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スペイン・ポルトガル旅行記(7)

サンティアゴ・デ・コンポステーラはローマのバチカン、イスラエルのエルサレムと並ぶキリスト教三大聖地の一つです。
他の2か所は既に訪れているので、(クリスチャンでも無いのに)ここで三大聖地を制覇しようという目論見です。それもせっかくなら特別な年に。
折りしも2010年は「聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の大祭年」にあたり、それでは今年行こうと決心したのが今回のツアー参加のきっかけです。
それに大祭年の時だけカテドラルの「免罪の門」が開かれ、そこをくぐると全ての罪が許されるという訳で、過去の罪を一切消し去り、身も心も清らかになって日本へ戻れます。

伝説によれば聖ヤコブはスペインで7年間布教活動をした後エルサレムに戻り、殉教してしまいます。
弟子たちが遺体を舟でスペインに運び埋葬しますが、イスラム教の侵入の時代に墓は忘れ去られます。
9世紀になって、星に導かれた羊飼いの少年(どこかで聞いたようなお話)が墓を見つけ、その場所に教会を建てたのが今のサンティアゴ・デ・コンポステーラだそうです。
聖ヤコブはレコンキスタの時に、キリスト教の部隊がイスラム教の部隊に押されていると、どこからともなく白馬にまたがった聖ヤコブ様が現れ、イスラム教の人間をバッタバッタとなぎ倒し、それをきっかけにキリスト教が勝利したという伝説も残されています。
だから聖ヤコブ様は、スペインにとって救国の英雄でもあります。
スペインの教会にはそうした絵画が沢山残されていて、聖ヤコブ様の足下に大勢のイスラム教徒の死体が転がっている絵を見ることができます。
どうも聖ヤコブが今の中東問題をややこしくしているような気がしますけど。
信者以外には信じがたい話ではありますが、信じてください。
信じる者は救われる。

そういう訳で、ヨーロッパ各地から巡礼がピレネー山脈を越えて、徒歩で自転車で、ここまでお参りにくるのですが、その数毎年10万人だそうです。
スペインとしてみれば、有力な観光資源です。
巡礼者は巡礼の道にある各ポイントで、通行手形のような用紙に写真のようなスタンプを押してもらいます。
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これにより間違いなく巡礼の道を歩いてきたということが証明されると、ゴールで写真のような証明書が発行されます。
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仕組みとしては、四国の遍路に似ています。
ただ服装はだいぶ違っていて、写真のように女性は殆んどが短パン姿でした。首からホタテ貝を下げている筈ですが、よく分かりません。
巡礼と言うよりは、ハイキングみたいな感じですかね。
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ここは「歓喜の丘」と呼ばれ、丘の頂上にのぼると遥か彼方にカテドラルの塔が見えます。
そこで巡礼者たちは「もう直ぐだ」と、銅像のように歓喜の声を上げたのでしょう。
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夕方サンティアゴ・デ・コンポステーラに着いて、先ずはカテドラルへ。
とても大き過ぎて全景をカメラに収められません。
11-13世紀にかけてロマネスク様式により建てられた聖ヤコブ教会で、その後何度も増改築を重ね、現在の姿になりました。
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夜になっても、続々と巡礼者たちが集まってきています。
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宿泊はカテドラルの真ん前の「パラドール・デ・サンティアゴ・デ・コンポステーラ」です。長い名前ですね。
15世紀の建物で、元は巡礼者のための王立病院でした。
今でも毎日、宿泊を希望する巡礼者先着10名は無料で泊ることができるそうです。
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こうした回廊が4つもあり、室内の廊下は迷路のようでした。
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さすが五つ星だけあって、落ち着いたインテリアの室内です。
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いよいよ「免罪の門」をくぐって、教会の内部に入ります。
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門をくぐると、この教会のご本尊である聖ヤコブ像の後ろに出られます。
そこで像の後ろから首に抱きつくというのがルールのようで、私たちも慣わし通りに抱きついてきました。
像の下には聖ヤコブが埋葬された墓があります。
バチカンにより、ここに間違いなくヤコブの遺体が埋められていると認定されているとか。
信じましょう、信じる者は救われます。

荘厳なカテドラル内部の見学の後、近くのアラメダ公園に移動しました。
ここはカテドラルの全景が見られるビューポイントで、早速わたしも記念撮影。
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なんだ! 顔が真っ黒でなんにも写ってないじゃないか!

さて、身体も心も清められたところで、スペインの国ともお別れです。
通常のスペイン国の観光ではアンダルシア地方とカタルーニャ地方が中心となり、それがスペインというイメージに固定化されてしまいますが、今回の観光コースでは異なったスペインの姿を見ることができます。
二つのパラドールに泊まったことを含め、いい思い出になりました。

次回は、ポルトガルを目指します。
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by kanekatu | 2010-08-16 08:51 | スペイン | Comments(0)

スペイン・ポルトガル旅行記(6)

ツアー4日目は―未だ4日目、引っ張るなぁこの旅行記―レオンの町の観光です。
10-12世紀にかけて栄えたレオン王国の首都で、サンティアゴ巡礼の要所でもあったレオンは、この地方の商工業の中心地でもあります。
先ずは、ガウディが設計した建物であるカサ・デ・ロス・ボティーネス。
カタルーニャ地方以外にあるガウディの数少ない作品の一つで、今は銀行として使われています。
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建物の前には、ベンチに座ったガウディの像があり、少女が仲良く並んでいました。
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携帯で音楽を聴きながら歩く姿と言うのは、いまや世界共通のようです。
この女性、どことなくカッコイイですよね。
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レオンの町のランドマークともいうべきカテドラルで、13-14世紀にかけて建てられたゴシック様式の教会です。
今回の旅行で数多くのカテドラルを見ましたが、この建物が最も美しいと思いました。
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このカテドラルの最大の特長は、内部を彩る100枚のステンドグラスです。
その1枚1枚が精巧にできており、感心します。
ただステンドグラスは写真にうまく写りません。
下の教会内部の画像から、想像してみてください。
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サン・イシドロ教会は11世紀に建てられましたが、その後増改築が繰り返され、ゴシック、ルネッサンス、ロマネスク様式が混在する、とても優雅な建物です。
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レオン王家の霊廟があるパンテオンはロマネスク様式で、内部に素晴らしい天井フレスコ画が描かれていました。
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レオン市街の風景で、これはなんのモニュメントでしょうか。
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レオンから西へ50kmにアストルガという小さな町があります。
ここにはガウディが設計した司教館があります。
教会の司教の家だというのに、こんな建物を建てたものですから、教会側と意見が衝突しガウディは途中で投げ出してしまいます。
残された部分は別の建築家の手により完成するのですが、結局、司教は恥ずかしがってこの建物に住まなかったそうです。
気持ちは分かります。
建築家として名高いガウディですが、デザインに重きを置きすぎて、肝心の実用性に欠ける作品が多いように思えます。
バルセロナの聖家族教会にしても、あのデザインはどうなのという声もあり、評価は様々です。
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こちらはそのアストルガの教会です。
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さて、いよいよここから5時間かけて、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かいます。
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by kanekatu | 2010-08-12 15:14 | スペイン | Comments(2)

スペイン・ポルトガル旅行記(5)

この日は夕方レオンの町に到着し、「パラドール・デ・レオン」に泊りました。
今回のツアーの目玉として、パラドールでの宿泊があります。
パラドールとは歴史的建造物を改装した国営ホテルのことで、現在スペインには93あります。
その中で五つ星ホテルは2ヶ所ですが、その両方に泊るという趣向なわけです。スゴイでしょ。
ここレオンのパラドールは、元々が修道院でした。
ファザードはプラテレスコ様式です。
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こちらは付属している教会で、現在も使われています。
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その教会内部です。
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宿泊者のために特別に見せてくれたのは、聖歌隊の席です。
椅子の彫刻は中世時代のままだそうで、随分と凝っています。
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パラドールの脇を流れるベルネスガ川の光景です。
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さてここでちょっとティータイム。
今回食したスペイン料理の紹介をします。
実は、料理の記事って苦手なんです。
理由の第一は、世界で最も美味しいのは日本料理だという国粋主義なんです。
どこの国へ行っても、和食にかなう料理はないと信じています。
第二は、少々矛盾する言い方になりますが、食べ物に好き嫌いが一切ありません。何でも食べます。
しかも腹が空いていれば何を食っても美味い。だから、評価ができないんです。
第三は、料理の名前が覚えられない。
ここは全国1万人愛読者(そんなには居ないか)のために、敢えて料理の紹介をします。

ガーリックトースト風の前菜で、ピンク色した得体が知れないドレッシングにつけて食べます。
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こちらは前菜の定番で「エンサラーダ・ミスタ」。トマトなどの野菜とチーズにオリーブ油をかけたもの。
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写真のものは、サーモンが入っています。
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前菜では、ハムとサラミの盛り合わせというのもありました。
けっこう厚切りで、注意しないとスープとこれでお腹が一杯ってなことになります。
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スープは特に珍しいものはなく、写真のものは鱈が入っていました。
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メインは魚料理が多かったですね。それにポーク、チキンなどの肉料理。
こちらはサンティアゴ・デ・コンポステーラの夕食時に出たホタテ貝料理です。
食べ終わると、きれいに洗った貝殻がお土産に渡されます。
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魚は鱈が多かったですね。
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定番のポーク。
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仔牛。
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セゴビアの名物料理であるコチニーリョ・アサードは、子豚をオーブンで焼いた料理です。
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スイーツはマセドニアと呼ばれるフルーツポンチ風なものが多い。
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定番のケーキやアイスクリームも出ましたが、変わったところではアロス・コン・レチェという名のライスプディング、これが甘くて美味い。
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私は甘いものが苦手なので、日本ではスイーツだけは手を出さないんですが、なぜか海外にいる時だけはスイーツを口にします。

今回食べたスペイン料理、ざっとこんな所です。

次回はレオン観光です。
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by kanekatu | 2010-08-09 15:53 | スペイン | Comments(2)

スペイン・ポルトガル旅行記(4)

ツアー3日目はセゴビアを発って、北西へおよそ165kmのサラマンカに向かいます。
この度のツアーは、スペイン・ポルトガルを含め全てがバス移動です。
下の写真の右側の人がドライバーで、マドリッドからリスボンまでの運転をしてくれました。
言葉は分からなくともチョットした仕種で意思が通じ合えるし、とても気分の良い人でした。もちろん運転も。
左側が今回の添乗員。
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途中アビラという町を通るところで写真ストップ。
アビラは中世の面影をそのまま残していて、なかでも町の周囲をグルッととりまいている城壁の町として有名です。
レコンキスタでイスラム教徒から町を取り戻したライムランド伯爵が町を守るために、1090年から9年間かけて建てたもので、幅3m、高さ12m、全長が2.5kmに及ぶ城壁です。
サンタ・テレサの生まれ育った町であることから、沢山の教会や修道院があるそうですが、残念ながら市街には入らず通過です。
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サラマンカは古代ローマ時代の銀の道の中継地でしたが、1218年にスペイン最古の大学としてサラマンカ大学が設立されました。
ボローニャ、パリ、オクスフォードと並ぶヨーロッパ有数の大学都市として町は発展してゆきます。
大学は夏休みに入っているのですが、若者の溢れる町でした。
旧市街の中心地はマヨール広場です。
18世紀におきたスペイン王位継承戦争で、フェリペ5世を支援したその感謝の印として建てられたもので、有名な建築家チェリゲラ兄弟の末弟アルベルトの設計になります。
スペインで最も美しい広場といわれ、市民の憩いの場となっています。
中央に見えるのが市庁舎です。
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こちらがサラマンカ大学で、世界各国から多数の留学生が集まっているそうです。
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カテドラルは16世紀~18世紀にかけて建立されたゴシック様式の建物で、影になっている中央ファザード部分はプラテレスコ様式の彫刻が施されています。
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15世紀にゴシック様式で建てられた貝の家はその名の通り、外壁に400個ものホタテ貝が装飾されています。
ホタテ貝は聖地巡礼のシンボルで、かつてこの家は巡礼者を守る騎士団の住まいだったことが窺われます。
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サンエステバン修道院は1618年に建てられたドミニコ会の修道院で、かつてコロンブスがここに滞在して、航海術を学ぶためにサラマンカ大学へ通っていたというエピソードがあります。
コロンブスの妻がポルトガルの出身だったために、当初はポルトガル王家にアイディアを提案したが認められず、ライバルのスペインで受け容れられ、成功するのです。
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写真はいずれも旧市街の様子を写したものですが、いかにも学生街らしい佇まいを感じられると思います。
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マヨール広場の近くにチェリゲラ兄弟の像が建っていました。
チェリゲラ様式というのは、17-18世紀にかけて発達したスペイン独特のバロック様式で、この町を含め多くの建物がチェリゲラ家出身の建築家によりデザインされました。
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マヨール広場で見かけた若い女性です。
どうです、この健康美。
近ごろ、鳥のガラみたいな貧弱な足を美脚だなんだと持てはやす傾向にありますが、女性の足はこうでなくっちゃ。
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サラマンカはなかなか魅力のある町でしたが、惜しむらくは観光時間が30分と短かすぎでした。
せめて1時間あれば、もう少し余裕をもって見て回れたのにと、少々心残りです。
パッケージツアーの欠点の一つですね。

午後は3時間半かけて、レオンの町に向かいます。
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by kanekatu | 2010-08-06 16:08 | スペイン | Comments(0)

スペイン・ポルトガル旅行記(3)

セゴビアはマドリッドから北西95kmの位置にあります。
スペイン8日間コース位のコースだとセゴビア観光はカットされることが多く、そういう意味では楽しみにしていた町です。
15世紀のカスティーリア王国の中心地だったセゴビアは、標高1002mの高地に築かれた城塞都市です。

町の中心部に着くと、いきなり眼に入ってくるのはローマ水道橋の威容です。
紀元前19年からおよそ700年間、イベリア半島全体がローマ帝国に支配されますが、その時代の紀元1世紀ごろに築かれたものです。
アセベダ川の水をセゴビアにひくため、全長728mにわたり築かれたものですが、高さは写真のアソゲホ広場辺りで約29mに達しています。
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石積み方式で、驚くのは石と石の間には接着剤が一切使われていないことです。引力だけでついているんですね。
下から見上げると、下の写真のようになります。
夕暮れ時で、上のほうが夕陽に映えています。
今から1900年も前に、よくこれだけの建造物を設計し施工したものだと、当時のローマ帝国の技術の高さに感服します。
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旧市街に入ってすぐに見えてくるのがサン・マルティン教会です。
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カテドラルは1768年に完成した大聖堂で、スペインの中で最も新しいゴシック様式の建物として知られています。
「貴婦人」と呼ばれる優雅さは、この写真からは窺えません。
建物の反対側から全景を見られれば、その美しさが分かるのでしょう。
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さて、お目当てのアルカサルに到着です。
元々は要塞であったこの地に、13世紀に城が築かれ、歴代の王たちにより増改築が繰り返されてきました。
国王の即位や結婚式も行われていました。
1862年の火災で大部分が焼け落ち、今の城はその後の再建されたものです。
しかし、そんな歴史よりなによりこの城を有名にしたのは、ディズニー映画「白雪姫」のモデルになったことです。
もっともディズニー自身はこの城を見たことがなく、友人の画家ダリが描いた絵をもとに作ったものだそうです。
フーン、ダリとディズニー、確かに共通点がありそうな。
下の写真を見ると、ナルホドと思われるでしょう。
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内部が思ったより広く、調度品や絵画、武器などが展示されていました。
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こちらは反対側のビューポイントから望遠で写したものです。
とても絵画的ですね。
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荒野に一軒だけポツンと建っているのは、ラ・ベラ・クルス教会です。
珍しい12角形の教会で、13世紀にテンプル騎士団によって建てられました。
映画のワンシーンに登場しそうな、趣のある姿です。
この教会のことを訊いたら知らないと答えた現地ガイドは不勉強です。
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カテドラル前のマヨール広場の情景です。
正面は確か市庁舎だったと思いますが。
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セゴビアは坂が多く、至る所でこういう階段にぶつかります。
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この日の泊りは、「ユーロスターズ・プラザアクエドゥクトH」でした。
水道橋と旧市街の世界遺産の町を後にして、次の日はサラマンカに向かいます。
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by kanekatu | 2010-08-03 09:33 | スペイン | Comments(0)

スペイン・ポルトガル旅行記(2)

ツアーの場合、エールフランスの成田でのチェックインはグループで行うので、集合時には座席が決まっています。
これが個人チェックインの航空会社だと希望の席を確保するために、早めに成田に着く必要があります。
7月12日11時50分初のAF-0276便でパリ、シェンゲン協定によりパリで入国してAF-2000に乗り継ぎ20時20分にマドリッド到着、乗り継ぎを含めた所用時間はおよそ15時間半でした。
ミステリー小説1冊と仮眠時間でちょうどピタリ。
マドリッドの「ウサ・チャルマンティンH」には21時頃の到着となり、TVをつけると画面が真っ赤です。
7月11日にサッカーのW杯で優勝したスペイン代表チームがこの日帰国し、マドリッドの中心部は大群衆が集まってお祭り騒ぎだったわけです。
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不況に悩むスペインにとって、経済へのいい刺激になったでしょうし、この日からしばらくは見知らぬ人同士でも「おめでとう」「凄かったね」と、サッカーの話題に花が咲いたそうです。
やはりスポーツ競技というのは、国民の心を一つにするんですね。

スペインの正式国名はエスパーニャ王国、ヘェーですね。
面積は日本の約1.3倍で人口は約3分の1、宗教は国教ではないがカトリック教徒が圧倒的。
公用語はスペイン語。
その昔アメリカでホテルのランドリーに電話で問合わせしたら、「あんたはスペイン人か?」と訊かれたことを思い出します。
私の話す英語が、どうやらスペイン語にきこえたようなんです。
ったく失礼なアメリカ人め!
時差は8時間ですが、サマータイムの時期は7時間。
今でもシエスタ(昼寝)の習慣が残っているので、午後のショッピングには要注意です。

首都マドリッドはスペインのほぼ中央に位置し、今回のツアーはここから北西部に向かって進みます。
最初の訪問地はエル・エスコリアルで、スペイン北部のグアダラマ山脈の麓にある町です。
1557年フェリペ2世がフランス軍を破った勝利の記念に、この地に修道院を建てました。
完成は1584年。
それが世界遺産に指定されている「エル・エスコリアル修道院」です。
先ずは建物の大きさに驚かされます。
下の写真で、ほぼ半分と思ってください。幅161m、奥行き206mもあります。
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建物の高さも、人間と比較してください。
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内部はエル・グレコの傑作「聖マウリシオの殉教」をはじめ、沢山の絵画が飾られている美術館があります。
このグレコの作品は当初は祭壇画として制作されましたが、フェリペ王のお気に召さず撤去されてしまったといういわく付きの作品です。
失意のうちにこの地を去ったグレコはトレドに行き、そこで高い評価を得ることになります。
宮殿ではフェリペ2世の寝室などが見られます。
思ったより質素で、そして小さい。スペイン人は元々身長が高いほうではないですが、それにしても長さが短いのは王様は真っ直ぐの姿勢で寝なかったためと言われています。
いつでも跳ね起きて戦闘態勢に入れるように体を曲げて寝ていたようで、治にいて乱を忘れずというところ。
この辺りは特に冬になると寒いのか、アンカがあったのはご愛嬌。
この他、王家の霊廟、教会堂があり、中庭を抜けると
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ティバルディ作のゴージャスな装飾が施されたフレスコ画が見事な図書館があります。
美しい庭園は残念ながら窓からその一部しか見られません。
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内部は全面撮影禁止で、紹介ができません。
しかし、一部の施設を除けば、なぜ撮影が禁止されているのか理解できません。
文化財の保存という観点からすれば、人間の出入りこそ最大の阻害要因であり、それは入場料でカバーされていると考えられます。
それに比べて、ノーフラッシュでの撮影であれば、保存に大きな影響を与えるようなモノは展示されていないと思いました。
この施設に限らず、一律の撮影禁止は納得がいきません。

もう一つ、これはスペインに限らないことですが、ヨーロパでは現地ガイドがいないと案内してはいけないという法律を持っている国があります。
例えば、添乗員が手を指して説明しただけで逮捕されるほど厳しいものだそうです。
その現地ガイドですが、彼らは専ら宗教施設や王家の歴史に詳しく、微にいり細を穿つともいうべき解説をしてくれます。
しかし日本からの観光客からすれば、他に知りたいことや見たいものが沢山あります。
王家の肖像画を1枚1枚解説されても、専門家でない私たちには正直いって退屈なだけ。
教会の宗教画も、特に芸術的価値の高いものを別にすれば、どこに行っても似たようなテーマと図柄が描かれており、それをいちいち説明されてもなぁ、と思ってしまいます。
スペインもポルトガルも、素晴らしい観光資源を有しているにもかかわらず、その魅力が日本人観光客にどれほど伝わっているかというと、かなり疑問です。
ガイドが見せたいものと、観光客が見たいものとのミスマッチ。

初めからミもフタもないことを言ってしまったようですが、ヨーロッパ観光で以前から抱いていた疑問なもので、ついつい。
次回はセゴビア観光です。
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by kanekatu | 2010-07-31 16:14 | スペイン | Comments(0)

スペイン・ポルトガル旅行記(1)

スペイン北西部とポルトガルを訪れるツアーに参加し、先日帰国しました。
日程は2010年7月12日~21日の10日間です。
旅行社は阪急交通、添乗員は女性のSさん、往復のキャリアはエール・フランス航空です。
参加者は12名と小ぶりで、一人参加は私以外に一人。
スペインへは2度目で、ポルトガルは63ヵ国目の訪問国となります。
この両国はヨーロッパの中でも西端のイベリア半島に位置し、大航海時代には大西洋を中心に、東はポルトガル、西はスペインで分け合うほどの勢力を持ちながら、その後はヨーロッパの中の後進国の地位に甘んじてきました。
両国の地図は下記のとおりです。

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1990年代には一度繁栄期を迎えますが、ここ数年は経済成長が停滞し、失業率は10から20%にまで上昇、国の財政赤字は対GDP比で10%前後に達し、財政危機といってよい状況に陥っています。
何とかなるさと楽観的なのがスペイン人と、現地ガイドが言ってました。
不況で失業する人も多く、住宅ローンが払えない人もいるけど、払えない人は払わないだけのこと。そのまま住み続けているので何も問題ない。そういう人を追い出そうとしても、法律が守ってくれる。
かつては他人の土地に勝手に家を建て、そのまま住んでしまうことさえザラにあった国だから。
と、まあそんな具合なんだそうです。
私たちからすると、理解不能ですが。
不況や財政危機などどこ吹く風と、いつも通り夏は家族揃って3週間のバカンスにでかける、うらやましい国民性ですね。

さて、スペインというと多くの日本人の頭に描かれるのは「南の国」「情熱の国」というイメージでしょう。
「00スペイン村」などと称する施設にいくと、たいがいは南国の雰囲気が演出されています。
この原因は、私は歌からきているんじゃないかと推測しています。
それは戦後まもない1948年、ボレロ調の軽やかなリズムにのって近江俊郎が歌い大ヒットした「南の薔薇」という曲です。

【南の薔薇】
南のバラそよ風に ほほえむ君の姿
胸に抱き接吻ける 花よバラの花
麗しの月の宵 ともに杯あげ
君よ歌え 恋の歌を
なやましこの胸 燃えたつ恋
南の国スペインの 君はやさしの薔薇

南のバラあこがれの 君こそ花のクイーン
夢の間も忘られぬ 花よバラの花
麗しの月の宵 ともに杯あげ
君よ歌え 恋の歌を
なやましこの胸 燃えたつ恋
南の国スペインの 君はやさしの薔薇

この歌により、
スペイン=南国=情熱の国
というイメージがインプットされてしまったのではないでしょうか。
しかし実際のスペインは、コスタ・デル・ソルなどの一部地域を除いては、イメージとは全く違います。
首都マドリッドを例にとれば、北緯40度を少し超えた位置にあります。
これを日本に置き換えると、秋田県の男鹿半島付近ということになり、むしろ北国といってもよい。
もう一つ、国土の平均標高が意外なことに、ヨーロッパではスイスに次いで第二位なのです。山国なんですね。
知らずに冬にでも行けば、寒さで震え上がるということになりかねません。
そんなスペイン、前回はマドリッドから南に反時計回りでバルセロナまでの周遊でしたが、今回は北へ向かって反時計回りに進み、ポルトガルに入るという行程になります。

(続く)
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by kanekatu | 2010-07-28 09:42 | スペイン | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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