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中央アジア紀行 その4

ウズベキスタンの正式国名はウズベキスタン共和国で、国土は日本のおよそ1,2倍、人口は2600万人。国土の大半は乾いた土地で、耕作面積は10分の1しかありません。
人口の8割はウズベク人で、「イスタン」がペルシャ語で「国」を表しますから、ウズベク人の国でウズベキスタンとなるわけです。
そういえば、中央アジア周辺国はみなナントカイスタンですね。
宗教はイスラム教スンニ派が多数を占めます。

ソ連時代の産業政策により農業は綿花栽培が主体で、綿花輸出は世界第二位です。
天然ガス、石油、石炭などの化石燃料の他、金も産出するなど、鉱物資源は豊富です。
しかし半数の国民が、1日2ドル以下で生活しており、貧困層も多いのが現状です。

政治的には、ソ連邦時代の大統領であったカリモフ氏が、独立後もそのまま大統領に選出されています。政党も旧共産党から改組した政党が、議会の多数を占めています。
経済体制は市場経済を指向していますが、政治の面ではかつてのソ連時代を引きずっていると言えます。
旧ソ連邦の独立国家共同体であるCISに加盟しています。

外交面では一時期米国に接近し、9・11以後は国内米軍基地を認めていましたが、フェルガナ地方での反政府デモに政府の治安部隊が発砲して死傷者を出し、それを欧米諸国が非難したのを機に、関係が悪化しています。
2005年には米軍が撤退し、現在はロ・中との関係を強化しています。

人権や民主主義の問題は、欧米諸国と、それ以外の中東、アジア、アフリカ、ラテンアメリカとでは、意識が大きく異なります。
全て欧米の目線で善悪を判断するのは、間違っていると私は思います。

同じ旧ソ連支配下にありながら、東欧と比べると、対ロシア感情はそう悪くありません。
遊牧民族であったウズベキスタン人が、ソ連邦が綿花栽培を奨励することにより、定住し生活できるようになったと、現地ガイドは説明していました。
国民の中には、昔のソ連邦時代の方が良かったという人も少なくないそうです。
道路や鉄道などはソ連時代のものを使っていますし、ウズベキスタンの遺跡の大半は、ソ連時代に発掘、修復されています。
土産物店で、マルクスやレーニンが描かれている壁掛けが売られていたりして、ビックリしました。

悪名高いソ連ですが、たまには良い事もやったんですね。

ウズベキスタンの西部は、カラカルパクスタン共和国として自治共和国になっています。独立した国家機関を持ち、独自の憲法を持っています。
私たちはバスで、途中ウルゲンチの町を通りました。
町の外れに青空青果市場があり、沢山のスイカやメロンがそのまま山積みされ、買い物客で賑わっていました。
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買い物をしている女性客ですが、こうしたカラフルなワンピース姿が目立ちます。
アラブのイスラム国と違って、身体の線が出るような服を着ているのが分かります。
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アムダリヤ川にかかる橋は浮橋で、バスの乗客は降車して徒歩で渡らねばなりません。
ウズベキスタンもトルクメニスタンも、政府機関の建物、国境、空港、鉄道や駅舎、港湾、川や橋など、全て写真撮影が禁止です。
人口衛星からカメラで撮影されている時代に、何の意味があるのかサッパリ分かりませんが、とにかく禁止なのです。
写真は、ここからなら撮って良いとされている場所から、アムダリヤ川と浮橋を撮影したものです。
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渡河すると、カラカルパクスタン共和国です。
この辺り一帯は、古代ホレズム文化が栄えた場所と推定されていましたが、遺跡の発掘が行われてこなかった。
1935-51年にかけて、ロシアの考古学者トルストイによって発掘調査が行われ、遺跡や陶器、絹などが出土、シルクロードの一部であったことが証明されました。

アヤズ・カラは7世紀ごろの城址とされていて、高さ60mの丘にある第一カラ、
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高さ30mの丘にある第二カラがあります。
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かつてこの二つは、橋でつながっていたそうです。
下の写真は、当時の税関所であったと見られている場所です。
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遊牧民のテント「ユルタ」で昼食をとった後、散歩がてらに近くのアヤズカラ湖に出かけました。
水源が湧き水の、小さな湖です。
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トプラク・カラは、BC1世紀からAD5世紀にかけての都市遺跡で、500X350mのレンガ造りの城壁に囲まれています。
内部には宮殿、広場、神殿(拝火教;ゾロアスターと見られる)、居住区などから成っています。
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第一次世界大戦のころは、ロシア軍の武器庫として使用されていました。
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ここからは数々の兵士像、塑像、壁画が出土していますが、残念ながら全てロシアのエルミタージュ美術館に収められています。

カラカルパクスタン共和国の北、カザフスタンとの国境に「死せる湖」として、大きな環境問題となっているアラル海があります。
アラル海に流れ込んでいるアムダリヤ川、シルダリヤ川の流域での農業用水の増加と、アムダリヤ川から多量の水がカラクム運河を通してトルクメニスタンに供給されているという二つの理由により、アラル海の水位が急激に下がり、干上がったものです。
かつてアラル海で行われていた漁業は、壊滅的な打撃を受けました。
今年のノーベル平和賞のテーマは、環境問題でしたが、アラル海再生のためには、周辺国の協力が不可欠です。

「カラ周り」を終えてヒヴァのホテル、アジアヒワに戻りました。
写真は、ホテルの清掃係の女性です。
ウズベキスタンの女性は、概して背がスラリとしていて首が長く、目鼻立ちがクッキリとしていますので、みんな美人に見えます。
男性ですか? さあ覚えていませんね。
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次回はいよいよ、トルクメニスタンに入国します。
by kanekatu | 2007-10-14 07:53 | カラカルパクスタン

憂きな中にも旅の空


by kanekatu