ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ訪問記(2017/7/14-22)(1)

7月14日から「ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ3ヶ国周遊9日間」のツアーに参加しました。
旅行社は阪急交通社で、添乗員はTさん、キャリアはアエロフロート。
メンバーは14名で、ハードな旅行愛好家が多かったようです。
このツアーのキャッチコピーが「あなたの地図の空白を埋めてみませんか」でした。
下にヨーロッパ全体の地図と、この三国周辺を拡大した地図を掲載します。
確かに周辺の国々については訪れていますが、この三国だけは空白でした。この言葉にコロッと騙されてゆく気になったというが本音です。
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上の地図を見て改めて感じるのは、特にベラルーシとウクライナは西側諸国とロシアとの結節点となっていることです。
この事が、両国が度々大きな戦乱に巻き込まれ多大な惨禍を被る原因となりました。そして、それは今も続いています。
三国に共通しているのはソ連崩壊を機に独立を果たし、社会主義から自由経済体制に移行したという点です(厳密にいえば、ベラルーシだけは少し事情が異なる)。
独立にいたる経緯などの理由から三国のロシアとの関係は一様ではありません。
最もロシアと親しい関係にあったベラルーシですが、今は少し距離を置いており、むしろ中国との関係の力を注いでいるようです。
ウクライナは旧ソ連にかわる組織としてロシアが主導したCIS(独立国家共同体)の創立メンバーでしたが、政権が親欧州色を強める中でロシアとの関係が悪化し、とりわけクリミア半島のロシアへの編入をめぐって戦争状態をなっています(現在は一時停戦)。
モルドバは歴史的に隣国ルーマニアとの関係が深いのですが、これを嫌う親ロシア系住民らが国内に沿ドニエストルという国を作り、事実上の独立状態になっています。国際的は独立国として認められたいませんが、モルドバの実効支配は及んでいません。従ってこの国を加えれば、今回の訪問国は4ヶ国になります。

路程は7月14日成田発12時のSU-0261便でモスクワを経由し、トランジットでベラルーシの首都ミンスクに向かいます。
アエロフロートのビジネスクラスは初めてでしたが、座席がフラットな状態にリクライニングできる以外は特色のないものでした。機内での映画や音楽などエンターテイメントは使わないので性能は分かりません。
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CAは全員ロシア人のようで日本語は通じません。食事のメニューだけは日本語のものが添付されていました。
和食と洋食から選べるようになっていて、洋食を選んだんですが前菜は和食が出てきました。私のヒヤリングの問題かも。
前菜。
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サラダ。
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スープ。
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メインはステーキ。アルコールはシーバスのストレート一本やりです。
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冷菓。
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スイーツ。
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機内食は質量ともにかなり充実していました。
所要時間10時間ほどでモスクワに到着。時差は6時間で、これはこの後の三国も同じです。
モスクワで入国手続きを行い、現地19時35分発SU-1832便でミンスクに向ないます。
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# by kanekatu | 2017-08-01 17:52 | ベラルーシ | Comments(2)

初夏の京都・奈良(2017/5/23-25)③京都2日目

京都の2日目は嵯峨へ。駅前からバスで約50分、終点の嵯峨大覚寺前に到着。
大覚寺は、京都市右京区嵯峨にある真言宗大覚寺派大本山の寺院で、開基は嵯峨天皇です。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院でもあります。
後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院であり、南北朝和解の舞台ともなりました。
別名、嵯峨御所。
また、嵯峨天皇を流祖と仰ぐ華道嵯峨御流の総司所(家元)です。
そのせいか、全体の雰囲気は寺院というより御所に近い。
伽藍の配置図は下記の通り(大覚寺のHPより)。
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①宸殿
②御影堂(みえどう)
③正寝殿
④五大堂
⑤村雨の廊下
⑥勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)
⑦勅使門
⑧安井堂天井雲龍図

大覚寺の周囲を囲む清流。
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玄関門から入ります。
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式台玄関で、ここから拝観が始まります。
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主な伽藍は村雨の廊下(直角でつながる天井の低い廊下)で結ばれていて、参観者はそれぞれの伽藍を通りながら進んで行きます。
ここからは参観者になったつもりで伽藍や庭園の画像を眺めてください。
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大沢池は、大覚寺の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉(林や泉水などのある庭園)です。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、唐の洞庭湖を模して造られたところから、庭湖とも呼ばれています。
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大沢池より心経宝塔(しんぎょうほうとう)を望む。
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大覚寺を出て次の清涼寺に向かう途中にあった嵯峨一休という店で昼食。静かな点内でランチコースを楽しみました。
飲み物はビールと冷酒、ラベルは店のオリジナルです。
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筍の前菜。
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御造り。
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豆腐と野菜のサラダ
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出汁玉子。
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冷菓。
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どれも美味でした。

今回の京都での最後の観光は清涼寺です。
清凉寺は、京都府京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺院で、山号を五台山(ごだいさん)。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られています。
中世以来「融通念仏の道場」としても知られ、宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となりました。
開基は奝然(ちょうねん)。
奝然は宋へ渡航中の985年、現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させましたた。その釈迦像は、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中に栴檀の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」、釈迦に生き写しとされ「生きているお釈迦様」と呼ばれています。
これが当寺の本尊で、国宝指定。
仁王門。
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本堂。
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庭園。
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多宝塔。
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弁天堂。
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実はこの清涼寺の受付の僧侶があまりに不親切だったので腹が立ち、早々に見学を切り上げました。
京都や奈良の他の寺院は親切な対応をしてくれていたので、最後に後味の悪い思いをしました。
今回の京都、奈良の観光記は以上で終了です。
(終り)


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# by kanekatu | 2017-06-13 05:07 | 京都 | Comments(2)

初夏の京都・奈良(2017/5/23-25)②京都1日目

京都の寺社はほぼ行く尽くした感があり、今回は妻にとっては初めての寺院を巡りました。
1日目は京都の東山区の、三十三間堂の近くの寺院をいくつか訪れました。
最初に訪問したのは智積院(五百佛山(いおぶさん)、根来寺(ねごろじ))で、真言宗智山派総本山、開基は玄宥。智山派の大本山は成田の新勝寺、川崎大師に高尾山薬王寺と、いずれも初詣で賑わう寺院というのは面白いですね。
元は紀州根来にありましたが秀吉と対立して根来を追われ、家康の時代になってから今の場所に再建しました。
もう一つ、ここには以前祥雲寺という寺がありました。秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松(棄丸)の菩提のために建立した寺で、現在、智積院の所蔵で国宝に指定されている長谷川等伯一派の障壁画は、この祥雲寺の客殿を飾っていたものです。
受付。
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金堂。
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明王殿。
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講堂。
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ここの見所の一つは名勝庭園で、築山・泉水庭の先駆をなした貴重な遺産といわれ、中国の盧山をかたどって土地の高低を利用して築山を造り、その前面に池を掘るとともに、山の中腹や山裾に石組みを配したものです。
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収蔵庫には長谷川等伯一門による「桜図」「楓図」『松に秋草図』、『松に黄蜀葵図』(いずれも国宝)をはじめとする桃山時代(十六世紀)の数々の障壁画が収められています。
こうした障壁画がすぐ近くで見られる場所は少なく貴重です。
団体の観光コースからは外れていますが、京都観光では是非おさえておきたいスポットです。


養源院は浄土真宗遣迎院派の寺院で、開基はあの澱君です。父親である浅井家の菩提寺として建立したもので、その後、徳川2代将軍秀忠の正室の崇源院(お江、淀殿の妹)によって、淀殿と豊臣秀頼の菩提が弔われました。
豊臣と徳川が共存している珍しい寺院です。
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本堂。
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見所は3か所です。
①血天井
関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもの。
②鶯張廊下
日光東照宮の眠り猫で有名な江戸初期の大工・彫刻師である左甚五郎作と伝わる。
③襖絵と杉戸絵
俵屋宗達作の杉戸の象や唐獅子や麒麟などを図案化した構図もので、重文。いずれも想像だけで描いたもので、表現の奇抜さでも知られている。
この寺の最大の特長は、これらの文化財をガイドしてくれることです。
私が初めて訪れた十数年前には、参観者が私一人でしたが、寺院の受付の人が口頭で全てを案内してくれました。こうした寺院は、京都でここしか知りません。
この日は参観者が次々と訪れるので、口頭とテープによる音声を使ってのガイドでした。
他の寺社でも是非見習って欲しいですね。

近くの店で昼食。
茶そばと白玉入り汁粉という組み合わせ。
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三十三間堂から北へ向かって数分で、豊国神社に到着。
死後、神として祀られた秀吉の神社ですが、家康によって廃絶されてしまいますが、のちに明治天皇の勅命により再興されました。
国宝の唐門は、元は南禅寺塔頭金地院にあったもので、豊国神社再建にあたって金地院から移築されました。
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本殿。
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直ぐ隣が方広寺で、見学する予定でしたが、残念ながらこの日は拝観中止でした。
かつて、ここには秀吉によって建てられた東大寺のものより大きな大仏があり、その大仏を安置するために方広寺が建てられました。
その後、地震や火事で大仏も大仏殿も焼失し、江戸時代に寛永通宝の原料にされてしまいました。今では石塁(国の史跡)がその面影を残すのみとなっています。
方広寺の本堂。
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梵鐘(重文)は、大阪の陣の原因ともなった「国家安康」「君臣豊楽」の銘が刻まれたものです。私が最初に訪れた頃は未だ野ざらしのまま置かれ、銘文も澱君の霊と呼ばれる鐘のシミも良く見えましたが、今では立派な鐘楼が建てられています。
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京都には、こうした一般には名が知られていないが、由緒ある寺院が沢山あります。


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# by kanekatu | 2017-06-11 16:40 | 京都 | Comments(0)

初夏の京都・奈良(2017/5/23-25)①奈良

自宅の室内改装のため数日家を離れることになり、京都に滞在しました。観光目的ではないので、大半の時間はホテルでゆっくり休んでいたのですが、3日間だけ昼間の4時間以内という短い観光を行ってきました。行き先は全て妻のリクエストに従い、私は専らカバン持ちでした。
5月23日は近鉄で奈良へ向かいました。
近鉄奈良駅前。
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駅前の商店街を通って興福寺に向かいます。
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猿沢池は中学の修学旅行以来です。
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興福寺は、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇っていました。
しかし幕末から明治にかけての廃仏毀釈により大きな被害を受け、貴重な文化財の多くが失われました。
この寺の門や塀もこの時に失われました。
もし岡倉天心による文化財の修復や保護活動が無かったら、いま私たちが見ることの出来る国宝は存在していません。
明治維新の負の歴史の一つです。
南円堂。
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五重塔は維新の際には250円で売りに出され、危うく焼却される所を近隣の住民の反対で火災を免れました。
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国宝館は修理中のため、仏像は仮講堂に安置されていました。
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天平時代の彫刻である阿修羅像を始めとする八部衆像などが一堂に集められ、展示されていました。沢山の国宝や重文が一か所に展示されている姿は壮観です。


興福寺を出て、バスで西へ向かい唐招提寺へ。
唐招提寺は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院で、南都六宗の1つである律宗の総本山です。奈良、天平時代に建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有しています。
寺院は奈良市の西を南北に流れる秋篠川の辺にあります。
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門をくぐると正面に見えるのが金堂です。
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講堂。
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御影堂は修復中のため、残念ながら東山魁夷が描かれた鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画は鑑賞できません。
残念。
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礼堂。
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鐘楼。
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鼓堂。
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「若葉して御目の雫拭ばや」の芭蕉の句碑。
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唐招提寺を出て秋篠川に沿って15分ほど南下すると薬師寺が見えてきます。
薬師寺は、興福寺とともに法相宗の大本山で、南都七大寺のひとつ。
開基(創立者)は天武天皇で、7世紀後半に飛鳥の藤原京に造営が開始され、平城遷都後の8世紀初めに現在地の西ノ京に移転したものです。
最初に白鳳伽藍を見学。
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国宝の東塔は現在修理中で見られず、こちらは西塔。
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やはり二つ並んでないと、薬師寺らしくないですね。
金堂。
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大講堂。
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食堂。
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鐘楼。
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道路を挟んで北側に玄奘三蔵院伽藍があります。この中に玄奘三蔵の分骨が収められているそうです。
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玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿には、平山郁夫が描いた大唐西域壁画が展示されています。画面の全長は約37メートル。壁面13面に中国・長安からインド・ナーランダ寺院へ至る7場面が描かれていて、今は破壊されてしまったアフガニスタンのバーミアンの姿も残されています。
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奈良の唐招提寺と薬師寺は団体客がいないので、ゆっくり見られました。

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# by kanekatu | 2017-06-10 10:52 | 京都 | Comments(2)

パキスタン見聞録(16)ロータス砦(最終回)

最終日は終日イスラマバードということで市内観光を期待していましたが、ガイドの説明によると要人の官邸や議事堂など政府機関への観光が制限されているとのこと。
イスラマバードは首都を置くために計画都市で、碁盤目の道路にそって沢山の区画が整然と並んでいる設計です。
空港も鉄道駅も市内にはなく、隣のラーワンピンディにあります。
緑が多いし、三輪タクシーは市内への乗りいれ禁止。テコトラの姿も見えず、およそパキスタンらしからぬ風景です。
3棟の超高層ビルが立ち並ぶ市内の風景。
右のバイクの人がいなければパキスタンとは思えない。
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シャー・ファイサル・モスクはサウディアラビアのファイサル国王の資金援助によって建てられた巨大なモスクで、四隅に立つミナールの高さは90mあります。
収容人員はモスク内部だけで1万5千人、敷地全体では10万人。
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ロータス砦(ロータス・フォート)は、ムガール帝国の第2皇帝フマユーンに勝利したアフガンの英雄シェール・シャーによって建設された要塞です。周囲は約4キロメートルに達し、パシュトゥーン建築とヒンドゥー建築の両様式が絶妙に融合した最初の事例になります。
30万人の労働者によって、1540年から10年かけて完成となりました。その時シェール・シャー・スーリは既に亡くなっており、フマユーンの反撃によって滅ぼされてしまい、ムガール帝国が再び復活して第3代皇帝アクバルが継承しました。
難攻不落といわれた城塞はついに一度も戦わうことなく、そのままになっています。
またシェール・シャーは、アフガニスタンのカブールからカイバル峠を越え、ラホールを通り、アーグラまで通じるGTロード(グランド・トランス・ロード)を造ったことでも知られています。私たちもGTロードを通ってロータス砦に来ました。
世界遺産。
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ロータス砦の中で最も有名なゲートはソハリ門です。
21.34メートルの高さ、幅20.73メートル、奥行き15メートルあり、中央のアーチ部は4.72メートルの幅があります。ソヘール門には、内部・外部ともに質素ながらも美しいヒマワリをモチーフにした装飾が施されている。
中央部のアーチ部の両側にバルコニーが設けられているのが最大の特長です。
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門の脇にある城壁です。
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城壁の上に立つと、いかに堅固な造りかが分かります。
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反対側に見える城壁は2㎞先です。
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ロータス砦で特筆すべきは内部に村があることです。世界遺産の中に人が住み生活しているのは極めて珍しい。
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立派な家が立ち並んでいました。
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皇帝フマユーンがイランから連れてきた熟練工の末裔らしいのですが、自分たちは王様の許可を得て代々ここにいるので、住む権利があると主張しているようです。
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500戸、2000人ほどの人たちが暮らしていて、店舗もあります。
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ロータス砦には3か所の階段井戸があります。3万人の兵士を養うためには大きな井戸が必要だたのです。
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井戸の階段は148段あり、深さは石灰石層にまで達しています。
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井戸の大きさが分かります。
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シャー・チャンドワーリー門は二重構造で、幅13.3メートル、奥行き8.23メートル、中央のアーチ部は幅3.66メートル。
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大臣マン・シングの宮殿、王に代わりマン・シング大臣がここに詰めていました。
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その近くにある大臣の妻の宮殿。どちらも元々はもっと大きな建物でしたが、今は一部しか残っていません。
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改めて、城壁の大きさを感じます。
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処刑場跡で、遺体はこの穴に落としたようです。
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最後の観光であるロータス砦を出発、夕食レストランに向かいます。

今回のツアーではショッピングの時間が無かったので、途中スーパーマーケットに立ち寄り、まとめて買い物。
手前にはカラオケ店もあります。
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最後の夕食は日本料理で、魚の天ぷらが出ました。
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バスの走行距離は合計で2400㎞。
結構ハードな旅行でしたが、一人の病人も怪我人もなく完走でしたのが何よりです。
パキスタンではどこでも気軽に声がかけられ、とても気持ちの良い旅ができました。
インダス文明を始めとする各種遺跡群はいずれも素晴らしく、期待以上でした。
ただ、私たちが観光したラホール市内で、3日後に大きな自爆テロが起きて100人近い死傷者が出てしまいました。
この国が平和で安全になり、多くの人々が安心して観光に来られる日が一日も早く訪れることを心から願っています。

最後までこの連載にお付き合い頂いた方々に感謝します
(終り)


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# by kanekatu | 2017-03-26 17:02 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(15)ケウラ岩塩鉱山、デコトラ

ラホールを後にして、バスは最終観光地であるイスラマバードに向かいます。
飾りのついた結婚式に向かう車。
結婚には花婿側が花嫁側のお金を渡さねばならないそうで、独身男性は貯金が要るんです。
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イスラマバードに近づくにつれ洒落た店が目に付くようになります。
下の店は、いずれも日本でいえばサービスエリアの店舗に相当します。
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ケウラ岩塩鉱山に到着。
ケウラ岩塩鉱山は、イスラマバードから160㎞に位置しています。紀元前326年にアレキサンダー大王の軍馬がここを舐めたことにより岩塩鉱山の発見につながったという伝説があります。長さ300㎞、幅8-30kmに及ぶ岩塩山脈の中心地です。
岩塩鉱山の規模としてはポーランドのヴィエリチカ岩塩坑に次いで世界第2位。
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トロッコに乗って鉱山の中へ。
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岩塩鉱山はポーランドで経験ずみですが、グレーの壁が延々と続き、写真で表現するのは難しいんです。
いきおい見せる側も、塩を成形したものにカラーのライティングをして楽しませるという手法をとります。
塩のベンチ。
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岩に沁み込んだ水分によって塩分が溶け出し徐々に下がってゆく、鍾乳洞と同様の現象が岩塩でも起きています。
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塩のパキスタン・タワー。
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ケウラ鉱山を後にして、夕方イスラマバードに到着。
夕食は地方料理で、鍋焼き風ケバブ。
この夜が、パキスタンでの最後の宿泊となります。
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さて、パキスタン名物には、デコレーション・トラック略して「デコトラ」があります。バスなら「デコバス」になります。
とにかく派手な装飾で飾るというのが特長です。
それからもう一つは、信じがたいほどの過積載。まるで荷物が独りで走っているかのようです。
そのいくつかを紹介しましょう。
デコバス。
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デコバスの後ろの装飾。鳥が羽を広げたような形です。
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飼料用の枯草を運ぶトラクターを後ろから撮影したもの。
上に乗っかるためのハシゴが付いています。
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前から見るとこんな具合。
デコレーションでトラクター本体が見えなくなっています。
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子供たちが乗るマイクロバス。車内とあわせて一体何人乗っているんでしょう。
口にしているのは、隣のトラックに積んでいるサトウキビを失敬したもの。噛むと甘い汁が出てくるんです。
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小型三輪を後ろからも乗れるように改造したんでしょう。でも、ちょっと怖いな。
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これもデコトラ。
時には車体より装飾の方が高いというトラックもあるそうです。
ドライバーたちはしばらく家族を離れて稼ぐことも多く、トラックは家族同様と考えているそうです。
派手な装飾の方が、仕事も増えるという実利的な理由もあるとか。
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長距離バスのフロントですが、窓ガラスにあんなに装飾して危なくないんでしょうか。
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横から見たもので、車体の屋根には乗客の荷物が積載されています。
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装飾品の店です。
装飾にも地方色があって、ガイドによると装飾を見ただけでどこの地方のトラックか分かるそうです。
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パキスタンの旅行記も残すところあと1回になりました。
もう少しで完走。


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# by kanekatu | 2017-03-24 17:18 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(14)ラホール博物館

パキスタンの旅もそろそろ終わりに近づいてきました。連載も今回を含めあと3回の予定です。
ラホール博物館は1864年に開館したパキスタン最古最大の博物館。ガンダーラ仏教美術のほか,インダス文明の遺物,バラモン,ジャイナ,イスラム,ヒンドゥー教の遺物,チベットとネパールの美術工芸品,現代の美術工芸品,現代史料,貨幣などを収蔵しています。
今回はガンダーラ美術を中心に見学しました。
建物の外観。
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ホール。
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展示品の紹介前にガンダーラ、ガンダーラ美術について、社会科の教科書に書かれている内容を引用します。
【ガンダーラ/ガンダーラ美術】
インドの西北、インダス川上流域にあるガンダーラ地方は、クシャーナ朝時代に仏教美術が栄える。一般にヘレニズムの影響を受けてここから仏像が出現したとされている。
【ガンダーラ地方】
ガンダーラ地方はインドの西北、インダス川の上流域のパンジャーブ地方に属する。現在は大部分がパキスタンの領土となっている。西にカイバル峠を経てアフガニスタンに通じ、東にはインドの中心部デリー、さらにガンジス川流域に通じる。南にはパンジャーブの肥沃な平原が広がり、さらに南下すればシンドの地となる。このようにガンダーラ地方は古来東西交通の要衝として重要な地域であり、さまざまな民族が興亡し、多くの文化の影響を受ける地域であった。アケメネス朝ペルシアの一州ともなったが、前4世紀にアレクサンドロス大王がペルシア帝国を滅ぼし、さらにこの地に侵入し、ギリシア文化(ヘレニズム)が伝えられることになった。紀元後1世紀にこの地のプルシャプラを都としてクシャーナ朝が成立し、カニシカ王が篤く仏教を保護したので、この地にヘレニズムと仏教が融合したガンダーラ美術が成立することとなった。
【ガンダーラ美術】
1世紀頃から3世紀頃にかけて、クシャーナ朝時代のインドの西北、ガンダーラ地方とタキシラで開花した仏教美術。本来仏教は偶像崇拝ではないので、ブッダを彫像で表すことはなかった。ところが、クシャーナ朝はイラン系の民族が造った王朝であり、バクトリアから起こった国であったのでヘレニズムの影響を受け、ギリシア彫刻を模して仏像を造るようになった。ガンダーラ仏はギリシア彫刻の影響を受けているが、4世紀のグプタ朝時代になると次第にヘレニズムの影響を脱して、インド独自の様式であるグプタ様式が成立する。
仏教は偶像崇拝を認めていなかったので仏像というのは元々なかったのです。それがヘレニズム(ギリシア文化)の影響でギリシア彫刻を模して仏像が造られるようになったのがガンダーラ美術ということです。
日本の仏教でいえば、仏像が無いというのは考えにくいわけですから、ガンダーラの影響大です。
最初に釈迦の誕生から入滅までを描いたレリーフが数点、展示されています。
摩耶夫人(マーヤー)の右の脇腹から仏陀が産まれる場面。
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修業する仏陀。
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瞑想する仏陀。
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悟りを開いた仏陀。
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仏陀の涅槃像。
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そしてこの博物館で最も有名な「釈迦苦行像」「断食仏陀」「断食するシッダルタ」(シクリ出土、制作は2~3世紀)です。
痩せ細った身体に浮きでた血管や骨が印象的です。 
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眼光鋭い表情から、並々ならぬ決意を感じます。頭髪や髭などの細かな細工に感心します。
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説教する仏陀。顔がヨーロッパ風です。
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菩薩像ですが、髭に逞しい身体と、私たちが描くイメージとはだいぶ違います。
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小さな仏像4体。衣の襞の曲線が美しい。
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仏教の悪神ですが、やはり欧風です。
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素焼きの仏頭。
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これは女神像。
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女性像。
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これからの6点は仏像とは無関係のようです。西洋美術を思わせる作品もありますね。
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ラホール博物館はガンダーラ美術関係だけの見学でしたが、見応えがありました。
ガンダーラ美術品に関してはペシャワールの博物館が最も充実しているそうですが、現在は行くことが出来ません。あの地域が一日も早く安全になるのを願うばかりです。


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# by kanekatu | 2017-03-22 09:44 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(13)シャリマール庭園、フラッグ・セレモニー

バスの車窓から見たラホール市内の風景。
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こうした近代的な建物も多い。
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これも又パキスタンらしいです。
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映画館の看板。パキスタンでも映画が作られていますが、ガイドによればインドの映画の方が面白いとか。
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シャリマール庭園は、ムガール帝国の第5代皇帝シャージャハーンにより、1642年に王族の保養地として造られた庭園です。
世界遺産です。
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3段式の構造になっていて、ここが最上段の庭園。ペルシア式で左右対称です。中央奥の建物は小宮殿。
残念ながらデング熱の影響で水が抜かれていました。
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中段の中央には大きな池があります。
右下の白い長方形は玉座で、中央奥に見えるのは最下段の庭園です。
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左端の赤い建物はパビリオン。右にも同じものが建っています。
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中段に降りてみました。
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池の反対側から見た小宮殿で、斜めに見えるのは滝です。
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この庭園の最大の特長は、運河から運んできた水を段差を利用して自然の圧力で噴水を噴出させる技術です。今回は水が抜かれていて、肝心の噴水や滝の光景が見られません。
皇帝が夢にまで見たという天国の風景が再現されていたらと、この点はとても残念でした。



ラホールから東へバスで約1時間、インドとの国境ワガに到着。
ここでは毎日フラッグ・セレモニー(国境閉鎖式)が行われていて、それを見学するという趣向です。
駐車場からトロッコで会場に向かいます。
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以前にこの会場でテロがあり、空港と同様の保安検査がありました。
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会場に着くと、パキスタンの国旗を掲げた人が高速スピンをすると観客は大声援を送っていました。
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正面のゲートがインド/パキスタン国境で、手前側ではリーダーが「パキスタン!」と呼びかけると観衆が「ジンダバード(万歳)!」と応じます。私たちも唱和に加わりました。
同じ事をインド側でも行っている様子です。
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パキスタンの兵士が隊列を組んで足を高々と上げながら行進してくると、会場は最高の盛り上がりになります。
レインジャー部隊の中でも身長が2m級の選りすぐりの兵士とのこと。
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この時間だけ国境ゲートが開かれます。
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両軍の兵士によって国旗が降ろされます。。
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国旗を先頭に兵士が隊列を組んで戻ります。
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再び国境ゲートが閉じられ、セレモニーは終了。
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インド/パキスタン間では再三戦闘が繰り返されてきましたが、現在は友好関係にあるようです。
その友好の証としてセレモニーが行われていますが、愛国心高揚の意図も感じました。
観客席にいると、何となく阪神タイガースの応援席にいるような気分になりました。ノリは一緒ですね。
珍しい体験ができて、面白かった。


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# by kanekatu | 2017-03-20 18:31 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(12)ラホール城

ラホール城は最古の建築物と言われていて、初期の築城は11世紀にさかのぼります。当初は日干しレンガだったようですが、11世紀にムガール帝国の3代皇帝アクバルがラホールを都として、新たな城を建てました。
世界遺産です。
内部には王族の宮殿、謁見所、女王の宮殿シューシュ・マハル(鏡の間)があり、往時の栄光が偲ばれます。
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シャー・バージ・ゲートの見事な装飾。
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裏門から中に入ります。
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坂を上がるとバードシャーヒ・モスクが見えています。
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かつては皇帝の宮殿だった様ですが、今はかなり荒れ果てた感じです。
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女性のための宮殿と呼ばれているそうです。2階は物見台。
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女性たちはここから外の景色を見ていた。
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ラホール城の最大の見物は鏡の宮殿です。城の建築費のかなりの部分がこの鏡の宮殿に充てられたとのこと。
鏡の宮殿「シーシュ・マハル」は、17世紀にムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、愛妃ムムターズの居間として建てたものです。保存状態が良く、ムガール帝国の栄光を実感できます。
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そう言えば、タージ・マハルも皇帝シャージャハーンがムムターズのために建てたものでした。彼女は随分と皇帝にお金を使わせたんですね。その後の帝国の命運を考えると、「傾城の美女」だったかも。
とにかく豪華です。
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宝石を使った細かな象嵌細工。
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壁面は眩いばかりです。
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天井は下から光をあてるとキラキラと輝きます。
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床も大理石を使った模様が描かれています。
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壁面のフレスコ画。何かの物語を描いているのでしょうか。
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皇帝が高官と会うための特別謁見室。
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皇帝の庭園。
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謁見所で、多数の人が入れるような広さになっています。
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謁見所の内部。
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謁見所の前にある大砲に乗って遊ぶ女児。
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見学に来ていた女生徒と記念撮影。
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ラホール市内の風景。
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ラホール市では公共交通機関の建設が進んでいます。左に見える橋脚は、市内を結ぶメトロバスのもの。
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夕食には珍しく魚のフライが出ました。
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# by kanekatu | 2017-03-18 17:17 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(11)バードシャーヒ・モスク

ラホールはパンジャーブ州の州都であり、パキスタン第2の都市です。人口は約1500万人。
7世紀に玄奘三蔵もラホールについて記述しています。
11世紀にはアフガニスタンのトルコ系イスラム王朝がラホールに首都を置きました。
14世紀以後にはムガール帝国の学問と芸術の中心になる。ムガール帝国が崩壊すすとシーク教徒が勢力を拡げ、19世紀からイギリスの統治下に入ります。
宿泊したラホールのホスピタリティインの入口には、こうした武装警備員が配置されています。
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朝の通勤ラッシュで、道路も渋滞。
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玉ねぎの様なドームはシーク教の寺院。
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ラホール城の城門で、ここをくぐると最初の観光地バードシャーヒ・モスクに到着。
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ここが入り口で、靴を脱いで中に入ります。
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バードシャーヒ・モスクはムガール朝第6代皇帝アラウングーブが1672年の建立した金
曜モスク。四隅に立つミナレットの高さは50mで、一度の10万人を収容できるモスクとしては世界最大規模です。
礼拝堂は3つの大きなドームを持ち、四隅にはミナレットを配しています。
形も美しい。
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建築に使われた赤砂岩は、インドのジャイプールから運ばれたもの。
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大理石を埋め込んだ細かな細工が施されています。
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礼拝堂の入口の天井部分。
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内部は大理石造りで、日中でも涼しく感じます。
礼拝堂のミフラーブ。
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大理石にも細かな模様が施されています。
アナログとデジタルの時計で礼拝の時間を示しています。
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天井のアラベスク模様。
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ミナレットと回廊。
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サイドから見たモスク。
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回廊から見えたラホールのランドマークであるパキスタンタワー。
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私たちは一般にイスラム教と呼んでいますが、実際には細かな宗派に分かれています。主な宗派・学派だけでも30以上あり、ガイドによれば70位に分かれているとのことでした。
シーア派、スンニ派という言い方もしていますが、それは大きな分け方でしかありません。
シーア派というと過激な印象ですが、パキスタンのフンザ地方ではシーア派のイスマイル派が多いそうで、ガイド二人もそうでした。
彼らによればイスマイル派では礼拝は日に3度、礼拝を呼び掛けるアザーンは無し、ラマダン(絶食)もないそうです。ジハードは否定。
そしてコーランを忠実に解釈すれば、これが正しいのだと言います。
別の宗派に行けば、また解釈が変わります。
女性の服装にしても、同じムスリムでも国や地方によっても全く違います。概して都市部に行くと規制は緩やかで、年が若いほど着ているものも華やかです。
中央アジアのトルクメニスタンでは、レストランの女店員がミニスカートだったので驚きました。スカーフを被らない女性が多数でした。
当り前のことですが、イスラムということで何でも一括りにするのは間違いです。

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# by kanekatu | 2017-03-16 11:00 | パキスタン | Comments(2)

憂きな中にも旅の空


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