スイス旅行4(グレッシャー3000、レマン湖)
2016年 07月 20日
欧米の人から見ると東アジア人はみな同じように見えるようです。街を歩いていると時々「ニーハオ!」とか「アンニョンハセヨ!」と声を掛けられることがあり、その場合は同じ言葉を返しています。なかには「ノー!アイムジャパニーズ!」と答える人もいますが、そこまで拘らなくともいいでしょう。
およそ2時間半でピヨン峠を越え、展望台に行くロープウエイ乗り場に到着。ここから3000mまで一気に上ります。
山の天候が悪い様で、雲で周囲は何も見えません
グレッシャー3000展望台に到着しました。ここではピークウォークという、3000m級の二つの山の頂上を吊り橋でつなぎ、そこを渡るというものです。世界初の施設ということで、私たちも幅80㎝の吊り橋を渡りましたが、相変わらず周囲は何も見えない。これなら高所恐怖症の人でも大丈夫です。
時おり雲が切れると雪山が顔をのぞかせます。
数分歩いて向こうの山頂に到着。
風雨が強まったので、急いで元の展望台へ戻ってきました。一定以上の風速になると吊り橋を渡るのが禁止になるからです。下山する頃になったら雲が晴れてきましたが、天気ばかりはどうにもなりません。
バスで1時間半、レマン湖畔のシヨン城へ。
シヨン城はイタリアからアルプスを越えてやって来る商人たちに通行税をかけるために9世紀に建てられたものです。湖に突き出た岩盤の上に立っているため、水に浮かんでいるように見えます。ここはバイロンの詩「シヨン城の囚われ人」の舞台ともなりました。
ここから船着き場までは徒歩で。
いよいよレマン湖のクルーズ船に乗車です。
規定は2等でしたが、ここは3スイスフラン(半額サービス)をはり込んで、2階デッキが使える1等にグレードアップ。シヨン城を後方にして出港。
ここからは湖上からモントルーを見ることになります。時間がなくてモントルーの街の散策ができなかったが、湖上からたっぷりと観察することができました。
桟橋では半裸のおじさんが釣りをしていました。
湖畔に並ぶテントは7月1日から始まるジャズフェスティバルのための仮設場です。
モントルーの街がレマン湖から高台に沿って作られていることが分かります。
モントルーのいかにも高級リゾートらしい佇まいを見ることができます。
子ども達が湖に飛び込んで泳いでいる姿が見えます。階段では大人達が日向ぼっこ。
なんの銅像かと思ったら、クイーンのフレデリック・マーキュリーの像でした。いかにもジャズフェスティバルが開かれるモントルーらしいですね。
ここからは隣町のヴヴェイの街の様子ですが、かつてはブドウの集落地として栄え、今での高級別荘地として知られています。
ヴヴェイは、モントルーより高級な感じを受けました。チャップリンの別荘もここヴヴェイです。
1時間弱の短いクルーズを終え、下船してからバスでモントルーのホテルに着きました。
ここでスイスの軍事について書いてみます。
今でこそ豊かな国となったスイスですが、国土の8割が山岳部という地形は農業に適さず貧しい国でした。その中でいうなれば唯一の輸出産業が「傭兵」として外国へ兵士を派遣することでした。中世のおよそ500年間にスイスから傭兵として外国に出された兵士は100万人にものぼるという試算もあるようです。なかでも有名なのはフランス革命の時に国王を警備し、最後まで戦ったことです。勇敢で我慢強いスイスの兵士は引く手あまたで欧州各国で傭兵として雇われましたが、なかには前線でスイス兵士同士が戦うといったケースさえ現れました。
こうした「血の輸出」に終止符が打たれるのは、1815年のウイーン会議を待たねばならなかった。その頃からスイス国内でも先ず繊維産業が、次いで精密機械産業が盛んになり、経済的にも傭兵で稼ぐ必要がなくなったのです。
またウイーン会議でスイスは「永世中立国」として認められ、20世紀の二つの世界大戦を経て現在にいたるまでこれを守っています。
スイスの永世中立は武装中立でもあります。他国の戦争や紛争には武力介入しない代わりに、自国の防衛は自国だけで守るという体制です。
そのために国民皆兵制をしいていて、成人男性は全員が徴兵されます(女性は志願制)。そして一定の年齢になるまで(40代半ばと聞いていますが)、定期的に軍事訓練を受けます。
現在スイスの防衛は、約4000人の職業軍人の他、21万人の予備役、他に多数の成人男性による民兵によって構成されています。成人男性のほとんどが予備役又は民兵であるため、各家庭には自動小銃が配備されています。かつては弾薬や手榴弾も配備されていたそうですが、東西対立の終焉とともにそれらは別の場所にまとめて保管され、有事の際は速やかに支給される仕組みになっています。意外なことにスイスは銃社会で、銃による自殺者の率はアメリカに次ぎます。
現在でも、軍事基地が岩山をくりぬいた地下に建設されるなど高度に要塞化されており、国境地帯の橋やトンネルといったインフラには、いざという時には爆破して国境を封鎖する準備を整えています。国境の封鎖に失敗して外国の侵略を受けても、主要な一般道路には戦車の侵入を阻止するための障害物やトーチカが常設してあります。2006年までは、家を建てる際には核シェルターの設置が義務づけられていました。その数は、スイス国民が全員収容できる数が確保されているそうです。
スイスは陸軍、空軍、そして湖を守る水軍を有していますが、他国を攻撃する能力は持っていません。
NATOには加盟せず、国連も最近になって190番目の加盟国(現在193か国)となりました。PKOには参加していますが、派遣される兵士は丸腰です。
この様にスイスの安全保障の基本は「拒否的抑止力」で、スイスを攻撃しても得られる利益よりも、スイス軍の抵抗や国際社会からの制裁によって生じる損失の方が大きくなる状況をつくり出すことによって、国際紛争を未然に防ぐという戦略です。
こうした戦略によってスイスは、二つの世界大戦を無傷でくぐり抜けてきました。