西バルカン6ヶ国周遊記2(コソボ1回目)
2014年 06月 14日
コソボは2008年に独立した欧州で最も新しい国です。ただ独立国として承認しているのは日本を含め100ヶ国あまりで、ロシアやスペインなどは未承認です。もちろんセルビアでは現在も領土の一部(コソボ・メトヒヤ自治州)とみなしています。
地図は下記の通り。
正式国名はコソボ(コソヴォ)共和国、面積は1万908k㎡で岐阜県と同等。人口は約180万人、首都はプリシュティナ、民族構成はアルバニア人92%、セルビア人5%、その他3%。宗教は大半がイスラム教徒で、一部がセルビア正教徒。公用語はアルバニア語とセルビア語。通貨はユーロ。
面白いのは国旗で、国土と民族構成を表しているそうですが、素直に見ればEU指向がミエミエ、とは穿ち過ぎかな。
道路を走っているとアチコチに国旗が掲げられていますが、全てアルバニア国旗。ガイドにコソボの国旗は?と訊くと、ありますよと答えていましたがなかなか見つからない。実態はアルバニアがセルビア領土に食い込んだ形の国家といった所でしょうか。こうして見ればスペインなどがコソボを承認しない理由も肯けます。
住宅はレンガ造りの白い壁に赤い屋根が共通点です。
途中の高速道路はよく整備されていました。
最初の観光地はプリシュティナから約100㎞離れたデチャニ修道院です。
コソボには現在もNATO軍が駐留していますが、ここはイタリア軍が警備していました。観光バスもチェックポイントで止められ、OKが出てから中へ入れます。軍の事務所周辺は撮影禁止ですが、若い女性兵士をみつけ撮影許可を求めると彼女だけならと応じてくれました。未だあどけなさが残る若い女性で、撮影前に髪を直したのは女心でしょうか。右はツアー参加者。
もし騒乱が起きれば彼女らも武器を持って戦わねばなりません。戦闘になれば殺すこともあれば殺されることもある、イタリア人がコソボの国で。これが集団的安全保障というものの現実です。
コソボの世界遺産の一つであるヴィソキ・デチャニ修道院は14世紀に建てられたセルビア正教の修道院です。建築様式はビザンツ、ロマネスク、初期ゴシックの折衷です。
内壁は15年かけと言われるフレスコ画で覆われていて、保存状態も大変宜しい。
東方正教としては例外的に彫刻による装飾も施されています。
赤い布で覆われた棺は創立者のウロシュ3世の遺体が納められているそうです。
毎週木曜日には棺の蓋をあける儀式が行われ、多くの信者が集うとのこと。
ここから15㎞移動しペーチに向かいます。
途中の光景で、白馬が引く馬車に出会いました。王子様ならぬオジサンが乗ってましたけど。
小学生の女生徒たちです。昼前ですがもう下校時間なのでしょうか。
コソボの人口はこれから急激に増える見込みとか。その理由はアルバニア人の家庭では4-5人の子どもを持つのが普通だそうで、人工が倍増する日も近いとガイドが言ってました。
コソボに着いてから初めての食事です。移動途中にビール工場を見つけので、先ず地元のビール。美味い!
メインは肉、ビールさえあれば何でもOK!全て口に合う。
もう一つの世界遺産であるペーチ修道院は創立年代が不明ですが、およそ13世紀頃と推定されていて、14世紀にはセルビア教会の総主教座に就いたと思われています。
修道院内の教会は赤い色が特長ですが、手前の建物に隠れて頭の上しか見えません。
付属する小さな教会から想像してみて下さい。
コソボがセルビアから独立してしまったがために、セルビア正教のいわば総本山がイスラム教徒の国であるコソボに残されてしまった。
この事は後々紛争が再発する要因をはらんでいる、そんな危惧を捨てきれません。
これから元のプリシュティナの街に戻り観光のあと1泊して翌日はプリズレンの市街観光となりますが、これは次回に。
あわせて次回はコソボ紛争について触れたいと思います。