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中国シルクロード旅行記(9・最終回)西安②

西安の宿泊ホテル、天域凱菜大酒店です。旅行社が最後の日は一番良いホテルに泊めるのは、少しでもいい印象を持って貰うためです。
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朝、時間があったのでホテルの周囲をぶらつきました。
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歩道に若い人、とりわけ若い女性が沢山たむろしていました。デパートの開店でも待ってるんでしょうか、揃ってスマホの画面とにらめっこです。この光景は今や世界的傾向ですかね。
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西安は環境問題への取り組みから、乗用車やバスは全て天然ガス燃料にしています。バイクは全て電動バイクに切り替わっています。

「青龍寺」は、隋の時代に創建された仏教寺院で、弘法大師空海のゆかりの寺です。唐中期には、恵果らの密教僧らが住持するようになり、入唐留学僧たちとの関係が生まれました。空海は恵果を師として密教を学びました。
しかし寺院はその後の廃仏運動などの影響で廃れ、1982年以来の西安市の調査で、この地がいにしえの青龍寺であったことが確かめられました。
日本の四国4県からの財政援助などにより青龍寺は復興され、現在は空海記念碑、
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恵果・空海記念堂が建てられています。
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また四国八十八箇所の零番札所と名付けられたため、日本からも多くの巡礼客が訪れるようになりました。
でも四国以外の地にある寺院を勝手に加えるというのは、どういう意味があるのでしょうか。単なる商魂?
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中国での最後の夕食は「餃子宴」です。ここが西安の有名店だそうです。
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色々な名称の餃子が-10種類位あったか-次々と運ばれてくるのを、次々と口の中へ放り込むといった状況で、どこがどう違うのかも分からぬまま終了しました。多くは私たちの言う水餃子で、他に焼き餃子、スープ餃子、それに中に餡が入った甘い餃子があったのは憶えています。
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地元のビールですが、なんて読むんでしょうね。
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レストランでのアルコールのメニューですが、ビールは大瓶でどの店に行っても30元(約600円)でした。ワインや紹興酒、老酒などは置いていますが全てボトルです。
ビールなどアルコール類はコンビニで買えます。今回は白酒(パイチュウ)を買い込んで部屋飲みしていました。但しオツマミは口に合わないものが多い様なので、ナッツなど中身のはっきり分かるものを選らんだ方が良いと思いました。

旅の終わりはオプションで「唐歌舞」を鑑賞しました。
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前方の席はレストランになっていて、開演前に大勢の客が飲食をしていました。
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唐の時代の衣装や楽器、踊りを再現させたもので、舞踊は全員が女性でした。印象は、西安版宝塚といった所。
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これは、チャルメラ演奏。こんな楽器だったんですね。
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中国版AKB?
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彼女がダンスのセンターでした。やはりジャンケンか総選挙で決めたんですかね。
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はい、華やかにフィナーレです。パチパチパチ。これにてお開き。
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今回のツアーは天候に恵まれ順調でしたが、8日目の日本への帰路で西安から出発の飛行機が5時間半遅れというハプニングがありました。そのため成田空港到着が当初予定の16時が21時過ぎになってしまい、遠い人はその日に帰れぬ事となりました。
中国東方航空から一律で600元(約12000円)が支給され、遠方の人は予約していた国内交通のキャンセルや、成田での宿泊手配などに追われていたようです。
旅行というのは、最後の最後まで分かりませんね。

この連載も今回で最終回となります。
最期までお付き合い頂いた方に感謝いたします。
―終り―
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by kanekatu | 2015-09-10 02:26 | 中国 | Comments(2)

中国シルクロード旅行記(8)兵馬俑

7日目は西安市内観光の目玉、兵馬俑(俑は埴輪のこと)。
私は2回目ですが、前回は望遠を持って来なかったので写真がうまく取れなかった。今度は安いデジイチを持参し、用意万端。
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秦の始皇帝は中国史初の皇帝で、その強大な力を利用し大きな陵墓を建てた。これが秦始皇帝陵です。
「兵馬俑(へいばよう)」は秦始皇帝陵を取り巻くように配置されており、その規模は2万㎡、3つの俑坑には戦車が100余台、陶馬が600体、兵士俑は成人男性の等身大で8000体ちかくあります。
特長としては、
・兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはない
・秦の軍隊が様々な民族の混成部隊であった
・秦の敵国が存在した東方を向いて置かれていた
等が挙げられます。
兵馬俑はいずれも焼成されたもので、このためこの地に起きた洪水や火災から守られたと思われます。
兵士は全員が武器を持っていたようですが、木製のため残されていません。
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表面は彩色されていましたが、現在色が残っているのは僅かです。
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発掘された時の状態はこんな風だったようです。
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下級兵士像。
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中級兵士像。
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上級兵士像。
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馬を引く兵士像で、兵士は馬には乗らなかったようです。
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拳法の構えをしている兵士。
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馬車ですが、2分の1スケールで精巧に再現されています。
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発掘や修復作業は現在も続けられており、今後も新たな発見があり得ます。
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by kanekatu | 2015-09-08 08:53 | 中国 | Comments(2)

中国シルクロード旅行記(7)敦煌莫高窟

6日目の観光はいよいよ敦煌の「莫高窟」(ばっこうくつ)です。今回のツアー参加者の多くは莫高窟を見るのが最大の目的だったようで、私もそうでした。
莫高窟は敦煌市の近郊にある仏教遺跡です。鳴沙山の東の断崖に、南北1600mに渡って掘られた700あまりの洞窟があり、その中に約2400の仏塑像が安置されています。壁には一面に壁画が描かれ、総面積は4500㎡にもなります。紀元前336年に楽(らそく)和尚により創建されたとされ、その後、元朝までの約1000年間にわたり造り続けられました。建築、彫塑、壁画の保存状態や芸術性の高さには目を見張るものがあります。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。現存する洞窟数は492ですが、その内常時公開されているのは40あまり。他に別料金が必要な特別窟があります。
莫高窟の外観です。
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先ず最初に大画面のスクリーンがある映写室で全体の解説があります。
莫高窟が他の観光地を異なるのは、この施設の専門ガイドの案内でしか見学が出来ないということです。今回のようなハイシーズンになると日本語が出来るガイドは限られているので、手が空くまでかなり待たされました。
ようやくガイドが来て、最初に莫高窟のシンボルともいうべき9層の屋根をもつ建物の96窟の前に案内されます。ここで記念写真を撮る人が多い。内部には高さ35メートルを超える大きな弥勒菩薩の座像が鎮座しているそうですが、見学は出来なかった。
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見学時間は約1時間30分ほどで、1ヶ所が5分位で10か所程度回ります。どこの窟を回るのかは、その時のガイド次第で、こちらからリクエストすることは出来ません。順不同でかなりの速さで回るので、付いて説明を聞くのが精一杯といった所です。
内部は一切撮影は禁止です。
見学した窟の外観は下の写真の通りです。
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内部は感嘆の声が上がるほど素晴らしいんですが、時間に追われて余韻に浸るヒマがありません。
特別窟として今回は57窟と156窟を見学しました。入場が制限されているので多少はユッタリできましたが、それでも説明は短時間で終わってしまいます。特別窟の見学は事前予約制ですが、実際には個人で申し込みは不可能のようで、旅行社を通じての手配となっているようです。
もし、今公開されている窟を全て見学しようと思ったら、何回かに分けて見に来るしかありません。
見学者にとっては誠に不便な仕組みになっています。
それでも毎年多くの観光客が押し寄せるのは、展示物にそれだけ魅力があるという証拠でしょう。

先ほど書いたように内部の撮影は一切禁止なので、皆さんに紹介が出来ません。
止むを得ず、いくつかの写真集から画像を採取し、紹介します。
菩薩と脇侍像は、唐代前期の塑像で、左から比丘(びく)、菩薩、天王の順です。老練な比丘と力強い天王、それと慈愛に満ちた菩薩との対比が鮮やかです。
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李聖天図は、10世紀にホータンを統治していた李聖天を描いたもので、彼は当時、毘沙門天の後裔と信じられていました。
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脇侍菩薩図はあまりに有名ですが、中央は観音菩薩で、周囲に菩薩や釈迦の弟子が並んでいます。
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壁画(部分)は、中国神話の神や異獣たちが描かれていて、現代のイラストを見ているような気分になります。
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脇侍菩薩像は北魏時代の塑像で、木の芯に幾重にも葦や草を巻き付け、その上に粘土を塗って固め彩色したものです。
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三尊像は隋の時代の塑像で、こうした塑像がやがて東大寺の日光・月光菩薩像につながって行くのです。
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飛天図は莫高窟の壁画でも大きなテーマのようで、数が多い。飛天は諸仏の背景に描かれる天人で、歌と踊りがうまいとされ、多くは楽器や花などを手にして宙を舞っています。特徴的なのは、空を舞っているにもかかわらず翼をもたないというところです。
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以下は、壁画が描かれた当時の人々の生活が偲ばれる作品です。横長なのでこのサイトに収めると圧縮されて内容が分からなくなります。縦長で表示しますので、右横を下にしてご覧ください。
収穫の図。
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供養図。
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伎楽の図は、楽器演奏に合わせて舞を舞っている姿が描かれています。
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莫高窟の見学の後は、空路、西安に向かいます。
西安に着いてから夕食は精進料理ということでしたが、どこが?という内容だったので紹介は省きます。
今回の食事は昼食も夕食もいわゆる中華料理で、回転テーブルの上に次々と大皿が並べられ、そこから自分の分を取り分けて行くというスタイルです。メニューに大差がなくどこも同じ様な料理が出てきたので、紹介は省略しました。

7日目は西安の兵馬俑観光などで、観光の最終日となります。
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by kanekatu | 2015-09-06 08:13 | 中国 | Comments(2)

中国シルクロード旅行記(6)敦煌②

5日目は敦煌市内の名所観光です。
その前に鳩摩羅什(くまらじゅう)という人物について簡単に紹介します。元々は西域の僧で、4世紀末から5世紀の初めごろの後秦の時代に、長安に来て約300巻の仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した訳経僧です。後の玄奘と共に二大訳聖と言われていて、玄奘三蔵による訳経を「新訳」と呼び、鳩摩羅什の訳経を「旧訳」(くやく)と呼んでいます。
最初の観光は「白馬塔」で、4世紀末に鳩摩羅什が敦煌に来た際に経典を担がせていた馬が死んでしまいました。篤信の人々がその馬の遺体をここに葬り塔を建てたのが始まりです。
現在の塔は清の時代に修復されたものです。
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「玉門関」は陽関と並ぶ古代の関所跡で、漢の時代にはここまで国家権力が及び、これより先が西域とされていました。今は25m四方、高さ10mの城壁だけが残されています。
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玉門は別れを詠う場所になり、唐の詩人・李白は玉門関の彼方に遠征に行った夫を待つ妻の気持ちを詩に詠っています。
子夜呉歌 
   李白
長安一片月
萬戸擣衣聲
秋風吹不盡
總是玉關情
何日平胡虜
良人罷遠征

*********
長安一片の月
萬戸衣を擣(う)つの聲。
秋風吹いて尽きず、
総て是れ玉関の情。
何れの日か胡虜を平らげ
良人遠征を罷(や)めん。

「漢代長城」は、漢の時代の万里の長城跡です。外敵、特に騎馬民族の侵入を防ぐために馬が乗り越えられない高さの壁が構築されています。
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昼食はブドウ畑の下で、涼しい風が通ります。
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中国の代表的なビールである青島(チンタオ)ビール。
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「陽関」は、シルクロードの重要な堅固な関所の1つで、併せて設置された玉門関より南に位置したため「陽関」と称されました。漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で建設したもので、西域交通ルートの要所でした。今は跡地を示す石碑があるだけです。
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漢の時代から残されている烽火台です。
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この場所に立って西側を見ると遥か彼方まで何もない茫洋たる風景が広がっています。
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陽関は、中国で古代より孤独な生活を思い詠嘆する地で、特に唐代の詩人王維の詩「送元二使安西」が有名です。日本でも学校の教科書に載っているので、古くから人口に膾炙しています。またこの詩を「蛍の光」のメロディに乗せて歌えることでも知られています。
送元二使安西
     王維
渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人
************
(元二の安西に使するを送る)
渭城の朝雨 軽塵を潤し、
客舎青青柳色新たなり。
君に勧む更に盡くせ一杯の酒、
西のかた陽關を出ずれば故人無からん。
【意味】
咸陽(渭城)の朝の雨が軽い砂埃を潤している。
旅館の前の、君に贈る柳の葉も雨で青々としている。
君、ここで更にもう一杯別れの酒を飲んでくれ。
西域地方へ向かう陽関を出てしまえば、もう友人はいないだろうから。

夕食の時に飲んだ西安ビール。
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最後は敦煌市民のマーケットである「沙州市場」で、今夜の酒とツマミを買ってホテルに戻りました。
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6日目はいよいよ莫高窟の見学です。
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by kanekatu | 2015-09-04 03:00 | 中国 | Comments(2)

中国シルクロード旅行記(5)敦煌①

トルファンの宿泊ホテル火州大酒店。
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観光4日目は新しく出来た新疆高速鉄道で、トルファンから敦煌(柳園南駅)へ向かいます。
日本でいう新幹線で、この列車を利用すると4時間で着きますが、以前は1日ががりだったようです。
トルファン駅は砂漠の真ん中にポツンと置かれている感じで周囲は何もありません。誰かが開業当時の新横浜駅みたいと言ってました。
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駅の待合室。
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ホームに列車が入線してきました。車両は山形新幹線に似てます。
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車内の様子です。
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車窓はどこまで行っても砂漠の中で、たまにオアシスが見えます。
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昼食は車中で弁当でしたが、チャーハンに野菜がいくつかという味気ないものでした。
予定通りに柳園南駅に到着。
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新疆ウイグル地区をめぐる騒乱に対処するために、中国政府はこの地域に高速鉄道を敷設し、高速道路の整備を進めています。こうして観光客が増えれば経済効果で地域が潤うという狙いです。しかし地元住民にとっては中央政府の監視がいっそう強まるという警戒感がり、あまり歓迎されていないようです。

本題とは外れますが、中国の郵便ポストです。左側が市内、右側が市外となっているようです。
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柳園南駅から約2時間半かかって敦煌の観光名所の一つである鳴沙山(めいさざん)に到着。
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「鳴沙山」はゴビ砂漠の中にある砂の峰で、東西40㎞、南北50㎞という広大なものです。他の地帯と異なりサラサラとした砂が特長で、「月の砂漠」というイメージにピッタリです。
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ラクダに乗って40分ほど砂漠の中を観光です。砂の中の成分の違いや、光の当たり具合によって砂漠は様々な表情を見せてくれます。
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徒歩で高さ300mほどの砂山に登る人もいました。
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鳴沙山の中にある泉が「月牙泉」(げつかせん)で、三日月形をしている事からこの名が付きました。大きさは長さが200m、幅は一番広い所で50m、深さ5mとなっています。
砂漠の真ん中にこうした泉が湧いているのは珍しい光景です。
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観光後は敦煌の中心街に移動。市内の様子です。
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夕食にシシカバブ(ケバブ)が付きました。羊の肉で日本でいう焼き鳥に似た味です。ビールのオツマミにピッタリで、今回の旅行で初めて美味しいものを食べました。
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次回は敦煌市内の名所を巡ります。
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by kanekatu | 2015-09-02 00:54 | 中国 | Comments(2)

中国シルクロード旅行記(4)トルファン

3日目の午後はトルファン観光です。
トルファン市は、中国新疆ウイグル自治区トルファン地区に属し、トルファン盆地の中央に位置し、北に天山山脈を望んでいます。古くより交通の要所であり、シルクロードの要衝として栄えました。現在は観光都市となっています。
ウイグル族が7割、残りは漢族です。
トルファンは海抜がマイナスの場所がほとんどであり、場所によっては-154mにも達しています。そのため夏は猛烈な暑さとなり、最高温度が50℃を超えることもあります。地表の温度は80℃位になるので、地面で卵焼きが出来るそうです。私たちが行く前の週には45℃になり、ツアー客が暑さで倒れたと言ってました。幸いこのツアーの時はやや温度が下がり、35℃前後であったと思われます。

観光のスタートは「火焔山」で、トルファン盆地に横たわる東西に約100㎞、南北約10㎞、平均海抜500mの産地。地殻の褶曲運動により襞の入った山肌は、夏季には暑さのために陽炎が立ち、それがまるで炎の様に見える所からこの名が付きました。
日本人にも「西遊記」でお馴染みの場所です。
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渓谷の底部には川が流れているのが見えます。
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「ベゼクリク千仏洞」は6世紀から9世紀にかけて石窟の開削が行われ、仏教を信仰していた王族の寺院とされていました。石窟は83窟で、内部には壁画が描かれ仏像が安置されていました。
だたイスラムがトルファンに浸透するにつれ破壊を受け、あるいは地元を訪れた探検家たちによって剥がされて、今では殆んどが残されていません。
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「高昌古城(こうしょうこじょう)」は、5世紀から7世紀にかけてこの地に栄えた麴氏高昌が築いた城址遺跡です。面積は200万k㎡、周囲は5㎞で、外城上、内城、宮城の3つの部分からなっています。当時、ここには3万数千人の人々が住んでいました。ただ建築物の破損が激しく、今は荒涼とした風景が広がっています。
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この辺りが城の中心だったようです。
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高昌は玄奘三蔵の西域求法の発着点でもありました。630年に玄奘がこの地を訪れ、当時の国王・麴文泰から歓迎され、2か月間滞在し説法を行ったことが記録されています。玄奘がインドへ出発の際には、金銀と通行手形、馬に、供を20人ほど文泰から提供を受けとされています(猿と豚と河童はいなかったようですよ)。こういう事が無ければ、玄奘一人でインドへの往復など出来なかったでしょう。
640年に、玄奘がインド遊方の後に帰着した時に文泰との約束で高昌を再訪しましたが、既に文泰は死去し高昌も滅んだ後でした。
この場所で玄奘が仏法を説いたとされています。
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水が無くては人間は生きていられなから、砂漠の真ん中にあるトルファンにとって水源の確保が最大の問題です。その水源は天山山脈の雪解け水で、山の麓から20-30mの間隔で井戸を掘って並べ、その底をつなげて水路としました。この技術は11世紀ごろにイスラム勢力より伝わったと言われ、カレーズ と呼ばれています。
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トルファンの産業は、観光以外では農業が主であり、ブドウ・綿花・ハミウリが特産です。
ブドウ畑です。
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生ブドウで出荷し、残ったブドウはこの建屋の中で風を通して干しブドウとなります。
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ブドウ農家のご夫婦です。このご主人は独学で日本語を勉強したそうですが、流暢な日本語をしゃべるのに驚きました。ウイグル族の人は日本語を学びやすいと言ってましたが、私たちにはウイグル語は簡単に学べないですね。
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夕食のレストランに飛び入りで民族楽器の演奏者が来て、いくつか現地の曲と踊りを披露してくれました。
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ツアー参加者から女性が指名され一緒にダンスを踊りましたが、なかなか鮮やかでしたよ。
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トルファン名物のラグ麺です。具が多くて汁が少なく、日本のラーメンとは違います。
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4日目はトルファンから高速鉄道で敦煌に向かいます。
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by kanekatu | 2015-08-31 00:37 | 中国 | Comments(0)

中国シルクロード旅行記(3)ウルムチ

3日目の午前の観光はウルムチです。
ウルムチ市は、新疆ウイグル自治区の首府で、市区人口は135万人。
「ウイグル」は民族の呼称で、「新疆」はイスラム教を指します。つまりイスラム教(スンニ派)を信仰するウイグル人という意味です。
新疆ウイグル自治区にはウイグル族のほか、漢族、カザフ族、キルギス族、モンゴル族などの民族が居住する多民族地域であり、自治州、自治県など、様々なレベルの民族自治区画が置かれています。
つまり北京中央政府に対しては、宗教と少数民族という両面の対立問題を抱えていて、一部の人々による中国からの分離独立運動も起きています。こうした背景から2009年のウイグル騒乱や、2013年のウイグル族がガソリンを積んだ自動車で北京の天安門に突入し自爆する事件(天安門広場自動車突入事件)などが発生しています。さらにこの事件に対する報復として、漢民族によるウイグル市民への無差別殺害事件も起きていました。新疆はチベットと並んで、中国が抱える民族問題のホットスポットの一つとなっています。
現在は表面的には落ち着いて見えます。
言語・文化・経済の面などにおいて、中国の東部よりもタシュケントのようなはるか西方の各地とより強く結びついています。
面白いのは、中国国内には本来は時差が存在しないのですが、新疆だけは便宜的に北京時間より2時間遅れの新疆時間が使われています。仕事は午前10時が始業時間になっていて、夕食は午後8時頃からスタートの様です。
ウルムチはまた世界で最も内陸部の都市として知られていて、海への最短距離が2300㎞というのだからスゴイ。殆んどの人は海を見ることなく生涯を終えるそうで、泳げる人は皆無に近いとか。

ウルムチの宿泊ホテルの東方王朝酒店。
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ウルムチ市内の風景ですが、中心部には超高層ビルが立ち並び、中国の他都市とあまり変わりはありません。
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ウルムチでの観光は、新疆ウイグル自治区博物館だけでした。
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上半身が人間で下半身が蛇の男女が混じり合っているこの絵は、ウイグル人の国産み、即ちアダムとイヴの物語を描いたものとか。
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これは唐の時代の美人画で、髷を高く結い、太い眉と頬紅が美人の条件だったようです。現代の美人の概念とは大きな差がありますね。もしかして、楊貴妃もこんな顔だった?
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これはどんな絵だったか忘れましたが、注目したいのは古代のウイグル語は縦書きだったという事です。
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それがイスラム教が入ってきてコーランが伝わるようになってから、今の様な横書きになったそうです。もう一つ、ウイグル語の文法は日本語と同じ
S+O+V
だそうで、そのために普通の中国人よりウイグル人の方が日本語を覚えやすいとか。そう言えば現地ガイドの女性も大学で2年間日本語を勉強しただけで、流暢な日本語をしゃべっていました。
お目当ての楼蘭美女の展示が都合で無かったことと、ウルムチは他にも見所があったのですが博物館だけで観光が終了してしまったのが残念です。

この後はトルファンに向かって3時間のバス移動です。
バスは砂漠の中をひたすら走り、人っ子ひとり見えません。周囲の山も丸坊主です。
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砂漠に吹く強い風を利用した大規模な風力発電設備が設置されていました。後方に見える雪山は天山山脈です。
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午後はトルファン観光です。
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by kanekatu | 2015-08-29 09:15 | 中国 | Comments(0)

中国シルクロード旅行記(2)西安①

西安は2度目ですが、前回はもう20年以上前になりますか。今では超高層ビルが立ち並び、地下鉄も2本が開通してすっかり様相が変りました。
西安市は中国陝西省(せんせいしょう)の省都であり、古くは中国古代の諸王朝の都となった長安です。中国関中平原の中部に位置し、北に渭水(いすい)が東西に流れ、南は秦嶺(しんれい)山脈が東西に走っています。
中国の歴史に登場する英雄豪傑や美女らが活躍した都市でもあり、シルクロードの起点としての国際都市でもありました。次の李白の漢詩にも表れています。
少年行
      李白
五陵年少金市東  
銀鞍白馬度春風  
落花踏盡遊何處  
笑入胡姫酒肆中 
この漢詩の中の「胡姫」は「ペルシア人の娘」を意味しているので、既に唐の時代にはイラン人の女性が酒場でホステスをしていたようです。

西安古城のシンボルとして「明代城壁」があります。1370-1378年にかけてレンガを積み重ねて築かれたものです。高さ12m、幅は上部が12-14m、底部が14-18m、周囲は14㎞です。
東西南北それぞえの門には城楼などが設置されています。
観光しやすい南門から城壁に上がりました。
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南門の物見櫓である城楼です。
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正面奥に見えるのは西安の鐘楼です。
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城壁の上から西安の超高層ビルが見えます。
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西安を代表する仏教建築物といえば「大雁塔」です。四角七層、高さは64m。
玄奘三蔵がインドから持ち帰った大量の経典を保存するために唐の時代の652年に建立されました。創建時には五層でしたが、その後に修復が繰り返され、明の時代に現在の姿になりました。
今では内部の経典は別の場所で保管され、塔の中はガランドウです。
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慈恩寺の大殿です。
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大殿の本尊で、釈迦如来と思われます。
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大雁塔の内部は螺旋階段が作られていて、塔頂まで上ることが出来ます。せっかくなので挑戦、ここが入り口です。
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日頃の運動不足がたたって一気に塔頂まで上がれず、狭い螺旋階段を途中で何度も息継ぎをしてようやくたどり着きました。
大雁塔の塔頂から見た西安市内の風景です。ここ大雁塔(慈恩寺)の周辺は緑が多く低層の建物が多いですが、少し離れると超高層ビル群が目に付きます。
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ようやく昼食で、汗をかいた後のビール(スノウビール)は美味い。
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午後からは空路ウルムチに向かいました。夕食は機内食でしたが質量ともに物足りない。
ウルムチの宿泊ホテルに着いたのは、午後9時頃となりました。
腹が空いているが、食べ物をどうやって仕入れるかが分からず、空腹のまま睡眠。
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by kanekatu | 2015-08-27 09:37 | 中国 | Comments(2)

中国シルクロード旅行記(2015/8/14-21)(1)出発

2015年8月14日から21日まで中国シルクロードのツアーに参加しました。旅行社は阪急交通社、添乗員はMさん。
参加者は20名で、通常のツアーに比べて男性の一人参加が多いのが特長です。
コースは西安―ウルムチ―トルファン―敦煌―西安を巡るのですが、途中に新疆ウイグル自治区を通るため、治安上の問題から一時期ツアーが中断されていました。昨年頃からようやく再開され、徐々に参加者は増えてきているようです。

中国訪問は今回が5度目(香港を除く)で、前回から9年経ちました。この間の中国の経済成長は目ざましく、GNPでは日本を追い越し世界2位になりました。しかし、今年に入ってからは不動産バブルの崩壊や金融市場の不安定などの要因から、経済成長の鈍化が顕著になっています。
日中関係は領土問題や南シナ海の埋め立て問題をめぐる対立から、国交回復後では最悪の状態になっています。
今の日中関係について中国側に全ての責任があるかのような言説が流れていますが、現在の安倍政権の歴史認識、とりわけ大東亜戦争(日中戦争+太平洋戦争)における中国への侵略を否定するがごとき態度にも大いに責任はあります。当時の行動を正当化し反省しないとなれば、相手国としては日本が再び同じことをしてくるのではという疑念が生まれます。
そうした相手国の危惧を払拭するためには、過去を直視した正しい歴史認識の上に立った誠実な態度が求められると思います。

今回のツアーのタイトルである「シルクロード」という言葉ですが、定義は分かってるようで良く分からない。
「シルクロード」という名称は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが著書の中で、「Seidenstraßen」(ドイツ語で「絹の道」の意味)として使用したのが最初で、リヒトホーフェンは古来中国で「西域」と呼ばれていた東トルキスタン(現在の中国新疆ウイグル自治区)を東西に横断する交易路、いわゆる「オアシスの道(オアシスロード)」を経由するルートを指してシルクロードと呼びました。絹が中国側の最も重要な交易品であったことから名付けられたものです。
今日では中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称として、広くは近代(大航海時代)以前のユーラシア世界の全域にわたって行われた国際交易を指しています。
東側の起点としては西安(長安)とする説が一般的ですが、他に洛陽や、日本の奈良という説もあります。西側の起点もローマ、イスタンブール(コンスタンチノーブル)、シリアのアンティオキアなどの説があります。特定の国家が定めたものではないので、定説が無いのは当然のことです。

「シルクロード」というと何か決められたルートがあるように思われるかも知れませんが、そのルートも多様です。
ルートは大きく、
・「草原のシルクロード」
・「オアシス(砂漠)のシルクロード」
・「海のシルクロード」
に分かれます。
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この内の「オアシスのシルクロード」も大きく、
・天山山脈の北側を通る「天山北路」
・天山山脈の南側を通る「天山南路」
・崑崙山脈の北側を通る「西域南路」
に分かれます。
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加えて交易は東西だけでなく南北でも行われていたので、ルートはさらに複雑になります。
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時々、自分はシルクロードを全て制覇したなどと自慢する人がいますが、実際には不可能に近い。
この旅行記のタイトルも本来は「中国国内のシルクロードの極く一部」とした方が正確です。

スタートは8月14日、キャリアは中国東方航空。成田空港16時55分発で、上海でトランジット(入国審査)、西安着が23時45分(日本との時差は1時間)。ホテル到着は15日の午前1時頃になりました。スーツケースと手荷物の整理を終えシャワーを浴び終わったのは午前2時近く。
朝からの観光に備えて先ずは一眠りです。
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by kanekatu | 2015-08-25 16:19 | 中国 | Comments(2)

中国四川省(九寨溝、黄龍など)紀行その10 最終回

初めて峨眉山という名前に接したのは、小学生の頃の芥川龍之介の小説だろうと思います。以来、一度は行ってみたいと思っていましたので、今回その夢が叶ったというわけです。
子供の頃の憧れの地に旅行するというのは、私の場合結構多いようです。

峨眉山は成都の南西部160kmにあります。
麓の海抜が450m、主峰の万仏頂は標高3099mで、天空に高く聳え立っています。
峨眉山は中国の四大仏教の聖地の一つで、仏教がインドから中国に伝わってきた2世紀以来次々と寺院が建てられました。その最盛期には100ヶ所を数えるほどでしたが、中国で仏教が衰微すると共に減り、現在では20ヶ所余りの寺院が残されています。
1996年楽山とともに、ユネスコから世界文化と自然遺産に登録されました。
 
峨眉山は標高が高いため、気温の差が大きく豊かな自然動植物の宝庫とされています。夏季になると、峨眉山中の中に四季ができます。
3000種類あまりの植物と2000種類を数える動物が棲息しているとのこと。植物の多くは漢方薬として処方されている由、峨眉山で採れた漢方薬というのは、何だか効きそうですね。

麓にある報国寺は、峨眉山の登山口にあたり、木立ちに囲まれた静寂な環境の中に建っています。伽藍は山の斜面に沿って並び、奥に進むに従って標高が高くなります。
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敬虔な仏教徒は麓より徒歩で登り、4日間かけて登山しながら寺院を参拝するそうですが、私達はバスとロープウエイを使って山頂を目指しました。
永明華蔵寺は、峨眉山のシンボル金頂に建っています。金頂の標高は3079mです。
金頂には高さ48mの普賢菩薩像が作られていますが、金100kgを使っているそうで、とにかく金ぴかです。日本の仏像を見慣れている私達には違和感があります。
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峨眉山の見所は何といっても雲海です。
足下から湧き上がってくる雲の上に、僅かに頭を覗かせている主峰の万仏頂の姿は、この世ものとも思えないほど幻想的な美しい姿を見せていました。
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金頂の後方は、写真のように切り立った断崖絶壁です。
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下山の途中では、峨眉山の紅葉を楽しむことができました。
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その後成都に戻り、杜甫草堂を見学。
唐代の詩人・杜甫が成都に住んでいた時の住居跡で、759年から約4年間ここで生活を送りました。
杜甫の全作品1400首のうち247首がここで詠まれました。
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ただせっかく日本語ガイドが案内してくれた後、収蔵していると称する20点の古工芸品の紹介があり、「これ全部で180万円で譲ります。」と勧誘されたのには興醒めです。あれじゃあ偽物であることがバレバレです。
中国はこうした公共の施設で偽物を売りつけるのは、もう止めた方が良い。国家の品位を落とします。

夕方は四川省の代表的なエンターテイメントである川劇を観賞。
特に「変瞼」という、観客の前で一瞬のうちに顔の色を何回も変える技が売り物です。
舞台を降りて観客の目の前で技を披露してくれますが、全く分からない。演技は秘伝だそうです。
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四川料理は日本でも親しまれている料理ですが、麻辣(マーラー)の味の四川独特の味付けが特長です。麻は痺れるような山椒の味、辣は唐辛子の辛い味です。代表的料理は麻婆豆腐です。
麻の方はまるで口に麻酔をかけられたような状態になるそうですが、ツアーのレストランではそうした強烈な味付けは無く、日本人向けにマイルドなものになっていました。
期待した四川料理ですが、余り美味しいとは思えなかった。
特に地方に行くと、良く言えば素朴な田舎料理といえるのでしょうが、過去に経験した中華料理の中では、味は下位に属します。
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中国のツアーでは毎食中華が続き、3日ぐらい経つと日本人の多くはあの油濃さが受け容れられなくなってきます。次第に箸が進まなくなる。
今回も最後の方は、お粥だけが好評でお代わりをしていましたが、それ以外の料理には手が付けられていないという状況もありました。

ご多聞にもれず成都も不動産バブルで、5年間で不動産価格は2倍にはね上がっています。市内のマンション価格は、㎡当たり10万円ほどですから、日本よりは安いにしても、中国の所得水準からすればかなり高価です。購入できる層は限られるでしょう。
現在50歳を越える年齢の中国国民は、まともに仕事を続けていれば無料で住宅を与えられていましたが、それ以降の人々は自分で住宅を確保せねばなりません。
今後中国でもホームレスの出現が社会問題化する可能性が高いと思われます。

経済格差は都市部の中でもおきていて、大学新卒の給料で、一流とそうでない大学では3-4倍も開きがあるそうです。
ロシアと同様に中国でも、昔の方が良かったという年配者が結構多いそうですが、社会保障の切捨てと経済格差の拡大がそれだけ深刻である証拠です。

中国社会の現状は、矛盾が深刻化する一方のように感じます。
ただ今回の旅行記で書いたような様々な問題点が、現地ガイドの口から出るようになったというのは進歩だし、救いです。
国民が問題を共有化し自由に発言できるようになることが、やがて中国が変わる原動力となるでしょう。
一方で将来の中国の変革が、我が国にとりプラスになるかマイナスになるか、それはまた別の問題ではあります。

今回で中国四川省の旅行記は終了します。
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by kanekatu | 2006-11-14 10:35 | 中国 | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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