スペイン・ポルトガル旅行記(7)
2010年 08月 16日
他の2か所は既に訪れているので、(クリスチャンでも無いのに)ここで三大聖地を制覇しようという目論見です。それもせっかくなら特別な年に。
折りしも2010年は「聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の大祭年」にあたり、それでは今年行こうと決心したのが今回のツアー参加のきっかけです。
それに大祭年の時だけカテドラルの「免罪の門」が開かれ、そこをくぐると全ての罪が許されるという訳で、過去の罪を一切消し去り、身も心も清らかになって日本へ戻れます。
伝説によれば聖ヤコブはスペインで7年間布教活動をした後エルサレムに戻り、殉教してしまいます。
弟子たちが遺体を舟でスペインに運び埋葬しますが、イスラム教の侵入の時代に墓は忘れ去られます。
9世紀になって、星に導かれた羊飼いの少年(どこかで聞いたようなお話)が墓を見つけ、その場所に教会を建てたのが今のサンティアゴ・デ・コンポステーラだそうです。
聖ヤコブはレコンキスタの時に、キリスト教の部隊がイスラム教の部隊に押されていると、どこからともなく白馬にまたがった聖ヤコブ様が現れ、イスラム教の人間をバッタバッタとなぎ倒し、それをきっかけにキリスト教が勝利したという伝説も残されています。
だから聖ヤコブ様は、スペインにとって救国の英雄でもあります。
スペインの教会にはそうした絵画が沢山残されていて、聖ヤコブ様の足下に大勢のイスラム教徒の死体が転がっている絵を見ることができます。
どうも聖ヤコブが今の中東問題をややこしくしているような気がしますけど。
信者以外には信じがたい話ではありますが、信じてください。
信じる者は救われる。
そういう訳で、ヨーロッパ各地から巡礼がピレネー山脈を越えて、徒歩で自転車で、ここまでお参りにくるのですが、その数毎年10万人だそうです。
スペインとしてみれば、有力な観光資源です。
巡礼者は巡礼の道にある各ポイントで、通行手形のような用紙に写真のようなスタンプを押してもらいます。
これにより間違いなく巡礼の道を歩いてきたということが証明されると、ゴールで写真のような証明書が発行されます。
仕組みとしては、四国の遍路に似ています。
ただ服装はだいぶ違っていて、写真のように女性は殆んどが短パン姿でした。首からホタテ貝を下げている筈ですが、よく分かりません。
巡礼と言うよりは、ハイキングみたいな感じですかね。
ここは「歓喜の丘」と呼ばれ、丘の頂上にのぼると遥か彼方にカテドラルの塔が見えます。
そこで巡礼者たちは「もう直ぐだ」と、銅像のように歓喜の声を上げたのでしょう。
夕方サンティアゴ・デ・コンポステーラに着いて、先ずはカテドラルへ。
とても大き過ぎて全景をカメラに収められません。
11-13世紀にかけてロマネスク様式により建てられた聖ヤコブ教会で、その後何度も増改築を重ね、現在の姿になりました。
夜になっても、続々と巡礼者たちが集まってきています。
宿泊はカテドラルの真ん前の「パラドール・デ・サンティアゴ・デ・コンポステーラ」です。長い名前ですね。
15世紀の建物で、元は巡礼者のための王立病院でした。
今でも毎日、宿泊を希望する巡礼者先着10名は無料で泊ることができるそうです。
こうした回廊が4つもあり、室内の廊下は迷路のようでした。
さすが五つ星だけあって、落ち着いたインテリアの室内です。
いよいよ「免罪の門」をくぐって、教会の内部に入ります。
門をくぐると、この教会のご本尊である聖ヤコブ像の後ろに出られます。
そこで像の後ろから首に抱きつくというのがルールのようで、私たちも慣わし通りに抱きついてきました。
像の下には聖ヤコブが埋葬された墓があります。
バチカンにより、ここに間違いなくヤコブの遺体が埋められていると認定されているとか。
信じましょう、信じる者は救われます。
荘厳なカテドラル内部の見学の後、近くのアラメダ公園に移動しました。
ここはカテドラルの全景が見られるビューポイントで、早速わたしも記念撮影。
なんだ! 顔が真っ黒でなんにも写ってないじゃないか!
さて、身体も心も清められたところで、スペインの国ともお別れです。
通常のスペイン国の観光ではアンダルシア地方とカタルーニャ地方が中心となり、それがスペインというイメージに固定化されてしまいますが、今回の観光コースでは異なったスペインの姿を見ることができます。
二つのパラドールに泊まったことを含め、いい思い出になりました。
次回は、ポルトガルを目指します。