カテゴリ:エストニア( 4 )

バルト三国旅行記(13)エストニア・タリン②

聖ニコラス教会は13世紀に建てられ非常時には要塞の役割も果たしていました。しかし1944年のソ連による空襲で破壊されオリジナルの内装は殆んど失われました。
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教会内部。
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主祭壇は15世紀に作られた二重の観音開きの構造になっていて、聖ニコラスと聖ビクトルの生涯が描かれています。
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「死のダンス」は15世紀にベルント・ノトケにより描かれた大作。
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ラエコヤ広場は中世の時代から市場として存在していて、結婚式や様々な行事、時には罪人の処刑もここで行われていました。現在は店舗やレストランが軒を連ねる華やかな広場となっています。
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民族衣装を着た女性が店の前で愛嬌を振りまいています。
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旧市庁舎は14世紀後半に建てられた北ヨーロッパに残る唯一のゴシック様式の市庁舎です。
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精霊教会は14世紀に建てられたもので、救貧院の礼拝堂としての役割を果たしてきました。
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タリンでは防衛上から14-15世紀にかけて城壁が増築されました。今もその一部は残され登ることも可能です。
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ブラブラと歩きながら撮影した旧市街の情景です。
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夕食は自由食だったので添乗員お薦めのレストランで食事。名前は忘れましたが郷土料理で美味でしたよ。それより美味かったのは自家製ソーセージ、味が全然違いましたね。生ビールは大ジョッキでグイグイと。
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胸が大きいと男性客から大好評だったウエイトレスさんの素敵な笑顔。
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観光8日目で、いよいよタリンと、バルト三国ともお別れです。
7日間私たちを乗せて走ってくれた観光バス。
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ヘルシンキに向かうタリンクシャトルのデッキ。
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次回は最終日のヘルシンキ観光です。
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by kanekatu | 2015-07-01 09:48 | エストニア | Comments(0)

バルト三国旅行記(12)エストニア・タリン①

観光7日目で、バルト三国の観光も最終盤になりました。この日はエストニアの首都タリンの観光です。
タリンはバルト海フィンランド湾に臨む港町で、対岸のヘルシンキとは船で結ばれ、バルトの窓口の役割を果たしています。
12世紀にはスウェーデンに占領されますが、その後はドイツからの入植が進み13世紀にはハンザ同盟に加盟し、商業都市として繁栄します。しかし16世紀以降は打ち続く戦乱の中で次第に要塞都市としての役割が強まり、ソ連支配時代を通してタリンとしては閉塞の時代になっていました。
EU加盟後は再び活況を取り戻しつつあります。

スタートはタリン市の東部から。
朝の市内の様子。
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カドリオルク宮殿はロシアのピョートル大帝が妃エカテリーナのための夏の離宮として造らせたもので、1718年の建設を開始。後期バロック様式の宮殿です。
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宮殿の庭園。
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隣は大統領官邸。
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歌の広場は、エストニアで5年に一度開かれる歌と踊りの祭典の会場になります。3万人の歌手が全国から集まり観客は10万人に達するとか。
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ポスターにあるような歌手たちもここでコンサートを行いました。
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独立前の1988年にはこの会場に30万人の国民がこの会場に集まり、独立への思いを歌にしました。「歌いながらの革命」と呼ばれています。

ここからバスで旧市街に移動するのですが、途中タリン港に立ち寄り、目的はトイレ休憩です。港内のビルでトイレを拝借です。トイレは有料の所が多く、自動の公衆トイレだと10,20セントの硬貨を持っていないと使えません。日本の便利さに有難味を感じます。
一説によるとこちらの人の膀胱の大きさは私たちの1.6倍あるそうで、トイレも朝すますと午後2時頃までもつそうです。そうした事情もあるのかも知れませんね。
小舟が停泊しています。
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私たちが乗る高速艇で、左の船には往きに、右の船には帰りに乗船しました。
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旧市街に入って、鳥の形をした置石をみつけました。
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アレクサンドル・ネフスキー聖堂は帝政ロシアによって1901年に建てられたロシア正教教会です。今も街の中心に威容を誇っていますが、市民は複雑でしょう。
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トームペアは石灰岩でできた高さ24mの丘で、展望台からは旧市街が一望できます。
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トームペア城は13世紀に騎士団によって建てられましたが、18世紀後半エカテリーナ女帝により知事公舎として改築されました。正面からは宮殿みたいに見えますね。
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その他、旧市街の情景です。
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次回もタリン観光の続きになります。
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by kanekatu | 2015-06-30 09:28 | エストニア | Comments(2)

バルト三国旅行記(11)エストニア・パルヌ

6日目の午後はエストニアに戻りパルヌの観光です。南下してからUターンしエストニアに再入国というわけです。もっとも国境検査がないので実感はありませんが。
パルヌはエストニアの夏の首都と呼ばれるリゾート地で、夏季には多くの観光客が訪れるそうです。
パルヌに入る手前で観光バスが故障し立ち往生したのですが、添乗員の機転でたまたま近くの信号で止まっていた路線バスのドライバーに依頼し、市内まで乗せて貰いました。ありがとう。
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正面奥が市庁舎です。
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タリン門は17世紀にあった城門の一つで、港から上がってきた人たちはこの門をくぐって城内に入りました。門というより小さなトンネルみたいです。
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タリン門をくぐった所にある公園です。噴水の周囲に市民たちが腰を下ろしていました。
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赤い塔を持つバロック様式のエリザベート教会。1744年に時のロシア女帝エリザベートが資金を出して建設されたのでこの名が付きました。
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リゾート地の雰囲気を味わって下さい。
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カラオケ店もありました。
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かつて貨物を運搬していた機関車が展示されています。
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市内を流れるパルヌ川です。
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夕方には首都タリンに到着。宿泊はメリトングランドH。
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夕食は近くのレストランに行きました。途中で出会った三輪車で、家族全員を乗せて父親がこうした三輪車をこぐ光景を度々見かけました。
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レストランに近づくと外の席で食事していた人がビールを片手に寄ってきて「一杯どう?」。この人は帰りにも同じ姿勢で声をかけてくれた。
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前菜はスルトゥ(豚の煮こごりゼリー)が付いていました。
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メインは肉料理。
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次回はタリン観光です。
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by kanekatu | 2015-06-29 04:34 | エストニア | Comments(2)

バルト三国旅行記(2)エストニア・タルトゥ

2日目の観光はエストニアのタリンを出発し、バスで最初の観光地タルトゥに向かいます。
途中トイレ休憩に立ち寄ったレストランは外見が変っていて風車小屋でした。添乗員の説明だとかつてソ連時代にこの辺りは小麦の集団農場(コルホーズ)で、収穫した小麦を場所に集め風車で製粉していたそうです。ソ連から離脱した後に用がなくなり放置されていたのをある人が買い取りレストランに改造し商売を始めたとのこと。風車が目立つので客を呼び今では繁盛しているらしい。
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車窓から見る菜の花畑、油の原料にしているとか。道路の両側にはこうした畑がずっと続いていました。
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ここでエストニアについて概略を述べてみます。
エストニア共和国はEUそしてNATOの加盟国で通貨はユーロ、人口は134万人、首都はタリン。
国土は、北はフィンランド湾、西はバルト海に面し、南はラトビア、東はロシアと国境を接しています。面積は九州本島の1.23倍。地形は平坦で最高標高318m、バスで見た限りでは山らしい山には出会えなかった。
民族構成はエストニア人が69%、ロシア人は25%、その他となっています。宗教はプロテスタントが多く、次いでロシア正教。
公用語はエストニア語ですが、多言語を話せる人が多いようです。
経済面では近年、観光に力を入れておりヘルシンキから近いという地の利を生かして年間500万人が観光に訪れているそうです。産業ではITが中心でSkype(スカイプ)を産んだ国であり、外国のIT企業の進出も多くソフトウエア開発が盛んで、早期のIT教育や国際学力調査で欧州の上位国としても知られるています。こうした事から3か国の中では最も豊かな国になっています。

訪問地のタルトゥは中世にはハンザ同盟に加盟し商業都市として栄えました。400年近い歴史を持つタルトゥ大学を中心にしたエストニアの学術都市でもあります。
公園で遊ぶ子どもたち、夏は太陽を浴びる季節なので子供たちを積極的に外へ出すようです。夏休みが6月からというのもそのためでしょうか。
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昼食では先ずビール、国産です。500mlの生ジョッキが2-3ユーロで飲めるので助かります。
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野菜の前菜に、
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メインは名物のニシンの酢漬け。
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街の中心であるラエコヤ広場です。
広場の中心はキスの噴水です。
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昼間から人で賑わっています。建物の多くは1780年代に建てられたもの。
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市庁舎は1789年に建てられたもので現在も使われています。
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今回のツアーの添乗員である荻野さん、赤い上着と体形で遠くにいても直ぐに分かります。熱心でサービス精神に溢れ、知識の広さにも驚かされました。
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聖ヨハネ教会は14世紀後半の建造で、当初は壁に1000以上の素焼の彫像が装飾されていたそうですが、度重なる戦乱でほとんどが破壊されてしまいました。
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木々が生い茂るトーメの丘に登ります。途中で他の観光客とすれ違いました。
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タルトゥ大学の歴史博物館。
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大聖堂は15世紀に完成しましたが、16世紀以後宗教改革で廃墟となってしまいました。今はこの状態で保存されています。
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天使の橋はカップルの名所だそうで、二人が結ばれると橋の手すりなどに鍵をかけ、鍵は橋の下に投げる風習があるとか。
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可愛らしい少年たち、私たちの観光コースが分かっているらしくいつも先回りして待っていました。
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こちらがタルトゥ大学です。
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タルトゥ観光はこれで終り、この後は4時間かけてラトビアの首都リガ(リーガ)に移動し、市内に宿泊となります。
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by kanekatu | 2015-06-18 07:01 | エストニア | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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