憧れのレバノン・8(アンジャール)
2018年 04月 22日
660年から約100年間イスラム帝国を支配したウマイヤ朝の最盛期のワリード1世の命により、アンジャール宮殿は建設されました。
ウマイヤ朝の首都はダマスカスでしたが、アンジャールはベイルートの中継地点に位置して古くから繁栄してきました。
ここからダマスカスまでは50㎞、道路さえ整備されていれば1時間強で着ける距離です。国境の向こうでは今なお血なまぐさい戦闘が行われているかと思うとぞっとします。
レンガ積みの間に柔らかい層を作っているのは、地震で壊れないようにするためです。
通りの両側には600以上の店が立ち並んでいました。
道路は十字路で仕切られていて、それぞれ東西南北の方向に向かっていました。
列柱の中で唯一原型をとどめています。これが道路の両側に並んでいたんですから、さぞかし壮観だったのしょう。
神殿です。
神殿内部で、かつてはレバノン杉で作られた天井がありました。
壁のデザインがいかにもイスラムです。
ハマームで、構造は下から蒸気が出てくるローマ風呂と同じです。
現在、レバノンには約150万人の難民が暮らしていることは以前に紹介しました。
難民キャンプというと何となく仕切りがあって、その向こうに1ヶ所に集められているという印象でいました。
バスの車窓から見る限りでは、あちこちにキャンプがあり、一か所の単位もそれほど大人数というわけではなさそうです。ベイルートの町の中にもありました。
灰色のテントの群れが見えるだけで、市民との間の壁や仕切りはありません。
現地ガイドにどうしても訊きたかったのは、難民に対してレバノンの一般市民はどう思っているのかでした。
微妙な問題だと思いましたが、ガイドは次の様に答えてくれました。
一方、シリア難民についてはレバノンで仕事をしても良いことになっている。
現在レバノンは不況で、失業率は30%に達している。そこに新たな低賃金の労働力が供給されれば、失業率はますます高くなるのは避けられない。
シリアの内戦も収束しつつあり、早めに帰還して欲しいが、これだけはレバノンだけでは決められず関係各国との調整が必要なので、今は見守るしかない。
ガイドの立場もあるでしょうから、これ以上深入りしないことにしました。