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イスラエル紀行その6

死海の南端にあるエンンボケックは、死海を代表するリゾート地です。死海は塩水湖です。ヨルダン河がここに流れ落ち、水が蒸発していくため、塩分濃度が濃くなります。35%というから、通常の海水の10倍ですね。海面の高さがー400mは、世界一低い。
死海といえば、浮遊体験です。実際に経験してみると、浮くことより、足が地面に着かないことのほうが驚きます。水中で直立できないのは、結構恐怖心が起きます。
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ところで、実際に死海でぷかぷか浮いている人は、少ない。つまり、この辺りのホテルに宿泊している人は、長期滞在の人が多いのです。海抜がマイナス400mですから、酸素濃度が高くなり、特に呼吸器に疾患のある人が、療養に利用しているケースもあるようです。
ツアーメンバーの中には、評判の泥パックエステに行った方もいました。効果は、ムニャムニャ・・・。
死海で一つ心配なのは、ヨルダン河上流での取水が増えた影響で、水位が年々下がってきていることです。ビーチの脇にあったホテルが、いつしか死海から遠く離れてしまったという例も出ており、深刻な問題となっているようです。

午前中はマサダ国立公園の見学です。詳細は、先日別のブログ“HOME★9(ほめく)”
http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/
に、記事を書きましたので、そちらをご覧下さい。
旧約聖書の時代から、ナチスのホロコーストに至るまで、ユダヤ人は実に多くの苦難に遭遇し、そこを乗り越えて何度も建国を繰り返してきている、ここに彼らのアイデンティティイがあります。このマサダの要塞跡に立つと、ユダヤ人の精神の強さを、肌で感じることができます。
イスラエル建国については、様々な意見がありますが、こうした歴史的背景だけは理解する必要があるでしょう。
写真は、発掘された石に名前を書いたクジで、これを引き当てた人が家族や仲間達を殺し、最終的に全員が集団自決します。
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午後は、死海写本で有名なクムランの見学です。
当時のエルサレムで、ユダヤ教を支配していたサドカイ派やパリサイ派の司祭たちは、次第に儀式のみを重視し、ユダヤ教は形骸化に向かいます。宗教が大きくなっていく段階では、どこでも見られる傾向ですね。
そうすると、それに反発した一種の原理主義が生まれてきます。その人たちが、やがて集団で、荒れ野での修行生活を送るようになります。これが当時クムラン教団、エッセネ派と呼ばれていました。
1947年、ベドウィンの羊飼いの少年が、偶然にクムランの洞窟を発見したのですが、
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壷の中から500以上の巻物が出てきました。調べてみると、紀元前2世紀の旧約聖書、ユダヤ経典、外典文書などでしたので、20世紀最大の考古学的発見として、一躍注目を集めます。
文書は解読され、旧約聖書については現在のものと同一の内容であったそうですが、未だ解読が続けられているのと、一部公開されていないものがあるそうで、謎が残されています。

ヨルダン河で、キリストに洗礼を授けたバプテスマのヨハネは、この教団に属していたと見られています。ヨハネは余りに反政府的な行動をとったため、ヘロデ大王の息子でガリラヤの領主だったアンティパスにより、処刑されてしまいます。演劇や映画、絵画でお馴染みのサロメは、この場面で登場してきます。
ヨハネが刑死した後に、ヨハネの弟子やエッセネ派の一部の信者が、キリストの使徒や弟子になります。
従って、このクムランの人々こそが、旧約聖書と新約聖書とを、橋渡しをした人達なのです。
このクムランの東対岸、ヨルダン側に、モーセの亡くなったネボ山があり、ヨハネの首が祀られている教会も、ヨルダン側にあります。

バスは、ヨルダン河西岸を北上します。死海の北部に入ると、イスラエル支配地区と、パレスチナ支配地区が、入り交じる地域を通過します。南部の荒涼たる砂漠から、北に向かうに連れて、次第に畑が増え、緑が増してきます。日本の農村に近い風景が見られ、何かホッとします。

やがて前方に大きな湖が見えてきます。ガリラヤ湖です。
いよいよ私達は、イエスが活躍したガリラヤ地方に入り、ガリラヤ湖畔で泊まりとなりました。
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by kanekatu | 2005-09-17 02:06 | イスラエル

憂きな中にも旅の空


by kanekatu