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イスラエル紀行その12

テルアビブからエルサレムへの道は上り坂が続きます。エルサレムの街は標高800mの高地です。
死海まではおよそ30km、冬の晴れ渡った日には、街から死海が見えるそうです。
オリーブ山の展望台からエルサレムの街を見渡すと、この街全体が多くの丘と谷からなっており、坂が多いのが良くわかります。
写真の手前がケテロンの谷で、その先がエルサレム旧市街となります。中央に燦然と輝いて見えるのは、岩のドームの黄金の屋根です。
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エルサレム旧市街の中心部は、たかだか2km四方の狭い地域で、端から端まで歩いても大した距離ではありません。その地域の中が、キリスト教地区、アルメニア人地区、ユダヤ人地区、ムスリム地区と分かれています。これら全ての宗教にとってエルサレムは聖地なのですが、ここにエルサレムの、そしてイスラエルに横たわる複雑な問題が凝縮されています。

確かに旧約聖書では、神はアブラハムとの間で結んだ最初の契約で、「わたしはあなたと後の子孫とにあなたの宿っているこの地、すなわちカナンの全地を永久の所有として与える。そしてわたしは彼らの神となるであろう。」(創世記第17章)と述べています。しかし、今さら約3千年前には俺の土地だったと言われても・・・、もう民事の時効はとっくに過ぎているし・・・、とアラブ人側が主張するとしたら、それはそれで尤もな気がしてきます。アア、ヤヤコシヤ、ヤヤコシヤ。

エルサレムに入城してからのイエスの行動について、私たち無宗教の人間の目から見ると、どうも理解に苦しむことが多い。イエスは、前夜には翌日自分が処刑されることを、ユダが裏切ることを、ペテロを始めとする使徒たちが誰も自分を助けようとしないことを、全て分かってしまうわけです。
普通なら、先ずは他所へ逃れるか、逮捕を防ぐ何らかの手段を講ずるでしょう。例えばオウム真理教の麻原のように、現金を抱えて隠れ部屋へ逃げ込むとか。
しかし何もしない。むしろ自らの運命を逍遥と受け入れて十字架につきます。
私なら、死んでから使徒の前に化けて出て、散々うらみつらみを言い立てますがね。

この疑問を解く鍵は、旧約聖書のイザヤ書にあると思います。
イザヤは、ユダヤ人のバビロンの捕囚時代の預言者とされていますが、イザヤの預言を一部引用します。

彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。(53:4)
彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。(53:5)
わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。(53:6)

イエスは、イザヤが預言していた救世主の通りに生き、そして死んでいったと考えれば、エルサレムでのイエスの行動は、十分納得がいきます。
イザヤは紀元前8世紀ごろの人物だったようですが(先の引用部分は、もっと後世に書かれてという説もありますが)、その預言はイエスの生涯をピタリと当てています。
細木数子センセイなど、目じゃないですね。

新約聖書の中で最も心が打たれるハイライトシーンはどこかと問われると、人によって答は違うでしょうが、私の場合は、イエスが十字架にかけられる前日、最後の晩餐の終わった後の、ゲッセマネでの祈りの場面です。少し長くなりますが、マタイ伝には、次のように描かれています。

最後の晩餐のあとイエスは、弟子たちとともにオリーブ山に来ると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ三人の高弟だけをつれてゲッセマネに入っていきました。そして三人に「私は死にそうなほど悲しい。あなたたちはここで起きていなさい」と言うと、一人で園の奥に行って祈り始めます。
弟子たちから離れたイエスは、神に「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」。
ここで杯というのは、これから受けようとしている苦難のことです。できることなら、十字架の上で神に捨てられるなどということは避けたい。しかし自分がみんなの罪を背負わなければ、だれも神のもとに行くことはできない。イエスは、自分の願いよりも神の思し召しの通りにと祈ったのです。イエスは血のような汗を流しながら、同じ言葉で三度祈ります。
それから3人の弟子たちの所に戻ってくると、3人とも眠っていました。「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切るものが近づいてきた。」

信頼していた弟子達からも理解されない、苦悩と孤独感に思い悩む、人間イエスの姿がここにあります。
イエスの偉大さは、全人類の罪を一身に背負って、自ら死を受け容れたということでしょう。

オリーブ山の麓に、そのゲッセマネの園があり、イエスの時代から生き続けていると言われているオリーブの木が残されています。
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この園の横に、万国民の教会があり、
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教会の祭壇の前にある岩の上で、イエスが祈りを捧げたと伝えられています。
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祭壇の前で一人の女性が、「何でこう、宗教の名の下に、戦争が起き、人が殺されていくのかしらね。」とつぶやきました。
なぜなのか、私にも、分かりません。
by kanekatu | 2005-10-02 04:20 | イスラエル

憂きな中にも旅の空


by kanekatu