中央アジア紀行 その14

サマルカンドの宿泊は、アフラシャブ・パレスというホテルで、レギスタン広場の直ぐ近くにあり、ロケーションの良いホテルでした。ウズベキスタンのホテルは、タシケントを除き快適でした。
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サマルカンド観光は、先ずアフラシャブの丘から始まりました。
写真に見るように今は何の変哲もない土塊ですが、ここがサマルカンド発祥の地です。
マラカンダという名で呼ばれたこの町は、紀元前4世紀には城塞に囲まれ、道路は舗装され水道が各家庭に延びていたとされています。
この町を築きあげたのはソクド人(胡人:イラン系民族)で、商才と工芸技術に長けていて、数世紀にわたりこの町を発展させてきたのです。
しかし1220年のモンゴル人の攻撃により、町の人口の4分の3が殺され、町は徹底した破壊にあいました。
当時の中央アジアの建築物は殆んどが日干しレンガと粘土で造られていましたので、跡形も無く消え去っています。
発掘調査の結果によれば、文化の痕跡が11層にわたって積層されているそうです。
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アフラシャブからの出土品は、近くにあるアフラシャブ博物館に収納されています。
写真は、7世紀の領主の宮殿から発見された壁画の一部です。
痛みがひどく色も褪せていますが、これは動物の絵でしょうか。
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船に乗っている絵ですが、中央アジアには海がないので、この地が東西交易の中心にあったことが窺われます。
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これは狩りの絵でしょうか。
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ティムール帝国の第4代皇帝でティムールの孫であるウルグ・ベクが建てた天文台跡です。
1908年ロシア人のシシュキンにより発見されました。
計測の細かな方法は分かっていませんが、当時の記録によれば1年は365日6時間10分4秒とされており、現在の精密な計測結果と比べ、誤差は1分以内です。
望遠鏡も無かった当時としては、驚異的な正確さです。
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シャーヒジンダ廟はアフラシャブの南麓にあり、ティムールゆかりの人々の霊廟が、まるで長屋のように通路の両側に並んでいます。
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シャーヒジンダというのは「生ける王」という意味で、この地で礼拝していた預言者が異教徒に首を刎ねられたのですが祈りを続け、その後自分の首を抱えて井戸の中に入って行ったという伝説に基くものです。
現在でもイスラム教徒の巡礼の聖地であり、その建物の美しさには定評があります。
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お参りに訪れる人々、特に女性たちは綺麗に着飾っています。
ただ霊廟の数が多く、1軒1軒回っていると相当疲れます。写真の親子は、ここで一休みしていました。
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この中で最も古い建物が、クサム・イブン・アッパース廟で11世紀の建造です。この廟だけが奇跡的にモンゴルの破壊を免れました。
写真はその入り口アーチであり、この手前奥が廟になっています。
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この後、サマルカンド最大規模のシャブ・バザールを見学。
特に買い物も無かったので、近くを歩いている人を写しました・
服装からすると大学生でしょうか。
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こちらは高校生ですかね。
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ビビ・ハヌム廟は、ティムールの正妻の廟で、中央アジア最大の規模を誇っています。
確かに大き過ぎて、写真に納まらない。
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でも、「中央アジア最大」という形容詞は、今まで何回も聞いたような気がするんですが、どれがどれだったか思い出せないですね。
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次回は、サマルカンド観光の後編です。
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by kanekatu | 2007-11-21 10:12 | ウズベキスタン | Comments(0)

憂きな中にも旅の空


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