カテゴリ:アルバニア( 2 )

西バルカン6ヶ国周遊記9(アルバニア2回目)

夕方、首都ティラナに到着。ホテルは”ARBER”。
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先ずは夕食、なんだかこのツアーはバスに乗っちゃあ飯を食ってる感じですね。
地元のビール。
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地元のワイン。
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両方とも美味。料理は忘れました。
私は好き嫌いがなく何でも食べます。海外でも珍しい料理が出ることがありますが、食べられないという事は一度もありません。芋虫もサソリもワニもカエルもみな食べました。反面、食に対する拘りというのが余り無いんです。そのせいか料理の説明を聞いても直ぐに忘れてしまい、ツアーの料理も写真を撮っておいてさえ中身が思い出せない事が多いんです。
日に3回の食事はたいがい完食しますが、間食はしないし甘味が苦手。グルメ食通とは対極的な存在なのです。
幼い時期に食糧難でお米のご飯さえ口に出来なかった名残りかも知れないですね。
なので、料理を楽しみに記事を読む方には物足りないと思われます。

観光6日目はティラナ市内見学から。
ジャミーア・エトヘム・ベウトは1793年から1821年にかけて建てられたイスラム寺院で、市のランドマーク的存在です。
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考古学博物館
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マザー・テレサ広場には銅像も。
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市の中央であるスカンデルベグ広場です。政府の機関や施設が集中しています。
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こういう近代的なビルが建設中。
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ピラミッドの形をした国際文化センター。現在は政府に仕事を寄こせと要求する人たちがテントを張っていて、ガイドから近くに行かぬよう注意がありました。
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市内の様子。
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キオスクでは本が売られていました。
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アルバニアといえば「トーチカ」。”7685”という数字が見えますが、これはトーチカの通し番号だそうで、いかに膨大な数のトーチカが敷設されていたかを物語っています。
このトーチカは近くにあった旧アルバニア労働党の事務所を守るためで、中に2名、外に5名の兵士が常時見張っていたそうです。
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この後は歴史博物館の見学でした。
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現地ガイドは専らアルバニア労働党一党独裁時代に、いかに残酷な事が行われていたかを写真や資料を基に熱心に説明していました。強制収容所や遺体の写真など目を背けたくなる物が多かった。
こうした国の負の歴史を積極的に観光客に見せるというのは珍しく、聞く側としては戸惑いもありました。もしかしたらガイドの個人的思いがあるのかも知れませんが。

アルバニア最後の観光はクルヤ城砦跡で、オスマン朝支配下で一時的にアルバニアの独立を果たした英雄スカンデルベグが死守した城跡です。
今は博物館となり当時の家具や調度品などが展示されています。
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ここからクルヤ市内が一望できます。
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クルヤのオールドバザールは主に日用品を売っていました。
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クルヤでの昼食の前菜。
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メインはリゾット。
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ビールとワインは以下同文。

これから次の訪問国モンテネグロに入国しますが、その前にトイレ休憩を兼てこのカフェで一休み。
ここのエスプレッソがなんと0.5ユーロなんです。通常のトイレチップの値段でコーヒーが飲めトイレが使えていう事、他ではありまえせん。
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さてアルバニア全体の印象ですが未だインフラの整備が遅れているのと、何となく活気がありません。
首都の中心地であるスカンデルベグ広場にしても閑散としており、街全体も人通りが少ない。分家のコソボは元気ですが本家のアルバニアは元気がなそうに見えます。今回の訪問国の中では唯一旧ユーゴスラヴィア以外の国であり、それだけ旧体制の傷跡が深いのかなとも思います。
スターリン全盛期にはスターリン主義に、中国の文革が起きると毛沢東思想に傾倒し、民主化の直後には全国を巻き込むネズミ講で打撃を受け、今度はNATOに加盟する。そういうアルバニアの「振れ幅の大きさ」も少々気になる所ではあります。
ユーロ加盟が実現すれば大きく変貌するだろうという期待感を持って、アルバニアとお別れします。

次回はモンテネグロです。
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by kanekatu | 2014-06-23 08:47 | アルバニア | Comments(0)

西バルカン6ヶ国周遊記8(アルバニア1回目)

今回のツアーの訪問国は6ヶ国ですが、途中クロアチアも通過するのでバスでの国境越えは6回となります。それぞれに出国、入国手続きが要りますからこれで12回、この他にボスニア・ヘルツェゴビナではNATOの検問所での手続きが加わり13回、ドライバーのトメさんはその度に我々のパスポートと現金を握りしめ走り回るのです。
観光5日目はオフリドを出発、アルバニアへ入国した後ベラートの街に向かいます。

アルバニアの地図は下記の通りで、バルカン半島南西部に位置し、西はアドリア海に面し、北はモンテネグロ、東はマケドニアとコソボ、南はギリシャと国境を接しています。
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国旗は下記の通り。
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正式国名はアルバニア共和国、面積は2万8700㎡で四国の約1.5倍、人口は280万人、首都はティラナ。
民族構成はアルバニア人が大多数、宗教はイスラム教徒が多いが、他にカトリックやアルバニア正教などキリスト教徒もいる。無宗教の人が多いのはこの国の特長。公用語はアルバニア語。
通貨はレク(Lek)、1Lek=約1円と分かり易い。

アルバニアは15世紀からおよそ400年間オスマン朝の支配下にあり、第一次バルカン戦争を経てようやく独立を達成。しかしその後も政情不安は続き1939年にはイタリアに併合され、二次大戦でイタリアが降伏するとドイツが侵入、1945年にドイツが降伏するとソ連が入ってきます。
1946年にホッジャを首班とする共産主義政権が樹立しますがスターリン主義に傾倒してゆき、当時ソ連と対立していたユーゴスラヴィアとは断交してしまい孤立を深めます。
中ソ論争の際はソ連と対立、中国へ接近し文化大革命を支持します。その影響から世界で初めて無宗教国家を宣言、中国の文革が挫折し開放路線に転じると今度は中国から離反します。
時々の最高権力に従って右往左往しているかの様です。
ホッジャが死去し1990年になってようやく民主化が行われ資本主義へ移行します。処が1997年には全国的なネズミ講により国民の財産の3分の1が失われるという信じがたい事態を招き、政府の責任を追及する暴動が各地で起こります。
現在は混乱から復活して経済も順調に伸びているようです。
かつては鎖国状態でしたが、今は観光客も積極的に受け入れています。
EU加盟を目指して現在準備中。
NATOには2009年に加盟しています。

アルバニアに入って先ず気付くことは道路事情が悪いという点です。至る所で拡幅工事が行われていて、未舗装の道を曲がりくねりながら走ることになります。なぜかというと、民主化前のアルバニアには全国で乗用車が500台しかなく、幅の広い道路は必要が無かった。そこへ一気に資本主義化が始まったので、インフラが追い付かないのです。
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もう一つ目に付いたのは、工事の途中のまま放置されている住宅です。下の写真のように新しいものなら分かる気がしますが、中には建て始めてかなりの年数が経っているものも少なくない。取り敢えず枠組みだけ建てて資金が出来てから完成させるのかも知れませんが。アルバニアでは共産主義政権が崩壊し民主化が始まった混乱期には他人の土地に自由に住宅を建てる人も多かったそうで、あるいはその名残りでしょうか。
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全ての住宅の屋根に給水タンクが取り付けてあるのも特長です。時々水が止まるので予備のタンクは必須のようです。
インフラの整備はまだこれからという状況の様です。

ベラート(ベラテイ)はアルバニアで最初に博物館都市を宣言した街です。
先ずは昼食、前菜。
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メインはビールとワインのお供に。
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ベラート城は歴史が古く紀元前4世紀には砦が建てられていたそうですが、現在の城内の建物は13世紀の建造のものが多いようです。
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古い教会。
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城の上からは「千の窓を持つ街」と称されるベラート市街が一望できます。
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城壁の上にはこんな可憐な花が。
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城から下ってベラート市街へ。
建物が同じ方向に向き同じ窓を持っている様子が分かります。
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ただあまり人気がなく街に活気がありません。世界遺産の街としては少々寂しい。
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一歩郊外に出ると、こうした段々畑も見られます。
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この後、首都のティラナへ向かいます。
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by kanekatu | 2014-06-22 09:14 | アルバニア | Comments(2)

憂きな中にも旅の空


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