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「伊東温泉 久遠 -KUON-」の不親切な対応

今秋に妻と温泉に1泊する予定で、海が見える部屋という謳い文句に惹かれ、ネットのHPから「伊東温泉 久遠 -KUON-」に申し込みを行った。
直ぐに予約確認のメールが届いたが、住所と電話番号の記載がないのに驚いた。当日、この確認メールを持参するようにと書かれているのだから、住所と電話番号は必須ではあるまいか。
予約時に要望を書く欄があり、連れが足が弱く階段が苦手なので「エレベーターがあるかどうかを連絡ください」と書いたが、数日経っても音沙汰なし。
仕方なく、HPにアクセスして電話したところ、1階と2階は階段のみ、2階以上はエレベーターが設置されているとのこと。当方の質問をスルーした点には釈明がなかった。
部屋に温泉が引かれているので大浴場は利用しないかも知れないが、食事は食事処(レストラン)なので、部屋と食事処が1,2階に分かれていると何度か階段を使わねばならない。そこで「部屋は何階になりますか? 食事処は何階になりますか?」というメールを送ったが1週間経っても返信がなく、これまた無視されてしまった。部屋が未定ということもあるだろうが、それならその旨、連絡はしてくれてもいいだろう。
ここまで不親切な旅館は、今どき珍しい。
ここに至って、宿泊した際のサービスが思いやられると判断し、予約をキャンセルした。

別の旅館に予約し、先の問い合わせをした所、10分で返信があった。
これがマトモなのだ。

# by kanekatu | 2019-08-03 09:39 | 国内旅行 | Comments(0)

世界の絶景シリーズの編集

11年前に「世界の絶景BEST10」シリーズを書きましたが、その後多くの国を訪問したため改めて内容を見直し、「世界の絶景SELECT」シリーズとして編集し直しました。
切り換えに伴い、「世界の絶景BEST10」シリーズの記事は削除します。

# by kanekatu | 2019-07-27 10:23 | 世界の絶景 | Comments(0)

世界の絶景SELECT「自然遺産」

世界の絶景シリーズの最終は「自然遺産」です。
山や川、滝、湖、砂漠などから特に印象に残った景観を選んでみました。
広大な平野や丘陵地帯、延々と続く海岸線、森や林、花が咲き乱れる野原など、景色の良い所は沢山ありますが、画像にすると意外につまらないのです。そうした場所の感動は、現地で味わうしかありません。

【イグアスの滝(ブラジル、アルゼンチン)】
旅行好きの人の話題にのぼるのが「世界三大瀑布」の制覇です。世の中には様々な「世界三大」があり、その専門サイトまであります。日本にも例えば「日本三景」や「三庭園」などがあり、語呂がいいのでしょうね。
その三大瀑布の筆頭にあげられるのがブラジルとアルゼンチンの両国にまたがる「イグアスの滝」です。近づくに連れて落下する滝の轟音が次第に高まってきますが、イグアスとは先住民の言葉で「壮大な水」を意味します。成田を出てから乗り継ぎを含めて28時間、到着した時のあのワクワク感がいいですね。
大小270以上の滝が連なり、最大落差は80m。特にアルゼンチン側から見た姿が壮観です。滝の落下点の近くまでゴムボートで行けるのも魅力です。
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【カナイマ国立公園とエンジェルフォール(ベネズエラ)】

今からおよそ20億年前、地球はゴンドワナ大陸と呼ばれる一つの大陸でした。それが約2億5千年前にゴンドワナ大陸の分裂に始まり、今のような大陸の配置になったのは約6500万年前と考えられています。
その大陸の分裂の際に、ギアナ高地は中心軸に位置していたため変化から免れ、20億年前の地球最古の状態が保たれていると推定されています。
長い歳月を経て、地球最古の岩の軟らかい部分は風と雨に洗い流され、硬い岩だけがテーブル状に残りました。これがテーブルマウンテン(テプイ)で、ギアナ高地全体でおよそ100を数えます。高さは高いものは3000mありますが、1000m級のものが多いようです。
テーブルマウンテンの一つアウヤン・テプイは広さが東京23区にほぼ等しく、ここに世界最長の落差979mを誇るエンジェル・フォール(アンヘルの滝)があります。滝の水は落下する前に空中に散ってしまうため、この滝には滝つぼがありません。余りに大き過ぎて、全体の姿を見るには飛行機で見るしかないのです。
このギアナ高地を含む一帯がカナイマ国立公園で、世界遺産に登録されています。ギアナ高地観光の入り口がカナイマ空港で、その直ぐ近くにカナイマ湖があります。
湖畔にはロッジが建てられ、ちょっとしたリゾート気分が味わえます。カラオ川をボートで上ったり、ジャングルトレッキングを楽しんだり、秘境なのにテーマパークみたいなのがとても楽しい所です。
欠点は雨期に行くと水量も豊富だし滝に近づけるが、雨量が多く滝全体を見るのが難しく、乾期は滝は見られるチャンスがあるが迫力に乏しく、滝に近づけないことです。
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【ビクトリアの滝(ジンバエブ、ザンビア)】
アフリカ南部を流れるザンベジ川の中流、ジンバブエとザンビアの国境にビクトリアの滝はあります。最大水量が1分間に5億リットル、滝の幅1700m、落差は110mで、全容はヘリコプターで上空から見るしかありません。舞い上がる水しぶきで全身がずぶ濡れになるため、見学は頭から足元まで覆うゴムのコートを着ます。
イグアスと両方を見た人にどっちが大きいかと訊くと、ビクトリア派とイグアス派に分かれます。どちらを先に見たのか、いつの時期に行ったのかといった条件が左右するようです。
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【九寨溝(中国)】
九寨溝は四川省の最奥部、岷山山脈の麓にあります。広さは720平方キロと東京23区より一回り広い。とても全部を周ることは出来ません。
急峻な峡谷に沿って大小100余りの湖沼が点在していますが、どれ一つを取っても他と水の色が異なります。午前と午後、晴天と曇天、風の強弱によっても絶えず水の色が変わってゆきます。
水底が透き通って見える透明な水の中に、樹氷のような白い「石灰華」が見られる。これが水のブルーと絶妙なコントラストを描いています。
同じ湖沼でもアルプスの山麓や北欧の景色とは全く異なり、全体が東洋的なのです。それでいて中国独特の水墨画の世界ともまた違う。
あの幻想的な光景は、一度見たら忘れられません。
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【カッパドキア(トルコ)】
トルコのアナトリア高原中央部に100平方キロにわたって岩石の台地が広がり、そこにキノコや煙突のような形の奇岩がそびえ、林立する「カッパドキア」、その光景は壮観の一言です。初めてこの光景を見た旅行者は例外なく感嘆の声をあげます。柔らかい地層と硬い地層が重なり合っていて侵食されて生み出されましたこの奇岩群は、世界でもカッパドキアだけだろうと思います。
3世紀半ば、ローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教の修道士たちが、カッパドキアに移り住みました。彼らは柔らかい岩をくり抜いて住居や教会を作ります。次に4~10世紀にかけて、今度はペルシア帝国の迫害から逃れるために、迷路のような地下都市を築きます。従って「カッパドキア」は自然と文化の複合遺産で、西アジア屈指の世界遺産です。
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【ナミブ砂漠(ナミビア)】
アフリカ大陸の南西部に位置するナミビア、その大西洋側に沿って広さ5万平方キロにわたるナミブ砂漠が広がります。今から8千万年前に生まれた、世界最古の砂漠です。
この砂漠の特徴は、砂の中に鉄やマンガンなどの金属酸化物を多量に含んでいるため、「赤い砂漠」になっていることです。高さが300m前後の砂山が連なっていますが、それぞれが違った色を呈しています。
その色も、時間と共に変化してゆく様子が見られます。
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【ユングフラウ(スイス)】
見所の多いスイスの中でも際立っているのが、世界遺産に登録されている「ユングフラウ‐アレッチュ」です。アイガー・メンヒ・ユングフラウに代表されるアルプスの連峰とアレッチュ氷河を擁しています。欧州で最も標高の高い登山鉄道から見るアイガー北壁や山麓の景色、山頂から見ることができるアレッチェ氷河など、実に素晴らしい景観です。
登山の拠点インターラーケンも氷河湖を抱く美しい町で、ヨーロッパでも屈指の観光地と言えるでしょう。
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【フィヨルド(ノルウェー)】
西ノルウェーの海岸沿いには沢山のフィヨルドがありますが、中でも人気が高いのはガイランゲルフィヨルドです。船で進むと切り立った崖が約20キロにわたって続き、エメラルドブルーの水面と、周囲の山肌のグリーンとの対比が実に美しい。
氷河から溶け出した水が滝となってフィヨルドに流れ落ちるさまを見ながら、私の頭の中にはずっとグリーグのピアノ協奏曲のメロディーが流れていました。
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【黄龍(中国)】
世界各地に存在する石灰棚の中でも、最もスケールが大きく景観が優れているのは、中国四川省東北部にある「黄龍」でしょう。
玉翠峯から流れ出た水が、石灰をたっぷりと含んだ岩の層を流れ落ち、地面の傾斜にそって棚田のような湖沼群を形成しています。その数は3400ともいわれています。
山頂の標高は3600mに達し、2006年にはケーブルカーが開通しましたが、天候と体調が許せば絶対に徒歩で登ることをお勧めします。黄龍の良さは歩きでしか味わえません。
最大の見所は五彩池ですが、それも下から一つ一つの湖沼を見てこなかったら、感動は半減します。
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【サントリーニ島(ギリシャ)】
サントリーニ島はエーゲ海観光の中でも最も人気が高く、イアの町の白と青の建物がエーゲ海ブルーとの美しいコントラストを私たちに見せてくれます。
火山の爆発による地殻変動により現在の島の形が生まれているところから、「アトランティス伝説」との関連も推測されていて、謎を秘めた島という点も魅力的です。
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【ミズリーナ湖(イタリア)】
イタリア北部に「ドロミテの真珠」と呼ばれるミズリーナ湖があります。
3000メートル級の山々が連なるドロミテの山岳地帯にあるこの湖は、海抜がおよそ1750メートルの高原にあります。一周およそ2.5kmの楕円形の湖で、どの位置からも美しい景観が見られます。
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【ブレッド湖(スロベニア)】
ブレッド湖はユリアン・アルプスに位置する氷河湖です。
湖の北岸には中世のブレッド城があり、湖の中央付近にはブレッド島が浮かんでいます。島には15世紀に建てられた聖マリア教会があり、私たちが訪れた時も結婚式が行われていました。
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【レマン湖(スイス)】
フランスとの国境になるスイス最大の湖。アルプスのローヌ氷河からうまれたローヌ河が流れ込んでできた湖で、ジュネーヴから再びローヌ河としてフランスへと流れていきます。湖の南岸はフランス領になります。アルプスと湖が織り成す風景の美しさは、まさに絶景です。
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【サハラ砂漠(モロッコ)】
サハラ砂漠は、アフリカ大陸の東西4800km、南北1800kmの広大な範囲に及ぶ世界最大の砂漠です。アフリカ大陸のおよそ3分の1の面積を占めています。
サハラ以北の5か国を訪れましたので、その度にサハラを見ましたが、中でもモロッコで見たサハラが最も印象に残っています。「メルズーガ大砂丘」の頂上にのぼり日の出を見たのですが、その時の美しさは忘れられません。砂丘の下では私たちを乗せてきたラクダが休息しています。
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# by kanekatu | 2019-07-27 10:11 | 世界の絶景 | Comments(0)

世界の絶景SELECT「街並み」

魅力ある街並みの名前をあげだしたら切りがありません。ここではパリやニューヨークなど大都市を除き、中世の面影を残す印象的な街並みを紹介したいと思います。
世界遺産に登録されている有名な町が意外とつまらなかったり、あまり世間に広く知られていない町が感動的だったり、やはり行ってみないと分からないことばかりです。
絶景の街並みを選んだ結果は、以下の通りです。

【トレド(スペイン)】
ここを見るためにスペインに行くという人がいる位、古都トレドは魅力のある街です。私もスペインのツアーで一日目の観光がトレドでしたが、結局旅行を終えてみると最初に行ったトレドが最も印象に残りました。
迷路のような細い道を歩いていると、中世都市にタイムスリップしたような錯覚に陥ります。
中世にはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教が共存していた町で、現在もそれぞれの寺院が当時の姿を残しています。
また画家エル・グレコが活躍した町としても知られ、代表作「聖母子昇天」などの作品はここトレドで観賞できます。
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【ドブロヴニク旧市街(クロアチア)】
旧ユーゴスラヴィアから独立したクロアチアを代表する世界遺産であるドブロヴニクは、「アドリア海の真珠」と称えられてきた街です。旧市街の周囲わずか2kmと、思ったより小さな街でした。
東西貿易の要衝として栄えた14世紀以来、自治都市として独立を守ってきました。
それが皮肉にも破られたのは、1991年に始まった旧ユーゴの内戦でした。ここドブロブニクもクロアチア独立戦争の舞台となり、街の8割が破壊されます。しかしその後市民たちの手で復興に乗り出し、元の姿を取り戻しました。
城壁の上から見た街の美しさは忘れられません。
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【カスバ(アルジェリア)】
アルジェリアの首都アルジェ旧市街は、16世紀にオスマントルコの海賊がこの町を拠点として活動したことが始まります。海賊たちが身代金などで得た富で、この街は建設されました。
1830年にはフランス軍がアルジェに侵攻し、街はフランス風に改造されていきました。この頃からカスバとよばれるようになりました。この街が一躍世界的に有名になったのは、1930年代フランス映画「望郷」の舞台になってからです。
1960年代のアルジェリア独立戦争では、ここカスバがフランス軍へのレジスタンスの舞台となりました。
現在は世界遺産に登録されています。
カスバは階段の町で、狭い階段が迷路のように張り巡らされています。今も多くの人がここで生活していますが、人口流出が続き、スラム化が進んでいます。
しかし老婆が孫の手を引いて階段を上がってくる姿や、路地からヒョイと人が出てきたり、壁に寄りかかって立っている人がいたり、そういうひとコマひとコマが絵になるんです。
あの不思議な空気は、その場所へ行ってみないと分かりません。
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【シバーム旧市街(イエメン)】
2500年の歴史を持つ「砂漠のマンハッタン」シバームは、地上約30m、8階建てからなる高層住宅がおよそ500棟、ひしめき合うように建っています。
シバームは古代ローマの時代から乳香の交易の拠点として発展してきました。冨が集まれば侵略や略奪が起こります。それを守るためにシバームは、街全体が要塞都市として築かれたのです。
驚くべきことに、高層住宅の主な建築資材は泥です。泥で作った家が数百年にわたり保つことが出来た理由は、この隙間のないひしめきあった家造りにありました。
遠くから見ると、まるで御菓子でできた家のように見えますが、家の中は敵の侵入を防ぐ様々な工夫が施されています。
今も多くの人々がこの街で生活しているのにも、驚きでした。
長閑な国が今は内戦状態になってしまい悲しい思いです。早く戦闘が終わり平和が戻ることを願ってやみません。
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【ブリッゲン(ノルウェー)】
ノルウェー南西部のベルゲンは、中世以来バルト海沿岸の貿易を独占していたハンザ同盟の拠点になりました。ブリッゲン地区は、そのドイツ商人たちの居留地でした。
港に面して、往時の木造建築が立ち並ぶ美しい街で、世界遺産に登録されています。
沢山の船が港を行き交い、街の中心部にあるマーケットは多くの市民で賑わっていました。今も活気溢れるブリッゲンは、とても魅力的な街です。
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【ハイデルベルグ(ドイツ)】
ライン川やその支流に沿って、中世の面影を残す街が続くドイツの中でも、ハイデルベルグの美しさは際立っています。
14世紀に建てられたハイデルベルグ城を中心に、その中庭から見下ろすと、レンガ色一色のハイデルベルクの街並みやネッカー川にかかる「カール・テオドール橋」が一望できます。
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【ドナウベント(ハンガリー)】
ドナウベントとはドナウ川がほぼ直角に曲がる場所で、ここからドナウ川が東から南へと流れを変えますが、ハンガリーで最も美しい地域です。
代表的な街としてエステルゴムがあり、ハンガリー初代国王で建国の父、聖イシュトヴァーン大王の生誕の地として知られています。
街の中心はエステルゴム大聖堂で、今なおハンガリーのキリスト教の中心地になっています。ドームのテラスからはエステルゴム市内、ドナウ川とマーリア・ヴァレーリア橋、対岸のスロバキアの町ストゥロヴを望むことが出来ます。
少し寂れた感じが何ともいえない風情の街です。
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【ヒヴァのイチャンカラ(ウズベキスタン)】
19世紀、ヒヴァは外敵の侵入を防ぐために、外・内壁と二重の城壁を築きます。その内側の城壁に囲まれた内城がイチャンカラで、ここには20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットなど多くの遺跡が残されている「博物館都市」です。1990年にはユネスコの文化遺産に登録されました。
夕方見張り台に登って見る景色は、イチャンカラの建物のタイルが夕日に赤く染まり、とても美しい光景を示していました。
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【キト旧市街(エクアドル)】
南米大陸の北西部にあるエクアドル、その首都キトは標高約2800mで、世界で2番目の標高の高い首都です。近くには標高が4794mのピチンチャ火山があります。
キトはかつて、クスコに次ぐインカ帝国第二の都市として栄えますが、1533年インカ帝国滅亡に際して、自らの手で破壊します。代ってスペイン人がこの街を再建します。スペイン人たちは、先ずキリスト教の施設を作り文化を広め、先住民に対して美術と彫刻の学校を建設しました。この結果、ヨーロッパとアンデス先住民との文化が融合した新しい芸術が花開いたのです。
キト旧市街にはスペイン植民地時代の建物が数多く残されており、落ち着いた佇まいを見せています。
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【ゲント(ベルギー)】
ゲントはベルギー第3の都市で、花の都市という名で呼ばれています。12世紀から栄えたベルギー屈指の古都です。
この地区は、レイエ川の西側にあるのがコーンレイ、東側がグラスレイと呼ばれ、当時の商人たちのギルドハウス(商業組合)が立ち並んでいます。
写真はグラスレイ側を撮影したものです。
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【コルチナ・ダンペッツォ(イタリア)】
北イタリア・ドロミテ渓谷の心臓部にあたるコルチナ・ダンペッツォは、3千メートル級の山々に囲まれ「黄金の盆地」と呼ばれています。夏冬問わず、高級リゾート地として人気が高い街です。
散策しているだけで気分が浮き立つような街です。
人口約5900人の小さな街ですが、1956年には冬季オリンピックが行われ、また2026年の冬季オリンピックがミラノとの共催で行われる予定です。
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【リガ(ラトビア)】
リガはラトビア共和国の首都で、「バルト海の真珠」と讃えられる美しい港町です。
旧市街のユーゲントシュティール建築群と呼ばれる地区、ユーゲントシュティールとは、19世紀末から20世紀初めにかけてドイツ語圏で花開いた世紀末美術のことです。元はフランス語で「アールヌーヴォー」と呼ばれていましたが、それがドイツに渡りこの名になりました。ラトビアがドイツ支配下にあった時期に建てられたもので、ソ連時代に発展が遅れたため、今こうして800棟を超える巨大な人の顔などが装飾された不思議な建築物が立ち並んでいます。アールヌーボー様式の建築群に出会えるのは、今はリガだけになってしまいました。
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# by kanekatu | 2019-07-26 09:13 | 世界の絶景 | Comments(0)

世界の絶景SELECT「聖地」

仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、ユダヤ教であれ、聖地といわれる場所は独特のオーラがあり、私のような無神論者であっても自然にこうべが垂れるような、厳粛な雰囲気を醸し出しています。
宗教は嫌いだが宗教施設は好きという変わった趣味の私が選んだ「聖地」10選は、以下の通りです。神様の怒りをかわぬよう順位を付けずに紹介します。

【ゴールデンロック(ミャンマー)】

ミャンマーのチャイティーヨにあるゴールデンロックは仏教の聖地です。
伝説によれば、11世紀に仏陀の遺髪を自分の髷の中に持っていた隠者が、時の国王に自分の頭の形と同じ岩を海底からこの山頂に運ばせ、その上に仏陀の髪を祭ったパゴダを建立したとされています。
斜面の岩の上に僅かに接触しているゴールデンロックは、その後の度重なる大地震でも転げ落ちることが無く、この形もまま保たれています。仏陀の遺髪が起こした奇蹟として信じられ、ミャンマー屈指の巡礼地となっています。
黄金色なのは全面に金箔を貼っているためですが、岩の上のチャイティーヨ・パゴダは一体どうやって建てたのでしょうね。
この山頂に早朝登ってご来光を拝んだのですが、広い山頂は溢れんばかりの人で埋まっていて、ビックリしました。
さすが、信仰心の厚いミャンマー人です。
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【シャーヒジンダ廟群(ウズベキスタン)】

ウズベキスタンのサマルカンドにあるアフラシャブの丘、その南麓にあるシャーヒジンダ霊廟群は、中央アジア最大の聖地です。
ティムールゆかりの人々の巨大な霊廟が一直線に立ち並ぶ「死者の通り」は壮観です。主な廟だけでも11基あり、最も古いものは11世紀の建立です。
7世紀、ムハンマドも従兄クサム・イブン・アッパーズがイスラムの布教のためにこの地にやってきます。彼が礼拝中に異教徒の襲われ首を刎ねられてしまいます。でもその時少しも慌てず、自分の首を抱えたまま、深い井戸に入っていきます。
なんだか落語の「首提灯」みたいな話ですけど。
彼はそこで永遠の生命を得て、イスラムが危機に陥ると助けにくるのだそうです。
礼拝に来ている人は着飾っていて、特に女性たちのカラフルな服装が目立ちました。
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【ベナレス(インド)】

デリーとコルカタの中間に位置するベナレス(ヴァラナシ)は、ヒンズー教最大の聖地で、日の出とともに始まるガンジス河での沐浴の光景は、これぞインドです。
神聖なる川ガンジス河には、毎年インド全土から100万人もの人々が沐浴にきます。余りもの人々が巡礼にやってきます。
ガンジス河の両岸にはガートという沐浴場が設けられています。ガートは川に向かって階段状になったテラスで、下りて行ってガンジス河の水に浸かり、沐浴ができるようになっています。 ベナレスにはこのガートが100以上もあるとされ、毎日数千人もの巡礼者が集まってきます。
インドの人々はガンジス河で沐浴することにより現世の罪を洗い流し、来世の幸せが得られると信じています。
私たちはボートに乗って見学したのですが、ツアー客の一人の男性が、どうしても自分も河に入って沐浴すると言い出し、添乗員が必死で止めていたのを思い出します。今思うと、あの人はヒンズー教徒だったのでしょうか。
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【メテオラ(ギリシャ)】

メテオラはギリシャ中部にあり、平原の中に高さが600mにおよぶ岩山が立ち並んでいます。
その頂上に修道院が建てられていて、現在も6カ所の修道院に50人を超す修道士・修道女が暮らしています。
修道院ができたのは14世紀で、オスマントルコの迫害から逃れ、ギリシャ正教を守り抜こうとしたためです。縄はしごを使って上り下りし、必要な食糧や資材はロープであげるしか方法がない生活。敵の攻撃から身を守り、修行に専念するに相応しい場所だったのです。
国民の97%がギリシャ正教の信者であり、日常生活のあらゆる場面に正教が浸透しているギリシャの中で、メテオラはその信仰の中心地です。
同時にギリシャを訪れる人にとっては、ギリシャ観光の目玉でもあります。
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【シナイ山(エジプト)】

旧約聖書の「出エジプト記」にかかれているモーゼの足跡を追いたいと思い立ったのは、ヨルダンの死海の辺にあるネポ山に登った時でした。眼前に死海が広がり、その彼方にエルサレムの街が浮かんでいます。この光景は恐らくモーゼの時代と変わっていないでしょうから、彼もこの光景を見たのでしょう。
パレスチナの民を引き連れてエジプトを脱出して、シナイ山で十戒を受けてから更に40年、遂にモーゼはこの地で力尽きます。目の前に目的地のエルサレムが見えているのに死んでいかざるを得なかったモーゼの心境を思ったら、涙がこぼれました。宗教に関連する場所で涙が出たのは、後にも先にもここだけです。
それから約10年が経ち、ようやくシナイ山に登ることになりました。
シナイ山はエジプトのシナイ半島の南部にあります。ここでモーセが神から十戒を授かったとされるのですが、この周辺は山ばかりで、実はどれが聖書に書かれたシナイ山なのか、正確には分かっていません。現在のところ一応ジェベル・ムーサーと呼ばれる山(標高2,285 m)がその山だろうという推定されています。
モーゼが十戒を受けたのは明け方とされているので(これもはっきりとは分からない)、深夜に登山を始め、午前4時ごろ山頂に着きました。
こんな時間に山に登る物好きなどいないだろうと思っていたら、さにあらず。広い山頂はキリスト教徒の人々で埋まっていて、腰を下ろす場所を確保するのも大変でした。
暗闇からやがて日の出が近付くと、周囲の山々が次第に姿を現します。陽が昇る直前に山肌が赤く染まり始め、何となく厳粛な気分になってきます。
きっとこうした雰囲気の中で十戒を授かったのだろうと納得して、下山しました。
麓にある3世紀に建てられた聖カタリナ修道院は、世界遺産に登録されています。
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【生誕教会(パレスチナ自治区)】

“神の御子は今宵しも ベツレヘムに生まれ給う”
新約聖書ではイエスはベツレヘムで生まれたとされています。そのベツレヘムは今はパレスチナ自治区の中にあり、イスラエルが建てた8mに及ぶ高い塀と検問所を通って、パレスチナ側に入らねばなりません。イスラエル側に戻る時はもっと大変で、普通の入国審査より遥かに厳しいチェックがあります。
壁一つ越えると、ヨーロッパからいきなりアラブの国に来た気分になります。それほど格差は大きい。
ベツレヘムはまたダビデが生まれた土地でもあります。本当はガリラヤ地方のナザレで生まれ育ったと想定されるイエスですが、ダビデの子孫であるからには、どうしてもベツレヘムで生まれたことにする必要があったのでしょう。それに、その当時はエルサレム周辺に住む人だけが純粋なユダヤ人と見做されていましたから、やはりナザレ生まれはまずかったのだと思います。「こちとらチャキチャキの江戸っ子でぃ、埼玉は大宮の生まれよ。」では、啖呵が切りにくいのと一緒です。
イエスが生まれたのが12月というのも変です。パレスチナ地方で羊の放牧は春から秋までですから、羊飼いが寝ずの番をしていたわけがない。
まあ、あまり野暮なことは言わず、ここはベツレヘムで生まれてことにしておきましょう。
ベツレヘムの小高い丘の上にイエスの生誕教会があります。その地下にはイエスが生まれたとされる場所(写真)があり、銀の十字架が嵌め込まれています。東方の3博士が星に導かれてベツレヘムに来て、生まれたばかりのイエスに会うのですが、そのベツレヘムの星を形どったものです。
すぐ横にはイエスの家族が暮した洞窟があって、イエスが寝かされていたという馬の「かいば桶」(石製)まで残されています。
信じるかどうかは自由ですが、信ずる者は救われます。
イエスの誕生に因んだ教会らしく、厳粛というよりは明るさの感じられる施設でした。
警備にあたる警察官の制服が見たようだと思ったら、日本の警察から送られたものをそのまま使っているとのことでした。
パレスチナ自治区は本当に貧しいんです。
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【聖墳墓教会(イスラエル)】

イスラエルが実効支配しているエルサレム、その旧市街はわずか1km平方四方という狭い地域ですが、ここにユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教の聖地があります。
その内、キリスト教の聖地に関しては、イエスが十字架を背負って歩いた「悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)」と、イエスが十字架に架けられた場所に建つ「聖墳墓聖堂」が中心となります。
イエスが死刑宣告され磔刑に至るまでの経過というのは、キリスト教徒でない私たちにとって、理解し難いところです。イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘に上がり、磔となって遺体が葬られるまでの間、彼の12人の使徒の誰一人としてイエスを助けようとしない。むしろ手を差し伸べたのはエルサレムに住み一般の信者たちでした。
これを解く鍵は、処刑される前夜の「最後の晩餐」の後の「ゲッセマネの祈り」にあると思います。
最も信頼の厚いペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人の使徒を待たせて、イエスは一人だけでゲッセマネの園に入り、神に全人類の罪を一身に背負って自ら死を受け容れることを祈ります。
それから3人の弟子たちの所に戻ってくると、3人とも眠っていました。「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切るものが近づいてきた。」とイエスは語ります。
イエスを十字架から降ろしたのはアリマタヤのヨセフで、遺体を清拭した後に墓に納めます。この時、マグダラのマリアら女性信者が協力したようです。
聖墳墓聖堂の中にイエス・キリストの墓(写真)がありますが、一度に3~4人しか入れません。内部は意外に狭いですが、とても厳粛な気分になります。
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【エチミアジン大聖堂(アルメニア)】

アルメニア正教がキリスト教の中でも特別の地位であることは、エルサレムを訪れた時に実感しました。
エチミアジン大聖堂は世界最古の教会で、街の歴史の中心地でもあります。啓蒙者グレゴリオスによって301年から303年にかけてアーチ型の教会が建てられました。その間に、アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教に取り入れたのです。この大聖堂はユネスコの世界遺産に登録されている。
なお、エチミアジン大聖堂のエチ=降臨、ミアジン=唯一の神の子イエス、つまりキリストが降臨した場所という意味です。
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【サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)】

サンティアゴ・デ・コンポステーラはローマのバチカン、イスラエルのエルサレムと並ぶキリスト教三大聖地の一つです。
他の2か所は既に訪れているので、三大聖地を制覇したと言うわけです。
訪問した2010年は「聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の大祭年」でした。その大祭年の時だけカテドラルの「免罪の門」が開かれ、そこをくぐると全ての罪が許されます。過去の罪を一切消し去り、身も心も清らかになって日本へ戻ってきました。
伝説によれば聖ヤコブはスペインで7年間布教活動をした後エルサレムに戻り、殉教してしまいます。
弟子たちが遺体を舟でスペインに運び埋葬しますが、イスラム教の侵入の時代に墓は忘れ去られます。
9世紀になって、星に導かれた羊飼いの少年(どこかで聞いたようなお話)が墓を見つけ、その場所に教会を建てたのが今のサンティアゴ・デ・コンポステーラです。
聖ヤコブはレコンキスタの時に、キリスト教の部隊がイスラム教の部隊に押されていると、どこからともなく白馬にまたがった聖ヤコブが現れ、イスラム教の人間をバッタバッタとなぎ倒し、それをきっかけにキリスト教が勝利したという伝説も残されています。
だから聖ヤコブは、スペインにとって救国の英雄でもあります。
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【嘆きの壁(イスラエル)】

エルサレムのイスラム教の聖地・岩のドーム、この岩というのはアブラハムが自分の子イサクを神に捧げようとしたモリヤの丘(つまり、神と人間の最初の契約が行われた場所)であり、又ダビデが神の契約を祀った場所であるとされています。ということはアブラハム宗教の共通の聖地ということになります。
かつてこの場所にはソロモン王の神殿がありましたが破壊され、今は神殿を囲んでいた西側の壁の一部が残されているだけです。ここがユダヤ教の聖地「嘆きの壁」です。ユダヤ教徒がここで祈りを捧げるまでに1900年の歳月を要しました。
祈りをする際に、壁の石の隙間に各自の願い事を書いた小さな紙を挟むのですが、これが夜露に濡れた状態が涙を流すユダヤ人の姿を映しているとされ、ここからこの壁が嘆きの壁と呼ばれるようになりました。涙を流しながらお祈りをする人もいます。
一体何を祈っているのか現地ガイドに訊ねたら、現在イスラム教の管理下にある場所に、ユダヤ教の神殿を再建することを祈っているとか。気持ちは分かりますが、これは難問ですしそれにアブナイ。
こうなればいっそ3階建ての宗教施設を建てて、各フロアーをくじ引きでユダヤ教、イスラム教、キリスト教にでも割り振りする以外、平和的解決の道がなさそうです。
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過去の人類の歴史を振り返れば、「宗教」の名のもとにどれだけの血が流されてきたでしょうか。
人間を幸せに導くはずの宗教が、不幸を拡大再生産したのでは何もなりません。
世界各国の「聖地」を巡りながら、この事を強く感じました。


# by kanekatu | 2019-07-09 11:53 | 世界の絶景 | Comments(0)

世界の絶景SELECT「文化遺産・建物」

ノイシュバンシュタイン城(ドイツ)

ドイツ観光で最も人気が高いのはロマンチック街道ですが、その終点に位置するのがバイエルン王ルートヴィヒ2世により建設された「ノイシュバンシュタイン城」です。
ルートヴィヒ2世が「私自身の作品」として建てただけあって、城全体が大きな美術作品ととらえることができます。城としての実用性は無いものの、その姿の美しさは例えようがありません。
この城は1869年に建設が開始され、1886年にルートヴィヒ2世はこの城に住みますが、わずかに102日間で別の場所に軟禁され、謎の死をとげます。そう思って見ると、どこか悲しさを漂わせているかのようにも見えます。
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姫路城(日本)

最初の築城は14あるいは16世紀ごろと推定されていますが、池田輝政によって1609年に現在の形の城が完成しています。
その後は、徳川四天王の一人で勇将といわれた本多忠政が入城します。
当時、西国には秀吉恩顧の大名が大勢いて、かれらが連携して大阪や京都にのぼることを阻止するには、この姫路城がとても大事な役割を持っていました。
だから徳川家として最も信頼のおける大名を配し、頑健な城郭を築いたわけです。
姫路城は機能美と様式美が見事に融合した建築物だということです。
姫路城は大天守と三つの小天守、それらを結ぶ渡櫓によって構成される連立式天守閣の構造を持っています。
築城当時の姿がそのまま残されているという点も特長で、太平洋戦争当時は城をすっぽりと覆って、米軍の爆撃から守ったという市民の力が与っています。
我が国で初めて世界遺産に登録されたのも、こうした理由があったからです。
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シェーンブルン宮殿(オーストリア)

オーストリアの首都ウィーンにあるシェーンブルン宮殿は、ハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジアによって18世紀に建造されたもので、最も優美な宮殿建築の傑作といえましょう。
宮殿の部屋数が1441室というのは、ベッドの上で帝国を築いたハプスブルグの象徴でもあります。
敷地内に世界最初の動物園や植物園が造られ、今は最上階が一般市民のアパートメントとして利用されていたり、ウィーンという都市の大らかさが伝わってきます。
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ブルーモスク(トルコ)

正式名称は「スルターンアフメット‐モスク」。かつてのビザンツ帝国の首都であり、15世紀からはオスマン帝国の首都として栄えたイスタンブールにあります。
17世紀初め、オスマン帝国のスルターン、アフメット1世により建造されたもので、高さ43メートル、直径27.5メートルの巨大なドームを中心に、大小34のドームをもち、周囲に6本の尖塔が立っています。内部がイズニク陶器の青いタイルで装飾されていることから、ブルーモスクと呼ばれています。
これ程美しいフォームのモスクは他に例が見当たらないほどで、宗教寺院の建築物の傑作です。
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イマームモスク(イラン)

かつて「世界の半分」と称してその繁栄を謳歌していたイランのイスファファンにあるイマーム広場、その中心にあるのがイマームモスクです。
青を基調とした正面部分のイーワーン(三方を壁で囲まれた門のような形をしたホール)や、二重構造のドームをもつ中央礼拝堂には鍾乳石(しょうにゅうせき)を模した精緻な装飾が施されています。イランにおけるイスラム建築の傑作として知られています。
イマーム広場に佇んでいると、確かに世界の半分かも知れないなと思わせられます。17世紀の建築ですが、モスク全体を覆う気の遠くなるような数のタイルの技術は、世界最高レベルといえるでしょう。
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黄金ドーム(イスラエル/パレスチナ)

エルサレムという都市は、ユダヤ教にとってはユダ王国の首都であった場所であり、その中心であるエルサレム神殿が置かれていた場所です。しかし西暦70年にローマ帝国により破壊され、今では外壁の一部が残されているだけです。これが嘆きの壁です。
キリスト教にとっては、エルサレムはイエス・キリストが処刑され、埋葬され、復活した場所として、今でも多くの教会が建っています。
イスラム教にとっては、コーランによればムハンマドが神の意志によりメッカのカアバ神殿から、一夜のうちにエルサレム神殿まで旅をしたことになっています。つまりムハンマドはこの神殿の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったというわけです。現在、ムハンマドが昇天したとされる場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれ、イスラムの聖地となっています。
エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって、それぞれの聖地であり、黄金ドームはその象徴的存在と言えるでしょう。
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サグラダ・ファミリア(スペイン)

「聖家族教会」の名でも親しまれています。
スペインのバルセロナはアントニ・ガウディの街でもあります。市内には7つものガウディの建築物がありますが、その中で最も有名なのが「サグラダ・ファミリア贖罪聖堂」です。ガウディの代表作と思われていますが、実はガウディ自身は1926年に亡くなっていて、彼の設計資料や製作した模型もほとんど残されていません。だから現在はガウディの思想(意志)を汲む形で、多くの建築家や彫刻家、職人がその作業を受け継いでいます。
この写真は20年以上前に撮影したもので、現在はかなり形が変わってきていると思います。教会建築としては相当に異色で、最終的にはどんな形になるのか楽しみです。
当初は完成までに300年かかると言われていましたが、今のところの完成予定が2026年だそうです。
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エルミタージュ(ロシア)

ロシアで最も美しい街、サンクト・ペテルブルグにある「エルミタージュ美術館」は世界屈指のミュージアムとして知られていますが、元々はロシア皇帝の「冬の宮殿」でした。宮殿は緑と白の石材を用いた美しいロココ建築で、街の中心部を流れるネヴァ川の辺に建っています。
北のヴェネツィアと称されるサンクト・ペテルブルグには多くの歴史的建築物がありますが、その中でもエルミタージュはその優美さが際立っています。
ロシア革命の後は、エルミタージュ美術館として市民に開放されました。
現在は周辺地域とともに世界遺産に登録されています。
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フラウエン聖母教会(ドイツ)

ドレスデン爆撃は、第二次世界大戦末期の1945年2月13日から15日にかけて、連合国空軍によって行われたドレスデンへの無差別爆撃を指します。
4度におよぶ空襲にのべ1300機の重爆撃機が参加し、合計3900トンの爆弾が投下され、この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊されました。
死者は2万5000人とも15万人とも言われています。
当時、戦争の帰趨はほぼ決着しており、この爆撃は戦略的に意味のない空襲でした。むしろドイツ軍の攻撃に対する報復だったと思われます。
戦後、ドレスデン市民はその瓦礫の一つ一つを拾い集め、街を元の形に復元しました。
フラウエン(聖母教会)はその象徴的存在で、2005年の完成です。
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シュテファン大聖堂(オーストリア)

シュテファン大聖堂は、オーストリアの首都ウィーンにあるゴシック様式の大聖堂です。ウィーンのランドマークであり、大聖堂を含むリングと呼ばれるウィーン歴史地区は2001年にユネスコの世界遺産に登録されました。
ハプスブルク家の歴代君主の墓所であるほか、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとコンスタンツェ・ウェーバーの結婚式が行われ、また葬儀が行われた聖堂としても知られています。
天に向かってそそり立つ高さ137mの南塔は、世界3番目の高さで、塔頂に上るとウイーンの街が一望できます。
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グリ・アミール廟(ウズベキスタン)

ティムール帝国は、14世紀から16世紀にかけ、中央アジアから西アジアにまたがって栄えた大帝国でした。1369年、ティムールによって建国。首都のサマルカンドを中心にイスラム文明が栄えました。
ティムールが明国遠征の途上で1405年に急死してしまい、彼の息子や孫たちと一緒にこのグリ・アミール廟の中に眠っています。
グリ・アミール廟は、青の都と謳われているサマルカンドの中でも、美しさと壮大さがひときわ目立つ建造物です。
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# by kanekatu | 2019-04-12 10:30 | 世界の絶景 | Comments(0)

「稲取銀水荘」宿泊と伊豆・三島の桜(2019/4/1-2)

4月1日から1泊2日間で、「稲取銀水荘」宿泊に、伊豆高原と三島神社の花見に行きました。のんびり団体ツアーで、1日目は列車で伊豆稲取に着き、そのまま「稲取銀水荘」に投宿。早めに着いたのでチェックインの14時までロビーで待機。稲取では最高級旅館とされているだけに、施設は手がこんでいます。
入口で、ここは全室オーシャンビューです。
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玄関ロビー。
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ロビーの一角に雛人形が飾られていて、吊るし雛という珍しい飾りつけです。この下には池があり錦鯉が泳いでいました。
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ようやくチェックイン、部屋番号が書いた紙が渡され、各自で部屋へ。案内は一切なし。エレベーターを降りてウロウロしていたら、従業員が「真っすに行って右へ回って下さい」。
廊下の途中にはこういう小さな中庭があります。
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部屋は11畳の和室で広縁つき。
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眼前に伊豆東海岸が拡がり、さすが眺めは最高です。
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夕暮れの風景。
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大浴場は2階にあり、脱衣場も湯船も広々としていました。特に露店風呂は海に面しているので開放感を味わえます。
欠点はカランの給湯時間が短いことで、1回に30秒ほどで切れてしまいます。節水のためでしょうが、とても不便でした。
バスタオルが用意されていましたが、午前7時から午後7時までの間だけなので中途半端な感があります。

夕食は8階の会場ですが、テーブルを連結させて、家族が差し向いに座るスタイルです。団体でも旅館によっては家族単位で席を用意するケースもありますので、高級旅館にしてはどうなのかなと思いました。
献立は鮪と鯛の刺身、金目鯛の煮つけ、鮑とつぶ貝の蒸し焼きなど海鮮料理が主体でしたが、みな少量で食べ堪えはありません。
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味付けは良かったですが、ご飯が雑炊、スイーツは杏仁豆腐とは、些か手抜きでは。
あるいは団体専用のメニューかも知れませんが、やや期待外れでした。

朝食は和洋ビュッフェスタイルでしたが、品数が多く充実していました。

「稲取銀水荘」を5段階で採点すると、次の様になります。
部屋 5
浴場 4
夕食 3
朝食 5
接遇 2
総合的にはハード面は良かったですが、ソフト面では不満といった所です。
旅行のサイトではかなりの高評価になっていますが、高級旅館としては物足りないというのが感想です。

2日目は10時にチェックアウトし、ここからは観光バスでの移動です。
最初の観光は「伊豆高原」の桜並木で、約4㎞にわたって桜のトンネルが出来ています。
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ソメイヨシノはほぼ満開でした。
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その後「川奈ホテル」に移動し、ここでフランス料理のランチです。
前菜は、タコのマリネのサラダ。
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メインは、金目鯛。
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スイーツは、プリンとケーキ。
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料理の中身といい、味付けといい、従業員のマナーといい、言う事なしです。さすが、名門ホテルは違います。

午後の観光は、伊豆国一ノ宮・伊豆国総社である「三島大社」。源頼朝が源氏再興を祈願した神社として知られ、“日本総鎮守”と仰がれていた時代もあったそうです。
本殿は、1854年に起きた東海大地震によって倒壊し、その後再建されました。国の重文に指定されています。
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こちらも桜の名所として有名で、境内には沢山の桜が咲いていました。
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桜の花だけ見るのなら近所の公園で十分ですが、桜にしろ紅葉にしろ大事なのは背景です。この様に背景に池があると、一段と映えます。

復路は、熱海から列車で帰京。

今回の小旅行、花見のベストシーズンに加えて好天にも恵まれ、とても楽しい旅となりました。


# by kanekatu | 2019-04-04 12:06 | 伊豆・箱根 | Comments(2)

世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編

世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編


マチュピチュ(ペルー)

ペルーのマチュピチュの最大の魅力は、ロケーションです。標高2400mの位置にあり、山道を登っていくと急に視野がひらけ、忽然と空中都市が現れる、このサプライズが観光客の目に焼きつくのです。後方の山も効果的ですね。
最近の研究からマチュピチュは、15世紀の第9代インカ皇帝の築き上げた王直轄の都市であることが分かりました。ただなぜここの場所に街を造ったのか、なぜ滅亡してしまったのか、未だ解明がされていません。
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ナスカの地上絵(ペルー)

ペルー南部のナスカ平原と呼ばれ砂漠に、1~6世紀に古代ナスカ人が描いたという巨大な地上絵が残されています。その数は数百にのぼりますが、何といっても不思議なのはこの絵が上空からしか見えないことです。だから飛行機が発明されるまで、誰もこの絵に気付かなかった。
遺跡としては、地面に30センチほどの幅で浅い溝を掘っただけの絵で、それだけでは何の変哲もありません。
また、遺跡として認識されていなかった頃の車両が上を走った形跡もあり、保存状態には心配な面もあります。
軽飛行機でひどい酔いと戦いながら見る地上絵は、見れば見るほど不思議な気持ちになります。
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メテオラの修道院(ギリシャ)

メテオラはギリシャ中部にあり、平原の中に高さが600mにおよぶ岩山が立ち並んでいます。
その頂上に修道院が建てられていて、現在も6カ所の修道院に50人を超す修道士・修道女が暮らしています。
修道院ができたのは14世紀で、オスマントルコの迫害から逃れ、ギリシャ正教を守り抜こうとしたためです。縄はしごを使って上り下りし、必要な食糧や資材はロープであげるしか方法がない生活。敵の攻撃から身を守り、修行に専念するに相応しい場所だったのです。
国民の97%がギリシャ正教の信者であり、日常生活のあらゆる場面に正教が浸透しているギリシャの中で、メテオラはその信仰の中心地です。
同時にギリシャを訪れる人にとっては、ギリシャ観光の目玉でもあります。
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アテネのパルテノン(ギリシャ)

パルテノン神殿、第一印象は建物に風格というか、品があります。紀元前に創建された当時は、内部には高さ12mのアテナ神の像が安置され、壁面には数多くのレリーフや彫刻像で飾られていたのですが、現在残されているのは、いうなればスケルトンだけです。それでも大理石から作られた46本の巨大な列柱から成る建物は十分に美しい。
ドリア式の柱は中間で膨らんでいて、上部は細くなっています。そして完全な垂直ではなく、少し内側に傾いて立てられています。
ただレバノンのバールベックのバッカス神殿に比べると、スケールの小ささは否めません。
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ポンペイ(イタリア)

文化遺産の多いイタリアですが、一つ選ぶとすればポンペイ遺跡となるでしょう。
紀元前から繁栄していた古代都市ポンペイは、今から約1900年前の79年、ベズビオ火山の噴火で灰の下に埋もれ、突如として姿を消した悲劇の都市です。噴火による埋没後、1748年に再発見され発掘が行われました。
掘り起こされた遺跡からは、住居や壁画、落書きなども発掘され、当時の人々の日常生活を鮮明に知ることができます。また石膏によって復元された遺体からは、噴火直後の慌ただしい様子が分かります。
これだけ生々しい姿を示している遺跡は極めて稀です。
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アウシュヴィッツ(ポーランド)

私たちが普段耳にするアウシュヴィッツですが、次のように分かれています。
アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)
アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ
アウシュヴィッツ第三強制収容所モノヴィッツ
アウシュヴィッツ第一強制収容所はドイツ占領地のポーランド南部
モノヴィッツは連合軍による爆撃や爆破のため今は何も残っていません。
そのため「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」というのが一般的な名称とされています。
いずれもナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家をあげて推進した人種差別的な抑圧政策により生まれた強制収容所であり、ホロコーストの拠点として絶滅収容所とも呼ばれています。
ユネスコは二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて「負の世界遺産」に認定しました。
現存する施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開しています。

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ドブロヴニク(クロアチア)

ドブロヴニクの町が誕生したのは7世紀とされ、当時の名前ラグーサ共和国は交易によって繁栄していました。13世紀にはヴェネツィア共和国により実効支配されますが、14世紀にハンガリー帝国の支配に移管されると又自治を回復します。
しかしラグーサ共和国が壊滅的な打撃を受けるのは戦争ではなく、1667年に起きた大地震で、この時町の殆んどが崩壊します。
その後一度復旧しますが、今度はナポレオンによって降伏させられ、ラグーサ共和国は完全に消滅してゆきます。
20世紀に入ってからは旧ユーゴスラヴィアで起きた内戦により街は破壊されますが、今は完全な形に修復されています。
幾多の戦歴や地震に耐えて、アドリア海の真珠と呼ばれるドブロヴニクの町は、今日その姿を私たちの前に見せています。
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アルハンブラ宮殿(スペイン)

スペインを代表する文化遺産といえば、グラナダの丘の上にたつアルハンブラ宮殿でしょう。この宮殿の建設は、イスラム教徒の各都市がキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)によって陥落した後にムハンマド1世がナスル朝を開国し、1238年にグラナダに都を置いたことに始まります。
アルハンブラ宮殿の意味は「赤い城」で、歴代の王により建設は受け継がれました。内部は宮殿をはじめモスク、市場、軍事要塞などが整備された城塞都市を形成しています。
グラナダが陥落し、イスラム教からキリスト教に支配が移った後もほとんど破壊されず、キリスト教徒の王たちによって改築や増築が続けられました。そのため、アラブ様式だけでなく、中世イタリアのルネッサンス様式などが混在している珍しい宮殿建築です。
写真は観光用HPより引用。
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モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

モスタルというのは「橋の守り人」の意味で、ネレトヴァ川に架かる石橋・スタリモストが中心となってこの街は発展してきました。オスマン朝時代の1566年に架橋。橋台を使わず両岸からのアーチ状にかかる橋は見た目の美しと共に、この時代の建築技術の高さを示すものです。
しかしボスニア紛争中の1993年にこの橋は破壊されてしまい、ユネスコの協力で2004年に復元されました。だからボスニア復興の象徴とも言えます。
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テオティワカン(メキシコ)

2001年1月1日早朝、つまり21世紀の最初の日の出を、メキシコの太陽のピラミッドの頂上で迎えました。
マヤ文明は、紀元前後から16世紀頃まで,メキシコ,グアテマラ,ホンジュラスなどに展開した文明です。3世紀には一種の宗教的都市が形成され、巨大なピラミッド形の大神殿や祭礼場,裁判所,市場などが建造されました。
800年頃に頂点に達した後、文化の中心はユカタン半島に移って,950~1000年頃にはチチェン・イツァを中心とするメキシコの影響を受けた文化が発展しますが、15世紀には衰退してしまいます。
かつては20万人もの人口を擁した世界最大の宗教都市遺跡「テオティワカン」には、高さ64mで世界で3番目の大きさを誇る「太陽のピラミッド」や「月のピラミッド」があり、遺跡の中心に真っ直ぐのびる「死者の大通り」が今も残っています。
古代の人々が広大な敷地に区画整理された古代都市を築いていたことがはっきり分かる遺跡としても有名です。
但し、他の文化遺産と比べると修復が荒っぽく、どこまでオリジナルに近いのかが疑問です。
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# by kanekatu | 2019-03-04 12:00 | 世界の絶景 | Comments(0)

世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」アジア編

世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」アジア編

京都・奈良の寺社(日本)

文化遺産で世界一といえば、これは文句なく京都・奈良の社寺です。
例えば京都なら東寺、清水寺、三十三間堂、南禅寺、醍醐寺、下鴨神社、上加茂神社など、奈良なら東大寺、法隆寺など、いずれをとってもその一つ一つが世界遺産になるような建築物で、それが集積して存在しているのですから、これに勝る文化遺産など、世界のどこにも無いでしょう。
建物だけではありません。それぞれの寺院に置かれている仏像や絵画、あるいは庭園がまた実に見事で、仏教芸術として世界最高水準をいくものです。
更にそれぞれの施設において、建物が四季おりおりで全く違う表情を見せるのも、日本建築の素晴らしさです。
私は京都・奈良合わせて数十回観光していますが、ようやく主な寺社をひとわたりしたという情況です。
木と紙と布から成る建物を、数百年、千年という単位で長期にわたり守ってきた京都町衆の努力には、ただただ頭が下がります。
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アンコール(カンボジア)

カンボジアのアンコール遺跡は、アジアで最大規模の遺跡です。全てを観ようとすれば3日かかります。それほど大きい。
カンボジア・クメール王朝の首都として栄えたころの建造物ですから、12世紀に建てられたものです。ただ、収められていた仏像の大半が壊されたり持ち去られたりしていて、残っていないのが残念です。
また劣化が進んでいるので、希望される方は早く行かれることをお勧めします。
写真は観光用HPより引用。
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万里の長城(中国)

中国の現地ガイドを前にして毛沢東批判をしたら、ガイドが固まってしまいました。今でも毛沢東はタブーな様です。
人工衛星からも見える世界で唯一の建造物である中国の万里の長城。紀元前3世紀の秦の時代に造られ、その後幾多の増改築を重ねたもので、全長は5万キロというから地球一周より長い。但し、風化が進んでいて観光出きるのはごく一部です。
人間の凄さと愚かさを併せ持ったような巨大な遺跡、やはり一度は見る価値十分です。
写真は観光用HPより引用。
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パガンのパゴダ群(ミャンマー)

ミャンマーを訪れたのは民主化以前でした。各国の観光ガイドというのは自国の良さをPRする立場もあるのでしょう、政府批判はしないものです。しかしこの時のミャンマーのガイドは、かなり激しい軍事政権批判をしていたのが印象的でした。
仏教国ミャンマーはどこに行っても荘厳なパゴダ(仏塔)が見られますが、中でも11世紀ごろ栄えたパガン王朝の都であったパガンの2000基を越えるパゴダ群は、実に壮観です。
ランドマークであるシュエサンドーパゴダの最上層から見る夕日に映えたパゴダは、夢のような姿です。
国の事情から世界遺産になっていませんが、アジア屈指の遺跡と言えるでしょう。
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スコタイ(タイ)

タイ人の祖先は、中国の泰族の人々が南下してきた人たちで、10-14世紀にかけて北部を中心にクメール帝国(アンコール朝)の一部にのみ込まれてしまいます。
1238年にスコタイ王朝が誕生しますが、第三代王ラームカムヘンの時代に最も繁栄します。
タイ文字が作られたのもこの時代で、正にスコタイ(幸福の夜明けの意味)の時代を迎えますが、その後アユタヤに併合され、王朝の幕を閉じます。
現在スコタイ王朝時代の城壁の内側を中心として、多くの遺跡が残され、世界遺産に登録されています。
スコタイの寺院は、プラーンとよばれるクメール様式の塔堂、チェディとよばれる円錐形の仏塔、そして仏像が置かれています。
スコタイの仏像は、頭部が長く、面長で鼻筋が通り、目がつり上がっているのが特徴です。流れるような身体の線も特徴で、歩く姿の歩行仏像もスコタイの時代にしか見られません。
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敦煌の莫高窟(中国)

莫高窟は敦煌市の近郊にある仏教遺跡です。鳴沙山の東の断崖に、南北1600mに渡って掘られた700あまりの洞窟があり、その中に約2400の仏塑像が安置されています。壁には一面に壁画が描かれ、総面積は4500㎡にもなります。紀元前336年に楽和尚により創建されたとされ、その後、元朝までの約1000年間にわたり造り続けられました。建築、彫塑、壁画の保存状態や芸術性の高さには目を見張るものがあり、世界遺産に登録されています。現存する洞窟数は492ですが、その内常時公開されているのは40あまり。他に別料金が必要な特別窟があります。
なかでも脇侍菩薩図はあまりに有名で、中央は観音菩薩で、周囲に菩薩や釈迦の弟子が並んでいます。
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西安の兵馬俑(中国)

秦の始皇帝は中国史初の皇帝で、その強大な力を利用し大きな陵墓を建てた。これが秦始皇帝陵です。
「兵馬俑(へいばよう)」は秦始皇帝陵を取り巻くように配置されており、その規模は2万㎡、3つの俑坑には戦車が100余台、陶馬が600体、兵士俑は成人男性の等身大で8000体ちかくあります。
特長としては、
・兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはない
・秦の軍隊が様々な民族の混成部隊であった
・秦の敵国が存在した東方を向いて置かれていた
等が挙げられます。
兵馬俑はいずれも焼成されたもので、このためこの地に起きた洪水や火災から守られたと思われます。
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シーギリア(スリランカ)

スリランカを代表する遺跡は、シーギリアです。
ジャングルの中に突然大きな岩山が出現します。シーギリアロックです。
1500年前にこの岩山の頂上に宮殿が建てられ、そして岩肌に美女を描いた500もの壁画が描かれていました。
その後約1400年間にわたりこの遺跡は完全に忘れ去られていましたが、イギリス人により偶然に発見されました。
風化のため大半の壁画が消えてしまい、今では18の壁画だけ色鮮やかに残っています。
1500年の時を超えて出会った美女は、実に美しい。
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アジャンタ(インド)

「アジャンタ石窟」は、デカン高原西北部・サフヤドリ連丘の谷間を馬蹄形に湾曲して流れるワーグラー渓谷沿いに、幅600mにわたって断崖を穿って建造されたインド最古の仏教石窟群です。この遺跡の特長は内部に描かれた壁画で、インドでは古代から壁画技術が発達していましたが、高温多湿という気象条件から残っているものは皆無に近い。例外のはここアジャンタ石窟で、乾燥地帯という風土がその理由です。
石窟寺院は大きく二つに分かれ、一つは紀元前1世紀頃の前期窟で上座部(小乗)仏教期のもの、もう一つは紀元5世紀頃の後期窟で大乗仏教期のものです。
とりわけ蓮華手菩薩の壁画は傑作とされ、法隆寺金堂内陣の装飾に見られる菩薩像のオリジナルとして知られています。
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エローラ(インド)

「エローラ石窟群」は、オーランガバードの西北30㎞にあるエローラにある岩を掘って作られた石窟寺院群です。
34の石窟が、シャラナドリ台地の垂直な崖に掘られており、5世紀から10世紀の間に造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院や修道院(僧院、僧坊)などから構成されています。仏教寺院(仏教窟)の数は第1窟から第12窟、ヒンドゥー教寺院(ヒンドゥー教窟)は第13窟から第29窟までの17窟、ジャイナ教の寺院(ジャイナ教窟)は第30窟から第34窟までの5窟となっています。それぞれ石窟は近接している上に作られた時期も重なっています。
それぞれ100年以上かけて人力だけで造ったもので、巨大岩盤に綿々と掘り下げた人間の叡智と努力の結晶と言えましょう。
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タージ・マハル(インド)

インドを代表する文化遺産といえば、北部アグラにある「タージ・マハル」でしょう。
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、愛妃ムムターズ・マハルの死(1630年)を悼んで建設した霊廟で、2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造させたといわれています。
全体を大理石で造り、その中に28種類もの宝石を埋め込んであります。
計3回ここを訪れていますが、見れば見るほどその魅力が伝わってきます。
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ヒヴァのイチャンカラ(ウズベキスタン)

ヒヴァはウズベキスタンの砂漠の中にあり、肥沃なデルタ地帯だったのでBC3000年頃には農業が営まれていました。
8世紀にはシルクロードの中継点となり、町が形成されていました。
16世紀に入って、ウズベク人がヒヴァ・ハーン朝を建国し、シルクロードの中継点となっていたこの地を首都としました。
17世紀以後はホレズム地方随一のイスラムの聖都となり、外敵の侵入を防ぐため、二重の城壁に囲まれた町を形成しました。
この内壁は高さ8m、厚さ6m、周囲が2200mに及び、内側をイチャンカラと称しています。
これ以後ヒヴァは、中央アジアの真珠と称えられるようになります。
イチャンカラは全体が博物都市として、ユネスコ世界遺産に登録されています。
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メルブ(トルクメニスタン)

「中央アジアの北朝鮮」というあまり有り難くない綽名で呼ばれるトルクメニスタン、街中にニヤゾフ元大統領の大きな肖像画が掲げられ、銅像の周囲は兵士が警護し、首都アシュガバートのランドマークであるタワーのてっぺんには金色の銅像がクルクルと回っています。ニヤゾフさんがメロン好きだから「メロン記念日」は国民の祝日という徹底ぶり。反面、公共料金はほとんど無料だそうで、高福祉国家でもあります。
メルブはペルシャと中央アジアの中継点として栄え、BC6世紀ごろには既に都市が築かれていました。
その後、数々の王朝の興亡の舞台となり、12世紀にセルジュク朝の首都として最盛期を迎えますが、1221年モンゴル軍の来襲により完全に破壊されてしまいます。
大キズ・カラは、6-7世紀のササン朝ペルシャ時代の豪族の住居跡と考えられています。奴隷の娘たちをここに侍らせていたことから、「乙女の城」(キズ・カラ)と呼ばれるようになりました。
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ボロブドゥール(インドネシア)

ボロブドゥール遺跡は大乗仏教王国のシャイレンドラ王朝により、780-830年の間の約50年間で建設されたものと推定されています。
しかしこの建造物の目的が何なのか、寺院なのか王墓なのか王朝の廟なのか、未だに解明されていません。
ボロブドゥール遺跡はピラミッドのような形をしており、最底部の正方形の一片が123m、高さが34.5mの及ぶ巨大な建造物です。
1個が高さ23㎝に統一された安山岩ブロック200万個を、接着剤を使わずに積み上げたもので、下部方形6層と上部円形3層の合計9層より成っています。
周囲に彫られたレリーフは総延長5㎞、登場人物が1万人という壮大なもので、仏陀の生涯などの物語が精緻に描かれています。
上の円壇の中央には大ストゥーバがそびえ、その周囲を釣鐘形の小ストゥーバが72基、規則的に配置されています。
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モヘンジョ・ダロ(パキスタン)

市民レベルで日本人大好きという国は、知りうる限りではイランとパキスタンで、ちょっとしたスター気分を味わえます。
パキスタンのモヘンジョ・ダロは、数少ないインダス文明の遺跡としては最大規模のものです。
モヘンジョ・ダロは現地の言葉で「死の丘」を意味し、かつては非常に古い時代の死者が眠る墳丘として、地元民から恐れられていました。
やがて丘のてっぺんで仏教のストゥーパ(仏塔)が発見されて、一体は仏教施設だと考えられていました。
1922年、インド考古調査局員であったインド人歴史学者R・D・バナルジーの発掘調査によって、絵や文字の書かれた印鑑、像、紅玉髄などが見つかり、インダス文明の遺跡であることが分かりました。
インダス文明は紀元前2700年前から約1000年にわたり栄えたとされ、世界四大文明の一つとして数えられています。
ただ、発見された文字が少なく解読できないので実態がつかめておらず、滅亡の原因も不明です。
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# by kanekatu | 2019-03-01 19:05 | 世界の絶景 | Comments(2)

世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」中東編

世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」中東編

ルクソールの神殿群・王家の墓(エジプト)

生まれて初めての海外旅行がエジプトでその魅力に魅かれ、計3回同国を訪れました。
定番のルートに加え、アレキサンドリアやスエズ、今は入ることの出来ないシナイ半島まで巡ってきたので、エジプトの観光地はほぼ網羅したことになります。
文化遺産の宝庫ともいうべき中東でも、エジプトは別格の感があります。
なかでもルクソールは遺跡観光の中心であり、ナイル川の東岸西岸にある主な遺跡だけでも、
[ナイル川東岸]
・ルクソール神殿
・カルナック神殿
[ナイル川西岸]
・王家の谷
・ハトシェプスト女王葬祭殿
・メムノンの巨像
があります。
遺跡の多くはエジプト第18王朝(紀元前1570年頃-1293年頃)に造営されていますので、今からおよそ3500年前ということになります。
写真は、カルナック神殿。
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レプティス・マグナ(リビア)

リビアを訪れたのはカダフィの独裁化にありながら欧米諸国とは良好な関係を保っている時期でした。
教育や医療が充実しており、周辺のイスラム諸国がうらやむ福祉国家を目指していました。
だから、リビアが今の様な状態に陥るとは想像もしていなかった。
リビアを代表する遺跡レプティス・マグナは、世界各地に散在するローマ遺跡の中でも最高の規模を誇ります。砂に埋もれたまま忘れられたのが幸いして、他に比べとても保存状態が良いのです。
レプティスの絶頂期は、この町の出身者セプティミウス・セウェルスがアフリカ出身で初のローマ皇帝となった193年で、そのためにこれだけの壮大な都市が形成されたのでしょう。
海辺にあって、遺跡に向こうに地中海が見えるのも楽しみの一つです。
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サブラタ(リビア)

リビアの首都トリポリから西へ約100kmの地点に、サブラタ遺跡があります。
元々はフェニキア人が築いた街だったのですが、2世紀初めのローマ時代に、貿易港として大きく発展しました。しかし5世紀に入って、北方ゲルマンのバンダル人、7世紀のアラブ人の侵入により破壊され、廃墟となりました。
サブラタ遺跡の発掘と修復は、1900年代のイタリア占領下にようやく始まります。
大部分が破壊され、また地中海の海辺にあるため侵食も激しいのですが、それでも遺跡の全容を眺めると、往時の町の規模が偲ばれます。
サブラタ遺跡の最大の見所は、巨大な円形劇場です。
客席は3層になっており、通路を歩くと大きなビルの中にいるという錯覚に陥ります。
今まで見たローマ式円形劇場の中では最大規模であり、恐らくは世界的にも最大級であると思います。
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ペトラ(ヨルダン)

ヨルダンを訪れるきっかけは、当初はイスラエルのツアーに申し込んでいたところ、当時PLOとの戦闘が激しくなり中止。その代替としてヨルダン・シリアのツアーに振り替えたのです。ロイヤル・ヨルダン航空という、サービスという概念が全く無い(旅行史上最悪)キャリアで首都アンマンに着きました。
ヨルダンのペトラは紀元前1世紀ごろから、古代ナバテア人の有力都市として栄えた街です。ペトラ遺跡の最大の目玉は宝物殿「エル・カズネ」で、ペトラの入り口から続く、岩に挟まれた高さ100m、幅2mという谷間を歩くこと30分、突如正面に宮殿が、蜃気楼のように姿を現します。これには誰しも感動します。
遺跡全体は未だ発掘途上であり、全容が明らかになったらきっと壮観でしょう。
写真は観光HPから引用。
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ギザのピラミッド・スフィンクス(エジプト)

エジプトの首都カイロから近く、今では近傍まで住宅が迫っているため有難味が薄れた感のあるギザのピラミッド群ですが、巨大な建造物としての価値は十分です。
およそ4500年前に建造されたこの巨大なピラミッド群やスフィンクスは、他に例が無いものです。
今でも多くの謎に包まれていることも、この遺跡の魅力の一つと言えます。
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アブシンベル神殿(エジプト)

2回目のエジプト訪問は1999年末から2000年の初め、つまりミレニアムの時期でした。コンピューターの時計がどうのという噂が流れ、特に飛行機は危ないから避けるようにという風潮があった時期です。
そのせいかエジプト航空のジャンボ機で乗客が往路は数十名、帰路は私たちのツアー一行20名だけという貸し切り状態。
普段は混み合うエジプトの観光地もガラガラで、ゆっくりと見学が出来ました。ミレニアム大歓迎です。
アブシンベル神殿は、新王国時代第19王朝の王ラムセス2世によって建造されたもので、その巨大さに目を奪われます。
1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設計画により水没の危機にありましたが、ユネスコによって国際的な救済活動が行われ、ナイル川から210m離れた丘へ移築されました。
この大規模な移設工事がきっかけとなり、遺跡や自然を保護する世界遺産が創設されたのです。。アブシンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡です。
写真は観光用HPより引用。
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パルミラ(シリア)

ヨルダンからシリアに入国すると、街全体に大統領の大きな肖像画が掲げられ、いかめしい印象を受けました。首都のダマスカスは美しい街で特に夜景が綺麗だったと記憶しています。
ダマスカスからバスに揺られておよそ3時間、シリアの砂漠にあるパルミラ遺跡は、紀元前1~3世紀にかけて築かれたとされています。東西交易の要衝として築かれたオアシス都市として建設されました。遺跡には巨大な石柱が列をなし、劇場や大浴場、大神殿などまるでローマ遺跡のような豪華さです。
そして何よりすごいのは、発掘はほんの一部しか行われていないことで、全容を現した時は一体どんな規模になっているか、想像もつきません。
残念なことに長く続いたシリア内戦の中で遺跡の多くが破壊されてしまいました。今後、時間はかかるかも知れませんが、人類の貴重な遺産として再建、修復を期待したいと思います。
写真は、旅行会社のPRサイトから引用。
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タッシリナジェールの岩絵(アルジェリア)

「ここは地の果て」アルジェリアを訪れた最大の目的は、タッシリナジェールの岩絵を見るためでした。
日本が8つも入る大きさのサハラ砂漠ですが、数千年前には豊かな水と緑に溢れた土地であったことを岩絵が証明してくれます。
岩絵の時代を大きく分けると、次のようになります。
①狩猟時代
約7000年前で、岩絵にはキリン、バイソン、カバなどが描かれています。
つまり、サハラには沢山の野生動物が生息しており、サファリ(狩猟旅行)が行われていたと推測されます。
②牛の時代
約5000年前ごろと思われ、岩絵から野生動物が消え、代わりに家畜としての牛が描かれるようになります。
サハラ砂漠の大きさ、美しさにも魅了されました。
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ペルセポリス(イラン)

イランを訪れたのは、アメリカによるイラク攻撃が開始される数か月前でしたので、同国でもかなり緊張が高まっていました。
イランの反米感情が高いのは、かつてのイラン/イラク戦争の影響もああります。この時は米国がイラクに軍事援助をしていたので、イランに打ち込まれたミサイルはみな米国製だったそうで、被害の一部はそのまま保存されていました。
イラン観光の最大の目玉はペルセポリス遺跡です。
アケメネス朝ペルシアの都ペルセポリスは、西はエジプトから東はインドに至る大帝国を築きあげたダレイオス1世が紀元前518年に創建し、3代約60年にわたり建設が続けられました。切石を積み上げた東西約300m、南北約450mの大基壇の上に、歴代王の宮殿跡など壮大な建築群が残されています。
写真は観光用HPより引用。
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シバーム(イエメン)

今は内戦で入国が出来ないイエメンですが、私が訪れた当時は昔の日本を思わせるような長閑な国でした。
トンテンカンと鍛冶屋が打つ槌の音が響き、農家では麦わらで編んだ茣蓙の上に穀物が並べられ、天秤棒で水を運ぶ姿が見られました。
サウディアラビアによって乱暴に引き起こされた内戦が早く終結することを願っています。
1982年に世界遺産に登録されたシバーム旧市街は3世紀ごろに形成され始め、現在のような建物が建てられたのは8世紀ごろからとされています。
世界最古の摩天楼の町、遠くから見るとまるで蜃気楼のように砂漠の中に浮かんでいます。
建物は5-8階建て、高さがおよそ30m、全て日干しレンガで造られているのが驚きです。今でも住居として使われています。
降雨が少ないのと、建物全体が固まっていて集合体のような形になっているので、形を保っているのでしょう。
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バールベック(レバノン)

エジプトから始まった私の海外旅行は、レバノンで一段落となりました。
バールベックとは「ベカー高原の主神」を意味していて、ここにフェニキアの神ハダド(バアル)が祀られていた事に由来します。本来はフェニキア系の神々の聖地だったわけです。
しかし後にギリシア・ローマ系の神々と習合し、祭神はジュピター・ビーナス・バッカスと呼ばれるようになり、遺跡はこれら三神をそれぞれ祀る三つの神殿から構成されています。
世界でも有数のローマ神殿跡として、世界遺産に登録されています。
BC1世紀頃からローマ帝国の手により最初にビーナス神殿が築かれ、続いてジュピター神殿やバッカス神殿が建てられ、皇帝ネロの時代には神殿はほぼ完成したと見られます。
2.3世紀には中庭や柱廊などの造成も行われました。全体の建設には約400年間を要しました。
しかし4世紀になって、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝がキリスト教を国教と定めた後は、キリスト教徒によって神殿が破壊されました。その後、ジュピター神殿跡はキリスト教の教会に変わったと考えられています。
低い土地にあったバッカス神殿だけは土に埋もれてしまっていたので、破壊を免れて、今日もその雄姿を見ることができます。
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# by kanekatu | 2019-02-28 17:17 | 世界の絶景 | Comments(2)

憂きな中にも旅の空


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