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パキスタン見聞録(16)ロータス砦(最終回)

最終日は終日イスラマバードということで市内観光を期待していましたが、ガイドの説明によると要人の官邸や議事堂など政府機関への観光が制限されているとのこと。
イスラマバードは首都を置くために計画都市で、碁盤目の道路にそって沢山の区画が整然と並んでいる設計です。
空港も鉄道駅も市内にはなく、隣のラーワンピンディにあります。
緑が多いし、三輪タクシーは市内への乗りいれ禁止。テコトラの姿も見えず、およそパキスタンらしからぬ風景です。
3棟の超高層ビルが立ち並ぶ市内の風景。
右のバイクの人がいなければパキスタンとは思えない。
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シャー・ファイサル・モスクはサウディアラビアのファイサル国王の資金援助によって建てられた巨大なモスクで、四隅に立つミナールの高さは90mあります。
収容人員はモスク内部だけで1万5千人、敷地全体では10万人。
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ロータス砦(ロータス・フォート)は、ムガール帝国の第2皇帝フマユーンに勝利したアフガンの英雄シェール・シャーによって建設された要塞です。周囲は約4キロメートルに達し、パシュトゥーン建築とヒンドゥー建築の両様式が絶妙に融合した最初の事例になります。
30万人の労働者によって、1540年から10年かけて完成となりました。その時シェール・シャー・スーリは既に亡くなっており、フマユーンの反撃によって滅ぼされてしまい、ムガール帝国が再び復活して第3代皇帝アクバルが継承しました。
難攻不落といわれた城塞はついに一度も戦わうことなく、そのままになっています。
またシェール・シャーは、アフガニスタンのカブールからカイバル峠を越え、ラホールを通り、アーグラまで通じるGTロード(グランド・トランス・ロード)を造ったことでも知られています。私たちもGTロードを通ってロータス砦に来ました。
世界遺産。
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ロータス砦の中で最も有名なゲートはソハリ門です。
21.34メートルの高さ、幅20.73メートル、奥行き15メートルあり、中央のアーチ部は4.72メートルの幅があります。ソヘール門には、内部・外部ともに質素ながらも美しいヒマワリをモチーフにした装飾が施されている。
中央部のアーチ部の両側にバルコニーが設けられているのが最大の特長です。
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門の脇にある城壁です。
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城壁の上に立つと、いかに堅固な造りかが分かります。
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反対側に見える城壁は2㎞先です。
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ロータス砦で特筆すべきは内部に村があることです。世界遺産の中に人が住み生活しているのは極めて珍しい。
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立派な家が立ち並んでいました。
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皇帝フマユーンがイランから連れてきた熟練工の末裔らしいのですが、自分たちは王様の許可を得て代々ここにいるので、住む権利があると主張しているようです。
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500戸、2000人ほどの人たちが暮らしていて、店舗もあります。
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ロータス砦には3か所の階段井戸があります。3万人の兵士を養うためには大きな井戸が必要だたのです。
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井戸の階段は148段あり、深さは石灰石層にまで達しています。
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井戸の大きさが分かります。
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シャー・チャンドワーリー門は二重構造で、幅13.3メートル、奥行き8.23メートル、中央のアーチ部は幅3.66メートル。
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大臣マン・シングの宮殿、王に代わりマン・シング大臣がここに詰めていました。
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その近くにある大臣の妻の宮殿。どちらも元々はもっと大きな建物でしたが、今は一部しか残っていません。
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改めて、城壁の大きさを感じます。
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処刑場跡で、遺体はこの穴に落としたようです。
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最後の観光であるロータス砦を出発、夕食レストランに向かいます。

今回のツアーではショッピングの時間が無かったので、途中スーパーマーケットに立ち寄り、まとめて買い物。
手前にはカラオケ店もあります。
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最後の夕食は日本料理で、魚の天ぷらが出ました。
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バスの走行距離は合計で2400㎞。
結構ハードな旅行でしたが、一人の病人も怪我人もなく完走でしたのが何よりです。
パキスタンではどこでも気軽に声がかけられ、とても気持ちの良い旅ができました。
インダス文明を始めとする各種遺跡群はいずれも素晴らしく、期待以上でした。
ただ、私たちが観光したラホール市内で、3日後に大きな自爆テロが起きて100人近い死傷者が出てしまいました。
この国が平和で安全になり、多くの人々が安心して観光に来られる日が一日も早く訪れることを心から願っています。

最後までこの連載にお付き合い頂いた方々に感謝します
(終り)


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by kanekatu | 2017-03-26 17:02 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(6)モヘンジョダロ

この日から私たちへの警備が強化され、バスの前後に1台づつ警察の車両がついて移動することになりました。
観光中も、周囲を銃を持った警官が警護していました。
ただ、パキスタンのテロは警察や軍隊を標的にする事が多いので、これは良し悪しですが。
サッカルをバスで出発し、間もなくインダス川が見えてきます。かなり大きな川です。
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モヘンジョ・ダロは現地の言葉で「死の丘」を意味し、かつては非常に古い時代の死者が眠る墳丘として、地元民から恐れられていました。
やがて丘のてっぺんで仏教のストゥーパ(仏塔)が発見されて、一体は仏教施設だと考えられていました。
1922年、インド考古調査局員であったインド人歴史学者R・D・バナルジーの発掘調査によって、絵や文字の書かれた印鑑、像、紅玉髄などが見つかり、インダス文明の遺跡であることが分かりました。
インダス文明は紀元前2700年前から約1000年にわたり栄えたとされ、世界四大文明の一つとして数えられています。
ただ、発見された文字が少なく解読できないので実態がつかめておらず、滅亡の原因も不明です。
遺跡は何ヶ所か見つかっていますが、規模はここが最大で、今回のツアー参加者の大半はここを見学するのを目的としていました。
入口にある「神官王」と呼ばれる胸像の大きな模型で、実物はカラチ博物館に展示されていましたが掌に乗るような小さなサイズです。これが神なのか王なのかというのも論争点の一つです。
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遺跡の全景。死の丘と見られていたのも分かる気がします。
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丘のてっぺんにあるストゥーパで、これは後世に建てられた仏教施設です。
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ただ、この遺跡の下に塩の層があり、地下水位の上昇による塩害が進行し続けています。写真のように、遺構の構成物である煉瓦が塩分を吸い上げて風化してゆく塩分砕屑現象が止まらないのです。このままだと数十年で遺跡が破壊してしまう危険性があり、早急な対策が求められています。
ガイドによれば、パキスタン政府は対策に消極的だそうで、こういう所にこそ日本の援助が必要ではないでしょうか。
何せ、人類共通の文化遺産なんですから。
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排水溝。
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ゴミ箱。
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排水溝のある道路。
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大浴場。
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階段から浴場に入ったのでしょう。
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ここが浴場だと推定できるのは、内側に防水のための瀝青のライニングがしてあったことからです。
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大浴場から見た城砦の言われている領域の写真です。
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最大で4万人が住んでいたと推定されるこの地域にとって、大事なのは先ず水です。遺跡内には沢山の井戸の跡がありました。
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水を使えば排水溝が必要になります。大浴場の排水溝はかなり大きなものです。
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こちらは、雨水を貯めるための貯水タンク。
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穀物倉庫と見られ、壁の下部には空気が通る穴があいています。
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メインストリート。
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同じような区画が並ぶところから住居と考えられています。
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この上で土器を作っていたものと推定されています。
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これも井戸。バケツの様な容器に紐をつけて下におろし、水を汲み上げていたようです。
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未だ発掘途上の領域も多いのです。
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ガイドのアリさんが、ここはトイレだと示してくれました。排水溝もついていて水洗ですね。
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ここからは博物館に向かい、遺跡から発掘された品々を見学です。
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ヒーター。
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つぼ。
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土器類。
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猿の像。
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人物像。
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印章。
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印章の図柄を拡大したもの。文字が少なすぎて解読できていないそうです。
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計りと分銅が見つかっている所を見ると、マーケットがあったのかも。
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人骨。推定身長が2m近いそうで、かなり背が高かったんですね。
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こういう可愛い動物も。
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重要なことはインダス文明の遺跡から出土したものがメソポタミア遺跡から、またメソポタミアの遺跡に出土したものがインダスの遺跡から、それぞれ発見されていることです。当時、両者の間に交流があったということです。
インダス文明は分からないことばかりなのに、最大の遺跡であるここモヘンジョダロが塩害で崩壊しつつあるというのは危機的状況です。
日本など先進国が技術的、経済的援助を早める必要があります。

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by kanekatu | 2017-03-05 09:47 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(5)シャー・ジャハーン・モスク

タッタ郊外にあるシャー・ジャハーン・モスクはマクリー・ヒルと並ぶ世界遺産です。
タッタはかつてインダス川の河口にあって、港湾都市として栄えた街で、ムガール帝国の中心都市でした。その関係で当時お建物が多く残されています。
シャー・ジャハーン・モスクは帝国最盛期の第5代皇帝シャー・ジャハーン(在位:1628年-1658年)が建立したものです。
亡き妻を偲んでタージ・マハルを建設したことで有名ですが、その後は家臣の妻たちと乱倫を繰り返し、それが元で身を滅ぼしたというから決して純愛じゃなかったんですね。
どこか既視感があるのは、タージ・マハルを建てたのと同じ皇帝だからでしょうか。
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モスクの入口。材料が焼きレンガと釉薬の青色タイルとの組み合わせというのは他の建造物と同様です。
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モスクの洗い場で、信者はここで手足と口をすすぎ、中に入ります。
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さすが皇帝シャー・ジャハーンがタッタの街への感謝の意をこめて建てただけあって、内装が実に凝っています。漆喰と焼きレンガの組み合わせでしょうが、この曲線を作るのは大変な技術を要するでしょう。
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モスクの中庭で、中央奥に見えるのは礼拝堂です。礼拝堂が独立しているのはペルシャ風だそです。
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金色の釉薬タイルを併用してさらに豪華に見せています。
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礼拝堂の入口。人と比べて大きさが分かるでしょう。
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礼拝堂の中心であるミフラーブで、タイルでコーランが書かれているそうです。
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時計が置かれているのはお祈りの時間を示したもので、このモスクが現役であることを示しています。
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目くるめくが如き回廊、溜息が出ます。
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シャー・ジャハーン・モスクの見学を終えて、バスで一路モヘンジョダロの近くの街サッカルに向かいます。
途中のタッタ郊外の様子をいくつか紹介します。
長距離バスにリキシャ(三輪の小型タクシー、語源は人力車)、それにロバが引く荷車と、パキスタンの典型的な風景です。
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暑さのせいか、アイスクリームやジュースを売る店が目に付きます。
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屋台での食事風景。
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カラチの水瓶であるキーンジャル湖。
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休日ともなればボートや釣りなどレジャー客で賑わうそうです。中央付近の人の群れは洗濯をしています。
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遊牧民のテントです。各地を転々と移動しながら暮らしていて、水は灌漑用水などから得ているとのこと。こうした人々を含め、学校に通えない子どもたちも多いのです。
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日本でいう団地でしょうか。
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サービスエリアの商店街。バスのトイレ休憩に使わせて貰いましたが、ちょっと勇気のいるトイレでした。
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サトウキビを積んだトラクターの行列で、砂糖工場へ納品するための行列。今の時期が最盛期だそうです。この行列は延々と続いていて、待ち時間は1週間から時には20日間に及ぶとのこと。気が遠くなりますね。
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ようやく夕食。レストランが私たちの貸し切りだったので、とっておきの国産ビールにありつけました。
ただ、500ml缶で10ドルという超高値。選択肢がないんだから仕方ありません。でも、美味かった!
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この日はケバブーと揚げ物がでました。
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後は、ナンとカレーです。
見掛けはともかく、味はどこへ行っても美味で、これだけは感心しました。
ただカレーや香辛料が苦手という方は苦労していましたが、私は好き嫌いがなく何でも食べるので、食事には不自由はなかった。

泊まりはサッカルのロイヤルイン。名前と実態は大違いというホテルでした。

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by kanekatu | 2017-03-02 10:28 | パキスタン | Comments(2)

パキスタン見聞録(4)マクリー・ヒル

パキスタンの世界遺産は現在6か所ですが、その一つがタッター郊外にある二つ文化遺産です。
最初に訪れたのは「マクリー・ヒル」というイスラム教の共同墓地です。「マクリー」とは「小さなメッカ」を意味し、ここ15k㎡の土地に100万基もの墓や霊廟が建てられています。
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13世紀に聖者の霊廟が建てられたのが最初で、18世紀にかけて次々拡大していったものです。
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ドームが落ちてしまったものもあり、この様な補修も進められています。
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墓石を覆う布はお墓詣りに来た人が置いたもので、貧しい人がこの布を持ち去りお金に換えることができます。喜捨の意味もあるんですね。ビニールシートは雨よけでしょう。
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数ある廟の中で最も美しいのがジャーニィ・ベッグ廟で、青色タイルを巧みに使っています。
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入口のデザインは青タイルと焼きレンガの組み合わせに当時の職人たちの技を感じます。
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ドームの中にある墓石。
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ドームの天井のデザインが素晴らしい。
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タイルの青色は恐らくイランから伝わったものでしょう。
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イサハーン・タルハーン廟のドームは周囲を塀に囲まれています。
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17世紀に建てられたこの霊廟は、タルハーン王朝の国王の名が冠されています。
ドームの外側に置かれた墓石。
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ドームは現在補修中。
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ドームの入口も内部も青タイルを一切使用せず、焼きレンガだけで作られています。
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柱だけで構成されているのがイサハーン・タルハーン廟の最大の特長です。
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内部に置かれたイサハーン王と王妃の墓石。
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ディワン・シュラファ・ハーン廟は大臣の霊廟ですが、実力者だったのでしょう。周囲を塀に囲まれています。
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ドームの屋根に青色タイルが使われていて豪華な印象です。
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出入り口部分のタイル装飾が素晴らしい。
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ドーム内の大臣の家族の墓石。
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ドームの内側のモザイクの装飾は他の霊廟にない特長です。
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大臣の墓石だけに付けられていた立派な彫刻。
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見学時間が1時間ほどだったので、ごく一部しか見られなかったのですすが、全体の規模も大きさと、個々の霊廟の建築、装飾技術は素晴らしいものがありました。

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by kanekatu | 2017-02-28 08:49 | パキスタン | Comments(2)

憂きな中にも旅の空


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