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ミャンマー紀行’06 その12(最終回)

さてミャンマー旅行記の連載も、今回で最終回となります。
ここまで読んで頂いた多くの皆さんは、恐らくミャンマーについて抱いていたイメージと違った感想を持たれたものと思われます。私もそうでした。
ミャンマーは1980年代には最貧国に指定されました。確かに眼に入る民衆の生活は決して豊かとは言えません。私が過去訪問したアジアの国の中でも、かなり貧しい部類に入ります。
政治的には軍事政権で、言論の自由は制限され、アウンサン・スーチーさんの軟禁状態も続いています。

ミャンマーは本来豊かな国なのです。
貧しいのは政治のためです。
気候は温暖で水資源に恵まれ、二期作、二毛作が可能であり、米作ではアジアでもトップクラスです。
生花や果実も沢山生産されています。
森林が多く木材資源も豊富で、中国をはじめかなりの木材を輸出しています。
第一アジアの中では珍しく、石油と天然ガスの産出国でもあります。
鉱産品は金属資源が豊富で、ルビーやサファイアなどの宝石類も産出します。
こうした有利な条件が、経済発展に全く寄与していません。
石油が出ても精製設備が無いため、一度タイへ原油で輸出し、製油したものを輸入しています。
宝石類も輸出を禁止しているらしいのですが、実際には多くの宝石がタイなど近隣の国へ流れています。結果中間に入ったブローカーに、みな儲けを吸い上げられてしまうのでしょう。
とにかく、やり方が下手なのです。

こうした経済状態の責任を、全て現在の軍事政権のせいにしてしまうのは、公平ではありません。
ミャンマーは1960-70年代にかけて工業化が大きく進むのですが、この時に「ビルマ式社会主義」に基づく統制経済を行い、その結果停滞を招いて今日に至っています。
社会主義の思想というのは、本来はヒューマニズム精神が基調にあり、誕生したての野蛮な資本主義社会の抑圧に対し、勤労者の生活と権利向上に寄与しました。
しかしその後権力を握ったスターリンや毛沢東といった指導者たちが、この精神を捻じ曲げ、自らの独裁的な政治支配の強化のために、自由への抑圧や統制経済といった、間違った方向に変質させてしまいました。
特にアジア諸国では、一時期こうしたソ連・中国型社会主義の影響を受け、様々な社会的経済的混乱を招きました。
ミャンマーでも、未だにこの時の負の遺産に苦しんでいます。

しかし人々の表情は明るく、生活はゆったりとしていて、幸せそうに映ります。
ミャンマーの人たちを見ていると、豊かさは決して物質ではありません、大事なのは心ですと、諭されているようにさえ感じてしまいます。
「あなた方は貧しいのだから、もっと豊かになるよう努力しなさい。」などと説教する権限は、どこにも無いでしょう。
ミャンマーは数十年にわたり、国際化という潮流に背を向けてきました。
その結果経済的には立ち遅れ、欧米各国から政治の民主化が強く求められています。
しかしその反面、自国の伝統的な文化、生活様式が守られてきました。
私たちは欧米型民主主義を最高の政治形態と考え、その達成度を近代化の尺度と捉え、その国を評価する傾向が強いですが、果たして世界のどの国に対してもその原則が当てはまるのでしょうか。
米国が進めている「中東の民主化」が招いた現状を見るにつけ、疑問を抱きます。

「ミャンマー紀行」はこれで終了し、又しばらくお休みになります。

次回のニューエントリーは5月中旬を予定していますので、その時また皆さんにお会いしたいと思います。
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by kanekatu | 2006-03-04 07:42 | ミャンマー | Comments(10)

ミャンマー紀行’06 その11

ヤンゴンは三方を川に囲まれた町で、かつては貿易港として繁栄していました。中心部は賑やかなダウンタウン、北部は公園や湖が多く緑豊かで、他のアジア諸国の首都と比べても、とても落ち着いた雰囲気があります。
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ヤンゴン観光の中心はシュエダゴンパゴダです。
修験者として修行をつみ、菩提樹の下で悪い精霊神との戦いに勝ったゴータマ仏陀は、7つの地方で7日づつ49日間瞑想に耽り、最高の法悦の境に至ります。
ある日サンザシの樹下にいた時に、ヤマンヤ国から二人の兄弟がやってきてゴータマ仏陀に礼拝します。仏陀は二人に8本の聖髪を与え、兄弟はそれをモン族の王に届けます。
王はその聖髪を、既に過去仏となっていたカクタン仏陀、コーナゴーン仏陀、カタバ仏陀の遺髪と共に、シュエダゴンパゴダに納めました。紀元前585年のこととされています。
その後、何回も拡張工事が行われ、現在のパゴダの原型は15世紀半ばに、バゴーの女王シンソープによって完成されました。
高さは99.4m、基底部の周囲が433m、貼られている金箔数が8688枚、塔の最上部には76カラットのダイヤをはじめ5451個のダイヤ、1383個のルビー、その他多くの宝石や貴金属がちりばめられているという豪華さです。
全てお布施されたものであり、ミャンマー人の信仰の深さを示しています。
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パゴダの周囲を60を越える塔が囲んでいて、更にその外側に沢山の寺院が建造されています。
境内をブラリと1周するのに1時間は掛かります。
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1778年鋳造のマハガンタの釣り鐘の前で、オメカシした子ども達が記念写真を撮っていました。
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東西南北に4つの門があり、パゴダの周囲には8曜日に因んだ仏像が置かれています。
私たちが使っている7曜日のうち、水曜が午前と午後に分かれて、8曜日となります。
参拝に訪れた人々は、それぞれ自分の曜日の仏像を拝みます。
ですからどの仏像を拝んでいるかによって、その人の誕生曜日が分かる仕組みになっています。
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ミャンマーの人々は、この誕生の曜日がとても重要なのです。
先ず名前ですが、通常の苗字にあたる部分が無くファーストネームだけになります。その時に誕生曜日を必ず名前の中に入れるのだそうです。
例えば金曜日に生まれた人は、名前の中に“TH”又は“H”を入れることになり、“THIN(ティン)”や“HLA(ラー)”という名前になります。
星座は金星で、方角は北になりますので、パゴダの北側に守護神が祀られています。守護動物は“モグラ”、これはどうもトラや象、ライオンなどに比べると頼りない感じがします。
金曜日生まれの人の性格は“わがまま、話し好き”とありますので、少々難有りというところでしょうか。

金曜日生まれの結婚の相性ですが、火曜日生まれの人とはバッチリですが、月曜日生まれの人とは組合せが悪いので結婚しないほうが良い。付き合っていた彼女とパゴダでデイトした時、東側の仏像に手を合わせていたら、この人は月曜日生まれだから結婚は諦めるしかありません。
これは決して旧い迷信ではなく、今もそうして結婚相手を選んでいるそうですから、誕生曜日はその人の人生を決めることにもなります。
ミャンマーの理髪店は月曜日が定休日ですが、これは仏陀が出家して髪を切ったのが月曜日だったからだそうです。
このように誕生曜日は、ミャンマーの人々の生活の隅々まで入り込んでいます。

我々日本人は、ビルマといえば“竪琴”ですね。9世紀には演奏したという記録があるそうですから、古くからある楽器です。昔は3弦だったのがその後少しずつ数が増え、今では16弦が標準です。
演奏する音楽に合わせて、1本ずつ弦をチューニングするそうですから、かなり難しい楽器ですね。
“癒し系”の美しい音を響かせていました。
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by kanekatu | 2006-02-25 00:40 | ミャンマー | Comments(0)

ミャンマー紀行’06 その10

ホテルを早朝に出発し、チャイティーヨ山頂に向かいます。1時間ほどで着くのですが、途中勾配が急で足に自信のない人はカゴで行きました。未だ暗い山道を懐中電灯で照らしながら登るのですが、他にも沢山の人々が山頂に向かっていました。
チャイティーヨパゴダは通称ゴールデンロックと呼ばれています。黄金色に輝いているのは、全体に金箔が貼ってあるからです。
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伝説によれば、11世紀に仏陀の遺髪を自分の髷の中に持っていた隠者が、時の国王に自分の頭の形と同じ岩を海底からこの山頂に運ばせ、その上に仏陀の髪を祭ったパゴダを建立したとされています。
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斜面に僅かに接触している岩は、その後の度重なる大地震でも転げ落ちることが無く、仏陀の遺髪が起こした奇蹟と信じられ、今でもミャンマー屈指の巡礼地となっています。
夜明け前にもかかわらず山頂は人で一杯でした。ここに触れるとご利益があるということで手で触ってきましたが、女性は近づくことが出来ません。

その後山頂からご来光を拝むことになりました。地平線が少しづつ濃紺から赤、そして日が昇ると同時に橙色に染まってゆく美しい天然のショーを堪能しました。
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そのまま下山して、元来た道を引き返してヤンゴンに戻りました。
ヤンゴン市内にアウンサン・スーチーさんの自宅、つまり軟禁されている場所があります。ツアー客から是非見たいと希望が出されましたが、勿論現地ガイドから断られました。
一時期ミャンマーの民主化が進んだ10年前ごろ、日本人観光客のたっての要望でスーチーさんの自宅の前まで案内したガイドもいたそうですが、その後逮捕され刑務所に入れられたそうです。
一応バスで、数百メートルの地点までは近づいたのですが、そこからは道路が封鎖されていて近づくことも出来ません。

スーチーさんの父であるアウンサン将軍は、イギリス占領下では日本と組んで独立運動を起こします。その後日本がビルマを植民地にする動きに出たために、今度は日本を追い出す闘争を指揮し、ビルマを独立に導きます。しかし独立の実現を目前に暗殺されてしまい、それが今日に至るミャンマーの混迷を招いたとされています。
アウンサン将軍は、ビルマ建国の父として現在でもミャンマー国民の尊敬を集めています。

ミャンマーは仏教徒が大半を占めていますが、国内にはキリスト教徒やイスラム教徒、伝統宗教の信者を抱えており、それが民族問題とも関連して、特にカレン族を中心とした民族紛争が激化し、一時期は全土で内戦状態になりました。
軍事政権が発足して、表面上は民族紛争は抑えられていますが、弾圧されたカレン族がタイへ難民となってなだれこんだため、タイとの関係が悪化してしまいました。
ミャンマー国内では民主化を求める声がある一方、民主化により又以前のように民族紛争が再燃するのではという不安の声もあります。
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海外ではミャンマーといえば、アウンサン・スーチーさんを思い起こすほど著名ですが、ミャンマー国内ではスーチーさんのことが報道されることは全く無く、日常会話でも彼女のことを話題に出来ない状態にあるそうで、ミャンマー国内ではスーチーさんに対する関心は薄れてきているそうです。
又、スーチーさんの政治的手腕については、海外生活が長かった彼女が、古い体質のミャンマー国民を治めていけるかという不安の声もあるようです。
もっともこれらは現地ガイドから聞いたものですから、現地ガイドの公式見解かも知れませんが。

ミャンマーは軍事政権ですが独裁政権ではありません。首相にあたる国家平和発展評議会タン・シュエ議長については、どういう経歴でどういう人なのか殆ど知らされていないそうです。
写真やポスターも貼られていませんし、一部の海外メディアで息子が後継者になるとの観測が伝えられていますが、ミャンマー国内では話題になったことが無い、第一軍人なのか政治家なのかビジネスマンなのか、それさえ全く分らないそうです。
この点、北の将軍様やリビアのカダフィーさんとは違います。

ミャンマーがこの先どうなってゆくのか、まだまだ分りません。
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by kanekatu | 2006-02-18 19:22 | ミャンマー | Comments(0)

ミャンマー紀行’06 その9

ヤンゴンから2時間かけて着いたバゴーは、13-16世紀にモン族の王都として繁栄しますが、18世紀になってビルマ族によって滅ぼされます。かつての栄光は失っていますが、古都としての風情が残る町です。
チャイプーンパゴダは、高さ30mの仏像が四方を向く四面仏です。1476年の建立で、結婚にご利益があるそうで、若い男女の人気のデートスポットだそうです。
お寺でデートとは、いかにもミャンマーらしいですね。
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シュエターリャウン巨大な寝仏です。涅槃は釈迦が入滅する時の姿ですが、こちらは横になって休んでいる時の姿です。枕をして両眼は開いており、足先が揃っていません。
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全長が55m、高さ16m、108の煩悩を描いた見事な装飾が施されている足の裏は7mというこの仏像ですが、994年に建立されたもので、その後ジャングルの中に埋もれていて、20世紀に入って発見されたそうですが、実に美しい姿を留めています。正に「美男におわす」釈迦像ですね。
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シュエモードパゴダは高さが114mと、ミャンマーでも最大級のパゴダです。
1200年前に建てられたときは、僅か23mの高さであったのがその後順次改築され、1954年に現在の高さのものになりました。
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パゴダ内部には2本の釈迦の遺髪が納められ、傍にある寺には黄金に輝く見事な仏像が安置されていました。
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バゴーから目的地のチャイティーヨのゴールデンロックに向かいます。デコボコ道の両側には一面の田畑が続きますが、良く手入れされていました。点在する農家の印象としては、中国やベトナムより貧しく、インドやカンボジアより豊かと思われます。
バスが所々で止まり、ガイドが何か書類を提出して許可を貰っていたので、理由を尋ねたら検問所だそうです。
海外からの旅行者が、旅程表通りに旅行しているかをチェックしているのだそうで、この辺りの体制派はリビアと似ています。
途中大きな橋を渡る時に、橋の強度が弱いということで、脇の列車の鉄橋の上を通りました。枕木の上を走る車というのは、かなり乗り心地が悪い。イギリスの植民地時代に作られた橋がそのまま使われていて、道路事情を含めてミャンマーのインフラ整備は遅れているようです。

バスは途中のキンプンまでで、そこからは政府運営のピックアップトラックに乗り換えます。
このピックアップ、ミャンマーの名物で、小型トラックの荷台に人間を乗せて走るのですが、長距離バスの多くはこのタイプです。
チャイティーヨのピックアップは写真の通りですが、
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普通は2段ベッドのような棚が作られ、下の段になると座ったままの姿勢になります。2tトラックに40人くらい、しかも荷物コミで乗せて走っていますから、なかなか壮観です。
運賃が安いのが魅力なのですが、満員にならないと出発しません。時には2-3時間待たされるそうですから、御用とお急ぎの方には向かない。
雨の時はどうするのかと聞いたら、濡れるだけだとの答が返ってきました。いくら温暖の気候でも、スコールにでも出合ったら、かなりキツイでしょうね。

私たちのトラックは、特別チャーター便でしたから、それでもゆったりと乗れました。
ただしここの山道は、急勾配急カーブで道幅が狭い所に、このトラックが猛スピードで走り抜けます。時間は40分程度ですが、丁度ジェットコースターに40分間乗っているようなスリルが味わえます。
ツアーの皆さんは歓声(叫び声)を上げながら、子供のように楽しんでいました。
こうして山頂までの中間地点ヤテタウンに到着、ゴールデンロックホテルに宿泊となりました。
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by kanekatu | 2006-02-14 08:40 | ミャンマー | Comments(0)

ミャンマー紀行’06 その8

さてパガンの夜景を見た翌日、早朝ヤンゴンに向け出発することになり、朝陽が昇る直前のパゴダ群の中をバスで通りましたが、その美しさは夕暮れ時の比ではありません。
息を飲む光景というのは、ああいう景色の事をいうのでしょう。
真に残念ながらバスを止めて写真を撮ることは叶わなかったのですが、もし皆さんの中でこれからミャンマーに行かれるのでしたら、是非夜明け前のパガンの光景が見られるような計画を立てることを、強くお勧めします。

ヤンゴン行きの飛行機は、当初は直行の予定でしたが、直前になってマンダレー経由となりました。こんなことはミャンマーでは日常的なのです。
今回乗った国内便は、常に満席に近く、それだけミャンマーを訪れる人が増えているのでしょう。ヨーロッパからの観光客が多いようで、インドと似ています。

ヤンゴンからバゴーに向かいましたが、ヤンゴン市内はさすがに交通量が多くなります。車は日本の中古車が人気だそうで、今から40年前くらいの日本車が現役で走っています。車体に日本の文字が書いてあるのはカッコいいんだそうで、会社名は勿論ナンバープレートまでそのまま付けられています。
日本の乗用車の性能が良いことは、今や世界共通の認識です。
ミャンマーでも国産乗用車が生産されていて、政府は国内製品保護のために外国の車には相当に高い関税を掛けているのですが、性能が悪くあまり使われていないようです。

ガソリンは配給制で車1台あたり2ガロンとのこと、多分イギリスの度量衡でしょうから約9リットルと思われますが、当然それでは足りず、後はヤミ価格で相当な高値になります。
前に両替について書いたように、ミャンマー経済は統制経済とヤミ経済が共存していて、後者が支配的のようです。
例えば、家に電気を引こうとして申し込むと、電力メーターの取り付けにとてつもない時間がかる。時には2-3年も待たされるので、急ぐ時はヤミで入手するしかない。
携帯電話は憧れの商品だそうですが、これも一般では入手が不可能だそうです。
軍の幹部なら入手し易いので、どうしても必要な場合は彼らから譲って貰うことになります、今回の現地ガイドの場合ですと、35万円ほど支払ったと言ってました。処が現在は更に価格が跳ね上がり、今では70万円近く出さないと、携帯電話は入手できないそうです。
ミャンマーの賃金レベルですが、安い人は日給100円程度と言っていましたから、70万円という金額は想像を超えます。

ミャンマーはかつて社会主義的な経済政策を採っていましたので、公務員が多い。処が彼等の賃金はとても安く、とても給料だけでは生活が出来ません。従ってワイロを取ったり、アルバイトをしたりして、生活費を稼ぐことになります。
教師なら自宅で塾を開き、学校授業で足りない所を教える。進学を目指すなら、そうした塾へ通わなければならない。
交通整理をしている警察官の周囲で、何か集金をしている男がいるのでガイドに尋ねたら、警官のワイロを代理で集めているとか。
警官にワイロを掴ませておくと、渋滞のときに優先的に車を通してくれたり、急いでいる時は信号を青に変えてくれるなどの便宜を計らって貰えるのだそうです。

公立病院の診療費はタダですが、十分な医療が受けられない。お金がある人は自ずと私立病院に行く。
入院すると、医者に診察して貰うのに1回で千円、有名な医者なら3千円程度キャッシュで払うことになるそうです。3回なら3倍になるので、大変な負担です。看護婦に来て貰うにもやはり金が必要になる。
手術になれば、又お金です。
こうした費用だけで一日1万円近く飛んでしまうこともあるそうです。

ミャンマーは市場経済が未発達です。
こうした社会では、お金より物で持っていた人の方が強い。宝石や貴金属の店が目に付くのは、そのせいでしょう。しかしそうした市場は、主に華僑が支配していますので、オイシイ所は皆彼らに持っていかれてしまう。この点は他のアジア諸国と同じ事情ですけど。

と、ここまで書いて、余りに気分が悪いので体温を計ったら、37.8℃でした。
そういうわけで、今回はここまでとします。
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by kanekatu | 2006-02-11 20:23 | ミャンマー | Comments(0)

ミャンマー紀行’06 その7

ミャンマーやタイなど東南アジアの仏教国を歩きますと、同じ仏教なのになぜ日本とこれほど違うのか、と言うより日本の仏教がどうして他の国と大きく違うのか、疑問を持ちます。
私は自分では無神論者であり無宗教だと思っていますが、形式上は日蓮宗の檀徒です。このように信仰心が無い仏教徒というのは、日本人には少なくない。過去の世論調査でも、日本人で信仰を持っていると答える人は2-3割です。
一方文化庁の「宗教年鑑」によれば、信者の総数が全人口の2倍になっています。
  【日本の宗教信者数】
神道系 1億1838万人
仏教系   8903万人
キリスト系   150万人
諸教      115万人
計    2億2079万人
私たちはこと宗教の問題になると、他国の人々の信仰心や生活スタイルがなかなか理解できないのは、この辺りに理由があるのでしょう。

仏陀が亡くなって(入滅)およそ100年後に、弟子たちが集まって教えを整理し確認する作業=結集(けつじゅう)が行われました。
それまでは、出家して厳しい修行をつんだ僧侶だけが悟りを開き救われます。したがって、修行をしたわずかな人が救われ、一般の人々は救われません。
また出家は一切の所有をしてはならず、塩ですら蓄えてはならない。出家は正午を過ぎて食事をしてはならない。
こうした厳しい戒律に反対した人たちが戒律の緩和を主張しましたが、それがこの結集で律(教団規則)に違反すると判断されました。この決定に不満をもつ僧侶たちは新たな教団を形成して大衆部(だいしゅぶ)という部派ができ、仏教教団は保守派の「上座部」と、改革派の「大衆部」に分裂しました。
その後上座部の考えは、後に東南アジアに伝わり、南伝仏教とか小乗仏教と言われます。対して大衆部を基にする派は、中国・朝鮮・日本などに伝わり、大乗仏教と言われます。

大乗仏教では、この世に生きるものは全て(=一切衆生、いっさいしゅじょう)は、生まれながらに自分の中に仏となる要素(=仏性、ぶっしょう)を宿していると考えます。
9世紀に最澄が中国から経典を持ち帰り、天台宗を興します。天台宗の中から「天台本覚論」という理論が生まれますが、これによれば、先の大乗仏教の思想を更に発展させて、元々人間には仏性が宿っているのだから、修行しなくとも悟りが開けるという考え方です。又戒律も一段と緩やかなものに変わってゆきました。
天台宗から派生した鎌倉仏教もこうした「天台本覚論」の影響を受けたもので、現在の仏教へと引き継がれています。
日本の僧侶は法事の後の宴席では、酒を飲みながら刺身を食べ、時にはカラオケでデュエットまでしますが、どうもこれでは有難味が薄れ、宗教者として尊敬を集めにくいでしょう。又僧侶自身が、経典を広く大衆に理解させる努力を怠っているように感じます。
日本人で宗教に強い関心がある人は、仏教よりキリスト教や創価学会などの新興宗教に流れていってしまうのは、この辺りに原因があるのではと思います。
東南アジアの仏教国では、日本の僧侶は僧侶として認めないそうですが、ムベなるかな。

話題が日本の仏教の方へ外れてしまいましたので、ミャンマーの仏教に話を戻しましょう。

ミャンマーでは、至る所で僧侶に出会います。先ず朝は托鉢する僧侶の姿が必ず見られます。ここで集めた食材が僧侶の食事になります。
食事は朝食と昼食のみ、夕食はありません。托鉢で集めた食材は、全て一つの鍋に入れて調理するそうです。食事は修行の一部ですから、絶対に旨い不味いを言ってはいけない。
僧侶へのお布施はお金ではなく、原則として食材や布、建材など、生活に必要な物質だそうです。
勿論男女とも結婚は出来ません。
僧侶になると、10の戒(殺生、偸盗、淫行、妄語、飲酒、午後の食事、歌舞観聴、香油塗身、高く広い寝台に寝る、金銀の受領)と、227の律(WOW!)を守らなければならないそうです。
私には絶対に守れませんね。
だからミャンマーでは、僧侶がとても尊敬されています。
当然ですね。

このように上座部の教理では、出家して戒律を守り、修行し、学問を極めないと、悟りへ到達できません。           
在家の信者はどうかといえば、出家者=僧侶へ布施することによって功徳を積めば、死後には天上界へ行ける。そして再度この世に生まれ、その時は以前よりも恵まれた環境の家に生まれることが出来ると信じています。
つまり一般の人々は、来世の幸せのためにお布施を投資するわけです。
ミャンマーの場合、大体の目安として、収入の1割程度をお布施するのだそうです。
余り豊かとはいえないミャンマーで、多くの僧侶の生活を支え、立派な寺院が建立され維持されているのは、こうした事情があるからです。

写真はヤンゴンの中心部にある、黄金に輝くスーレーパゴダ。
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by kanekatu | 2006-02-08 09:25 | ミャンマー | Comments(2)

ミャンマー紀行’06 その6

ポッパからパガンに戻り、ダマヤンヂー寺院を見学。この寺院は12世紀にナラトゥ王によって建立されたのですが、この王は元々自分の父と兄を暗殺して王位に就き、在位中も苛政のため人民から嫌われていたようです。
寺院が建設中にこの王は暗殺されてしまったのですが、こうした事情からその後工事を引き継ぐ者もなく、未完成のまま現在に至っています。
夜幽霊が出ると言うこの寺院ですが、建物のフォルムは美しく、魅了されます。
写真は外壁ですが、細かな装飾が施されています。
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内部に安置されている仏像です。
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パガンのパゴダ群の中心に近い位置にシュエサンドーパゴダがあります。1057年の建立で、内部には釈迦の遺髪が安置されています。
5層のテラスを持ち、特に上部は台座は8角形の2層になっており、階段で登ることが出来ます。
パゴダ群を見渡したり、夜景を見る絶好のスポットとしても人気があります。
最上階から見るパゴダ群は壮観の一言であり、2000基を越えるパゴダと寺院を有するパガンの遺跡の壮大さに圧倒されました。
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太陽が沈む頃には、茜に燃える空を背景にパゴダのシルエットが浮かび上がり、夢のような美しい景色が見られます。
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これを見るだけでも、ミャンマーに行く価値がありますね。

ここでミャンマーの仏教について説明します。
正直に白状しますが、ミャンマーに行くにあたり仏教関係の本に多少眼を通したのですが、私には理解不能でした。何回読んでも良く分らない。
無論私の理解力に問題があるのは承知してますが、せめて聖書のような経典が仏教にあれば、世界の宗教地図は変わっていたのではないかと、そんなことを感じました。
そんな訳で、間違っていることが多々あるでしょうが、正確なことをご教示頂けると幸甚です。

ミャンマーの仏教は、私たち日本の仏教と異なり、南方上座部(小乗)仏教です。
紀元前3世紀頃に最初に伝えられ、10-11世紀のパガン王朝隆盛の時期に、上座部仏教がミャンマー全土に定着したと考えられています。
現在のミャンマーの仏教は、15世紀頃にスリランカから伝えられたものです。
全土に僧侶が10万人おり、見習僧や比丘尼(女性)を加えると、その数は数倍に達します。
一口に仏教といっても、我が国同様にいくつかの宗派に分かれていて、修行や礼拝の様式が異なるとのことです。

次回は僧侶の生活と、ミャンマー人の信仰について書いてみます。
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by kanekatu | 2006-02-05 12:02 | ミャンマー | Comments(3)

ミャンマー紀行’06 その5

ミャンマーは仏教の国と思われていますが、仏教が入る前からナッという独自の宗教があります。
その他にもキリスト教、イスラム、ヒンドゥー教もあります。私たちが訪問していた1月半ばに、あちこちでクリスマスの飾りつけを見ました。今頃クリスマスなどと驚いていた人もいましたが、時期的に見ると東方正教会系なのかも知れません。
又色々な民族が生活していて、全部で130民族がいるといわれています。未だに言語もビルマ語以外の言葉を使っている地方もあるそうです。
政府の鎖国に近い政策もあり、ミャンマー独自の文化が保たれてきたと思われます。

伝統宗教としてのナッ神信仰ですが、全部で37のナッの神々は、沼や川の守護神、村や町の守護神、また旅の安全を守る道の守護神などの役目をもち、今でもミャンマー人の厚い信仰を集めています。
仏教と同時に、仏教伝来以前の伝統的宗教を信仰している点は、日本と似ています。もっとも信仰の度合いは違いますが。

パガンの南東50kmの所にポッパ山があり、その麓にタウンカラという岩峰があります。ここは古来ナッ神の聖地とされています。
私たちはバスでポッパ山に向かいました。途中は高速道路でしたが、道路のいたるところに凸凹がり、少しスピードを出すと座席の上で体が弾みます。食後の胃の消化には、もってこいです。

途中観光農園に寄りましたが、ここで棕櫚椰子の甘いミルク、それを醗酵させた酒、更に蒸留した焼酎、椰子のミルクを煮詰めた黒砂糖、椰子の葉で巻いたタバコ、茶葉を醗酵させたものから作る“食べるお茶”など、とても珍しいものが振舞われました。早速アルコール類と黒砂糖を購入。
椰子のミルクは、木の上で椰子の実から直接採集するのですが、お兄さんがするすると木登りを実演してくれました。
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写真の右の子どもが顔に白いものを塗っていますが、これはミャンマーの白粉「タナカ」で、日焼け防止と化粧を兼ねているそうで、女性と子どもが使っているようです。ミカンの木の一種をすり下ろして作ります。
「ヨッ、チビ玉!」
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タウンカラはいかにも聖地らしく、頂上の寺院は天空の要塞のように見えます。
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標高は737m、階段は777段、途中から裸足になりますが、さすがに頂上に着いた時は、モモがパンパンでした。
頂上には寺院やパゴダが建てられていましたが、その中には仏像が安置してありました。
写真のように周囲に座ってお祈りしているのがこのナッ神の弟子達だそうですが、一見すると日本のヤーさんみたいでチョット顔が恐い。
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ポッパは「花に溢れた」という意味だそうで、この辺りは雨量が少なく、1年中気温が25℃付近と過ごし易いそうです。
昼食は、そのポッパ山国立公園の中にある「ポッパマウンテンリゾート」でとリました。
写真のようにとても眺めが良いレストランで、料理も洗練されていて結構な味でした。
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パガンへの帰り道にミンナトゥという村を訪ねました。
農業は二期作、二毛作が行われていて、全体に田畑は良く手入れされていました。
ただす水源は豊かなのですが、井戸を掘る資金が無く、遠方まで水汲みに行っている農家も多く、この辺りが悩みのようです。
日本からも井戸掘りへの経済援助がされているのですが、なかなか全体には行き渡らない。
ミンナトゥ村は比較的裕福なようで、井戸水を汲み上げて水槽に貯める設備が出来ていました。
少し大きな子ども達が、そこから桶に汲み天秤棒に担いで、各家庭に運んでいました。

ミャンマーの平均寿命は50歳台ですが、これは乳幼児死亡率が依然として高いためです。
医者も病院も遠い上に、未だに治療をお祈りに頼る傾向があるようです。
義務教育制度があり、5歳から10歳までの5年間と決められていますが、農村では教育を受けられない子ども達が多く、僧侶による寺子屋が主な教育施設になっているようです。
ただ子ども達の様子を見ると、恵まれない環境の中でも、とても明るい印象を受けます。
同じ貧しさでもインドとは異なり、このミャンマーやカンボジアは、明るい貧しさを感じてしまいます。

写真はミンナトゥ村の村長の自宅で、土間と部屋が2室あり、ここで一番の大きな家でした。
家の中の様子は、数十年前の日本の農家が思い出され、懐かしくなりました。
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by kanekatu | 2006-01-30 10:40 | ミャンマー | Comments(2)

ミャンマー紀行’06 その4

早朝ヤンゴンを発って、パガン航空という珍しい飛行機でパガンに到着しました。
ミャンマーを南北に縦断するエーヤワディー川の中流域に、大小さまざまなパゴダが林立するパガンの街があります。ミャンマー最大の仏教聖地です。
9世紀頃この地にパガン王朝が誕生し、11世紀になって42代目の王のアノーヤターの時代に、ミャンマー最初の統一王朝を築きます。
アノーヤター王は、それまでの大乗仏教やヒンドゥー教に代わり、上座部(小乗)仏教を広めました。この中心としてシュエジーゴンパゴダを建立し、以後これをモデルに次々とパゴダが建設されました。
しかしパガン王朝は13世紀に入ると、フビライ・ハーン率いるモンゴル軍に攻撃され、パガンも破壊を受けます。
それでも11-13世紀に建てられたパゴダは、現在でも約2200基残されていて、壮大な景色を作り出しています。

最初にそのシュエジーゴンパゴダを訪れました。1057年の建設とされ、高さは49m。シュエジーゴンは直訳すれば金砂岸、石造りですが表面は全て金箔で覆われています。
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パゴダは仏塔で、中に釈迦の骨(あるいは髪の毛)が収められていますが、内部には仏像がありません。このパゴダでは、外部の4ヶ所にストゥーバが建てられており、その中に仏像が納められていました。
ミャンマーの中の数あるパゴダの中でも、最も姿の美しいものの一つです。
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シュエジーゴンパゴダの近くにチャンスイッター窟院があります。
ここは外観だけ見てると薄汚れた建物にしか見えないのですが、内部の壁画が素晴らしいんです。
モンゴル軍の破壊を受けて、その後ビルマ人が中に住み着いて生活したため、壁画の多くは消失しています。残念ながら撮影禁止なので、写真は撮れなかったのですが、950年前の一部のフレスコ画が色鮮やかに残っていました。
当時の状態が保存されていたら、大変貴重な文化財になっただろうと、本当に惜しまれます。
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アーナンダ寺院はパガン最大の寺院で、1091年の建立です。
上から見ると1辺が63mの正方形で、中心に塔が建てられていて、姿が実に美しい。
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ミャンマーの寺院は、東西南北の四方に仏像が配置されていますが、この寺院の仏像は高さが9,5mあり、微かに微笑んでいるような優しい顔をしています。
この巨大な仏像が一刀彫りだと聞いて、驚きました。
表面は他の寺院と同様に、金箔で覆われています。
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又この寺院には、1000体を数える小さな仏像が安置されていますが、中で随分と艶めかしい仏像があり、インド仏教文化からの影響を感じます。
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パガンで最も高さが高いのは、タビニュ寺院です。
1140年の建立で、高さ64mあり、
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2層構造の上の階に仏像が納められています。
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仏像の髪の毛が、相撲取りの髷のように中央部が膨らんでいるのは釈迦で、ミャンマーの仏像の多くは釈迦(仏陀)です。日本のように他の如来や菩薩、明王などの像は見られません。

タビニュ寺院の向かい側にあるタビニュ僧院の前に、日本人戦没者慰霊碑があります。
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イギリス兵に追われて逃げてきた日本兵を、この寺の僧侶がかくまって、助けたのだそうですが、その時の日本人がこの慰霊碑を建て、度々慰霊団が訪れているそうです。
私たちが手を合わせていると、僧侶が線香を持ってきてくれました。終わると僧院に上げてくれ、お茶を出してくれました。
この辺りがミャンマー人の優しさであり、随分と日本の寺や僧侶との違いを感じ、ミャンマーで僧侶が尊敬を集めている理由が分りました。

エーヤワディー川はとても大きな川で、写真に見える陸地は中州で、向こう岸は見えません。
中州には人が住んでいて、畑も作られています。
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この川の水は人々の生活水であり、畑の水となり、ここで洗濯し、ここで水浴びをします。
各家庭には水くみ専任の人がいて、その人は朝から晩まで桶に水を汲んで、天秤棒で担いで運んでいます。
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夕方陽が落ちる頃は、こんな美しい光景も見られます。
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by kanekatu | 2006-01-27 10:32 | ミャンマー | Comments(0)

ミャンマー紀行’06 その3

前回の記事に、ma_cocotteさんと、うさぎさんよりコメントが寄せられ、ミャンマーの服装や料理、貴金属などについてのご意見やご質問が含まれておりましたので、私の最も苦手な分野ですが、気が付いた範囲で書いてみます。
これは旅行者の一般論ですが、概して男性は文化財とか歴史に興味を持ち、女性は買い物や料理に関心が向く傾向にあります。無論この反対のケースも多いのですが。
このブログの旅行記を読まれていてお分かりのように、私の場合は料理や買い物に極端に関心が薄い。

①買い物
日本人に必要なものは、全て日本国内で手に入る。日本に無いもの、それは私たちにとって必要の無いものだという信念。
②料理
好き嫌いが全く無く、出されたものは全て食べるというのが特技。反面料理は日本料理(和食)が世界最高だ。
③衣服
女性の衣服には関心があるが、外側の服より、専ら中身に強い関心を持っている。
④装身具
幸いなことに愛妻が宝石や貴金属に対し殆ど関心が無いため、こちらも同様。

という固定観念があるのがイケナイようですね。

先ず服装ですが、前回の写真のように、男女とも巻きスカートのような“ロンヂー”を身に付けています。和服の“腰巻”を思い浮かべて貰えば分り易いですね。男女で巻き方が逆になるそうで、和服と同じです。
女性用の方は、色も柄も華やかです。
シャツは私たちのものと余り変りません。
首都のヤンゴンでは、たまにスカート姿の女性を見ましたが、地方では100%“ロンヂー”姿です。
そして肩からは“シャンバッグ”、つまり布製の頭陀袋を掛けています。軽いし口が大きいので出し入れがし易い、カラフルで高いものは刺繍が施してあります。
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履物は100%ゴム草履です。
ミャンマーの人々は例外なく信仰心が厚いのですが、仏教のお寺は全て裸足が原則ですから、脱いだり履いたりするのが便利な草履が好まれるのです。
私も滞在中は全てゴム草履で過ごしました。
値段は百円位で買えます。
ロンヂーを着て、ゴム草履を履き、シャンバッグを肩に掛ければ、あなたも今日からミャンマー人です。

ミャンマー代表的な料理は「モヒンガー」で、麺の上に魚のスープをかけて食べます。
麺は日本のそうめんにそっくりですが、米の粉から作られています。スープは淡水魚、玉ねぎ、ニンニク、ショウガなど煮込んで作った汁に、パプリカ、きな粉、魚醤油などが混ぜられた栄養たっぷりのものです。
これに、ゆで卵のスライス、ヒョウタンの天ぷら、香菜などをトッピングして食べます。
イメージとしては、ちょっと辛めのちゃんぽんという所です。
これが大変美味で、どこに行っても「モヒンガー」さえ食べとけば間違いありません。
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この他にはミャンマー風カレー「ヒン」があります。魚が入ったものが多いのですが、チキンもあります。
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ご飯はうるち米で、良く言えばっさっぱり、悪く言えばポロポロです。
真冬でも日中は30度に達する暑い国で、水も豊かですから、市場へ行っても野菜果物は豊富です。
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食卓にもサラダはつきもので、写真のような色鮮やかな生野菜が、テーブルから溢れるほど並びます。
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概してミャンマー料理は、私たち日本人にも親しみ易く、美味しく食べられました。
酒はビールが一般的ですが、この他、棕櫚椰子の液を醗酵、蒸留した焼酎があります。テキーラのような味ですが、60度くらいある強い酒ですので、ストレートですと喉が焼け付きます。

最後に宝石ですが、ミャンマーではルビー、サファイア、ヒスイ等が多量に産出します。しかも良質だそうで、ツアーで一緒だった人も結構買っていました。
ミャンマーにはインフレがあり、人々は貯金の代わり、こうした宝石や貴金属を買うのだそうです。
そう言えば、銀行は目にしませんでしたが、宝石店はやたら眼に付きました。
パゴダの尖塔の上部には、信者から贈られた沢山のお供えが付けられていますが、その多くがこうした宝石だそうです。
確か輸出は禁止されている筈なので、「ひかりモノ好き」の方には、ミャンマーはピッタリの国かも知れません。
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by kanekatu | 2006-01-24 17:29 | ミャンマー | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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