人気ブログランキング |

世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編

世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編


マチュピチュ(ペルー)

ペルーのマチュピチュの最大の魅力は、ロケーションです。標高2400mの位置にあり、山道を登っていくと急に視野がひらけ、忽然と空中都市が現れる、このサプライズが観光客の目に焼きつくのです。後方の山も効果的ですね。
最近の研究からマチュピチュは、15世紀の第9代インカ皇帝の築き上げた王直轄の都市であることが分かりました。ただなぜここの場所に街を造ったのか、なぜ滅亡してしまったのか、未だ解明がされていません。
世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編_c0051938_11510110.jpg

ナスカの地上絵(ペルー)

ペルー南部のナスカ平原と呼ばれ砂漠に、1~6世紀に古代ナスカ人が描いたという巨大な地上絵が残されています。その数は数百にのぼりますが、何といっても不思議なのはこの絵が上空からしか見えないことです。だから飛行機が発明されるまで、誰もこの絵に気付かなかった。
遺跡としては、地面に30センチほどの幅で浅い溝を掘っただけの絵で、それだけでは何の変哲もありません。
また、遺跡として認識されていなかった頃の車両が上を走った形跡もあり、保存状態には心配な面もあります。
軽飛行機でひどい酔いと戦いながら見る地上絵は、見れば見るほど不思議な気持ちになります。
世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編_c0051938_11514105.jpg

メテオラの修道院(ギリシャ)

メテオラはギリシャ中部にあり、平原の中に高さが600mにおよぶ岩山が立ち並んでいます。
その頂上に修道院が建てられていて、現在も6カ所の修道院に50人を超す修道士・修道女が暮らしています。
修道院ができたのは14世紀で、オスマントルコの迫害から逃れ、ギリシャ正教を守り抜こうとしたためです。縄はしごを使って上り下りし、必要な食糧や資材はロープであげるしか方法がない生活。敵の攻撃から身を守り、修行に専念するに相応しい場所だったのです。
国民の97%がギリシャ正教の信者であり、日常生活のあらゆる場面に正教が浸透しているギリシャの中で、メテオラはその信仰の中心地です。
同時にギリシャを訪れる人にとっては、ギリシャ観光の目玉でもあります。
世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編_c0051938_11523426.jpg

アテネのパルテノン(ギリシャ)

パルテノン神殿、第一印象は建物に風格というか、品があります。紀元前に創建された当時は、内部には高さ12mのアテナ神の像が安置され、壁面には数多くのレリーフや彫刻像で飾られていたのですが、現在残されているのは、いうなればスケルトンだけです。それでも大理石から作られた46本の巨大な列柱から成る建物は十分に美しい。
ドリア式の柱は中間で膨らんでいて、上部は細くなっています。そして完全な垂直ではなく、少し内側に傾いて立てられています。
ただレバノンのバールベックのバッカス神殿に比べると、スケールの小ささは否めません。
世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編_c0051938_11532703.jpg


ポンペイ(イタリア)

文化遺産の多いイタリアですが、一つ選ぶとすればポンペイ遺跡となるでしょう。
紀元前から繁栄していた古代都市ポンペイは、今から約1900年前の79年、ベズビオ火山の噴火で灰の下に埋もれ、突如として姿を消した悲劇の都市です。噴火による埋没後、1748年に再発見され発掘が行われました。
掘り起こされた遺跡からは、住居や壁画、落書きなども発掘され、当時の人々の日常生活を鮮明に知ることができます。また石膏によって復元された遺体からは、噴火直後の慌ただしい様子が分かります。
これだけ生々しい姿を示している遺跡は極めて稀です。
世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編_c0051938_11542065.jpg

アウシュヴィッツ(ポーランド)

私たちが普段耳にするアウシュヴィッツですが、次のように分かれています。
アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)
アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ
アウシュヴィッツ第三強制収容所モノヴィッツ
アウシュヴィッツ第一強制収容所はドイツ占領地のポーランド南部
モノヴィッツは連合軍による爆撃や爆破のため今は何も残っていません。
そのため「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」というのが一般的な名称とされています。
いずれもナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家をあげて推進した人種差別的な抑圧政策により生まれた強制収容所であり、ホロコーストの拠点として絶滅収容所とも呼ばれています。
ユネスコは二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて「負の世界遺産」に認定しました。
現存する施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開しています。

世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編_c0051938_11545479.jpg

ドブロヴニク(クロアチア)

ドブロヴニクの町が誕生したのは7世紀とされ、当時の名前ラグーサ共和国は交易によって繁栄していました。13世紀にはヴェネツィア共和国により実効支配されますが、14世紀にハンガリー帝国の支配に移管されると又自治を回復します。
しかしラグーサ共和国が壊滅的な打撃を受けるのは戦争ではなく、1667年に起きた大地震で、この時町の殆んどが崩壊します。
その後一度復旧しますが、今度はナポレオンによって降伏させられ、ラグーサ共和国は完全に消滅してゆきます。
20世紀に入ってからは旧ユーゴスラヴィアで起きた内戦により街は破壊されますが、今は完全な形に修復されています。
幾多の戦歴や地震に耐えて、アドリア海の真珠と呼ばれるドブロヴニクの町は、今日その姿を私たちの前に見せています。
世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編_c0051938_11553802.jpg


アルハンブラ宮殿(スペイン)

スペインを代表する文化遺産といえば、グラナダの丘の上にたつアルハンブラ宮殿でしょう。この宮殿の建設は、イスラム教徒の各都市がキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)によって陥落した後にムハンマド1世がナスル朝を開国し、1238年にグラナダに都を置いたことに始まります。
アルハンブラ宮殿の意味は「赤い城」で、歴代の王により建設は受け継がれました。内部は宮殿をはじめモスク、市場、軍事要塞などが整備された城塞都市を形成しています。
グラナダが陥落し、イスラム教からキリスト教に支配が移った後もほとんど破壊されず、キリスト教徒の王たちによって改築や増築が続けられました。そのため、アラブ様式だけでなく、中世イタリアのルネッサンス様式などが混在している珍しい宮殿建築です。
写真は観光用HPより引用。
世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編_c0051938_11562126.jpg


モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

モスタルというのは「橋の守り人」の意味で、ネレトヴァ川に架かる石橋・スタリモストが中心となってこの街は発展してきました。オスマン朝時代の1566年に架橋。橋台を使わず両岸からのアーチ状にかかる橋は見た目の美しと共に、この時代の建築技術の高さを示すものです。
しかしボスニア紛争中の1993年にこの橋は破壊されてしまい、ユネスコの協力で2004年に復元されました。だからボスニア復興の象徴とも言えます。
世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編_c0051938_11570032.jpg


テオティワカン(メキシコ)

2001年1月1日早朝、つまり21世紀の最初の日の出を、メキシコの太陽のピラミッドの頂上で迎えました。
マヤ文明は、紀元前後から16世紀頃まで,メキシコ,グアテマラ,ホンジュラスなどに展開した文明です。3世紀には一種の宗教的都市が形成され、巨大なピラミッド形の大神殿や祭礼場,裁判所,市場などが建造されました。
800年頃に頂点に達した後、文化の中心はユカタン半島に移って,950~1000年頃にはチチェン・イツァを中心とするメキシコの影響を受けた文化が発展しますが、15世紀には衰退してしまいます。
かつては20万人もの人口を擁した世界最大の宗教都市遺跡「テオティワカン」には、高さ64mで世界で3番目の大きさを誇る「太陽のピラミッド」や「月のピラミッド」があり、遺跡の中心に真っ直ぐのびる「死者の大通り」が今も残っています。
古代の人々が広大な敷地に区画整理された古代都市を築いていたことがはっきり分かる遺跡としても有名です。
但し、他の文化遺産と比べると修復が荒っぽく、どこまでオリジナルに近いのかが疑問です。
世界の絶景SELECT「文化遺産・遺跡」ヨーロッパ・南米編_c0051938_11580006.jpg



名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kanekatu | 2019-03-04 12:00 | 世界の絶景 | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


by kanekatu
プロフィールを見る
更新通知を受け取る