パキスタン見聞録(9)ムルタン

朝バハワルプールを出発し、昼にムルタンの街に到着。ホテルにチェックインし昼食を食べてから観光です。
ムルタンは大きな街で、ピザ店もありました。
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昼食もこれまでより料理が洗練された印象です。
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宿泊のラマダホテル、パキスタンに来て初めて良いホテルに泊まれました。参加者の中には「3日ぶりにお湯が出て幸せ!」なんて人も。ベッドが清潔で、お湯のシャワーが浴びられ、トイレの水洗が使える。これだけで何も言う事はありません。
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ムルタンはインダス川の二つの支流に挟まれた平原にある都市で、歴史はインダス文明の時代に遡るといわれています。パキスタン第4の都市。
シャー・ルクネ・アーラムは、13世紀にイスラム教を広めた偉大な聖人を祀った聖者廟で、その偉大さから「世界の柱」の名が冠されています。
名前通りの風格のある立派な建物です。
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八角形で角に塔が立っている構造で、少しピンクがかった基調色と青色タイルの細かな装飾とが反映し合って、豪華ながら落ち着いた感じを出しています。
人の身長と比べて建物の大きさが分かるでしょう。
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聖者廟の中に安置されている聖者の棺の周囲には沢山の信者がお参りしていました。
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ハトが多いのは餌をまいて呼び寄せているからです。
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信者がこの壁に頭を押し付けてお祈りするため、壁の色が変わっています。
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廟から見たムルタン市内の様子。
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小さな聖者廟は他の聖人のものでしょうか。
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聖者廟の外にはモスクがあります。
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直ぐ近くにあるバハー・ウル・ハックは、シャー・ルクネ・アーラムの聖人の祖父を祀った聖者廟です。
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外へ出て、お参りに来ていた女性と記念撮影。姉妹のようでした。服装がカラフルですね。
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少し歩いた所にあるのはシャー・シャムズ・タブレーズ聖者廟で、イランからアフガンを経てこの地に来てイスラム教を布教したスーフィを祀ったものです。
入口に黒い旗が掲げられているのは、シーア派のしるしです。
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内部に安置されたシャー・シャムズ・タブレーズの棺。
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ドーム天井の美しい装飾。
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ここで聖者廟見学を終えて、ムルタンのバザールの中を歩きました。
結婚式用の衣服を売る店。
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選挙ポスターが見えますが、パキスタンでは来年が総選挙で運動も活発化しているようです。既存政党以外の候補者が人気を集めているとか。
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香辛料の店、数十種類が売られています。
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夕食はケバブがメインで、生野菜とカレーとナンとチャーハン。どれも美味でした。
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# by kanekatu | 2017-03-12 10:08 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(8)ウチ・シャリフ

この日が観光5日目、中日です。
ここまでの観光地はシンド州でしたが、州境を越えてここからはパンジャーブ州に入ります。パンジャーブ州はシンド州に比べ経済的に豊かだそうですが、見た目で最も気が付くのは車が車線を守って走行していることです。カメラでの監視もあり、警察車両が罰金納付用の銀行車両を伴って道端に停車しているのが目に付きます。
リキシャーは三輪タクシーのことで、庶民の足です。分乗すれば一人数十円の料金だそうで、確かに安い。
インドで一度乗ったことがありますが、座席が板製で固く、おまけに道路が凸凹なのでお尻が痛くて、とても長い距離は乗っていられません。
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こうした高層アパートも建築が進んでいるようです。
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しかし、一般庶民の住宅事情はかなり厳しいようです。
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ガソリンスタンドで給油中の、お馴染みのサトウキビを運搬するトラクターを見つけました。スゴイ荷物の量です。
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運転席の上に簡易ベッドが備え付けていて、ここで寝泊まりします。
前に記したように、工場へ入庫するのに数日間、時には20日間も道路で待たされるので、その間はトラクターで生活するこになります。
うっかりトラクターを離れると荷物ごと盗まれることがあるので、目が離せないのです。
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昼食のレストランで、ナンを焼いているのを見つけました。
小麦粉と塩、水、酵母を主材料とし練って団子状にしてから、タンドゥールという窯の内側に張り付けて焼きます。材料には砂糖や香辛料、玉子などを加えることもあり、店ごとに味が違います。
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バイクの父子、坊やが眠そうです。
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サトウキビから黒砂糖を作っている人たち。サトウキビを圧縮して液体を絞り出し、後は大きな鍋で煮詰めるだけ。完全な手工業です。
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私たちがサトウキビの工程を見学していたら、学校帰りの子どもたちが私たちを見学するために集まってきました。
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観光はウチ・シャリフのビービー・ジャヴィンディ。
ウチ・シャリフは紀元前4世紀にアレキサンダー大王が建設した街です。
13世紀ごろからこの地にもイスラム教の布教のために聖者がやってきました。その関係から多くのダルガー(聖者廟)が建てられました。
ビービー・ジャヴィンディは女性の聖者で、このダルガーは15世紀のものです。
白く輝く優雅な建物は、女性の聖者廟にふさわしい建築だと言えましょう。
八角形でコーナーには塔が置かれています。
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実に残念なことに、19世紀の近くの川の氾濫で半分近くが完全に破壊されてしまいました。
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現在、修復工事が行われていますが、完全に直るまでにはかなりの時間が掛かりそうです。
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塔の装飾を見ると精巧な技術が駆使されている事が分かります。溜息がでるような美しさです。
ハトが彫刻されていますが、イスラムの寺院ではハトをとても大事にしています。
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同じ場所には、他に二つのダルガーがあります。ほぼ同時期に建てられたものの様ですが破壊の程度はさらにひどい。
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内側の様子。
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完全に修復が終われば、ここも世界遺産に登録されるのでしょう。
私たちを見物するために集まった子供たち。皆、利口そうな顔をしています。
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ここからバスでバハワルプールに向かいます。
途中の風景で、家の前に洗濯物を干しています。ゴミは処分されず、家の前の道路に捨てていますので、衛生的とはいえません。
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衣服を売っている店ですが、商品は相当ホコリをかぶっているでしょう。
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バザールは夕方の人出で混みあっていました。
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パキスタンでは宗教上のこともあって、男女ともほぼ全員が結婚しています。結婚は親の承諾が必要で、本人同士が勝手に決めることは難しい。離婚は極めて稀。子どもは都市部では3人ぐらい、地方ではもっと多いそうです。
会社の就業時間は9時から17時までが標準的で、残業はしない。いい事です。

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# by kanekatu | 2017-03-10 09:36 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(7)コート・ディジ

モヘンジョダロ遺跡の観光を終えて、昼食を挟んでコート・ディジに移動。本来なら1時間程度で行ける距離ですが、サトウキビ渋滞に遭遇し、予想以上に時間がかかりました。
先ずは、途中の街の風景から。
イスラムなので豚は食べませんが、牛はカレーでお馴染みです。
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パキスタンでは馬車より驢馬車が多く見られました。
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ロバの群れを追う人々。
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鉄道の線路。なんか侘しい光景に見えます。
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バザールの賑わいで、混沌とした感じがいいですね。
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コート・ディジの観光は2か所で、城砦と遺丘です。
コート・ディジ城砦は19世紀にシンド地方を支配していたタルプール王国の王が築いたものです。当初は王国内部の争いのため、後年はイギリスとの戦闘に備えたものでしたが、王国がイギリスの支配を受け容れたため砦は使わずに終わりました。
城砦は巨大です。
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手前に3つ並んだドーム型の建物は穀物倉庫。
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城砦は焼きレンガ造り。
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手前の四角い箱は水槽。城壁が大きく広がっているのが分かります。
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王様の宮殿ですが、戦闘のない時はここから離れた場所にある宮殿で生活していたそうで、結局一度もここは使われなかったことになります。
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所々、装飾が残っています。
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正面奥に見えるのは裁判所。
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裁判所から見た城砦の光景。
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さらに上から見た裁判所。
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この城砦で驚くのは、王様の子孫である個人が所有していることです。そのためでしょうか、手入れや補修が全くされず放置状態です。
観光資源として残しておきたいのなら、パキスタン政府としても手を打つ必要があるでしょう。


もう1ヶ所の遺丘は直ぐ近くにあります。
こちらはインダス文明が起きる以前にあったと見られる集落跡で、当時の住居の一部などが発見されているようです。発掘した土器にモヘンジョダロ遺跡のものとの共通点もあるとのこと。
遺丘の全景。
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出土品から、この辺りが上流階級の住居があったようです。
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今はただもう土の塊にしか見えません。
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遺丘から見たコート・ディジ城砦の全景。
気が付いたら、山羊の群れに囲まれていました。
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観光と食事が終わってホテルに戻ったのですが、サッカルのホテルには皆さん苦労してました。
全体に清潔感がなく、バスタオルは備えつがありましたがフェイスタオルが無い。これは事前に情報を知らされていたので、日本から用意して行きました。
バスルールには同じ床に便器と、蛇口と切り替えのシャワーが並んで据えてあります。もちろんバスタブは無し。蛇口の下には大き目のバケツと手桶。
先ず、蛇口を開くと水が出てきて、しばらくするとお湯が出てくればシャワーに切り替えるのですが、このお湯がなかなか出て来ない。幸い私の部屋はお湯が出ましたが、他の大半の部屋は最後まで水しか出なかったようです。
そうなると寒くて水シャワーは使えないので、バケツに貯めた水でタオルを使って身体を拭くことになります。日中は汗をかいて埃まみれになるので、シャワーが使えないのは辛い。
モヘンジョダロ観光の拠点はサッカルですが、私たちが泊まれる様なホテルはここ1軒しかなく、しかもこの2日間(連泊でした)は私たちだけで満室なので、部屋を替えて貰うことが出来ません。
お湯が出なかったのと、部屋が寒かったことで風邪気味になった人も出て、ここの宿泊施設だけは頭が痛いところです。


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# by kanekatu | 2017-03-07 09:49 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(6)モヘンジョダロ

この日から私たちへの警備が強化され、バスの前後に1台づつ警察の車両がついて移動することになりました。
観光中も、周囲を銃を持った警官が警護していました。
ただ、パキスタンのテロは警察や軍隊を標的にする事が多いので、これは良し悪しですが。
サッカルをバスで出発し、間もなくインダス川が見えてきます。かなり大きな川です。
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モヘンジョ・ダロは現地の言葉で「死の丘」を意味し、かつては非常に古い時代の死者が眠る墳丘として、地元民から恐れられていました。
やがて丘のてっぺんで仏教のストゥーパ(仏塔)が発見されて、一体は仏教施設だと考えられていました。
1922年、インド考古調査局員であったインド人歴史学者R・D・バナルジーの発掘調査によって、絵や文字の書かれた印鑑、像、紅玉髄などが見つかり、インダス文明の遺跡であることが分かりました。
インダス文明は紀元前2700年前から約1000年にわたり栄えたとされ、世界四大文明の一つとして数えられています。
ただ、発見された文字が少なく解読できないので実態がつかめておらず、滅亡の原因も不明です。
遺跡は何ヶ所か見つかっていますが、規模はここが最大で、今回のツアー参加者の大半はここを見学するのを目的としていました。
入口にある「神官王」と呼ばれる胸像の大きな模型で、実物はカラチ博物館に展示されていましたが掌に乗るような小さなサイズです。これが神なのか王なのかというのも論争点の一つです。
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遺跡の全景。死の丘と見られていたのも分かる気がします。
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丘のてっぺんにあるストゥーパで、これは後世に建てられた仏教施設です。
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ただ、この遺跡の下に塩の層があり、地下水位の上昇による塩害が進行し続けています。写真のように、遺構の構成物である煉瓦が塩分を吸い上げて風化してゆく塩分砕屑現象が止まらないのです。このままだと数十年で遺跡が破壊してしまう危険性があり、早急な対策が求められています。
ガイドによれば、パキスタン政府は対策に消極的だそうで、こういう所にこそ日本の援助が必要ではないでしょうか。
何せ、人類共通の文化遺産なんですから。
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排水溝。
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ゴミ箱。
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排水溝のある道路。
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大浴場。
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階段から浴場に入ったのでしょう。
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ここが浴場だと推定できるのは、内側に防水のための瀝青のライニングがしてあったことからです。
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大浴場から見た城砦の言われている領域の写真です。
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最大で4万人が住んでいたと推定されるこの地域にとって、大事なのは先ず水です。遺跡内には沢山の井戸の跡がありました。
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水を使えば排水溝が必要になります。大浴場の排水溝はかなり大きなものです。
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こちらは、雨水を貯めるための貯水タンク。
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穀物倉庫と見られ、壁の下部には空気が通る穴があいています。
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メインストリート。
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同じような区画が並ぶところから住居と考えられています。
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この上で土器を作っていたものと推定されています。
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これも井戸。バケツの様な容器に紐をつけて下におろし、水を汲み上げていたようです。
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未だ発掘途上の領域も多いのです。
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ガイドのアリさんが、ここはトイレだと示してくれました。排水溝もついていて水洗ですね。
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ここからは博物館に向かい、遺跡から発掘された品々を見学です。
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ヒーター。
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つぼ。
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土器類。
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猿の像。
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人物像。
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印章。
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印章の図柄を拡大したもの。文字が少なすぎて解読できていないそうです。
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計りと分銅が見つかっている所を見ると、マーケットがあったのかも。
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人骨。推定身長が2m近いそうで、かなり背が高かったんですね。
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こういう可愛い動物も。
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重要なことはインダス文明の遺跡から出土したものがメソポタミア遺跡から、またメソポタミアの遺跡に出土したものがインダスの遺跡から、それぞれ発見されていることです。当時、両者の間に交流があったということです。
インダス文明は分からないことばかりなのに、最大の遺跡であるここモヘンジョダロが塩害で崩壊しつつあるというのは危機的状況です。
日本など先進国が技術的、経済的援助を早める必要があります。

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# by kanekatu | 2017-03-05 09:47 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(5)シャー・ジャハーン・モスク

タッタ郊外にあるシャー・ジャハーン・モスクはマクリー・ヒルと並ぶ世界遺産です。
タッタはかつてインダス川の河口にあって、港湾都市として栄えた街で、ムガール帝国の中心都市でした。その関係で当時お建物が多く残されています。
シャー・ジャハーン・モスクは帝国最盛期の第5代皇帝シャー・ジャハーン(在位:1628年-1658年)が建立したものです。
亡き妻を偲んでタージ・マハルを建設したことで有名ですが、その後は家臣の妻たちと乱倫を繰り返し、それが元で身を滅ぼしたというから決して純愛じゃなかったんですね。
どこか既視感があるのは、タージ・マハルを建てたのと同じ皇帝だからでしょうか。
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モスクの入口。材料が焼きレンガと釉薬の青色タイルとの組み合わせというのは他の建造物と同様です。
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モスクの洗い場で、信者はここで手足と口をすすぎ、中に入ります。
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さすが皇帝シャー・ジャハーンがタッタの街への感謝の意をこめて建てただけあって、内装が実に凝っています。漆喰と焼きレンガの組み合わせでしょうが、この曲線を作るのは大変な技術を要するでしょう。
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モスクの中庭で、中央奥に見えるのは礼拝堂です。礼拝堂が独立しているのはペルシャ風だそです。
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金色の釉薬タイルを併用してさらに豪華に見せています。
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礼拝堂の入口。人と比べて大きさが分かるでしょう。
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礼拝堂の中心であるミフラーブで、タイルでコーランが書かれているそうです。
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時計が置かれているのはお祈りの時間を示したもので、このモスクが現役であることを示しています。
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目くるめくが如き回廊、溜息が出ます。
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シャー・ジャハーン・モスクの見学を終えて、バスで一路モヘンジョダロの近くの街サッカルに向かいます。
途中のタッタ郊外の様子をいくつか紹介します。
長距離バスにリキシャ(三輪の小型タクシー、語源は人力車)、それにロバが引く荷車と、パキスタンの典型的な風景です。
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暑さのせいか、アイスクリームやジュースを売る店が目に付きます。
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屋台での食事風景。
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カラチの水瓶であるキーンジャル湖。
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休日ともなればボートや釣りなどレジャー客で賑わうそうです。中央付近の人の群れは洗濯をしています。
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遊牧民のテントです。各地を転々と移動しながら暮らしていて、水は灌漑用水などから得ているとのこと。こうした人々を含め、学校に通えない子どもたちも多いのです。
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日本でいう団地でしょうか。
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サービスエリアの商店街。バスのトイレ休憩に使わせて貰いましたが、ちょっと勇気のいるトイレでした。
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サトウキビを積んだトラクターの行列で、砂糖工場へ納品するための行列。今の時期が最盛期だそうです。この行列は延々と続いていて、待ち時間は1週間から時には20日間に及ぶとのこと。気が遠くなりますね。
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ようやく夕食。レストランが私たちの貸し切りだったので、とっておきの国産ビールにありつけました。
ただ、500ml缶で10ドルという超高値。選択肢がないんだから仕方ありません。でも、美味かった!
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この日はケバブーと揚げ物がでました。
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後は、ナンとカレーです。
見掛けはともかく、味はどこへ行っても美味で、これだけは感心しました。
ただカレーや香辛料が苦手という方は苦労していましたが、私は好き嫌いがなく何でも食べるので、食事には不自由はなかった。

泊まりはサッカルのロイヤルイン。名前と実態は大違いというホテルでした。

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# by kanekatu | 2017-03-02 10:28 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(4)マクリー・ヒル

パキスタンの世界遺産は現在6か所ですが、その一つがタッター郊外にある二つ文化遺産です。
最初に訪れたのは「マクリー・ヒル」というイスラム教の共同墓地です。「マクリー」とは「小さなメッカ」を意味し、ここ15k㎡の土地に100万基もの墓や霊廟が建てられています。
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13世紀に聖者の霊廟が建てられたのが最初で、18世紀にかけて次々拡大していったものです。
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ドームが落ちてしまったものもあり、この様な補修も進められています。
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墓石を覆う布はお墓詣りに来た人が置いたもので、貧しい人がこの布を持ち去りお金に換えることができます。喜捨の意味もあるんですね。ビニールシートは雨よけでしょう。
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数ある廟の中で最も美しいのがジャーニィ・ベッグ廟で、青色タイルを巧みに使っています。
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入口のデザインは青タイルと焼きレンガの組み合わせに当時の職人たちの技を感じます。
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ドームの中にある墓石。
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ドームの天井のデザインが素晴らしい。
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タイルの青色は恐らくイランから伝わったものでしょう。
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イサハーン・タルハーン廟のドームは周囲を塀に囲まれています。
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17世紀に建てられたこの霊廟は、タルハーン王朝の国王の名が冠されています。
ドームの外側に置かれた墓石。
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ドームは現在補修中。
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ドームの入口も内部も青タイルを一切使用せず、焼きレンガだけで作られています。
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柱だけで構成されているのがイサハーン・タルハーン廟の最大の特長です。
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内部に置かれたイサハーン王と王妃の墓石。
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ディワン・シュラファ・ハーン廟は大臣の霊廟ですが、実力者だったのでしょう。周囲を塀に囲まれています。
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ドームの屋根に青色タイルが使われていて豪華な印象です。
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出入り口部分のタイル装飾が素晴らしい。
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ドーム内の大臣の家族の墓石。
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ドームの内側のモザイクの装飾は他の霊廟にない特長です。
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大臣の墓石だけに付けられていた立派な彫刻。
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見学時間が1時間ほどだったので、ごく一部しか見られなかったのですすが、全体の規模も大きさと、個々の霊廟の建築、装飾技術は素晴らしいものがありました。

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# by kanekatu | 2017-02-28 08:49 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(3)チャウクンディ

カラチから東へおよそ30㎞、チャウクンディは16-18世紀に建てられた墳墓群です。
砂岩で造られた大小無数の墓石が立ち並んでいます。
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周囲に何もない砂漠の中にポツンと置かれている墓地ですが、規模は世界最大と推定されています。ちょうど朝日が昇ってきました。
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ここの墓石の特長は赤い砂岩の表面に彫られた幾何学模様です。
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墓石は南北方向に並び、地下に土葬されている遺体の顔がメッカの方向に向いているので、イスラム教徒の墓であるのは間違いないようです。
ただ、イスラム教では墓は質素なものでなければならないと定められているので、なぜこの様な大きな、しかも装飾性の高い暮石にしたのか、謎が残されています。恐らくは特定の部族、それもかなり有力な部族の墓であったと推定されています。
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サイズの大きなものは位の高い人の墓と推定され、さらに上位の階級の人の墓はドームに覆われていると考えられています。
このドームは最大規模のものです。
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ドームの下に墓石が並んで置かれていました。
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上部に宝冠が置かれている墓で、高貴な方だったのでしょう。
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右下の部分を拡大すると、乗馬の人が描かれている。イスラム教徒の墓石としては極めて珍しいものです。
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遥かかなたまで置かれている墓石は1万とも1万5千とも言われています。
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上部にターバンが置かれているのは男性の墓で、無いものは女性の墓です。女性の墓の場合、ネックレスなどの装飾品が幾何学模様で表されています。
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カラチ近郊の風景で、日本でいえばサービスエリアのレストランで、運転手さんたちが食事をしている風景ということになります。
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これは集合住宅でしょうか。パキスタンの中では比較的きれいな建物です。
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ガイドが「パキスタン人の8割はアメリカが嫌いです」と言いました。
それはそうでしょう、同国には米国のアフガニスタン侵攻の最前線基地が置かれましたが、アルカイダの拠点がアフガンとパキスタン国境付近にあるということで攻撃を受け、パキスタンの民間人も犠牲になりました。その結果としてパキスタン・タリバンという勢力が生まれ、これを抑え込もうとしたパキスタン政府との間に戦闘が起こり、それが今に至るテロに結びついています。
加えて、米国がビン・ラディンをパキスタン国内で殺害したとの一方的な発表が、反米感情をさらに強くしたようです。
ガイドの口からは、最近のトランプのイスラム教排除の政策にも嫌悪感を強めたようです。
またガイドは、中国への警戒感を口にしました。いま中国はパキスタンの道路や港湾整備を無償で行うなど積極的に援助していますが、彼らの目的はインド洋(アラビア海)の港の長期借用であり(海路)、中国からパキスタンの港への陸上輸送の確保(陸路)だと。このままだとやがてパキスタンは中国の属国になってしまうと危機感を露わにしていました。
いわゆる中国の真珠の首飾り戦略では、パキスタンは重要な位置を占めているのです。
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北京―イスラマバード間の飛行機の、満席の乗客の大半が中国人だったのには理由がありました。
これからアジア各国は米国と中国との間で揺れ動かざるを得ないという、嫌な予感がします。

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# by kanekatu | 2017-02-26 05:39 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(2)カラチ

ここで遺跡にかかわる大まかなパキスタンの歴史を見ておきましょう。
インダス文明:紀元前2600-1700年頃
ガンダーラ王国:紀元前5世紀-11世紀、1-5世紀に最盛期。
ムガール帝国:16-19世紀、16世紀後半-17世紀に最盛期。
パキスタンというのは「清らかな国」、イスラマバードというのは「イスラムの街」を意味しています。分かり易い。
2日目の朝、パキスタン航空の国内便で首都のイスラマバードからかつての首都カラチへ。このツアーはカラチを出発点としてインダス川に沿って北上しイスラマバードがゴールとなるコースをとります。
長旅の疲れと寝不足のままの移動ですが、それでも2時間弱ホテルで休めたというのは体に楽です。
1時間半ほどの飛行でカラチに到着。写真は着陸前のカラチ付近の写真。
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カラチはパキスタン南部シンド州の州都であり、パキスタン最大の都市です。
カラチ国際空港で、現地ガイドのアリさん、サリヌさんがお出迎え。二人とも流ちょうな日本語で、観光先の説明も丁寧でした。
一行18+添乗員1=19名がマイクロバス2台に分乗し、このまま最終日まで各地を観光しました。
小さなバスなのでスーツケースなどの重量物は全てバスの屋根の上に。
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途中、すれ違ったバスには屋根の上に多くの乗客が乗っていました。聞いてみたらごく普通の光景で、料金は車内より高いそうです。暑い季節になるととても車内では耐えられなくて、こうして屋根にのぼるか、社外にしがみつくかして乗車するそうで、でも料金はきちんと取られます。
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こうした高層ビルも車窓から見られました。
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先ずは昼食。ビュッフェスタイルで、メインはナンとカレー。これは旅行中のメニューに基本です。
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レストランは庭にに大きなテント張った簡素なものですが、元は城郭だったらしく塀だけは立派でした。
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門番は鎧をつけて槍を持ったおじさんが立っています。
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こちらは見せかけで、反対側には自動小銃を持った警備員が二人いました。
銃は警備会社が許可を取ればそこの警備員は持つことが許されるそうで、一般には銃の所有は禁止されているとのこと。
他に、アフガン国境に近い部族地域では国の法律とは別に、銃を持つことは許されているとの説明でした。
パキスタンでは主要なホテルやレストランでは、こうした銃を持った警備員が必ずといって良いほど配置されていて、テロへの脅威に備えています。

午後から国立博物館を見学。
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目玉はモヘンジョダロ遺跡から発掘された小さな銅像で、これが神か王かというのがインダス文明を解く上の大きな問題になっています。
残念ながら内部は撮影禁止で、他にはあまり重要な展示物は無かったようでした。
外に出たら、見学に来ていた女生徒たちのグループに遭遇。ここからは臨時の撮影会で、イスラム国では女性にカメラを向けてはいけないルールになっていますが、彼女たちはそれぞれポーズを決め積極的に撮影に応じていました。
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この旅行中、先ず「ニーハオ」と声をかけられ、「ジャパニーズ」と応じると握手を求められたり、撮影に応じてくれたり。時には先方から写メされたり、サインを求められたりとモテモテでした。
日本が国内の学校など公共施設への援助を行ってきたのも、親近感を持たれている理由の一つではなかろうかと思います。
こうして最後まで気持ちの良い旅を続けることができました。
夕方は早めにホテルにチェックインし、7時頃から夕食。ホテル側が気を利かして屋外のレストランでのバーベキューを用意してくれたのですが、これが寒くて震えました。急いで部屋に戻り、冬のコートを羽織って食事をしました。
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旅行社からは事前に、日中は20-25℃位まで気温が上がると聞いていたので、なんとなく春先の気候を予想して服装を準備してきましたが、やはり真冬。夜はかなり気温が下がるうえに、ホテルに暖房設備がありません(あっても大概は壊れていた)。寒さで風を引いた人もいたので、この時期の旅行は服装に注意が必要です。

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# by kanekatu | 2017-02-24 09:36 | パキスタン | Comments(4)

パキスタン見聞録(2017/2/3-2/13)(1)イントロダクション

2017年2月3日から11日間のパキスタン・ツアーに参加しました。
旅行会社は西遊旅行、添乗員はMさんで一行18名。
家族から反対されたので、旅行保険をいつもより増額し納得してもらいました。
パキスタンですが、米国のアフガニスタン侵攻以来テロが多発していて、イメージがあまりよくない。
主なテロに関係する事件だけでも、これだけあります。
2011年5月2日、パキスタン国内においてアメリカ軍によりウサーマ・ビン・ラーディンの殺害が確認。
2012年、マララさんへの襲撃事件。
2013年、外国人登山家10人が殺害される。
2014年、カラチ空港襲撃事件。
2014年、ペシャワールでの学校襲撃事件では、生徒132人が殺害される。
反面、北部にはカラコルム山脈とヒマラヤ山脈が連なり、K2を始め8000m級の山々がそびえています。麓には桃源郷と知られるフンザがあります。
西部にはガンダーラ遺跡、南部にはインダス文明遺跡と、観光地としてはとても魅力的な国なのです。
今回のツアーでは、比較的安全とされている南部のインダス文明遺跡を中心としたコースでした。
パキスタンの地図は以下の通り。
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正式国名は、パキスタン・イスラム共和国。
首都はイスラマバード。
宗教は95%がイスラム教、うち75%はスンニ派。
公用語はウルドゥー語ですが、30種類ほどの言語が使われているとのこと。
義務教育制度はありますが、通学できない子どもたちも多い。
通過はルピー(現在、1RS=約1.2円)。
一人当たりGDPは1307ドルで、世界平均の10%の水準。
人口では近いうちにブラジルを抜いて世界第5位に達する見込みですが、その半数は一日2ドル以下で暮らす貧困層と見られています。
日本との時差は-4時間。
東はインド、北東は中国、北西はアフガニスタン、西はイランと国境を接し、南はアラビア海に面し、アラビア半島とは目と鼻の先です。
国のほぼ中央をインダス川が縦断していて、パキスタンの背骨と言われています。
こういう地勢のせいか、国家予算の75%が軍事費と言われています。
面積は80万km²で日本 (38万km²) の約2倍程、人口は約1億9千万人。その多くはインダス川流域の平野部に住んでいます。
現在、成田―イスラマバード間はパキスタン航空とタイ航空のルートがありますが、今回はパキスタン航空利用でした。
パキスタン航空(PIA)といえば、昨年12月に墜落事故を起こしたばかりです。旅行社からもかなりレベルが低いと言われていましたし、事故の後で黒山羊を生贄にしてお祈りをしている写真(以下)がネットで評判になるなど、これまたあまりイメージが良いとは言えません。
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3日、15時30分前後発の便で、途中北京を経由し、およそ12時間かかってイスラマバードに到着しました。
ビジネスクラスにグレードアップしましたが、+10万円と格安で、しかも国内便までビジネスという大サービスです。
アルコール類のサービスが無いのと、映画や音楽などの機内アミューズメントが無い(元々利用しないので不自由はなかった)のと、機内食(以下)が他に比べ質素だったのが欠点ですが、それほど不満は感じなかった。
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それと、この航空会社ではキャビンアテンダントの容姿や身長、年齢を選別していないようで、この点は先進的なのかも。
印象的だったのは北京からの乗り継ぎで大勢のビジネスマンと思われる中国人が搭乗してきたことで、中国のパキスタンへの進出が活発になっている様子が窺われました。
入国審査も大半が中国人で、例によって割り込みもありました。
イスラマバードのホテルに到着したのは午前3時頃、就寝は4時頃でモーニングコールが5時半という強行スケジュール。
これからパキスタンで見たこと聞いたこと、そして感じたことを紹介して行きたいと思います。
前の旅行記を異なり、観光施設ごとの紹介という形式にします。
記事によっては長かったり短かったりしますが、ご了承ください。

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# by kanekatu | 2017-02-22 19:42 | パキスタン | Comments(4)

「アパホテル」の感想

昨年12月1日に、国内ツアーで初めてアパホテル大垣駅前に宿泊した。
ツアー料金を低く抑えるためかも知れないが、今までツアーで泊まった中では最低のホテルだった。
清掃が行き届いておらず、清潔感がないのが先ずダメ。
そしてもう一つ、机の脇の壁掛けに本が飾られていた。珍しいなと思って手に取ると『理論近現代史学II』という書籍だった。中身を見ると学術的なタイトルとは異なり、南京事件を否定する内容だった。
後から調べたら、何のことはない著者はアパグループ代表の元谷外志雄のようだ。
自分の会社が経営するホテルの客室に、自分が書いた本を飾るという神経を疑う。
因みに南京事件については、2006年の日中首脳会談で歴史共同研究を行うことが決まり日中共同研究が行われ、2010年1月に報告書が発表された。日本・中国双方とも戦時国際法違反の虐殺があったとするが、日本側は規模は不明確とし、中国側は大規模でありえたと記述している。

南京事件には様々な意見があり、それを著作として出版したり、色々なメディアに発表するのは自由だ。
しかし、オーナーの立場を利用してホテルの客室にまで飾るのは常軌を逸していると言わざるを得ない。
ホテルの客室は、宿泊客が心身ともに安らぐ場所だ。
最近はあまり見かけなくなったが、かつて多くのホテルに聖書が備えられていた。ホテルは不特定多数の方が利用するので、信仰する宗教も異なる。そこにキリスト教の聖書を置くというのは反対だった。
ただ、聖書は机の抽斗に収納されており、アパホテルの様に壁に掛かっていないだけマシではあった。
旅行社のツアーアンケートに、今後アパホテルは利用しない方が良いと書いたが、個人として二度と宿泊するつもりはない。

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# by kanekatu | 2017-01-20 11:12 | 国内旅行 | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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