四谷第六小時代(8)
2005年 03月 25日
先ず驚いたのは、生徒の数が多すぎて教室が足りないということで、2部授業をしていたことです。
これも、今の方からは想像もつかないと思いますが、一つの教室を2クラスが使うのです。
ですから、今週1週間は午前だけの授業、来週は午後だけの授業となります。給食もありません。
当然授業は遅れ、四谷第六小と比べると3ヶ月から半年の遅れがありました。
この結果、私はたちまちクラスのトップの成績になりました。
担任も実にヤル気の無い先生で、しかも病弱でうつ病ときてるんですから最低です。
授業は、しょっちゅう自習時間になりました。
さすがに、2学期になった時、担任の先生が交代になりました。
生徒の質も、四谷第六小とは、雲泥の差でした。
中国の故事に、孟母三遷の教えというのがあります。
子供の教育には、環境を整えるのが大事だという教訓ですね。
私自身の経験から言えば、正に真実です。
四谷と中野、中央線快速に乗れば10分位の距離です。それが、これだけ大きな差がついていたのです。
無理してでも、都心に近い学校に通わせたいという親の気持ちは、良く分かります。
今回で四谷第六小時代は終了します。
次回からは、中学時代の思い出を書きます。