カテゴリ:アゼルバイジャン( 4 )

コーカサス三国旅行記(4)

昼食を終え、旧市街の町並みを見ながら次の観光地まで徒歩で。
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写真の左端はバクー市内を走る地下鉄の入り口です。
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一歩裏道に入るとこういう風景も見られます。
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坂の右側がこれから訪れるシルヴァン・シャフ・ハーン宮殿です。
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こういうモダンな超高層ビルが次々と建てられているようです。
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公園で家族が写真を撮っていました。
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”シルヴァン・シャフ・ハーン宮殿”は14-16世紀にこの地方を支配していたシルヴァン・シャフ一族の宮殿で、カリルッラー1世によって建てられたものです。
この建物はディワンハーネといい、王の謁見の間でありかつ裁判所としても使われていたようです。
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リビングルームだった所は博物館になっていて、その当時使用されていた様々な道具やアクセサリー、食器などが展示されていました。
写真はシルヴァン・シャフ王朝の系図で、説明を受けたけど理解不能。
それぞれの展示コーナーには女性の係員が眼を光らせておりました。
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この博物館では民族衣装の貸し出しもしていて、若いカップルがレトロな格好で記念写真を撮っていました。
でもこの背景、どうなんでしょうね。なんか卑猥な・・・って、やめときあしょう。
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この後はアゼルバイジャン観光のラスト、カスピ海クルーズです。
私は以前に東側のトルクメニスタンで経験していますが、あちらでは漁船でした。
そこいくとこっちはちゃんとした遊覧船、レベルが高い。
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港の近くはこのように建設ラッシュです。
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バクー市内の中心部の光景です。
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クルージングを30分ほどで切り上げ、バスでバクー空港へ。
19:25発 QR976便にて約1時間、グルジア・トビリシ空港に到着。
市内の"Sololakis Kari"というレストランで夕食。
こういうチーズが出てきました。
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メインはシャフリといって、牛肉とジャガイモ、豆を煮こんだ料理で、これも美味でした。
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ただ生バンドが入って大音量で音楽を演奏していて会話が全く聞こえません。
旅行者には不向きな店です。
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by kanekatu | 2012-08-06 12:48 | アゼルバイジャン | Comments(2)

コーカサス三国旅行記(3)

アゼルバイジャンは歴史的には周辺の大国であるロシア、イラン、トルコから支配を受けてきましたが、、17世紀にこの地方を拠点にサファヴィー朝が起こり、カスピ海南西岸地域一帯に住んでいたトルコ系住民が中心になり、アゼルバイジャン人(アゼリー人)と呼ばれる民族が形成されていきます。
19世紀にはロシア領に編入されますが、ロシア革命の混乱に乗じて1918年アゼルバイジャン民主共和国をうちたてます。
しかし1922年に再びソ連邦に編入され、ソ連の崩壊と共に1991年に独立を果たしアゼルバイジャン共和国となります。
1997年にGUAMを結成し脱ロシア志向を強めています。
ただ政治体制はイルハム・アリエフ大統領が党首である「新アゼルバイジャン党」による事実上の一党独裁制です。

さてようやく気分も治って天候も回復、バクーから東アブシュロン半島へ向かい、最初の観光地は拝火教寺院です。
「アテシュ(火)ギャーフ(寺院)」と呼ばれる神殿は紀元前6世紀ごろに建てられたのですが、その後7世紀にアラブ人によって破壊されました。
18世紀になってインドのパーシー教徒により再建され現在に至っています。
中央の神殿は聖職者しか入れません。真ん中に「永遠の火」が燃やされています。
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以前はこの周囲一帯は天然ガスの吹き出し口が豊富にあったため、こうした施設が出来たと思われます。
現在は枯渇してしまい、この火もパイプラインからガスを引いて燃やしているそうで、何だか有難味が薄れますね。

かつてバクーを取り囲むように22の要塞が立てられていて、敵の侵入を防御していました。その一つがここマルタギャン要塞跡です、12世紀に建てられたものです。
見張り塔で食料倉庫としても使われていました。
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井戸は秘密の通路で外とつながっていて、ここから子供や女性、老人たちを逃がしたのだそうです。
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ヤナル・ダクというのは燃える山で、2000年以上燃え続けているのだそうです。マルコ・ポーロも訪れたという記録が残っているそうですが、今では焚火みたいであまり迫力が感じられません。
中学か高校生らしき一団が見学に訪れていました。
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バクー市内の"Conag-Qala"(要塞)という名のレストランで昼食。
約30時間ぶりのまともな食事です。
アツアツの野菜スープが腹に沁みます。
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サジチというのは羊とジャガイモなどを鉄鍋で焼いたものですが、美味でした。周囲はビールやワインを飲みながらでしたが、私はまだ自粛。
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by kanekatu | 2012-08-03 18:59 | アゼルバイジャン | Comments(0)

コーカサス三国旅行記(2)

アゼルバイジャン、正式国名はアゼルバイジャン共和国で首都はバクー。
下に地図を示していますが変わった形をしています。アルメニアを挟んで南西部に飛び地があり、そこはナヒチェヴァン自治共和国。その一方領土内にはアルメニア人が住むナゴルノ・カラバフ自治州があり独立した存在になっています。これがアルメニアとの紛争の種です。
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面積:806,600k㎡、北海道よりやや大きい
人口:930万人
民族構成:アゼルバイジャン人(90%)、ダゲスタン人(3.2%)、ロシア人(2.5%)、アルメニア人(2%)など
言語:公用語はアゼルバイジャン語(アゼリー語)
宗教:イスラム教(シーア派が大半、93%)、ロシア正教(2.5%)、アルメニア正教(2.3%)など
イスラム教といってもゆるやかなもので、女性の服装も自由なようです。これは旧ソ連だったイスラム国家共通の特徴で、私たちは好ましく映ります。
一人あたりGDP:10,340ドル
通貨:アゼルバイジャン・マナト(AZM) レートは1マナト=約105円
国旗は三色で、青はトルコ、赤は発展、緑はイスラムへの信仰を表現しています。
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さて前回の続きで酔いが醒めず頭がフラフラしている状況でバスに乗り、いよいよ観光に出発です。
先ずはTAYTONというレストランで昼食です。昔の農家を模したようなインテリアの洒落た店でしたが食欲が全く無く、スープとパンを一口と後は水だけ、それもようやく喉を通すアリサマ。メインのドルマには手も付けられない。
食事が終り表に出たら隣がインテリアの店で、店内からこちらを見ている人に気付きました。カメラを向けると笑顔をみせてくれたので早速1枚。
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美女を見たら少し頭がハッキリしてきたような気分になり、最初の観光地である世界遺産・コブスタンの岩絵に向かいました。

コブスタンの岩絵は今から5,000年~20,000年前、この地で暮らしていた人々が岩に残した線描彫刻(ペトログリフ)で、およそ6000点が残されていると言われています。
その中のいくつかをご紹介します。
これはアシの舟を漕いでいる様子。
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踊る人々でしょうか。
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ここは出産する場所だったようで、妊婦が描かれています。
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水牛と馬(オナガル)。
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コブスタンの岩石画は、1930年代に発見されました
アゼルバイジャンはこれらの古代の彫刻物群、そして泥火山を守るため、1966年にコブスタン国立保護区に指定しています。

これからバクー市内に戻り観光をする予定でしたが、ここで気分が悪くなり離脱。
タクシーで一人ホテルに戻り、そのまま飲まず食わずで翌朝まで寝込んでしまいました。
せっかくの市内観光に行けず残念でしたが、これも自業自得。ひたすら反省の一日を過ごしたわけです。
そんなわけで皆さんにもバクー市内の名所をご紹介できなくて申し訳ありません。
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by kanekatu | 2012-08-01 10:28 | アゼルバイジャン | Comments(0)

コーカサス三国旅行記(1)

2012年7月14日から22日の9日間、コーカサス三国へのツアーに参加しました。選んだ理由は日程で、このスケジュールなら平日に4日しか引っ掛からず、家族に迷惑を掛けないで済むからです。
定年になればさぞかし自由が利くだろうと思っていたら大違い、制約があるんですよ。
正式ツアー名は「民族と文明の道コーカサス三国周遊9日間」、旅行社は「ユーラシア旅行社」で女性添乗員はYさん。社員添乗員で経験8年ということでした。
この会社では他に13日間コースもあるのですが、上記の理由で短いコースを選んでいます。
参加人数は24名で、その中の10名ほどは一つのグループでした。こういうパターンはあまり歓迎出来ないんです。どうしてもグループで固まる傾向が強くなり、内部同士で盛り上がって他のメンバーから浮いてしまうケースが多い。
こういう所が団体ツアーの難しいとこです。

さて、コーカサス(カフカース)とうのは下の図にあるように、黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈と、それを取り囲む低地からなる地域です。
コーカサス山脈を南北の境界として北コーカサスと南コーカサスに分かれ、北コーカサスはロシア連邦領の北カフカース連邦管区に属する諸共和国から、南コーカサスは旧ソ連から独立した3共和国からなっています。
従って正確には南コーカサス三国への旅ということになります。
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この地域の特長としては全体的に山がちな地形で、山あいには様々な言語、文化、宗教をもった民族集団が複雑に入り組んで暮らしていて、地球上でもっとも民族的に多様な地域であると言われています。
白人を示すコーカソイドもこのコーカサスが語源になっているのですが、自分たちヨーロッパ人を「ノアの箱舟でコーカサス地方にたどり着いた人々の子孫で、白い肌を持つ善なる人」ということから名付けたそうで、いい気なもんです。

最初の訪問国はアゼルバイジャンで、旅程は次の通り。キャリアはアエロフロート・ロシア航空。
7/14 1205成田発-1710モスクワ・シェレメチェヴォ着(時差-5hr)
7/15 0105モスクワ発-0505バクー・ゴブスタン着(時差+1hr)
この旅程ではモスクワで8時間の乗継時間があり、これが辛い。
なんとか時間をもたせてバクー行きの航空機に乗り込み、いよいよアゼルバイジャンに無事到着と思いきや。
隣の座席がロシア人だったのですが、私が機内で3ドル払ってビールを飲んでいたら、彼はトマトジュースと氷を頼み、足元から空港で買ったウオッカの栓を空けて注いで飲みだしたんです。
あまりに旨そうに呑んでいたので私が羨ましそうな顔をしてんでしょう、彼はCAにトマトジュースと氷をリクエストして私に渡してくれて、そこにウオッカを注いでくれました。これが実に旨いんです。
それが判ったんでしょうか、次から次と氷を取り寄せてくれてウオッカを注いでくれました。こちらもご返杯。
片言英語で話しかけたのですが、彼はロシア語しか喋れないようで全く通じません。仕方ないので「ハラショー」というと、相手は「ィヤーポニャ?」というからこちらは「ダ」。そんな会話だけでやたら盛り上がってしまい、遂にはサラのウオッカのボトル1本空けてしまいました。それも500mlじゃないですよ、700mlの大瓶ですよ。
空港に着いたまでは良かったのですが、実はここから先の記憶が無いんです。
普段の海外旅行では特に用心して、機内ではアルコールを控え気味にして注意していたのに、何たるザマ。
この時点で家を出てから27時間以上経っており、間もなく目的地に着くという段階で油断してしまったわけです。

朝の7時にホテルに着き仮眠、12時にはバスで観光に出発する予定でした。
ホテルで寝ていると大きな声で「00さーん」と私を呼ぶ声と、ドアをどんどん叩く音が聞こえるんです。なんだかウルサイな思いながら目が覚めてきて、ようやく置かれている立場に気付きました。
時計を見ると12時20分、既に集合時間に20分遅れています。
そうか寝過ごしてしまったんだと急いで支度をして、謝りながらバスへ乗り込みました。
なんの事はない、私が一番の問題児になってしまったわけです。
午後からの観光も途中でリタイア-し、一人タクシーでホテルに戻り、飲まず食わずで翌朝まで寝込む羽目になりました。
自業自得です。
旅行の第一日目から不安のスタートとなりました。

これから3日に1回位のペースで旅行記を連載する予定ですので、宜しければお付き合いください。
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by kanekatu | 2012-07-29 18:17 | アゼルバイジャン | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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