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沖縄2泊3日の旅・その3

沖縄本島の地図は次の通りです。
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島は南北に長く、両端は東京―静岡間の距離に匹敵するとか。
東シナ海と太平洋を隔てる「縄のような形の島」から「沖縄」という名が付けられたという説があるそうです。
バスは南部の那覇から中部の読谷村(よみたんそん)に向かって北上します。
中部には米軍基地が集中していて、まるで基地と基地の間を走っているような感じを受けます。沖縄から基地を撤去して欲しいという声がある一方、基地に依存した生活があるというのが沖縄の現実です。この辺は原発問題と似た部分があります。県民の基地反対派と存続派は4:6から半々と言われていて、それが各自治体選挙結果にも表れています。そして騒音が激しく危険性が高いオスプレイ配備のような課題になると、全ての自治体が反対してます。

読谷での観光は世界遺産の「座喜味城跡」です。
読谷村のほぼ中央にある座喜味城跡は、15世紀初期に築城家として名手だったといわれる護佐丸(ごさまる)によって築かれたと伝えられています。規模は小さいですが、石垣のアーチ門や城壁の曲線に特徴があります。本土ではこういう形状の城壁は見たことがありません。
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写真中央の四角く囲われた部に城があったようです。
ここからは少し霞んでいますが海が見えます。
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沖縄戦での米軍上陸は1945年4月1日で、ここ読谷と嘉手納からです。この日、米軍により砲弾44825発・ロケット弾33000発・迫撃砲弾22500発が撃ち込まれたそうですから、この辺りは何も残っていなかったでしょう。
日本軍が南に向かうと同時に米軍も南下し、これから約3カ月にわたる地上戦が行われます。
特攻作戦や戦艦大和が撃沈されてのもこの沖縄戦です。
沖縄戦は太平洋戦争の中でも特殊で、日米双方の司令官が死亡しています。米軍の司令官は中将でしたが、これは現在に至るまでのアメリカ軍戦死者の最高官位です。米軍の死者12500人となっていますが、これ以上の数の兵士が精神を病んで本国に送還されたそうですから、いかに激戦であったかを物語っています。
そして沖縄戦終結の2か月半後に日本は降伏します。
近ごろネットの一部では、沖縄の基地反対運動を「反日」だの「工作員」だのと罵る輩がおりますが、彼らが少しでも沖縄の歴史や現状を知れば、そうした軽はずみなことは言えない筈です。

1日目の宿泊は沖縄残波岬ロイヤルホテルです。沖縄本島で2番目の客室数をほこるホテルで、部屋も機能的で使い勝手が良かった。
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夕食はチョイスでしたが、私たちは和琉食を選びました。全体に味付けが甘く感じました。私は食べ物の好き嫌いがありませんが、甘味が苦手なんです。専ら野菜や海草をつまみに、沖縄の地酒を冷やで呑んでおりました。
ホテルの中庭です。風力発電をしているようです。
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ようやく晴れてきて、ホテルから残波(ざんぱ)岬の砂浜と桟橋が見えました。
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白亜の残波岬灯台です。この付近は景勝地だそうですが、残念ながら今回は見学ができません。
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by kanekatu | 2013-05-01 11:01 | 国内旅行

憂きな中にも旅の空


by kanekatu