カテゴリ:ポルトガル( 8 )

スペイン・ポルトガル旅行記(15・最終回)

最終日の午後はオプショナルツアーで、ロカ岬とシントラ王宮の見学です。
ロカ岬は西経9度30分に位置にあり、ユーラシア大陸の西端です。
リスボン市内とは打って変わってドンヨリと曇り空に強風と、夏には珍しい気候でした。
その分、地の果てに来たという実感を味わうことができました。
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石碑にはポルトガルの詩人カモンイスの詩の一節「ここの地果て 海始まる」が刻まれています。
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眼前に広がる大西洋と断崖、2枚の写真ともに強風の中で安全柵を乗り越えて撮ったもので、「決死の撮影」といったところです。
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リスボンの西に位置するシントラ山系、ここは貴族や金持ちの別荘が点在する高級リゾート地です。
シントラ王宮は王家の夏の離宮として14世紀に建てられ、16世紀マヌエル1世の時代に増築されたものです。
大きな煙突が特徴的です。
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王宮の入り口からシントラの町を写したものです。
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こちらは見事な天井画が描かれているカササギの間。
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豪華なモザイクの床を持つ礼拝堂。
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王宮のすぐ面前に見えるのは城壁は、ムーアの城跡です。
8-9世紀にムーア人によって築かれたもので、今は廃墟となっていて、わずかに城壁だけが名残りをとどめているとのことです。
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夕方、再びリスボンに戻りました。
「星の教会」というロマンチックな名前の教会です。
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スペインの支配から脱して再独立を勝ち取った記念碑が立つレスタウラドーレス広場。
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旧市街の中心にあるロシオ広場。
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リスボンでの宿泊ホテルは“コリンシア・リスボア”でした。

翌日は早朝4時にホテルを出発、リスボンからパリ経由で帰国しました。
パリでは、エールフランス航空は個人チェックインですが、先ずe-チケットで各自がチェックインしてボーディングパスをプリントアウトさせるのですが、これが操作がやたら厄介なのです。
ようやく入力を終えても機械の都合でボーディンングパスが出てこないこともあり、そんなこんなでチェックイン機の前は長蛇の列になります。
終わると次にカウンターに行き荷物を預けるために又並ぶ。
結局は二重手間になり乗客には不評で、現地の旅行会社からも改善の申し入れをしているのだそうですが、航空会社側はガンとして現状を変えようとしないそうです。
あのシステムは誰がみても不合理であり、利用者の声をきいて改善すべきだと思います。

10日間のツアーも終わってみるとアッという間でしたが、楽しい旅行ができました。
美味しい料理と酒、快適なホテル、たまにはこういう旅行もいいですね。

今回が最終回です。
次の予定は未だ決まっていませんが、恐らく来年になると思います。
歳をとると自由な時間が増えそうな気がしていましたが、家族の都合などで逆に制約を受けることも多くなりました。
しばらくは年に1回というペースが続きそうな気配です。

ではまた、お会いしましょう。
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by kanekatu | 2010-09-09 09:57 | ポルトガル | Comments(0)

スペイン・ポルトガル旅行記(14)

♪あの夜の甘い接吻(くちづけ)に
心も空に抱かれて聞くは・・・♪
こちらも私が子どもの頃に流行った「懐かしのリスボン」の冒頭です。
この歌詞のせいか、リスボンときくと何か切なく甘酸っぱいイメージがわいてきます。
ツアー8日目は観光の最終日で、終日リスボン観光です。
ポルトガルの首都リスボンは、「7つの丘の都」といわれるほど起伏の多い街で(これはリスボンに限らない)、人口は50万人、首都圏全体では250万人という規模の都市です。

朝一番に向かったのはエドゥアルド7世公園で、斜面に幾何学模様の植え込みがあります。
上から見るとボンバル公爵広場を中心にしてリスボンの街が見渡せます。
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サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台は小さな公園になっていますが、ここからも市外の様子が見渡せます。
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展望台のすぐ右側には、グロリア線ケーブルカー乗り場があります。
動き出すとあっという間に終点についてしまいますが、なかなか情緒があって楽しい。
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ロシオ広場周辺はリスボンで最も賑やかな繁華街です。
この近くにサンタ・ジュスタのエレベーターがあり、自由時間を利用して上がってみたいと思いましたが、長蛇の列で断念しました。
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「お嬢さん、エレベーターの感想はいかがですか?」と訊いたら、「べつに」と答えそうな女性ですね。
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アウグスタ通りの正面に見えるのが、勝利にアーチです。
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ここから前日に行った市西部に向かい、先ずは世界遺産のベレンの塔を見学。
16世紀にマヌエル1世により建てられた、テージョ川の船の出入りを監視する要塞として造られたもの。
2層のほるい部分と4層のタワー部分からなり、マヌエル様式の美しいテラスが特徴的です。
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沢山の見学者が訪れていました。
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こちらはカップルが塔をバックに記念撮影、ハイこっちを向いて。
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発見のモニュメントはエンリケ航海王子の500回忌を記念して1960年に建てられたものです。
ポルトガルの観光ポスターに必ず出てきますね。
先頭に立っているのがエンリケ航海王子で、その後ろにヴァスコ・ダ・ガマなどの当時第一線で活躍した人々の像が並んでいます。
モニュメント前の広場には大理石のモザイクで世界地図が描かれてて、各国の発見年号が記されています。
因みに日本は1541年にポルトガルにより発見(?)されたことになっています。
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バスの車窓からみた景色ですが、リスボンでもかつて水道橋が使われていたんですね。
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リスボン観光のバスのドライバーです。
ヨッ、色男!
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次回は最終回です。
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by kanekatu | 2010-09-06 15:39 | ポルトガル | Comments(0)

スペイン・ポルトガル旅行記(13)

ナザレという町の名前は、もちろんイスラエルのナザレから由来しています。
又この町はアマリア・ロドリゲスが歌って大ヒットしたファド「暗いはしけ」の舞台でもあります。
しかし現在のナザレはポルトガル随一のリゾート地として、海辺は人で埋まっていました。
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こうしたテントタイプの日除けが並んでいるのが特徴的です。
合理的に見えますが、風が通らないので暑いでしょうね。
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海に入る人はごく僅かで、浜辺で日光浴をしたり、こうして家族でのんびりと過ごす人が多いようです。
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この小さな教会はメモリアル礼拝堂といって、伝説によれば1182年、城主が鹿を追って岬の端まで追いかけてきた時、馬が海におちそうになったのを、聖母マリアにより救われたのだそうです。
そのご加護に感謝して建てられたのが、このメモリアル礼拝堂とのこと。
聖母マリア様も全世界あちこちに出没していて、お忙しいですね。
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8世紀にロマノという僧が、イスラエルのナザレからこの地にマリア像を運んできたのですが、崖の洞窟の中に隠してしたまま死んでいきます。
468年後に羊飼い(又しても出た!)がこれをみつけ、1377年にノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会を建立しました。
現在の建物は17世紀に建てられたものです。
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ナザレの町の中心部で、いかにもリゾート地という風景です。
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ナザレの町を後にして、いよいよ今回のツアーの最終観光地、リスボンに向かいます。
リスボン到着が夕方になるため、この日は市西部ベレン地区にあるジェロニモス修道院のみの観光になりました。
ジェロニモス修道院はエンリケ航海王子の偉業を讃え、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して、マヌエル1世によって1502年に着工されてもので、マヌエル様式を代表する建築物です。
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最大の見所は中庭を囲む回廊で、美しいアーチと緻密な彫刻が特徴的です。
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天井に施された彫刻は地球を現していて、世界をスペインとポルトガルで分割しようという意図が示されています。
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内部に安置されたヴァスコ・ダ・ガマの棺です。
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市内をめぐる観光馬車。
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シャレたデザインの列車。
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2階建てバスで、2階はオープンになっています。
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リスボンも小路に入るとこんな風景も。
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夕食はファドディナーショーでした。
感想ですが、ファドは“ちあきなおみ”に限ります。
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次回はいよいよリスボン観光の最終日です。
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by kanekatu | 2010-09-03 10:30 | ポルトガル | Comments(4)

スペイン・ポルトガル旅行記(12)

ツアー7日目は朝方、バターリャのサンタマリア修道院の見学からスタートです。
1385年ジョアン1世が率いる軍が、攻め込んできたカスティーリャ軍を破りポルトガルの独立を保ちました。
その戦勝記念に、1388年この「勝利の聖母マリア修道院」の建立が始まり、完成には16世紀初めまでかかっています。
壮大な建物はポルトガルのゴシック・マヌエル様式の代表的建造物として、世界遺産に登録されています。
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マヌエル様式の装飾が美しい回廊です。
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未完の礼拝堂はその名の通り、100年かけたが完成せず天井のないままの状態になっています。
さすがに装飾は手がこんでいますね。
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こちらは中庭。
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バターリャ観光が終わったところで一息いれ、現地で食したポルトガル料理の簡単な紹介をしましょう。
先ずポルトガルのラガービール、小瓶で2-2.5ユーロで飲めます。生ビールも同じような値段です。
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ワインはグラスワインだとビールと同様の値段です。
写真は熟成期間が短いもので、現地では「グリーンワイン」と呼ばれていました。
輸送中に熟成が進むということで、例えば日本には輸出していないそうです。
甘口で食前酒にピッタリです。
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前菜の定番、サラーダミシュタ。
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スープではカルド・ヴェルデがよく出てきました。
味噌汁のような外見ですが、ポテトスープに千切りのチリメンキャベツを煮込み、オリーブ油をたらしたスープです。
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こちらはソーパ・デ・レグーメス。
ポタージュタイプの野菜スープです。
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魚料理は鱈(タラ)が多かったですね。
写真はバカリャウ・ア・ブラスという料理で、バカリャウというのが鱈のことです。
干し鱈と玉ねぎをいためフライドポテトを混ぜて卵でとじた料理で、
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次のライスと一緒に食べます。
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アローシュ・デ・ポルヴァはタコのリゾット。
日本人と同じくポルトガル人はタコを食べます。
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こんな焼き鳥も出てきました。
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サルディーニャス・アサーダス、要はイワシの塩焼きですが、これも定番メニューのようです。
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アレンテージョは豚肉とアサリを炒めたもの。
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カタプラーナというのは写真の鍋のことを指します。
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できた料理もカタプラーナといい、海鮮煮込みといったところ。
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スイーツの定番は季節のフルーツのシロップあえ、サラーダ・デ・フルータ。
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ポルトガル料理は日本人の口に合うといわれるそうですが、確かに素材も味付けも日本人向きだといえます。
どうも外国の料理は苦手、などという方には受け容れやすいのではないでしょうか。

次回はナザレを経て、リスボンを目指します。
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by kanekatu | 2010-08-31 07:53 | ポルトガル | Comments(0)

スペイン・ポルトガル旅行記(11)

ポルトガル第三の都市コインブラは、1290年に創設されたコインブラ大学を始めとするポルトガル文化の中心地です。
ヨーロッパではパリ、ボローニャと並ぶ大学として、沢山の政治家や文化人を送りだしてきました。
エストレラ山脈を水源とするモンデゴ川に抱かれた美しい町としても知られています。
コインブラ大学の入り口です。
夏休みに入っているためか、学生の姿はありません。
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こちらはラテン回廊と呼ばれる建物で、かつてここではラテン語を話すことが義務付けられていたそうです。
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1724年に建てられたジョアニア図書館は蔵書30万冊を誇ります。
それより内部の金泥細工など装飾や調度品が豪華で、見学は有料ですが内部は撮影禁止になっています。立派ではありますが、あまり図書館としては活用されていないという印象を受けました。
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大学内にある教会で、この日結婚式が行われていました。
この母子は、出席者だったのでしょう。
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旧カテドラルは1162年に建立されたロマネスク様式の教会で、レコンキスタの時代には要塞として使われていました。
成る程、見るからに堅牢ですね。
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ポルトガルはどこの町へ行っても、坂、坂、坂です。
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坂の途中に面白い像がたっていました。
「ポルトガルの洗濯女」の銅像です。
私が中学生の頃だったと思われますが、「ポルトガルの洗濯女」というシャンソンが流行りました。
歌詞はもう一部しか覚えていないのですが、こんな歌です。

ご覧よポルトガルの洗濯女
(中略、覚えていない)
洗うものが多けりゃ 
葡萄酒もたんといる
洗うものが多けりゃ 
恋をする間もない
Et tape et tape 疲れて眠りゃ
Et tape et tape 恋も出来ない

この“Et tape et tape”というのが、この町を流れるモンデゴ川で女性たちが洗濯をするときの音なんです。さしずめ日本語なら“ジャブジャブジャーブジャブ”。
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両側に店舗が並ぶコインブラの町の繁華街。
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町の中心であるポルタジェン広場です。
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サンタ・クララ橋から見たモンデゴ川です。
この川岸で大勢の女性たちが並んで洗濯していたんですね。
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この日の泊まりは郊外の“ポサーダ・デ・コンディシャ・ア・ノヴァ”というコジンマリとしたホテルでした。
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次回はバターリャ観光です。
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by kanekatu | 2010-08-28 15:27 | ポルトガル | Comments(0)

スペイン・ポルトガル旅行記(10)

ポルトで働きリスボンで遊ぶ、ポルトはポルトガルの商工業の中心地です。
天然の良港だったポルトは、大航海時代には海外進出の拠点の役割を果たしていました。
街の東西を横切るドウロ川沿いに、観光スポットが集まっています。
クレリゴス教会は18世紀に建てられたバロック様式の教会で、塔の高さが76mとポルトガルで一番の高さを誇ります。
石段を上れば市内が一望できるそうですが、残念ながら時間がなく断念しました。
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サンフランシスコ教会は14世紀にゴシック様式で建てられましたが、17世紀にバロック様式に改装されています。
外観は質素な印象ですが、内部は豪華絢爛。天井、壁、柱には全て彫刻がほどこされ、その上から金箔が貼られています。
でも撮影禁止で、お見せできません。
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少し高い所に行くと、対岸北側の街の様子が見えます。
赤い屋根が並んでいて、とてもキレイです。
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ドウロ川の南側にはsandemanなどの多くのポートワインのワイナリーが並んでいます。
ポートワインは上流のアルト・ドウロという流域で栽培され、摘み取られて絞られブドウ液となります。
その後ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアに運ばれ熟成、ビン詰めが行われます。
かつては写真のラベーロと呼ばれる帆船によって運搬されていましたが、現在はもっぱら広告塔として川に浮かんでいます。
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川岸から見たドン・ルイス1世橋です。
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Sandemanのワイナリーを見学、黒いマントの黒い帽子をかぶったモデルのような美しい女性が案内してくれました。
見学後は試飲があり、ボトリング後も熟成が進むため、日本では手に入らない「グリーン」と呼ばれるワインを購入。
お土産に持ち帰ったら、家族から大好評でした。
お陰で10ユーロでいい顔ができました。
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ポルサ宮は1834年に建てられたポルト商業組合の建物です。
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回廊の壁面にはアズレージョが飾られています。
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この豪華な会議室は現在も使われているそうです。
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すぐ前にはエンリケ航海王子の像がたっています。
実は船酔いがひどくて本人は船に乗らなかったそうですが、ポルトガルがもっとも華やかりし時代の象徴なんでしょうね。
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ちょうど高校生ぐらいのグループが見学に訪れていました。
ガイドの説明などそっちのけで、身だしなみに精を出しています。
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こちらはお目目の大きなポルトの現地ガイドです。
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次回はコインブラ観光です。
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by kanekatu | 2010-08-25 11:33 | ポルトガル | Comments(0)

スペイン・ポルトガル旅行記(9)

ここでポルトガルについて簡単に紹介しておきます。
正式国名はポルトガル共和国、国土は日本のおよそ4分の1で人口は日本の10分の1です。
首都はリスボンで、宗教は97%がカトリック、言語はポルトガル語。
スペインと違ってシエスタの習慣はありませんが、ショップは土曜は昼まで、日曜と祭日は休みにしている店が多いので注意が必要です。
日本との時差は9時間ですが、サマータイムの時期は8時間。

ユーラシア大陸の西端に位置して、ヨーロッパ全体からみれば辺境です。
しかしこの国土が大西洋に面しているということが、15世紀からの「大航海時代」に優位に働き、ポルトガルが世界の表舞台に登場してきます。
大西洋の中央で二つに割って、じゃ西側はスペインさん、その代わり東側はポルトガルねと勝手に決めて、東を目指してゆきます。
当時ユーラシアからアフリカに至る貿易航路はアラブ人が独占していたのですが、1498年ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開き、貿易網に食い込んでいきます。
数年後にはインドからマラッカ海峡にまで侵出し、太平洋への拠点を確保する一方、南米のブラジルを併合、いよいよ世界征服かという所まで進んでいきます。
まさに破竹の勢いでした。
日本に鉄砲をもたらしたのも、そのころですね。
この鉄砲のお陰で日本の天下統一が促進したというオマケつき。
しかしこの繁栄は、そう永くは続かなかった。
16世紀末にはスペインの統治下に入り、マラッカも新興国オランダに奪われてしまいます。
以後は、植民地ブラジルへ経済依存を強めていき、ポルトガル自体は没落に向かいます。
第二次世界大戦中は中立を守りますが、大戦を挟んで独裁政権が続き、1974年になってようやく無血革命によって民主化が実現します。
翌年にはマカオを除く全ての植民地国の独立を承認します。

駆け足でポルトガルの紹介を終え、ツアーに戻ります。
ポルトには夕方に着き、宿泊ホテル「メルキュールポルトセンントロ」にチェックインして夕食。
写真は夕暮れ(といっても午後9時近い)のポルトの町の風景です。
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翌日はツアー6日目、バスの出発までの時間を利用してホテル近くのサン・ベント駅に向かいました。
鉄道の駅としては随分と立派な建物です。
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ホールの壁一面には、すばらしいアズレージョ(陶板)が飾られています。
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駅のホームに停車中の列車です。なかなか洒落たデザインですね。
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朝のキオスクの風景、どこの国も変わりません。
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構内で携帯を見つめる女性、待ち人が遅れているのでしょうか。
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サン・ベント駅はポルトの観光スポットのひとつですが、ツアーのコースには含まれていません。
ホテルが駅に近かったのが幸いでした。
こちらはポルト市内の路面電車です。
対照的にクラシックな車両です。
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次回は、ポルトの市内観光です。
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by kanekatu | 2010-08-22 11:31 | ポルトガル | Comments(0)

スペイン・ポルトガル旅行記(8)

ツアー5日目はスペインを後にして、大西洋に沿って南下します。
国境近くのスペイン側、リアスハバス付近の海岸風景です。
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東西に流れるミーニュ川が国境になるので、ちょうどバスは国境を通過するところです。
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最初に見たポルトガルの風景です。
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欧州各国間は国境の検問もなければ入国手続きもないが、それでも新しい国へ入ったという感慨がわいてきます。
ポルトガルは、私として62ヵ国目の訪問国となりました。
最初の訪問地はギマランイスです。

12世紀に入ると、スペインのカスティーリャ王国との戦いに勝利したエンリケスは独立を宣言し、初代国王の座につきます。
その首都をギマランイスに定めました。
ポルトガル誕生の町として、現在は世界遺産に登録されています
初代国王エンリケスが誕生した城がギマランイス城で、10世紀に建てられたものです。
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城の下にあるサン・ミゲル教会は12世紀のロマネスク様式の建物で、エンリケス国王が洗礼を受けた教会です。
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こちらはノッセ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会です。
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初代ブラガンサ公爵により15世紀に建てられたのが、ブラガンサ公爵館。
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レンガの煙突にフランス・ブルゴーニュ地方の影響がみられます。
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ギマランイスの町は中世に建物がそのまま残されている落ち着いた雰囲気の町です。
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中世の建物と洗濯物という組み合わせが面白い。
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町の中心地であるトウラル広場の光景。
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オリベイラ広場の周囲には沢山のカフェが軒を並べていました。
この二人の女性、ハート型の風船を手にとって何を語らいあっているのでしょう。
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この後、バスはポルトに向かいます。
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by kanekatu | 2010-08-19 09:49 | ポルトガル | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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