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ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ訪問記(4)

2日目の最後の観光は、もう一つの世界遺産であるネスヴィジ城の見学。
ネスヴィジ地方一帯を支配していたラジヴィウ家が最初に城を建てたのは17世紀。18世紀に入って城の巨大化と内部装飾が進められ、今の様な形になったようです。
1770年代にロシア軍によって略奪され朽ちてしまいますが、1880年代にラジヴィウ家によって再建されます。
しかし、ロシア革命の後にラジヴィウ家は城を追われ、ソ連時代はサナトリウムとして使われてきました。
1994年になってようやく城の建造物群は国の歴史的・文化的保護区となり、11年後にユネスコの世界遺産に登録されました。
巨大な建物で、全景を撮ることが出来なかったので、他のサイトから借用して紹介します。
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門を入って濠をみながら歩くこと約10分。
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ようやく城が見えてきました。
左に見える橋を渡って入城します。
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橋の向こうから新郎新婦の一行がやってきました。世界遺産で結婚式を挙げるのが流行ってるんですかね。
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中庭に入ると、2階のバルコニーでも記念撮影。
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中は展示場になっていて、城に関係する調度品や食器類、衣装などが展示されていました。
この部屋は寝室ですが、17世紀にこうしたベッドが備わっていたのは珍しい例だそうです。
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冬の厳しい寒さに備えて、各室には大きな暖炉が備えてあります。
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食器類で、一番下にある皿は日本製。17世紀にはここまで運んで来ていたという事でしょうか。
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中庭の風景です。
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午後8時頃にホテルに戻り直ぐに夕食。
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何しろ暑い中を一日中歩いてきたので喉がカラカラで、先ずビールでしょう。
今回の旅行で有り難かったのは、ビールが安いことでした。500mlのジョッキが標準で国産ビールなら2ドル前後、安いでしょう。ベルギーからの輸入ビールだと倍ぐらい。テーブルワインなら150mlで3ドル程度、輸入品でも5ドルほどです。
私たち呑み助には助かります。
味は、ごく普通です。
欠点は、これはこの国に限らないのですが、ビールが出てくるのが遅いことと、店によってはあまり冷えていないことです。
「先ずビール!」というのは日本だけかな。
料理は、前菜(又はスープ)、メイン、スイーツのスリーコース。この日もそうでした。これ以外にはテーブルのバスケットに乗っているパン。内陸部なので、ほとんどが肉です。
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ロシア料理が基本なので、味はまあまあといった所でしょうか。



3日目の午前中は、ブレスト要塞の観光です。
1941年6月22日、ドイツによるソ連の侵攻に伴い、町はドイツ軍の攻撃を受けました。それに対しブレストの要塞は、激しく抵抗。抵抗は約1ヶ月続き、その抵抗の果敢さからブレストはソ連より「英雄都市」の称号を受けました。
ドイツ軍占領後、ナチスによりブレストのユダヤ人は多くが殺害されました。
1944年にはソ連により町は奪還され、戦後はソ連領になりましたが、ソ連崩壊に伴いベラルーシに編入されています。
ここでは、当時の戦闘の生々しい跡を展示し、防衛者たちを慰霊する記念碑やモニュメントが立てられています。
入り口。
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これが全体図で、二重三重の城壁で行われていました。
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防衛兵士のモニュメント。
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城門でこちらは守備側。
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こちらが攻撃側、ドイツ軍側です。銃弾跡は当時のままで、熾烈な戦いにあったのか分かります。
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記念碑には花が供えられていました。
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城壁の外側は濠になっていて、周囲には柳が植えられています。柳は悲しみの木だそうです。
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戦いに斃れた兵士のモニュメント。
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現地ガイドがここで強調していたのは、独ソ戦において旧ソ連の国々の多くが、一時的せよドイツ占領下に入り、ドイツ軍と共にソ連を攻撃していたという事実があることでした。
それに対してベラアルーシは、最初から最後までソ連の一員としてドイツと戦い勝ったということに誇りを持っていると語っていました。
しかし、私はこう思う。
それはスターリンがヒトラーの作戦を見誤り、初戦で大敗を喫した結果だった。
また、スターリンはロシアを守るために周囲の国に多大な犠牲を押し付けた結果でもあったと。
ただ、ガイドにはこうした情報は入っていないだろうし、論争しても決着はつかないでしょう。

一つだけ質問、「独ソ戦でベラルーシの国民の4人に1人がドイツ軍に殺されたということだが、いまドイツに恨みはないのだろうか?」。
答えは、「今のドイツには何も思っていませんし、ドイツとは友好的な立場です。今のドイツ人には責任がありません」。

ブレストの鉄道線路。ここが大事なのは、欧州からの線路とロシアの線路の幅が違うため、ここで車両幅の交換が行われるからです。
戦時中は、ロシア防衛の大事なカギになりました。
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原則的で愛国的なガイド・ナターシャとも、またベラルーシとも、ここでお別れです。
異論はあるけど、彼女の話はとても面白かったし興味深かった。
有難う。
予告ですが、今回の旅行で一番面白かったのはベラルーシでした。
この後のガイドは日本語をしゃべれず、添乗員を介しての会話になってしまうので、どうしても隔靴搔痒の感が拭えないのです。
でもまあ、最後までお付き合いください。

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by kanekatu | 2017-08-07 10:33 | ベラルーシ | Comments(2)

ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ訪問記(3)


旧ソ連の都市の特徴は、街のの中心部の目抜き通りを「レーニン通り」、中央にある広場は「レーニン広場」と相場が決まってました。ソ連崩壊後は、それぞれ「中央通り」「中法広場」に改名しています。
ここミンスクの中央広場です。レーニン像が置かれています。旧ソ連の国の中でも珍しいのではないでしょうか。地下鉄の駅名も未だに「レーニン広場」とか。
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ここでガイドに、いくつか質問してみました。
「国民はレーニンを今でも尊敬しているの?」、答えは「尊敬しています」。
「レーニンが間違っていたからソ連が崩壊してしまったのでは?」、答えは「間違いはありましたが、レーニンが目指していた理想は正しかった」。
「スターリンはどう? ベラルーシでも彼によって沢山の人が粛清されたよね?」、答えは「確かにスターリンは酷い事をしました。でも独ソ戦でナチスドイツに勝利した功績は大きい。」。
「独裁体制は良くないのでは?」、答えは「スターリンもレーニンも、あの時代にあっては必要な人だった。国によっては独裁は必要だ。ベラルーシも独裁と言われるが、現大統領が進めた政策によって国は上手くいっているし、国内の争いも起きていない。むしろ民主化した国々に戦闘が起きているではないか」。
「ソ連についてどう思っている?」、答えは「ソ連時代は良かった」。
「今の方が自由があって良いのでは?」、「ソ連について、外側から見るのと、私たちの様に中で暮らしていた立場から見るのとでは、見方が違う」。
「ゴルバチョフについてどう思う?」、答えは「ソ連を解体させたとんでもない人間」。
ガイドは続ける。「私の国籍はベラルーシだが、心はソ連人」。
どうです? なかなか説得力あるでしょ。
久しぶりに筋金入りの人の話を聞けましたよ。

聖霊大聖堂はバロック式の建物。1642年にカトリック教会の修道院として建てられたが1852年からロシア正教の教会となりました。ソ連時代の宗教弾圧で一時閉鎖されていましたが、その後に回復。現在はベラルーシ正教会の中心的教会となっています。
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聖シモン聖エレーナ教会は「赤い教会」と呼ばれています。
教会の敷地内には、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマの土がカプセルの中に入って埋められています。
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この教会の脇には、長崎から贈られた鐘が設置されていて、ツアー参加者一人一人が鐘をついてきました。
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旧ソ連時代にウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故、当時は強い南風が吹いていたため、放射性物質を含んだ灰の多くがベラルーシに降ってきました。汚染地域の住民は国の費用で他へ移住し、その後も定期的な健康診断を受けています。
ベラルーシでは放射性降下物の70%が国土の四分の一に降り、50万人の子供を含む220万人が放射性降下物の影響を受けたと報告されています。ベラルーシ政府は15歳未満の子供の甲状腺癌の発生率が、2001年には1990年の2000例から8,000-10,000例に急激に上昇したと推定しています。
こうした事がらから核爆弾や原発事故に対する国民の関心が高まったとのことです。

中央公園。
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中央広場をぐるりと巡ってみました。
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この他のミンスク市内の風景です。
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昼食は、マチャンカという地方料理で、豚肉のサワークリーム煮。
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次の観光は、世界遺産のミール城です。
ミール城は、15世紀末から16世紀初めにかけてミール村付近ゴシック様式の城として建設され、1568年に城はリトアニア大公国の大貴族であるラジヴィウ家の手に渡り、ルネサンス様式の城として完成しました。
その後、城はナポレオン戦争で損傷を受けましたが、19世紀末に修復され、第二次世界大戦中はドイツ軍に接収されゲットーとして使用されました。
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内部は展示場になっていて、上は甲冑(ヨーロッパ様式)、下は16世紀ごろの男子の服装ですが、日本と似たような帯を締めています。
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それより目に付いたのは、結婚式の多さです。こうしたカップルを何組も見ました。
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こちらは式の列席者たちでしょう。皆さん、着飾っています。
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門の外ではマーケットが開かれ、小さな木製の人形を購入。
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by kanekatu | 2017-08-05 19:36 | ベラルーシ | Comments(2)

ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ訪問記(2)

モスクワから1時間30分、予定より約1時間遅れでミンスク空港に午後8時半頃に到着。入国はロシアと共通なのでそのまま通関。空港はキレイでした。
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空港では現地ガイドのナターシャがお出迎え、以後ベラルーシを離れるまで彼女がガイドを務めてくれました。大学で4年間日本語を習い、1年間日本に語学留学しただけあってかなり流ちょうな日本語を話します。
余談ですが、今回ウクライナとモルドバの女性ガイドも皆ナターシャでした。愛称なので、本名は違うようです。
バスで40分、午後9時半だというのに、ようやく日没です。
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この日のホテル「ルネサンス」に到着。予想していたより設備の良いホテルでした。
カジノが隣接しており、カジノが禁止されているロシアから人を呼んでいるそうです。
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荷ほどきと翌日の準備を済ませて、12時頃に就寝。

ここで、ベラルーシの概要を紹介します。
地図。
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国旗。
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正式国名はベラルーシ共和国。
東にロシア、南にウクライナ、西にポーランド、北西にリトアニア、ラトビアと国境を接する、世界最北の内陸国。
面積は207,560km2で本州よりやや小さい。
人口は約950万人。
首都はミンスク。
政体は共和制、但し大統領権限が極めて強く独裁制とも言われている。
民族構成は、ベラルーシ人84%、ロシア人8%、その他。
宗教は、キリスト教のベラルーシ自治独立正教が多く、他にロシア正教、ローマンカトリック。
公用語は、ベラルーシ語、ロシア語。
通貨は、ベラルーシ・ルーブル (BYN)。
一人当たりGDPは、17,623ドル。
気温は7月の最高気温が25℃、最低気温が15℃程度でした。㎡国土の大半が森林と湖、畑なので湿度が適度にあり過ごしやすい。

私たちが学校で習った頃の国名は「白ロシア」でした。「ベラ」は「白」、「ルーシ」は「ロシア」を意味しています。
現地ガイドは「ベラ」を白い、純粋な、混じりっ気のないという意味があると説明していましたが、どうやらこの地域を支配していたモンゴルが中国の五行思想を持ち込んで、西(即ち白)のロシアという意味が語源のようです。
永らく親ロシアの立場でしたが、石油価格の一方的値上げをかわきりに関係がギクシャクし、現在は中国に接近しています。中国もまた東ヨーロッパへの足掛かりとしたという、双方の利益が合致しているようです。

2日目はミンスクの観光です。
ベラルーシは第二次大戦で独ソ戦の主戦場の一つとなり、国民の4人に1人が犠牲になるほどの打撃を受けました。街は破壊され尽くされ、戦後は戦前の街を復元するのではなく、スターリン様式とよばれるクラシック調の建物が並ぶことになりました。
市の中心部にある勝利広場に立つ、第二次大戦の勝利を記念した記念塔。
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柱の下部にはこの様なレリーフが彫られています。
後方に見えるのがスターリン様式の住宅で、主に高級官僚が住んでいるとか。ここでは未だ「スターリン」という言葉が活きてるんです。ガイドは、スターリンが建ててくれたと言ってました。
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これに対して、ソ連のフルシチョフ時代に、労働者のためにより狭い簡素な住宅を沢山建てていて、これはフルシチョフ様式とよんでいました。
ガイドの説明では、コルホーズが中心となって農産物を海外に輸出しているなどと、懐かしい単語が並びます。
昔のソ連にいる様な気分。

突然、ガイドが1枚の写真を掲げて、これ誰でしょう?
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答は、リー・ハーヴェイ・オズワルド。ジョン・F・ケネディ暗殺の実行犯とされる人物。アメリカ海兵隊除隊後にソ連に亡命、一時ミンスクで生活し現地の女性と結婚していたが、その後妻子を伴って米国に帰国し、暗殺事件を起こしたとされています。
アメリカとソ連の二重スパイの疑いも濃く、未だに謎の多い事件です。
閑話休題。

ミンスクの中央を流れるスヴィスラチ川の小島は「涙の島」と呼ばれ、ソ連時代に行われたアフガン出兵の兵士の慰霊碑が置かれています。
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手前にある橋を渡るのですが、橋の袂には国境を示す杭が立てられていて、国を出ていった兵士たちを象徴しているかの様でした。
ここから首都を流れるスヴィスラチ川の河岸に沿って歩き、周囲の景色を楽しむことにします。
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スターリン様式の建物に混じって、近代的な超高層ビルが建てられています。

トラエツカヤ旧市街区は、無機質な建物が多いミンスクの中で19世紀の建物を再現させようとボランティアたちの力で建てた街区です。
ここだけ周囲を切り離され、ひっそりとした佇まいを見せていました。
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戦争で街全体が崩壊した中で、この建物だけが奇跡的に残りました。ユダヤ教のシナゴーグで1階は男性用、2階は女性用として使われていたようです。
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戦前、ベラアルーシには沢山のユダヤ人が暮らしていましたが、その多くは収容所に送られ殺害されました。その数はミンスクだけでも10万人と言われています。
(続く)

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by kanekatu | 2017-08-03 09:46 | ベラルーシ | Comments(2)

ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ訪問記(2017/7/14-22)(1)

7月14日から「ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ3ヶ国周遊9日間」のツアーに参加しました。
旅行社は阪急交通社で、添乗員はTさん、キャリアはアエロフロート。
メンバーは14名で、ハードな旅行愛好家が多かったようです。
このツアーのキャッチコピーが「あなたの地図の空白を埋めてみませんか」でした。
下にヨーロッパ全体の地図と、この三国周辺を拡大した地図を掲載します。
確かに周辺の国々については訪れていますが、この三国だけは空白でした。この言葉にコロッと騙されてゆく気になったというが本音です。
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上の地図を見て改めて感じるのは、特にベラルーシとウクライナは西側諸国とロシアとの結節点となっていることです。
この事が、両国が度々大きな戦乱に巻き込まれ多大な惨禍を被る原因となりました。そして、それは今も続いています。
三国に共通しているのはソ連崩壊を機に独立を果たし、社会主義から自由経済体制に移行したという点です(厳密にいえば、ベラルーシだけは少し事情が異なる)。
独立にいたる経緯などの理由から三国のロシアとの関係は一様ではありません。
最もロシアと親しい関係にあったベラルーシですが、今は少し距離を置いており、むしろ中国との関係の力を注いでいるようです。
ウクライナは旧ソ連にかわる組織としてロシアが主導したCIS(独立国家共同体)の創立メンバーでしたが、政権が親欧州色を強める中でロシアとの関係が悪化し、とりわけクリミア半島のロシアへの編入をめぐって戦争状態をなっています(現在は一時停戦)。
モルドバは歴史的に隣国ルーマニアとの関係が深いのですが、これを嫌う親ロシア系住民らが国内に沿ドニエストルという国を作り、事実上の独立状態になっています。国際的は独立国として認められたいませんが、モルドバの実効支配は及んでいません。従ってこの国を加えれば、今回の訪問国は4ヶ国になります。

路程は7月14日成田発12時のSU-0261便でモスクワを経由し、トランジットでベラルーシの首都ミンスクに向かいます。
アエロフロートのビジネスクラスは初めてでしたが、座席がフラットな状態にリクライニングできる以外は特色のないものでした。機内での映画や音楽などエンターテイメントは使わないので性能は分かりません。
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CAは全員ロシア人のようで日本語は通じません。食事のメニューだけは日本語のものが添付されていました。
和食と洋食から選べるようになっていて、洋食を選んだんですが前菜は和食が出てきました。私のヒヤリングの問題かも。
前菜。
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サラダ。
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スープ。
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メインはステーキ。アルコールはシーバスのストレート一本やりです。
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冷菓。
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スイーツ。
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機内食は質量ともにかなり充実していました。
所要時間10時間ほどでモスクワに到着。時差は6時間で、これはこの後の三国も同じです。
モスクワで入国手続きを行い、現地19時35分発SU-1832便でミンスクに向ないます。
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by kanekatu | 2017-08-01 17:52 | ベラルーシ | Comments(2)

憂きな中にも旅の空


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