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西バルカン6ヶ国周遊記(2014/5/25-6/5)1

2014年5月25日より12日間、西バルカンのボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、コソボ、アルバニア、マケドニアの6ヶ国を巡るツアーに参加してきました。
旅行社はクラブツーリズム、参加者は22名。
この地域は以前から行きたいと思っていたのでようやく念願が叶いました。
ただボスニアやセルビアなどでは5月中旬に100年ぶりという大雨による大洪水で多くの方が亡くなり、被災者100万人、20万人が避難生活を余儀なくされているという報道があり、催行が心配されていましたが、結果としては予定通り行動ができました。

かつて「バルカン半島は欧州の火薬庫」と称され、近世から20世紀末まで幾多の戦乱に巻き込まれてきました。
バルカン諸国の地図は下記の通りです。
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南からトルコ、東からロシア、北からハンガリー・オーストリア、西からはドイツといった周辺国からの脅威にさらされてきたのがバルカンの歴史です。
12世紀にセルビア王国が形成されますが1389年にオスマントルコに破れ支配下に入ります。
1877年の露土戦争でオスマンがロシアに敗れると再びセルビア王国が生まれるが、北からオーストリア=ハンガリー帝国の支配が拡がり、ボスニア・ヘルツェゴビナが併合されてしまいます。
これに反発した民族運動がおこり、1914年にオーストリア皇太子夫妻が青年ボスニア党のセルビア人にサラエボで暗殺される事件が起きます。これが発端で第一次世界大戦が勃発します。
1918年にオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊すると、1929年にはセルビア人が中心の独裁制のユーゴスラビア王国が誕生しますが、クロアチア人の反発を買い、1934年にアレクサンドル国王が暗殺されてしまいます。
第二次世界大戦でドイツはユーゴスラビア王国を攻撃し王国は降伏、領土がドイツ、イタリア、ハンガリー、ブルガリアに分割されます。クロアチアを手に入れたドイツは傀儡国家のクロアチア独立国を築き、思うままにセルビア人やユダヤ人を迫害、虐殺します。
こうした中でユーゴスラビア人民解放軍が生まれ、パルチザン活動による抵抗運動を展開し、ドイツの敗北とともに指導者チトーを中心にした人民共和国が誕生、1963年にはユーゴスラビア社会主義連邦共和国に改称されます。
しかしソ連の崩壊、チトーの死を受けて、この共和国も崩壊、連邦各国の分裂が起き、内戦に向かって行きます。
これから後のことは、今後の記事の中で紹介してゆきたいと思います。

旅程ですが、5月25日22時30分発のトルコ航空0053便で成田空港を出発、およそ12時間でトルコのイスタンブール空港に26日5時に到着(日本との時差:6時間)、7時35分発のトルコ航空1017便に乗り継ぎ、コソボの首都プリシュティナ空港に8時10分に到着(時差:7時間)。
成田-イスタンブール間はビジネスを利用しましたので食事のメニューを紹介します。いずれもメインはチョイスでアルコールは飲み放題。
夕食のオードブル。
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生野菜を中心とした前菜。
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スープ。
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メインはチキン。酒はスペイン産赤ワインで通しました。
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朝食の前菜は生野菜とフルーツ。
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メインはスクランブルエッグとマッシュポテト。
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食事はまあまあでしたが、トルコ航空のサービスは頂けません。成田発のANAとのコードシェアー便であったにも拘らず、日本語を話せるCAが一人も搭乗していない。せっかくメニューが日本語表記されているのに、注文になると英語のメニューを通して行わねばなりません。
サービス面ではトルコ航空は失格です。

コソボの入国審査はパスポートの提示だけ。通貨はユーロが使用できるので楽です。
到着が朝で、これから即、終日観光になるので大変です。
by kanekatu | 2014-06-11 19:06 | 旧ユーゴスラビア

憂きな中にも旅の空


by kanekatu