世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」中東編
2019年 02月 28日
ルクソールの神殿群・王家の墓(エジプト)
定番のルートに加え、アレキサンドリアやスエズ、今は入ることの出来ないシナイ半島まで巡ってきたので、エジプトの観光地はほぼ網羅したことになります。
文化遺産の宝庫ともいうべき中東でも、エジプトは別格の感があります。
なかでもルクソールは遺跡観光の中心であり、ナイル川の東岸西岸にある主な遺跡だけでも、
[ナイル川東岸]
・ルクソール神殿
・カルナック神殿
[ナイル川西岸]
・王家の谷
・ハトシェプスト女王葬祭殿
・メムノンの巨像
があります。
遺跡の多くはエジプト第18王朝(紀元前1570年頃-1293年頃)に造営されていますので、今からおよそ3500年前ということになります。
教育や医療が充実しており、周辺のイスラム諸国がうらやむ福祉国家を目指していました。
だから、リビアが今の様な状態に陥るとは想像もしていなかった。
リビアを代表する遺跡レプティス・マグナは、世界各地に散在するローマ遺跡の中でも最高の規模を誇ります。砂に埋もれたまま忘れられたのが幸いして、他に比べとても保存状態が良いのです。
レプティスの絶頂期は、この町の出身者セプティミウス・セウェルスがアフリカ出身で初のローマ皇帝となった193年で、そのためにこれだけの壮大な都市が形成されたのでしょう。
海辺にあって、遺跡に向こうに地中海が見えるのも楽しみの一つです。
元々はフェニキア人が築いた街だったのですが、2世紀初めのローマ時代に、貿易港として大きく発展しました。しかし5世紀に入って、北方ゲルマンのバンダル人、7世紀のアラブ人の侵入により破壊され、廃墟となりました。
サブラタ遺跡の発掘と修復は、1900年代のイタリア占領下にようやく始まります。
大部分が破壊され、また地中海の海辺にあるため侵食も激しいのですが、それでも遺跡の全容を眺めると、往時の町の規模が偲ばれます。
サブラタ遺跡の最大の見所は、巨大な円形劇場です。
客席は3層になっており、通路を歩くと大きなビルの中にいるという錯覚に陥ります。
今まで見たローマ式円形劇場の中では最大規模であり、恐らくは世界的にも最大級であると思います。
ヨルダンのペトラは紀元前1世紀ごろから、古代ナバテア人の有力都市として栄えた街です。ペトラ遺跡の最大の目玉は宝物殿「エル・カズネ」で、ペトラの入り口から続く、岩に挟まれた高さ100m、幅2mという谷間を歩くこと30分、突如正面に宮殿が、蜃気楼のように姿を現します。これには誰しも感動します。
遺跡全体は未だ発掘途上であり、全容が明らかになったらきっと壮観でしょう。
写真は観光HPから引用。
およそ4500年前に建造されたこの巨大なピラミッド群やスフィンクスは、他に例が無いものです。
今でも多くの謎に包まれていることも、この遺跡の魅力の一つと言えます。
そのせいかエジプト航空のジャンボ機で乗客が往路は数十名、帰路は私たちのツアー一行20名だけという貸し切り状態。
普段は混み合うエジプトの観光地もガラガラで、ゆっくりと見学が出来ました。ミレニアム大歓迎です。
アブシンベル神殿は、新王国時代第19王朝の王ラムセス2世によって建造されたもので、その巨大さに目を奪われます。
1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設計画により水没の危機にありましたが、ユネスコによって国際的な救済活動が行われ、ナイル川から210m離れた丘へ移築されました。
この大規模な移設工事がきっかけとなり、遺跡や自然を保護する世界遺産が創設されたのです。。アブシンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡です。
ダマスカスからバスに揺られておよそ3時間、シリアの砂漠にあるパルミラ遺跡は、紀元前1~3世紀にかけて築かれたとされています。東西交易の要衝として築かれたオアシス都市として建設されました。遺跡には巨大な石柱が列をなし、劇場や大浴場、大神殿などまるでローマ遺跡のような豪華さです。
そして何よりすごいのは、発掘はほんの一部しか行われていないことで、全容を現した時は一体どんな規模になっているか、想像もつきません。
残念なことに長く続いたシリア内戦の中で遺跡の多くが破壊されてしまいました。今後、時間はかかるかも知れませんが、人類の貴重な遺産として再建、修復を期待したいと思います。
写真は、旅行会社のPRサイトから引用。

日本が8つも入る大きさのサハラ砂漠ですが、数千年前には豊かな水と緑に溢れた土地であったことを岩絵が証明してくれます。
岩絵の時代を大きく分けると、次のようになります。
①狩猟時代
約7000年前で、岩絵にはキリン、バイソン、カバなどが描かれています。
つまり、サハラには沢山の野生動物が生息しており、サファリ(狩猟旅行)が行われていたと推測されます。
②牛の時代
約5000年前ごろと思われ、岩絵から野生動物が消え、代わりに家畜としての牛が描かれるようになります。
サハラ砂漠の大きさ、美しさにも魅了されました。
イランの反米感情が高いのは、かつてのイラン/イラク戦争の影響もああります。この時は米国がイラクに軍事援助をしていたので、イランに打ち込まれたミサイルはみな米国製だったそうで、被害の一部はそのまま保存されていました。
イラン観光の最大の目玉はペルセポリス遺跡です。
アケメネス朝ペルシアの都ペルセポリスは、西はエジプトから東はインドに至る大帝国を築きあげたダレイオス1世が紀元前518年に創建し、3代約60年にわたり建設が続けられました。切石を積み上げた東西約300m、南北約450mの大基壇の上に、歴代王の宮殿跡など壮大な建築群が残されています。
シバーム(イエメン)
トンテンカンと鍛冶屋が打つ槌の音が響き、農家では麦わらで編んだ茣蓙の上に穀物が並べられ、天秤棒で水を運ぶ姿が見られました。
サウディアラビアによって乱暴に引き起こされた内戦が早く終結することを願っています。
1982年に世界遺産に登録されたシバーム旧市街は3世紀ごろに形成され始め、現在のような建物が建てられたのは8世紀ごろからとされています。
世界最古の摩天楼の町、遠くから見るとまるで蜃気楼のように砂漠の中に浮かんでいます。
建物は5-8階建て、高さがおよそ30m、全て日干しレンガで造られているのが驚きです。今でも住居として使われています。
降雨が少ないのと、建物全体が固まっていて集合体のような形になっているので、形を保っているのでしょう。
バールベックとは「ベカー高原の主神」を意味していて、ここにフェニキアの神ハダド(バアル)が祀られていた事に由来します。本来はフェニキア系の神々の聖地だったわけです。
しかし後にギリシア・ローマ系の神々と習合し、祭神はジュピター・ビーナス・バッカスと呼ばれるようになり、遺跡はこれら三神をそれぞれ祀る三つの神殿から構成されています。
世界でも有数のローマ神殿跡として、世界遺産に登録されています。
BC1世紀頃からローマ帝国の手により最初にビーナス神殿が築かれ、続いてジュピター神殿やバッカス神殿が建てられ、皇帝ネロの時代には神殿はほぼ完成したと見られます。
2.3世紀には中庭や柱廊などの造成も行われました。全体の建設には約400年間を要しました。
しかし4世紀になって、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝がキリスト教を国教と定めた後は、キリスト教徒によって神殿が破壊されました。その後、ジュピター神殿跡はキリスト教の教会に変わったと考えられています。
低い土地にあったバッカス神殿だけは土に埋もれてしまっていたので、破壊を免れて、今日もその雄姿を見ることができます。