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九州の紅葉を訪ねて 後編

紅葉めぐりに話を戻します。
二日目の朝一番は、別府温泉です。今更別府温泉地獄めぐりでもないだろうがと思いましたが、それでも鉄輪(かんなわ)温泉の海地獄は、ブラジル原産の大オニハスやその花(写真)の観葉を中心に、結構楽しめました。
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何といっても、温泉街の至る所から蒸気が立ち昇る様は、豪快です。
明礬温泉の湯の花小屋付近には、しゃれた店が出来ていて、若い人の姿が目に付きました。
ここの所、湯布院や黒川温泉に押され気味の別府温泉ですが、湯量、泉質の多さとも日本一の温泉の巻き返しに期待したいと思います。

その湯布院ですが、相変わらず若い女性を中心に賑わってました。しかし年配者にとっては、どうなのでしょう。大して見る所も無いので、せめて「亀の井別荘」の庭を散策する位しかないのでは。この庭の紅葉は、実に見事でした。
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やはり湯布院は、宿泊して温泉に浸かる所ですね。

前回の記事で紹介したやまなみハイウエイを通って、大分県から熊本県に入り、阿蘇の西側、菊池川に沿って菊池渓谷があります。遊歩道が整備されていて、手軽に散策が楽しめます。ただ、時間の関係で一部しか見られなかったのと、紅葉にはやや早かったようで、ちょっと残念でした。この辺りが、団体ツアーの制約ですね。
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二日目は黒川温泉郷に宿泊です。食事の前に、黒川温泉の湯めぐりを楽しんできました。

三日目最終日は、先ず竹田の岡城址に向かいました。
岡城は、1185年築城の古城で、元々は当時の当主緒方三郎惟栄が、都を追われた源義経を迎い入れるために建てたものです。事実義経一行は、船でこの竹田に向かうのですが、悪天のため到着できず、結局奥州藤原の元に向かうことになります。その後は江戸時代を通じて、岡藩7万石の城となりました。
何せ天然の要害で、稲葉川と白滝川が合流する地点に位置しているため、天然の濠を形成しています。川岸から切り立った断崖絶壁の海抜325mの台地に城がありました。
島津の大軍の猛攻を、僅かな兵力で守りきったという名城です。残念ながら明治10年の西南戦争で焼け落ちてしまい、現在では石垣が往時の姿を留めているのみです。
城址公園には紅葉が見られ、石垣と調和した美しい景観を示していました。
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この城は又、瀧廉太郎がこの岡城址をイメージして、「荒城の月」を作曲したことでも有名です。
もっとも作詞の土井晩翠は、会津の鶴賀城址をイメージしてあの詞を書いたそうですから、あちらの方が本家かも知れませんが。

バスは宮崎県に入って、高千穂に向かいました。
高千穂は神話の里と呼ばれていますが、ニニギノミコトが、この地でモミを撒き散らすと、たちまち辺りの闇は解け、晴れ渡ったという。やがてこの地は、その言い伝えにより「智穂(千穂)」と名付けられ、そして高千穂と呼ばれるようになったのだそうです。
また、高千穂には神々が談合したと言われる天の安河原や、天照大御神が身を隠した際に、天鈿女(アメノウズメノミコト)が舞い、手力雄神(タヂカラオノカミ)が岩戸を開けたという天ノ岩戸神社や、洞穴もあるそうです。
今回のツアーでは、高千穂峡だけの観光となりました。
高千穂峡は約10万年前の2回の阿蘇火山活動の際、噴出した溶岩流が五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、急激に冷却された侵食谷です。
名所の真名井の滝を見ていると、確かに神が住む谷と言われるだけのことはあり、いかにも神が宿りそうな雰囲気が感じられます。紅葉は余り進んでいません。
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最後は阿蘇の草千里です。もう放牧の時期も過ぎて、やや寂しい草原の風景でした。
阿蘇は、初夏がベストですね。
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さて、2泊3日の駆け足で、九州紅葉めぐりを楽しんできました。
前回の記事にも書いたとおり、今回旅したコースは、景色も温泉も日本一だと思っています。是非一度出掛けられることをお薦めします。
by kanekatu | 2005-11-15 05:10 | 九州

憂きな中にも旅の空


by kanekatu