カテゴリ:ラトビア( 4 )

バルト三国旅行記(10)ラトビア・スィグルダ

6日目の観光は朝リガを出発しスィグルダに向かいます。
カウヤ川に沿って緑に包まれた街スィグルダはリゾートタウンで、静かな佇まいを見せています。
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ソ連時代に作られたシェルター、今では倉庫などに転用されているとか。
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スィグルダ教会。
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静かな市内風景です。
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スィグルダ城址は13世紀に建てられましたが度重なる戦乱で破壊されてしまいました。
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市内を流れるガウヤ川。
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グートゥマニヤ洞窟はラトビア最大級の洞窟という事ですが、日本人から見れば小さな洞穴です。上から下までびっしりと書かれた恋人同士の名前が名物。古くは16世紀頃のものもあるとかで落書きも年代物になると値打ちが出て来るということでしょう。
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トゥライダ城は13世紀に建てられた城砦ですが一度破壊され再建されました。
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城の中庭です。
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階段で塔の最上階に上り、周囲の景色を写したもの。
これはなんのモニュメントでしょうか?
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この道を通って城内に入ってきました。
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ガウヤ川が大きくカーブしている所です。
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冬季はスキーやボブスレーが楽しめるようです。風景というよりレジャーを楽しむ街なのでしょう。

午後はエストニアのパルヌ観光です。

添乗員によるとバルトの国の人たちは大らかな性格だそうです。
私たち日本人ツアーではどこか知らない花を見つけると、「あの花の名前は何?」と訊く人がいます。
日本では見られない花なので添乗員が現地の人に訊ねると大概「知らない」という答が返ってくる。「名前なんかどうでもいいじゃない」とか「綺麗なんだからいいんじゃないの」という答も。
3国ともほとんどが平地で山らしい山は見ることがなかったのですが、以前に添乗員が山をみつけ、地元の人に「あの山の名前はなんというの?」と訊いたら、「そんな事、考えた事もない」と言われたそうです。

こちらの結婚式は1週間かけて行うそうです。理由は1週間あればどこか都合の良い日があるので、招待客は必ず出席することになります。だからお祝いが確実に集まる。なかには泊まり込みで居続ける客もいるとか。

北ヨーロッパの人々は夏季に太陽の光を一杯に浴びるので、夏が終わる頃には小麦色の肌になります。そのためか肌が強いので、一日中陽を浴びても私たちのようなひどい日焼けにはなりません。学校が6月から夏休みになるので、親たちはその間子供たちをあちこちに連れて行って肌をこんがりと焼かねばならない。なかには親が観光業だったりすると子どもが白い肌のまま新学期を迎えることになりますが、そうすると貧乏人の子とからかわれたり、イジメにあったりするんだそうです。そういう親は夏休みの終わりに近づくと毎日子どもを公園に連れ出し、日長一日日なたぼっこをさせて肌を焼かせるとか。
国によって色々な苦労があるんですね。
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by kanekatu | 2015-06-28 04:45 | ラトビア | Comments(2)

バルト三国旅行記(5)ラトビア・バウスカ

3日目午後の観光はバウスカのルンダーレ宮殿です。
「バルトのヴェルサイユ」とも称される「ルンダーレ宮殿」は、ロシアの女帝アンナに愛されたビロン大公の夏の宮殿として作られたもので、建築家はサンクトブルグの冬の宮殿などを手掛けたラストゥレリ。宮殿の建設は1736年に始まり、完成は1768年。宮殿内部はロココ調の装飾です。
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もう一つ門があります。
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全景。
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黄金の広間は戴冠式など公式な行事が行われた場所で、創建当時から唯一改装されていない部屋です。
金箔を施した漆喰彫刻と鮮やかな天井画が特長的です。
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東洋の陶器が滝のイメージで配置されています。こうした陶器を持つことは当時の金持ちのシンボルだったわけです。
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バラの間はピンクの大理石に花飾りを添えた華麗な装飾。天井画は女神たちが描かれています。
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寝室の間です。頭部が高くなっているのは当時の人たちはフラットに寝ずに少し上体を起こして寝たためです。床は寄木細工。
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食堂として使われた部屋です。周囲の壁は人工大理石。
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バロック様式の庭園は見学できなかったので、窓からの撮影です。
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大公の別荘にしては豪華過ぎると言えますが、これも大公がロシアの女帝アンナの寵愛を受けていたからこそ出来た事業なのでしょう。

観光が終わってバスで4時間、夕方にはリトアニアの首都ヴィリニウスに到着。宿泊は「エコテル ヴィリニウス」。
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フロントの光景に見るように簡素なホテルです。
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でも、なぜか大きな牛の像がロビーに置かれていました。
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旅行で旧ソ連やソ連の影響下にあった国(社会主義国だった)を訪れた時に、現地ガイドなどに必ず質問することは「以前と今とどっちが良いと思いますか」です。答えはほぼ決まっていて、「私や私の周囲は今の方が良いと思ってるが、以前の方が良かったという人もいる」です。
中国へ行って改革開放路線の前と後について意見を訊くと、これまた同じ様な答えが返ってきます。
では、なぜ以前の方が良かったという人がいるのでしょうか。この理由もほぼ共通していて国民同士の格差が少なく、真面目に働いていさえすれば普通の生活が出来たというものです。住宅費が安く医療費、教育費は無料だし(中身は別としても)暮らしやすかったのです。こうした層が市場経済化に伴い分化し、上手く波に乗れた人は成功し金持ちになるが、そうでなかった人は貧困化する。
「真面目に働いてさえいれば暮しに困ることはない」という社会規範が崩れてしまうことになります。これは今の日本についても言えることで、格差拡大と中間層の没落という深刻な社会問題を内包しています。現在の日本には「20世紀に唯一成功した社会主義国家」と揶揄されたかつての面影はありません。
順調に経済発展しているかに見えるバルト三国では、脱ソ連以後にむしろ自殺者が増加しているという問題があるそうです。
国民にとってどの様な社会が望ましいか、考えさせられます。

次回はリトアニアのヴィリニウス観光です。
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by kanekatu | 2015-06-21 18:01 | ラトビア | Comments(0)

バルト三国旅行記(4)ラトビア・リガ②

ライフル部隊像といういささか物騒な名前の彫像が置かれていますが、ラトビアの兵士は狙撃の技術が高いんだそうです。バルト3国にとってロシアがウクライナにちょっかいを出していることに神経を尖らせています。同じホテルにアメリカ陸軍の軍人が数名泊っていましたが、何か関係があるのかな。
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ブラックヘッド会館は15世紀に建てられたものですがドイツの空爆により破壊されてしまいました。1999年に当時の姿のまま再建されリガの名所となっています。特長は何といってもファザードを飾る彫刻と彫金の数々です。
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特に目立つのは月齢と時間を刻む大時計で、その造りは精巧を極めています。
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市庁舎も再建されたものです。
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聖ペテロ教会は13世紀の初めに最初の教会が建てられ、現在の姿になったのは18世紀になってから。
塔は何度も火災に遭い立て直されてきました。現在の塔は第二次大戦後に改修されたものです。塔の改修の際は一番テッペンに建築責任者がまたがりワインを飲みほして、そのグラスを地上に投げるという習慣があったそうです。グラスが粉々に砕けるほど塔が永く存続するという呪いだったようです。
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内部の様子。
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祭壇です。余計な装飾がなく簡素な作りになっています。
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空き地で子ども達がボール遊びをしていました。
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リガ大聖堂はバルト3国最古の歴史を有する教会で、1211年に建設を着手、現在のような形になったのは1776年とされます。そのためロマネスクからバロックに至る様々な建築様式が混在しています。
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大聖堂の内部。
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祭壇。
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ひときわ目に付くのがステンドグラスの美しさです。題材もリガの歴史を描いたもので貴重です。
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この黄色い建物は「猫の家」と呼ばれ、屋根の上に2匹の猫の像が置かれています。
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かつてこの家の持ち主が右側にあったギルド会館のギルドに加入しようしたら由なく拒否され、怒った彼は1匹の猫は会館に向かって吠えるような姿勢、もう1匹の方は尻を向けた姿にしたとのこと。
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道端でバイオリンを弾く少女に出会いました。まだ小学生と思われますがケースを拡げて足元の前に置いている所からチップを求めているのかも知れません。
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自由記念碑はラトビアが最初に独立した1935年に建てられたモニュメントです。基部には「自由と独立」の文字が刻まれ、ソ連支配時代も破壊から免れました。
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尖端の女性ミルダが掲げる3つの星はラトビアの3つの地域連合を表しています。
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火薬塔は14世紀に建てられ17世紀に再建された火薬貯蔵庫です。
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どこを歩いても緑が多い街です。
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スウェーデン門は市内の残る唯一の城門で、1698年に城壁を利用して住宅を作った際に付けられものです。当時向かいの兵舎にスウェーデン兵がいたことからこの名が付けられました。
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門の中で民族楽器のクオクラックを弾く女性。イタリア人が通るとカンツォーネを、日本人が来れば「さくらさくら」を弾いてチップを集めていました。
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大統領府の前を通るとちょうどこの日が新大統領選出の投票日(国会議員が選ぶ)とあって、国営放送の中継が行われていました。
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三人兄弟の家は17世紀に建てられた一般民家として残るリガで最も古い家屋です。3軒が兄弟のように寄り添って建っていりことからこう呼ばれています。
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リガ城は13-14世紀頃に起きたリヴォニア戦争の時に建てられ、その後ラトビアを支配した外国の支配者が住んでいた城で、18-19世紀に再建されました。
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派手な広告をつけたリガ市のトラム。
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昼食後はバウスカに向かいます。
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by kanekatu | 2015-06-20 01:50 | ラトビア | Comments(0)

バルト三国旅行記(3)ラトビア・リガ①

ラトビアについて簡単に紹介します。
ラトビア共和国は、EUそしてNATOの加盟国、通貨はユーロ、人口201万人、首都はリガ。
西はバルト海に面していて、北はエストニア、南はリトアニア、東はロシア、南東はベラルーシと国境を接しています。面積は北海道の約60%。首都リガは港湾都市で、バルト海クルーズの主な寄港地の一つです。
民族構成はラトビア人が61%、ロシア人26%、その他です。宗教はプロテスタントとカトリックが多く、他にロシア正教があります。言語は公用語はラトビア語ですが、ロシア語やドイツ語、英語など複数の言語を話せる人が多いそうです。
ソ連時代は重工業、特に車両や武器の生産をラトビアに集中させていましたが、ソ連邦離脱とともに技術者が全て引き揚げられ、当時の工場は廃墟のまま残されています。現在は木材や金属の加工が主な産業で経済的には未だこれからという状況です。

3日目の最初はリガの観光です。リガは13世紀にハンザ同盟に加盟し発展してきました。旧市街の建物はこの当時に建てられたものが多い。永くドイツ騎士団やポーランド、スウェーデン、帝政ロシアによる支配が続き、とりわけ帝政ロシア時代は「ヨーロッパへの窓」としての役割からロシア第三の都市にまで成長しました。新市街のユーゲントシュティール(アールヌーボー)様式の建築群はこの時期に建てられたものです。ソ連時代に荒廃した建物も独立後に修復が進んでいるそうです。
19世紀末にヨーロッパで開花した「新しい芸術=アール・ヌーボー」の建築様式がドイツの「ユーゲントシュティール」となって、ここリガに伝わりました。この様式は間もなく第一次大戦によって幕を閉じてしまうので、現存する建物が少ないのです。リガの建物群はそういう意味で世界的な価値を持っています。

特長はカラフルなレンガを使った斬新なデザインと人間や動物、花などの彫像を壁に取り付けるというスタイルです。
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この建物では女神像が付けられています。
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こうした人面も。
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シンメントリーのファザードと中央の窓が丸い曲線を描いた典型的な様式です。屋上にはライオンが配置されています。
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この建物は代表的作品ともいうべきもので、エイゼンシュテイン(名画「戦艦ポチョムキン」の監督の父親)が設計したものです。赤タイルを使った柵のようなファザードが特長的で、玄関には女性のスフィンクスが、屋上には人面が配置されています。
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奇抜としか言いようがありませんね。
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この後、新市街から旧市街に向かって歩いていたら、こんな看板を見つけました。「YAKUZA」という名の日本料理店です。日本人が経営しているそうで意味は知ってる筈ですが、変った名前を付けたものです。
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市内の落ち着いた景観、
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市民の台所を賄う中央市場です。築地の魚市場を思わせるような規模の大きさでした。
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トラムの駅に降り立つ人々。
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クレーンで吊り上げて上空から市街を見下ろすという趣向で、市内観光コースの一つだそうです。
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次回はリガの旧市街観光です。
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by kanekatu | 2015-06-19 06:58 | ラトビア | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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