハイデルベルクの街並みやネッカー川にかかる「カール・テオドール橋」が一望できます。
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【ドナウベント(ハンガリー)】
ドナウベントとはドナウ川がほぼ直角に曲がる場所で、ここからドナウ川が東から南へと流れを変えますが、ハンガリーで最も美しい地域です。
代表的な街としてエステルゴムがあり、ハンガリー初代国王で建国の父、聖イシュトヴァーン大王の生誕の地として知られています。
街の中心はエステルゴム大聖堂で、今なおハンガリーのキリスト教の中心地になっています。ドームのテラスからはエステルゴム市内、ドナウ川とマーリア・ヴァレーリア橋、対岸のスロバキアの町ストゥロヴを望むことが出来ます。
少し寂れた感じが何ともいえない風情の街です。
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【ヒヴァのイチャンカラ(ウズベキスタン)】
19世紀、ヒヴァは外敵の侵入を防ぐために、外・内壁と二重の城壁を築きます。その内側の城壁に囲まれた内城がイチャンカラで、ここには20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットなど多くの遺跡が残されている「博物館都市」です。1990年にはユネスコの文化遺産に登録されました。
夕方見張り台に登って見る景色は、イチャンカラの建物のタイルが夕日に赤く染まり、とても美しい光景を示していました。
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【キト旧市街(エクアドル)】
南米大陸の北西部にあるエクアドル、その首都キトは標高約2800mで、世界で2番目の標高の高い首都です。近くには標高が4794mのピチンチャ火山があります。
キトはかつて、クスコに次ぐインカ帝国第二の都市として栄えますが、1533年インカ帝国滅亡に際して、自らの手で破壊します。代ってスペイン人がこの街を再建します。スペイン人たちは、先ずキリスト教の施設を作り文化を広め、先住民に対して美術と彫刻の学校を建設しました。この結果、ヨーロッパとアンデス先住民との文化が融合した新しい芸術が花開いたのです。
キト旧市街にはスペイン植民地時代の建物が数多く残されており、落ち着いた佇まいを見せています。
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by kanekatu | 2008-10-27 09:33 | 世界の絶景 | Comments(0)

世界の絶景ベスト10「自然遺産」編

今回は景観の美しいスポットを選ぶことにしましたが、余りに数が多くて絞り込みが大変でした。そこで景色の種類を次のように分けて、それぞれのジャンルから選択する方法を採りました。
・滝
・湖または池
・海または島
・山または岩
・砂漠
もちろん広大な平野や丘陵地帯、延々と続く海岸線、森や林、花が咲き乱れる野原など、景色の良い所は沢山ありますが、画像にすると意外につまらないのです。そうした場所の感動は、現地で味わって頂くしかありません。
絵柄ということも含めて、上記の場所から選んでいます。

1位「イグアスの滝」
旅行好きの人の話題にのぼるのが「世界三大瀑布」の制覇です。世の中には様々な「世界三大」があり、その専門サイトまであります。日本にも例えば「日本三景」や「三庭園」などがあり、語呂がいいのでしょうね。
その三大瀑布の筆頭にあげられるのがブラジルとアルゼンチンの両国にまたがる「イグアスの滝」です。近づくに連れて落下する滝の轟音が次第に高まってきますが、イグアスとは先住民の言葉で「壮大な水」を意味します。成田を出てから乗り継ぎを含めて28時間、到着した時のあのワクワク感がいいですね。
大小270以上の滝が連なり、最大落差は80m。特にアルゼンチン側から見た姿が壮観です。滝の落下点の近くまでゴムボートで行けるのも魅力です。
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2位「カナイマ国立公園とエンジェルフォール」
今からおよそ20億年前、地球はゴンドワナ大陸と呼ばれる一つの大陸でした。それが約2億5千年前にゴンドワナ大陸の分裂に始まり、今のような大陸の配置になったのは約6500万年前と考えられています。
その大陸の分裂の際に、ギアナ高地は中心軸に位置していたため変化から免れ、20億年前の地球最古の状態が保たれていると推定されています。
長い歳月を経て、地球最古の岩の軟らかい部分は風と雨に洗い流され、硬い岩だけがテーブル状に残りました。これがテーブルマウンテン(テプイ)で、ギアナ高地全体でおよそ100を数えます。高さは高いものは3000mありますが、1000m級のものが多いようです。
テーブルマウンテンの一つアウヤン・テプイは広さが東京23区にほぼ等しく、ここに世界最長の落差979mを誇るエンジェル・フォール(アンヘルの滝)があります。滝の水は落下する前に空中に散ってしまうため、この滝には滝つぼがありません。余りに大き過ぎて、全体の姿を見るには飛行機で見るしかありません。
このギアナ高地を含む一帯がカナイマ国立公園で、世界遺産に登録されています。ギアナ高地観光の入り口がカナイマ空港で、その直ぐ近くにカナイマ湖があります。
湖畔にはロッジが建てられ、ちょっとしたリゾート気分が味わえます。カラオ川をボートで上ったり、ジャングルトレッキングを楽しんだり、秘境なのにテーマパークみたいなのがとても楽しい所です。
欠点は雨期に行くと水量も豊富だし滝に近づけるが、雨量が多く滝全体を見るのが難しく、乾期は滝は見られるチャンスがあるが迫力に乏しく、滝に近づけないことです。
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3位「ビクトリアの滝」
何せ滝が大好きなもので、ついつい滝を上位にランクしていますが、スケールの大きさではこの「ビクトリアの滝」も決して見劣りしません。
アフリカ南部を流れるザンベジ川の中流、ジンバブエとザンビアの国境にビクトリアの滝はあります。最大水量が1分間に5億リットル、滝の幅1700m、落差は110mで、全容はヘリコプターで上空から見るしかありません。舞い上がる水しぶきで全身がずぶ濡れになるため、見学は頭から足元まで覆うゴムのコートを着ます。
イグアスと両方を見た人にどっちが大きいかと訊くと、ビクトリア派とイグアス派に分かれます。どちらを先に見たのか、いつの時期に行ったのかといった条件が左右するようです。
いずれ菖蒲か杜若といったところでしょうか。
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4位「九寨溝」
九寨溝は四川省の最奥部、岷山山脈の麓にあります。広さは720平方キロと東京23区より一回り広い。とても全部を周ることは出来ません。
急峻な峡谷に沿って大小100余りの湖沼が点在していますが、どれ一つを取っても他と水の色が異なります。午前と午後、晴天と曇天、風の強弱によっても絶えず水の色が変わってゆきます。
水底が透き通って見える透明な水の中に、樹氷のような白い「石灰華」が見られる。これが水のブルーと絶妙なコントラストを描いています。
同じ湖沼でもアルプスの山麓や北欧の景色とは全く異なり、全体が東洋的なのです。それでいて中国独特の水墨画の世界ともまた違う。
あの幻想的な光景は、一度見たら忘れられません。
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5位「カッパドキア」
トルコのアナトリア高原中央部に100平方キロにわたって岩石の台地が広がり、そこにキノコや煙突のような形の奇岩がそびえ、林立する「カッパドキア」、その光景は壮観の一言です。初めてこの光景を見た旅行者は例外なく感嘆の声をあげます。柔らかい地層と硬い地層が重なり合っていて侵食されて生み出されましたこの奇岩群は、世界でもカッパドキアだけだろうと思います。
3世紀半ば、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、カッパドキアに移り住みました。彼らは柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を作ります。次に4~10世紀にかけて、今度はペルシア帝国の迫害から逃れるために、迷路のような地下都市を築きます。従って「カッパドキア」は自然と文化の複合遺産で、西アジア屈指の世界遺産です。
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6位「ナミブ砂漠」
アフリカ大陸の南西部に位置するナミビア、その大西洋側に沿って広さ5万平方キロにわたるナミブ砂漠が広がります。今から8千万年前に生まれた、世界最古の砂漠です。
この砂漠の特徴は、砂の中に鉄やマンガンなどの金属酸化物を多量に含んでいるため、「赤い砂漠」になっていることです。高さが300m前後の砂山が連なっていますが、それぞれが違った色を呈しています。
アフリカ大陸北部を東西に横断する「サハラ砂漠」も雄大で魅力的ですが、その美しさという点からするとナミブ砂漠を採りたいと思います。
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7位「ユングフラウ‐アレッチュ」
見所の多いスイスの中でも際立っているのが、世界遺産に登録されている「ユングフラウ‐アレッチュ」です。アイガー・メンヒ・ユングフラウに代表されるアルプスの連峰とアレッチュ氷河を擁しています。欧州で最も標高の高い登山鉄道(下図)から見るアイガー北壁や山麓の景色、山頂から見ることができるアレッチェ氷河など、実に素晴らしい景観です。
登山の拠点インターラーケンも氷河湖を抱く美しい町で、ヨーロッパでも屈指の観光地と言えるでしょう。
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8位「西ノルウェーのフィヨルド」
西ノルウェーの海岸沿いには沢山のフィヨルドがありますが、中でも人気が高いのはガイランゲルフィヨルドです。船で進むと切り立った崖が約20キロにわたって続き、エメラルドブルーの水面と、周囲の山肌のグリーンとの対比が実に美しい。
氷河から溶け出した水が滝となってフィヨルドに流れ落ちるさまを見ながら、私の頭の中にはずっとグリーグのピアノ協奏曲のメロディーが流れていました。
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9位「黄龍」
世界各地に存在する石灰棚の中でも、最もスケールが大きく景観が優れているのは、中国四川省東北部にある「黄龍」でしょう。
玉翠峯から流れ出た水が、石灰をたっぷりと含んだ岩の層を流れ落ち、地面の傾斜にそって棚田のような湖沼群を形成しています。その数は3400ともいわれています。
山頂の標高は3600mに達し、2006年にはケーブルカーが開通しましたが、天候と体調が許せば絶対に徒歩で登ることをお勧めします。黄龍の良さは歩きでしか味わえません(少なくとも登りだけは)。
確かに最大の見所は五彩池(写真)ですが、それも下から一つ一つの湖沼を見てこなかったら、感動は半減します。
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10位「サントリーニ島」
クロアチアの「プリトヴィッツェ」にするか、アメリカとカナダの国境にある「ナイアガラ」を選ぼうかと迷いましたが、島と海の景色から一つ選ぶという意味で、ギリシャの「サントリーニ島」にしました。
サントリーニ島はエーゲ海観光の中でも最も人気が高く、イアの町の白と青の建物がエーゲ海ブルーとの
美しいコントラストを私たちに見せてくれます。
火山の爆発による地殻変動により現在の島の形が生まれているところから、「アトランティス伝説」との関連も推測されていて、謎を秘めた島という点も魅力的です。
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by kanekatu | 2008-10-18 09:51 | 世界の絶景 | Comments(2)

世界の絶景ベスト10「文化遺産・建物」編

文化遺産は前回の遺跡編に引き続き、今回は建物編です。歴史的建築物であっても原形を保っている場合は、こちらに分類してあります。

1位「古都京都・奈良の寺社」
文化遺産で世界一といえば、これは文句なく京都・奈良の社寺です。
例えば京都なら東寺、清水寺、三十三間堂、南禅寺、醍醐寺、下鴨神社、上加茂神社(写真)など、奈良なら東大寺、法隆寺など、いずれをとってもその一つ一つが世界遺産になるような建築物で、それがいわば束になって存在しているのですから、これに勝る文化遺産など、世界のどこにも無いでしょう。
建物だけではありません。それぞれの寺院に置かれている仏像や絵画、あるいは庭園がまた実に見事で、仏教芸術として世界最高水準をいくものです。
更にそれぞれの施設において、建物が四季おりおりで全く違う表情を見せるのも、日本建築の素晴らしさです。
私は京都だけでも通算50日間くらい観光していますが、ようやく主な寺社をひとわたりしたという情況です。
木と紙と布から成る建物を、数百年、千年という単位で長期にわたり守ってきた京都町衆の努力には、ただただ頭が下がります。
残念なのは日本でも、こうした日本建築の良さが充分に理解されていないことです。政府は海外からの観光客の誘致に力を入れるようですが、その前に先ず足元の自国文化の価値を見据える必要があると思います。
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2位「シェーンブルン宮殿」
京都・奈良の社寺が断トツなので、2位以下というのは順位づけが難しく、好みの問題になってしまいますが、2位にはオーストリアの首都ウィーンにあるシェーンブルン宮殿をあげます。ハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジアによって18世紀に建造されたもので、最も優美な宮殿建築の傑作といえましょう。
宮殿の部屋数が1441室というのは、ベッドの上で帝国を築いたハプスブルグの象徴でもあります。
敷地内に世界最初の動物園や植物園が造られ、今は最上階が一般市民のアパートメントとして利用されていたり、ウィーンという都市の大らかさが伝わってきます。
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3位「ブルーモスク」
かつてのビザンツ帝国の首都であり、15世紀からはオスマン帝国の首都として栄えたイスタンブール。この街の象徴的存在といえるのが「ブルーモスク」です。
各地でモスクを見学してきましたが、これ程美しいフォームのモスクは他にありません。宗教寺院の建築物の傑作です。
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4位「イマーム広場」
モスク建築で「ブルーモスク」と双璧かあるいはそれ以上と思われるのが、かつて「世界の半分」と称してその繁栄を謳歌していたイラン、イスファファンにあるイマーム広場であり、その中心のイマームモスクです。
イマーム広場に佇んでいると、確かに世界の半分かも知れないなと思わせられます。17世紀の建築ですが、モスク全体を覆う気の遠くなるような数のタイルの技術は、世界最高レベルといえるでしょう。
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5位「ノイシュバンシュタイン城」
ドイツ観光で最も人気が高いのはロマンチック街道ですが、その終点に位置するのがバイエルン王ルートヴィヒ2世により建設された「ノイシュバンシュタイン城」です。
ルートヴィヒ2世が「私自身の作品」として建てただけあって、城全体が大きな美術作品ととらえることができます。城としての実用性は無いものの、その姿の美しさは例えようがありません。
この城は1869年に建設が開始され、1886年にルートヴィヒ2世はこの城に住みますが、わずかに102日間で別の場所に軟禁され、謎の死をとげます。そう思って見ると、どこか悲しさを漂わせているかのようにも見えます。
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6位「タージ・マハル」
建物の美しさという点ではこちらも決して見劣りしないのが、インド北部アグラにある「タージ・マハル」です。
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、愛妃ムムターズ・マハルの死(1630年)を悼んで建設した霊廟で、2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造させたといわれています。
全体を大理石で造り、その中に28種類もの宝石を埋め込んであるそうです。
よく絵葉書的だと悪口をいわれていますが、私の経験では2回目の方が感激しました。見れば見るほどその魅力が分かってきます。
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7位「エルサレムの宗教施設」
ここだけは今までのものと異なり、個々の建物が特別に優れているわけではありません。むしろ歴史的に、あるいは現代の政治的に意義のある施設群ということで紹介したいと思います。
エルサレムという都市は、ユダヤ教にとってはユダ王国の首都であった場所であり、その中心であるエルサレム神殿が置かれていた場所です。しかし西暦70年にローマ帝国により破壊され、今では外壁の一部が残されているだけです。これが嘆きの壁です。
キリスト教にとっては、エルサレムはイエス・キリストが処刑され、埋葬され、復活した場所として、今でも多くの教会が建っています。
イスラム教にとってはどうでしょうか。コーランによれば、ムハンマドが神の意志によりメッカのカアバ神殿から、一夜のうちにエルサレム神殿まで旅をしたことになっています。つまりムハンマドはこの神殿の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったというわけです。現在、ムハンマドが昇天したとされる場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドーム(写真)が築かれていて、イスラムの聖地となっています。
私は無神論ですから、どの宗教の味方をするわけではありませんが、歴史的事実に照らせば、エルサレムにムハンマドが飛んできたという説は無理があります。
一方ユダヤ教の神殿があったことや、キリストがこの地で処刑されたのは事実でしょうから、こと「聖地」という意味からすれば、ユダヤ教とキリスト教の言い分が正当だと思われます。
しかし宗教の争いというのは、そうした理屈は通らないですから、実にヤヤコシヤーヤヤコシヤーです。
教義の争いはともかくとして、同じアブラハム宗教の流れをくむもの同士、お互いに排他的所有権を主張しない方向で妥協できないものでしょうか。
無宗教の当方には理解し難いところです。
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8位「クレムリンと赤の広場」
一度は見ておきたい場所の一つとして、ロシア、モスクワの中心「クレムリンと赤の広場」があげられます。
クレムリンというと直ぐに大統領府が思い浮かびますが、ここには沢山の宮殿やロシア正教の教会があり、それぞれが歴史的にも重要な建物です、クレムリン全体が世界遺産に登録されています。
クレムリン前にある広場が「赤の広場」です。別に社会主義だから「赤」と名付けたのではなく、元々は「美しい広場」という意味ですので、誤解無きように。
この広場に建てられている「聖ワシリイ大聖堂」(写真)はイワン雷帝により1560年に建立されたもので、そのお伽の国の建物のような美しい姿が印象的です。こちらも世界遺産です。
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9位「聖家族教会」
スペインのバルセロナはアントニ・ガウディの街でもあります。市内には7つものガウディの建築物がありますが、その中で最も有名なのが「サグラダ・ファミリア贖罪聖堂」です。ガウディの代表作と思われていますが、実はガウディ自身は1926年に亡くなっていて、彼の設計資料や製作した模型もほとんど残されていません。だから現在はガウディの思想(意志)を汲む形で、多くの建築家や彫刻家、職人がその作業を受け継いでいます。
教会建築としては相当に異色で、最終的にはどんな形になるのか楽しみですが、今のところの完成予定が2250年頃だそうで、残念ですが私たちは見ることができません。
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10位「エルミタージュ」
ロシアで最も美しい街、サンクト・ペテルブルグにある「エルミタージュ美術館」は世界屈指のミュージアムとして知られていますが、元々はロシア皇帝の「冬の宮殿」でした。宮殿は緑と白の石材を用いた美しいロココ建築で、街の中心部を流れるネヴァ川の辺に建っています。
北のヴェネツィアと称されるサンクト・ペテルブルグには多くの歴史的建築物がありますが、その中でもエルミタージュはその優美さが際立っています。
ロシア革命の後は、エルミタージュ美術館として市民に開放されました。
現在は周辺地域とともに世界遺産に登録されています。
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こうして見ると、BEST10に入るような建築物は単に建物だけではなく、その街の景観を含んだ評価になってしまいました。
このランキングからはもれましたが、魅力的な建物はまだまだ沢山あります。
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by kanekatu | 2008-10-13 09:41 | 世界の絶景 | Comments(0)

世界の絶景ベスト10「文化遺産・遺跡」編

前回の記事に書いた通り、まだ世界の国の3割程度しか周っていませんが、今まで観た観光地の中で特に優れていると思われるものをピックアップして、BEST10ということでまとめて見ました。
これから、
(1) 文化遺産・遺跡
(2) 文化遺産・建造物
(3) 自然遺産
(4) 街並み
の4回に分けて掲載します。

私の旅行は文化遺産、特に遺跡を中心にしてきました。
訪問国の数こそ少ないですが、遺跡を中心とした人類の主な遺産に関しては、かなり見学し終えたものと考えています。これからどの程度海外への旅をするか分かりませんが、文化遺産については今回エントリーするリストを大きく入れ替えることは無いでしょう。

なぜ遺跡に魅かれるのか、それは人間の営みの繁栄と衰退の象徴だからです。いうなれば「滅びの美」です。
例えが適当ではないかも知れませんが、私たちの心情の中に滅び行くものへの共感というのが根強くあります。古今東西、芝居や演芸の人気者といえば太平記の楠正成、平家物語の源義経、太閤記の織田信長、忠臣蔵の赤穂浪士、次郎長三国志なら森の石松と吉良仁吉、天保水滸伝なら平手造酒、明治維新は西郷隆盛と、全て悲劇のヒーローです。
繁栄を謳歌した者より滅び去った者に魅かれる、そういう心情が遺跡へ誘うのかも知れません。

では私が選んだBEST10,次の通りです。
なお写真が無いものは、デジタル画像が残っていないためですので、悪しからず。

1位「ルクソール・カルナック神殿と王家の墓」
エジプトのルクソールこそ遺跡の宝庫であり、ナイル川の東岸西岸にある主な遺跡だけでも、
[ナイル川東岸]
・ルクソール神殿
・カルナック神殿(写真)
[ナイル川西岸]
・王家の谷
・ハトシェプスト女王葬祭殿
・メムノンの巨像
があり、世界最高であるのは衆目の一致するところでしょう。
遺跡の多くはエジプト第18王朝(紀元前1570年頃-紀元前1293年頃)に造営されていますので、今からおよそ3500年前ということになります。
生まれて初めての海外旅行がエジプトでしたが、ルクソールの遺跡群のあまりの壮大さに圧倒されました。10年以上経ってからもう一度訪れましたが、感動は変わらない。
当時、旅行好きの人から「あそこは最後の行くところ」と言われたのを覚えています。ルクソールを最初に見ちゃうと、後の遺跡が見劣りするという意味です。
写真撮影が禁止されていて画像が無いのが残念ですが、王家の谷の墓に通じる洞窟の壁画も実に素晴らしい。
文句なしの第一位です。
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2位「レプティス・マグナ」
リビアを代表する遺跡であり、世界各地に散在するローマ遺跡の中でも最高の規模を誇ります。砂に埋もれたまま忘れられたのが幸いして、他のローマ遺跡に比べとても保存状態が良い。
レプティスの絶頂期は、この町の出身者セプティミウス・セウェルスがアフリカ出身で初のローマ皇帝となった193年で、そのためにこれだけの壮大な都市が形成されたのでしょう。
海辺にあって、遺跡に向こうに地中海が見えるのも楽しみの一つです。
リビアはこの他にサプラタ遺跡があり、ここの円形劇場も保存状態が良く、往時の威容をとどめています。
かつては入国が難しかったリビアですが、今ではカダフィさんが転向し、すっかりアメリカと仲良しになったため、気軽に訪問できるようになりました。
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3位「アンコール遺跡」
アジアで最大の遺跡です。全てを観ようとすれば3日かかります。それほどデカイ。
カンボジア・クメール王朝の首都として栄えたころの建造物ですから、12世紀に建てられたものです。ただ、収められていた仏像の大半が壊されたり持ち去られたりしていて、残っていないのが残念です。
また劣化が進んでいるので、希望される方は早く行かれることをお勧めします。

4位「ペトラ」
ヨルダンのペトラは紀元前1世紀ごろから、古代ナバテア人の有力都市として栄えた街です。ペトラ遺跡の最大の目玉は宝物殿「エル・カズネ」で、ペトラの入り口から続く、岩に挟まれた高さ100m、幅2mという谷間を歩くこと30分、突如正面に宮殿が、蜃気楼のように姿を現します。これには誰しも感動します。つまり遺跡として見せ方が上手い(意図されたものではないが)。「つかみ」が上手な点では次の「マチュピチュ」と双璧です。
この遺跡未だ発掘途上であり、全容が明らかになったらきっと壮観でしょうね。

5位「マチュピチュ」
ペルーのマチュピチュの最大の魅力は、ロケーションです。標高2400mの位置にあり、山道を登っていくと急に視野がひらけ、忽然と空中都市が現れる、このサプライズが観光客の目に焼きつくのです。
最近の研究からマチュピチュは、15世紀の第9代インカ皇帝の築き上げた王直轄の都市であることが分かりました。ただなぜここの場所に街を造ったのか、なぜ滅亡してしまったのか、未だ解明がされていません。
この遺跡にとって後方の山が大きく貢献しています。嘘だと思ったら、写真の山の景色を手で隠してご覧なさい。全く印象が変わりますから。
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6位「パガンのパゴダ」
ミャンマーはどこに行っても荘厳なパゴダ(仏塔)が見られますが、中でも11世紀ごろ栄えたパガン王朝の都であったパガンの2000基を越えるパゴダ群は、実に壮観です。
シュエサンドーパゴダの最上層から見る夕日に映えたパゴダは、夢のような姿です。
国の事情から世界遺産になっていませんが、アジア屈指の遺跡と言えるでしょう。
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7位「ギザのピラミッド」
ギザのピラミッドは損をしています。エジプトの首都カイロから近く、今ではすぐ側まで住宅が迫っているために、どうしても有難味が薄れています。もう一つには、エジプトにはルクソールやアブシンベルなど他にも巨大な遺跡があるため、目移りがしてしまうのでしょう。
それでもおよそ4500年前に建造されたこの巨大なピラミッドは、他に例が無いものです。ここを見てしまうと、マヤ遺跡のピラミッドが貧弱に見えてしまう程です。
今でも多くの謎に包まれていることも、この遺跡の魅力の一つです。
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8位「万里の長城」
人工衛星からも見える世界で唯一の建造物である中国の万里の長城。紀元前3世紀の秦の時代に造られ、その後幾多の増改築を重ねたもので、全長は5万キロというから地球一周より長い。
人間の凄さと愚かさを併せ持ったような巨大な遺跡、やはり一度は見る価値十分です。

9位「パルミラ」
中東シリアの砂漠にあるパルミラ遺跡は、紀元前1~3世紀にかけて築かれたとされています。東西交易の要衝として築かれたオアシス都市として建設されました。遺跡には巨大な石柱が列をなし、劇場や大浴場、大神殿などまるでローマ遺跡のような豪華さです。
そして何よりすごいのは、発掘はほんの一部しか行われていないことで、全容を現した時は一体どんな規模になっているか、想像力をかき立てられます。

10位「ナスカの地上絵」
ペルー南部のナスカ平原と呼ばれ砂漠に、1~6世紀に古代ナスカ人が描いたという巨大な地上絵が残されています。その数は数百にのぼりますが、何といっても不思議なのはこの絵が上空からしか見えないことです。だから飛行機が発明されるまで、誰もこの絵に気付かなかった。
遺跡としては、地面に30センチほどの幅で浅い溝を掘っただけの絵で、それだけでは何の変哲もありません。
軽飛行機でひどい酔いと戦いながら見る地上絵は、見れば見るほど不思議な気持ちになります。
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by kanekatu | 2008-10-07 15:39 | 世界の絶景 | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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