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パキスタン見聞録(16)ロータス砦(最終回)

最終日は終日イスラマバードということで市内観光を期待していましたが、ガイドの説明によると要人の官邸や議事堂など政府機関への観光が制限されているとのこと。
イスラマバードは首都を置くために計画都市で、碁盤目の道路にそって沢山の区画が整然と並んでいる設計です。
空港も鉄道駅も市内にはなく、隣のラーワンピンディにあります。
緑が多いし、三輪タクシーは市内への乗りいれ禁止。テコトラの姿も見えず、およそパキスタンらしからぬ風景です。
3棟の超高層ビルが立ち並ぶ市内の風景。
右のバイクの人がいなければパキスタンとは思えない。
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シャー・ファイサル・モスクはサウディアラビアのファイサル国王の資金援助によって建てられた巨大なモスクで、四隅に立つミナールの高さは90mあります。
収容人員はモスク内部だけで1万5千人、敷地全体では10万人。
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ロータス砦(ロータス・フォート)は、ムガール帝国の第2皇帝フマユーンに勝利したアフガンの英雄シェール・シャーによって建設された要塞です。周囲は約4キロメートルに達し、パシュトゥーン建築とヒンドゥー建築の両様式が絶妙に融合した最初の事例になります。
30万人の労働者によって、1540年から10年かけて完成となりました。その時シェール・シャー・スーリは既に亡くなっており、フマユーンの反撃によって滅ぼされてしまい、ムガール帝国が再び復活して第3代皇帝アクバルが継承しました。
難攻不落といわれた城塞はついに一度も戦わうことなく、そのままになっています。
またシェール・シャーは、アフガニスタンのカブールからカイバル峠を越え、ラホールを通り、アーグラまで通じるGTロード(グランド・トランス・ロード)を造ったことでも知られています。私たちもGTロードを通ってロータス砦に来ました。
世界遺産。
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ロータス砦の中で最も有名なゲートはソハリ門です。
21.34メートルの高さ、幅20.73メートル、奥行き15メートルあり、中央のアーチ部は4.72メートルの幅があります。ソヘール門には、内部・外部ともに質素ながらも美しいヒマワリをモチーフにした装飾が施されている。
中央部のアーチ部の両側にバルコニーが設けられているのが最大の特長です。
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門の脇にある城壁です。
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城壁の上に立つと、いかに堅固な造りかが分かります。
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反対側に見える城壁は2㎞先です。
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ロータス砦で特筆すべきは内部に村があることです。世界遺産の中に人が住み生活しているのは極めて珍しい。
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立派な家が立ち並んでいました。
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皇帝フマユーンがイランから連れてきた熟練工の末裔らしいのですが、自分たちは王様の許可を得て代々ここにいるので、住む権利があると主張しているようです。
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500戸、2000人ほどの人たちが暮らしていて、店舗もあります。
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ロータス砦には3か所の階段井戸があります。3万人の兵士を養うためには大きな井戸が必要だたのです。
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井戸の階段は148段あり、深さは石灰石層にまで達しています。
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井戸の大きさが分かります。
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シャー・チャンドワーリー門は二重構造で、幅13.3メートル、奥行き8.23メートル、中央のアーチ部は幅3.66メートル。
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大臣マン・シングの宮殿、王に代わりマン・シング大臣がここに詰めていました。
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その近くにある大臣の妻の宮殿。どちらも元々はもっと大きな建物でしたが、今は一部しか残っていません。
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改めて、城壁の大きさを感じます。
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処刑場跡で、遺体はこの穴に落としたようです。
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最後の観光であるロータス砦を出発、夕食レストランに向かいます。

今回のツアーではショッピングの時間が無かったので、途中スーパーマーケットに立ち寄り、まとめて買い物。
手前にはカラオケ店もあります。
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最後の夕食は日本料理で、魚の天ぷらが出ました。
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バスの走行距離は合計で2400㎞。
結構ハードな旅行でしたが、一人の病人も怪我人もなく完走でしたのが何よりです。
パキスタンではどこでも気軽に声がかけられ、とても気持ちの良い旅ができました。
インダス文明を始めとする各種遺跡群はいずれも素晴らしく、期待以上でした。
ただ、私たちが観光したラホール市内で、3日後に大きな自爆テロが起きて100人近い死傷者が出てしまいました。
この国が平和で安全になり、多くの人々が安心して観光に来られる日が一日も早く訪れることを心から願っています。

最後までこの連載にお付き合い頂いた方々に感謝します
(終り)


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by kanekatu | 2017-03-26 17:02 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(15)ケウラ岩塩鉱山、デコトラ

ラホールを後にして、バスは最終観光地であるイスラマバードに向かいます。
飾りのついた結婚式に向かう車。
結婚には花婿側が花嫁側のお金を渡さねばならないそうで、独身男性は貯金が要るんです。
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イスラマバードに近づくにつれ洒落た店が目に付くようになります。
下の店は、いずれも日本でいえばサービスエリアの店舗に相当します。
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ケウラ岩塩鉱山に到着。
ケウラ岩塩鉱山は、イスラマバードから160㎞に位置しています。紀元前326年にアレキサンダー大王の軍馬がここを舐めたことにより岩塩鉱山の発見につながったという伝説があります。長さ300㎞、幅8-30kmに及ぶ岩塩山脈の中心地です。
岩塩鉱山の規模としてはポーランドのヴィエリチカ岩塩坑に次いで世界第2位。
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トロッコに乗って鉱山の中へ。
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岩塩鉱山はポーランドで経験ずみですが、グレーの壁が延々と続き、写真で表現するのは難しいんです。
いきおい見せる側も、塩を成形したものにカラーのライティングをして楽しませるという手法をとります。
塩のベンチ。
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岩に沁み込んだ水分によって塩分が溶け出し徐々に下がってゆく、鍾乳洞と同様の現象が岩塩でも起きています。
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塩のパキスタン・タワー。
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ケウラ鉱山を後にして、夕方イスラマバードに到着。
夕食は地方料理で、鍋焼き風ケバブ。
この夜が、パキスタンでの最後の宿泊となります。
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さて、パキスタン名物には、デコレーション・トラック略して「デコトラ」があります。バスなら「デコバス」になります。
とにかく派手な装飾で飾るというのが特長です。
それからもう一つは、信じがたいほどの過積載。まるで荷物が独りで走っているかのようです。
そのいくつかを紹介しましょう。
デコバス。
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デコバスの後ろの装飾。鳥が羽を広げたような形です。
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飼料用の枯草を運ぶトラクターを後ろから撮影したもの。
上に乗っかるためのハシゴが付いています。
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前から見るとこんな具合。
デコレーションでトラクター本体が見えなくなっています。
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子供たちが乗るマイクロバス。車内とあわせて一体何人乗っているんでしょう。
口にしているのは、隣のトラックに積んでいるサトウキビを失敬したもの。噛むと甘い汁が出てくるんです。
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小型三輪を後ろからも乗れるように改造したんでしょう。でも、ちょっと怖いな。
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これもデコトラ。
時には車体より装飾の方が高いというトラックもあるそうです。
ドライバーたちはしばらく家族を離れて稼ぐことも多く、トラックは家族同様と考えているそうです。
派手な装飾の方が、仕事も増えるという実利的な理由もあるとか。
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長距離バスのフロントですが、窓ガラスにあんなに装飾して危なくないんでしょうか。
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横から見たもので、車体の屋根には乗客の荷物が積載されています。
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装飾品の店です。
装飾にも地方色があって、ガイドによると装飾を見ただけでどこの地方のトラックか分かるそうです。
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パキスタンの旅行記も残すところあと1回になりました。
もう少しで完走。


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by kanekatu | 2017-03-24 17:18 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(14)ラホール博物館

パキスタンの旅もそろそろ終わりに近づいてきました。連載も今回を含めあと3回の予定です。
ラホール博物館は1864年に開館したパキスタン最古最大の博物館。ガンダーラ仏教美術のほか,インダス文明の遺物,バラモン,ジャイナ,イスラム,ヒンドゥー教の遺物,チベットとネパールの美術工芸品,現代の美術工芸品,現代史料,貨幣などを収蔵しています。
今回はガンダーラ美術を中心に見学しました。
建物の外観。
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ホール。
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展示品の紹介前にガンダーラ、ガンダーラ美術について、社会科の教科書に書かれている内容を引用します。
【ガンダーラ/ガンダーラ美術】
インドの西北、インダス川上流域にあるガンダーラ地方は、クシャーナ朝時代に仏教美術が栄える。一般にヘレニズムの影響を受けてここから仏像が出現したとされている。
【ガンダーラ地方】
ガンダーラ地方はインドの西北、インダス川の上流域のパンジャーブ地方に属する。現在は大部分がパキスタンの領土となっている。西にカイバル峠を経てアフガニスタンに通じ、東にはインドの中心部デリー、さらにガンジス川流域に通じる。南にはパンジャーブの肥沃な平原が広がり、さらに南下すればシンドの地となる。このようにガンダーラ地方は古来東西交通の要衝として重要な地域であり、さまざまな民族が興亡し、多くの文化の影響を受ける地域であった。アケメネス朝ペルシアの一州ともなったが、前4世紀にアレクサンドロス大王がペルシア帝国を滅ぼし、さらにこの地に侵入し、ギリシア文化(ヘレニズム)が伝えられることになった。紀元後1世紀にこの地のプルシャプラを都としてクシャーナ朝が成立し、カニシカ王が篤く仏教を保護したので、この地にヘレニズムと仏教が融合したガンダーラ美術が成立することとなった。
【ガンダーラ美術】
1世紀頃から3世紀頃にかけて、クシャーナ朝時代のインドの西北、ガンダーラ地方とタキシラで開花した仏教美術。本来仏教は偶像崇拝ではないので、ブッダを彫像で表すことはなかった。ところが、クシャーナ朝はイラン系の民族が造った王朝であり、バクトリアから起こった国であったのでヘレニズムの影響を受け、ギリシア彫刻を模して仏像を造るようになった。ガンダーラ仏はギリシア彫刻の影響を受けているが、4世紀のグプタ朝時代になると次第にヘレニズムの影響を脱して、インド独自の様式であるグプタ様式が成立する。
仏教は偶像崇拝を認めていなかったので仏像というのは元々なかったのです。それがヘレニズム(ギリシア文化)の影響でギリシア彫刻を模して仏像が造られるようになったのがガンダーラ美術ということです。
日本の仏教でいえば、仏像が無いというのは考えにくいわけですから、ガンダーラの影響大です。
最初に釈迦の誕生から入滅までを描いたレリーフが数点、展示されています。
摩耶夫人(マーヤー)の右の脇腹から仏陀が産まれる場面。
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修業する仏陀。
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瞑想する仏陀。
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悟りを開いた仏陀。
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仏陀の涅槃像。
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そしてこの博物館で最も有名な「釈迦苦行像」「断食仏陀」「断食するシッダルタ」(シクリ出土、制作は2~3世紀)です。
痩せ細った身体に浮きでた血管や骨が印象的です。 
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眼光鋭い表情から、並々ならぬ決意を感じます。頭髪や髭などの細かな細工に感心します。
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説教する仏陀。顔がヨーロッパ風です。
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菩薩像ですが、髭に逞しい身体と、私たちが描くイメージとはだいぶ違います。
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小さな仏像4体。衣の襞の曲線が美しい。
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仏教の悪神ですが、やはり欧風です。
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素焼きの仏頭。
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これは女神像。
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女性像。
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これからの6点は仏像とは無関係のようです。西洋美術を思わせる作品もありますね。
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ラホール博物館はガンダーラ美術関係だけの見学でしたが、見応えがありました。
ガンダーラ美術品に関してはペシャワールの博物館が最も充実しているそうですが、現在は行くことが出来ません。あの地域が一日も早く安全になるのを願うばかりです。


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by kanekatu | 2017-03-22 09:44 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(13)シャリマール庭園、フラッグ・セレモニー

バスの車窓から見たラホール市内の風景。
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こうした近代的な建物も多い。
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これも又パキスタンらしいです。
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映画館の看板。パキスタンでも映画が作られていますが、ガイドによればインドの映画の方が面白いとか。
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シャリマール庭園は、ムガール帝国の第5代皇帝シャージャハーンにより、1642年に王族の保養地として造られた庭園です。
世界遺産です。
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3段式の構造になっていて、ここが最上段の庭園。ペルシア式で左右対称です。中央奥の建物は小宮殿。
残念ながらデング熱の影響で水が抜かれていました。
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中段の中央には大きな池があります。
右下の白い長方形は玉座で、中央奥に見えるのは最下段の庭園です。
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左端の赤い建物はパビリオン。右にも同じものが建っています。
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中段に降りてみました。
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池の反対側から見た小宮殿で、斜めに見えるのは滝です。
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この庭園の最大の特長は、運河から運んできた水を段差を利用して自然の圧力で噴水を噴出させる技術です。今回は水が抜かれていて、肝心の噴水や滝の光景が見られません。
皇帝が夢にまで見たという天国の風景が再現されていたらと、この点はとても残念でした。



ラホールから東へバスで約1時間、インドとの国境ワガに到着。
ここでは毎日フラッグ・セレモニー(国境閉鎖式)が行われていて、それを見学するという趣向です。
駐車場からトロッコで会場に向かいます。
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以前にこの会場でテロがあり、空港と同様の保安検査がありました。
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会場に着くと、パキスタンの国旗を掲げた人が高速スピンをすると観客は大声援を送っていました。
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正面のゲートがインド/パキスタン国境で、手前側ではリーダーが「パキスタン!」と呼びかけると観衆が「ジンダバード(万歳)!」と応じます。私たちも唱和に加わりました。
同じ事をインド側でも行っている様子です。
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パキスタンの兵士が隊列を組んで足を高々と上げながら行進してくると、会場は最高の盛り上がりになります。
レインジャー部隊の中でも身長が2m級の選りすぐりの兵士とのこと。
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この時間だけ国境ゲートが開かれます。
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両軍の兵士によって国旗が降ろされます。。
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国旗を先頭に兵士が隊列を組んで戻ります。
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再び国境ゲートが閉じられ、セレモニーは終了。
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インド/パキスタン間では再三戦闘が繰り返されてきましたが、現在は友好関係にあるようです。
その友好の証としてセレモニーが行われていますが、愛国心高揚の意図も感じました。
観客席にいると、何となく阪神タイガースの応援席にいるような気分になりました。ノリは一緒ですね。
珍しい体験ができて、面白かった。


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by kanekatu | 2017-03-20 18:31 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(12)ラホール城

ラホール城は最古の建築物と言われていて、初期の築城は11世紀にさかのぼります。当初は日干しレンガだったようですが、11世紀にムガール帝国の3代皇帝アクバルがラホールを都として、新たな城を建てました。
世界遺産です。
内部には王族の宮殿、謁見所、女王の宮殿シューシュ・マハル(鏡の間)があり、往時の栄光が偲ばれます。
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シャー・バージ・ゲートの見事な装飾。
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裏門から中に入ります。
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坂を上がるとバードシャーヒ・モスクが見えています。
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かつては皇帝の宮殿だった様ですが、今はかなり荒れ果てた感じです。
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女性のための宮殿と呼ばれているそうです。2階は物見台。
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女性たちはここから外の景色を見ていた。
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ラホール城の最大の見物は鏡の宮殿です。城の建築費のかなりの部分がこの鏡の宮殿に充てられたとのこと。
鏡の宮殿「シーシュ・マハル」は、17世紀にムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、愛妃ムムターズの居間として建てたものです。保存状態が良く、ムガール帝国の栄光を実感できます。
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そう言えば、タージ・マハルも皇帝シャージャハーンがムムターズのために建てたものでした。彼女は随分と皇帝にお金を使わせたんですね。その後の帝国の命運を考えると、「傾城の美女」だったかも。
とにかく豪華です。
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宝石を使った細かな象嵌細工。
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壁面は眩いばかりです。
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天井は下から光をあてるとキラキラと輝きます。
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床も大理石を使った模様が描かれています。
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壁面のフレスコ画。何かの物語を描いているのでしょうか。
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皇帝が高官と会うための特別謁見室。
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皇帝の庭園。
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謁見所で、多数の人が入れるような広さになっています。
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謁見所の内部。
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謁見所の前にある大砲に乗って遊ぶ女児。
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見学に来ていた女生徒と記念撮影。
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ラホール市内の風景。
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ラホール市では公共交通機関の建設が進んでいます。左に見える橋脚は、市内を結ぶメトロバスのもの。
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夕食には珍しく魚のフライが出ました。
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by kanekatu | 2017-03-18 17:17 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(11)バードシャーヒ・モスク

ラホールはパンジャーブ州の州都であり、パキスタン第2の都市です。人口は約1500万人。
7世紀に玄奘三蔵もラホールについて記述しています。
11世紀にはアフガニスタンのトルコ系イスラム王朝がラホールに首都を置きました。
14世紀以後にはムガール帝国の学問と芸術の中心になる。ムガール帝国が崩壊すすとシーク教徒が勢力を拡げ、19世紀からイギリスの統治下に入ります。
宿泊したラホールのホスピタリティインの入口には、こうした武装警備員が配置されています。
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朝の通勤ラッシュで、道路も渋滞。
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玉ねぎの様なドームはシーク教の寺院。
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ラホール城の城門で、ここをくぐると最初の観光地バードシャーヒ・モスクに到着。
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ここが入り口で、靴を脱いで中に入ります。
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バードシャーヒ・モスクはムガール朝第6代皇帝アラウングーブが1672年の建立した金
曜モスク。四隅に立つミナレットの高さは50mで、一度の10万人を収容できるモスクとしては世界最大規模です。
礼拝堂は3つの大きなドームを持ち、四隅にはミナレットを配しています。
形も美しい。
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建築に使われた赤砂岩は、インドのジャイプールから運ばれたもの。
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大理石を埋め込んだ細かな細工が施されています。
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礼拝堂の入口の天井部分。
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内部は大理石造りで、日中でも涼しく感じます。
礼拝堂のミフラーブ。
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大理石にも細かな模様が施されています。
アナログとデジタルの時計で礼拝の時間を示しています。
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天井のアラベスク模様。
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ミナレットと回廊。
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サイドから見たモスク。
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回廊から見えたラホールのランドマークであるパキスタンタワー。
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私たちは一般にイスラム教と呼んでいますが、実際には細かな宗派に分かれています。主な宗派・学派だけでも30以上あり、ガイドによれば70位に分かれているとのことでした。
シーア派、スンニ派という言い方もしていますが、それは大きな分け方でしかありません。
シーア派というと過激な印象ですが、パキスタンのフンザ地方ではシーア派のイスマイル派が多いそうで、ガイド二人もそうでした。
彼らによればイスマイル派では礼拝は日に3度、礼拝を呼び掛けるアザーンは無し、ラマダン(絶食)もないそうです。ジハードは否定。
そしてコーランを忠実に解釈すれば、これが正しいのだと言います。
別の宗派に行けば、また解釈が変わります。
女性の服装にしても、同じムスリムでも国や地方によっても全く違います。概して都市部に行くと規制は緩やかで、年が若いほど着ているものも華やかです。
中央アジアのトルクメニスタンでは、レストランの女店員がミニスカートだったので驚きました。スカーフを被らない女性が多数でした。
当り前のことですが、イスラムということで何でも一括りにするのは間違いです。

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by kanekatu | 2017-03-16 11:00 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(10)ハラッパ

現地ガイドのサリヌさんと添乗員Mさん。サリヌさんは日本映画のロケをフンザで行った時に俳優やスタッフの通訳をしたら、映画にも出られたそうです。よっ、色男!
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ムルタンからラホールの間は鉄道が通っています。
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この線路の敷設のために、ハラッパ遺跡から大量の資材が運び出されてしまいました。
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パキスタンの建築資材の多くは焼きレンガなので、こうしたレンガ焼成工場は沢山あります。
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遺跡の近くの公演で、少年たちがクリケットをしていました。この後、彼らは私たちが遺跡見学を終えるのを待っていて、一緒に記念撮影したり、臨時のサイン会をしたりと、歓迎を受けました。
パキスタンではクリケットが最も人気のあるスポーツで、国際大会で優勝したことがあるそうです。
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ハラッパの遺跡は既に19世紀には発掘されていました、当時は何の遺跡か分からなかった。その後、1922年になってモヘンジョダロを発掘したR・D・バナルジーによる数次の調査によってインダス文明との関係が明らかになりました。
その後も調査は繰り返し行われ、インダス式土器一式のほか印章や、紅玉髄を始めとする各種貴石製ビーズ類が出土しています。
このため、インダス文明の別名としてハラッパ文化という名称も使われています。
ハラッパでは紀元前3300年~同1700年前後にわたって、居住が確認されています。
惜しまれることに、遺跡の焼きレンガなどが鉄道敷設の資材などに使われてしまい、遺跡全体の保存状態は非常に悪いのです。
現在も周辺住民が遺跡の近くに墓地を作り、それも年々拡大し遺跡にも一部入り込んできている状況です。阻止するために壁がようやく作り始めたという段階で、まだまだ文化遺産を守ろうという意識は低いようです。
この辺りは墓地だったらしい。
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ハラッパ遺跡の中心部にあたる城塞部。奥に見える壁は新しく造られたもの。
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城塞部で、中央に城壁の一部が残っています。
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井戸。
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蓋が付いている排水溝。
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手前が井戸で、左奥がゴミ箱。
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16世紀に建てられたムガール帝国時代のモスク。
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市街地で、この辺りに一般庶民が住んでいたらしい。
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同じ大きさの部屋が並んでいるので住居ではと推定されているらしいが、少し小さすぎでは。
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穀物倉庫。
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穀物の脱穀所として使われていたようです。
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溶鉱炉。金属を溶かす技術があったということでしょう。
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正直、ガイドの説明でそうなのかと思うだけで、それぞれがどの役割を果していたのは良く分からなかったというのが本音です。
それだけ保存状態が悪いという事です。
数少ないインダス文明の遺跡なので、貴重な遺産を守ることにもっと本腰を入れて欲しいものです。
付属の博物館を見学しましたが、特に印象の残る展示物はなかったと思いました。
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出口で出会った母子。ママの手にはスマホが。パキスタンでもスマホを持っている人を頻繁に見かけました。
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バスは一路ラホールに向かい、夕方ラホールのホテル、ホスピタリティインに到着。
ここも良いホテルでした。
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夕食はメインが串焼き。
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デザートは甜瓜でしょう。
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by kanekatu | 2017-03-14 09:34 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(9)ムルタン

朝バハワルプールを出発し、昼にムルタンの街に到着。ホテルにチェックインし昼食を食べてから観光です。
ムルタンは大きな街で、ピザ店もありました。
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昼食もこれまでより料理が洗練された印象です。
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宿泊のラマダホテル、パキスタンに来て初めて良いホテルに泊まれました。参加者の中には「3日ぶりにお湯が出て幸せ!」なんて人も。ベッドが清潔で、お湯のシャワーが浴びられ、トイレの水洗が使える。これだけで何も言う事はありません。
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ムルタンはインダス川の二つの支流に挟まれた平原にある都市で、歴史はインダス文明の時代に遡るといわれています。パキスタン第4の都市。
シャー・ルクネ・アーラムは、13世紀にイスラム教を広めた偉大な聖人を祀った聖者廟で、その偉大さから「世界の柱」の名が冠されています。
名前通りの風格のある立派な建物です。
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八角形で角に塔が立っている構造で、少しピンクがかった基調色と青色タイルの細かな装飾とが反映し合って、豪華ながら落ち着いた感じを出しています。
人の身長と比べて建物の大きさが分かるでしょう。
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聖者廟の中に安置されている聖者の棺の周囲には沢山の信者がお参りしていました。
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ハトが多いのは餌をまいて呼び寄せているからです。
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信者がこの壁に頭を押し付けてお祈りするため、壁の色が変わっています。
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廟から見たムルタン市内の様子。
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小さな聖者廟は他の聖人のものでしょうか。
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聖者廟の外にはモスクがあります。
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直ぐ近くにあるバハー・ウル・ハックは、シャー・ルクネ・アーラムの聖人の祖父を祀った聖者廟です。
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外へ出て、お参りに来ていた女性と記念撮影。姉妹のようでした。服装がカラフルですね。
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少し歩いた所にあるのはシャー・シャムズ・タブレーズ聖者廟で、イランからアフガンを経てこの地に来てイスラム教を布教したスーフィを祀ったものです。
入口に黒い旗が掲げられているのは、シーア派のしるしです。
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内部に安置されたシャー・シャムズ・タブレーズの棺。
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ドーム天井の美しい装飾。
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ここで聖者廟見学を終えて、ムルタンのバザールの中を歩きました。
結婚式用の衣服を売る店。
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選挙ポスターが見えますが、パキスタンでは来年が総選挙で運動も活発化しているようです。既存政党以外の候補者が人気を集めているとか。
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香辛料の店、数十種類が売られています。
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夕食はケバブがメインで、生野菜とカレーとナンとチャーハン。どれも美味でした。
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by kanekatu | 2017-03-12 10:08 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(8)ウチ・シャリフ

この日が観光5日目、中日です。
ここまでの観光地はシンド州でしたが、州境を越えてここからはパンジャーブ州に入ります。パンジャーブ州はシンド州に比べ経済的に豊かだそうですが、見た目で最も気が付くのは車が車線を守って走行していることです。カメラでの監視もあり、警察車両が罰金納付用の銀行車両を伴って道端に停車しているのが目に付きます。
リキシャーは三輪タクシーのことで、庶民の足です。分乗すれば一人数十円の料金だそうで、確かに安い。
インドで一度乗ったことがありますが、座席が板製で固く、おまけに道路が凸凹なのでお尻が痛くて、とても長い距離は乗っていられません。
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こうした高層アパートも建築が進んでいるようです。
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しかし、一般庶民の住宅事情はかなり厳しいようです。
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ガソリンスタンドで給油中の、お馴染みのサトウキビを運搬するトラクターを見つけました。スゴイ荷物の量です。
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運転席の上に簡易ベッドが備え付けていて、ここで寝泊まりします。
前に記したように、工場へ入庫するのに数日間、時には20日間も道路で待たされるので、その間はトラクターで生活するこになります。
うっかりトラクターを離れると荷物ごと盗まれることがあるので、目が離せないのです。
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昼食のレストランで、ナンを焼いているのを見つけました。
小麦粉と塩、水、酵母を主材料とし練って団子状にしてから、タンドゥールという窯の内側に張り付けて焼きます。材料には砂糖や香辛料、玉子などを加えることもあり、店ごとに味が違います。
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バイクの父子、坊やが眠そうです。
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サトウキビから黒砂糖を作っている人たち。サトウキビを圧縮して液体を絞り出し、後は大きな鍋で煮詰めるだけ。完全な手工業です。
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私たちがサトウキビの工程を見学していたら、学校帰りの子どもたちが私たちを見学するために集まってきました。
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観光はウチ・シャリフのビービー・ジャヴィンディ。
ウチ・シャリフは紀元前4世紀にアレキサンダー大王が建設した街です。
13世紀ごろからこの地にもイスラム教の布教のために聖者がやってきました。その関係から多くのダルガー(聖者廟)が建てられました。
ビービー・ジャヴィンディは女性の聖者で、このダルガーは15世紀のものです。
白く輝く優雅な建物は、女性の聖者廟にふさわしい建築だと言えましょう。
八角形でコーナーには塔が置かれています。
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実に残念なことに、19世紀の近くの川の氾濫で半分近くが完全に破壊されてしまいました。
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現在、修復工事が行われていますが、完全に直るまでにはかなりの時間が掛かりそうです。
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塔の装飾を見ると精巧な技術が駆使されている事が分かります。溜息がでるような美しさです。
ハトが彫刻されていますが、イスラムの寺院ではハトをとても大事にしています。
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同じ場所には、他に二つのダルガーがあります。ほぼ同時期に建てられたものの様ですが破壊の程度はさらにひどい。
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内側の様子。
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完全に修復が終われば、ここも世界遺産に登録されるのでしょう。
私たちを見物するために集まった子供たち。皆、利口そうな顔をしています。
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ここからバスでバハワルプールに向かいます。
途中の風景で、家の前に洗濯物を干しています。ゴミは処分されず、家の前の道路に捨てていますので、衛生的とはいえません。
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衣服を売っている店ですが、商品は相当ホコリをかぶっているでしょう。
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バザールは夕方の人出で混みあっていました。
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パキスタンでは宗教上のこともあって、男女ともほぼ全員が結婚しています。結婚は親の承諾が必要で、本人同士が勝手に決めることは難しい。離婚は極めて稀。子どもは都市部では3人ぐらい、地方ではもっと多いそうです。
会社の就業時間は9時から17時までが標準的で、残業はしない。いい事です。

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by kanekatu | 2017-03-10 09:36 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(7)コート・ディジ

モヘンジョダロ遺跡の観光を終えて、昼食を挟んでコート・ディジに移動。本来なら1時間程度で行ける距離ですが、サトウキビ渋滞に遭遇し、予想以上に時間がかかりました。
先ずは、途中の街の風景から。
イスラムなので豚は食べませんが、牛はカレーでお馴染みです。
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パキスタンでは馬車より驢馬車が多く見られました。
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ロバの群れを追う人々。
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鉄道の線路。なんか侘しい光景に見えます。
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バザールの賑わいで、混沌とした感じがいいですね。
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コート・ディジの観光は2か所で、城砦と遺丘です。
コート・ディジ城砦は19世紀にシンド地方を支配していたタルプール王国の王が築いたものです。当初は王国内部の争いのため、後年はイギリスとの戦闘に備えたものでしたが、王国がイギリスの支配を受け容れたため砦は使わずに終わりました。
城砦は巨大です。
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手前に3つ並んだドーム型の建物は穀物倉庫。
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城砦は焼きレンガ造り。
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手前の四角い箱は水槽。城壁が大きく広がっているのが分かります。
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王様の宮殿ですが、戦闘のない時はここから離れた場所にある宮殿で生活していたそうで、結局一度もここは使われなかったことになります。
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所々、装飾が残っています。
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正面奥に見えるのは裁判所。
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裁判所から見た城砦の光景。
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さらに上から見た裁判所。
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この城砦で驚くのは、王様の子孫である個人が所有していることです。そのためでしょうか、手入れや補修が全くされず放置状態です。
観光資源として残しておきたいのなら、パキスタン政府としても手を打つ必要があるでしょう。


もう1ヶ所の遺丘は直ぐ近くにあります。
こちらはインダス文明が起きる以前にあったと見られる集落跡で、当時の住居の一部などが発見されているようです。発掘した土器にモヘンジョダロ遺跡のものとの共通点もあるとのこと。
遺丘の全景。
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出土品から、この辺りが上流階級の住居があったようです。
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今はただもう土の塊にしか見えません。
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遺丘から見たコート・ディジ城砦の全景。
気が付いたら、山羊の群れに囲まれていました。
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観光と食事が終わってホテルに戻ったのですが、サッカルのホテルには皆さん苦労してました。
全体に清潔感がなく、バスタオルは備えつがありましたがフェイスタオルが無い。これは事前に情報を知らされていたので、日本から用意して行きました。
バスルールには同じ床に便器と、蛇口と切り替えのシャワーが並んで据えてあります。もちろんバスタブは無し。蛇口の下には大き目のバケツと手桶。
先ず、蛇口を開くと水が出てきて、しばらくするとお湯が出てくればシャワーに切り替えるのですが、このお湯がなかなか出て来ない。幸い私の部屋はお湯が出ましたが、他の大半の部屋は最後まで水しか出なかったようです。
そうなると寒くて水シャワーは使えないので、バケツに貯めた水でタオルを使って身体を拭くことになります。日中は汗をかいて埃まみれになるので、シャワーが使えないのは辛い。
モヘンジョダロ観光の拠点はサッカルですが、私たちが泊まれる様なホテルはここ1軒しかなく、しかもこの2日間(連泊でした)は私たちだけで満室なので、部屋を替えて貰うことが出来ません。
お湯が出なかったのと、部屋が寒かったことで風邪気味になった人も出て、ここの宿泊施設だけは頭が痛いところです。


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by kanekatu | 2017-03-07 09:49 | パキスタン | Comments(2)

憂きな中にも旅の空


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