カテゴリ:パレスチナ自治区( 2 )

イスラエル紀行その20

ベツレヘムでのイエスの誕生は、クリスマスに因むメルヘンチックな物語として人口に膾炙しています。
新約聖書でイエスの誕生に触れているのはマタイとルカで、マルコとヨハネの福音書には何も書かれていません。恐らくは、イエスの死はキリスト教にとって極めて重要なことですが、誕生はそれ程ではないためでしょう。
私は以前、イエスはナザレで生まれ育ち、ガリラヤ地方を中心に布教活動を行ったと書きました。
ではなぜマタイとルカは、イエスがベツレヘムで生まれと記したのでしょうか。その前に、イエスが生まれた頃のイスラエルの状態がどうなっていたかを考えてみましょう。

当時はエルサレムを中心とするユダヤの国、この地に住む人だけが、狭義のユダヤ人でした。
ユダヤの北にあるサマリアには、元々はユダヤ人が住んでいましたが、アッシリアとの混血が進み、純粋なユダヤ人では無くなりました。
その更に北にガリラヤ地方がありました。ここはバビロンの捕囚から戻ってきたユダヤ人が住んでいたのですが、エルサレムの人から見れば辺境の地であり、やはり純粋なユダヤ人としては認められなかった。
「こちとらぁ芝で生まれて神田で育つ、これが江戸っ子の中の江戸っ子でい」というわけですね。
イエスは救世主ですから、純粋ユダヤ人でないと不都合なわけです。
更には、ダビデの子孫である事も必要条件となります。そのためには、どうしてもベツレヘムで生まれて貰わなければならない。

マタイ福音書では、東方の三博士が、ベツレヘムの星に導かれて、誕生したばかりのイエスに会うというエピソードが語られます。その際博士たちがヘロデ王に、新しいユダヤ王の誕生を告げます。ヘロデは直ちにその時に生まれた赤ちゃんを皆殺しにすることにしまう。ヨセフとマリアは、生まれたてのイエスの命を救うため、家族でエジプトに逃げる、こういうストーリーとなります。
結局マタイは、イエスを旧約聖書のモーセの物語に重ねています。

出産直後の女性と乳飲み子を抱えて、果たしてエジプトに逃げることが可能であったか。ベツレヘムからエジプトへの最短距離は、ガザを通って地中海沿いの道を西へ行くコースです。
それでは、モーセがなぜこの道を選ばなかったのか、それはこの道は当時貿易、交通の要所であっただけでなく、軍事の要衝でもあったからです。そのためモーセ一行は厳重な警備を避け、スエズ湾を渡ってシナイ半島を大きく南周りして、ネゲブ砂漠を北へ縦断して死海に達しています。
しかし、このため40年間の歳月を要し、モーセはイスラエルの地を見ることなく世を去っています。
こうして見ると、イエスたち家族のエジプト逃避行は、どう考えても無理があると思われます。

ルカは、イエスの誕生をどう描いたでしょうか。羊飼いが登場する美しい物語です。
『アウグストゥス皇帝の命で住民登録するために、ヨセフ夫婦はナザレから自分の町であるベツレヘムに来ます。身ごもっていたマリアは、汚い馬小屋でイエスを出産します。宿屋は混んでいたので泊まる場所が無かったからです。
その地方で野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、天使が主の栄光のうちに現れて、非常に恐れる彼らに告げます。そして、貧しい飼い葉桶に寝ている赤子が、ダビデの子メシアの「しるし」だといいます。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。
同時に加わった天の大軍の賛美のなかで、天使からメシヤ誕生の知らせを聞いた、羊飼いたちは急いで行ってベツレヘムで誕生したイエスを探します。飼い葉桶に寝かされていた乳飲み子をみた彼らは、天使の話を皆に告げ、神を賛美します。』

イエスの生まれた日は、我々お馴染みの12月25日ということになっていますが、聖書には何も書かれていません。因みにギリシア正教会は1月6日、アルメニア教会は1月18日だそうです。
いずれも真冬の季節ですが、ベツレヘム周辺の羊の放牧期間というのは、3月から11月だそうですから、真冬に羊飼いが、夜通し羊の番をする筈がない。やはり、どこか話しに無理があります。

しかし、そう言ってしまえば、ミもフタもない。
ここでは、イエスはベツレヘムで生まれたことにしておきましょう。

生誕教会には、もう一ヶ所重要な施設があります。
ヘブライ語で書かれた聖書をラテン語に翻訳したヒエロニムスは、この地下にある洞窟で翻訳作業を行っていました。彼が訳した「ブルガタ版ラテン語聖書」のお陰で、聖書が全世界に広まったのだそうですから、功績大です。
彼には、ローマ人の女性パウラという人が傍にいて、経済的支援と作業への協力をしてくれました。そのパウラが先に亡くなると、ヒエロニムスは悲しみの余り、彼女の遺骨を傍に置いて作業を続けたという伝説が残されています。現在もヒエロニムスの洞窟は、そのまま保存されています。
教会を出た所に、彼の像があります。
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西洋絵画で、足下に骸骨を置いて机に向かう男が書かれていたら、それはヒエロニムスです。

生誕教会を出ると、警備のパレスチナの警官が立っていましたが、制服は日本の警察から贈られてものだそうです。
街の風景を1枚、この辺りベツレヘムで一番キレイな場所でした。
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by kanekatu | 2005-10-28 04:24 | パレスチナ自治区 | Comments(16)

イスラエル紀行その19

♪神の御子は 今宵しも ベツレヘムに 生まれ給う・・・♪
♪牧人羊を 守れるその宵・・・ 喜び讃えよ 主イエスは生まれぬ♪
いよいよ私たちは、イエスの誕生の地とされるベツレヘムに向かいます。エルサレムより南に10km、小高い丘にベツレヘムがあります。この地域は、パレスチナ自治区のため、少し前までは団体ツアーは入れなかったようですが、私たちの出発直前になって、見学が可能となりました。
街の入り口に着くと、先ず目に留まるのは、パレスチナとの境界線にイスラエルが建てた壁、聳え立つセキュリティフェンスです。予想していたより大規模な壁です。ベルリンの壁を想起するという指摘もありますが、そう思われても仕方が無いでしょう。
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イスラエル側からいえば、この壁ができたお陰で、イスラエル国内のテロは9割以上減ったそうです。住民の生命を守るためには止むを得ない、これがイスラエルの見解です。
一方パレスチナ側からすれば、この内側にいると刑務所の塀の中で暮らしているような気分でしょうね。出入り口にある検問所を通らなければ、イスラエル地域には入れません。相当不満があることは想像に難くない。壁に書かれている落書きは、パレスチナ側の抗議文です。
こうした意見の食い違い、これが現在イスラエル/パレスチナが抱えている、問題の深刻さです。

私たちはバスを降りて(運転手も代わる)検問所を通り、パレスチナ側のバスに乗り換えました。私たちのベツレヘム滞在時間は、教会の見学を含めて2時間程度ですから、余り断定的に印象を語るのは、不適切だと思います。あくまでファーストインプレッションとしての感想です。
先ずアラブの街に入ったなというのが実感です。イスラエル支配地域に比べ、薄汚れて雑然とした町並が目に入ります。私は個人的には、こうしたアラブの街の雰囲気は、決して嫌いではありません。不思議と気分が落ち着くのです。
しかし、イスラエル地域と比較して、貧しさは歴然としています。商店の多くは、店を閉めており、街頭での物売りだけが目立ちます。

イスラエルに対するパレスチナの抵抗運動、インティファーダーは、イスラエル側にも打撃を与えましたが、同時にパレスチナ自治区の側にも、経済的疲弊をもたらしました。
特に観光収入に依存しているベツレヘムのような地域では、厭戦気分が強くなっているようです。取り敢えず仲良くして、共存共栄でやっていこうよと言う事です。
今回ベツレヘムの案内をセットしてくれたのは、大手のみやげ物店でしたが、彼らの言葉の端々に、そのことを感じました。

街の中心に生誕教会があります。教会の地下にある洞窟が、イエスが生まれた場所だと、ここで又してもローマのコンスタンティヌス大帝の母へレナが決めました。大帝によって紀元325年に教会が建てられ、その後破壊されますが、200年後にユスチニアヌス帝が再建します。
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地下に降りると、イエスが生まれたとされる場所に銀の十字架が嵌め込まれています。東方の3博士が星に導かれてベツレヘムに来て、生まれたばかりのイエスに会うのですが、そのベツレヘムの星を形どったものです。
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その横に、イエスたち家族が過ごしたと言われている洞窟があります。
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この横に馬小屋があったとされています。
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by kanekatu | 2005-10-25 04:30 | パレスチナ自治区 | Comments(6)

憂きな中にも旅の空


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