カテゴリ:モロッコ( 9 )

モロッコ旅行記(9・最終回)

マラケシュのホテル”IMPERIAL HOLIDY”、ホテルの外装もピンク色。
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バスに乗車して一路カサブランカへ。郊外に出るとマラケシュがアトラスの麓にあることが良く分かります。
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新興住宅街も外壁はピンク色。
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道路のロータリーのスペースにもナツメ椰子の畑が。
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カサブランカ(白い家という意味)は人口400万人を超えるモロッコ最大の都市であると同時に、マグレブ諸国最大の経済都市でもあります。資源や農産物の輸出港としても大きな役割を果たしています。
12世紀にすでに貿易港として発展し、同時にイスラム化が始まります。15-16世紀にかけてポルトガルから占領を受けて街は破壊されますが、18世紀にアラウィー朝により再建されます。
1907年のフランス占領後はヨーロッパの影響を受け、急速に近代化の道を歩むことになります。
バスがカサブランカに近づくと景色が一変します。もうピンク色の建物は見られなくなります。
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おそらく祖父と孫なのでしょう、肩車している男性の頭を幼児がピタピタ叩いている姿が微笑ましい。
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街の中心部です。道行く人の服装が今までの都市とガラリと変わっていることが分かります。
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「ムハンマド5世広場」には市庁舎、裁判所、中央郵便局や劇場など、市の中枢機関が集中しています。
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広場の中心に噴水が。
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カサブランカの市電。
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バスを待つ人々で、特に女性の服装が年齢層によって異なっています。若い女性の場合、スカーフさえしてなければ非イスラム圏の国と変らない。
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昼食のスープ、カレー風味でした。
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メインは魚。
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「ハッサン2世モスク」は1993年の完成したモロッコ最大、世界で5番目の大きさを誇るモスクで、敷地内に8万人が収容可能。
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ハッサン2世の海の上にモスクをという願いから、大西洋に突き出た形にしています。
反対側から見ると海に浮かんでいるように見えます。
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眼の前の海は大西洋。カサブランカに着いてから珍しい程の強い雨で、こんなドンヨリとした景色になってしまったのが残念。モロッコの人々にとっては恵みの雨でしょうが、観光客には涙雨。
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観光の最後は路面電車に乗車しての市内見物。
左上の電光掲示板に行き先が表示されるのは便利ですが、読めない。
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車内の様子。この路面電車はフランス製だそうですが、かなりのスピードが出ていました。乗降客がいないと駅を通過してしまいます。
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駅のベンチで電車の到着を待つ人々。
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この後はホテルで夕食、翌日は早朝5時に出発し、カサブランカ-パリ経由-成田には翌日の13時に帰着。

さてモロッコ観光の魅力ですが、一つは異国情緒が味わえること。フェズの迷路やマラケシュ「ジャマ」のお祭り騒ぎなどは他国では経験できないことでしょう。
もう一つは砂漠から雪のアトラス越え、ローマ遺跡やカスバ街道もあれば渓谷美も楽しめる、古都のフェズやメクネスから近代的なカサブランカまでの都市群と、巨大なアミューズメントパークのような趣きです。
しかし他の北アフリカ諸国と比べると、観光の目玉がない。エジプトの巨石文明、リビアのローマ遺跡、アルジェリアの岩絵といった決定打がないのが弱みです。この点はチュニジアに似ています。
「気軽にそこそこ楽しめる国」というのが私のモロッコに対する総評です。

「モロッコ旅行記」は今回で最終回です。最後までお付き合いして頂いた方に感謝します。
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by kanekatu | 2014-02-05 11:45 | モロッコ | Comments(0)

モロッコ旅行記(8)

モロッコのガイドブックの最初に紹介される都市は首都のラバトでも最大の都市カサブランカでもなく、ここマラケシュです。つまりモロッコ最大の見所であることを示しています。
マラケシュの歴史は古く11世紀にベルベル人最初のイスラム王国がここを都と定め、貿易や商工業、文化の中心として発展します。13世紀に首都がフェズに移ると一時期衰退しますが、15世紀にサアード朝が再びこの地を首都と定め、この時に建設された街が今でも残されています。
赤土の日干しレンガで造られた赤茶色の建物が並ぶ標高450mのマラケシュ、背後には3000‐4000m級のオート・アトラスの山々が聳えます。建物の色から薔薇の街とも呼ばれています。
マラケシュは旧市街、新市街、史跡地区に分かれますが、今回はメディナ(旧市街)中心の観光となりました。
まだまだ荷馬車が活躍しています。
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スークの中の香辛料店、店先には数十種類の香辛料がこうして売られています。
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この店の看板娘のようです。入り口に座ってカメラの撮影に応じていましたs。
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「バビア宮殿」はかつての王様の4人の妃と24人の側女のために建てられた宮殿。宮殿に向かう観光客。
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豪華な天井。
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ムーア式の中庭、何かに似てると思ったら、アルハンブラ宮殿です。
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以下はマラケシュのメディナ内の建物を撮影したもので、全てピンク色になっている事が分かります。
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「クトゥビア」はマラケシュのシンボルというべき建造物です。
1147年に着工したが、メッカに対してモスクの位置が正しくないとして取り壊された。その時の基礎部分だけが写真のように残されています。
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その後1199年にマンスールによってモスクが建てられ、現在の姿のようになりました。
高さ77mのミナレットはムーア様式の傑作と言われています。
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この後は観光馬車に乗って夕暮れのメディナ周囲を一回り。
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夜になって、マラケシュ観光の最大の目玉である「ジャマ・エル・フナ広場」へ。
何百という屋台が軒を並べ、大道芸人から生演奏、唄と踊りなどのパフォーマンスがあちこちで繰り広げられます。どこから湧いてきたのかと思うような大人数の人々が広場(ラ・プラス)を埋めつくし、まるでお祭りのよう。驚くのはこれが毎日行われていることです。
誠に残念ながら写真が失敗してしまい、ここで紹介できません。
止むを得ず、観光会社のサイトから拝借して喧噪の状況を想像して頂くしかありません。
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次回は最終回でカサブランカ。
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by kanekatu | 2014-02-04 17:58 | モロッコ | Comments(2)

モロッコ旅行記(7)

イスラム教は今や世界第2位の宗教で、およそ16億人の信者がいるようです。地域は全世界に拡がっており、近年はヨーロッパでも信者が増えつつあるそうです。
私たちから見るとイスラム教は一色に見えますが、実は細かく分かれています。この点はキリスト教や仏教と同じです。
主なものだけでも、トルコ、東ヨーロッパ、シリア、イラク、エジプト、インドでは最も寛容で近代的であるとされるハナフィー学派(スンニ派)が、イランはジャアファル学派(シーア派)、アラビア半島は最も厳格なことで知られるハンバル学派(スンニ派)、北アフリカはマーリク学派(スンニ派)、東南アジア、東アフリカはシャーフィイー学派(スンニ派)が、そえぞれ多数を占めています。
それぞれ細かな教義が異なるようで、女性の服装や飲酒に対する規制なども異なります。中央アジアのトルクメニスタンのようにスカーフも被らない女性が多く、レストランではミニスカートのウエイトレスがいて驚かされます。その一方イエメンでは頭から足先まですっぽりと覆われて片目だけ出している宗派の女性に出会うことがありました。
飲酒も自由な国もあれば、外国人だけが許可されている国、国内ではいっさい飲酒を禁止している国など様々です。
その中でモロッコは比較的自由な国に属します。

ワルザザード近郊にあるハリウッドの映画撮影所。
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セットの一部が見えます。
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「アイット・ベン・ハドゥ」はワルザザートとマラケシュを結ぶ街道沿いのアトラス山脈の麓にある集落で、ユネスコ世界遺産に登録されています。また映画『ソドムとゴモラ』『アラビアのロレンス』『グラディエーター』のロケ地としても有名な場所です。
隊商交易の中継地として栄えたこの地で、特に有力であったハドゥ一族が築いたのが「アイット・ベン・ハドゥ」の集落です。
孤立した集落であるがゆえに、盗賊などの掠奪から身を守るため、城砦に匹敵する構造になっている。敵の侵入を防ぐため、集落への入口はひとつしかない。
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周囲の景色。
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砦の全景。
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通路は入り組んでおり、外壁には銃眼が施されている。集落の最上階には篭城に備えて食料庫があります。
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砦の頂上から見ると前に川が流れていて、天然の要塞として適していることが分かります。
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ワルザザードからマラケシュに向かうのには大アトラス山脈を越えねばなりません。
山は雪に覆われています。こういう場所でもアンテナが立てられ、携帯が通じます。
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片側が山、もう片側は断崖の狭い道を急カーブしながら登ります。カーブミラーもガードレールも何もないのでスリル満点。気分を悪くする人も出てきます。
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標高2260mのティシュカ峠を超えると今度は下りになります。
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最高峰は4000m級です。
イロハ坂はまだまだ続きます。
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ようやう山肌が見える地点まで下りてきました。
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マラケシュの街に着いて、先ずは昼食。
モロッコ風サラダ、ここでもご飯はサラダとして出されます。
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メインは、中東といえばシシカバブ。江利チエミの歌が懐かしい(言うこた古いね)。
牛と鶏と羊の3種類、どれも美味。
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旅も終りに近づきました。次回はマラケシュ観光。
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by kanekatu | 2014-02-02 11:42 | モロッコ | Comments(0)

モロッコ旅行記(6)

早朝4時にホテルを出発、エルフードからおよそ1時間、4WDに揺られてメルズーガに向かいます。
一般に「メルズーガ大砂丘」と呼ばれますが、メルズーガはこの近くの村の名で、大砂丘の名称は「レルグ・シェビ」。人の住んでいる所から最も近い砂丘ということで人気が高い。
今回のツアーでは、砂丘の頂上から日の出を見ようという趣向のためこんなに早起きしたわけです。
4WDを降りてここからは徒歩かラクダで大砂丘に向かいます。
私は徒歩を選んだので真っ暗な砂漠を懐中電灯を照らしながらひたすらガイドの後に付いて歩きました。この辺り一帯は土漠ではなく砂漠なので、足が砂にめり込みとにかく歩きにくい。カッコウつけずにラクダに乗れば良かったと思っても、もう遅い。歩くこと1時間、ようやく大砂丘に到着。疲れてへたり込んでしまいましたが、眺めは絶景です。夜明け前なので実際は暗いのですが、カメラで撮ると明るく写っています。
砂丘の風紋。
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大砂丘の頂上から見た砂漠は絵のように美しい。下ではラクダも人も休んでいるのが見えます。
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ラクダに乗ってきた人たちが到着。こちらに向かって歩いてきます。
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これも風紋
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この日は雲に覆われていて、せっかくの日の出が拝めなかったのが実に残念。
でも砂漠の美しさは満喫しました。
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再び徒歩でメルズーガに戻ります。ラクダで来た人はラクダに乗って。アラビアのロレンスを思い出す。
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朝食は、砂漠のオーベルジュ(ホテルレストラン)にて、先住民族ベルベル人スタイルでという歌い文句でしたが、中身はごく普通の朝食でした。
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外には帰りの4WDが待機。
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ソーラー発電とパラボラアンテナ、砂漠も先端技術。
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エルフードからワルザザードまでも街道を「カスバ街道」と言います。カスバとは城壁に囲まれた要塞のことで、この街道沿いには日干しレンガで出来た大小のカスバが残されています。
オアシスにあるナツメ椰子や野菜の畑、こういう所の農作業が大変でしょう。
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山の麓にカスバが見えます。
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背後にはアトラス山脈が控えています。
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こうした光景が延々と続きます。
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途中、トドラ川沿いにある景勝地「トドラ渓谷」へ。川の両岸に切りたった岸壁が迫っています。
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ロッククライミングの練習のために訪れる人も多いとか。
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こうしたホテル・レストランが数軒並んでいます。
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昼食のメインは名物の鍋料理タジンで、この日は牛肉と玉子のタジン。モロッコに来て初めて美味しい料理を食べました。ここはアルコールが出ない店なので、前日にスーパーで買った缶ビールを皆さんにもお裾分け。
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ご飯もサラダです。
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夕方ワルザザードの街に到着。少年らがサッカーをしていました。
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この日は朝4時から観光開始で疲れ果て、夕食後はシャワーを浴びて直ぐに就寝。

次回は再びアトラス山脈を越えてマラケシュに向かいます。
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by kanekatu | 2014-02-01 11:29 | モロッコ | Comments(2)

モロッコ旅行記(5)

イスラム教というと特に男性が興味を持つ話題として一夫多妻制があります。この世の極楽と、ついついニヤリとさせられますね。
実際にイスラム教国で私は妻が4人いるという人にあったのは、リビアで一人だけです。60歳を超えていると思われる男性でしたが、実態をきくとそう楽じゃない。それは4人の妻に対しては完全平等でなくてはならないからです。
妻に娶る時期は異なるので4人は年齢差があります。でも若い妻を優先的に相手することは出来ず、夫婦の営みからプレゼントまで、全てを平等に接しなければならない。
これじゃ極楽どころか難行苦行だ。
もちろん、夫には4人の妻子を養うだけの経済力が必要なのは言うまでもありません。
この人の話を聞いて思いましたよ、やはり女房は一人に限ると。

現状はどうかというと、殆んどが一夫一婦だそうです。結婚適齢期も今は20代半ばから後半で、子供も二人までという夫婦が増えているとか。
今回の現地ガイドの例ですと、結婚は30代後半とかなり遅い。モロッコでは結婚にかなりのお金がかかる一方、失業率は35%で、結婚できない人も少なくないわけです。サラリーマンの給料は日本円で12万円位で、物価は高いので生活は苦しいと言ってました。経済事情のために晩婚化、少子化になるという傾向は、日本と変らないのかも知れません。

モロッコに限らずイスラム教の国では男女関係は厳格です。男性の場合、握手できるのは母親と妻だけ。妹でも身体に触れることは出来ない。弟の家を訪ねてたまたま弟が不在で奥さんしかいない場合は、決して家に上がらず帰って来る。
こうした環境に育った男性にとって、気軽に話しかけられ笑顔で応対してくれる日本人女性は実に有り難い存在です。少し親しくなれば手を握ったり身体に触ったりしても嫌な顔をせず、むしろ喜んでくれる。
イエメンで聞いた話では、彼らにとって日本人女性は「娼婦」のように見えると言ってました。
くれぐれもモロッコなど中東では、私はモテルんだと勘違いしないように。日本人女性であれば「容姿年齢を問わず」だそうですよ。

フェズからサハラ砂漠に向かうにはモワイヤン・アトラス(中アトラス)を越えなばなりませんが、その中腹に突如モロッコらしからぬ美しい町が現れます。これが「イフレン」で標高は1650m。
ここでティータイムです。
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フランスの植民地時代に保養地として建設され、独立後は国王や政府高官、富豪たちの避暑地、別荘地となっています。切り妻屋根の建物はここでしか見られません。
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モロッコの軽井沢ってぇとこですかね。
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こういう羊の群れをいたる所で見られます。
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しばらくバスに揺られ、ミデルトに到着。ミデルトとは中心の意味で、平野部と砂漠のちょうど中間にあたる静かな町です。この頃から小雨が降りだした。
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ここで昼食。
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前菜はモロッカンサラダで、多種類の野菜を細かく切りドレッシングで和えて盛り合わせるという独特のサラダです。
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メインは魚、山の中で魚?と思いましたが、近くで養殖しているようです。
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雨が上がって大空には綺麗な虹が。
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渓谷の下は貯水池ですが、干ばつで底が見えています。モロッコは農業国なので水不足は死活問題です。むろん観光も影響を受けるのでとにかく早く雨が降って欲しいとガイドが言ってました。
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フェズからおよそ450㎞、夕方になってようやく砂漠の街エルフードに到着。
夕食のレストランでは民族楽器の生演奏。
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メインは鶏。
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スイーツは少し豪華に。
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明日は早朝4時出発なので早目に就寝。

次回はサハラ砂漠。
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by kanekatu | 2014-01-31 08:49 | モロッコ | Comments(2)

モロッコ旅行記(4)

フェズの歴史は古くイスラム教の始祖ムハンマドの子孫にあたるムーレイ・イドリス1世が、8世紀にこの地にイスラム王朝を興します。808年、息子のイドリス2世が新しい都を作り、チュニジアやスペインからの移住者を受け入れます。城壁で囲んだ中心部にモスクやマドラサ(神学校)を建て、先住民であるベルベル人に加えアラブ人やイベリア半島からの移住者が住みついて大きな都市が形成されます。
ここを拠点に国の隅々までイスラム教が拡がり、フェズはイスラム王朝のもとで発展し、信仰、芸術、商業といったあらゆる面でモロッコの中心として栄華を極めてゆきます。
この時代に出来た街が「フェズ・エル・バリ」。
最盛期の13世紀、マリーン王朝の時代に新しい街が建設されますが、こちらは「フェズ・エル・ジュディド」と呼ばれています。
こうしてメディナ(旧市街)は約1000年前の建物がそのまま、当時の面影を残しています。
またフェズのメディナは世界一複雑な迷路の街としても知られています。

観光は旧市街中心部。
「王宮」はかつてはスルタンの居城で、今は国王がフェズを訪れる時に使われている。
写真は正門で、内部は非公開。
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メディナの入り口である「ブー・ジュルード門」。1913年の建設と新しい。幾何学模様の彫刻と、外面は青と緑のタイルで彩られている。
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いよいよメディナの迷路に入ります。
こういう情景が好きかどうかによって、中東に対する魅力の感じ方が異なります。私の場合、何か気持ちが落ち着くんです。
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「ブー・イナニア・マドラサ」は14世紀に建てられたマリーン朝最大の神学校。
タイルのモザイクが素晴らしい。
中庭中央に置かれた水盤はサラート(祈り)おするときに身を清めるために使われた。
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上方に見えるのがミナレット、このタイルのモザイクも見事というしかありません。
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こちらはミフラーブ。
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メディナの迷路が続きます。
早朝だったので閉まっている店が多く人通りも少ない。
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途中にあった元総理が住んでいたという邸宅の居室、さすがに豪華です。
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「タンネリ」はフェズ川の辺にあるなめし皮染色職人街。この地域に近づくと強烈な臭いが襲ってくるが、これは毛皮表面の毛を落とすのに”鳩の糞”を使っているためです。
参加者の中には臭いで気分が悪くなる人やアレルギー反応が出る人もいて、ここの見学は(実際には革製品を売るためのコースだが)考え物です。
写真は染色の作業場。
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タンネリの屋上から見たメディナの風景。
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写真中央付近の遠景に映るモスクは「アンダルース・モスク」、スペインのコルトバから移住してきた人々のために建てられた9世紀の建物。
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「カラウィン・モスク」はチュニジアのカイルアンから移住してきた商人によって9世紀に建てられたもの。マドラサでもあり神学に限らず学問全体を学ぶ施設として発展してきました。現在は大学としても登録されています。
時間の関係で内部の見学はできず外から見るだけでした。この時は”雨乞い”のお祈りをしていました。モロッコは昨年暮れあたりから雨が降らず水源が深刻な状態になっていたそうで、こうしたお祈りがされていたようです。その効果はテキメンで、私たちがモロッコに滞在中2日も雨が降りました。観光客としては有り難くないのですが、ガイドは皆さんのお蔭と喜んでいました。
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次回はアトラス山脈を越えて砂漠に向かいます。
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by kanekatu | 2014-01-30 09:11 | モロッコ | Comments(2)

モロッコ旅行記(3)

これからモロッコへ行かれる方に、どのツアーでも同じようなコースになっているので、ご参考までに。
モロッコというと気温が高いイメージがあるかも知れませんが、観光地の緯度は福岡とほぼ同じなので冬場は寒い。特に明け方はかなり冷え込むのと、ホテルの暖房設備が概して貧弱で室温が上がりません。掛け布団も毛布程度のホテルが多い。それで風邪を引くなど体調を崩す人がいましたので、着こんで寝るなり部屋にある予備の布団を重ねるなりの対策が必要です。
国内は全てバス移動ですが、とりわけアトラス山脈越えが2回あり数時間のイロハ坂を経験することになります。車酔いする人は事前の準備をしておいた方が良いでしょう。
モロッコに限らず中東はどこもトイレ事情が悪いので、胃腸の調子を整えておくこと。
モロッコはチップ制の国なので、ツアーに含まれない飲食代なら10%程度の金額をプラス、ホテルの枕チップは10DH程度、トイレチップだと1DHの小銭が必要です(1DHは13円前後)。
現地ガイドが案内するような土産物屋だと、殆んどの店がドル、ユーロ、円などが使えるし、クレジットカード(VISAが一般的)も利用可能なので、いちどに多額の現地通貨を両替する必要はありません。
ホテルやレストランによってはアルコールが出ない所があります。現地ガイドに確かめて、事前にスーパーなどで購入しておいた方が便利です。この場合の持ち込み料金は1瓶につき10DHです。
スーパーは現地通貨のみ使えますが、100‐150DH(店によって異なる)以上だとクレジットカードが使えるようです。アルコール類についてはレジが別という店もあります。
パスポート管理や安全面の注意はどこの国でも事情は変りませんが、モロッコの場合、暗くなったら外を出歩かないということが強調されていました。

メクネスの最盛期は17世紀、アラウィ―朝のムーレイ・イスマイルの時代で、数多くの城壁や城門、モスクを次々と建設してゆきます。ただモロッコの首都としてのメクネスは約半世紀しか続かず、この街は衰退します。
標高522mの丘に築かれたメクネス、水が美味しいことでも有名でメクネスワインの産地でもあります。
バスを降りて城門をくぐりメディナ(旧市街)に向かいます。
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眼の前を馬車が通り過ぎて行きました。この馬車は観光用ではなくタクシー代わりのようです。
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道端でオレンジが売られていました。右端で旗を持って説明しているのはガイドの”カラテ”さん。
モロッコはオレンジが美味い。搾りたてのフレッシュジュースがお薦めです。
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メディナの中のスークに向かいます。
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モロッコの菓子が売られています。ガイドは美味しいからと盛んに薦めていましたが、見かけがどうもね。結局誰も買わず。
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これは露店の雑貨商。帽子を人形に被せて売ってる所が面白い。
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ここで昼食、挽き肉料理で香辛料がかなりキツイ。モロッコの料理は「タジン」と呼ばれる鍋料理は美味ですが、それ以外はあまり期待しない方が良いでしょう。
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この後、メクネスのシンボルともいえる「マンスール門」を見学。ムーレイ・イスマイルが手掛けた最後の建築物で、死後の1732年に完成しました。キリスト教からイスラム教に改宗したマンスールの設計による門で、別名は「改宗者の勝利の門」。
この門の前がエディーム広場です。
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メクネスを発ってフェズに向かいます。
途中、郊外にある陶器工場に立ち寄り。女工さんたちが絵付けをしていましたが、ipodで音楽を聴きながらというのが今風。
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高台のビューポイントからメクネス市街を撮影。周囲を城壁で囲まれている様子が良く分かります。
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夕方フェズに着いて、夕食。メインは魚料理でした。モロッコはどこでもパンが旨い。味のついてない、いわゆるフランスパンを選べばハズレはありません。
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ビールは国内産の「カサブランカビール」、但し全てサイズが小瓶なので物足りない。隣はモロッコ産ワインのロゼ、こちらはボトルかハーフボトルで出てきます。飲み物は昼食はビール、夕食はビール+ワインで通しました。値段はビールの小瓶で3-5DH、ワインのハーフで12DH前後です。
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次回はフェズ。
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by kanekatu | 2014-01-29 10:10 | モロッコ | Comments(2)

モロッコ旅行記(2)

日本からモロッコへのツアーですが、今回のようにエールフランスを使うケースが多いのは、昼に成田発でパリ経由で現地時間で午後9時頃にカサブランカ着、つまり同日に到着できるからです。これですと着いてからホテルで1泊できるという優位性があります。これに対してエミレーツやカタール航空を使うコースだと、夜に成田を発ち翌日の昼頃カサブランカに着くので、ツアーの場合はそのまま観光に向かいます。20時間を超える長旅(中東経由は飛行時間が長い)で休まずに観光というのはキツイという方は避けた方が無難でしょう。
今回のツアーは、カサブランカに到着後バスで2時間かけてラバトに移動し、そこで1泊となりました。カレンダー上は同日の深夜着ですが、日本とモロッコの時差が9時間あるので、21時間かかてようやく到着ということになりました。
ホテルで荷物整理やら入浴やらで午前2時近くに就寝、翌朝は朝食が6時で出発は7時40分なので慌ただしい。
今回のツアーは連泊がなく、出発は常に8時頃となかなかの強行軍です。
現地ガイドは”カラテ”さん、モロッコに数名しかいない日本語ガイドの一人ですが、独学で日本語をマスターしたというんですから大したものです。知らない日本語にぶつかると直ぐに意味をきいてメモしていて、感心しました。

ラバトは15世紀のレコンキスタで追われたスペインのアンダルシア地方の人々がこの地に逃げ込んできて、以来、商業と貿易の街として発展。1912年にフランスの保護領になった際にモロッコの首都となり今日に至っています。ラバトは世界遺産に登録されています。
観光は「ムハンマド5世の霊廟」から。ムハンマド5世はフランスからモロッコの独立を勝ち取った時の国王です。1961年没後、1973年に完成。壁面全体に細かな彫刻がされています。
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中央の石棺が国王のもの。
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霊廟と向かい合せのような場所にあるのが「ハッサンの塔」。12世紀のムハヒッド朝のマンスールの時代にはモロッコからアルジェリア、リビア、チュニジア、アンダルシア地方まで手中に入れるという繁栄の時代を迎えます。1195年にこの地にモスク建設を計画し高さ88mというミナレットを建て始めますが、4年後にマンスールが死去すると工事が中断、今のような44mの未完のミナレットとして残されてしまいました。
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未完とはいえ世界最大級の高さを誇り、ムーア建築の傑作とされています。
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ラバトからバスで東へ2時間、ローマ都市遺構のヴォルビリスへ。
この場所に町が建設されたのは紀元前1世紀。ローマ時代に入るとここは帝国の西端に位置する重要な都市として、紀元146年にはローマ属州の州都になり2万人もの人々が住んでいたといわれています。
残念ながら1755年のリスボン大地震で大きな被害を受けてしまいました。
その後1874年からフランスの考古学者により発掘が始められ現在も続いています。
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この遺跡のもう一つの特長は見事なモザイク画です。
こちらはダイアナとニンフが入浴しているという艶めかしい画です。
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上ははサーカスのように馬を操るデザルターと呼ばれた男を描いたもの。
下の画は四季を擬人化して描いたモザイク画。
いずれも高い芸術性と高度なモザイク画技術が認められます。
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「カラカラ帝凱旋門」は、紀元212年に当時の皇帝カラカラ帝が全ての属州の自由民にローマ市民権を与える勅令を発しました。これによって属州民税を支払う義務がなくなり、市民権獲得のためにローマ軍に入る必要が無くなりました。そのカラカラ帝へ感謝の意を捧げるために建造されたものです。
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「フォーラムとバジリカ礼拝堂」。フォーラムとは市民の集会所のこと。傍にはバジリカと呼ばれる神々を祀る神殿が置かれていました。
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フォーラムの隣にある「キャピトル」は、ジュピターを祀る神殿。
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40ヘクタールの広大な敷地にこれほど素晴らしいローマ遺跡がモロッコにあることは初めて知りました。

次回は古都メクネス。
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by kanekatu | 2014-01-27 18:02 | モロッコ | Comments(2)

モロッコ旅行記(1)

2004年1月8日~15日、モロッコへのツアーに参加しました。旅行社は「JTB旅物語」、添乗員はベテランのIさん、参加者は19名で、内訳は家族などグループが13名、一人参加が6名。
成田発AF275便でパリで乗継、AF1496便でカサブランカ着というルートです。今回のモロッコ訪問で、サハラ以北の北アフリカ諸国を”制覇”したことになります。
「カスバの女」という曲に”ここは地の果てアルジェリア”という歌詞がありますが、北アフリカの西端にあるモロッコこそが日本から見れば”地の果て”の呼称にふさわしい。

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正式国名は「モロッコ王国」、東にアルジェリアと、南にサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)と、北にスペインの飛び地セウタ、メリリャに接し、西は大西洋に、北は地中海に面しています。首都はラバト。モロッコといえば直ぐに頭に浮かぶのがカサブランカですが、最大の都市ではありますが首都ではないんです。
映画『カサブランカ』、良かったなぁ。でもモロッコの人にはあまり評判が良くないそうですよ。フランスのモロッコへの支配には触れていないですから。
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面積は約46万k㎡(日本の1.2倍)と書かれていますが、モロッコ国内ではもっと広い面積として表示されています。その理由は実効支配している「サハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)」をモロッコ領土に含めているからです。国際的には認められれいないし、この領土問題のためにモロッコは、アフリカ大陸唯一のアフリカ連合非加盟国となっています。どこの国でも領土問題というのは理屈では片付かない、やっかいな代物なのです。
人工は約3200万人、政体は国王を元首とする立憲君主制ですが国王の権力がかなり強い。民族構成はベルベル人60%、アラブ人など39%、欧州人1%。宗教はイスラム教(スンニ派)が国教になっています。公用語はアラビア語ですが、フランス語が通用していて、都市部ではスペイン語や英語を話せる人も多い。
通貨はディルハムDHで、レートは1DH=13円前後。

モロッコは古代にベルベル人のマウレタニア王国が建てられますが、紀元146年にローマ帝国の属州になり、8世紀に入ってウマイヤ朝が東方から侵攻し、イスラム化とアラブ化が進みます。やがてスペインを攻めアンダルシア地方をイスラム化しますが、13世紀に起きたレコンキスタ運動によりアンダルシア地方から追われます。
1660年にアラウィー朝が成立し現在まで続いています。アラウィー朝はヨーロッパからの脅威に応じて友好政策と鎖国とを繰り返してきましたが、1912年からフランスとスペイン両国による分割統治を受けることになります。
1956年にフランスから独立し、その後もスペイン保護領からの返還などもあり現在の姿に至っています。
今もフランスの影響は強く、現地ガイドによれば重要な法案はフランス政府と国王との間で相談して決めているとのこと。

モロッコの地図は下記の通りです。国土のほぼ中央をアトラス山脈がよこたわり、西北部の沿岸部と東南部の砂漠地帯とを分けています。中央付近の赤い丸が今回の観光地で、橙色で結ばれたコースに沿って時計回りにぐるりと周って来ました。
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今回はエールフランスのビジネスを使用しました。A380型の場合、ビジネスは2階になっていて、座席は2-2-2の配列です。最大リクライニングは180度ですから就寝時は完全に横になれます。10数時間の長旅では確かに楽ですね。横になっても座席が前に出るだけなので、後の席の人に影響しないのも良い点です。
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食事になると先ずテーブルクロスが掛けられ、オツマミセットとシャンパンが出てきます。
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次に前菜が出て、アルコールのオーダーが出来ます。ここでは白ワイン。
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メインはチョイスで、ここでは鶏肉料理を頼んでいます。
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終りはスイーツとコーヒーか紅茶。
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着陸前の軽食です。
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出発前にはビジネス専用ラウンジで休めますし、保安検査や出入国審査もビジネス専用でした。至れり尽くせりです。
欧州便の中では最もサービスが悪いと言われるエールフランスですが、わざとビジネスとエコノミーとの格差を大きくしてるんでしょうか。
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by kanekatu | 2014-01-25 11:34 | モロッコ | Comments(2)

憂きな中にも旅の空


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